死に切る/最終課題/眉墨

 

昨日、髪を切った。

就活のために「染めた暗色も似合うね」と高い声で笑った担当の美容師は、わたしが一年のばしていた髪はかんたんに切れても、手首までは切れなかったことを当然知らなかった。

 

オーバードーズで意識を失う瞬間の、重力がいっぺんに重くなるような感覚は、現実に強く引き戻されるようでおそろしい快感だ。

「そんなに必死で現実に生きてる人は居ないよ」

深い意識の海で最後の気泡がぼこっと出たと同時に、ゼミの友人の声が頭の中でリンと鳴った。たぶん、それはほんとうだと思った。

 

夢の中で乗っていた大学に行くのか自宅に帰るのかわからない市営地下鉄の中、乗っている人間の一体どれくらいが自分自身からの逃亡に成功しているんだろう。
はす向かいに座った女子大生は、心ここにあらずの顔でスマホを親指でつつき続けていて、わたしにはそれが羨ましかった。

世の中のたいていの人は、自分に意識があることを、起きているうちの大半、忘れている。
脳みそがあり、自分が思考できること、息を吸って吐いていること、心が動くこと。全てが統合されて一つのたんぱく質の中に収納されていること、この肉がわたしで、あっちの肉は知り合いで、こっちの肉は全くの他人。
そんなの当たり前だから、今更わたしとあなたの境界線に迷わないし、この市営地下鉄の中ではあなたにもわたしにも思いをはせる意味なんてない。

そんな発想が誰に教えられるでもなく備わっているだなんて、なんてみんなは優秀なんだろう。なんて自由なのだろう。
わたしにはみんなが、わたしの1/6の重力で生きている月の人間のような、遠い遠い存在に思えてまぶしくてこわい。

わたしは、起きている間はいつも、無意識で誰かに話しかけている。
相手は知っている人だったり全く知らない人だったりするし、年齢も性別も関係性も実にばらばらなのだが、一つだけ共通することがある。
みんなはわたしを、きちがいだと思っている。

みんなはわたしを無意識に逃がしたりはしない。
月に招いてくれることもない。
6倍の重力を背負ったわたしは、月の住人たちからすれば、視界に入るだけで不愉快になるような痛々しく気味の悪い道化なのだろう。

「どうしてみんなと同じにできないの」

月のおとながわたしを叱る。わたしは縮こまって項垂れる。
けんめいにわたしとみんなは違う星のいきものだということを説明してみるのだが、月の住人にはわたしの言葉が理解できないらしい。
さいごには結局、泣きながら謝って許していただく。
もうきちがいでいいので、かんべんしてください、と。

 

6倍の重りも、月の住人の糾弾も辛くて堪らなくなったとき、わたしは重りと一緒に心中することを選ぶ。
底に足がつくくらい深い意識の底でなら、わたしも月の住民も大差無いだろうから。せめて眠りについたときくらいは、仲間に入れてもらえるだろうから。

 

意識の中でいちばん初めに溺れたのは、中学二年生の冬だった。

当時所属していた吹奏楽部の顧問と驚くほど波長が合わず、ヒステリックな彼女のキイキイという鳴き声に神経質なくらい怯えていた。
人生で初めて後輩を持った中学2年生の春、夏の大会を経て秋、顧問に後輩の目の前で詰られることにすこしの羞恥も湧かなくなっていたわたしはすでに、学校という水槽の中で酸素の据える場所を見失っていた。

ただ小学生の時に任されていたからという理由から、はやくホームルームを終わらせたい一心で促される「自己推薦」の学級委員は、責任と生徒からの不満ばかりを背負わされ、担任からは問題を起こした生徒と共に団体責任として詰られる。

