クリスマス/深みのない文化/latte

日本における「クリスマス」といったら、それはキリスト教徒に限った話ではもはやなくなっている。本来はイエス・キリストの生誕祭としてのイベント(祝日)であるはずが、大半の日本人にとってはそんなことはイベントを騒ぎたいための言い訳にすぎないだろう。事実、クリスマス当日に「キリスト万歳!」なんて考える人が果たしてどれだけいるものかと疑わしい。いやいや、こんなこと軽率に言ってしまっていいいことではない。信仰の厚い方々からしたら聞き捨てならないことだろう。もしこれを読む人の中で高尚な信仰心を持つ人がいるのならば、不快な思いをさせるかもしれないのでご了承を。もしくはその慈悲深い心でお許しを……。

さて、クリスマスがキリストを差し置いた楽しい行事として広まっているのは別に日本に始まった話ではないだろう。しかしそれでも日本人の文化に対する評価や価値観は外国のそれと比較してもなかなかに稀有なものだと感じている。たとえば日本人とは非常にミーハーであり、受動的である。なにかにつけて影響を受けやすい、といえる。正月やお盆、七五三や七夕など昔から根付いている日本特有の文化行事は今でも祝われるものの、クリスマスに比べればだいぶしめやかなイベントである。これらは日本人が有する派手さよりも落ち着いた質素なものに価値を見出す趣向に依存していて、アニミズム的思想に従った、霊魂などスピリチュアルなことに関しての意識が高く目に見えない存在をこそ尊重し、見かけに重きを置かなかったことにも由来しているだろう。西欧の宮殿やエジプトのピラミッドなど権力の象徴とする居城や墓も日本のものはとてもシンプルかつ静的な雰囲気を醸し出している。

そういうかつての静的な文化意識は、「ムラ」に成り立ちを持つ日本人の集団意識の成果であった。しかし、文明開化以降、急激な異文化の到来によってその意識は変化せざるを得なくなった。鎖国というひどく閉鎖的な状況から脱した日本人は異文化という存在に触れ、外への関心を深めることとなり結果として自己の順応性を高めることとなった。そうしてどんどん外国を受け入れた末に、日本にもクリスマスやハロウィーンといった行事が浸透していった。それでも初期のころはまだ日本人としての集団意識は濃く残っていただろう。しかしそれも今ではどうか?「恥の文化」と呼ばれていたはずの日本文化はその名残を無くしてはいないもののそれに相反した派手の文化をそれ以上に成長させていったのだ。

こうも、マルチカルチュラリズムを謳っていたわけでもないのに多種多様な文化と共存するようになった日本はカナダやオーストラリアのような多文化主義国家とは異なった独自のスタイルを築いていった。さらにその変化を加速させたのが言うまでもなくSNSの発達だ。元来文化とは人間の欲望を昇華させたものであり、本来の欲求をごまかして、人間が獣とは違うということの証明として発展していた。しかしそれも、SNSの発展によってごまかしの効かないレベルに浮彫になることとなった。すべてが身近に捉えられるようになり、さらに自己が発信できる立場になった現在、人々は様々な「欲」を無自覚に欲するようになった。そこにおいてはもはや「恥の文化」としての意識は存在せず、あるのは自己陶酔に満ちた顕示欲に他ならない。

では本題へ戻ろう。そうした人々の欲求の種火となったのがSNSであり、それに並んでクリスマス等のイベントは、より俗物的なものへと変化を遂げた。いつからか、クリスマスというイベントは、家族や恋人とケーキを食べたりプレゼントをもらったりするものという印象が強くなってしまっている。元よりサンタクロースの存在によって、そこに目を付けた企業らによる、クリスマス商戦が介入したことによって経済的にも魅力的なイベントとなり、それによって、クリスマスは大きな稼ぎ時にもなった。そうして各地のテーマパークにイルミネーションが大々的に展開され、結果的に、その煌きを求めて恋人たちが集い、クリスマスというイベントの意味が本来とは異なった方向へと向かうことになった。これは、お盆や七五三などではできない変化であった。そういう静的な文化では、俗にいう「インスタ映え」はしない。だから、クリスマスのイルミネーションやハロウィーンの仮装に比べて日本文化は活気に劣る。

多文化主義、と言えば聞こえはいいのだろうが、日本人のどれほどがその文化の意味を尊重し、理解できているのだろう。これは単に自己顕示欲にまみれた末の、文化のいり交じりに過ぎない。しかしまあ、それも悪いことではない。楽しんでいることは間違いないし、もとより信仰心の薄れている日本人からしたらキリストがどうとかはもはや気にしていない。大事なのはその先にある娯楽である。つまるところ今や日本人にとって文化とは楽しいかどうか、自らの欲求を満たすための道具に過ぎないのではないだろうか。その結果として日本文化が淘汰される可能性は十分にあるだろう。しかしかといってお盆とインスタ映えを共存させる、などは無理であろう。恥の文化とSNSにおける自己顕示欲は真逆の存在で、二律背反である。この先、どのような存在になっていくのだろうか。

なんにせよ、今の日本はあまりにも歪な文化観を持っていてしかも深みがない。クリスマスというのも所詮はただの自己顕示欲のためのイベントにすぎない、といっても言い過ぎではないだろう。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。