ダンサー・イン・ザ・ダーク/jboy

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、この作品の中で印象に残ったシーンはいくつかあるが、とりわけ後半の二つのシーンは自分の心に残った。それはジーンにとって、母が必要か目が必要かというシーンと、セルマがジェフに目の病気が遺伝するとわかっていながら、なぜジーンを産んだのかと問いかけられるところだ。

 ジーンにとって母が必要か、目が必要か……。セルマがこう自分自身に問いかけたとき、セルマは「目だ」と即答した。そして、「あの子だけには孫の顔を見てほしい」と言った。すぐに気づくと思うが、ここでの孫とはセルマから見たジーンの子供なのであって、視点はあくまでセルマ自身の発言なのである。つまりセルマの「孫が見たかった」という願望の表れでもある。その論理で考えるならば、ジーンにとって母が必要か、目が必要かという問いは、セルマにとって母(支援)が必要か、目が必要かという問いに読み替えることもできそうだ。

これは単なる揚げ足取りではなく、重要な問題を孕んでいる。それは、母親の愛(これは愛一般にも通じるところがあるかもしれない)が、つねに一方向的で、対象の反応やその影響は埒外に置かれてしまうということである。事実後半は一切ジーンが出てこず、セルマを含めた周りの大人たちの動きだけが映し出されている。こう聞くと、結局セルマの自己満足に過ぎないようにも思えるが、どうにもそんなに単純ではなさそうだ。セルマは「母親」というある種の職業病に罹っている。

 

自分が母親なんだから、この子を守らなくちゃ。この子の幸せが唯一の私の幸せ。

 

ここで後者の問いを考えよう。目の病気が遺伝するとわかっていながら、セルマはなぜジーンを産んだのか……。涙ぐみながらセルマはこう答えた。

「赤ちゃんを抱きたかったの。この腕に。」

この返答は「わからない」と同義だ。あるいは「それが母親というものだから」でもいいかもしれない。なぜかわからないけど、「自然に」母親の気持ちになったし母親になったのだ。ここでの目の病気はまた重要な役割を果たす。それは遺伝する、即ち運命によって決定づけられているということである。セルマには遺伝の疾患=運命が「視えて」いる。一方でジーンにはまだそれが「視えて」いない。このことは母親の愛の構造とちょうどパラレルな形をとる。ジーンは結局訳も分からないまま手術を受け成功し、母が抱えていた運命に気付かずに過ごすだろうが、それを誰かから聞かされたらいったいどんな反応をするだろう。

 

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