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死に切る/最終課題/眉墨

 

昨日、髪を切った。

就活のために「染めた暗色も似合うね」と高い声で笑った担当の美容師は、わたしが一年のばしていた髪はかんたんに切れても、手首までは切れなかったことを当然知らなかった。

 

オーバードーズで意識を失う瞬間の、重力がいっぺんに重くなるような感覚は、現実に強く引き戻されるようでおそろしい快感だ。

「そんなに必死で現実に生きてる人は居ないよ」

深い意識の海で最後の気泡がぼこっと出たと同時に、ゼミの友人の声が頭の中でリンと鳴った。たぶん、それはほんとうだと思った。

 

夢の中で乗っていた大学に行くのか自宅に帰るのかわからない市営地下鉄の中、乗っている人間の一体どれくらいが自分自身からの逃亡に成功しているんだろう。
はす向かいに座った女子大生は、心ここにあらずの顔でスマホを親指でつつき続けていて、わたしにはそれが羨ましかった。

世の中のたいていの人は、自分に意識があることを、起きているうちの大半、忘れている。
脳みそがあり、自分が思考できること、息を吸って吐いていること、心が動くこと。全てが統合されて一つのたんぱく質の中に収納されていること、この肉がわたしで、あっちの肉は知り合いで、こっちの肉は全くの他人。
そんなの当たり前だから、今更わたしとあなたの境界線に迷わないし、この市営地下鉄の中ではあなたにもわたしにも思いをはせる意味なんてない。

そんな発想が誰に教えられるでもなく備わっているだなんて、なんてみんなは優秀なんだろう。なんて自由なのだろう。
わたしにはみんなが、わたしの1/6の重力で生きている月の人間のような、遠い遠い存在に思えてまぶしくてこわい。

わたしは、起きている間はいつも、無意識で誰かに話しかけている。
相手は知っている人だったり全く知らない人だったりするし、年齢も性別も関係性も実にばらばらなのだが、一つだけ共通することがある。
みんなはわたしを、きちがいだと思っている。

みんなはわたしを無意識に逃がしたりはしない。
月に招いてくれることもない。
6倍の重力を背負ったわたしは、月の住人たちからすれば、視界に入るだけで不愉快になるような痛々しく気味の悪い道化なのだろう。

「どうしてみんなと同じにできないの」

月のおとながわたしを叱る。わたしは縮こまって項垂れる。
けんめいにわたしとみんなは違う星のいきものだということを説明してみるのだが、月の住人にはわたしの言葉が理解できないらしい。
さいごには結局、泣きながら謝って許していただく。
もうきちがいでいいので、かんべんしてください、と。

 

6倍の重りも、月の住人の糾弾も辛くて堪らなくなったとき、わたしは重りと一緒に心中することを選ぶ。
底に足がつくくらい深い意識の底でなら、わたしも月の住民も大差無いだろうから。せめて眠りについたときくらいは、仲間に入れてもらえるだろうから。

 

意識の中でいちばん初めに溺れたのは、中学二年生の冬だった。

当時所属していた吹奏楽部の顧問と驚くほど波長が合わず、ヒステリックな彼女のキイキイという鳴き声に神経質なくらい怯えていた。
人生で初めて後輩を持った中学2年生の春、夏の大会を経て秋、顧問に後輩の目の前で詰られることにすこしの羞恥も湧かなくなっていたわたしはすでに、学校という水槽の中で酸素の据える場所を見失っていた。

ただ小学生の時に任されていたからという理由から、はやくホームルームを終わらせたい一心で促される「自己推薦」の学級委員は、責任と生徒からの不満ばかりを背負わされ、担任からは問題を起こした生徒と共に団体責任として詰られる。

部活にも教室にも、帰っても誰も居ない自宅にも、心の荷が下ろせる場所は無かった。
思い返せばあのときから少しずつ、わたしの足には鉛がつけられていたのかもしれない。

2月14日、企業戦略にのせられた月の男女がチョコレートを贈り合い乳繰り合う日。無意味な拘束ばかりの我が中学にも同様にその日はやってきた。

水面下でこっそりとチョコレートのやりとりがされる教室、漂う甘ったるい匂いに教師陣が気づかない訳が無い。
昨日女子から笑ってチョコレートを受け取った教師に翌日厳しい顔で呼びつけられた。
男子生徒がほぼ去り、温度が急速に下がった2月の教室の床に座らされ、お尻がとても冷たかった。
各クラスの担任が神妙な顔で珍妙な自論を語り、思い思いに怒り、生徒指導が唾を飛ばし、最後に大トリの学年主任へバトンが渡される。

「お前らは、過去最低の学年だ」
過去最低。
はっきり言って、笑ってしまうくらい陳腐な罵倒だった。
のに、肺が酸素を完全に失ったのがわかった。
過去最低。
ははあ、なるほど。わたしは過去最低に不出来な人間だから、顧問にも嫌われるし他の生徒も教師も全員馬鹿に見えて、ただ生きてりゃ過ぎてく3年間がこんなにも息苦しいのか。
だったらもう、全部あきらめてしまった方がいい。

