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私のピノキオ/昨日、髪を切った。/jboy

昨日、髪を切った。

いつも僕の髪の毛はママが切ってくれるんだ。僕がもっともっと小さいころから、髪を切るときはママがやさしく切ってくれる。

「くせっけの困ったちゃんね。ママにそっくり。」

ママはいつもそう言うと、決まって僕のほっぺをそっと小突いた。

僕はママが大好きだ。たぶん世界中でママのことが一番好きなのは僕だ。パパだってかないっこないさ。多分……。

ママは僕のことなら何でも知っている。好きな食べ物、カレーライス。嫌いな食べ物、ニンジン。好きな動物、キリン。好きな色、赤。まだまだたくさんあるけど、書ききれないや。とにかく、ママは僕のことなら何でも知っているんだ。昨日僕がなくした片っぽの靴下も、ママにかかればすぐに見つかっちゃう。きっとママは魔法使いなんだ。ママは女だから魔女かな。魔法で僕のことをずっと見ててくれているに違いない!だってママも僕のことが大好きなんだから。

僕は夜に時々とても怖い夢を見て、眠れないことがある。そんなときはいつもママがそばに来て、優しく僕の体をさすりながら子守唄を歌ってくれる。僕はそれでとても心地が良くなってたいてい寝てしまうんだけど、それでも眠りにつけないときは僕の大好きな『ピノキオ』を読んで聞かせてくれる。一回だけじゃ満足しないので、ママは2回、3回と繰り返しとてもやさしい声で読んでくれるんだ。

ママとピノキオの話をしていて、

「もし僕がピノキオだったら、やっぱりママも僕に人間になってほしいと思う?」

って聞いてみた。そうしたらママはしばらくして、

「もしあなたが操り人形で悪い子のピノキオでも、いい子で人間のピノキオでも、ママはあなたのことが大好きよ」

と言って、僕が満足げに笑うと、ママもにっこりと笑って、

「今日はもう遅いから寝ましょう。かわいい私のピノキオさん。」

と言い、僕のおでこにキスをして、僕が眠るまでずっと待っていてくれた。

僕がピノキオだったらやっぱり、いい子になって人間になりたいな。ママは人形でも人間でもいいって言っていたけど、僕がいい子になったら、ママは悪い子で人形の僕より、いい子で人間の僕のことをもっと好きになってくれる。

僕は心の中でそう思って、誇らしげな気分で、ママのためにいい子になろうと決めたのだった。

***

昨日、髪を切った。

この子の髪はいつも私が丁寧に切りそろえている。ほかの人に頼んで、はさみで傷でもつけられたら大変。それに、この子も私以外の人に髪をいじられるのが嫌みたい。一度試しに美容院に連れて行ってみたんだけど、「ママじゃなきゃ嫌だ――!!」って大泣きするもんだから、それ以来行ってない。そのあと結局お断りして、家で切ってあげた。ゆるく巻いた癖が幼いころの自分とそっくり。あの時はこの癖が嫌で嫌でしょうがなかったけど、不思議と今はかわいらしく見える。

私はこの子を愛してる。世界中の誰よりも……。この子を守るためだったら、どんなことだってする。この子は私なしでは生きていけない。私もこの子なしでは生きていけない。

私はこの子のことならなんだって知っている。好きな遊具はブランコより滑り台。でも外で遊ぶよりもお絵かきが好き。最近買ってあげた黄色い帽子がお気に入り。お出かけする時はいつもかぶって出ていく。好きなお話は『ピノキオ』と『ピーター・パン』。特にピノキオは本がボロボロになるまで読んだし、今でも読んでいる。怖い夢を見るとめそめそ泣きべそをかきながら、「ママ……これ読んで……」とお願いしてくる。毎回どんな怖い夢を見たのか気になるのだけれど、それを聞いてしまったらまたこの子が夢を思い出して辛いと思うので、そんなときはそっと「わかったわ」とだけ言って、読み聞かせてやるのだった。

いつものようにピノキオを読み聞かせていると、あの子が突然自分もピノキオだったら、私は人間になってほしいと思うか尋ねられた。私はあまりに突然だったのでどう答えてよいかわからなかったが、しばらく考え込んで少しあいまいな答えをした。そうするとあの子は安心したのかにこりと笑ったので、私も笑顔で答えもう寝るように言って、眠りにつくまでそばにいてやるのだった。

