昨日髪を切った。/生まれてきてごめん

昨日髪を切った。午前3時の暗闇の中、無造作に伸びていた髪を全てそぎ落とした。街はクリスマスイヴの夜明けを待っていた。

伊勢佐木町は明らかに浮足立っていた。日付が変わろうとしているのに、街は真昼のように明るかった。冷たい潮風が、直接頭皮を撫でる。肩をすぼめながら歩いた。
ふと、高校時代を思い出した。午後6時の青森市は例のごとく雪が降っていた。木曜日の練習はひたすら外を走らされる。陸上部もサッカー部も屋内練習場でぬくぬくと汗を流しているのに、僕たち野球部だけは真冬の吹雪の中にいた。気温は零度を少し下回る程度でも、吹き付ける風と雪に僕らはじっくりとなぶられた。人間は多少の暑さには強いが、寒さには極端に弱い。30分もあれば、僕らが半狂乱になるには十分だった。100メートルダッシュ1本ごとに、笑いがこみあげてくるようになる。30本目に、ようやく自分たちがおかしかった事に気づくのだ。
街の人々は、どうやら自分たちがおかしくなっていることに気づいてはいないようだった。甲高い笑い声、道端に落ちているたばこの吸い殻、すべてが僕の心を荒んだものにする。それでも、特別用がある訳ではないのにこの道を歩いているのは、少なくとも僕の中のどこかに寂しいという感情が隠れていたからだった。

僕は基本的に、人間嫌いである。もちろん友達だと思っている人は何人かいるし、尊敬できるような人物もいるが、必要以上に人と関わらないようにしていたいという思いがある。遊びに誘ってくれたり、向こうから話しかけてくれたりするのは嫌ではないが、それ以上に一人でいたいという感情が勝ってしまう。
人に嫌われたくないから、そういう考えに逃げたのだ。
そして厄介なのは、僕は人間嫌いのくせに目立ちたがり屋であることだ。人が向こうから関わってくるのは敬遠してしまうが、自分から何かを見せてそれを褒めてもらえると、とてもうれしい気持ちになる。でも、それ以上の関りは持ちたくない。自分を好きなままでいてほしい。それ以上何か関りを持つことで、プラスだった自分への印象が少しでもマイナスに傾いたら、僕は自分がまるで生きている価値のない人間だと言われているような気がしてしまう。
これは人間嫌いというよりも、人間恐怖症といったほうが正しいのかもしれない。

さて、話は12月24日午前3時にもどる。この日僕はそれまで生きてきたわずか20年の人生の中で、最も死にたいという感情に近づいた日であった。特に理由もなく、消えたくなった。強いてその理由を挙げようとすればそれはあまりに稚拙なものなので、今思い返せば笑い話である。
その理由とは、終わりの見えない虚無感のようなものだった。
自分はこのまま無駄に生きたとして、何ができるのか、何をしようとしているのか、自分を必要としている人はいるのか。そんなことをひたすら考えていたら、死にたくなった。でも痛いのは嫌いだし、もうちょっとがんばってみようという感情もどこかにあったから、僕は今日も元気に生きながらえている。それでもその日は痛くないやり方で自分を最も死に近いところまで追いやりたいと思って、私は刃物を手首ではなく頭に当てたのだった。
ひんやりとした刃先というものは、いつでも私に死を連想させる。これは僕に限った話ではないだろう。いつでも自分を殺すことのできる物体が私の身体の限りなく近いところをかすめる時の恐怖感と快感は、高校の時初めて自分で髪をそり始めたときから芽生えた感情であった。
そして同時に、到底「愛」とは呼べないが、どす黒いようで実はこの世で最も単純で透き通った感情を覚えた。髪を切り落とすという行為をしている間、僕がただ自分の欲だけを満たしてくれるような存在を欲していることを知った。
その存在こそが、僕をこの世につなぎとめた原因となったのだろう。理性がまだ正常であった僕は、ひどい嫌悪感とは裏腹に、その理性さえ吹き飛ばしてくれるような出会いを求めていた。

12月25日午前0時15分。なんの変化もなかった1日の余韻に浸るはずもなく、僕は家路についた。原付のヘルメットは髪を剃ったせいでぶかぶかで、自分が何をしたかったのかすでによくわからなくなっていた。15分前まではあれだけ追い詰められていたはずなのに、その時僕は「腹が減った」「眠い」以外の感情を忘れていた。
結局、そんなものだったのだ。
2016年が終わろうとしていた。

1年後
2017年12月25日午前0時。
明日髪を切ろう。目にかかるまで伸びた前髪は歩くのに邪魔だった。それでも伊勢佐木町の灯りはまぶしいくらいに僕の目に飛び込んできた。
ふた月くらい前から通うようになった定食屋で、いつものように名物の特製ちゃんぽんとレバニラを頼んだ。店員はずっと常連客と話をしているが、僕には話しかけてこない。それでも決して接客が悪いわけではなく、コップの水がなくなればすぐに足してくれるくらいには気にしてくれる。ひっそりと僕の中ではお気に入りの店になっていた。
あれから1年がたち、僕の人生は一変していた。
まず、野球をやめた。決して野球が嫌いになったわけではない。そのまま野球漬けの毎日を送るのも悪くなかった。しかし、このまま野球を続けて何かが変わるとも思えなかった。だから、11月に野球をやめた。
そして、歌を歌い始めた。何かを変えるには、今まで自分がやったことのない世界に飛び込むしかないと思い、高校時代の友人とともに路上でギター片手に叫ぶ道に進んだ。カバー曲もするし、自作の歌も歌う。ちなみに初めて創った詞の題名は『12月26日』、去年のあの日原付の上でつくったものであった。人前で歌ったことはないし歌う気もない。何より中身がたいしたものでなかった。

ちゃんぽんとレバニラを平らげ、店を出た。もう帰ろうと思ったが、自然と身体は去年歩いた道をなぞっていた。
街の様子は何も変わっていなかった。相変わらず神経を逆なでするような笑い声が響くし、投げ捨てられたごみも恨めしそうにこちらを見ていた。それでも不思議と感情は穏やかだった。理由はわかっていた。
この街に、僕は変えられてしまった。
思い通りにならない中で100点を目指すのではなく、80点でいいからつらくない生き方をすることを覚えた。
何かを作ってそれを誰かに見てもらう場を自分で設けることができるようになったから、自分の中だけでため込んでいた不平不満を共有することができるようになった。楽をするために、自分の感情をさらけ出した。
金を払えば、自分の欲を満たすことができた。
そしてすべてをこの街のせいにしてしまえば、自分はいつでも被害者でいることができた。

俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。

そう言い聞かせて、あの日から1年過ごしてきた。あの程度の感情に、自分は押しつぶされたのだと思いたくなかった。1年ぶりに見る景色を、きれいだとも思えず悲しいとも思えなかった。

今、僕に残っているものは何だろうか。
せいぜい、流行にのって伸ばしてみた髪の毛が意味もなく垂れさがっているくらいだろう。あの日そり落とした髪は、僕の大切なものをすべて奪ってごみ収集場へとむかった。なんの面白みもない物質で構成された僕の身体は、それを悔しいとも思わず、今日も1日1日をどぶに投げ捨てながら過ごしている。
僕らは今日も、素晴らしい人生を過ごしている。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。