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これまでのあらすじ/春課題③/染色体XY太郎

お久しぶりです。
なんとなくサボっていたのですが、「やるぞっ!」となったので、春休みにいろいろあったことをざっとまとめていこうかなと思います。
ほんまにブログみたいですね。ブログなんですが。
ポンポンと書いていくので、もし読んでいて興味があることがありましたら、コメントしていただければ詳しく書きます。
とはいえ、読んでくれてコメントまでしてくれる人がいるかは、疑問ですが。
それでは書いていきます。

まず、春休み入ってから暫くは、自分の芝居のことばかりやっていました。
前回の記事で宣伝した奴ですね。
女の子三人に出てもらって、僕は作演出でした。
一年以上ぶりの作演で、中々に大変で、色々と心残りなところも残りましたが、総合的にはやってよかったなと思います。

次に、その稽古期間中の間に、誘われて参加した、サークルクラッシュ同好会関東支部の第一回会合がありました。
以前も活動していたのですが、会の名に違わず、クラッシュしてしまいました。
その再始動にあたり、誘われたという感じです。
初回ということもあり、五人しかいなかったのですが、おそらくそこで集まったメンバーでやることになる気がするので、会の中枢に入れたのは嬉しいなと思います。
メンヘラ研究の基盤として、盛り上げていきたいです。
第二回会合は来週末に行われます。

その後、また稽古期間中ですが、清田スタジオのOGOB会に参加しました。色んな人がいて面白かったですということ以外の感想はほとんどないです。
僕もこんな大人になるのかなぁと思いました。

で、公演中は朝日新聞の記者さんと話したり、追いコンがあったりしました。
よくわからんイベントでした。

そして、この春休みの大きなイベント、引越しがありました。
和田町から反町に引っ越しまして、都内へのアクセスが良くなり嬉しいです。
新居は反町駅から徒歩8分で、7畳の1Kです。
畳からフローリングへ変わりました。
引っ越しに当たって、色々と今まで買っていなかった家具を買いました。ちゃぶ台とコタツを買ったのが大きいですね。あ、あとドライヤーも買いました。
引っ越しは軽トラを借りて行い、僕は免許を持っていないので、先輩に運転してもらいました。
二往復で全て運ぶことができました。が、やっぱりめんどくさかったので、次回は引っ越し業者に頼みたいですね。

そうして落ち着いたら、次回出演する芝居の稽古へ初めて参加しました。
色々と話すことを主体としたワークをしました。面白くなりそうでした。
新宿眼科画廊でやるのでよろしくお願いします。

そして、バイト先の映画館で、「アウターマン」という特撮映画の宣伝の為に、スーツアクター的なことをやりました。
中々面白い経験でした。
案外動きやすかったです。
急遽、明日も着ることになったので、おヒマな方は14時くらいに西横浜の藤棚商店街に行けばいますのでよろしくお願いします。

知り合ったノイズアーティストの方の企画で、「一人だけのためのライブ」を開いていただいたりもしました。
大学の森の中で行ったのですが、楽しかったです。
後、ノイズをやってみたいなぁと思っていたので、弟子にしてもらいました。
投げ銭制だったので、二人で飲んだのですが、そもそもメンヘラ展に出展されていることから繋がったこともあり、メンヘラ研究に有益な情報がかなり集まりました。その点でも良かったです。

昨日は下北沢に行きました。古着屋巡りなんていうオシャレなことをしました。下北沢という町に住むにはファション偏差値が高くないと辛そうだなと思いました。

そして今日は、映画館で働いているので、ただで映画が観れることもあり、ジャックアンドベティで「サウルの息子」を見ました。良い映画でした。
次回はこの作品の批評をしたいです。

取り敢えず、こんな感じですね。
あんまり本は読めていないですが、残りの春休みで読んでいけたら良いなと思います。
この後はTVKに行ってきます。
それでは今日はこの辺で。
サヨナラ、サヨナラ。

僕らの「人間失格」/春課題②/染色体XY太郎

春休みは本を読む習慣にしようと思って、色々な本を読んでいます。
そこで、今更なんですが、なんとなく読まなきゃと思っていた、太宰治の「人間失格を読みました。
それで面白かったので、そのとこについて。
「いかにも過ぎて引くわ」とか言うなよ!