あの子のすべてが愛しい。同時にあの子への愛が、あの子からの愛が恐ろしい。一心に何の疑いもなく私を見つめるあの子の瞳が、私にすべてをゆだねすやすやと立てる寝息が、私は急に怖くなって、部屋から出て思わず発狂した。

ただ、あの子のそばにいてやりたい。ただそばにいてこの腕に抱きかかえ、耳元で愛してると言ってやりたい。

そんなことを考えふと正気に戻ると、今まで自分が何をしていたのか、自分が今どこにいるのかもわからなくなっていた。知っているようで知らない景色。まるであの子のようだ。道路の向こうから誰かが歩いてきた。背丈はこどもくらいかな。見覚えのある黄色い帽子は汚れているけれど、間違いない。あの子がこっちへ向かって来る。

私はそばに駆け寄り、ありったけの力で抱きしめた。すると力強く抱きしめ返してきて、こんなに力が強くなっていたのかと驚かされた。ゆっくりと顔をあげると、そこには血みどろになって立っているあの子の姿があり、私にこういうのだった。

「ママ、だいすき。」

***

20XX年 〇月×日 患者ID *******

△月□日、交通事故にて一人息子A(7)が死亡。葬儀を済ませたのち、鬱症状を発症し夫B(42)付き添いのもと通院。一時退院し、しばらくは通常通りの生活を送っていたが、夜間の徘徊と幻覚症状のため、再度受診。自宅での経過観察となったが、前日より男の子の人形を亡くなったAと思い込み、本の読み聞かせなどを行っていた。同日午後9時ごろ、突然大声をあげながら裸足で家を飛び出していったため、Bが警察に通報。自宅からおよそ2㎞程離れた郊外の空き地にて、倒れている本患者を保護。Bとの事情聴取ののち、本科への入院が決定。現在精神安定剤の投与により、小康状態である。

 

バタフライ・エフェクト/jboy

時空間を可塑的に取り扱うこうした「タイムワープもの」とでも呼ぶべきカテゴリーは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ドラえもん』、『時をかける少女』はじめ最近では『君の名は。』など、もはや一大ジャンルを築くに至っている。時間を巻き戻す、あるいは時間を進めて未来を眺めるというのは人類の大きな夢だ。タイムトラベル系の話というのは神話や民話にも多く見られ、それらが科学技術と結びつきSF作品として語られる場合、時空間は神のもとを離れていく。

エヴァンの父が言ったように、こうした時間、空間を可変化する力は本来神のもので人間が持つべきものではない。これが意味するのは、決定論への反発、懐疑である。すべての出来事はすでにその運命が決められており、その筋書きに沿ってしかあらゆる出来事は起こらないとするこの立場は、キリスト教的世界観のもとで神の権威付けに利用され、人間は神の定めた運命に従って生きるほかなく、神により救済される者とされない者とはすでに決定されているというカルヴァンの予定説に援用された。タイムトラベルが用いられるのは、専ら現在何か都合が悪いことが起こっていて、過去に遡ってその原因に変化を加えることにより、現在の出来事の在り方を変えようというものだが、エヴァンは自らに都合の悪いことが起こるたびにゲームをリセットして、セーブポイントまで戻ってやり直しを行っていた。エヴァンと世界とのつながりはすでに断たれ、もはや自閉した内的世界の妄想にふけっているだけである。あれもこれもと自分の周りの人間をすべて救い出そうとしたエヴァンだったが、最後のシーンで彼はケイシーとの出会いの場面に戻り、その後二人は全く接点を持たないように図ったが、なんとも都合の良い自己犠牲のナルシシズムを感じざるを得ない。ケイシーはエヴァンのことを知らず、エヴァンは一方的にケイシーのことを眼差すことができる。

我々は、すでに起こった出来事は自分の手元を離れ、全く干渉できないところに行ってしまうと思うが、アドラーは現在を変えてゆくことでその過去に起こった出来事の意味を変えることができると説いた。妄想に浸るか、現実に逃避するか……。いずれにせよ我々の未来は暗い。

商品企画書 フィードバック/jboy

  • 手汗王

これだけの内容量で100円程度で実装出来たらすごいと思うが、実際はコストを考えると厳しそう。ただ値段を加味しても需要はありそうなので、普段から日常的に摂取することも考えると200、300円くらいでも手が出ないわけではない。

増量したいときもそうだが、特に体調があまりよくないなと思っているときは特にありがたい。いろんな薬とか飲んで治すのもいいけど、やっぱり飯を食って直すのが一番!

