リレー小説「脱皮」/春休みの課題1/グループA

ああもう、全てを捨ててしまいたい。

他人の頭の中にある、私にまつわる記憶を消したい。全ての過ちを無かったことにして、全ての後悔を払拭して。蓄積された私という情報に振り回されないで、今の私を見て欲しい。

髪の毛も黒く染め直して、ちゃらちゃらした服も全部捨てて、マニキュアで目がチカチカしそうな爪なんて引っ剥がして。

全てを無かったことにして、そしてまた一から新しい私として歩みだすの。
気の迷いではなかった。流されたわけでもなかった。私がしたかったから、浮気した。それだけだった。

数十通のメッセージの中に、目を引くものがあった。細身で筋の通った鼻。整いすぎた怖さに惹かれた。珍しいくらいの丁重な文章は一通目だけで、返信はすぐにタメ口になった。

「とりあえず会ってみない?」

気が向いたら、なんて気取ったけど、拒みたいプライド以上に身体が刺激を求めていた。駅で待ち合わせた彼には写真通りの危なさと、写真に無かった優しさが見えた。驚く程に躊躇なしに、彼の家に行った。行ってしまった。
彼の家は見た目と同じく綺麗に整頓されていた。寧ろ余りに綺麗すぎて、彼の整いすぎた顔もあいまって、彼の人となりに一抹の疑念を覚えた。彼は本当に大丈夫だろうか。
職業柄、いろんな男の人と接するから分かるはずだった、その人に近づいても大丈夫な距離が。

彼の目をまっすぐ見つめるとその距離はぐらぐらと溶けていく。そんなものはもうどうでもいい。
今までみたいに必死に遠ざかって、日陰に逃げ込むのはもう嫌だ。
全てを一新して、日の当たるところで生きたい。

彼が誠実であることを信じて、私は彼にこう言った。
「お姉さんと違って綺麗好きなんだね。君はああいうの辞めた方がいいよ。」

そのまま部屋を出たのは、生き写しのような整った顔に思考力を奪われるから。
弟がいるのは聞いていたけどまさか会えると思わなかった。もう彼と関わっていることはないと思った。寧ろそれが区切りだと思った。

自販機の前で財布の不在に気付いた。バッグを探ると趣味じゃないタオルハンカチを落とした。
この私でいるのは最後なのに、これだから格好がつかない。
落下物をよそに駅を目指す。電車に乗るやいなや指を滑らせるけれど、画面には誰の言葉も浮かばない。それが私の居場所だった。

愛されたい。
ベットの上での私は激しく必要とされる。私が満たされるのが分かる。
それがたとえ私を必要としていなくても構わない。私が持つ女の機能を愛してくれさえすれればもはや満足できた。できていたつもりだった。

私が吐き出した独り善がりな言葉を拾ってくれる人にいつか出逢えるといい。
聞き覚えのない駅名のアナウンスを耳にする。私はどこに向かっているのだろう。

掌に握っていた欲望は、いつの間にか虚無感のようなものに変身して、確かにそこにあった。

どれほど姿形を変えようとも、根底にある私の型が変わることはない。私にまとわりついた古いものを引き剥がしても、型が決まっているのだから、そこから新たに出来上がるものもその型をはみ出ることはない。

残っているのかもわからない春を売り続け、そんな私をそういう人として見てくる人の目が嫌いになった。きっとろくでもない性格をした女ではあるのだろう。それでも私の知らない私を誰かが見つけてくれるのなら。あるいはきっと。

聞き覚えのない駅のホームで、ひときわ強く吹いた暖かい風と共に私は歩き出す。叶わぬ夢の脱け殻だけがその場に残る。

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