内田邸の主寝室の隣で/春課題1/rascal

1
風通しをよくするために開けられた窓から庭に咲いた花の香りと春の心地よい日差しが差し込んできた。僕はずっとこの部屋にいて外にほとんど出たことがないけど、それでも春の訪れが感じられるにこの空間が好きだ。まあそうでも感じていないとやってられないというのもある。

このまま眠ってしまいそうだったけれど、廊下から聞こえる足音でふと目が覚めた。この音程はお嬢様のものだ。お嬢様は僕の他に部屋に誰もいないのを見ると嬉しそうに僕に寄りかかって、お気に入りの本を読み始めた。僕は黙って受けとめる。いつも読んでいるものだ。僕は文字が読めないから何が書いてあるかわからないけどこの本を読んでいるお嬢様はとても穏やかに笑っていて、美しいから好きだ。ある程度読み進めてからお嬢様は本を閉じてフッとため息をついた。

「女学校を卒業するのはいいのだけど、結婚は嫌だわ。お見合いで1度お会いしただけだし」

詳しい話は知らないが、お嬢様は明日結婚するらしい。確か軍人さんだとか。女学校を卒業したのだから結婚するのは普通なのだけどお嬢様は不安そうだ。僕もお嬢様に会えなくなるのはちょっと、いやかなり寂しいなと思っていたりする。

「この部屋でこうしてお庭のお花を見ながらゆっくりするのはこれで最後なのね…あなたとこうしているの、けっこう好きだったのに」

僕もです、と言いたいけれど伝えるすべがない。

「ふふっ。私ったら何を言ってるのかしらね」

そう言い残してお嬢様は部屋を出ていった。お嬢様の背中が不安そうに見えたけど、僕には何もできない。不甲斐なさを感じながら、僕はゆっくり眠ることにした。

 

 

2
寒い。もう12月になろうとしているのだから当たり前なのだけれど。窓のすぐ外にある桜の木も枝だけで寒々しい。

寒さに必死に耐えていると、部屋に旦那様が入ってきた。旦那様には書斎もあるのに、たまにわざわざこの部屋に入ってくつろぐことがある。あ、暖炉に火を入れてくださった。助かる。僕を買ってくれたのも嬉しいのだけど、こうしてちょくちょく部屋に来てくださるのが特に嬉しいと感じる。

「この本ももう読めなくなるかもしれんな」

そう言って本を開いて読み始めた。相変わらず文字は読めないけど、異国の文字だというのはなんとなく分かる。いつの日かお嬢様が苦手と言っていたエイゴという文字かもしれない。

「大日本帝国はもう米国と戦争しなければならないのだろう…あの子の旦那も戦場に行くのだろうな」

この部屋を掃除してくれる女中と旦那様の話を聞いただけだからよく分かってないけれど、この国はどこかの国と戦争するらしい。この前、敵国から最後通牒が来たとか。旦那様は戦争した結果が目に見えているからなんとかしようとしたみたいだけど、もう引退する身だし、結局だめみたいだ。

「あの子は大丈夫だろうか」

お嬢様が結婚なさってからかなり経った。お会いしたいなあ。最後にお会いしたときはまだあどけなさもあったけれど、今ごろは立派な貴婦人になっているのだろう。

「私ももう長くないし…できる限りのことはしてやろう」

そう言って僕に寄っかかって寝てしまった。いいなあ旦那様は。僕はお嬢様になにもしてあげられない。こうやってお嬢様を案じる旦那様を支えることしかできないのだ。

 

 

 

3
この部屋にいて1番好きだなと思う季節は春だけど、秋もなかなかいい。桜の葉が赤く染まっているのも澄んだ空気もいい。

ずっと部屋にいるけれど外の世界ではかなりの変化があったらしい。まず戦争が終わった。部屋からいろいろ見ていたけれど、もう空襲はこりごりだ。ここから出られないから、ここまで火が回ってきていたら焼け死んでいただろう。それで敵国が占領しに来て、戦争しない平和な国になったとか。あと新しいものが増えた。僕がこの部屋に来たときは馬車通しから馬車の音がしていたのだけど、最近はクルマというものができたらしく、ブーブーいう音が聞こえるようになった。

物思いにふけっていると廊下からあの変わらない音程の足音が聞こえてきた。

「あら、誰もいないのね」

そう言ってお嬢様は僕にゆっくりもたれかかった。最近のお嬢様は編み物をよくするようになった。これから冬になるからだろう。あの春の日、結婚前日で不安そうだったお嬢様のお姿とは大分変わった。顔には皺が刻まれ、つやつやした黒髪は真っ白になった。手もしわがれた。でも僕にもたれかかってのんびりしているときの穏やかな笑顔はあのときの面影が残っている。

お嬢様は戦争でご主人を亡くしてから、子どももできなかったしということでこの家に帰ってきた。今は自分の姪子のお子様を本当の孫みたいに可愛がって日々過ごしている。今編んでいるものもその方にあげるのだろう。

「そういえばこの安楽椅子、ずっと前にお父様が買って来てからずっとあるわね。これに座って本を読んでくつろぐの好きだったわ」

ああお嬢様は僕のことちゃんと覚えていらっしゃるのか。僕は安楽椅子として少しでもお嬢様にくつろぎの時間を与えられていたのか。

「結婚前日に弱音吐いてこの安楽椅子に話しかけたりしたっけ」

そんなこと忘れているだろうと思っていた。安楽椅子冥利に尽きるというものだ。

お嬢様を呼ぶ声に「はいはい、今行きますよ」と返事をしてお嬢様は部屋を出ていった。窓から吹いてきた秋風に身を任せて僕はこの体を揺らした。僕ももうガタがきているけれど、せめてお嬢様がこの部屋に来てくださらなくなるまでは頑張ってみようかな。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「内田邸の主寝室の隣で/春課題1/rascal」への1件のフィードバック

  1. 言い訳タイム。
    今回は外交官の家について書けってことだったんですけど、これはあれですね。外交官の家にあった安楽椅子の話ですね。安楽椅子に座る人物のイメージがグループの全員違って面白いなって思って書きました。久々に文章書いたのに慣れない物語書くからこんなことになるんですね、はい。提出遅れたのは合宿のせいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。