  • みくじ

ルイボスティーというのは初めて聞いたので少し調べてみたが、Wikipediaによると、ルイボスは南アフリカ・ケープタウンのセダルバーグ山脈一体にのみに自生し、この場所以外での栽培は今のところ成功していないらしい。珍しい植物なので、結構値段がするのかなと思ったが、調べてみるとそこまで高価なものでもない。マテ茶などと同様に、普段あまり目にすることのない世界のお茶シリーズの一つとして、注目度は高まりそう。

 

  • 生まれてきてごめん

青汁業界最大の悩みの種はその飲みにくさだが、最近のテレビ東京の青汁通信販売はそれを克服したようだ。大麦若葉にケールにゴーヤ、栄養価の高い緑色野菜を粉末状にして水に溶かして飲むスティックタイプだが、味は抹茶味である。

飲みやすさを追求する場合、比較的糖度の高い野菜や果物を材料に加える必要があるが、それでは野菜ジュースと変わりはない。それらに頼らずに味をつけるのであれば、添加物を加えるしかないだろう。そうであれば、あえて青汁を選ぶ動機はなくなってしまう。

  • ふとん

暖かいワインは、今のところはおそらくコンビニには置いていないので、イルミネーションをやっている近くのコンビニとかでは飛ぶように売れそう。暖かくて甘いワインを飲む習慣は日本にはないが、恐らく受け入れられるだろうという可能性はある。ドイツに行ったときにGlühwein(グリューワイン)を飲んだが、これがとてもおいしかったのでぜひ日本でも手軽に飲めたらと思っていたが、コンビニでこれが飲めたらありがたい。

商品企画書/jboy

● 商品名
『ワンダーブラック』

● ターゲット
主に若年層、特に子供を対象にすれば、その家族にも普及し口コミやインターネットによるさらなる需要拡大も見込める。

● 価格
80円から100円くらいを目安に設定。

● 内容・コンセプト
この商品のコンセプトは、飲料のパッケージを見せないことで、ゲーム感覚で商品を楽しく購入することができる点にある。昨今のスマホゲームの普及などを受けた、いわば「ドリンクガチャ」といってもよいかもしれない。そのため気軽に購入できるよう通常の飲料・ジュースよりも価格設定を低くし、気軽に手を出せる、つい手を出してしまうようなものを目指している。
ではいかにしてこうした低価格設定を成し遂げるか。パッケージを見えないようにするため、350mlか500mlのカンでの商品開発が望ましい。用意するのは売上不良の飲料、または企画段階でテスト中の飲料だ。こうした飲料のもともとのラベルの上から、商品が分からないように新たに上から黒いラベルを張る。顧客は、この黒ラベルの商品を購入し、上のラベルをめくると下の本物のラベルが出てきて、中の商品がどのような飲み物なのかがわかるのである。
さらにここでもう一つ工夫を加える。先ほど説明したように、本体の商品として選ぶのはあくまで売上不良、もしくは企画段階の商品である。本体のラベルのほうにURLを記載し、インターネットにアクセスをしてごく簡単なオンラインアンケートに答えてもらうことで特典が得られるという仕組みにすることで、弊社ではそうして集まった意見、ニーズを商品開発や改善に還元でき、顧客にも恩恵が与えられる。具体的には10ポイントたまったら1本商品と交換したり、URLを読み取ったらその場で抽選がなされ景品がもらえるといった具合である。

簡単なスケッチ
● 予想される問題点
既存の商品に黒ラベルを効率的に貼り付けるにはどうするべきか。人の手でやるのか、機械を導入するのか。いずれにせよその部分のコストは生じてくる。

URLでアンケートの管理をするので、リンク先のサイトを開設し、管理する必要がある。

エントリーシート/jboy

  •   素敵な人生を送る十か条(というより言葉!)
  •   人生に失敗はあるけれど、失敗の人生はない!(高校の時の担任のありがたいお言葉)

この言葉に何度も救われた。先生ありがとうございました。

  • Always do what you are afraid to do.最も困難な道に挑戦せよ(最近話題のうちの高校の格言)

意訳がイカす人生の訓示。

  • ž   日本酒は水と一緒に飲むんだよ(母)

酒は飲んでも飲まれるな。母からの教え。

  • ž   ルールを決めるのは、強者だ。金と権力のある奴らだ。強者は自分に都合のいいルールを作る。だから、いつも弱者がわりを食う。(闇金ウシジマくん)

学校では教えてくれない社会の真実。

  • ž   社会のルールは頭のいい奴の都合のいいように作られてるんだ。(ドラゴン桜)

