フチ子 のすべての投稿

泣けてきた/遺書/フチ子

一言で言うと、私の人生は中途半端以下のものだった。

勉強こそ平均よりは上の成績をとっていたから、上層部に位置している人間だと信じて疑わなかったのだが、そうじゃないらしい。まずは破壊的にうんちであり、おんちだ。運動がまるでできなかった、ダンスが踊れなかった、歌を上手く歌えなかった。この3つが揃うと、輝かしい人種として生きる道は絶たれる。

華型であるテニス部、チアリーディング部、ミュージカル研究部には所属できなかった。今まで所属しなかったと言っていたが、正直に言おう、できなかったのだ。可愛い衣装着て、細くて、軽やかに自分を表現することを、したくないはずがない。したかった。

素早く2つ以上のことをこなそうとするとショートするし、急げば急ぐほど人に不快を与えるほどワナワナしてしまう。そのくせに自分を過信しすぎて厳しい状況に身を置いて満足していた。私の人生には見苦しい瞬間がたくさんあっただろう。

社会貢献、人の為、社会の為になることにまるで興味がないくせに、感受性だけは発達しすぎて、生きづらかった。常に自分の中に、同情と冷酷さが入り混じっていた。気分によってどちらかが濃く顔を出し、態度に出ていたから、人を混乱させてきただろう。

しかし、これだけは言える。身近の、本当に私の近くにいる人のことは、好きで、大好きで、たまらないのだ。

両親が好きだ。私に全愛情を捧げ、私と父の受け渡しをしてくれていた母も、母に甘く優しく、私に厳しかった父も、大好きなのだ。

デパートコスメとプラダのバッグを買い漁るまみちゃんも、中学の頃からずっと追いかけてきた元気を強制的に出させ悶えさせてくれる関ジャニ∞も、私の受験期を支え全ての初めてを大切にしてくれたロリコン疑惑の先生も、くだらない恋愛話を永遠にしながら私のダメなところを笑ってくれるあかりさんも、大学に来てよかったと心から思わせてくれた凝り性で羨ましいほど深いまゆきも、変なことを変なタイミングでしながら笑ってて食べてるもえちゃんも、いつも鳥貴族で身も蓋もない話をして恋なのか友情なのかわけわからない小澤さんも、境遇が一致しすぎて話しても話しても共感してしまう繊細なももなも、生きるって楽しいな年をとっても楽しめる人生を送ろうと思わせてくれた甲本ヒロトとマーシーも、内部恋愛をして拗らせてみたり死にたい死にたい言いながら人生を諦めていないゼミ生も、理解できない発想で私を楽しませ甘えてくれる愛おしいまさみつくんも、独断と偏見で言葉を発するけどその一言一言がムカつき面白くて学生と関わることが好きな清田先生も、君は優秀だと言い続けてくれるとんでもなく優しい高橋先生も、好きで、好きで、大好きなのだ。

書いているだけで涙で溢れて、電車の中なのに、これからインターンシップがあるのに、困るよ〜と思う自分も結局好きだった。

大好きな人に囲まれて生きた私の人生に悔いはありません。もちろんまだまだ生きていくけれど、この人たちがたとえ頻繁に会えなくても居続けるのであれば、私は幸せだし、いくらでもラブレターを書くことができる。そうこうしているうちにおばあちゃんになって、死んでしまったら。お葬式では関ジャニ∞の『ローリングコールスター』とthe blue heartsの『月の爆撃機』をかけてね。

じんましん/ぜんぶ雪のせいだ/フチ子

「赤くなってる」
「あ、ほんとだ」

じんましんに悩まされたのはいつからだろうか。たしか、すごくすごく寒くて、しもやけになるくらいに、足先が冷たかったあのとき。

もういいや、と思えた、あの日。

こんな無意味で、搾取されるだけの関係やめたい、この日常から救い出してくれる人いないかな、たらたらと考え続けていた。年齢だけが進んでいって、自分の価値がただただ下落する。この人よりもいい人なんて、沢山いる、いたはずだ。