「人間失格」は太宰治の死の直前に書かれ、事実上の遺稿となったこの作品は、当時からのようですが、太宰の生涯を綴った自叙伝としても読まれます。

さて、この作品、現在の日本において、我々がが直面している状況に、非常に、なんというか、適しているように思えました。

主人公である大庭葉蔵=太宰治は、基本的に周囲との絶望的なまでのわかりあえなさを感じています。
だからこそ、お化けが怖いのと同じ様に、他者を非常な恐ろしいものとして感じている。
そこで、彼は生きていくために、処世術として「道化」を身に付けます。
しかし、そんなものは意味はないことだとわかっている。
だから、彼はわかってくれる他者、つまり承認を求める為に、恐ろしい他者とのコミュニケーションを欲望します。
しかし、そんな他者は存在しない。
それもわかっていてやっている。
そしてそう思いながらも自己開示することは怖いから、道化へ逃げる。
その結果の破滅が彼の結末です。

ここで、現在の日本社会の様子を見てみましょう。
1995年、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、景気の停滞等が起こった年ですが、そこから、私達の選択を決定付ける物差し、大澤真幸的いえば第三の審級は失われました。
よって、その代わりの審級を私たちのうちから得ることを求められます。
しかし、それまで、他者に審級を求めていた我々は、そのあまりの自由さ、無限の可能性を恐ろしく思います。
所謂、「自由という名の牢獄」ですね。
ですから、我々は結局、以前と比較すると、あまり強度の薄い審級を、例えば国レベルの担保のされ方でなく、コミュニティレベルで外部から得ることで、凌ぎます。
それに意味がないことはわかっています。けれども、知らないふりをする。
これは、太宰の抱える悩みの非常に似通っているのではないでしょうか。

そう考えるならば、ある意味太宰は、その繊細さと過剰なメタによって、時代を先取りしたと言えます。

では、そうならば我々はどうすれば良いのでしょう。
もし、そうなら私達は破滅は免れないということではないのか。
そして、私の話をするならば、私は太宰ほどの文才はないし、大庭ほどの美貌もない。
彼らは、その自己言及を昇華させ、死んではしまったが、生きていけた。
最低限、インフラとしての承認は得ている様に感じられる。
私は、私達はどの様に、私を、私の実存を意味付けていくのか。
わかりません……(溶暗)

というわけで、読んでいて、非常に辛い気持ちになりました。
是非皆さんも、この春のうららかな日々に読んでみてはいかがでしょう。

あ、あと僕も明日から芝居をします。
今回の内容のようなことを演劇にした作品です。
面白い予定なので、よろしければお越しいただければと思います。
以下詳細になります。

「わ。」
日時:3月3日(木)〜6日(木)
全回14時開演(30分前開場)
場所:横浜国立大学映画研究部部室
チケット:無料(全席自由席)
 ※全回、終演後にアフタートークを行います
ご予約
https://ticket.corich.jp/apply/72349/
詳細
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=57668
お問い合わせ
getagetatyan☆gmail.com

あらすじ
地球に隕石が落ちて、ばらばらに砕け散るらしい。今朝、ニュースでそう言ってた。外に出てみると、当たり前みたいに、電車は動いていたし、みんな学校に来ているし、二限の授業もあったし、学食でご飯も食べた。でも、三限目の授業に先生は来なくて。暇だ。私も暇だ。私も暇だ。それじゃあ、みんなで暇つぶしをしましょう。
 
脚本・演出 日和下駄
出演 小林舞美、寺垣沙織、吉水佑奈

スタッフ
ドラマトゥルク 吉田恭大(アムリタ)
映像制作 吉水佑奈
宣伝美術 城李門、佐藤亮太
協力 劇団三日月座、横浜国立大学映画研究部

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メンヘラについてのメモ/春課題①/染色体XY太郎

・はじめに
来年三年生となるのでゼミが始まりますが、僕はメンヘラという言葉について考えていきたいと思っています。
なので、それについて色々調べた、というか調べてきていたので、雑多とはなると思うのですが書いていきます。

