ツークツワンク、女/昨日、髪を切った/θn

昨日、髪を切った。

 

そういやそうだったわって、鏡を見て気づく。

そんな朝を人生で何回か経験しているわけなんだけど、未だに慣れない。

 

クラスの皆に気づかれても気づかれなくても何だか気まずい、そんな割り切れない恥ずかしさみたいなもの。見ず知らずの人に「何あの子の髪型、変じゃない?」なんて、言われもしないはずのものへの緊張感。

確かにそういう不安定が、あの朝には必ずあった。

 

そんな幼年期から思春期にかけての長い間、私は結構髪の短い女生徒だったのでした。

 

人の目が気になる、でも大衆に迎合したくない、挫折から生じるドラマでも成功に準じた伝記でも勝てないならせめて正しく。

「早く大人になりたい」の具現化みたいな子供だった。

 

 

 

何度も書いたけど、自分の中のかさぶたとか傷跡を見せるのってやっぱり得意じゃない。(何度もって言っている時点で矛盾臭くて楽しい)

 

トラウマは抑圧された欲望であり記憶。平たーく要約すればフロイトさんがそんなことを言っていて、つまりゼミでもかなり語られた部分なんだけど、それってことはこの私が後生大事に抱えているこの苦い思い出たちは、病理に成りうる重大な絶望でも、ましてや致命傷でもなんでもないってことなんだなぁって。余すとこなく出来事に優劣つけられるってのは、平凡にありえないことなんだなって。こういった類の感覚を小生意気な私は一枚のポスターから受け取ってしまったんですね、ああ、かわいそかわいそ。

 

うーん。なんか凄く遠回しにごたごたと言ってしまっているな、うーん。

ほら、傷でマウンティングする、みたいな話も一時期流行ったじゃないですか。不幸自慢ともいうあれね。(3年生、またゼミの話をしている。辟易せざるを得ない)

 

あれに勝手に巻き込まれては負け続けるのって、性格によっては取り返しのつかない虚しさの原因になると思うんです。少なくとも私の人間形成には大きく関わった出来事周辺なんですね、これ。

 

もちろんそれなら負けないために努力すりゃあいいんですけど、基本的にはその勝負、仕掛ける側も大概他の試合では勝ててない連中だから、どうだって良いんですけどね、ほら、子供にとって避けられない理不尽ってあるじゃないですか。「社会にでたらこんなこといくらだってあるよ」って言われる方のじゃないやつね。そういう理不尽の話してんじゃねぇんだよ。

 

語り下手だなぁ、何が言いたいのか書きながら整理しているからとても読み物じゃないぞ。と思う一方で、本来文章とはかくあるべきなんて言い訳が自分の中で浮かんできたので続けますね。やっぱり小説にしとけばよかったなんて言わない、言わないぞ。

 

 

 

私はですね、私は自分が賢くて頭が良くて理知的だと信じて疑わなかった、もしそれが今だったのならどうしようもないだろう頃がある。大人びて鋭利で聡明で謙虚で勇気があると。

 

私の世界では血気盛んな子は幼稚、意見をはっきり言えない子は愚鈍、男子に媚びている子は馬鹿。さっき小生意気なんて言ったけど、生き辛かったことまで思いだされるから、それへの擁護ね。

 

そんな考え方のもとにいるのだから、当然傷を晒す奴は目立ちたがりだし、傷を執拗に隠すやつは臆病になる。

 

私は、こういうやつらを蹴飛ばして踏みつけて、そうやって大人物になっていくんだなぁと子供ながらにとっても素直に考えていたのでした。本当にまっすぐに信じていた。

 

いたのだけれど。

 

 

『助けてと泣く人よりも、泣けないあなたが心配です』

 

 

このね、このフレーズ。

 

学校に貼ってあったポスターのスローガン。自殺を止めるために紡がれた言葉だったらしい。

 

沈黙が金なのは日本だけの文化だから、みたいなフォローを当時話していた大人に言われて、でも私日本人なんですよねーって心底その人を馬鹿にしたことまではっきり覚えている。

 

ひどいよなぁ。泣きもしない、しっかり「助けてください」って言える人間になろうって志してたのに、大人がこんな風に辛さに順列つけるから。また救えないのがさ、これに対して泣くことも、静かに傷つくことももはやできないこと。

 

いつまで経っても忘れられない。「私、根に持つタイプ」だから、で済ますことが自分に対して憚られる。根に持つタイプとかどーだって良いんだよ。トラウマが忘れられる何かだとか言うなら、これは致命傷じゃないのか?自分が痛いことにも気づいてない「あなた」がそんなに偉いか?痛いから痛いですって自分で表明して自分で手当をしようとできる人間は強いのか?同じ傷だったんじゃないのか?これは死にたいって言ってる奴は死なないなんてそんなわけないのと一緒だ。言葉に出す元気があるなら、主張できるなら、その繰り返しが今まで何を産んできたのかわかってないのか?まだわからないのか?