たいした快楽もない。本当に相性がいいの、私もこの人じゃないと満足できないから、仕方ないのよね、と友達には説明しているけれど、ちがう。虚しさと、期待を持ちながらのセックスなんて汚い。気持ち良いとさえ思えないならば、自分が惨めで、耐えられない。

3年間。お相手には彼女ができたり別れたりしていた。その過程を私はぜんぶ、知っている。それは脈ありだとか、脈なしだとかそんな話をしていた。別れるたびに、次こそは私かと期待をしなかったわけではなかったけれど、そのたびに丁寧に期待をへし折ってくれた。「真紀とはこのままがいいね、居心地が最高」そうやって私の元に甘えられると、もうだめだった。

「真紀はいい人いないの」
「さあ、いたり、いなかったり」

勘違いさせないために、一定の距離を取るために、律儀にこの質問を繰り返す。いてもいなくても彼にとって私は重荷だ。いたらいたで、彼から私が離れたら離れたで、彼は責任を負わなくてもいい楽ちんな女を失うし、いなかったらいなかったで、罪悪感を覚える、存在が重たい。どちらとも取れないような返答で濁すことで、この関係性に責任を取らずに続行可能の許可を出す。

寒かったのだ。凍える足を温めたかったのだ。しもやけの足で、一人だけの家に帰りたくなかったのだ。

「ぷっくりしてる、痒いの?」
「ちょっとだけね、薬を飲めば治る」

本当は、すごく痒い。あの日のじんましんは慢性で、毎日薬を飲んで抑えている。少しでも油断して、薬を飲み忘れたら、途端に痒くなって、赤くなって、悲鳴をあげる。油断してはだめだ、治ってると勘違いして、飲み忘れてはだめだ、ポツポツと赤く膨れ上がって、なおさらに醜く、汚い自分になってしまう。

「あ、薬の殻、持ち帰ってね」

わかってる。証拠隠滅も、何年やってると思ってるの。一度だってミス、したことがないでしょう。ミスしなかったらあなたのそばに居られるのだから、ミスするはずが、ないでしょう。

サラサラ/共作(添削)/フチ子

「はよ、あと15分で出るよ」
「あなたが起きなかったんでしょう」
「とにかくあと20分で出るよ」

彼は、ラーメンが食べたいらしい。ごっついラーメン。油っぽい野菜がドバーッと乗っかっていて、分厚い肉の塊と、小麦粉の匂いがブワッとくる太い麺のラーメン。俗にいう二郎系。デブ専用みたいなやつ。彼女と食べるものじゃないと思うけど、容赦無く誘ってくる。彼がラーメンを食べたいと言い始めたら、わたしがパスタがいいな、なんて言える隙はなく、ラーメンと決まる。電車で20分くらいのお気に入りのラーメン屋に連れて行かれる。

「12時過ぎると急に人が増える、はやく」

何度起こしても起きてくれなかった彼は、やっとこさ起きた瞬間にちゃちゃっと準備は済ませていた。結局、二時間前には起きていたのに、わたしがせかされる側に回った。お風呂も入りたいし、歯も磨きたい。もちろんお化粧もする。彼より早くに起きて準備をしておけばよかったのに、布団が気持ちよすぎて、ごろごろしてしまっていた。同罪だ。

「髪、乾かすんでしょ」
「乾かす」
「ぼく、トリマーだから髪乾かすよ」
「トリマー?」
「みさきは、猫顔だけど忠犬ハチ公みたいな性格だね」

そう言ってドライヤーを持つ。さーっとわたしの髪をほぐしながら温かい風を当てる。サラサラとしていて心地がいい。

「髪、伸びたね」
「伸びた」

彼の手が、どこかぎこちない。髪の毛なんて死んだ細胞なのに、壊れないように力加減を調整しているかのようでおもしろい。普段憎まれ口を叩かれてるのに、丁寧におそるおそる髪を撫でられている。

