なべしま のすべての投稿

儚いプリン/遺書/なべしま

ポムポムプリン…サンリオの有名なキャラクター


遺書というものについて書けというので一考、そういえばと思いついたのはポムポムプリンであった。遺すものとしてこれはどうかと思わないでもないが、最後である、与太話も許されたい。要は誰か賛同する者がいるかどうかなのだ。
私はポムポムプリンを見ると苦しくなってくる。


古典には諸行無常という言葉があるが、強いていうならばポムポムプリンはこれに似ている。だがポムポムプリンはそのような快い広大な世界ではない。
諸行無常というのは、季節の移り変わりのようなものであろう。花が萌え、雪が降り、そして呆気なくそれらが移り変わるのは淋しいものだ。だがそうした過程は過ぎ去るのみでなく、巨大な輪廻の輪の中にある。それは人のものでなく、世界の理だ。


だがポムポムプリンは違う。
奴は人の身において、人の領分で、そうした滅びゆくものをまざまざと見せつけてくるのだ。ただ今ある一瞬のみを切り取るために、この一瞬が意味するものは滅びしかない。後世に残るものではなく、ただ単に過ぎ去るのみである今の時間を残酷にも突きつける。その滅びとは、私の若さであり、財産であり、毎日を重ねる中で当たり前にように存在し、失くなるということを意識しないものだ。意識昏睡に陥り、50年後に目が覚める感覚が近いだろうか。心臓が締め付けられるようだ。この感覚は、相手を愛するあまり壊してしまいそうな感覚とはまるで違う。こっちが死にそうなのである。


勘違いしないでほしいのだが、私はポムポムプリンのことが好きなのだ。愛らしいむちむちと太ったフォルムに、実は犬であるという驚き。抱きしめたい。離れた、つぶらな瞳は無垢な印象を受ける。
愛おしい。だがその可愛らしさは虚しさと表裏一体なのである。


なぜこのような感情を抱くのか、その理由としては、失われた子供時代、黄金時代を思い起こさせるためかもしれない。喪失感がポムポムプリンの根底にあるのだろう。
余りに単純すぎる答えかもしれない。だがオッカムの剃刀よろしく、意外と答えはそんなものかもしれない。


こんな考えを一人で抱え込んでいたが、心当たりのあれば是非ともお聞かせ願いたい。身近にいる無邪気なキャラクター、奴らは何かを訴えかけてはこないだろうか。

雪女/全部雪のせいだ。/なべしま

不意に夜中に散歩に出かけるときは山上百貨店を十字に通る、大通りを利用します。洗い上がった髪を夜風に当てながら夜なのに不思議と清々しい凍ったような空気を浴びる夜の散歩は、一ヶ月前、出し忘れた郵便をポストに届けようと外に飛び出した水曜日の夜からの私のちょっとした楽しみでした。それも月が替わるに従って少しづつ寒くなり、今は夜の散歩は分厚いコートを羽織りきちっと襟巻を巻いてからの、散歩にしては少し仰々しいものとなってしまいましたが一度出来た習慣というのは自分を縛るもので、もっと言えば少しばかり癖になっており、湯上りの身体を夜風にさらして孤独と静寂を味わいたくもありました。

山上百貨店には大きな展示棚を備えた大きな窓が六つ、ぐるりと巡り、今は婦人物の手袋やら、パラソルやらがお目出度い鯛や破魔矢とともに飾られていました。いつも世の行事には置いてけ堀を食らうので、忘備録であり、暦でもあります。どれもこれもお目の高いご婦人たちの眼から離れ、昼間の喧騒とは程遠く、見るものは私だけの贅沢な時間です。中には入ったことはありませんが、きっとこの窓に劣らぬ品々を、華々しい少女たちが手にレース、腰にモスリンを纏い、襟巻を広げて見せ、物腰、足づかい洗練され軽く、舞踏会の様相を呈しているのでしょう。ところがそんな飾り窓を眺める人物は、今日は私だけではありませんでした。

