もちろんPixivでは見ない/好きなこと/θn

ここ最近ゼミや専門の授業で(まあ清田先生の授業なのだけれども)キャラクター消費やら二次創作やら、何なりについての本を読むことが増えた。わかるなあと思う。私も勿論その手の消費者の中の一人であって、小説を読むにしてもアニメを見るにしても、あるいは映画を見るにしても、断片的なキャラクター性といわゆる「萌要素」を孕んだシーンの連結を楽しんでいたりすることがしばしばである。

〜の擬人化というコンテンツが流行ったのって大体私たちが小学生から中学生のときくらいからだよねと思って調べてみたら案の定

『漫画・アニメに擬人化ブーム 物の形残さず、性格で表現』
http://web.archive.org/web/20101006101450/http://www.asahi.com/national/update/0930/OSK201009290183.html
(朝日新聞デジタルアーカイブ 2010年10月3日記事)

上みたいな記事がでてきた。やっぱりその辺の時期だったし、大当たりした代表と言えば「国の擬人化」でおなじみ『ヘタリア』だった。中学高校にかけてこの作品のお陰で世界史だけむっちゃ得意みたいな生徒がクラスに一人はいたはずだ。

今回のテーマ、「好きなこと」。
正直あまり得意ではないのだけれど、私が一時期熱中し、かつまあ結果として身を助けることになったものについて話したいと思う。

それは「総理大臣の擬人化」である。

つっこむのは待って欲しい。ずれたことを言っているのは百も承知なのだ。擬人化。
漫画『文豪ストレイドッグス』や、ブラウザゲーム『文豪アルケミスト』についてはご存知だろうか。この2つの作品に共通しているのは太宰治や芥川龍之介・中原中也などの文豪を、本人の肖像を完全に無視してキャラクタライズしているということだ。どちらも本人というよりはその著作から影響を受けた特殊能力やスキルを用いて、文豪たちを戦闘させたり会話させたりする。太宰治と夏目漱石なんかそもそも生きてる間がほとんど被ってない。あまりにも史実からかけ離れた設定、展開を揶揄する声も当然あり、「文豪の擬人化」なんて言われていたりもするのである。

かく言う私、大学受験は日本史選択だった。もともとあまり暗記は得意ではない。けれど授業進度とかの都合上明治以降の勉強は自分でやりださなければいけない。追い詰められた私がとった最後の手段が件のそれだったのである。

ざっと資料集で顔写真ややったことを確認した後に(この時点で顔が整ってたりするとテンションがあがる。山本権兵衛とか典型的な格好いいお爺さん。俳優みたい)嘘かほんとかもわからないウィキペディアを片っ端から読み、エピソードを頭になんとなく入れる。米内光政は高身長で寡黙、近衛文麿は指揮者の弟がいるってな具合に。このときに重要なのは直感で人格と関係性も決めていくこと。例えば軍人の桂太郎と公家の西園寺公望は概ね考え方の反りが合わない、とか。(そこに法案とか政策を結びつけていく)根拠はない。実際仲良く話してるみたいな写真あるし。

なんてったってこれで覚えられる覚えられる。今思えば普段好きでやってるキャラクター消費に勉強を無意識的に落とし込んでやっていたんだからすごい。しかも愛着が並みじゃない。自分が考えたキャラクターだから何とも解釈違いも起こさない!(史実という公式を完全に無視している)会ったことのない人間同士で円卓を囲ませて話させたりなんかもした。2.26事件にあった鈴木貫太郎の感情を考えて早朝勉強しながら泣いた。我ながら怖いけどそれくらい総理大臣史が好きだった。多分今でも調べだしたら再燃する気がする。

こんな手法で勉強してしまえるからこそ、今日本史の教科書から坂本龍馬が消える、みたいなことになっているのかもしれない。でも戦争は駄目だってわかるし、どうして戦争になったかもちゃんと学べているつもりだ。不謹慎なもんか、ずっと曖昧にする方がずっと不謹慎だ。

まあ同時に英単語もこうやって消費できるようになっていたら、色々と違ったかもしれないのも真実だったり……。

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