「あれ、いつもみたいな内巻きにならない」
「ドライヤーだけじゃ厳しいね、コテがないと」

くるっと内巻きにはならないまでも、サラサラとしてきた。本当はデートの日はちゃんとしたストレートか、内巻きにしたいのだけど、今日はサラサラとしてさえすればいい気がしてきた。ラーメンだし、あなたお手製だし。

「よし、完成です」
「ありがとうございます」
「顔のほうは?」
「まもなく完成です」

ちゃちゃっとビューラーでまつげをあげて、チークを塗る。よし、ラーメンに食らいつきに行くぞ、と心に決めて、外に出た。

敏感力/自分大好き/フチ子

感情があまりにも溢れすぎていて、ドラマのロスにはかかりやすいし、妄想が激しくて、勝手に期待しては落ち込むので、感情をありのままにぶつけてしまっては迷惑をかける。その分人を見る目があると思う。敏感なのである。人の放つキャパシティを感じてしまう。それに合わせて自分をコントロールして、自分を出すことが得意であり、それができる自分は人間関係に不自由しなかった。

「この人は、きれいごとを好む人種」
「この人は衝突がきらいだろう」
「この人は懐が深そうである」

そう言ったことがわりと早い段階で察知できる、ような気がする。そしてそれに合わせてわたしの感情を伝えるか伝えないかを計算し、コントロールをする。演技をする、という感覚はある。ダメダメなわたしも、しっかり者とみられるわたしもいて、相手によって変わっている。ダメダメな自分を見せた方が仲良くなれる!と期待と勝算があれば出していくし、なければ仲良くならないし、しっかりしとく。それがわりと自然に、ときに空気が読めない自分になりきってできてしまう。自分にとって居心地の悪い空間にならないように、自分を変えることができる。

最初からこれができたわけではない。なんでも自分の感情を垂れ流しにしていたら、その熱意に相手が負けて、わたしは特別になれるのだ!と勘違いしていた時期があった。けれどそれは相手に拒否される可能性があって、迷惑なんだと学んだ。拒否されたら悲しいし、自分が傷つく。

ならば。相手に拒否されぬよう、たくさんの工夫を重ねて、作り上げて、構築したい。自分の手で関係を続けたいし、壊したい。相手のことを自分好みに変えることは難しいけれど、わたしが相手好みに変わることは思ったよりも簡単にできるし、好みになってしまえば相手はわたしの願いや希望を叶えようとしてくれる。ありがたい。わたしの希望は好きな人間と仲良く過ごすことであり、好きな人間をより自分好みにすることではない。

なんだかこれが真理であり、これ以上にできた考えを持つ人間はいないように思う。人間関係においてこの思考ができれば随分うまく生きることができる。感情は大切にしつつ、相手に合わせて感情の表現の仕方をその人が受け入れやすいように変えればいい。甘えても大丈夫そうなときに甘えて、1人にして欲しそうなときは放っておく。相手に負担にならないようなタスクを与えて、やってくれたことに対して精一杯喜ぶ。そんなことができるようになったわたしは、つよいとおもう。

いきものと死の間/あったかい/フチ子

冬、手が冷たいまま、静かに寝ている母をさすって熱を作る。いびきが治らないわたしと違って、ひっそりと母は寝る。目はしっかりと閉じられていて、まつ毛が長い。

あと2年で60歳になる。わたしはこの人のおなかで育って、この人に育てられて、愛された。それなのに、彼女の人生の中で、わたしはせいぜい3分の1しか占めていないことに気づいて、少し悔しい思いになる。

寝ているとき、母が息しているか不安に思い始めたのはいつだろうか。もっと大きな寝息を立ててわかりやすく寝てくれと思ったのは、いつが最初だったのか。母がいつまでもわたしと一緒にいれるわけではなく、母が死んでからもわたしはその後も生きていかなければならないと知ったのは、わたしの人生、母と一緒に生きられるのは半分くらいだと気づいたのは。

