ダンサーインザダーク/やきさば

自分大好き、と公言するのには勇気がいる。

ダンサーインザダークと検索すればすぐにでてくるのが「鬱映画」というキーワード。何でも、この映画を見ることが決まったのも、みんなで鬱になろう、という抱負?のもときまったそうじゃないか。やだやだ。近頃映画の中には、鬱な映画というジャンルが確立されてきている。あとは胸糞映画とか、なぜわざわざ見るの?見る価値あるん?といった映画が沢山ある。この映画ももちろんそうだ。救いようがない鬱映画である。監督のラース・フォン・トリアーは世紀のの大変人なんて呼ばれていて、もう見る前からこの映画がタダモノじゃない匂いがプンプンしてくる。少し、見る前に心構えをしなければ。というか、正直みたくない。

わたしはダンサーインザダークなんて映画見たくなかった。映画見るのに、なんでわざわざ鬱にならなきゃならないのか。映画って、いっときでも自分が幸せになるために見るんじゃないの?心を豊かにするために見るんじゃないの?毎日のしがらみから一瞬だけ自分を解放して、たった1人、心を許せる空間を作る。だからホラー映画の意義もわからない。わざわざたくさんのお金を使ってなぜ、こんな鬱作品を作るのか。けれど、そんな作品が評価されていることも事実。ダンサーインザダークについては、映画界最高峰のカンヌ映画祭で最優秀とも言えるパルムドールを受賞している。

なぜ、鬱映画が評価されるの?鬱映画を見たいと思うの?それは、人々が心のどこかで、きっと不幸に憧れているからだ。誰しも、救いようがない過酷な人生を目の当たりにした時、それに対して欲しいと感じてしまう。誰も経験できないような、誰も味わえないような、絶望に憧れる。そうなれば、自分が悲劇の主人公になってもいいという許しを与えられるからだ。誰も知らない不幸を味わうことで、他人と優劣をつけられるからだ。けれど、実際にそれを体験するのは嫌だ。辛いし、死にたくないし。だから、それを映画で補う。映画を見ることで、主人公ビョークと一緒に、他の誰とも違う、物語の主人公になる。絶望を一緒に体験することで、不幸に酔いしれる。胸糞だけど、そこで自分のナルシシズムは達成される。自分が世界の中で一番不幸で、一番かわいそう。不幸になることで他者から承認される。そういう意味で、鬱映画は観客のナルシシズムを満たしてくれる。

怖いもの見たさ、と同じように、鬱映画に不思議な魅力があるのはこのためであろう。人間は幸福になるために生きていると思っているし、精神分析学はそのために利用されるべきだと思ってわたしは勉強している。なのに、わざわざ不幸になるために映画を見るなんておかしいと思っていた。けれど、この映画を見て思う。鬱映画は、人間の日々隠されたナルシシズムを露わにしてくれるものだ。不幸になるということを免罪符にして、自分のナルシシズムを許してもらうのは、とても気持ちのいいものだ。

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