完全無欠ハッピーエンド/眉墨/バタフライ・エフェクト

 

「お前なんて大嫌いだ。あっちへ行け」

何度過去をやり直しても、身の回りの誰か一人は必ず不幸になる。
日記帳を開くことによって、書かれた過去の記憶のある地点までさかのぼることのできるエヴァンは、初恋の女性・ケイリーと最愛の母親、周囲の友人たち全員の幸福な未来を求めて、何度も未来を選択しなおす。

しかし彼の能力は人間の限界値を越えており、一度遡るごとに新たな選択の結果としての記憶が脳に記録されるため、何度も過去をやり直したエヴァンの脳は20歳前半にも拘わらず人間の100年分以上の記憶を蓄えていた。

何度やり直しても必ず誰かが不幸な結末を迎えるループ、肥大化してはち切れそうな脳。
幾度目かのループの末、エヴァンは母から日記を書く以前、ケイリーと出会う以前まで遡り、初対面のケイリーを口汚く罵る。
「ぶっ殺してやろうか」
「あっちにいけ」
ケイリーとその周囲の人々を幸福にするために、エヴァンはケイリーと知り合うことを拒絶することにしたのだ。
泣きながら走り去るケイリーの背中へ向け、エヴァンは切なげに「さよなら」とつぶやく。幼いケイリーが振り返ることは無かった。

 

結果としてケイリーとその兄は、暴力的な父親から逃れ母と共に暮らすようになり、兄妹は幸福な人生を歩む。
エヴァンは求めていた未来に到達したことを悟り、親友と共に、二度と過去に戻らないために日記を火にくべる。

 

エヴァンが過去に戻ることができる、と精神病棟に閉じ込められた父親に告げたとき、父は「神の真似事をしてはいけない」と厳しい顔で諭す。
ここでいう「神の真似事」とは、いったい何だろうか。
過去に戻り、未来を変えることだろうか。

否、神の真似事とは、「他人の幸せを願うこと」だと私は思う。
非常に耳障りが良く、自慰的な犠牲欲を掻き立てるエヴァンの願いは、ヒーローらしく一見美しいものに感じられる。
しかし、私は、「幸せになってほしい」という純真らしい願いほど危険なものはないと思う。

幸せを決められることほど、苦痛なものはない。
幸福とは、個人が各々勝手に感じるだけのもので、そこに普遍性も共通点も存在しない。故に幸福とは、願われる形で実現されることは決してなく、他人は勝手に幸せになったり不幸になったりするのだ。

本作品において、エヴァンの選択した結果ケイリーが歩んだ未来は誰が見ても不幸なものに思われたかもしれないが、ケイリー自身も自らの幸福が誰かに勝手に与えられる形でやってくることを望んでいたことにも問題がある。

人は、他人を幸せにしてやることもできなければ、他人に幸せにしてもらうこともできない。

幸せとは、個々人が勝手になるものである。

だから、エヴァンがもし、この映画を完全無欠のハッピーエンドにしたいのならば。
医者になった彼とすれ違った、見違えるように美しくなったケイリーを呼び止めればいいだけの話だ。
それがケイリーにとって幸福か不幸かなど、エヴァンにも私たちにも決めることはできないのだから。

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