母が祖父の遺体をタオルで拭いたとき、何を思ったのだろう。プラスチックの棒みたいだった、と後でわたしに教えてくれたけれど、どんな表情をしてたか覚えていない。わたしはそのとき定期テストがあって遅れて行ったのだけど、母が祖父に触れているところを見なくてよかった。冷たくなった祖父に触れた母の顔を、なんとなく、見たくない。

「彼氏に、パパの役もママの役も友達の役も押し付けちゃだめよ、彼氏さんは彼氏なんだから、彼氏として大切にするのよ」

「ママほど、無償の愛を捧げる人はいないの、愛されたいなら愛さなきゃ、普通は返してもらえないの。愛したとしても、愛されるかどうかわからないけれど」

わかってる。母の代わりなどいないと、そんなの、幼稚園で先生に抱っこされたときに気づいてた。しつこくしつこく、抱きついたり、好きだと伝えたり、甘えても許されるのは、母しかいないのだ。他の人とは距離感や、頻度や、タイミングなどを考えて、振舞わなければならないけれど、母にはいつだって会いたいと言えるし、泣きながらでも笑いながらでもぎゅーして、と言えるのだ。

「セックスしたあとは、ぎゅーってずっと抱きしめて」

「いってきますのときは、ハグして」

わがままだけど、ぬくもりが欲しい。

母のような、は無理だとしても。好きだと好きに言っても許されて、抱きついてもよくて、抱きしめてくれるあなたがいれば、たとえいつか母と離れてしまっても、乗り越えられるような気がする。わたしよりもひどいいびきと、ピクピク目を動かす彼の寝ている姿に安心して、彼のフリースに顔をうずくめる。

3年生の豪遊/食レポ/フチ子

みなさんはお昼ご飯、どこで何を食べていますか?手作りお弁当?コンビニのおにぎり?生協で買った温めて食べるスープやスパゲティ?シェルシュの鮭いくら丼?それとも美味しくないと評判の(特にミートソーススパゲティがいけない、麺の一本一本が短くてパサパサ、美味しくないスパゲティに出会ったことなかったから衝撃を受けた)一食?

同じ大学に3年も通っていると、何をとってもマンネリ化する。結局好きなものは変わらないから、生協だったらトマト味かチーズのスパゲティ、コンビニなら明太子か鮭の高級な方のおにぎり、または、生ハムとトマトの高級なサンドイッチ、シェルシュなら(混雑により13時くらいから入店)鮭いくら丼彼らのローテーションになる。どれも味は選りすぐりだし、飽きることはないけれど、楽しさもなくなる。ただえさえ下がりきった余計に大学に行くモチベーションが下がる。

そしてなかなかいいでしょうレベルのトマトかチーズか生ハムか明太子か鮭にありつくためには、コンビニや学食であれどまあまあな大金をはたかなければならない。平均して450円から600円台。安いから彼らのラインナップになってるわけではないことを考えると、昼食にワクワク感がなくては損した気持ちになる。

そこで、最近バリエーションを一つ増やした。シェルシュの上のPORTY(ポルティー)のパスタランチセットだ。770円くらいだったと思う。サラダ、週替わりのパスタ、デザートがついて770円。レストランなので、水も注いでくれる。清潔そうで良い。毎日770円は高いかなと思うが、週3回大学に行って、そのうち一回優雅にパスタランチを食べるのは贅沢じゃないはず。なんたって3年生なんだから。

PORTYはいつ行っても待たされない。混んでない。それも良い。ちゃちゃっとスパゲティが食べられる穴場なのに、3年目にして気づいた、これは毎週通って全種類スパゲティを制覇しなければならない。

肝心の料理の質だが、

サラダ ★★☆☆☆
いつも同じ具材同じドレッサング。ノーマルなサラダと言っていい。ミニトマトやカブやサツマイモなどテンションが上がる具材が入っていたりなどはしない。葉っぱと玉ねぎが主。しかし、冷たくて美味しいのと、即くるからありがたい。