・メンヘラという言葉の発祥について
現代用語の基礎知識の2015年版には次のように述べられています。

精神的に病んでいる人。やる気がなくうじうじした消極的な人。変態。2ちゃんねるのメンタルヘルス板にいるような人間ということから。

少し、雑で現状にもあっていない感じがしますが、一応公的な文章ではこのようになっています。
2ちゃんねる発祥ということですが、2ちゃんねるにはメンタルヘルス板という精神疾患等に関わる板があります。そこにいる人たちはもちろん病んでいる(それは診断を持っているということに限定はされませんが)人が多くいます。
そのような人々のことを、メンタルヘルスの略称のメンヘルにerを付けて、メンヘラーとなり、伸ばし棒が抜けてメンヘラとなりました。
ログ速で調べたところ、スレッドのタイトルレベルで、メンヘラーの初出は2002年7月、メンヘラの初出は2003年の2月、メンヘラとして定着したのは2003年の8月でした。
もちろん漏れがあるかもしれないですし、レスまでは終えていないので、問題があるかもしれませんが、とりあえずは2002〜2003年あたりに生まれた言葉なのは間違いないでしょう。
2ちゃんねるができたのが1999年なので、早いか遅いかは微妙ですが、13年前にはあった言葉なのですね。

・メンヘラ文化
1990年代後半にネットアイドルブームというものがありました。
その中に、当時はメンヘラという言葉はないので、メンタルヘルス系アイドルという枠組みではありましたが、南条あやという女性がいました。
彼女は精神疾患持ちで1999年に18歳で亡くなったのですが、彼女はマスコミでも取り上げられるなどして、注目を集めました。
その後、メンタルヘルス系のブログが増大したことを考えると、彼女がメンヘラとネットカルチャー、アングラ、サブカルを繋ぎ合わせたパイオニアとみても良いのではないでしょうか。
その後も第二の南条あやを巡って、文化は発展していきましたが、次にその地位に立ったのはメンヘラ神という人物でした。
彼女もまた2013年に亡くなったのですが、その事は慶応大生自殺教唆事件として報道されたので記憶にある方もいるのではないでしょうか。
彼女はメンヘラを喜劇的に用い人気を得ました。
そこから現在のような、メンヘラのポップな使われ方が始まったような気がします。
そして、現在の、病みかわいいなどという文化にもなったのではないでしょうか。

・終わりに
すぐ1000字になってしまいました。
まだまだ、色々書きたい事はあるのですが、残りは個人的に文章にしようかなと思います。
これを読んでメンヘラに興味が出てきたら、聞いてくれたら答えますので、気軽に質問していただければ幸いです。

とりかへばや/百合/染色体XY太郎

「ぎゅっとしていい?」
彼女はゆっくりと頷く。
ソファに座った彼女をそっと、壊れてしまいそうな彼女をそっと抱き寄せる。
ふわりと香るシャンプーの匂い。私と同じシャンプーの匂いが無性に嬉しくて、思わず抱きしめた手を強めてしまう。
触れた彼女の体は程よい温かさで、もっと触れていたくてもぞもぞと動くけれど、上手くいかなくてもどかしいと思う。
彼女と私の接地面は誰の物なのだろう。そんなことを考えると、一つの、なんだか綺麗な、あたたかな、塊?いや、もっともあいまいな、気持ちのいい、春の日差しのような、そんな何かになった気持ちがして、愛おしくてたまらなくて、もう、好きという、陳腐だけれどそんな言葉で頭がいっぱいになる。バカになってしまったように。
彼女の顔が見たくなって、覗き込むと、それに気づいた彼女が、笑って目をそらす。楽しくなって、なんとか目を合わせようとするけれど、その度に彼女は顔を背けて、その様子がハムスターみたいで可愛い。

でも、そんな嘘みたいな多幸感の中でも、それを見ている私が何処かにいて、「あなたは、幸せになれるような人間なの?」と嘲るように見つめている。私はそれから目を背けて、聞かないようにするけれど、彼女の体に顔を押し付けて、見ないようにするけれど、瞼の裏にもその姿は消えなくて、目を潰したくてたまらない。
でも、知ってるんだよ。そんなこと。ずっと知ってた。
でも、言えない。このままでいたい。今が幸せで幸せで、幸せすぎて怖くてたまらない。そんな風に生きてきた。でも何年もかけて、木の年輪みたいに重なった罪悪感に押しつぶされそうだ。
本当は彼女に嫌いになって欲しいのかもしれない。でも、嫌いになってほしくなんかない。嫌だ嫌だ、嫌い嫌い。

頬を突かれる。
見ると、彼女がいたずらっ子みたいに笑っている。
やっぱり私は彼女が好きだ。
だから、私は鈍感になる。何にも見ないように。目を瞑って。魚みたいに目を開けたまま眠っている。いつまでもいつまでも、幸福の中で溺れていられるように。

