僕の好きな季節/冬/みかん

季節、四季について考えることはすごく楽しい。勿論、あまり好きではない季節もある。それでも、良い所はたくさんあって、それについて思いを馳せたり追憶に浸ったりするだけで、人生ってなかなか悪い物じゃないな、という気持ちになることができる。人類全ての者に許されたささやかな楽しみだ。しかし、季節の折々について考えることは、ひどく自己愛的な、ひどく自己陶酔的な営為なのかもしれないと不安にもなってしまう。特に追憶はそうだ。過去の記憶を自分で慰めて、気に入らない細部は無意識に足で踏み付けて、綺麗なものとして肯定してしまう追憶は人を酔わせる。スタジオの人達は自意識に敏感な人が多いから、分かってくれるかもしれない。こうなってくると、ノスタルジーと自己愛について長々と書き連ねていきたくなってしまうので、ここらで打ち止め。追憶の毒についてはひとまず置いておくとして、楽しい話をしたい。

春が四季の中で一番好きじゃない。なにより花粉症がとてもつらい。大量のティッシュを鼻水で濡らすことで、僕の身体にはこんなにも水分が溢れているのかと人間の神秘に触れること以外には悪いところしかない。何より不格好だ。鼻をかむ行為はとても恥ずかしい。それもこれも生い茂る草木のせいなのだが、僕はこの大いなる自然についても一家言ある。春の生命力、雪が解けて植物が萌え盛る。溢れんばかりの萌芽を目の前にして、僕はやっぱりクラクラしてしまう。夥しさ、轟々としている滝、強引に引っ張られるような、そんなイメージだ。むせかえるような生き物の呼吸の嵐に思わず怯えてしまうし、いかにも紙やすりで丸くしたような生の温かさに息切れする。こんな風に書くと、ただレトリックをこねくり回してしまっているように見えるが、そんなことはない。僕は思わず春の生命力におののいてしまう。しかし、何も全てが最悪な訳ではない。過剰な温かさだって、本当はとても嬉しい。何より春は風が気持ちいいし、草木が風に吹かれて揺れているだけでずっと見ていられる。風が吹けば肌寒いけれど、温かい陽だまりにいれば落ち着くし、安心する。木漏れ日だってずっと見ていられる。もしかしたら矛盾している思うかもしれない。でも、これが僕の正直な感想だ。そもそもこの世界は矛盾だらけで、整合性のついた感覚なんてないと僕は思う。

次に夏。夏は僕の中でもあまり好きになれない季節だったのだけれど、今年は違った。今年は何故か夏が大好きになった。夏は汚さと綺麗さが一緒にあるような、ウディ・アレンの映画のような、そんな逆説を内包している。とても綺麗なものと、とても汚いものを求めるのは実は似ているなんじゃないかと僕は思う。夏も同じだ。だから夏はどの季節よりもリアルだし、親しみ深い。お祭りのような昼、地面の上を這うように充満するねじれた熱気、辺り一面から聞こえる蝉の鳴き声、粘り気のあるような湿気、そんな昼から一転して、夜はとても静かだ。夏の夜に寝間着姿で外に飛び出すと、追憶に思わずむせてしまう。夏の夜の匂いは遠い過去のフィルムをカラカラと回しだす。モノクロな追憶に溢れた夏の夜について、きっとだれしもが悲しい記憶を持っているに違いないだろう。しかし、この厳しい、いや正直な静けさが僕は好きだ。とても落ち着く。濡れた雑草に潜む鈴虫の鳴き声や、風船のように拡大を続ける湿った空気。何故だかは分からないけれど、僕はこんな夏が大好きになった。

次は秋。今の季節は秋に分類されると思うけれど、はっきり言って秋は最高で今は最高だ。今はもう違うけれど、10月の初め辺りは金木犀の匂いが香ってきて、秋の訪れを感じることができる。季節が終わって、次の季節がやってくる予感を感じられるというのは大変な幸せなことだ。金木犀の素敵な香りのお陰で秋が最も季節の訪れを痛烈に感じさせる季節だ。季節の訪れを感じることは、すなわち時間の流れについて意識することと同じで、生きるということと密接に繋がっている。時間を意識しないでは多分人間は生きてはいけない。それについてはハイデガーを参照してほしいけれど、ここでは割愛する。というか、ハイデガーについて僕は全く知らない。何となくだ。話は変わって、秋の乾燥した空気が僕は好きだ。干からびた無機質さを僕は大いに歓迎したい。そして何より秋の横国が好きだ。落ち葉が地面に敷き詰められていて、歩くたびにくしゃくしゃと音を立てる。教育7号館裏の喫煙所まで行く道、教育8号館近くの階段からではなくて、雑草が無造作に生えている裏からの階段からのぼっていき、落ち葉や枝の音を噛みしめながら喫煙所のベンチに座る。そこは太陽の光が枝の隙間から丁度そそがれている場所で、温かく乾いた陽だまりを作っている。そこで吸う煙草をとても美味しいし、とても落ち着く。ヤニが口に纏わりつく不快感だって気にならない。乾いた空気と合っていると思う。そんな秋が僕は大好きだ。

そして最後に冬。はっきり言って季節の中で冬が一番好きで、早くやってきてくれないかと待ち遠しく思う。冬の温かさが何より好きだ。朝起きると寒さに耐えられなくて、布団に長い時間くるまっている。布団の中はとても温かくて、ずっとここにいたいと感じる。1番寒い冬は1番温かさを感じられる季節だ。村上春樹の短編にカンガルー日和という話があるけれど、その中でカンガルーのお腹についてポケットを慈しむシーンがある。それに近い。朝の布団の中は、母カンガルーの温かいポケットの中と同じ空間が構築されているに違いない。マザコンなのかと思われるかもしれないが、そこはできるだけ否定したい。とにかく温かさが大事だ。僕は温かい場所にいたい。温かいベッドで温かいコーヒーを飲みながら、好きな小説を読んでいたい。僕が読みたいのはブローティガンの小説。彼の小説はおかしみと幻想に溢れていて、ベッドで微睡ながら読むのに丁度いい。ブローティガンの想像力と溶け合って眠りに落ちたい。夢心地の中でずっと微かな息をしていたい。自室のささやかな楽しみをするには冬がピッタリなのだ。

以上で僕の枕草子は終わりになるが、冒頭にも書いたようにひどくナルシスティックになってしまった。そこはどうか許して欲しい。

 

総括

一つ目の文章はレイモンド・カーヴァーという作家をかなり意識して書いた結果、何の密度もないものになってしまいました。背伸びした文章を書くね、と言われてそうなんだよなーと恥ずかしくなりました。書きたかったことを一言で言えば現象の不条理さ、みたいな感じです。出来る限り無機質に書きたかったのですが、それでも血が通っていなければならず、人物や事物の運動について掘り下げればよかったと感じています。そもそも2000字相応なものを書けばよかったです。

二つ目の文章は好きな季節について書いたのですが、後から読んでみて気持ち悪い消したい消したいという思いに駆られてしまいました。あまりにナルシスティックすぎてエッセイ書くのって超難しいなとすごい思いました。面白いエッセイってひたすら筆者の考えを開陳するものではなくて、現実の現象や運動について主に書かれているのかなと実感しました。これは小説や映画についても言えると思います。

全体の総括としては、特に不満もなく終えることができてよかったです。次回もこんな風につつがなくやれたら良いです。

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