パスタ ★★★★☆
なかなかのクオリティ。特にソース。ソースの味は私好みで、どれも絶品。特にボンゴレの時の味が良い。どういいかは説明できないから食べて欲しい。美味しいから。少し残念なのが麺に対するこだわりは見えないこと。どちらかというと細麺なのだが、印象が薄い。今や外食パスタのほとんどは生麺を売りにしているから、それに慣れていると物足りなさを感じる。量も多すぎず少なすぎずだが、もう少しあるとお腹いっぱいになるのに。

デザート ★★★★☆
デザートはそこまで期待していないからあるだけで嬉しいのだが、種類も味もおおむね満足。コーヒーゼリーやクラシックショコラ、オレンジケーキなどが出されるが、量もちょうどよく、ありがたい。どれが出されても基本生クリームが添えられている。その生クリームが少し固いのが残念。また、おそらく冷蔵庫から即出しているのだろう、シャリッと感が残ってたりする。ご愛嬌レベルだけど。

これで770円は安い。毎週楽しみである。しかも、ポイントカードを発行していて、貯まると料理プレゼントとか嬉しいサービスが。混むのは嫌なので二年以下の方々はシェルシュに並ぶか、生協で済ませてくださいね。

絶対的ヒーロー派/夢の対決/フチ子

感受性があまりに豊かでのめり込みやすいわたしは、ドラマにハマると1週間がそのドラマのために生きることになる。今まで数多くのドラマにハマってきたが、そのドラマの最終回のたびに、大きなロスに襲われ、2週間くらいはそのドラマの空想を繰り広げる。あぁ、あのシーン。あのシーンは2人が同じ気持ちになっているのに未熟さゆえに反発しあってしまっていて、あぁ。素敵だ、これぞ恋愛だ、いいな、こんな人いたらいいのに!といった具合に頭の中が爆発を起こす。

ツイッターでそのドラマをハッシュタグに入れて検索すると、たくさんのコメントがヒットする。だよねだよね!そこ!そこなんだよ!キュンキュンしたよね!わかるぅ〜といった具合に、余韻に浸る作業のお供として役割を果たす。しかし中には共感できない代物もある。

え、花澤類推し?

驚く。このドラマを見ていて、道明寺に惚れずに、花沢類に夢中になる思考回路が思い浮かばない。そんなことあるか?たしかに花沢類もかっこいいけれど、このドラマは道明寺キャー!!!となるために作られているのであり、道明寺にキュンとさせる心理的トラップが大量に仕掛けられている。それを華麗によけられた人がいたとして、道明寺のトラップ数と比べたら非常に少ない花沢類のトラップにあっさり引っかかるポカミス具合がよくわからない。

花沢類や、彰や、御村や、鷲尾くんにハマる人たちって、いつも二番手ばりに惚れているイメージがある。なんの根拠もないのだけど、わたしの友達・さとみがそうだからそうだと思う。ドラマを見るたび、えー?花沢類の方がかっこいいよ!もちろん道明寺もいいけど、100パー%花沢類。それだからあやなは見る目がないんだよ!とまで言われる。うるさい。

わたしは王道に行かないのよ、こっちの良さがわかるいい女なのよ、みんなが好きな人好きになってばっか見たい。わたしはマイノリティなのよ!!という主張の意地汚さが嫌いである。ドラマなんだから王道に突っ走って楽しんだ方がいいではないか。主人公の女の子だって結局王道に行くのだよ。確かに私たちは主人公の女の子の魅力の1割もないけれど、わざわざ主人公のために王道イケメンを譲る必要なくない?誰のためにドラマを見てるの?自分の癒しのためでしょ?何勝手に抑制かけてるの?

