悪魔と蝶と/バタフライエフェクト/温帯魚

ラプラスの悪魔という言葉をご存じだろうか。簡単に捻じ曲げて言うと、現在のすべてを知ることができればそれは同時に過去も未来も知ることができる、ということを表した言葉である。

 

この言葉は量子力学によって既に否定されたものである。これも簡単に別のものに置き換えると、現在のすべてを知ろうとしたとき、知ったすべてはすでに変わってしまったすべてであるということだ。

 

このことで私が言いたいことは、「知る」ことと「変える」ことは別物であるということだ。バタフライエフェクトはラプラスの悪魔にはなりえない。なることは許されなかった。もちろん、知ることは変わることだ。知ることで人生は確かに何かがどうにかなるのだろう。

しかし知らないことも、確かに変わることでしかないのである。何かが。

 

 

主人公を取り巻く人々は、父親を除けば何も知りえない。しかし彼らの感情は、主人公を置いて確かに回っていく。神なら、あるいは悪魔なら完全なるハッピーエンドを描けたのかもしれないが、人間は常に人間と対等な高さにしかいられない。彼らは知らないことで確かに世界を変える。すべては繋がりであり、すべては繋がりでしかない。

 

バタフライエフェクトで描かれたものは、変化だ。主人公の旅路は繰り返しであり、しかし変容だ。サイエンスフィクションは人文科学を確実にはらむということが僕の持論だが、知ることがすべてではないのだ。そもそも変化なんてものは存在しえない。それは変化しえないという悪魔を仮定したときに存在しうる幻である。

 

 

もちろん、映画だって幻だ。何なら我々が見ることができるのはすべて幻だといってもまあ許される気がする。知りえない、知ることができない、信じることしかできない。たとえいくら裏切られようと、信じることしか我々はできない。間違いなんて当たり前で、一も全もなくて、知っていると信じて知らないことも知っていると信じるしかない。イケてるデブがいると、それだけで救われる人がいるかもしれない。

 

ぶっちゃけ趣味ではなかった。しかしイケてるデブはあまりにもイカしている。映画を信じることなんて、そんなもんでいいのかもしれない。

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