ダンサーインザダーク/縦槍ごめんね

ダンサーインザダークという作品は結末までに、多くの分岐点で、不幸になる選択肢を選び続けてしまう。これは、セルマの逃れられない運命だったのか。そして、あの結末で本当に、作品としての終わりを迎えてもよかったのだろうか。話し合いのときにも出ていた話だが、もともと監督が用意していた結末は、息子の手術も成功せずに、本当に絶望の真っ只中でセルマの死刑が執行されてしまうというものだったらしいが、セルマを演じていたビョークがあまりのストレスに演じきることができずに、結末を変えざるを得なかったという。

しかし、この話を聞いたときに我々は本当はどっちの結末を求めていたのだろうか。映画化された結末から得た印象としては、セルマはまるで、わざと不幸になる選択肢を選んでいったような印象を受けた。それは、彼女が最後母親としての幸福を得ることを叶えたように見えたからだ。さらにこの映画にはセルマ以外に、女という価値を大事にしている存在が出てこない。つまりは、選択としてはセルマは女としても母親としても幸せになる道がはなから用意されいる状態だったのである。更には目が見えなくなるという誰しもが同情的にならざるを得ないハンディキャップがそもそもある。つまりは、映画が始まる瞬間、先天的なヒロイン性がセルマには備わっていたのだ。

しかし、ある意味この我々、客観的な存在の同情は、結末によってある意味まくられることになる。最後に、母親としてこ幸福という光を我々にかいまみせる。もし、元々の結末であったら、セルマが意図せずに不幸に墜ちていくというどうしようもない不条理というものが一貫した人間の習性として府に落ちる部分もあったのかもしれないが、この光が何か、我々ではないそれこそ制作者という神の存在によってねじ曲げられてしまっているように感じる。

我々の世界にも神として崇められるような、存在はたくさんいるがその存在を本当に感じるのような瞬間は訪れるのだろうか。

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