ウシジマくんと同じ心に響く「本当のこと」

  • ž   先生はえらい(内田樹)

ご存知内田樹の同名の著。すべての学ぶものへ送られた言葉。

  • ž   ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから(The Blue Hearts 「リンダリンダ」)

一世を風靡したブルーハーツの楽曲中でも特に好きな言葉。こう言う感性を持っていたい。

  • ž   精神的に向上心のないものは馬鹿だ(夏目漱石 『こころ』)

その通り。

  • ž   すべての良い事柄は、遠回りの道を通って、目的へと近づいていく(ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語りき』)

人生に近道なんかなく、自分が回り道をしていると思っていてもそれは実は最善の道であるという希望に満ちたニーチェのお言葉。

  • ž   生きろ。そなたは美しい。(宮崎駿 『もののけ姫』)

今思うと『リンダリンダ』と似ている気がする。

 

  • 我が子へ送る大学進学アドバイス

 第二志望の大学に行け。そうすればおまえは満足することなく、ハングリーに成長することができる。それは妥協じゃなくて、視野を広げることなんだ。

父さんも第一志望の大学に落ちたが、今ではあそこで挫折を経験してよかったと思っている。挫折を知らない人間は、全然魅力的に見えないんだよな。だからお前には、不本意だけどたくさんの失敗をしてほしい。大学もその一つだ。たくさんたくさん失敗して、もがき続けた先にきっと何かがあるはずだから、挑戦することをやめないでほしい。

 あと、友達は考えるように。足の引っ張り合いをするのは友達じゃない。お互いに切磋琢磨して高めあえる人だけにしなさい。以上。

 

  • 立方体を使った新スポーツ

 『立方体ブラックジャック』

 すべての面に16までの同じ数字が書かれた50cm四方の立方体がある。それぞれの個数は、16個、25個、34個、43個、52個、61個である。31チームとなり、最初は中央に配置された立方体、または相手チームの立方体をとりに行ったり、自分のチームの立方体を相手チームにおいて行ったりする。この時チームで立方体をとりに行けるのは1人だけで、また同時に持ち運びできる立方体の数も1個までである。チーム内で立方体をとりに行く人は、ローテーションして回さなければならない。こうして自分のチームの立方体にかかれた数字が、合計で21を超えないように21に近づけていき、最終的に最も21に近かったチームの勝利となる。ただしこのゲームでは21を超えた時点でドボンとはならない。

 このスポーツの醍醐味は、周りを見渡し状況確認をする頭の回転とそれを運動として表現する技能である。自分のチームの数字の把握と、相手チームの数字の把握を同時に行わなければならず、次の行動は素早くしなければならない。人数やチーム、使う立方体の数は、プレーヤーの習熟度を考えて適宜変えても構わない。

 

  • あなたをものに例えると何か

ポータブル充電器

別になかったらなかったでいいけど、あったら安心、なかったら心細い。そんな風に生活を豊かにするポータブル充電器のように、周囲の人に資することができる人間だから。たまに充電が必要。

 

  • 今までで忘れられない味は?

冷たい富士山の雪解け水

自分が小さいころに通っていたスポーツクラブで行われていた、毎年恒例河口湖45日の地獄の夏合宿。合宿が近づくにつれて胃が痛くなるほど嫌で辛かったし、無理やり飯食わされて拒食症にもなった。たぶんいま同じことをやったら問題になるくらいのきつさと厳しさだった。あの時は練習中に水を飲んではいけなかったので、階段が上がれなくなるほどきつい練習をし終えた後の水道水が唯一の救いだった。富士山のふもとの合宿所だったので、そこの水道で流れる水は、キンキンに冷えた富士山の雪解け水だった。「忘れられない味」ではないかもしれないけれど、自分にとっては思い出の味だ。

 

  • 3000万円あったら何をする?