「部活停止」「とにかく全員に謝れ」
ごぽ、と最後の泡が上へのぼっていくのを、もう一人のわたしが冷静に見ていた。

 

あれから5年、無酸素の中どうにかこうにか現実に幻想を見て必死に生きてきたつもりだった。
嘔吐や自傷や過呼吸や、とにかくいろんな場面で笑えないくらいに死にかけたけれど、死んだことは未だにない。

「メンヘラって楽でいいよね」

いろんなこと免除されるもんね、と好きだった人に言われた。
わたしが一昨年、抑うつの診断を受けたことをその人は知っていた。
その人は社会人で、たぶんいろんな仕事を任され、疲れていたのだと思う。
締め切りのある社会からすれば、わたしのように見えない病を理由にある程度の甘えが許されている存在なんて邪魔で仕方がないのだろう。

 

一週間前、付き合ってから一度も会わないままひと月でその人にフラれた。
「お前がすべて悪い」
要約するとそれだけの電話に二時間半、床で尻を冷やしながら付き合った。
中学の時の音楽室が浮かび、もう死んじゃおっかな、と思った。

 

実を言うとオーバードーズは初めてではない。
一回一錠厳守の安定剤ワンシートをアルコールで飲んで床で倒れたことは三回ほど、意識の無いうちにベランダの柵を越えようとしたことは一度だけ。
臓器に負担がかかるからやめなさいと医師から再三注意を受けてはすみません、と涙ぐむのだがどうしても意識を保つのが辛いときついやってしまう。

でも、たかが10錠程度だ。
死ぬつもりでやっているわけではなかった。
今回のように。

途中で治療をやめて使わなかった安定剤と睡眠薬合わせて34錠を焼酎のストレートで一気に飲んだ。美味しくもない25度が食道を焼き、空っぽの胃袋に34粒の白い錠剤が辿り着いたのがわかった。
久しぶりの固形物に胃袋が喜んでぐんぐん吸収して血液中に薬が廻っていく。脳が緩んで思考が鈍っていく。

あと5分。
死なない方がいいんじゃないかなあという気持ちを確実に死にたい気持ちが打ち負かし、切腹を試みた身体がキッチンの包丁を目指して床を這った。目の端に捉えた埃の塊に、もうすぐ死ぬのにもかかわらず「掃除しなきゃな」と思った。

 

 

以降42時間の記憶が無い。
今日、決行日から一週間経ってはじめの来院でその話をしたら、問答無用で血を抜かれ、次に来たときに更に痩せていたら入院です、と忠告された。

 

スタジオ最後の課題がまさかこんな遺書しかかけないとは、実は思っていたけれど、書いてみてあまりの実のない人生に笑ってしまったので、わたしがもし誤って死んでも、その死に大した悲痛と意味がないことだけは強く主張しておきたい。

完全無欠ハッピーエンド/眉墨/バタフライ・エフェクト

 

「お前なんて大嫌いだ。あっちへ行け」

何度過去をやり直しても、身の回りの誰か一人は必ず不幸になる。
日記帳を開くことによって、書かれた過去の記憶のある地点までさかのぼることのできるエヴァンは、初恋の女性・ケイリーと最愛の母親、周囲の友人たち全員の幸福な未来を求めて、何度も未来を選択しなおす。

しかし彼の能力は人間の限界値を越えており、一度遡るごとに新たな選択の結果としての記憶が脳に記録されるため、何度も過去をやり直したエヴァンの脳は20歳前半にも拘わらず人間の100年分以上の記憶を蓄えていた。

何度やり直しても必ず誰かが不幸な結末を迎えるループ、肥大化してはち切れそうな脳。
幾度目かのループの末、エヴァンは母から日記を書く以前、ケイリーと出会う以前まで遡り、初対面のケイリーを口汚く罵る。
「ぶっ殺してやろうか」
「あっちにいけ」
ケイリーとその周囲の人々を幸福にするために、エヴァンはケイリーと知り合うことを拒絶することにしたのだ。
泣きながら走り去るケイリーの背中へ向け、エヴァンは切なげに「さよなら」とつぶやく。幼いケイリーが振り返ることは無かった。

 

結果としてケイリーとその兄は、暴力的な父親から逃れ母と共に暮らすようになり、兄妹は幸福な人生を歩む。
エヴァンは求めていた未来に到達したことを悟り、親友と共に、二度と過去に戻らないために日記を火にくべる。

 

エヴァンが過去に戻ることができる、と精神病棟に閉じ込められた父親に告げたとき、父は「神の真似事をしてはいけない」と厳しい顔で諭す。
ここでいう「神の真似事」とは、いったい何だろうか。
過去に戻り、未来を変えることだろうか。

否、神の真似事とは、「他人の幸せを願うこと」だと私は思う。
非常に耳障りが良く、自慰的な犠牲欲を掻き立てるエヴァンの願いは、ヒーローらしく一見美しいものに感じられる。
しかし、私は、「幸せになってほしい」という純真らしい願いほど危険なものはないと思う。