それは真っ白い哀れな女で、折檻の隙を見て逃げ出してきたような雰囲気であります。帽子を取り、ほんの少し頭を下げますと女はじいっとこちらを見たようで、ただ何も言い返してはきません。胸からそっと時計を取り出してみますと日付を超えた時間。人畜無害な住民であります私でさえ警邏に声を掛けられてもおかしくありません。あの女は薄絹一枚の凍死しそうな姿で、それでも指先を赤く染めることもなく、指やつま先が壊死しているのか、可哀想な女であります。嫌な女であります。ひとひら、雪が舞い散ってまいりました。寒い夜です。気が削がれ今日は早々に帰路につくことにいたしました。

家の前でコートを軽く払い、ふと薄く張った雪の上に足跡が二重についていることに気が付きました。それは道の途中で途切れてはいましたが、たしかに私の眼にも止まるほどの近さまでしっかりと踏みしめられており、小さな指の五本まで見て取ることもできます。慌てて布団に潜り込み、まんじりともしないまま夜明けの光を瞼に受けて七時を回ったことにほっと安堵しました。
翌日になっても雪の上の足跡は消えることがなく、しかし雪の溶けてしまうと決して跡を残すことはありません。土の上には私のものだけが刻まれます。ひとたび雪の降ると忘れずに足跡は、持ち主の繊細さを見せるのでした。恐ろしかった。しかし一年経ち二年経ちしても相変わらず、次第にまったく気にならなくなりました。私は夢想します。静かに、音もせず、浅い足跡しか残さぬ、綿のような女。雪の降る晩、肌襦袢一枚で立つ女。哀れで厭らしい姿を、足跡をのみで執着しなければならない悔しさ、総て雪のせいであります。

風聞と/プロット交換/なべしま&リョウコ

/共作/なべしま

大学生の頃、夕日が沈むのはもっと早かった。そんな懐かしいモラトリアムは、つい二年前だというのに。午後五時に至る時間の長いこと。鏡に映る顔、剥がれかけの化粧、仕事終わりのやつれた私の姿を見たら彼は幻滅するだろうか。私と過ごした数年間、大学生の拙いメイクに見慣れてしまっただろう、気づかないかもしれない。そう思うと一層、ファンデーションを丁寧に塗り込んでしまう。
 静かなメイク室は超然とした雰囲気を持ち、だから背後の更衣室から怜悧な美人が顔を覗かせた時は思わず目を奪われた。鏡に映る彼女は、その姿を虚像の中にのみ留めているのではないか。一つ飛ばして右隣に陣取り、さっきまで私がやっていた、その倍ほども細やかな手つきで目元に色を乗せる。小さな眼にコンプレックスでもあるのか随分と慎重である。しかしその眼は、つまんだように高い鼻を嫌味なく飾り、顔を見事な配置に落ち着けていた。薄い唇、柳眉、しかし思わず目を奪われるのはその眼であった。薄っすらと浮いた隈、まっすぐな眉をわずかに寄せてまなじりは下がり、その幾分やつれたような様子が数回り重ねられた年齢を思わせる。年月の累積は決して損害ではない。熟れ、それでいて最後には首を切って落ちる椿のように、完成された美を誇ったまま誰かに喰われるのを待つのだろう。この部屋に漂い始めた甘い芳香、化粧のためか、大きく肌蹴させた胸元、胸の肉に埋もれたティファニーのオープンハートの優雅な曲線。すべては完成しかけた彼女の熟れかけた蜜を振りまいていた。
 そういえば一度、彼女の声を聞いたことがあった。
「君って派遣社員だったの?」
とは彼女の上司だろうか。
「ハイ。あのう、何か?」
というものの不安気な言葉とは裏腹で、きちっと彼女は上司を見つめている。ほんの、たったそれだけの会話、それだけしか聞き取れなかったが、高いというほど高くもなく、含むところのあるように感じられる彼女の声を記憶に留めるには十分だった。
気づいてみれば彼女は社内では有名らしく、水を向けるとつらつらと、中でも高卒であって、前職は風俗であったことは特に脂ぎった興味とともに語られた。言われれば彼女は年齢の割にしっとりと引き締まり、服の上からも柔らかくも無駄のない肉を持っていることをうかがわせる。肉体は彼女が営業部の部長と不倫関係にある、という風聞に現実味を持たせていた。見知らぬ営業部の部長は、果たして肉を味わったのかどうか。
 雑念、アイラインがぶれる。
その失敗は私のせいだけではなかったようで、椅子に何かがコツンと当ったのに気付いた。シンプルな口紅だった。
「すいません」
あの時聞いたのと同じ声で謝罪を口にした彼女は、私の足元にしゃがみ込んできた。いいえ、と反射のように口にしたところで彼女の完璧に見えた容姿に一点、鳶色のその髪の付
け根が黒々としているのを発見した。同時に彼女に対して憐れみにも似た同情の念を覚えた。口さがなく語られる噂話の、いくらほどに真実が含まれているのだろう。私もまた俗物同様、肉としての価値をのみ彼女に見ていたのではあるまいか。
普段ならば化粧室など利用せずに即座に帰宅している。今日は彼とデートをする。そのための化粧であった。だがこの化粧を彼女の為に消費するのはどうだろう。
「あの」
「え?」
「今日、このあと飲みに行きませんか?」
「いいですけれど」と言って少し意地の悪い顔で、眼を細めて微笑んだ。
「いいですけれど、あんまり人のことを見すぎです」