君はまた悲しそうな顔をしてるね。
そんな君に惹かれて、好きになったんだよ。
知ってるよ、君が内緒にしてること。
背中に当たってる君の熱。
もしかしたら、幸せになれないかもしれないね。
でも、

「……チューしていい?」
「ダメ〜」

逃避考/嫌い/染色体XY太郎

恋人に不誠実なことをしていると自覚しながら、止められない話をしようと思います。

まずはその内容について。
僕は、ここ暫く散々課題のネタにしたので読んだ人は知っていると思いますが、恋人がいます。最近できました。
にもかかわらず、僕は恋人以外の女性とセックスをしてしまいました。そしてこのままでは、恐らくこれからもするでしょう。

何故このことが問題なのか。それは単純に一般的に浮気と呼ばれる行為の範疇に含まれるということももちろんありますが、それより僕が罪悪感を感じているのは、恋人が同じ行いをしたら怒るであろうからです。実際、恋人が結果として二股をかけてしまった際、自分でもびっくりするほど怒りました。

では、そう思いながら何故止められないのか。これが、この文章の主な内容であり、題名の話になるのですが、僕は問題の本質から逃げて、自家撞着し続けることで自分を守ろうとするからです。
今回の問題もそうです。
問題としてはひどく単純で、ただ行為を止めればいいだけなのですが、それは同時に自分の罪を決定的なものとして認めるということになってしまいます。僕は自分があまり良い人間ではない、言うなればダメ人間、クズだと思っていますが、そんな自分が嫌いです。だから、できるだけ罪から逃れたい。良い人間でありたい。だから、不誠実な行いは見ないようにして、自分の中で白黒はっきりとさせないまま、惰性で、単純な快楽に従って生きています。そんな自分が嫌で嫌で仕方ないけれど、同時に僕はそんな自分が好きでもあります。僕がこれまで触れてきた様々な作品の主人公や、憧れの人物は、多くが歪な精神を持っていました。そんな風に僕もなりたいと思うから、ダメな自分も好きなのです。そして僕は幸か不幸かそれほど馬鹿ではない。だから、その自分の行いを分析にして理論で固めて説明してしまいます。説明できるということは単純に僕にとっては快楽なので、そこで止まってしまい、それ以上行動させる意欲を削ぎます。そしてまた同時に僕はそれほど賢くもないのです。だから、完璧に理性的にはなれず、本能に従うこともできるのです。色々とあるけど、まぁ、とりあえず気持ち良いし、ダメな大学生っぽいし、承認欲求も満たされるしいいんじゃね、みたいな感じです。あぁ、なんで僕はダメな人間なんでしょう。本当に死んでしまいたい。でも、これは単純な問題ではないんだよ。これこれこういう葛藤がね……、という風に外に広がらないまま自分の中の問題にしてしまう。他者がいないんですね。だから、僕に今大事なのは考えることより、止めることなんです。でも、はじめに話したようにそんなことはわかっていて……、もう考えたって仕方ないからやめろよ!でも、何も考えないと、快楽を求めてやってしまうし……あぁ、こうやって文章にできている時点で、止めなさそうだなぁ。そんなん読んでいる人に失礼だろ。だから自分のことしか考えていないって言われるんだよ。ああああああ、辛い。

さて、お久しぶりです。
以上まで書いて数日経ちました。
読み返すと、自意識全開のわけわかんない文章を書いてしまって申し訳ないです。
そして、この数日の間に、少し状況が変わりました。僕は考え続けた結果、行動を起こしたのです。具体的に言うと、恋人に昨日全部バラしました。つまり自爆ですね。恋人は驚いていました。そして、今日僕の家に来るそうです。寮の門限に間に合わなくなるので、泊まっていくそうです。どうなるんですかね、僕。

同窓会/キャプション/染色体XY太郎

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今年は成人式ということで、高校の同窓会がありました。これはその時に撮った集合写真です。うちのクラスは一番集まりが良かったそうです。「そうです」といったのは、僕が同窓会に誘われず、行くことが出来なかったからです。
同窓会に誘われないということは、ネット上のコピペ等でネタ的によくこれまで見てきました。しかし、実際に自分が体験すると非常に辛いものがあります。なぜ辛いのか考えてみると、同窓会に参加できなかったということよりも、同窓会に参加する「権利」が与えられなかったということが辛いということがわかります。なぜなら、この場合、僕は暴力的なまでに同窓会というものから遮断され、ある意味では、現実的には同窓生でありながら、精神的には同窓生ではないという状況になってしまうからです。
そんな訳で、僕は同窓会誘われなかった事件をネタにする人の気持ちがわかりました。あまりに辛すぎて、その事に意味を持たせなければやるせないからです。ということで僕もネタにしていこうと思い、今回こういう風に使ったわけです。これから同窓会がある人も、終わった人も、参加していない誰かのことを察してあげてください。そしてこのようなことがあった人は、一人じゃないんだと元気を出してください。