幸せを決められることほど、苦痛なものはない。
幸福とは、個人が各々勝手に感じるだけのもので、そこに普遍性も共通点も存在しない。故に幸福とは、願われる形で実現されることは決してなく、他人は勝手に幸せになったり不幸になったりするのだ。

本作品において、エヴァンの選択した結果ケイリーが歩んだ未来は誰が見ても不幸なものに思われたかもしれないが、ケイリー自身も自らの幸福が誰かに勝手に与えられる形でやってくることを望んでいたことにも問題がある。

人は、他人を幸せにしてやることもできなければ、他人に幸せにしてもらうこともできない。

幸せとは、個々人が勝手になるものである。

だから、エヴァンがもし、この映画を完全無欠のハッピーエンドにしたいのならば。
医者になった彼とすれ違った、見違えるように美しくなったケイリーを呼び止めればいいだけの話だ。
それがケイリーにとって幸福か不幸かなど、エヴァンにも私たちにも決めることはできないのだから。

第16話《最終決戦‼︎宿命の対決》/シラサキマイ/眉墨

 

「もうやめてケンタ!それ以上戦ったら死んじゃうよ!」

マイの叫びが深夜のグラウンドに虚しく響き、流星の走る夜空へ消えてゆく。身を切るように冷たい北風が、腰を抜かしてその場から動けないマイの皮膚を容赦なく打つ。ざり、と奥歯を噛み締めると砂の触感が脳に響いた。遅れて百メートル先から運ばれてくる錆びた鉄の匂い。ケンタのものだ。

「ダイキくんは…ダイキくんはまだ何か切り札を隠し持ってる!ケンタとは格が違う!それ以上やったら…」
「マイ!!!」

それは呼びかけというよりも咆哮だった。
喉を裂くようなケンタの咆哮が、マイの鼓膜を揺さぶる。マイは知っていた。ケンタがこうなったら、もう私には止められない。よく知っている。生まれてからずっと、誰よりもそばで彼を見て来たのだから。それでも、止めずにはいられなかった。名前を呼ばずにはいられなかった。

キスだけで相手の魂をまるごと奪ってしまう悪魔、ダイキはその能力で自身の力をより増幅させるため、新たな生贄を探しに転校してきた。今やクラスメイトの女子は皆、ダイキの思惑通りキスで全ての心を持ち去られ、昼夜成就することのない恋心を抱えて身をよじって苦しんでいる。
ダイキが転校してきたその日、マイもキスによってその心の半分を盗まれた。
なぜマイだけが『半分』だったのかーー。

「ケンタ……」

日本に初めてやってきた悪魔払いの血を継ぐケンタに、初めからマイの心が奪われていたからだった。本人の自覚があれば、気を強く持っていれば今こうしてケンタを危険に晒すことなどなかったろう。宿敵の払い師との巡り合いに積年の恨みを爆発させたダイキは、本来の力を全て解放して今にもケンタを喰い殺さんとしている。まだ払い師として未熟なケンタに、勝ち目はなかった。

「フハハハハ!!!そろそろ観念してマイをこちらに渡したらどうだ、小僧!!!見たところ貴様に勝ち目はない……今ならば四肢を奪う程度で観念してやろう」

ビキビキ、メキメキと音を立ててダイキの両足大きくなってゆく。腿には太い血管が浮き、細い血管は千切れ、急速に伸びてゆく右手の骨が突き破らないよう皮膚が引っ張られるように追いかけていく。形状としてはヒトを守っているが、ダイキの様相はもはや人ではなかった。

「バカ言え化け物。マイは俺のもんだ!生まれた時からそうだって決まってんだ!テメェなんかに渡すはずねえだろ」

「フン、面白い奴だ。自ら死を選ぶとはな……だがこれで最後だ」

目の前からダイキが消えた。しばしの間。ビュンッ。風を切る音がした。一瞬遅れて、ダイキの動きが音速を超えたのだとケンタは了承した。なるほど、たしかに次が最後の一撃だ。

「ケンタ…!」

しかし、ケンタは冷静だった。全神経を右側に集中させ、自身の右側、何もいない場所に向かって銀の杭を振り上げる。

「トドメだ悪魔!」
「ぐはあっ」

マイは目を見開いた。そこには、杭の刺さった心臓から鮮血を撒き散らすダイキが居た。

「な、なぜ俺の第三の能力を見切った…」
「フン。簡単なことさ。俺は一度、お前の瞬間移動…いや、透明になって移動する能力をこの目で見ている…ッ!」
「なんだと…!?」

そのとき、マイの脳裏にダイキが転校してきたときの記憶がよぎった。
初めまして、と挨拶したその次の間には自分の隣にいたダイキ……そうか、あのとき!

