自伝/明るい小説/奴川

「木って」

5歳のころのわたしが外遊びの時間に園庭のすみで丸まっていても、先生たちは何も言わず横を過ぎていった。「あーあ」と叫んでも誰もこちらを見ない。触らぬこどもに祟りなし、といったところだろうか。

不貞腐れているわたしは、地面にからだを放り出した。頭上にはクレヨンで塗りたくったような青い空が広がっている。このまま消えてしまえないか。死にたい、という言葉を得る前のこどもは、そんなことを願っていた。

 

「サキちゃん、どうしたの」
「わあっ」

上から誰かに覗き込まれて、思わずわたしは飛び上がった。そのままそのひとにおでこをぶつけてしまいそうになり、慌ててからだを右にずらす。ふう、なんとかぶつからず済んだ。

「びっくりさせちゃったかな」
「なんだ、トオル先生か」

年中組担当の、男みたいな名前の先生だった。他の先生と違って、髪もまつげも短い。年長組のわたしにはあまり接する機会がないひとだ。

「土のところで寝てたら、背中汚れちゃうよ」

そう言いながらトオル先生は、とても自然な流れでわたしを立たせて、背中の土を払った。そして膝立ちになった彼女は、わたしと目線を合わせると、こてんと首をかしげた。

「それで、何があったの?」
「こんどのお遊戯会の劇、シンデレラなんだけど、わたしは木の役って言われて。でも。シンデレラに木の妖精なんて出てこないし。それで、それで」

話していて、だんだん情けなくなってきて、わたしは言葉に詰まってしまった。先程まで憤りで塞がれていた悲しみが、遅れてわたしのところにやって来る。わたしがひっく、とひとつしゃくり上げたところで、トオル先生は口を開いた。

「だったら木を思いっきり楽しみましょうよ!」
「えっ」
このひとは何を言っているんだろう。目を白黒させるわたしに対して、彼女は続けた。
「衣装は? どんなのか決まってるの?」
「ううん、自分で紙を切ってワンピースに貼れって言われた」

シンデレラや魔法使いには貸衣装があるみたいだけれど、わたしみたいなチョイ役は自ら衣装を作らなければならなかったのだ。衣装を作らされる、という一点でみれば、わたしって結構シンデレラみたいかも。魔法使いは来なそうだけど。

さらに己の惨めさに落ち込んでしまったわたしの肩を、トオル先生はがっしり掴んだ。やたらときらきらとした目でこちらを見ている。

「よっしゃ。思いっきり派手な木にしましょう」
何を言っているのだろう、この人は。仕方なくわたしが、
「クリスマスツリーみたいな?」
と合わせると、トオル先生は大きく頷いた。

「いいね! シンデレラのドレスよりずっとお洒落で、豪華なものにするの! そうだ、サキちゃんは木のおひめさまなのよ。魔法使いの力の源は実はあなたのひみつの力。全ての黒幕はあなたと言っても過言ではないわ!」
「先生……?」

 

 

 

 

〈某日・喫茶店〉

「あの、どうでした」

恐る恐る感想をうかがった私を、透先生はまっすぐ見据えた。もともと目付きの悪い彼女だ、ちょっと睨んでいるように見える。いやもしかしたら、本当に睨んでいるのかもしれない。そして、私の顔を一通り眺め終わった透先生は、

「自伝映画を作ってもらえるなんて、あなたも偉くなったものよね。……私、あんなこと絶対言ってない。あんなにおもしろキャラでもないし、そもそも私とあなたってそんなに似てないじゃない、全く」

などと不服そうに呟きながら、コーヒーに角砂糖をひとつ、いや、ふたつ目まで入れた。もちろん当時のサキは知らなかったけれど、透先生は甘党らしい。

「すみません」

映画の中の彼女が、やたらと愉快な人物になってしまったこと関しては、非常に申し訳なく思っていた。脚本家に乗せられてぽんぽん話をしていたら、良くわからないトオル先生像が出来上がってしまったのだ。『トオル先生』は、多分に脚本家の色が乗せられたキャラクターだった。

「でも、ほんとうのこともあるんですよ。私が女優をやってこれたのは、先生のことばがずっと胸にあったからです」
「どのことば」
抑揚のない声で、ひとこと言った透先生は、コーヒーをすすった。

「思いっきり楽しめ、ってやつです。映画でのエリコ先生も、そう言ってましたよね」
「ええ、私に扮したあなたがそう言ってたわね。でも、私にはその言葉を言った記憶、あまりないのよ」

ばっさり。そんな擬態語が似合うような清々しさのあることばだった。いや、そんなはずはない。脚本家にも散々、このセリフを入れて欲しい、と念押ししたはずなのだから。
思わぬことで黙り込んでしまった私を、しばらく申し訳なさそうに見ていた透先生は、ふう、と溜息をついた。

「でも、正直うれしいの」
透先生はコーヒーカップを置くと、両手を机の上に重ね置いて、柔らかく笑った。

「生徒の記憶に残るようなことを言えたのだとしたら、もしも本当に言っていなかったのだとしても、私はうれしいの」
そう言う彼女の顔はとても晴れやかだった。あの頃とあまり変わっていない、若々しい顔に薄っすらと皺が滲んでいるのを見て、ああ、あれから何年経ったんだっけ、と思った。

 

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