幸福節/自分大好き/なべしま

旅の衣はすずかけの、
とはいえ露に濡れるほどでもなくぞんざい、雨天、忘れた傘の代わりに凌ぎ、
心、天にあらず、
やむなし、詮方なしと、求めるは暖。
初詣、願うところもなく、
引けば大吉、悪くて小吉。
春の芽吹きは吉兆、雪とは吉報、
季節折々、霧の立つ朝にたちこめる梅の香。
寝ぼけて道を歩き、
寝ながら段差に足を取られ、醜態も愛嬌、
ただ少し、羞恥に耐えず反省もする。
愛しき人を愛で、愛しき人に愛でられ、
天命は私に微笑み続けている。
行き着く先が、陸奥の
安達ヶ原であろうとも
我が生涯の、寸毫の針の先を切り出して、
どの一片も、幸福。
悔いなし。

生態調査/あったかい/なべしま

獣は高級な絨毯のように毛深く、指がすっぽり埋もれてしまうくらいで、あちこち絡まって目を隠し、爪を隠し、この世の毛糸玉全部を解いて滅茶苦茶に被せたような惨状。汚らしく貧相、見るだけで不幸になりそう。
幼い頃からのこの風貌、忌まれ疎まれ遂に墓守に就任したという。名札もなし、立て札もなし、事前に獣についての予習を怠らなかった彼のような人間でなければ単なる不潔な化け物に見えたことであろう。事実五分前、彼はこの墓場から一目散に逃げ去る人物を目撃している。
彼が礼儀として団子を差し出したらば、獣は茶を出しもてなしてくれた。獣は作法には厳しいらしく、ただ彼の作法は心地良いようで、普段ならば不届き者の脛には噛み跡がつくのが通例であるが、温かい湯気に包まれて和やかに談笑が始まった。