マンションを購入して、長い目で見て不労所得で3000万をさらに増やすことを考える。何があるかわからないので、500万から1000万くらいは貯金したい。とりあえず目先のことですぐに使うようなことはしない。

 

でもマジレスすると、家業の借金がまだ残っているらしいので、とりあえず親父に3000万あげて借金に充ててもらうと思う。

ダンサー・イン・ザ・ダーク/jboy

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、この作品の中で印象に残ったシーンはいくつかあるが、とりわけ後半の二つのシーンは自分の心に残った。それはジーンにとって、母が必要か目が必要かというシーンと、セルマがジェフに目の病気が遺伝するとわかっていながら、なぜジーンを産んだのかと問いかけられるところだ。

 ジーンにとって母が必要か、目が必要か……。セルマがこう自分自身に問いかけたとき、セルマは「目だ」と即答した。そして、「あの子だけには孫の顔を見てほしい」と言った。すぐに気づくと思うが、ここでの孫とはセルマから見たジーンの子供なのであって、視点はあくまでセルマ自身の発言なのである。つまりセルマの「孫が見たかった」という願望の表れでもある。その論理で考えるならば、ジーンにとって母が必要か、目が必要かという問いは、セルマにとって母(支援)が必要か、目が必要かという問いに読み替えることもできそうだ。

これは単なる揚げ足取りではなく、重要な問題を孕んでいる。それは、母親の愛(これは愛一般にも通じるところがあるかもしれない)が、つねに一方向的で、対象の反応やその影響は埒外に置かれてしまうということである。事実後半は一切ジーンが出てこず、セルマを含めた周りの大人たちの動きだけが映し出されている。こう聞くと、結局セルマの自己満足に過ぎないようにも思えるが、どうにもそんなに単純ではなさそうだ。セルマは「母親」というある種の職業病に罹っている。

 

自分が母親なんだから、この子を守らなくちゃ。この子の幸せが唯一の私の幸せ。

 

ここで後者の問いを考えよう。目の病気が遺伝するとわかっていながら、セルマはなぜジーンを産んだのか……。涙ぐみながらセルマはこう答えた。

「赤ちゃんを抱きたかったの。この腕に。」

この返答は「わからない」と同義だ。あるいは「それが母親というものだから」でもいいかもしれない。なぜかわからないけど、「自然に」母親の気持ちになったし母親になったのだ。ここでの目の病気はまた重要な役割を果たす。それは遺伝する、即ち運命によって決定づけられているということである。セルマには遺伝の疾患=運命が「視えて」いる。一方でジーンにはまだそれが「視えて」いない。このことは母親の愛の構造とちょうどパラレルな形をとる。ジーンは結局訳も分からないまま手術を受け成功し、母が抱えていた運命に気付かずに過ごすだろうが、それを誰かから聞かされたらいったいどんな反応をするだろう。

 

バックラッシュ! 総括/jboy

 ゼミやスタジオの中で常に話題に上ることの多い「男と女」。今回改めて一度考え直したいということで、『バックラッシュ!』を取り上げたわけだが、どうにも着地点が見えないというか、ふわふわと落ち着かないまま議論が進んでいった印象がある。班で集まって話していてもどこか要領を得ないというか、ずっと堂々巡りだった。

 そもそもこうした2項の対立したイデオロギーは、多くは揺り戻しの道をたどるものだ(教育における「ゆとり」、「詰め込み」の行き来はすぐに思い出すことができるだろう)。それが直接的に「やっぱりジェンダーフリーなんていらない。よし、戻そう」といって、そっくりそのまま戻るわけではなく、何か新しい要素、あるいはもう一方の対立するイデオロギーの考え方を織り交ぜたものへと変化したものが台頭するが、根っこにある核となる部分の傾向の揺れ動きという点は変わらない。ここでは大雑把に「男女平等」と「男女固定」の対立軸だ。

 こうした大きな視点の中で見ていくなら、今の時代趨勢は男女平等に傾いている、もしくは男女平等が当たり前に叫ばれる時代になったといってよい。こうした男女平等や男女固定といった価値観を考えるとき、視点は男性だが主題は女性である。男女平等が標榜される背後には、確実に「女性の社会進出を促す」という裏返しのメッセージがある。男女平等が本質的にもつこうした二律背反、男女平等が掲げられているうちは、男女平等が達成されないというパラドックスに対する批判としてバックラッシュの考え方があるともいえそうだ。

 よく出てくる議論に、日本は先進諸国の中で最も男女平等度が低いというものがある(2017年度最新版では、144か国中114位、日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22985930R01C17A1CR8000/)。

経済、教育、政治、健康の4分野からなり、それぞれ114位、74位、123位、1位と、相当ばらつきがある。特にアカデミックな分野や、政治分野での「女性」の参画度が低いという評価だ。先にも示した通り、どのサイトや新聞記事などのメディアを見ても、このトピックの見方は男女平等ではなく、女性の社会進出への評価であり(もはや同じ意味?)、このランキングの価値基準もいかに女性が社会参画しているかにあることは間違いないだろう。