「これで終わりだ。あばよ、ダイキ…」

こうして平和は守られた。
ダイキが消滅したことによって、ダイキに心を奪われていた少女たちはダイキを忘れて日常に戻り、ケンタも、マイもまた、その時のことについては何も触れなかった。

「ねえ、一つだけ聞いてもいい?」
「なんだよ」
「あのとき、どうしてダイキが右側に行くってわかったの?」
「それは…あいつのクセなんじゃねえかなって思ったんだよ。右側に立つの」
お前の席が、俺の左側だったから、あいつは…それに続く言葉をケンタは飲み込んだ。

春の気配を忍ばせた二月の風が、2人の間を吹き抜けた。

クリスマス・ランナー/とにかく明るい小説/眉墨

かれこれ三十分ほど、おれはマリと睨み合っていた。
ひじきの群れ成すマリの目は、赤く充血して潤んでいる。必死で唇をかみしめて嗚咽をこらえている姿は痛ましいが、鼻水も出ているため呼吸が苦しいらしく、鼻を常の倍は膨らませて小刻みに震える姿はどう考えても噴飯ものだ。二人の間のテーブルの上に在るのが泥のようにまずいホットコーヒーだけで本当によかったとおれは思った。

「やぁだ、マリ、マー君と別れたくなぁい」

やだやだ、とマリ(26)は体中の肉をゆする。自業自得じゃないか。同棲してる彼氏の出張中に出っ歯の元カレ引きずり込んでよろしくやってたのはお前だろ。しかも一回じゃないし一人じゃない。マリと出会って付き合い始めてから一年半、こんな別れ話の連続だった。しかし今日、クリスマスの今日、おれは終にこの馬鹿女と別れる決意をした。

「別れようよ、マリ」

決意の一言はシケた駅の地下街と喫茶店とを隔てた窓ガラスに向かって言った。24日の夜の7時、どの店もシャッターを下ろしている。

「別れよう」

 

 

 

 

かれこれ九分ほど、俺は走り続けていた。校内マラソン大会で2位を収める俺の俊足はしかし、もう太ももがはち切れんばかりに張ってしまい鈍って思うように上がらない。しかし俺は走らねばならない。ギュッと目をつぶると、瞼の裏に可憐なオカザキさんの姿が浮かんだ。

オカザキさんと俺の出会いは、忘れもしない春の木漏れ日の図書館だった。大して本などは読まない俺が課題用の本を探していると、図書委員の彼女が優しく声をかけてくれた。

オカザキさんは、所謂不登校の生徒だった。生まれつき身体が弱いため、あまり教室に顔を出すことができず友だちも居らず、ますます学校に居づらくなってしまった。

哀しそうに話すオカザキさんに、イルミネーションを見に行こうと提案したのは俺だ。クリスマスの夜に好きな子と一緒に居たかったという下心ももちろんあるが、一番はオカザキさんの笑顔が見たかったから、ということにしていただきたい。

待ち合わせ時間は午後7時、現在時刻7時2分。
自宅から待ち合わせの地下街の喫茶店まで、2.5キロを疾走する。待っててくれ、オカザキさん!

 

 

かれこれ一時間ほど、シケた地下街で咳き込みながら、店の看板の飾りつけをしていた。たいしてはやらない居酒屋は、クリスマスということもあって他のオシャレな店に客をとられてガラガラだった。
多少飾りつけをしたところで、たいして何も変わらないと思うが、店長は自信に満ちた顔でドン・キホーテの袋を渡してきた。
店の看板を汚さないよう配慮しつつ、電飾や蛍光塗料で派手にしてみる。

「まあこんなもんか……ん?」

頭上で蛍光灯がチカチカと点滅を始めた。途端、地下街から明かりが消えた。

 

 

「うわっ!あっ、すみません!急いでたもので!」

「キャーッ!まーくんどこぉ!?」

「マリ?おいスマホで電気つけろ誰か!」

 

 

 

地下への階段を降り、ラストスパートとばかりに全力疾走でロータリーを走っていた俺は、目標の喫茶店一歩手前での突然の停電に狼狽え、飾り付けをしていた店員さんに思い切りぶつかってしまった。

これが小説なら中身が入れ替わってもおかしくないスピードだったがもちろんそんなことはなく、俺は足に絡みつくロープのようなものを引きずりながら、手探りで喫茶店の扉は手をかけた。

店内は暗く、しかし客が灯しているらしいスマホのライトによってボンヤリと人の位置がわかった。

ライトをつけている方は2人組、奥に不安げに膝をくっつけてる足が恐らくオカザキさんだ。

見えない状態で立ち上がることは危険と判断し、匍匐前進で進む。足にはまだロープが絡み付いてるらしく、数回足を振って払おうとしたが壁にしたたかに足をぶつけただけで終わった。

 

ソファの座席に手をかけ、ゆっくり起き上がる。

「お待たせ!オカザキさん!」

その瞬間、店内が一度に明るくなった。蛍光灯がついたのではない。

「み 、みて!あの人光ってる!」

酒飲み音頭/好きなこと/眉墨

 

三度の飯よりも酒が好きだ。
二十歳を越え、合法的に酒が飲めるようになってから、私に休肝日はほぼなかった。365日、24時間のうち必ず、おちょこ一杯分以上は酒を呑んでいる。

