セーラー服とパンティ/フェチ/jboy

 「この少女はスカートの下に白パンツをはいているにちがいない、という目で私たちが制服少女を見るからこそ、制服少女は輝いて見えるのである。(中略)であるから、たとえ白パンツの姿が全く見えなくても、制服写真の中心には「不可視の白パンツ」が存在しているといえるのである。」p82

「『学校』を愛するのだが、『学校』と性的に交わることはできないから、そのかわりに、『学校』の代理物としての制服少女と性的に交わろうとする。彼ら(教師)にとって、制服少女を犯すことは、同時に、彼らの愛する『学校』に向かって射精することであり、制服少女を介して『学校』と性的に交わることなのである。」p90
         

                                               森岡正博 『決定版 感じない男』より抜粋

黒もいいし、ピンクもいいが、やはり白に限る。紫もいいし、赤もいいけど、つまるところ白に落ち着く。白には不思議な魔力が宿っている。白とは純潔の証であり、こちらとしてはとても汚したい衝動に駆られる。汚したくて汚したくてたまらない。しかし、本来汚れているはずの白いパンツは汚れてはいないし、汚してはいけない。そこにはある種宗教的な神聖さがある。

 

パンツは形而上学的なものである。制服を着た女子高生は、(ほぼ)絶対にパンツを履いており、つまり実在としてのパンツを間違いなく認識しているにもかかわらず、スカートに隠された、見えそうで見えないパンツを夢想する。加えてそこで大事なのは、見せまいとする熱意である。理念としてのパンツは、マテリアルなパンツ、もはや言い換えれば「布切れ」を超越する。なぜミロのヴィーナスがあれほど魅力をもって我々の前に現れるかと言われれば、思考の余地をわれわれに提供してくれるからに他ならない。崩れた腕の向こう側に広がる世界、かつてあったであろうその姿に思いを巡らし、ああでもないこうでもないと思索にふけることを、ヴィーナスは優しいまなざしで見守っていてくれるのである。もし腕があったら、一彫像に留まっていたかもしれない。パンツはこれと似た心性を持つ。スカートの中に広がる、見えそうで見えない小宇宙をわれわれに感じさせてくれるのである。

 

 

 

「学校」と性的に交わる。いったい何を言っているんだと思われるかもしれないが、制服少女への志向性の、これ以上の説明はないだろう。森岡は同著の中で、学校の文化とは「洗脳」の文化であり、未開な制服少女の「脳の処女」を奪うことへの背徳感に欲情の源泉があると述べている。事実最近アダルトビデオすら見飽きたjboy青年も、知識を振りかざして同級生にしたり顔で勉強を教えていたことを思い出し、当時は全くそんなこと思いもしないまま、「自分の復習にもなるし、、」などともっともらしい理由を並べる一方で、こんなに破廉恥なことをしていたのかと思うと、どんなプレイよりも興奮を覚える。中3当時初めて付き合った彼女との接触のきっかけも、今思えばjboy青年が数学の問題を教えてあげたことからであった。拝啓15のjboy少年へ、うらやましい限りである。

男性諸君、君たちは「学校」と性的に交わりたくはないか!
女性諸君、こんな身勝手な男の妄想をどうか許してほしい。
以上jboyより、森岡氏に敬意をこめて。

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