もちろん、今回も王道に平匡さんにハマっている、風見さんなど悪いが眼中にない。

あぁ平匡さん。この世の中平匡さんだらけにならないかな。平匡さんを少しだけ困らせたい。童貞万歳、平匡さん。平匡さん。

よろこばせたい/大作戦/フチ子

だんだん ふしぎなよるが きて
あなたと ゆめのなかへ

毛布の争奪戦を繰り返しながら、少しずつお互いのスペースを侵食する。一緒に3つめの季節を迎えようとしている。

「恋人」という関係性は脆い。愛や執着がお互いになかったとしてもなりゆきで始めることはできるが、愛や執着がどちらか一方にないなら近いうちに解散となる。

「ジュディマリ知ってる?」
「知ってるよ、ママがわりと好き」

ベッドの中で好きな曲、思い出の曲を押し付け合う。お互いに知ってる曲だったらふたりで歌うし、知らない曲なら次に会う時までに歌えるように聴きこんでくる。

「YUKIっていい恋もわるい恋もしてそうだよね」
「みんな、いい恋もわるい恋もしてるよ」
「ぼくたちは?」
「どうだろうね」

彼をよろこばせたくて、わたしにもっと惹かれてほしくて、今までたくさんのことを画策した。でもそれはわたしをよろこばせたいからだった。だから、彼を思って何かしているときは期待してしまうし、思ったような反応がもらえなかったら勝手に落ち込んでしまう。

これは、いい恋なのだろうか。

わたしはちゃんと彼のことが好きなのか、それともわたし自身のことが好きなのか。

期待もなにもしてない、わたしの行動や考え方や表情を彼は好きになってくれる。一緒にいておもしろいと言ってくれるけど、少し意味のわからないおかしいことを言うのは彼の方だし、わたしはケタケタ笑ってるだけだ。おもしろがらせようなんて一度もしたことがない。

たくさんの彼のためにしたことは泡となって消えるのに、こうやって何度も夜を迎えられているのは、彼が勝手にわたしのことを好きになって、わたしが勝手に彼のことを好きになったからだろう。

あなたとふたりで このまま ふたりで きえてしまおう

「ほら、これとかいいじゃん」
「lover soul?あぁ聴いたことある」
「ぼくと一緒に消えてしまいたい?」
「lover soulって偽りの恋、とかじゃない?意味」
「え、そうだっけ」

いま あなたのからだにとけて ひとつにかさなろう

「偽りでもいいからさ、チューして」
「よし、寝よう」
「ごまかさない、ほら、してして」

仕方ないと言いたげなキスがわたしは好きなのだ。勝手に。なんでもかんでもわたしは勝手なのだ。それでももっと好きになってほしい。これからもきっと勝手に好きになってねトラップを散りばめてしまう。そのトラップたちをうまくすり抜けてもいいけれど、彼は彼で勝手に用意していないトラップに引っかかり続けてね。

「おやすみ」

そっと目を閉じたころに、わたしの腕を彼の方に引いて、手を繋いでくるそのくせが、とってもとっても、好きなのだ。

ずっと数学や国際社会について勉強していたかった。/片付け/フチ子

すべてのものを引っ張り出して、床一面に並べて、部屋をぐっちゃぐちゃにした後に、一つづつ手で拾い上げてみた。

部屋中の、すべての引き出し、クローゼット、本棚、全部全部、開けて、引っ張り出す。適当に放り投げる。

あぁ、これは大事だ。今も使う。
これは、あのときの、たしか。いいか、もう。
この服は、あまり好きじゃなかったけどママに褒められて、よく、着てたっけ。
なに、この写真。こんなのまだあったんだ。
このネックレス、地味すぎてうれしくなかったな。
これは、ともだちと一緒に買ったやつか。本当はもっと花がついたやつが良かったけど、リボンの方に決まったんだっけな。
この本、大好きな人が勧めてくれたけど、最初の50ページくらいで本棚に隠した。