 

 

 

そんなこんなで、ゲームオーバーなしのとんでもゲームに自分が、というか誰もが組み込まれているなんてことを幼いなりに悟ったのでした。馬鹿でぇ。

 

とんだツークツワンク少女は(最高にダサくて逆に凄く気に入ってる。こういうライブ感ってやっぱり文章書いてる中で大切なんだねぇ)やむを得ず、それを物語の原動力にしていくのですね。あっこれようやく本筋に戻せそう。

 

私は結構髪の短い女生徒だったのでした。

 

髪ってのはやっぱり可愛らしさの象徴!

なんて言ったら怒られるのかな。

表現が自由だから最近はどんな思想だって叩かれる。「表現する」ってことに対しての垣根がさよならしてるもの。もー、疲れてるならネット見ずに日記でも書こうぜ皆。誰かに見られることが重要なのは良く知ってるけどさぁ。本当に見て欲しい人は見てないんだから。

 

でね、髪が短かったもんだから、ボーイッシュ担当を任せられちゃうわけ。

すごいね、学生の中にしか、特に女生徒の中にしかない不文律は確実にあって、それは憲法とか飛び越えて絶対なんですね。「自由」とかも通用しない更なる社会。天界と同様。私が通っていた高校にはいじめとかなかったけど(知らなかっただけかもしれない。この頃はもう愚鈍の楽さに身をずぶずぶしている)。

 

演劇部で男役なんてやれば、いよいよ私は女生徒界の「男子生徒」だ。

 

共学だったのにねぇ。そんな役柄、本当はいらないはずなんだけど、キャラクタライズめっちゃ重要、現代、って斎藤環も言っていた。(曖昧です)踏み込まなくていいし、同じフィールドじゃないって受け取ってもらえるから特に嫌じゃないと感じでいたあたり、私は『泣けないあなたが〜』って言えてしまう大人への階段を登り始めていたのだろう。それがとんでもなく嫌だ。大人になりたくない。大人になりたくない。大人になりたくない。

 

女生徒からチョコを貰い、女生徒から腕を組まれ、女生徒からキスをねだられた女生徒。

面倒だからまた髪を切る女生徒。

「やっぱり短い方が似合ってるね」

うるせえ聞いてないんだよ女生徒め。

 

私だって、似合ってるねって言われて嬉しいシチュエーションで、似合ってるねって言われたら嬉しかったんじゃないかな、もうすぐ女生徒じゃなくなってしまうからわからないけど。

 

大学生はもうあの世界を構築できないから、女生徒じゃない、か?な?

 

 

全部、傍で起きてりゃ少しは楽しめた。自分の周りにあるこれは、劣悪な娯楽作みたいで興味がでない。またゼミの話するけど、女性は誰もが自分のことを主人公だと思っている、みたいなやつ。あれずっと納得いってなかったんだけど、もしかしたら私は自分主人公の舞台これじゃない感を抱えている系主人公なのかも。ラノベみたいだね。

 

 

うわ、スタジオ課題ラストなんですね。これ。

大学入ってから小説書いてもいい場があって良かったのかなぁ。

振り返ってみた結果論なんだけども。

 

就職活動してると病むよ、みたいなこと言ってる個人をTwitterの中で山ほど見るんだけど(多分自分が就活生になったことによって目につくようになってしまった)それもTwitterで言ってんだったら社会変えてくれたら良かったのにさあ、なあ大人!みたいな気持ちになる。

 

あ、今気づいたぞ。

だから私は大人になりたくないのかも。これだから大人が言えなくなっちゃう。

ずっと嫌だったから、10代の人達に大人と共犯者だって思われたくないもんね。間違いなくこれから社会に出たらこの手の気まずさがずっと抽象的なものになってしまうような、そんな確信があるんだろうね。

 

髪が短かったころの私。

自尊心をただただ守りたい私。

言葉とか物語の必然性がなくなりつつある私。

 

それがアイデンティティになるのなら、なーんちゃって。

どっから大人になるかなんて、主人公なら自分で決めるよ、畜生。

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