バックラッシュ/印度

鈴木謙介 「ジェンダーフリー・バッシング」 は疑似問題である」
要約
「バックラッシュ」や「ジェンダーフリー・バッシング」は、もうすでに情報戦。ジェンダーをめぐる問題を論じることはこの情報戦においての自身の立ち位置の取り方を表すことでしかない。陰謀論などに発展したり、愚にもつかない議論になるようなジェンダーフリー・バッシングの主張に関しては真面目に取り上げる必要はない。
これらのジェンダーフリーを批判する立場はコミュニュケーション形式としての「サヨク嫌い」からくるものであり彼らの批判の形式すらも「サヨク的」なのである。
こうしたサヨク嫌いや内容を誇張し叩いたりすることは議論の価値はなく、必要なのは政治的な主張の政策的意味の検討、バックラッシュ論者に対してはより適切な政治的立場を提示すること。
バックラッシュ派のジェンダーフリーによる危機とみなす代表的な領域は雇用の問題。男女共同参画社会の問題である。
男が働き女が家を守るという古くさい形は、現代の不景気や雇用形態では維持できない。近年の非婚化の原因は養われたい女性と養うことのできない男性のミスマッチによるものである。
もはやジェンダーフリー・バッシングは擬似問題、非難することでは議論に実りはない。誰にとってもよりよい社会を作るための政策的な議論が必要とされている。

感想
久々に要約というものをして気づいたことがある。
要約なんて嫌いだ。
テストや課題で出る度に俺が要約をすることによって誰が助かるのかと考える、誰の為にもならない、要約が上手くなったところでなんの意味もない。
拙い要約を見返してみると、懐かしい英語の問題、「この文章の中で関係無いセンテンスを抜き出しなさい」的な問題に使えそうな要約になってしまった。情け無いが時間もないので素早く行きます。

正直、中身のある評論とは言えない。しかし彼は、気に食わないから批判とかあーだこーだ言うんじゃなく、昔は昔今は今で何をしたらどのようにしていけばいいのかを議論すべき、だと言っている。
無駄な議論はとても嫌いである。だから彼の評論がとても好ましいものである。

よくある話だが、批判はするし問題提起もする口うるさい連中に限ってただのしょーもない偏見に凝り固まっており、しょーもない議論を始め、解決法を提示することすらしない。彼らはただ単に気に食わないものを批判することが生きがいの暇人なのだ。
どんな問題でもそう、暇な人が文句を言い、暇な人が行動を起こし、暇な人によって政治は動いてる。忙しい人には政治を気にしたり行動する時間なんて存在しないのである。だから暇な老人にとってよりよい世界になり、暇な老人にとっては気に食わない女性進出が叩かれるのである。なんとつまらないことでしょうか。

後藤和智
「教育の罠、世代の罠」
-いわゆる「バックラッシュ」に関する言説の世代論からの考察-
要約
教育、学校教育や家庭における教育も含む、が「世代」を作っていく。最近の若者がおかしい、異常などその理由は現代の教育が誤っていたからであり、その教育を語るということは「俺たちの頃は…」的な語り方が多い。
ジェンダーフリー教育の批判に関しては、学校教育批判と家庭教育批判の2つによって成り立っている。
これらはとても過激で強引な論説が多い。
若年層をバッシングする人たちに多いのが、今どきの若者による事件や問題行動を列挙する、その原因を何か批判したいものをあげる、それがいまどきの若者を作り上げたのだ。とでっち上げる。
根拠がなく、読者を不安に駆り立てる暴力的な文章ではあり、まるでそれ自体が諸悪の根源かのような言い方をする文がとても多い。
しかしこれらのいまどきの若者批判はイメージの正当かどうかが議論されておらず、信憑性はない。
こう言った言説は若年層を反面教師として捉えることを強制していることが多い。
若年層を批判、子供や成長過程の少年を批判するということはそれを教育する親や学校を否定することになる。こういう教育や子育てをしてはいけない、と言った批判をされる中で子供を産み育てようという若者は減っていくであろう。
若者論は言いたい放題の世界。バックラッシュ論者は堕落した青少年をでっち上げ、元凶をジェンダーフリーとして、バッシングした。政治的イデオロギーの主張に退廃的な青少年イメージが利用されてしまっているのだ。

感想
バックラッシュを世代論から見て解説している。
とてもわかりやすく親しみやすい文章だった。
「俺たちの頃はな…」この語りから始まる話には耳を傾けたことがない。ただの懐古、自慢話、昔話でしかない。彼らは若者を自分の自慢話のダシにして、なんも面白くない古き良き日本での自分の苦労話をしたいだけなのだ。
苦労しないことが若者を日和らせる…一理あると思う。苦労や挫折をしないことで人格形成に問題があったり他人の苦労や挫折を理解できない可能性はあるかもしれない。
しかし苦労経験を目的化してはいけないし、現代には現代の苦労の仕方があるわけで、若者が苦労や挫折を経験していない、なんてとても盲目的な理論である。

この評論で、でっち上げにより元凶を作り批判していく方法がとられている事が述べられていた。
そんな方法で論じられていようが信憑性がないので信じ込む人間なんていないとは思うのだが。
しかしよく使われるし似たような言動をする人はどこにでもいる。若者を悪に仕立て上げる彼らはその方法によって、少しでも若年層に情けなさや憤りを感じている人たち(マスコミや彼らによる情報操作によって若者=悪、昔=素晴らしいと思い込まされてる)を引き込んでいくのだ。それにより若者が更に行きにくい、行動しにくい世界になってしまっているのだ。
なんともつまらない世界であろうか

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