途端に嫌になる。ものたちをぶん投げて床に戻す。ぜんぶわたしから切り離されて、一掃されてしまえばいいのに。

ほんとうは、いま、なにもかもこわい。

いままで積み上げてきた、勤勉に着々と何かに向かって小さなことを毎日できる習慣が、3年間で崩れてしまった。感情のコントロールなんて得意な方で、強気で、人の気持ちを無視して自分の気持ちを優先してきたのに、今はできない。

いろんなしがらみが、この3年間で急激に襲ってきた。

経験値はたくさん溜まったはずだ。勉強だけコツコツとしてたころでは考えられないような、授業をサボってセックスに明け暮れたり、学食で涙ぐんだり、大学帰りに友達の家でスミノフを飲んだり。

ただ真面目であることが生きる指針で、ふざけた人を片目で見て馬鹿にし、蹴倒すことを考えてたあの頃とは違う。

たのしいのだ、こわいくらいに。やらなきゃいけないことを無視して、感情任せに人に甘えて、一喜一憂をくりかし、毎日がいろんな感情に支配されてる今が、たのしいのだ。

でも、そのぶん、ひとに興味が向いてしまって、自分の好きな、独立したモノがどんどんとなくなってしまった。わたしはこうだから大丈夫、これだけはなくならない、そういうものがない。

わたしの、ぐちゃぐちゃとした衝動が爆発したとき、全てがなくなってしまいそうな、危うさがつきまとう。その場しのぎで今だけの楽しさのように思えてしまう。

そんなものもとめてないから、今うちに、切り離してしまいたい。いやだ、いらない。いつか居なくなってしまうなら、いつかなくなって違う人のものになってしまうなら、そんなものはいらない。

いらないのに、なんでこんなにも魅力的なんだろう。

もう、逃げてたら人生がダメになる、また勤勉なわたしに戻らないと、だめになる。この、楽しいやら辛いやらに振り回される情けないわたしを片付けなければ。こんなものたちいらない。この楽しさを知れただけ、良かったじゃない、また元に戻るだけなのよ。

こんなんなら、知らなきゃ良かった。出会わなきゃ良かった。近づかなければ良かった。

しっかりしてくれ。
綺麗で整頓された部屋に、戻そう。

勝手に同志/気になるあの子/フチ子

入学当初から顔を知っているので、勝手に親近感を湧いている方がいる。中学高校と女子だけに囲まれたわたしと、男子だけに囲まれたその方はなんとなくこじらせ方が似ているような気がする。まことに勝手な、気がするだけなのだけど。

ほぼほぼ男性とまともに話したことがなかったわたしは、これからの大学生活に強い期待を持っていたし、不安で押しつぶされそうだったのだが、彼には片意地張らずに話ができた気がする。なんというか、お互いがんばろう、両性別揃うこの大きな舞台で!といった、仲間意識があった。

彼にはアドバイスしたい欲が募る。そんなにがんばらなくっていいよ、余裕がだいじなんだよ、おそるおそるしなくていいよ、そんなに気前良くならなくていいよ、下手に出なくていいし、気分屋くらいが異性にはモテるんだよ、こだわっちゃダメ。とか。

そんな大学生活も3年過ぎて、お互いにそこまで成長していない。こうやって頭の中で彼にアドバイスをしているのだけど、同じようにわたしにも跳ね返ってくる。異性を特別なものとして見過ぎなんだと思う、星の数ほどたっくさん異性はいるはずなのに、目の前のことしか見えない。

でも、そんな彼がたまにかわいらしくみえる。もっと自信持てばいいのに、ネタに走らなくても、いや、走ってもいいのだけど、走りすぎなくても十分に魅力的なのに。いやいや、ネタに走ってくれるからこそ落ち着いて話せる女もいることを知ってほしいというか。いや、まあ、どうでもいいか。

正直そこまで仲良くないけど、ふと久しぶりに授業が一緒になったとしても、気まずさもなくこんにちはを言える貴重な存在なので、わたしは嫌いじゃない。なにかと勝手に同志のように思っているので、幸せになってほしいとひっそりと思う、あの方である。