女性の社会進出を広い意味での「承認」に当たるものとして考えると、女性にとって「愛」と「承認」の二つの道が完全に別の方向を向いているということが、女性の生きづらさへと直結している。「愛」とはすなわち男に選ばれるということ、旦那と結婚し子を授かり母となる道だ。一方で「承認」とは、先ほども確認した通り仕事と自己実現の領域である。斎藤環も指摘する通り、この両者を両立するには「およそ人間業とは思えない」ようなポテンシャル、努力が必要になってくる。「男は外で仕事、女は家で家事育児」といったような、典型的な全近代的な考え方において女性は悩む必要がなかったが、「承認」への道が開かれた今、女性は悩む権利を「女性自身」によって与えられた。「幸せ」に向かって開かれた自由で膨大な選択は、開かれれば開かれるほど女性を苦しめているのだ。

『バックラッシュ!」要約/jboy

『脳と科学と男と女 -心脳問題〈男女脳〉編』 山本貴光・吉田浩満

 21世紀は「脳の世紀」と呼ばれる。急速に発達した脳科学によって、様々な分野での研究が進んでいるが、男女の性差に関する研究も盛んにおこなわれている。一般人には専門書はさておき、我々が手軽に触れられるのは研究成果を入門者向けに解説した啓蒙書や、それらを応用した恋愛論や人生論ということになる。本稿ではこうした脳科学に基づくとされる性差についての言説を読み解く際に、念頭に置いておきたいポイントを簡単に述べたものである。

 脳の性差についての言説に当たっていくと、結局統計的にみると生物学的な性差に応じ脳にも男女の性差が確認できるが、現実を見ると人それぞれである。では実際に脳の性差にはどのようなものがあるかというと、二つの観点がある。一つ目は脳の性分化の研究である。受精卵から胎児への成長に伴い、どのように変化が生じるかというものである。もう一つが生後の脳の構造や機能から性差を調べる研究である。これらはMRICTなどによって、脳の形や機能の違いを調べるものだ。こうした研究から実際に、男女の脳で構造的な違いがあるということが分かった。他方で機能的な面では、言葉を用いる際に活発化する脳の部位が違うという観察例があったりする。以上のように、脳科学では生化学や神経科学の観点から、脳の性差を明らかにするということが目的となっている。

 これらを踏まえて、「脳科学に基づく」と称している男女の人生論や恋愛論にみられる情報に出会った際に、どう接したら勘違いや思い込みを避けられるだろう。またどのようにそれらを位置づけたらよいのだろう。こうした問題を考える際に、抑えるべきポイントが二つある。

 一つ目は統計との接し方である。例えば男性は「システム化」(個々の事例を全体の中に位置づけ組織化する)、女性は「共感」の能力が高いとされるが、個々人では「そうそう」と頷く人もいれば、「私は違う」と首を横に振る人もいる。要は集団を対象とする統計情報を、直接に個人に当てはめることはできないということである。それどころかあらぬ偏見にもつながる。一方で統計は信用できないとはねのけるのも、また別の間違いを招きかねない。大事なのは統計をあくまで統計として理解し、その信憑性を吟味することである。

 二つ目は「ヒュームの法則」だ。これは「~である」という事実の中をいくら検分したところで、「~すべきである」という価値判断を見出すことはできないというものである。価値判断は事実の中にあるのではなく、もっぱら我々の中にあるからである。ひとが「である」から「べきである」に移行する時には、必ずそこに飛躍がある。飛躍自体が問題なのではなく、それがいったいどんな飛躍なのかということが問題なのである。脳科学と性差の言説にも同様のことがいえ、脳科学が解き明かした「である」という事実に対し、だからといって「べきである」というような主張やアドバイスに結び付けることが問題なのである。

 

 

 

『バックラッシュの精神分析』 斎藤環

 この種の話題を論じるにあたり、精神分析の立場はつねに「ジェンダー」を前面肯定してきたことをはっきりさせ、斎藤はあくまで精神分析の立場を貫く。それはジェンダーをめぐる議論にある種の公正さを導入するためである。

 「バックラッシュ」をめぐる議論について、ある種の「実感」に訴えかける「素朴さ」や「分かりやすさ」があり、根絶しがたいしぶとさを発揮する。例えば西尾幹二・八木秀次共著『新・国民の油断』で、「生理的宿命」について述べているが、これはバックラッシュがオカルトに対して持つ高い親和性の露呈である。斎藤は、「ジェンダー」格差が少しでも不利益をもたらすような機会はより少ないほうが好ましいという、穏当な主張をしているに過ぎない。

