いい肉/いい〇〇の日/奴川

「今日はいい肉の日だからな、特別だぞ」

 

びっくりしている小学生のわたしに、お父さんは言った。このラーメン屋にくるのは初めてではなかった。小学生のわたしは、たまにこうしてお父さんとラーメンを食べることがあった。夫婦喧嘩の末お母さんが家を飛び出しちゃったときなんかは、一週間連続でラーメンを食べることになりさすがに飽き飽きした記憶がある。

あの頃の我が家には本当にお金がなくて、外食にお金をかけるなんてできもしなかった。かといってお父さんは料理が全くできない。だからお母さんが家にいない時は、絶対にラーメン屋さんにいくことになるのだった。わたしの住む街のラーメンは、味もカロリーもかなり重たい方だったから、一杯で育ち盛りの腹を満たすことが最適だったのである。

カウンターの向こうで腕組みする強面のお兄ちゃんに注文するのはお父さんだった。だからわたしが食べるのは、一番シンプルな480円のラーメンだった。トッピングはほうれん草に白ネギに海苔、そして申し訳程度の薄いチャーシューが1枚。そんな食べ慣れたはずのラーメンが、その日はなんだか違ったのだ。

 

「チャーシュー!」

私が小声で叫んでしまったように、チャーシューが違ったのである! 手のひらほどに厚みがある肉の塊が、3つも乗っていた。

わたしは大慌てで「いただきます」と言ったあと、箸でその肉をつついた。何時間も煮込まれたそれは、箸をつけたところからほろりと崩れていく。

小学生のわたしの箸使いでは、その掴みどころがないお肉を取ることが難しかった。仕方がないので、ははやる気持ちを抑えながらレンゲでお肉をすくい取る。お行儀悪いなあ、と他人事のように思いながらレンゲを口に運んだ。

 

「わあ」

そんな馬鹿みたいな声が漏れた。ほとんど脂身である肉を煮込みきったそれは、口にいれた瞬間にスープの中にほどけてしまったのだ。とってもおいしい。嬉しくて嬉しくて、父の方をみると、ラーメンをすすっている父と目が合った。父もあのお肉を食べているのかな、と思って覗き込んでみたら、どうもいつもと同じ薄い肉だけだ。

「うまかったか、そりゃよかったな」
「お父さん1枚あげるよ。いい肉の日なんでしょ?」
「いやー、俺はいいよ」

そうやって照れくさそうに笑うお父さんは、全然かっこよくなかったけれど、でもちょっとかっこよかった。

 

――――――――

「やっぱりいい肉は違うよなあ!」

酒が入って上機嫌の父は、そういってわたしにしなだれかかってきた。目の前に並べられているのは、日本のどこかで育ったらしい牛のフィレステーキである。握りこぶしよりも小さなそれは、半分ほど手を付けられた状態で放置されていた。

「いい肉の日だからね」

わたしは小さくつぶやいた。大学の友だちがそんなことを言ってたんだ、と父に話題を振ったら、こんなところに連れてこられてしまった。中目黒の一等地、国産熟成牛が売りのお店らしい。よく知らないけれど、そう父が言っていた。

「普段は会社の人と使ってるんだよ。お前もいいトコ勤めたら、こういう所で会食したりするんだぞ。金を出せば出すほどうまいもんが食える、お前も頑張れよ」

そう言って、父はまたワイングラスをあおった。もう何杯目か分からない。完全にできあがっている彼の目は赤く腫れ、潤んでいた。

「そうだね」

私は父に気のない返事をしながら、なんだかなあ、と思うのだった。生活はあの頃よりずっと良くなった。いい肉はやっぱりおいしい。それもわかる。でも、なんだか。なんだかなあ。

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