しかし諸君、私をただのアルコール依存症患者と思われては困る。
確かに、一時期メンタルの体調不良により、お医者様から飲むとアタマがふわふわするふしぎなお薬を処方されていた時期はあった。酒に対して大変申し訳ないことをしたと思っている。酒を逃げ場にした己を心から恥じているので、全国酒飲み協会の皆様には告げ口せず、私とあなただけの内緒の話にしてほしい。

酒は、酒飲みにとって日常からの逃げ場ではない。
我々にとっては、酒こそが日常である。

土曜または日曜、何の予定もない17時。
私は必ずといっていいほど、大衆居酒屋のカウンターにいる。
17時の開店したてに滑り込むのは、酒の安くなるハッピーアワー狙い&カウンターを確保するためだ。

頼むのはもちろん、〈ビール〉。
「とりあえず」ではない。飲みたいから〈ビール〉だ。
開会式に何を飲むかに迷ってはいけない。日々酒を呑むのなら、自分がどのようにアップをすればよいかを熟知しておくべきだ。
私が開会式に〈ビール〉を採用しているのは、飲食店店員的視点からすれば最も提供が楽ですぐ出てくる、かつ飲みなれているため、自分の体調がどのような状態かを把握しやすいからだ。

キンキンに冷えた〈ビール 〉を喉を鳴らして半分ほど飲む。
食道のちょうどど真ん中を綺麗に炭酸が滑り落ちていくと、全身の細胞が開会式なのに沸き立つ。最高の快感だ。プハーッ、この一杯のために生きてる!

さて、アップがキマったら次は食事を頼む。
基本的に第一投は、〈すぐ出るさっぱりしたもの〉だ。同時に揚げ物も頼む。余念はない。
美味しい肴を美味しく食べ続けるためには、何よりもそれを口に運んだ時の新鮮な感動を失わないことが大切だ。
ビールは万能なのでこの世のほぼすべての料理に合い、その炭酸と独特の苦みによって先ほど口に運んだ食事の美味さを一瞬でさっぱり流してくれるため、つい甘えがちであるが(私は考えなしにビールを飲み続ける人間を許さない。ビールに失礼では?)、それはビールへの冒涜だ。ビールへの甘えが過ぎる。
それぞれの肴の新鮮さを保つための役割をビールだけに託すのではなく、何にでも対応してくれるビールに感謝しつつ、シャキシャキしたお新香と濃厚な味わいのカキフライを交互に食べる。

ビールの炭酸で程よく腹が膨れた。次に何を飲むかが重要だ。
この時期、白子や牡蠣、カニみそなど特徴的で深い味わいの肴が増えてくる。
となると、必然的に傍に置きたくなるのは日本酒。それも、熱燗だ。
肴が温かいか冷たいか、日本酒の種類は何か、しっかり見極めながら慎重にその掛け合わせを決める。
ほんの少し舌の上にのせただけで破顔する濃い肴が、猪口を傾け流れ込んでくる日本酒と相まって、更に深い味わいになる。
日本酒の米の甘さ、凝縮された海鮮の旨味、それが合わさった第三の次元。心地よい酩酊へ誘われる。

さて、一件目で軽くひっかけた私は、住民の引っ越しが多いために(特に福沢さんは転勤族だし滅多に帰ってこない)寂しがり屋の財布と相談して、二件目を決める。
たいていは一年ほど通っているバーだが、たまに冒険して新規開拓を試みる。
今週の日曜も、17時以降はガラ空きだ。
冬の夕暮れ、美味い酒が飲みたくなったら私に電話をかけてほしい。

「見ない幸福」論/ダンサーインザダーク/眉墨

 

「もう二度と見たくないほどの鬱映画」と聞いていたので楽しみにしていたが、そこそこ幸福な終わり方に思えて拍子抜けしてしまった。

現実すぎる現実を見ずに死ねたのなら、幸福な終わりではないか、と。

恐らく、本作を鬱映画と評した観客は、この作品の「やるせなさ」に注目していたのだろう。

確かに、『ダンサーインザダーク』を、信頼していた隣人・ビルに裏切られ、彼の思惑にのせられて殺人の罪を背負わされ、周囲に誤解されたまま絞首刑に処された盲目の母・セルマの絶望の人生としてストーリーを解釈することは容易だ。

結果としてセルマはビルを、息子の目の手術のために貯めた金を取り返すために殺めたが、金を盗んだビルも、ビルを殺したセルマも、どうしようもない事情を抱えて罪を犯した。
セルマは将来視力を失う運命にありながら、同じ失明の遺伝子を持つ息子・ジーンのために日毎弱くなっていく視力の中で、必死で金を貯めていた。
一方、ジェフは浪費家の妻・リンダを自分の元に繋ぎとめるために金策に走り、結果盲目のセルマの金に手を付けてしまった。

罪の重さやそれぞれの事情を比較することに、あまり意味は無い。
二人は互いのどうしようもない事情のために罪を犯し、観客はそのやるせなさに深くため息をついたのだ。

 