めめ/眼/染色体XY太郎

「人の眼を見て話しなさい」
と、僕はよく言われるのだけれど、その言葉通り、眼を見て話すの苦手だ。
目は口ほどにというように、何だか自分が見透かされているような心持ちがして、どうにも落ち着かない。しかし、よく考えると、眼を見て話さないことこそ、僕がどのような人間であるかを如実に表している気もして、あぁ、眼をしっかりと見て話すことのできる人生を歩みたかったなぁと劣等感にさいなまれて辛い。では何を見て話すのかと言われると、大体は中空を見ているだけれど、演劇をする際などどうしても見なければならない時は、その人の顔全体を見ていることが多い。イメージとしては絵を見ている感じだ。絵を見る時、そりゃあ、内部に書き込まれた個別のものを見ることもあると思うけど、多くの場合はなんとなーく絵という額縁に囲まれた物全体を見ていると思う。そんな感じだ。だから、恐らく僕と話している人は、こいつ何処見てんだと思うことだろう。違うんですよ。眼を見れないだけなんですよ。チューする時も変なところを見てしまうんですよ。許してください。

ところで。
「め」と言いますと、眼と目の二つの漢字があるけれど、僕が見れないのは眼で目は見れる気がしている。それはなぜかというと、二つの文字イメージが違うからだ。先の例で言うと、目は顔の中のパーツとしての目で、僕にとって二次元の中に書かれている目となんら変わりがないものに思える。対して眼はなんだか強い、力を持ったものに感じる。まるで、それだけがそこにあっても意志を持っているような。つまり、生きた眼という事だ。多分この印象は昔、なにかで読んだ「邪眼」のせいだと思う。
しかし、そう考えると、コミュニケーションで対面する「め」の多くは眼なのだから、僕は眼を無理矢理、目にする事でコミュニケーションをとっているという事になる。という事は、僕は三次元コミュニケーションを二次元コミュニケーションに変換しているという事。つまり、人間と喋っていないと思う事によってしかコミュニケーションが取れないという事だ。まるで、アドベンチャーゲームをしているかのように。
それは、自分がコミュ障であると述べていると同じなので、酷く辛い。だから、これからは一生懸命、眼を見れるようにしたいのだけれど、ところがどっこい、最近、合わせたい眼がある。それは恋人の眼で何故ならば彼女とチューがしたいからだ。しかし、彼女はなかなか眼を合わせてくれなくて、聞いてみたところによると、チューしたいのを知っているから嫌だそうだ。僕が眼を見る事ができるのはもう少し先の話になりそう、いや、なるといいなぁ。

セイヤ、あるいはホワイトクリスマス/においのクリスマス/染色体XY太郎

テンポを増してゆくリズムに合わせて口から漏れる声。
メトロノームは私だ。
その共同作業、反復運動の果てに、また一つ、六畳間に中身の詰まったゴム袋が転がった。

何度目だろう。
数える気もないくせに。
外のはきっと寒い。けれどもこの部屋で、掛け布団も被らすまに、ひたすらに重なり続ける。じっとりと、乱れた髪が鈍く光る額に張り付いている。天井では、靄のように熱気が渦巻いている。
体を起こす。そして、肢体に煮詰められた白を塗りたくる。しかし、決してそのキャンパスを覆い尽くす事はない。そのまま、湿った布団に倒れこむ。背中から蒸気が絶え間なく立ち上っている。
甘い、
饐えた、
生臭い、
どの言葉を使ってもしっくりこない。敢えて言うなれば “澱んだ” と言ったところか。
立ち上がると、腹が鳴って、思わず二人して声をあげて笑った。そうして、電気を点けずにこたつへ向かった。
甘い、甘い、ホールケーキ。の残骸。互いにそれを食べさせ合う。生クリームで汚れていく、手、顔、口、唇、舌。同じだねと微笑む顔に、ああ、どうしても目を向けることができなくて、抱きしめることしかできなかった
そうしている内に、蒸気は絶えていたので、そのまま、布団へ戻った。部屋はますます澱んでいった。