ではお聞きしますがとペンのインクを確かめ、ボードに紙を挟んで、そして獣の様子を、嫌ではないかとチラリと見ると表情は見えずしかし別段気にしてもいないようで、彼はそれではと座り直した。
普段はなにを食べるのですか、と聞くと獣は考え込み、特になにも食べてはいないと返したようである。なにせ獣は口の形状、見えないのだか人間のものとは違うらしく、唸り声混じりの母音のような言語で話す。これを聞き取るには一級の耳が入り用であり、彼には才能があった。獣は毎日空気ばかりを飲んで、吐いて、そこになんの栄養源があるのか、空気中にも微生物などという極微の生物が浮遊しているらしいから、もしかしたら驚異の燃費を誇っている可能性があると記入する。それからもでは団子は食べないのか、いや食べる、他に嗜好品はあるのか、煙草なんかはどうだ、いいや吸わないが燐の香りは好きであるなどの質疑応答。彼は学者であるらしかった。獣の生態を解明し、然るべき地位に分類するという。
それならばなぜ趣味だの好物だのを聞き出すのかはサッパリ判らぬ。終いには電話番号さえ判明した。ペンは持てぬから爪先で粘土板に書き付け渡すほどの優しさで番号の受け渡しがなされたが、獣の厚意に感心するばかりである。

なべしまの友人狐に化かされ鹿を食すこと~孤独(物理)のグルメ~/食レポ/なべしま

春には牡丹、秋の紅葉、季節は巡りますれば花と散る折々を味わわねば損と来たるは丹沢。しかし、これはいかに、はたと見れば丹沢の渓谷はいずこ、五目いなり亭と、鴉の濡れ羽色に染め抜かれた提灯が一つ。
ぼうと見ておりますと、陽に透かすと桃色にも見える細やかな髪を島田髷に結った涼しげな目元の別嬪さんがちろりとこちらを見やりまして、いらっしゃいましとたおやかに暖簾を上げ私を誘います。秋の深い山の中、苔生したような着物の、その髪と似合うこと。
遂にその手に惹かれるままに、その美人の誘いに乗ったのでありました。

その美人さん、うちのシェフ、エエこう見えて洋食屋なんですの、少ぅし難しい人で困ってしまう。先に謝っておきますね、と気遣いを見せる。姐さんそりゃどうもと言うと意味ありげに目を細めて、我が意を得たりと笑うさまの愉しげな様子。
綿の詰まった上質な椅子に着きますとまずは一品目。
「鹿の干し肉でございます」

俗に言う、ビーフジャーキーに似ているが少し柔らかく、甘みを持った醤油の味が心地良い。上に乗ったにんにくが単なる醤油味でなく、燻製にも似た風味が加えられている。獣の灰汁のようなものもない。

こうしてお通しに舌鼓を打っているといつの間にやらシェフとやらが板場で包丁を振るっていたが、その様子は番頭とでも称した方が似合う。客がいるのに無口を貫き通すその姿勢は近寄りがたいものがあった。美人さんが人間嫌いなんですと囁くが、この番頭の様子は愛想というものを親の腹の中に忘れてきたかのようであった。囁きついでにビールを置いていってくれたので、打ち捨てられた番頭の愛想に想いを馳せ、また瀟洒な豆ランプを手慰みにしていたら次なる料理が運ばれてきた。
「鹿肉のシチューと、鹿ときのこのアヒージョです」

なるほど、洋食と名乗るのもうなずける珍奇な料理が出てきたものである。アヒージョにはフランスパンが狐色に焼けて添えてある。それにしてもこのパンは量が多いなと考えていると、どうもシチューにつけるのだというような素振りを番頭が見せるので大人しく食べた。
シチューの鹿肉は先程とは違った柔らかさがあり、とろけるとはいかないものの、ぞぶりと歯を入れ噛み締めるとじんわり、仄かに肉の味がふくらむ。ただ妙なことに、スープを口に含むとブロッコリーの味が広がり、まるでブロッコリーを溶かしてしまったようでもあった。それにさえ目をつぶれば満足。番頭はシチューを食す様子を気にかけており、ははあ失敗したなと想像に難くないが、ブロッコリーの一つで損なわれるような味ではないから安心してほしいものである。
さて慣れないアヒージョであるが、これはそのまま食べると大変塩辛い。がフランスパン、また例の美人さんはバゲットですと得意げな顔で告げていたが、これと同時に口に運ぶのである。この鹿肉はたしかに、鹿肉と想像した通り固い。だがやはり臭みはなく、その為にオリーブオイルとにんにくと、赤唐辛子とを一緒に和えていたのが功を奏し、オリーブを基調に味が整っている。この鹿肉はむしろ食感に締まりをつけるために丁度良いものであった。