だが、この映画を別の視点で見れば、あながちただの悲劇だとは思えない。

セルマには逃避癖があった。
見えない中で行うきつい仕事を、背負わされた殺人の罪を、刑の執行を待つ恐怖の日々を、彼女は瞼の裏で歌うことでやり過ごした。
このとき彼女にとって、〈目が見えていない〉ことはプラスに働いた。
セルマは厳しすぎる現実が〈見えない〉ことによって、大きな悲劇を真正面から受け止めることを免れることができたのだ。
また、息子の手術後の姿をセルマは〈見ていない〉し、彼女の最期から二番目の歌の終盤、セルマの刑の執行を、親友のキャシーもジェフも息子のジーンも〈見ていない〉。
もし、セルマの目が見えていたならば起こらなかっただろう現実としての大きな悲劇は、皮肉にもセルマの目が見えていないことによって、その衝撃が和らいでしまったのだ。

しかし、この受け止め方によって、最も悲劇を避けた人間は、セルマではなく私自身ではないか?と改めてこの作品の悲劇について考えているうちに内省した。

突きつけられた強烈なやるせなさを、私は「セルマは幸福だった」と言い切ることで自分がこの映画に引きずり込まれることから逃げ出したのではないか?

 

バックラッシュ!要約/眉墨

〇山口智美「ジェンダー・フリー」論争とフェミニズム運動の失われた10年

1995年前後は、日本の女性運動にとって重農な転換点だった。94年には「男女共同参画」審議会がつくられ、その中で「ジェンダー」や「ジェンダー・フリー」、「エンパワーメント」などの言葉が新聞で取り上げられるようになった。

一方で、96年に「行動する女たちの会」が解散したことを受け、「フェミニズムは終わった」「ポストフェミニズム」をテーマにした記事もよく見かけた。

70年代から続いた「行動する女たちの会」は、政府による「男女共同参画」を目的とした諸所の活動により新しい会員が訪れることがなくなり解散、「性差別撤廃」や「性別役割分担」などにかわって、わかりづらいカタカナ言葉が多く用いられるようになった。

女性学が大学でも扱われるようになると、男性学者たちが参入しやすい状況となり、従来の女性運動にかかわってきた層よりも、行政と女性学者、男性のジェンダー学者が「男女共同参画」を引っ張ってきた。

しかし、和製英語である「ジェンダー・フリー」は、文脈によって内容が変わるようなあやふやな訳しか持たず、それゆえ政府はじめ様々な研究者に都合のよい解釈がなされてきた。当然、そこには相応の反論がある。

例えば、行政主導のプロジェクト下で考案された渋谷の「ジェンダー・フリー」の概念は、不平等は市民一人一人の個々の中の問題、すなわち「ジェンダー・バイアス」にあるという問題意識から出てきたものであるとし、従来の実践を前進させる意味で、「男女が一緒に居る世界」という新しい視点を提案したが、いったいどこが新しいのか、と山口は呆れる。
「ジェンダー・フリー」教育の実践としては、第一にじぇんdナーに関する大人側の「しばり」や「とらわれ」に気づき、第二に子どもたちの保持する「ジェンダー・コード」への教師による働きかけが必要だという。
ここには、”意識”偏重なアプローチであることが明らかであることと同時に、「差別の積極的な是正」にはなっていないという問題点がある。

このように、「ジェンダーフリー」という概念の初発は、ラディカルとはかけはなれたものであり、意識にのみ焦点を当てた後ろ向きなものであった。

 

東京女性財団のハンドブックや報告書に用いられる「ジェンダー・フリー」だが、その概念は英語には存在しない。アメリカで実際にこれを使うと、「ジェンダー・ブラインド(ジェンダーを見ないようにすること)」ととらえられる。
「ジェンダー・フリー」は渋谷が教育学者バーバラ・ヒューストンの『公教育はジェンダー・フリーであるべきか?』という論文から、おそらくアメリカでも使われているだろうと引用したのが始まりである。が、実際はヒューストンはジェンダー・フリーを批判し、「ジェンダー・センシティブ」な教育を支持しており、渋谷はじめ国内の「ジェンダー・フリー」派の引用は誤りである。

しかしながら、行政主導のプロジェクトで発表された「ジェンダー・フリー」は急速に全国に広まり、その意味はさらに揺らぐこととなる。また、「ジェンダー・バイアス」の定義もばらばらで、これらの問題を語る際に混乱のもととなっている。

また、「ジェンダー・バリア」という発想まである。
「ジェンダー・フリー=バリア・フリー」と読み替えた東京女性財団の報告書が元とされているが、ここから見えてくるのは「ジェンダー=人工的な概念=悪」という図式だ。しかし、他人が作り出した概念は、かならず取り除かれなければならないのだろうか?

