バタフライエフェクト/Gioru

もし、私がいなかったら、今私が住んでいる世界にはどんな影響があるのだろうか。そんな風に考えることがよくある。

お天道様が見ている、なんて小さい頃にはよく言われたものだが、実際には見て見ぬふりをされている、あるいはそもそも見られてすらいない場合もある。

見られたくないな、誰かに知られたくないな、と思う出来事ほど、周りの人にいずれ気付かれてしまうのはマーフィーの法則(ジャムを塗ったパンが絨毯の上に落ちるとき、ジャムを塗った面が下になって落ちる確率は、絨毯の高級度に比例する)のようなものか。あるいは、実は気づかれてほしくて、痕跡を残してしまうのではないか。

 

話が少しずれた。自分がいたからこそ起こった出来事、自分がいないと成立しなかった関係を考えてしまうのは、自分の存在価値を確かめるためであろう。その延長として、このバタフライエフェクトのような、自分が時間を逆行し行動を変えることによって、世界が変わるような想像をするのか。もしあの時、別の行動をしていれば、その後の未来は変わるのではないか。

自分がいなくても、あるいは自分が重要だと思った場面で異なった行動をしても、何も変わらないのであれば、それこそ自分が存在している意味などないのではないかと絶望してしまう。

そんな風に考えてしまうと、もう何をしても変わらないのではないか、なんて思ってもしまう。選挙に自分が行っても結果が変わるわけでもない、なんて考えのように、どうせ今ジタバタあがいてもなるようにしかならない、なんて怠惰な答えに辿り着く。

 

実際はそんなことはないし、いくらか運の要素が絡もうとも、何かを成し遂げようと行動し続ければ、目標に辿り着くかはともかく、それをやった痕跡は自然と残ってしまう。誰かを真似た物、意図しない癖が物事の過程で出てくるもの、などなど。

もし人生をやり直せたら、あるいは、もしあの時に戻ったのなら、という考え方は今の私がその時を生きた記憶が存在しているからである。強くてニューゲーム、という訳ではないが似たような感覚だろうか。その時には持っていなかった知識(その行動によって起こり得る未来など)を持ったまま過去に戻ることでよりよい未来を目指そうとする。それが現状への不満から来るものであることは明らかである。

小さなころからやっていないと、大きくなってからはどうしても手に入らないものもある。音楽をやっていると、特に顕著かもしれない(絶対音感など)。今からでも遅くないものは確かにあるし、うじうじしているよりは何かをしていくことの方が、少なくとも現状を前に進められる。

それでも、あの時に戻ることができたのなら、と考えることを止めることができない。今がある程度充実している分、今の自分が思う無駄だな、と思う部分がどうしても気になってしまうのだ。

過去に戻って、それを切り離すなんて、そんな決断ができるのは、それこそそんな未来を経験した強くてニューゲームの主人公でしか、あり得ないのに。私がいない世界は、私しか見えない。

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