愛をこめて/昨日、髪を切った。/やきさば

昨日、髪を切った。

 

「じゃあ、やってくれるわね?」

事の始まりはこの言葉からだった。ずっとお世話になっていた、いや今もなっているけど、そんな恩師の言葉だった。それに対してはい、と、勢いよく答えたのは、自分のためより何より彼女の期待に応えたかったからだった。彼女の自慢の教え子になって、彼女に認められたかったから、求められる存在になりたかったからだった。

 

思えば自分がやりたいから、それだけの理由で何か物事を始めたことはなかった。小学校の時ピンクの自転車を選んだのも、中学の時黒いタイツじゃなくて肌色のストッキングを履いたのも、高校の時、ずっと長い黒髪だったのも、全て自分のためじゃなかった。お母さんが喜ぶから、先生が褒めるから、恩師が喜ぶから。

自分の意思だけで決めるのが怖かった。いつも周辺の理由をかき集めて、責任転嫁して、それで決断してきた。誰かをその決断の根拠にして、誰かのためだと言い聞かせて、失敗したら誰かのせいだと思えるように。自分の意思だけで決めたら、もう自分はいらない存在になってしまうのではないか。求められなくなってしまうのではないか。認められなくなってしまうのではないか。居場所がなくなってしまうのではないか。だからみんなに頼ってきた。あと1番は世間様に。

 

バレエはわたしの一部だった。母親が喜ぶからはじめて、今度はそこで出会った恩師のために続けて。そして、「じゃあ、やってくれるわね?」の言葉でプロになることを決意した。この先のわたしの、わたしだけの人生なんて考えずに。ずっとストレートの黒髪を伸ばして、ずっと品行方正で清楚なお嬢様を頑張った。体型維持のためにジャンクフードなんて食べたことなかった。日付をまたぐまで起きたこともなかった。全てバレエに捧げた。気になる男の子と付き合っても、求められたいのは、求めたのは、お母さんだったし恩師だった。手を繋いでも、抱きしめあっても、キスをしても、セックスをしても。考えているのはバレエのことだった。彼から求められるのは嬉しかったけど、もっと求められたい、求めた存在がずっといた。それをずっと、ずっと、続けて、気づけばもう25歳を迎えようとしている。

 

 

スキキライがある。

こうやって自分語りができてるわたし、スキ。

男の子とうまく恋愛ができないわたし、キライ。

バレエをやってるときのわたし、スキ。

他人の顔色ばかり伺っちゃうわたし、キライ。

スタイルがいいわたし、スキ。

バレエしか考えられないわたし、キライ。

昨日の美容院のなにも聞いてこない感じ、スキ。

お母さんのなんでも聞いてくる感じ、キライ。

でもお母さんのことは、スキ。

恩師のことも、スキ。

でも、1人で決められないわたし、いちばんキライ。

 

 

昨日、髪を切った。ばっさり。30センチくらい。落ちた大量の真っ黒い髪を見たらなんだか笑えた。わたしの縛られていたもののちっぽけさに。あまり事情を聞いてこない美容院の雰囲気も良くて。さらに笑ってしまった。あーすっきりした。お母さんの顔も、恩師の顔も浮かばなかった。見えるのは、鏡の前でこっちをみて笑うわたしだけ。それがほんとにほんとに、強く潔く見えて、なんていうかもう、スキだった。

 

家に帰るとお母さんはびっくりして皿を落とした。それをみて笑った。バレエ教室に出勤すると、恩師は目を見開いた。わたしはニコッと微笑んでおいた。生徒たちはせんせーい、失恋ですかー?!なんて言ってキャッキャしてる。ううん、恋したのよ、なんて言って返してやった。

 

求められなくなってしまうことも、認められなくなってしまうことも、居場所がなくなってしまうことも、怖くなかった。わたしがわたしを求めてる。やっと、やっとたどり着けた。わたしが、髪の短いわたしを求めてる。髪を結わずに踊るバレエは最高だった。爽快で、気持ちよくて、髪が軽くて、揺れてて。周りがキラキラで。そんなわたしを誰かが見てるような気さえした。求めているのはこれだった。呪いを解いて、新しくなるの。今までやってこなかったこと全部、やってやるの。

 

 

「やめるの?バレエ」

レッスン終わりに恩師は口を開いた。俯いていて、表情は暗い。

「いえ、続けます。ただ、プロを目指すことをやめるんです」

「どうして?10年も頑張ってきたじゃない!」

少し考えてからこう言った。拒まれるかもしれないけど、怖くなかった。

「ずっと同じ髪、飽きちゃって」

 

 

 

スキなものが増えていく。

何よりそれが幸せで快感だった。何よりわたしがわたしを求めてる。自分がスキ。そう言える自分もスキ。風が吹くと小さく揺れる髪がスキ。他人を気にしない自分がスキ。

 

「髪、切ったんですね」

バイト先のバーで(夢を追いかけながらバレエ教室のレッスン講師だけで食べていけるわけでもなく)グラスを磨いていたら、突然話しかけられた。

「え?あ、はい」

「おい常連さんだろ、、覚えてないのか。すみませんこの子人の顔覚えなくて」

店長に言われて気づいた。こんな人来てたんだ。わたしほんとに周り見えてなかったのか。

「素敵です、似合ってますよ」

「あ、ありがとうございます」

「今の方が軽くて楽しそうで、かっこいい」

思い出した。この人。いつもカウンターの決まったこの席に座って、たばこをふかして、時折窓の外を見ながら息を吐いて。マスターとゆっくり穏やかに話してて、目の奥はなんだか怖い。

「あはは、私そんなに見られてたんですね」

「、すみません」

 

初めて話したけど居心地いい。わたしの周りの人とは違う。いつも早口で、上からで。ああ、この人優しいんだ。

「いつもはなにされてるんですか」

「僕はドイツ文学を、そこの大学で教えてます」

「大学教授ですか、すごい」

「ふふ、今条件反射ですごいって言ったでしょ」

「え」

「すごいもんじゃない、あなたの方がよっぽど素晴らしいですよ」

「え?わたしのこと知ってるんですか」

「今日みたいにね、深夜までここでゆっくりしてタクシーで帰るとき、あなたがこの店の裏で踊ってるのみちゃいました」

「うそっ」

「一目見てバレエだとわかりました。あとあなたが心の底からバレエをすきなことも」

言葉が出なくなってしまった。痛いところをつかれた、今のわたしには。

「もうやめましたそのバレエ。だから髪切ったんです、もうお団子ゆえないんです」

「そうですか」

「すきですけど。それは誰かのためのすきで。わたしのすきじゃなかった。だからバレエに嫌われちゃったんだと思います」

「そうですか」

「当たり前ですね」

「でも」

「?」

「たとえ他人のためのすきからでも、あなたのすきですよ、あなたがバレエをする限り」

 

涙がでた。そういやわたし、挫折してから、髪を切ってから、一度も泣いてなかった。笑ってばっかりで、ただ晴れやかで。でも、どこかで、バレエをすきな気持ちまで否定しなきゃいけないような気がして。怖かった。

「こんな髪ですけど、いいんですかね」

「むしろそんな魅力的なバレリーナ、いません」

 

その人は縫原(ぬいばら)といった。連絡先を聞いて、デートのお誘いをした。久しぶりでワクワクしたけど、聞けばわたしの30歳年上だった。でもそんなことどうでもいい。彼の言葉をいつまでも聞いていたかった。そして何より、彼をすきなわたしが、スキだった。

 

「縫原さん、スキなものなんですか」

「お酒とタバコと本のしおりと、あと」

「あと?」

「ショートカットのアナタです」

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