食器が下げられ、美人さんが少し消えたのと同時に美味いかと番頭さんが尋ねてきた。細面の割にこの鹿は貴方が獲ってきたのですかと問い質したくなるほど、熊のようなのっそりとした声である。うまかったですと答えると得意げに鼻を鳴らした。照れれば良いものを可愛げのない男である。
まァ珍し、貴男、人間と話出来たんですのと美人さんが煽る。番頭さんも負けじとうるせぇなァ、お前もシナ作りやがって、女みてェな格好してよう、と反駁するも、そンなことを言うんじゃあないですよ、お客様の前で、などと涼風に吹かれたように受け流し、ふんと鼻を鳴らすと綺麗な立ち姿を披露した。少しく驚いているとこの美丈夫は最後の料理を持ってきてくれた。
「ビフテキ、もとい鹿テキです」

鹿のステーキはこれまでにない程の厚さを持っていたにも拘らず、すんなりとナイフが通った。なんでも一番良い部位らしい。中は肉の赤身の残るレアで、ただ血抜きの腕が確かだったのか、下処理が良かったのか、血液が垂れてくることもない。生憎肉汁もまた垂れてこないのだが、それもまた鹿の魅力、脂肪の無い引き締まった肉は胃にもたれることもなく嚥下され、腹に溜まる。鹿は、これと言えるほど際立った味はしないのだが、ステーキにかけられたタレが和風とも、何ともいい難い。何やらの香辛料、辛くはなく、芳ばしい味の、甘みとも酸味ともつかない個性的なタレがステーキの味を引き立てるのに一役買っている。
かくして私は満腹になったのであった。

「うまい!」
という己の叫び声で目を覚ましてみれば丹沢からの帰りの電車であった。きちんと帽子も、コートも羽織っているし、鞄も右手に握りしめている。ハテどうしたことだろうとあちこちを探ってみれば鞄とポケットから甘味が一式消えていた。また紅葉の透かしの入った半紙に流麗な文字で
『五目いなり亭二号館・のれん分け致しました女学生が営んでおります・どうぞ御贔屓に・上星川にて』と書かれており、広告らしかったがちゃっかりしたものである。

というのが私の友人の談であるが、上星川駅の寂れた雑踏を抜け、二号店の味を試したところ大変美味しゅうございました。

ステーキ/食レポ/なべしま

先日早々と忘年会なるものに参加、関内駅から徒歩五分ほどの奥まったところにある、『one’s kitchen』なるお店に行ってまいりました。

今回はコース料理を頂いたのですが、コース料理とはいえ、それぞれきちんと料理がなされておりどれも美味しかったのですが、
なかでもイベリコ豚の岩塩ステーキが一番の美味でした。
なによりまず見目が素晴らしく印象的で、皆さん岩塩はご存知でしょう。
料理に気を遣う家ならばあの小粒水晶のようなのをガリガリ削る岩塩があるでしょうが、まずスケールが違います。
岩塩というより岩盤です。
珊瑚色の岩のような塩が皿代わりに、肉を乗せてやって来るのです。さらにその上に乗っている肉も、岩盤塩に負けず劣らず分厚い。でかい。ベルセルク二冊はくだりません。
なんという視覚の暴力。

この肉を食す際には岩塩を撫で、塩味を加えていただくのですが、これなんと徐々に塩が染み込んで来るのです。
なので鮮度が命、次々と肉を食べても誰も文句を言いません。最高ですね。

焼肉は娯楽といいますが、岩塩ステーキは肉に対する遠慮と策略を捨て去ることができる、肉界の世紀末と言えるでしょう。奪い去る気概こそが力。
簡素で洒落た店内の中で、肉を貪ってみるも一興、中々乙なものなのです。

