アイシテル/昨日、髪を切った。/杏仁

昨日、髪を切った。
あんなに頑張って胸の辺りまで伸ばした髪は一瞬にして消えて無くなって、首元にあたるふわっとした風の感触に違和感を覚えた。髪を切るだけで違う自分になったような気分になれる気がして、別に何か起こったわけではないのにそわそわして落ち着かなくて、それ以上にわくわくしていた。今日だって友達とランチに行くだけなのに、必要以上に早起きして鏡の前でにらめっこしていた。集合場所である駅の近くのカフェにも、10分前に到着してしまう始末。土曜日の昼のぽかぽかした日差しが心地いい。

「あれ、髪切ったの?誰かと思ったよ」

後ろから声がして振り返ると、わたしの大切な友達が立っていた。黒髪ロングのストレート。透き通りそうな白い肌には濃いめの赤リップがよく映える。わたしとは正反対のその魅力に実はずっと憧れている。

「似合ってるよ、可愛い」

そう言って、クールな見た目とは裏腹にくしゃっと笑う顔が好きだ。

カフェに入ると、いつものようにくだらない話をした。大学に入って初めてできた友達で、大学2年生になった今でも毎日のように一緒に授業を受けている。彼女には付き合っている人がいるというのは知っているけれど、深く聞いたことはない。それが誰なのか、どんな人なのか、いつから付き合っているのか、何も知らない。聞いちゃダメだというわけではないのだろうけど、お互いに、何故か深く聞こうとしない。全てを話せることだけが、友達の条件だとは思わないから、特に気にしたことはないけれど。


どうして髪切ったの?って、色んな人に聞かれた。なんとなく、って答えていたけれど、きっと今の状況から抜け出したい、新しい自分になりたいと思っていたからだと思う。失恋したら髪を切る、なんて漫画みたいなことをする人の気持ち、分かる気がした。だって私は、自ら失恋しにいこうとしていたから。

わたしには付き合っている人がいる。あまり目立つ方ではない私とは正反対に、明るくて色んなコミュニティーの人たちと仲良くしている、要領のいい人だ。実際女友達もたくさんいて、ずっとみんなの中心にいるような人だった。

そんな彼に、私は片思いをして、ずっと遠くから見ていたから、女関係はだらしない人だというのは知っていたし、わたしなんかが付き合えるような人ではないと思っていた。だから彼がわたしに告白してきた時、本気ではないと思った。実際その時に他に付き合っている人もいたみたいだったし、身体だけの関係をもっている人もいた。わたしはこの人と付き合っても幸せにはなれない。頭ではそう分かっていたはずだったのに、自分から突き放すことが、できなかった。

「お前のことが好きだから、他の女は全部切った」

そんな薄っぺらい言葉信じられるわけなかったのに、一回くらい騙されてみてもいいかと思ってしまったわたしの負けだ。

それからもう1年が経った。この1年、やっぱり彼には振り回されっぱなしだった。何度も何度も浮気された。その度に彼は辻褄の合わない言い訳をして、やっぱり俺はお前がいないと無理なんだ、と言う。

「好きだよ、愛してる」

そう言って抱きしめられる度に、心は空っぽになっていく気がした。このままではダメだと分かっているのにずっとダラダラ離れられない。

髪を切って、気持ちを新しくして決意を固めたつもりだった。彼から離れないと、このままだとわたしは一生幸せになれない。

「ショートにしたんだ、似合ってるよ」

でも、そう言って微笑まれるとわたしは何も言えなくなってしまった。こんなのは愛じゃない。ただの依存だ。わたしのことを好きだと言ってくれる彼から離れられなくなってしまっただけだ。いつか彼はわたしのことだけを見てくれるんじゃないかって、どこかで期待し続けているせいで、ずっとずっと離れられない。本当は心の中ではわたしを一番に思ってくれているんじゃないかって、思ってる。期待してる。1週間前の彼の誕生日に渡したブルガリの香水は、わたしの大好きなシトラスの香りを選んだ。今日も彼からわたしの好きな匂いがすることで、わたしだけのものになった錯覚を覚えた。でも、どんなにわたし色に染めようとしても、彼の存在はずっと遠くて、手が届かない。


大好きな友達が、髪を切った。私より10センチほど身長が低い彼女に、似合ってると言うと、下を向いて照れながら嬉しそうに笑った。くせ毛の栗色の髪がふわふわと揺れる。まんまるとした綺麗な二重の茶色い瞳は、見つめられる度に吸い込まれそうになる。本当はそんな自分と正反対の可愛い彼女みたいになりたいと思っていたのかもしれない。憧れていただけだったのかもしれない。

いつしか、そんな大切な可愛い彼女とずっと一緒にいたい、私だけの彼女でいてほしいと思うようになった。彼女を悲しませる人は許せない。私が守ってあげないといけない。この感情はただの友達としての気持ちを超えてしまっているのは頭では気付いていたけれど、気付かないふりをした。一番の友達として、彼女の笑っている顔をずっと見ていたいと思ったから。

でも、そんな私にも付き合っている人がいる。私のことをまっすぐに愛してくれる人だ。自分の気持ちを素直に表現できない不器用な私を受け入れてくれる優しい人。無邪気に笑う彼は、いつも私を問答無用に包み込んでくれる。

「そのままでいいよ、今のままが好き」

いつもそう言ってくれるから、あなたといると私は変わらなくていい、何も成長しなくていい、そう思える。自分の感情に蓋をして取り繕っているこのままで。

「どこにもいかないで、ずっと一緒にいてほしい」

そう言って抱きしめられる度に、私は彼からの溢れんばかりの愛を感じている。それと同時に驚くほど冷静になっている自分に気付く。私は彼が思っているほど良い子じゃない。私は彼に対等な愛を返すことができていない。

私のことが大好きで、私がやることなすことになんの文句も言わずに受け入れてくれて、私がいないと何もできないと言う、そんな彼が好きなだけ。私よりも下にいる彼が好き。私の世界を邪魔されたくないから、何も口出ししないで私だけをずっと愛していてほしい。私がいないと生きていけないあなたのままでいてほしい。この感情は愛じゃない。ただの優越感。彼のことを好きじゃないわけでは全くないけれど、無駄に高いプライドのせいで、心が狭い、自分のことが一番大事な人間になってしまった。誰かに必要とされている優越感を感じている今の状況が好きなだけ。

2週間ぶりに会った彼は、遠くから私のことを見つけた瞬間にいつもの笑顔になり、手を振ってきた。子犬みたいに無邪気な彼を見ると、自然と私も笑顔になる。

「あんなに遠くから手振るの恥ずかしいからやめてよ」

「だって久しぶりに会えて嬉しかったんだもん」

まっすぐに言葉に表せる彼は素敵だ。私もこんな風に素直に、プライドなんか捨てて正直に気持ちを表せたらどんなに楽だろう、と今まで何度も思った。
デートも、私が食べたいもの、行きたいところにいつも付き合ってくれる。私が行きたいところに一緒に行くのが楽しい、と彼はいつも言ってくれる。

「今日もずっと楽しかった、ありがとう」

日が暮れた午後6時、吹き付ける風は少し肌寒かった。彼はいつものように優しく私を抱きしめ、髪を優しく撫でながらそう言う。私を必要としてくれている彼の腰に手を回しながら優越感に浸る私は、最低だ。最低だけれど、今の状態が心地良い。私のことを好きなあなたが好き。ごめんね。罪悪感をもみ消すように強く抱きしめ返した時、彼の首元から、嗅ぎ慣れない柑橘系の香水の香りがした。

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