インザダーク/ダンサーインザダーク/温帯魚

わからないものに対して私はどうリアクションすればいいのだろうか。

 

ダンサーインザダークにおいて。私が最も想起したものは盲目への恐怖である。盲目。目が見えなくなるということ。感覚の喪失。世界が見えない。字を読むことができない。対峙した人間がどんな顔をしているのかすらわからない。

 

我々は盲目を想像することができない。たとえ目をつぶったとしても、それは違うという感覚が首をもたげる。目を開くことができる。その場から動かないことができる。情報を更新し確認することをし続けることができる。わからないということがわからないということがわかるという、ストレス。あるいは死への恐怖より恐ろしい、終わらない絶望。

 

映画は続き続けることができない。たとえ途中で席を外しても、それは終わることが終わらないからこそ美しい。終わったものが続くことこそが醜い。醜悪な続きがないからこそ、彼女の終わりは美しい。

 

ダンサーインザダークは美しい。終わるからだ。彼女は美しい。終わりの中で終わらないからだ。我々の生存は、終わることを認識できない。朝に寝ることも、夜に起きることも、すべては続くと信じている。終わることが恐ろしい。しかし終わらないことも恐ろしい。

 

変わること。あるいは誰かに続くこと。誰かから何かを引き継ぐこと。構造があるというならば、なぜ私はそのメインストリームにいないのか。実存があるというならば、なぜ皆はそれを気付かないのか。恨めしい。ドラマチックでありたい。あるいは誰かに投げ出してしまいたい。

 

存続は方法だ。存続は希望だ。すでに私は終わっているのか。世界をありのままに見ることが大切なのではない。世界が見えなくなることが恐怖なのだ。私は彼女がわからない。あるいは、彼女の恐怖がわからない。

 

盲目であることとダンスをすることは両立してわからない。ダンスってなんだ。音楽、あるいはそれ以前のリズム。差異でしかないもの。差異でしかないものに体を委ねる。構造と記号と現実が一緒くたになった、でもそれはなんだってそうだろう。誰かと踊ること。誰かに見られながら踊ること。誰に見られているかわからないこと。神聖なものと肉体的な欲がぐちゃぐちゃになったもの。

 

見えないということを見ることはできない。映画は不自由で、つまらない私たちはもっと不自由だ。

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