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胸部二種/夢の対決/なべしま

現在深夜一時、知能は極めて低下しIQは2をきると言われる時間に申し訳なくも文章を書いているものの全く頭がはたらかぬ。
ところで深夜の法則というモノがあって、修学旅行の経験値が物を言うのだがこんな時間には胸部にしか思いをはせられない。

胸部は男女問わず身についているものであり、己の乳を一度は揉んだことがあるだろうが自分のものを揉んでもつまらないのは不思議。しかし両者の甲乙はつけがたい。ともかくそれを議論する今私の理想形を述べてみよう。

まず胸と言えば豊満な女性のたわわな膨らみを思い浮かべる人が多かろう。私も好きだ。大きければ大きいほど良いので貧乳は認めないものとするが、かといって高望みはしない。手のひらで包み込んだときに余るくらいが心地良いのである。大きくてふっくらしたのを手中にするは愉快だろうが、果たしてそれを十分に扱うことができるだろうか。否、己の手のひらに合わせるべきなのだ。己の身の丈を知り、そう手に余るほどの胸を手にして如何とするか、むしろ乳が勿体ない。そのかわり手の形に柔らかく食い込む肉体の妙は他には代えがたい。身体は肉と形容されるが、肉を揉みたければ肉屋に行けばよい、乳というものは不思議な快感をもって優しくこちらの身を包むのである。

かといって胸筋(俗称を雄っぱい)というのも、これはまた魅惑の外見をもってこちらの脳髄を刺激する。しかし、哀しいかな、事実胸筋というモノを手中にしたことは未だなく、極めて自慰的想像の域を脱しないことを謝罪しておきたい。
となれば自然その外見に幻惑されざるをえない。一説によれば鍛錬を重ねた良い筋肉とはただ固いだけの肉にあらず、想像もつかぬ柔軟性を持っているらしい。指を這わせればほんの少し、指先一つ、恥じらいがちに凹むのだ。乳がその膨らみを楽しむものならば、胸は凹みを愛でるものであると言えるかもしれない。
さすれば胸筋は魅力に置いて乳に劣るのであろうか、その感触の快感において乳と同じならば、というのは早まるものでない。胸筋のふくらみというものは乳の膨らみに負けず劣らず強力な魅力を持つ。筋肉のふくらみというものは、己で膨らみ、という魅力を押し殺すような謙虚さが見て取れるのである。乳の膨らみというものはまず膨らんでいる状態が自然であり、つまりそこになんのてらいもない。一方筋肉は己が膨らんでいるとは思っていない。無防備なふくらみ、そこには成長を続ける少年少女のような初々しささえ感じられる。また年を経た筋肉には、おのれで練り上げた上での自身が確固として存在しているのである。なんと複雑な性格を帯びた存在なのであろうか。胸筋とは、見つめられる存在としては、乳の上をいくのではないかとさえ思わせる。

ではどちらを優とし劣と断ずるか。
思うに乳は揉むもの、胸は見るものだ。乳の魅力とはその柔らかさ、優しさにあるとしたら、そこに存在する魅力とは感触に列席をなすものといえる。魅惑の外見も、揉まれることを私たちの意識下に期待させる。
それに対し胸は曲線、そしてどのように見えるのか……着物から垣間見えるものなのか、あるいはカソックのような身体に密着するような衣服の下に主張するものなのか、そうしたものに工夫が凝らされる。そして胸でしかない存在に愛おしさを覚える。

世の中には乳を愛する者の多けれど、胸の愛する者はどうか。いいや、いるのかもしれないが、それが風潮となるには少々肩身の狭い。
乳を持つものも胸を持つものも、是非ともその存在を恥じずに世界に向いてもらいたい。とは締めてみるものの、各方面から怒られそうではある、ジェンダー的に。