いつの間にか、外からオレンジの光が消えて、空も黒から紺に変わっていた。
わざとテンポを落としてみたけれど、空は藍色に染まっていた。
雪が降ればいいのにと願ったけれど、もう、空は青かった。
どうしても顔を見たくなくて、ずっと窓の外を見ていると、突然、目の前が真っ白になった。あんまりに眩しくて、目をつぶった拍子にそのまま果ててしまった。でも、最初、二人ともそのことに気づいていなくて、太陽が顔を出しきって初めて気がついた。でも、そのまま、なんでもない日のように、たわいもない話を続けた。そうしていると、もう別れの挨拶も済ませてしまったので、そうするしかなかった。そうのだ。
「あなたの子供はいらないかな」
思っていた通り、曖昧に笑った。

一人になっても、窓を開けないでいた。
外は雲ひとつない青空で、思わずカーテンを閉めた。閉め切った部屋は、薄暗かった。
こたつで冷え切った鳥のから揚げを食べた。まずかった。甘い、饐えた、生臭い、澱んだ匂いはもうしなかった。

蜜柑/嵐/染色体XY太郎

夜。
切れ目なく窓に打ち付ける雨。時折、「ひゅおぅ」という風の音が聞こえてくる。
大家のおばあさんは、明日天気が荒れそうだとわかるといつも、建物がぶっ飛ぶからと言って、雨戸を閉めるようにと注意勧告をする。けれども、僕は一度も雨戸を閉めた事はない。

きっと今晩は雨は止まないだろう。僕は五月蝿くて眠れないと思って、どうせ同じことならと、ラジオを聞いて眠る事にした。ノイズに混じって声が聞こえる。けれど、周波数を合わせても、相変わらずノイズが聞こえる。あゝ、そうか外では雨が降っているのだ。
僕は目をつぶってラジオを聴く。深夜ラジオの少し愉快なパーソナリティの会話。それほど面白いわけではない。でも、決してつまらないわけではない。それがなんだか心地よくて。そんなまどろみの中で、いつの間にかラジオからは流れる音はノイズに変わっていた。
ノイズ。
雨音。
心配したのが嘘かのように、僕はいつの間にか眠りについていた。
もしかしたら、このまま眠り続けているのかもしれない。
わからないけど。

朝。
女性パーソナリティのご機嫌なモーニングコールで目を覚ますと、雨はまだやんでいなかった。僕は出掛けるのが億劫で、雨がやむまでは出かけるまいと、カビ臭い、湿った布団に潜り込んだままタバコを吸う。タバコの煙が黒い天井に向かってふわふわと登っていく。煙は気付くと消えていて、その消える瞬間をなんとか目で追おうとするけれど、やっぱりいつの間にか消えていて。眼鏡をかけていないからだろうか。
タバコを全部吸いきってしまった頃、いつの間にか雨は止んでいて、外は見違えるほどに青い空が広がっていた。

僕はタバコを買いに行くことにした。
今日は使い古した焦げ茶色のマフラーではなく、フリーマーケットで買った黒いストールを首に巻いて。デパートで買ったニット帽でももちろんなく、古着屋で100円で買った少しジジ臭いマウンテンハットを被って、僕は出掛けた。
12月だというのに、湿気と太陽のおかげで、嘘みたいに暖かくて、コートを着てこなくてよかったなぁと思いながら歩く。タバコ屋はそれほど遠くはないけれど、坂道を登らなければならないのが少し面倒くさい。登っていくにつれて、少しつづ体が暖かくなってきてますます蒸し暑い。残り香のように吹く風がせめてもの救いだ。風だけは昨日と変わらず強くて、道路に少し残った落ち葉がアスファルトを登るように転がっていく。
山間にかかる橋。その上で、微かに、蜜柑の匂いがした。その匂いに驚いて立ち止まると、ひときわ強い風が吹いた。その風に吹かれて、僕のマウンテンハットが山間へ飛んで行く。なんとか掴もうと手を伸ばしたけれど、気づいた時にはもう遅くて、マウンテンハットは風に乗り、ふわふわゆっくりと、遠くへ、どんどん遠くへ進んでいく。僕はあの蜜柑の匂いを思いながら、マウンテンハットが山の陰に隠れてしまうまで、そこに立ち止まったまま眺めていた。