/ダンサーインザダーク/ふとん

 

「愛するか憎むかのどっちかしかない」

そう評価された映画だった。私はどっちだろうか。

どっちにもなれなかった。

この映画を愛する人はセルマの健気さに心打たれたと言う。やさしい人だ。

この映画を憎む人は、セルマが救われなさ過ぎて見ていられないという。やさしい人だ。

私はといえば、そういう感情を生み出すことができなかった。セルマに感情移入できなかった。この女性が苦しんでも喜んでも私の感情を揺り動かすことがなかった。

なぜか?

セルマが憎いからだ。

いつもぼーっとして自分の意見を言えない。顔だって美人ではない。むしろ白人のはっきりした顔に囲まれてアジア系で冴えない顔。目が見えてないのに見えてるふりをして、無理して仕事して、演劇の練習行って、結局周りに最も迷惑をかけている。

それなのにサポートしてくれる女友達がいて、迎えに来てくれる男性もいて、練習も追い出されない。都合よくないか?

浪費家の妻のために他人の金を奪おうとする男については殺意が芽生えたけど、セルマみたいな人を見下してしまう人だっているのもわかる。自分に余裕がない人は他人を思いやることなんてできないのだ。

一方でセルマを助ける人たちやセルマ自身は、自分のための努力もしながら他者への思いやりや気遣いを忘れない。見ている人が応援せずにはいられないのはこういう人たちだ。

だからセルマは愛される。映画を見ている人たちから感情移入され、同情される。救われなさすぎだ、と置かれた環境を、生い立ちを憎まれる。

では実際はそうか?馬鹿正直が得をするのは物語の世界だからではないか?スクリーン越しに数え切れないほどの人の視線を浴びたからこそ、彼女の馬鹿正直には価値があったのではないか?

華麗な妄想も悲惨な運命も、見事に美しい物語だ。私たちは悲しく美しい物語を見て、自分を重ね合わせる。自分のことだっていつも誰かが見ている、神様が見ている。頑張っている自分に、つらい自分に熱いまなざしが注がれている。そう信じて疑わなくなる。

でも実際そうかと言われると、誰も見てなんかいないのに自分に酔ってるだけ!の気もするし、親や神様じゃないにしても悪い行いは必ず誰かが見てて、自分に返ってくる!というのも真実な気がするし。まあ、そう思わないと生きていくのが辛すぎるんだよね。だから悲劇は存在するのだ。

素敵な悲劇の物語を、こんなひねくれた視点でしか見れない私は、セルマのことを憎みながらも、ほんとうは憧れてしょうがない。誰かが見てるかも、いつか自分に返ってくるかもなんてそんな汚い感情抜きに。愛する息子のため、大切な友達のため。周りの人を幸せにするために自分の人生を捧げられるようになりたいよ。自分のためだけにできる努力には限界があるって、わかってるけど、誰かのために死ねるか?誰かのために生きられるか?この質問に躊躇なくはいと答えられる人、どれくらいいるかな。そういう人に、はやくなりたい。視線なんてなくてもいいと、そんな発想すら浮かばない人に。

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