集中講義フィードバック

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。グループ活動の時に「みんなで鬱になろう」といった感じでおすすめされた映画だ。ハッピーエンド至上主義者的には明らかにしんどい気がしたのだが、怖いもの見たさで投票した。とても個人的な話で申し訳ないが、こういう普段なら絶対観ねえだろ的なものに触れられるのは人文の醍醐味であるように思う。

そんなこんなで相当覚悟を決めて視聴した。重い気持ちにならなかったと言えば嘘になる。嘘になるが、映画を観ている間、オタクってアホだよなあということばかりを考えていた。オタクはアホだ、しかしラクである。そしてセルマはオタクの中のオタクだった。少しそういう話をしたい。

 

 

まず、オタクはアホ、という話。セルマはミュージカルオタクだ。そして、音楽文学漫画映画演劇ジャニーズ、あらゆるジャンルに存在するオタクたちは、辛い毎日を趣味に没頭することで忘れることが出来るという標準機能を持つ。アホな機能だ。そんなことをしても現実は変わりやしないのに。いくら高らかに歌い上げた所で、彼女は下がりつつある視力を誤魔化しながら工場で働く悲しきシングルマザーなのである。

但しこの機能を使うと、非常にラクだ。精神的にも、肉体的にも。だから多かれ少なかれ、誰もが「逃げる」ためのアイテムを持っている。しかしタチの悪いことに、セルマのその機能は常人より数段高いレベルにある。私は映画を観ている間ずっと、「こいつ凄えな」と思い続けていた。

もしもセルマが平凡なオタクだとしたら、途中で我に返ってしまうはず。ありきたりなオタクのセルマがいるとしたら、工場のシーンで「よく考えたら工場員は歌わねーよな」とか言って憂鬱になると思う。しかし実際のセルマはミュージカルに行ったきり、戻ってこない。その割に、現実がちょっと優しいとき(息子が自転車に乗れるようになったときとか)にはこちら側に戻ってきている。

そんな様子を見て、なんであんなに都合よくミュージカルと現実を行き来できるんだ、美味しいどこ取りじゃないか、と内心羨ましく思っていた。あそこまで『好きなもの』をうまく使えるならどんなにいいだろう。いやフィクションのキャラだから都合がいいのは当たり前でしょと言ったらそれまでなのだが。

 

 

というわけで、私はセルマを、オタクの最終形態のように感じている。究極の趣味人、でもいいのかもしれない。とにかく、あいつは死ぬときまでミュージカルを演じやがった。最強だ。いいなあ。

 

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。