 バックラッシャーの主張は、性差は生物学的な区別以外の何物でもないという素朴な印象論に過ぎない。しかし一方で、この素朴さが形を変え何度も反復されて、都度共感を得てきたという問題がある。こうした素朴さの一例として、内田樹・三砂ちづる共著『身体知』について検討する。両者に対し、内田がフェミニズム嫌いを装うパフォーマンスによって、そこに本質的なものがあると錯覚させること、三砂の「身体性の肯定」がはらむ政治性に無自覚な態度は、論理的に見えて前提が決定的に間違いというオカルト的なものであると評している。彼らの無責任な放言は、バックラッシュ陣営の身体的決定論を間接的に後押しする。

 ここで代表的バックラッシャーとは言えない二名を取り上げたのは、彼らのように糸の有無にかかわらず、ある種の身体論がバックラッシュを補強する可能性について警戒を促すためである。バックラッシュの重要な争点の一つは、「自然な女性性」と呼ばれるものを肯定するか否かということである。バックラッシャーたちは、女性の自然な身体性は自明のものであり、フェミニズムこそ不自然な女性性のねつ造であるという本質主義的な主張に依拠するものである。斎藤はこれらに関して、「精神分析」がとりうるある種の倫理的役割にまつわるものを主張する。精神分析は、女性性を最初から事後的に構成されたもの、即ちジェンダーとみなし、セクシュアリティを存在論の基底に据えた点に思想的独自性がある。フロイトの精神分析の出発点は、ヒステリーこそが、女性的自然の一典型でありそこにいかなる本質的な身体性も持たないというところである。斎藤はその意味で、精神分析は身体論のオカルト化に対し抑止効果を及ぼしうるとも考えている。

 一方で、フェミニズムと精神分析を接合させようとする試みに多大な抵抗が生ずるのは男性中心主義とみなされている偏見のために避けられないが、エリザベス・ライト著『ラカンとポストフェミニズム』ではそれにある程度成功している。彼女が主張するように、ラカン的には、男女はともに身体性において「ペニスの欠如」という不完全さをまぬかれない存在である。性差とはその意味で、不完全さの構造的差異に他ならない。だからこそ「ジェンダー」は、つねにすでに本質的な属性であるかのように、その都度構成されるのだ。そしてこうした「事後性」こそが、「ジェンダーの科学」の本質であると斎藤は確信する。語る存在である人間が、つねにすでに性的存在でもあるほかないという事後性に依拠することこそ、ラカンによるフェミニズムの可能性の中心がある。この事後性とは一回的事後性であって、バックラッシャーの主張するような本質論や決定論とは無関係なのである。

 ここでジェンダーの選択の自由とは、セクシュアリティがつねにすでに構成されたものとしてあらわれるために、事後的に自らのジェンダーを主張する権利と言える。精神分析は、バックラッシュ批判という文脈において和解と共闘が可能であるばかりか、さらなる倫理観の構築の可能性をも秘めている。

哀れな男たちに魂の救済を/ネット記事/jboy


 

 

昨今ワイドショー、テレビドラマでは取り上げられない日はないといっても過言ではない「浮気」「不倫」のテーマ。

もはや食傷気味にもなったこのテーマが、繰り返し繰り返し何度も語られる一方、今尚色あせることなく人々を引きつけるのはなぜだろう…。「また芸能人の不倫か…」とぼやきながらも、一方で不倫を扱う作品は鑑賞し松居一代のYouTubeを囃し立てながら見ている。嫌悪と一種の羨望の同居した、複雑な心的様相を「不倫」に見ることができる。

筆者の鈴木涼美は元々面白いなと思っていた人だったので、記事の内容と筆者に注目して目を通した。慶應在学中にAVに出演した経験を持ち、著書に『「AV女優」の社会学   なぜ彼女は饒舌に自らを語るのか』というものもあり、女性の性への関心が高い。確かこれは大学院の修士論文だったような気がする。

 

話は少しそれたが、この記事の内容も女性目線の視点が多い。そしてその中では既婚男性と未婚女性という、いわば「不倫界の王道」とも言うべき環境で、「貧困型」と「富裕型」という2つの不倫タイプに分類して考察している。そして「男に決定権はない」という強い言葉が述べられている。既婚男性側の妻の不信感には関係ないし、不倫している側の女性のさじ加減次第という意味で用いられている。

 