美学/大作戦/なべしま

大作戦なんてステキでクールでカッコよい言葉は、怪盗、秘密結社のような、同じくハードボイルドでドキドキする組織にのみ許される称号だと思っていましたところ、私の目前では軽薄な男が妙齢の少女を軟派に勧誘しておりました。
暖かい昼下がりに心地好い喫茶店の、いつか座ってみたいと思っていた露天席を満喫中に、面倒くさい騒ぎは御免です。しかし少女も手馴れたもので、男をサラリとかわして大通りへと消えて行きました。普段ならば歯牙にも掛けない私ですが、その男性が懐から取り出した紙に”恋愛大作戦”と書かれているのを見てしまい、これは一つ何か言ってならねばと向かいの席に腰を据えました。どうせ一つ空いた席なのです。

「な、なんですか」
「あ、どうも……一つ言いたいことがありまして。貴方、それがいけないンです」
と言って紙を指さししますと、ハァと気の抜けた返事をするものですからつい力が入ってしまいました。

「大作戦と名付けるならば、まずそれなりの覚悟が必要なのです。そも、このようなステキにクールな言葉は使う者を選ぶのです。すなわち、貴方は大怪盗になるべき!」
「怪盗ですか」
何言ってんだこいつは、と顔が言っていましたが、返事をしてくれましたことに勇気付けられます。

「さっきの方は麗しい人でしたが、つまりは宝、あなたは彼女を法の網に触れ、指名手配されながらも、掴み取らねばならないのです、わかりますか。最初は失敗こそするでしょうが……しかして経験というものはどうしようもありませんからね。次です次。仕事を休んで嫌がる怪盗がありますか」
「まぁないでしょうね」

とまぁ散々好き勝手言いまして、怪盗なら相棒が必要だ、あらまぁその紙を書いたのは友人ですって?なら二人で頑張るのですと締めて私はお店を出ました。店内が混み始めたのです。
それからしばらく経つと、新聞に二人組の怪盗が多々出現するようになりました。私としてはドキドキして楽しいことですが、そんなに素直に人の言うことを聞かなくとも良いのにとは思います。

箒/片付け/なべしま

うるさい出て行け、の怒号と共に箒で戸外へ掃き出された私は何を隠そうタマシイである。どこの決まりか知らないが、箒というものは霊の類いを外に追いやる力があるらしい。そんなことしらん、と思うが事実その摩訶不思議な力により掃き出されてしまったのが運の尽きであった。何も祟ろう縊り殺そう、そんなことは思ってはいないが心というものは伝わらぬもの。げに言葉とは難しい霊になってさえも。この家に時代錯誤な箒なんぞが未だ文明の利器として栄華を極めていたことが運の尽きで、喧しさにうんざりしていた掃除機が恋しい。奴になら勝てた。

常に霊というものは人間には見つからぬもの、そして動物に感づかれるのは定型句であるが多聞に漏れず、私も一匹の猫に存在を許されていた。常時鼻先を路傍の石に擦り付け尋常でなく痒がるために、仮にノミと名付けて行動を共にすることにした。ノミの行動は広いものの、現在ある家に出入りしようと画策していた。家はじゃぎじゃぎ尖った鉄柵が巡らされ明らかに招かれざる闖入者に対し多分の警戒を露わにしていたが、ノミは五分の魂、蟷螂の斧、果敢にその家への干渉を諦めようとはしなかった。だが家人による実力行使、叩き出されてしまったのであった。

無情な人間どもだと扉を睨めつけると意外、見覚えのある戸板。よくよく観察してみればそれは我が家のよう。懐かしさのあまり窓から覗くと我が娘が低いぷうぷう笛のついた椅子に座り、おやつを食べている。何の因果で霊に成り果てたか、はたと気づいた。全治一ヶ月、入院中の我が身から娘愛しさに離れてしまったのであろう。くだらぬ理由だが娘は可愛い。ともあれ毎日院内を徘徊するのには飽き飽きしていた。許されたし。ノミはやれやれだと言いたげに踵を返して夜陰に姿を晦ました。ありがとうと敬礼するが、ノミは単に邪魔者をどうにかしたかったのかもしれない。