「ジェンダー・フリー」は、それまでの女の歴史を拭い去ることで生まれた概念であるが、その明確な意味は未だ存在しない。

 

 

 

〇小山エミ「ブレンダと呼ばれた少年」をめぐるバックラッシュ言説の迷走

(文字数を省略するため、デイヴィッド・ライマーについてはリンク先を参照してほしい)

ブレンダが日本で注目を浴びたのは、「新しい歴史教科書をつくる会」関係者や保守系総合誌『正論』などが中心となって、「ジェンダー・フリー」教育やフェミニズムに対するバッシングを激化させるようになってからだ。
かれらは双子の症例を、「ジェンダー=社会的・文化的に形成された性差」であることの反例として用いた。

マネーは、新生児の性自認は白紙かそれに近い状態であり、生まれてから比較的早い時期であれば、その子の性別は任意に変えることができると考えた。

それに対しダイアモンドは、性分化障害を持つ子どもたちは生物学的に男女どちらとはっきりしていないからどちらに育てることもできるのであり、そうした症例を持たない男女にその理論は適用しないと反論した。

だが、こうしてみるとわかるとおり、マネーが双子の症例によって語ろうとしたことは、大沢ら現在のフェミニストが主張するジェンダー論とはほとんど何の関係もない。マネーが問題にしたのは、「ジェンダー・アイデンティティ(性自認)」のみである。性自認は社会の中で自分がどこにあるかを規定する自己認識である以上、社会的・文化的に依存したものである。だが、八木はこれを強引に、「ジェンダーがセックスを規定する」を「育ちによって男女の生物学的な性別も決まるのだという主張」へと読み替えてマネーと持論を結びつける。

ここで、双子の症例とは別に、ライマーの例を挙げる。
ライマーも双子と同様、幼いころ自己でペニスを失い、女性として育てられたが、26歳になった今でも自信を女性として認識している。
この二つの症例から言えることは、人間の性自認とは生得的な傾向と社会環境の双方の影響を受けて発達するものであり、どちらか一方だけで決められるものではない、という程度のことしかない。

マネーが責められるべきは、彼の論が間違っていたことではなく、自分の理論を過信するあまり、患者を実験動物として扱ったところにある。
この症例から学ぶべきことは、本人の意思を無視して、他人が彼の性別や生き方をあれこれ変えようとしたことや、「氏か育ちか」という論争に答えを出すための道具として、無断でその人生を踏みにじったことへのあやまちであるはずだ。

人間の性とは、生物学的な要因と、社会的な要因が複雑に絡み合い影響しあうなかで意味を与えられる。そしてその決定権は本人にしかない。悲劇は、特定のジェンダーの在り方が、本人の意思と無関係に、幼い子供に押し付けられたことによって起きたのである。

 

 

 

独裁スイッチ/物申す/眉墨

自分の頭で考えようとしないバカ女、汗だくのくせに臭いケアを怠る男子、金のないおっさん、ヒステリー女etc…
ワタクシ眉墨は、とにかくキライな人種が多い人間です。
中学で同じ教室に居た9割の人間は今でもできる限り不幸になってほしいと思っているし、バイトで一番ストレスなのはお客様のご来店というバイトの鏡です。
実の妹はじめキライな人間を全てブロックした眉墨のガラパゴス・Twitterでは日々汚水のごとき愚痴を垂れ流しており、ワタクシは怒りと嫉妬による胸のざわつきなしでは落ち着かぬ特殊体質になってしまいました。

さて、常に怒り心頭の眉墨が、数年前から喧嘩を売りに売っているある人種が居ります。
皆さま、“腐女子”をご存知でしょうか。
男性同士の恋愛、いわゆるBL(ボーイズラブ)を好む女性たちのことで、昨今では主にTwitterを中心になれ合っております。
ここで正直に申しましょう、何を隠そうこの眉墨も“腐女子”にございます。小学校5年の時分からBLに手を染め、闇に屠りたい暗黒の歴史を歩んできた筋金入りの腐女子にございます。しかも、今現在もTwitter他SNSで好きなカップリングの話を垂れ流す、現役バリバリの腐女子です。

なぜ、腐女子のワタクシが“腐女子”を嫌うのか。

ズバリ、結論から申し上げます。腐女子が色気づき出したからです。
いいえ、もっと正確に。
腐女子が腐女子に対してマウントをとり始め、更にそれを自覚しつつも隠そうとするからです。

これは腐女子だけに限らぬ問題ですが、オタク趣味の人間は2種類に分けられます。ズバリ、リアルの見た目がイケてるか否かです。

Twitterなれ合い腐女子にはオフ会という、画面越しでなく実際に顔を合わせる残酷な催しをよく行います。

そこには主に、小ぶt‥‥失礼、ぽっちゃり又は多少肉付きのいい地味、いえ真面目そうな方もしくは、ガリガリの薄幸そうな方が集います。大抵髪は重たいロングか整髪料を使ってないショートヘアです。眼鏡と一本縛り率も高いです。
しかし、たまにはイレギュラーも居ります。
ハチの巣にされたのか?と心配になるほど耳に穴が開いているファンキーな方や、何の意図か全く分からないゴツイ十字架を首からぶら下げている人、逆にどこに行くつもりなのか尋ねたくなるふりふりのワンピースを着た方です。

しかし、ここに挙げた方はまあ良いのです。腐女子の制服(大幅に気崩してる方も居りますが)をきちんと着こなしています。
問題は、ここに混ざるオシャレな美人です。
先に挙げた池袋しか許されてない制服腐女子とは異なり、今から「表参道でデートなんですぅ」とでも言いだしそうなツラをしてしれっとオフ会に混ざっている。

