男/昨日、髪を切った。/手汗王

昨日、髪を切った。

髪を切った次の日は大抵、朝、目が覚めると枕の上が細かい髪の粉でいっぱいになる。前日の髪の洗い方が甘いからだろうか。枕に付いた毛の処理というのは、大変に面倒だ。しかし、髪を切った後の寝起きは清々しい。

そうこう考えながらも、朝起きると、男は必ずトイレに向かう。そしてしっかりと用を足す。用を足した後は鏡の前に立ち、体重を測りつつ、身体のコンディションチェックを欠かさない。肌の質感、張り、浮腫の強弱、体のだるさ、筋肉痛の度合いを確かめながら鏡の前で、いつもと同じポージングをとる。ここで身体に昨日と大きな違いがあれば、食事と免疫系を見直す必要性が出てくるからである。こうして男の1日は始まる。

次に男は、寝起きの重たい脚でキッチンに向かう。キッチンは男にとっての実験室である。ここではいつも様々な粉と水の調合が行われる。常人には理解しがたい、とても危険で汚い場所である。男は毎朝50gのプロテインをシェイカーで水に溶かし、無言を貫いたまま一気に飲む。男はこのプロテインのことを、”神の粉”と呼び、崇め奉る。絶対の存在であるかのごとく。

そうこうしているうちに、男の目も覚めてきたようだ。朝食の時間だ。男の朝食はバナナと卵。必要な栄養素はできるだけ自然界の食べ物から摂取する。人口の素材ではなく、天然の命を頂いているという意識がその根底にはある。他の生命を喰らっているということを意識すると、自ずから身体が食べたものでできていることを考えるようになる。男にとっての食事とは命を喰らう行為であり、食べたものは一栄養素ですら肉体に還元しようとする行為なのである。

食事を済ませた男には、向かう場所がある。そこはある種、工場にあたるだろうか。その場所には、ダラダラと汗を流し、必死になって機械を動かす男たちの姿がある。ある意味職人である彼らは一切の妥協を許さない。良いものを生み出す為には精神を研ぎ澄まし、ただひたすらに作業に打ち込まなくてはならない。同じ動き、ルーティンをひたすらに繰り返していく。どこか一部分でも雑味が出ると、全ての歯車が狂い出す。そんな繊細な単純作業なのである。男はこの工場の中でもトップクラスの技術力がある。この工場でトップに立つには、がむしゃらな努力よりも確実で正確な努力が必要だ。「努力は必ず報われる」というフレーズがある。しかしながら、これは誤りだ。誰でもがむしゃらに努力すればいいわけがない。がむしゃらに努力して報われるのは一握りの天才だけだ。正確には、「”正しい”努力は必ず報われる」である。男はこの技術力において単純作業の繰り返しを正しい努力たらしめている。この工場は職人たちが全ての力を注ぎ込み満足のいったところでその日の活動を終了する。全てが職人次第のホワイトな工場ではある、が、男たちはいつも自分たちに厳しい。毎日極限まで疲弊して帰って行く。

男はその工場から帰ると、すぐに昼食を食べ始める。鶏肉、イモ、緑黄色野菜を再び自然に感謝しながら喰らう。男がモットーに掲げる言葉は「強くなりたくば喰らえ」である。やはり食べ物は、自分の身体にして活かし続ける。食事にはそういった紳士の心を忘れない。

昼食も取り終わると、男は再び工場に向かう。今度は別の生産ラインでの単純作業が始まる。専門用語を用いると、この1日2回の生産工程を”ダブルスプリット”と呼ぶ。男はこの日二度目の作業を慎重かつ大胆に、最後の最後まで集中して取り掛かって行く。面白いのは、この生産において男が最も愛情を込めたラインに最大の成果が出るとは限らない点である。やはり出来の良いラインと悪いラインがある。しかし、男は決して競わせたりはしない。持ち味を活かすことも彼らにとっては必要不可欠なことなのである。

