起き上がる悲しみ/物申す/温帯魚

コミュ障、というより大学に入ってから人と触れ合う機会がどんどんと減っているからか、物申したいことが思いつかない。自分でも驚くことに、いやマジで。どんな他人も許せるというよりは、人間に幻想を抱いていられる距離があるからなのか「いいんじゃない。誰だって人間だしそんな風に思うこともあるよ!」で大抵の部分が終わる。もちろん正確には(だって俺には関係ないし)と付くのだろうけれど、そんなもの見たくないから見ていないということでもあるのだろうけれど。とはいえ明日になれば意見が翻っているかもしれないぐらい適当な自己紹介だとしても、今現在僕には、肩ひじ張って物申したいことは無い。無いったら無い。不良も老害もイチャイチャするカップルも、世の中を生きていく中でしょうがないものだ。むしろパッションがあって大変結構という気すらしてくる。えらい。えらく不健康でパワーのない私からすると反省させられる思いだ。どうも一人称が安定しないが、ともかくだ。今私は物を申せるような立場にはいないし、申したいこともないのだ。だからこの課題は大変困る。困った、ああ困った。

と、ともすればここで終わるとそれこそ申すべきモノをひねり出した皆様方から物申されるかもしれないが。大丈夫、前フリである。そろそろ私も物申す。安心したれい。

 

とはいえ、とはいえだ。さすがの私でもやはり苦言を呈したくなることもある。まるで今までの文章から私を仏陀の生まれ変わりかと思われた方もいるかもしれないが、もちろんそんな高尚な人間ではないのだ。私にだって不満の一つや二つはあるし、そもそも仏陀は解脱しているから生まれ変わらない。

それは、朝だ。役者不足ながら、また微力ながら私は朝という概念に物を申させてもらおう。

朝というものは最低である。恐らくこの世で最も唾棄すべきことの一つであり、人間が生み出した根源的な悪の一つであると言っても過言ではないだろう。朝があるから人間は心地よい眠りから引き剝がされ、夜の非日常的な楽しみを無粋に壊されてきた。人間のすべての悲しみは朝にその端を発し、それは終わることのない繰り返しである。そしてもう語るべくもないだろうが、朝という悪そのものの存在こそが、一限という大学生にとって人類史上でそう数のないであろう悲劇を生み出したのである。もちろん私もその悲劇の被害者であり、単位という馬鹿げた記号に踊らされた数多あるマリオネットの一つだ。R.I.P。せめて安らかに眠れと願えど、朝という概念はそんな我々を地獄へとたたき起こす。ただ地球が回っているだけだ。それなのにどうして人はこんなにも―――

理解していただけただろうか。あるいは確信していただけただろうか。それではここで筆をおかせていただこう。願わくば明日が、希望の夜明けとなりますように。

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