部活にも教室にも、帰っても誰も居ない自宅にも、心の荷が下ろせる場所は無かった。
思い返せばあのときから少しずつ、わたしの足には鉛がつけられていたのかもしれない。

2月14日、企業戦略にのせられた月の男女がチョコレートを贈り合い乳繰り合う日。無意味な拘束ばかりの我が中学にも同様にその日はやってきた。

水面下でこっそりとチョコレートのやりとりがされる教室、漂う甘ったるい匂いに教師陣が気づかない訳が無い。
昨日女子から笑ってチョコレートを受け取った教師に翌日厳しい顔で呼びつけられた。
男子生徒がほぼ去り、温度が急速に下がった2月の教室の床に座らされ、お尻がとても冷たかった。
各クラスの担任が神妙な顔で珍妙な自論を語り、思い思いに怒り、生徒指導が唾を飛ばし、最後に大トリの学年主任へバトンが渡される。

「お前らは、過去最低の学年だ」
過去最低。
はっきり言って、笑ってしまうくらい陳腐な罵倒だった。
のに、肺が酸素を完全に失ったのがわかった。
過去最低。
ははあ、なるほど。わたしは過去最低に不出来な人間だから、顧問にも嫌われるし他の生徒も教師も全員馬鹿に見えて、ただ生きてりゃ過ぎてく3年間がこんなにも息苦しいのか。
だったらもう、全部あきらめてしまった方がいい。

「部活停止」「とにかく全員に謝れ」
ごぽ、と最後の泡が上へのぼっていくのを、もう一人のわたしが冷静に見ていた。

 

あれから5年、無酸素の中どうにかこうにか現実に幻想を見て必死に生きてきたつもりだった。
嘔吐や自傷や過呼吸や、とにかくいろんな場面で笑えないくらいに死にかけたけれど、死んだことは未だにない。

「メンヘラって楽でいいよね」

いろんなこと免除されるもんね、と好きだった人に言われた。
わたしが一昨年、抑うつの診断を受けたことをその人は知っていた。
その人は社会人で、たぶんいろんな仕事を任され、疲れていたのだと思う。
締め切りのある社会からすれば、わたしのように見えない病を理由にある程度の甘えが許されている存在なんて邪魔で仕方がないのだろう。

 

一週間前、付き合ってから一度も会わないままひと月でその人にフラれた。
「お前がすべて悪い」
要約するとそれだけの電話に二時間半、床で尻を冷やしながら付き合った。
中学の時の音楽室が浮かび、もう死んじゃおっかな、と思った。

 

実を言うとオーバードーズは初めてではない。
一回一錠厳守の安定剤ワンシートをアルコールで飲んで床で倒れたことは三回ほど、意識の無いうちにベランダの柵を越えようとしたことは一度だけ。
臓器に負担がかかるからやめなさいと医師から再三注意を受けてはすみません、と涙ぐむのだがどうしても意識を保つのが辛いときついやってしまう。

でも、たかが10錠程度だ。
死ぬつもりでやっているわけではなかった。
今回のように。

途中で治療をやめて使わなかった安定剤と睡眠薬合わせて34錠を焼酎のストレートで一気に飲んだ。美味しくもない25度が食道を焼き、空っぽの胃袋に34粒の白い錠剤が辿り着いたのがわかった。
久しぶりの固形物に胃袋が喜んでぐんぐん吸収して血液中に薬が廻っていく。脳が緩んで思考が鈍っていく。

あと5分。
死なない方がいいんじゃないかなあという気持ちを確実に死にたい気持ちが打ち負かし、切腹を試みた身体がキッチンの包丁を目指して床を這った。目の端に捉えた埃の塊に、もうすぐ死ぬのにもかかわらず「掃除しなきゃな」と思った。

 

 

以降42時間の記憶が無い。
今日、決行日から一週間経ってはじめの来院でその話をしたら、問答無用で血を抜かれ、次に来たときに更に痩せていたら入院です、と忠告された。

 

スタジオ最後の課題がまさかこんな遺書しかかけないとは、実は思っていたけれど、書いてみてあまりの実のない人生に笑ってしまったので、わたしがもし誤って死んでも、その死に大した悲痛と意味がないことだけは強く主張しておきたい。

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