結局夕方まで作業は続いた。男は牛とイモ、緑黄色野菜を再び喰らう。この日も男に妥協の文字は一切なかった。この日1日が自分に誇ることのできる1日になり、自分への評価が高まる。男はこの、自らのブランディングを大切にする。そのため身だしなみにも常に気を配るのだ。
男は昨日、髪を切った。
だが、2、3日後にまた髪を切るだろう。常に自分の変化に敏感である。自らの内面を知ることは難しい。内面・精神は他者との関係において初めて、自分たらしめるからだ。他者がいなければ内面としての自己は存在し得ない。しかし、身体とは物理的な存在である。見れば変化がわかる。自分を知る上で最も簡単な事象とは己の外見の変化を見極めることである。男は筋肉においてこの変化を見極めている。この変化に全てを捧げるからこそ、髪や髭を常に同じ長さに整え、皮膚の質感を保ち続ける。
更に言えば、ブランディングを大切にすることは精神の向上を促す。内面は他者によってたらしめられるが、実際に他者に見られることはない。隠そうと思えばいくらでも内面を偽り不徳を重ねることはできる。
しかし、内面を一番よく見ているのは自己なのである。どんなに外堀を固め、あれた内面を隠そうとも、自己に誇ることのできない自らの精神では、強靭な身体などついては来ないだろう。ここには人体の科学を飛躍した虚構が働いているようにも見える。だが、実際人間という生命は科学に当てはまらない点が多く存在する。科学で全てが片付くのは機械であり、精神とは一線を画するだろう。男は、頭では理論が大切とわかっている。かつ、徹底した実践もしている。それでも理論が全てではないと強く信じている自分がいることも事実なのである。
身だしなみを整えることは精神を磨くことであり、生活で徳を積むことは身体を鍛えることなのである。

男はこの日1日を全うした。昨日髪を切ったおかげで、1日の始まりが清々しかった。そして明日、今日という日を完璧に全うした成果によって、朝はまた良い目覚めになるだろう。今日という日は昨日からの連続で出来ている。昨日を丁寧に生きなかったものに今日を全うできるはずはなく、今日を満足して終わらなければ、明日は最悪の幕開けになるだろう。男はこの真理を知っている。だからこそ、毎日を誇りを持って生き続ける。男が本来ありたかった姿は神の子なのであり、しかしそれになれないことも知っている。だからこそ徳のあるところに精神のありかを見出し、鍛錬を怠らない。

男はシャワーを浴びながら、筋肉の張り、肌の質感、皮下水分の状態を確認し、1日の汚れと疲れを洗い流す。リラックスできる環境が、ポジティブな感情をより引き出してくれる。ポジティブな成功体験は、自己承認に、そして、自信に直結し、この自身こそ、男が舞台に上がった時に一番の力を与えてくれる。この自信は成功に裏付けされているため、驕りとは別物である。
チャンピオンの心理状況として、「俺の隣に並んでいる奴らはデカい。だが、俺よりも理想的な体であるわけがない。俺が頂点でないわけがない。」という状況こそが完成された心理状況である。男たちは誰もがみな、この状態になりたくて日々妥協を許さないのかもしれない。
髪を切る、ヒゲを剃る、メイクをする、衣服を整える、心身を鍛える、食事に気を使う、自分に誇れる生き方をする、全てが追求の形であり、全てが連鎖式に繋がっている。男は自分の中の理想という理想を体現するために生きている。
理想の姿形というのは誰もが持っているものだ。しかし誰もが持っているにも関わらず、それを極限まで追い求める、実践を継続させようとするものはほんの一握りしかいない。理想が変わることはあるだろう。しかし生きている以上諦めは逃げであり、心の何処かに後悔は残り続けるだろう。男はそれが怖くて妥協ができなくなってしまった追求の被害者なのかもしれない。

 

 

男の職業は、そう。

 

 

 

 

ボディービルダー

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