先日から、何か男がとても肩身の狭い状況を強いられているような心持ちがしてならない。自他(男女)共に認める「男ってバカね」という言葉では、表せられないような哀愁ともいうべきものが男の背中から溢れ出ているのだ。

極め付けは「旦那デスノート」の存在である(先日ゼミで取り上げた)。中には男以前に、人としてやばいやつもいるが、そこで繰り広げられるものは、目を覆いたくなるような罵詈雑言の嵐だ。自分は結婚もしていないのに、見ているだけで心が痛い。いつから男性は、こんなゴキブリのような扱いを受けるようになってしまったのだろう。

そんなことを思いながら、今日もjboyは同胞たちの哀しき背中に想いを馳せるのであった。

文集オンライン

http://bunshun.jp/articles/-/3400

参考:旦那デスノート

http://danna-shine.com/

↑なんてったって、アドレスが「旦那死ね」だもの。

元キャプテンで打線組んだ/物申す!/jboy

うちの部の元キャプテン(ついこないだまでキャプテンだったけど、ほぼ降板させられた形)が、まぁひどい人だったので、そいつの所業で打線を組んでみた。事細かに書きすぎるとバレる恐れがあるので、一応ここではうちの部を仮にフォークダンス部としておく。

1. 練習は来ないのに、サッカーの応援は行く(中)

説明不要。そしてその模様を惜しげもなくTwitterで拡散するというアホっぷり。全部見てますから!!勉強で忙しくて練習は来れないのに、サッカーの応援はいけるんですね。不思議。

2.突然長友にいちゃもんをつける(遊)

オフで帰って来て平愛梨とのツーショットをTwitterに投稿した長友選手に、「やる気あるのか?見ていて不快。」などと訳の分からんリプを飛ばす奇行っぷり。ちなみに練習はこの時も来ていない。

3.試合前の大事な会議をすっぽかす(一)

これは個人的に一番印象深い事件。関東フォークダンス大会前日のこと。参加校は主将会議に出席する義務があるのだが、当日体調不良で練習も休み、誰か代わりに行って欲しいとのこと。部員たちは予定が入っていたので、会議だけは参加して欲しいとお願いしておき、彼が会議に行っているはずだった。

そして翌日、試合場に着くともらっているはずの資料がないことに気づき大会本部に行ってみると、うちの大学だけ会議を無断欠席していたことが発覚。俺はただただ頭を下げるばかりであった。

4.教習所の9ヶ月の期限切れで免許取れず(DH)

もはや伝説と化したエピソード。教習所の申し込み時に、特典でディズニーチケットが付いていたそうな。ディズニーチケットに目が眩んで、自らの無能さを少しも顧みず、安易に教習所を申し込んだ末路である。30万円でディズニーチケットを買ったに等しい。代償は大きい。

5.彼女がブスメンヘラ(部内)(捕)

その通り。異論は認めない。

6.試合の申し込み期日を忘れる。その後俺が先生方に謝る(右)

これはもはやおきまりの鉄板みたいなもの。俺が大会運営の先生に謝罪のメールを送り、顧問の先生に謝罪の電話をかけるまでがセット。

7.中間発表の「3日後」の試合をサボる(二)

5億歩譲って中間発表「3日前」ならまだわかるよ。でも、「3日後」って、、、。暇やん。

8.無断で試合欠席(左)

これはさっきの関東フォークダンス大会の時のことだが、結局本人はあの場にいない。ブスメンヘラに話を聞くと、どうやらTOEICを受験していたそうだ。部員には説明したと供述している。ここでお前に言いたい。相手が返事をしない挨拶は挨拶ですか?否!

9.音信不通(三)

基本的にこれが諸悪の根源と言っていいかもしれない。基本的にラインやら電話やらメールやら、およそ連絡手段と呼べるもので奴とコンタクトは取れないのだ。研究室に行って拉致しようかと本気で考えたほどだ。

 

先発:ちんこがでかい

……

中継ぎ:年末のミーティングで突然先輩に噛みつき、部の雰囲気を乱す

現役だけで話したいとか言って、コーチとして面倒を見てくれたOBの先輩方をシャットアウトし、結局一人の先輩と口論になり最悪なムードに。そのあと別個で「今後どうするミーティング」を自分たちだけで開いたのはいうまでもない。胃が痛くなって来た。

抑え:キャプテン降板

夏の大会の主催がうちの大学なので、音信不通で練習も来ないキャプテンだと流石にまずいので、結局キャプテンを降板することとなった。例年秋の大会で引退し、そのまま幹部交代という形をとるが、今年は異例である。