私と兄について/昨日髪を切った/温帯魚

昨日、髪を切った。嘘だ。

でもそうしたら僕はまた、兄を置いていくのだろうか。

 

つまらない書き出しから始まってしまったが、死んだ兄について書こうと思う。「アイ」というお題を聞いてから(あるいは聞く前に)思いついたことはそのことだった。愛、哀、I。恥ずかしくなるような単語を思い浮かべながら、おそらく私が一番真剣に書けることがこれだった。これ私が最も嫌いな、誰に向けているわけでもない文章なのだろう。それでも私は書こうと思ったし、つまり書かなくてはいけないことなのだという気がするのだ。兄が死んでいなければ、私はもっと適当に、あるいは真剣に生活をしていたのだろう。もちろん、そんなことはあり得ない。どんなに考えようとどうしようもないことがあるという当たり前のことがある。

 

私と違い、髪を切ることが好きな兄だった。外見に気を遣う人で、私よりずっと多くの服を持っていたし、おそらく私が使い方もわからないような道具もたくさん持っていたのだろう。私みたいに外見に無頓着な人間ではなく、それなりにトレンドにも気を使う人だった。私より少し身長が低く、それは私の秘かな自信だった。仏頂面をしていることが多くて、私はそれをあまり好ましくは思っていなかった。とはいえ私より目が悪い兄だった。近頃は私も外を出るのに眼鏡が手放せなくなってきたが、彼はかなり昔からそうだったから、目を細めることが多くてそう見えたのかもしれない。彼がいなくなってからいくらか写真を探したりもしたが、笑いもせず、かといえば苦い顔でもない。できるだけ無表情を心掛けているような、つまり写真が苦手な男だった。家族で旅行に行った時も思えば私とともにあまり好ましく思っていない態度をとっていたことを思い出す。

だった。という言葉を違和感なく使えることに少し悲しくなる。

 

 

私にとって鏡のような兄だった。もちろんこの言葉には違和感が付きまとっていて、一番しっくりくる言葉は私にとって兄弟な兄だったという何も言っていないような言葉になる。鏡ではなかった。だから、鏡のような兄だったのだろう。あるいはもしかするとという言葉を頭につけたほうがいいと思ったりもするのだが。

私と同じように学校に行くのが下手で、人付き合いが苦手で、そのくせ人前に立つことが好きな兄だった。私と同じように信用ならないやつで、私からするといると心地の良い奴だった。私と違って夏目漱石や太宰治をよく読んで、でも私と同じように本に金をかける奴だった。私と違ってジャズが理解で来ていて、でも大体同じように音楽が好きだった。

もちろん、本当は全部違うのだろう。今まで書いたことは全部私が勝手に思っているだけのことで、本当は全然違うのだ。私からしたって書いている言葉がまるでしっくりとこない。私たちが似ていたのではなく、私が勝手にあとを追っていたのだろう。全部私の誤解で、本当はきっとまるで違っていたのだろう。彼は私がそこそこ嫌いだったし、私も彼に大体腹を立てていたかもしれない。私が馬鹿な人間であると同じように、彼も馬鹿な兄だった。私から見ても生きることが下手で、死んでしまったのだから本当に下手だった。

言葉にしたものは何となくそんな感じがして、でもまるで違うような気もする。私は彼が誇りだった。私は彼が嫌いだった。当然その両方は両立して、つまり私たちはまるで特別なところがないような兄弟だ。一緒にゲームをした。夜にどうでもいいことを話し合った。犬の散歩を押し付けた。風呂は大体私が洗ったが、洗濯をすることは彼のほうが多かった。機嫌がいいときは私に何かをくれたりもした。多分他とは違っていて、でもそんなことはどこも当たり前で、それでも私にとっては悪くない関係だった。私は馬鹿で彼の道筋を恥ずかしげもなく辿っていって、いつのまにか全然違う人間になっていて、それでもきっと同じだった。私と違ってバイクと旅が好きで、私と違って焼酎を好んでよく飲んでいて、私と違って一人暮らしをたまにしていて、私と違って私と違った。どうでもいい。兄の思い出は本当にどうでもいいことばかりで、まるで重みのない私だから同じようにドラマチックでも何もなくて、人生における刺激のようなものでもなくて、ただ過ぎ去った日常は彼がいなくなってもただ過ぎ去った日常で、何一つ変わらず思い出しながら忘れていくようで、ぼんやりとしたイメージしか残らず悲しいという言葉を使うにはあまりにも何もない。悲しいという言葉も愛しいという言葉もそうだと言われればそうなんだけど多分違うのだ。

ナンセンス。もっとも語義として正しい言葉がこれだ。言葉になんてならないまま、あるいは言葉にしようとしていないのだろうか。わからない。わからないけれど、わからないという言葉だけは手を変え品を変え表現している。

 

私が兄がいなくなって上手に悲しめないのは、きっと彼との距離が彼がいなくなっても変わらないからだと思っていた。こんなもんだ。今までだって会わないことなんていくらだってあったしそんなことを気にもしなかった。二度と会えないって言ったってそんなことで変わるような何かがあったわけではないし何も変わっていない。もちろん変化はしているのだろうけれどそれはきっといつものことで変わろうが変わるまいがどうでもいいのかもしれない。それでもきっと悲しいのだろう。あまりに自然に変わりすぎて、あるいは私がそれを見なかったせいで、それよりももっと優先すべきことがあるせいで私は悲しまなかっただけで。悲しむと悲しいの違いのようなほんの些細な違い。上手に悲しめないのではなく上手に悲しまない。悲しいのだけれど、それだけではないという事をあらわしたいのだ。私は彼を肯定したい。たとえ彼が死んだとしても、だって私が憧れた人で、兄弟なのだから。悲しいのだろう。彼を思うと目が潤むことはまだあって、それでも私はそれが悲しいからという事をうまく掴めずにいる。掴めないのか、あるいは掴もうとしていないのかそんなことは私にとっては重要ではないのだと思う。もっと何か、違う何かにしたい。そう感じているのだろうか。私にはわからない。多分きっとそこに価値はないように思える。

 

私は彼を愛している。それは当たり前のことで、愛しているという言葉に違和感があったとしてもそのことに違和感はない。死んでしまった。あーあという気持ちだ。もっと楽しいこともあって、辛いこともあったってどうにでもなるだろうと思っていた。いくつかの選択肢はなくなって、それでもいくつかの選択肢がそこにあって、それは当然のように彼が死んでいたって彼が存在している。私は馬鹿だから過去に戻れたらと真剣に想像して、もちろんそんなものはいつの間にか霧散していく。何かこう濃淡のようなものがあって、私はそれが分けられない。それは私だ。私が思うことだ。私が生きてくうえで私が動くためにある何かだ。そこのどこかに彼がいてそれは私にとってとても喜ばしいことで悲しいことで言葉にしてもしなくてもどうでもいいことなのだ。

 

兄についてのことで結論なんてまるでなくて、でもそれはきっと当たり前のようなことなのだろう。私が兄に縛られていたとしてもそれを解く気はないのだ。兄はいい奴だった。少なくとも私にとっては彼が兄でいて幸せだと言葉にできる。なんでもない。本当に何でもなくて何かにしたくない。私はしばらく彼の死を悲しまないのだろう。今までの私のように、髪もまだ切らない。わからないけど、たぶんそれがいいのだ。

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