大問題です。

腐女子界隈では、リアルのコミュニティでのカースト下位者が圧倒的に多いのです。この下位者同士がBLの話を通じて無意識的に傷を舐め合うことで成り立つのが腐女子界隈です。

にも拘わらず参加してくるカースト上位者。
しかも彼女らは、BLの話をするはずのアカウントを、まるでリアルコミュニティ用のアカウントのように使います。
例を挙げれば、「Diorの新作( *´艸`)」とインスタグラムのURLを載せたり、「今日のコーデの主役!」と明らかに靴でなく足にピントを合わせた写真を載せたりします。

いや、BLの話をしろよ!!!!

腐女子ばかりがフォローしているTwitterアカウントで新作のコスメを自慢したり、足を晒したりするのはなぜなのでしょうか。
これは明らかに、イケてない腐女子へのマウンティングではないでしょうか。
マウンティングならそれでもいいから、せめて「腐女子マウンティング、いっきまーーーす!!!」と宣言してくれ!!!
オフ会で「〇〇さんカワイイ~~(⋈◍>◡<◍)。✧♡」と思ってもないこと言わないでくれ!!!

腐女子のガラパゴスは、もはや失われた楽園なのでしょうか。

TO 男性への恐怖心が拭えない

きっと、この相談を書くにも大変な勇気が必要だったと思います。
家族間のことは、吐き出すにはあまりに自分に近すぎる話題でしょうから。
まずは、あなたの勇気を賞賛させてください。

いくら、男女の社会的格差がなくなりつつあると言っても、身体的な差だけは永遠になくなりません。
男性の声帯は時に感情に任せて驚くほど低い声を出すし、細く見えても本気で発揮されたら、普通の女性では抵抗できないほどの腕力を持っていますね。
幼少から続いたお父様の暴力的な威圧に、酷く心が傷つけられ、未だに癒えずここまできてしまった。おそらくそこには、お父様の行動だけでなく、お父様の酷い態度を擁護するお母様への失望も上塗りされているのではないでしょうか。幼い、むきだしの情緒で世界に向き合っていたころのあなたには、酷く辛い環境だったろうとお察し致します。

さて、投稿者様のお悩みの核である男性への恐怖心が拭えない、に関してですが。
私は、無理に払しょくする必要は全くないと思います。むしろ、身を守るうえでとっても大切な要素だと思います。
ただそれだけでは解決には至らないでしょうから、これだけは。
大きな声でサルのように暴れて威嚇するのは、当人の恐怖心や虚栄心の動物的アピールに過ぎません。
ヒステリーを起こす女も、わめき散らす男も根幹の頭と要領の悪さは起こった動物と変わらないのです。
もし、そのような感情を爆発させる動物に出会ったら。
彼らには言語が通じないのですから、何をしても無駄です。
徹底的に無視を決め込み、落ち着いてから話してみましょう。それでまた激昂するようならば、その人は確実に病院送りにすべき精神疾患を抱えています。
どちらにせよ、関わらないのが得策かと思います。
そして最後に一言。
男も女も、殴れば痛いって言うし、たくさん刺せば死にます。
あなたにだって、喚き散らす男を殺傷するくらいの力はあるのです。
何も怖がることはありません。

TO 恋愛以前の悩み事

あなたへ耳障りの良い回答が多数寄せられる中、少し厳しい口調になってしまうのを先に謝っておきます。ごめんなさい。

あなたの「自己評価の低さ」に関する悩みは、ある種のナルシシズムを感じます。
奴隷のプライドとでもいうのでしょうか?
「他人」=「神」だから、きっと他人様はなんでもできるのだろう、そして自分自身は何一つできないのだろう。そう居直ることで、責任をすべて周りの人に転嫁し、自分は従者の身だからと易い立場へしがみついてはいませんか?
さらに言えば、あなたは奴隷という期待されてないからこそ守られた立場において、「神様のくせにそんなこともできないのか」と他人を見下してはいませんか?
自己評価の低さは、あなたを評価している人、好いてくれている人を大きく傷つけます。
自分が素晴らしいと思った作品を、「こんなもの」と作家自身が破り捨ててしまったら、どのような気持ちになるか、想像してみてください。

奴隷に居直ったあなたの捻じれた自意識過剰を治すのに最も効果的なのは、他人との会話と経験だと思います。
他人に共感する必要などないのです。
一塊に見える神様たちも、感情・価値観・感傷、何一つ共有しあえてはいないのですから。
そして最後にひとつ、留意してほしいことを。
あなたの投稿に用いられた言葉はすべて、自傷の言葉です。
このような言葉を使い続けている限り、あなたは奴隷のプライドを捨てられないでしょう。
他人とのコミュニケーションに必要なのはまず、自分に自信があると「みせかける」ことです。
奴隷のプライドを守る自傷の言葉を意識して使わぬようにしてください。
それだけで意味ある一歩が踏み出せると思います。