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昨日髪を切った。/生まれてきてごめん

昨日髪を切った。午前3時の暗闇の中、無造作に伸びていた髪を全てそぎ落とした。街はクリスマスイヴの夜明けを待っていた。

伊勢佐木町は明らかに浮足立っていた。日付が変わろうとしているのに、街は真昼のように明るかった。冷たい潮風が、直接頭皮を撫でる。肩をすぼめながら歩いた。
ふと、高校時代を思い出した。午後6時の青森市は例のごとく雪が降っていた。木曜日の練習はひたすら外を走らされる。陸上部もサッカー部も屋内練習場でぬくぬくと汗を流しているのに、僕たち野球部だけは真冬の吹雪の中にいた。気温は零度を少し下回る程度でも、吹き付ける風と雪に僕らはじっくりとなぶられた。人間は多少の暑さには強いが、寒さには極端に弱い。30分もあれば、僕らが半狂乱になるには十分だった。100メートルダッシュ1本ごとに、笑いがこみあげてくるようになる。30本目に、ようやく自分たちがおかしかった事に気づくのだ。
街の人々は、どうやら自分たちがおかしくなっていることに気づいてはいないようだった。甲高い笑い声、道端に落ちているたばこの吸い殻、すべてが僕の心を荒んだものにする。それでも、特別用がある訳ではないのにこの道を歩いているのは、少なくとも僕の中のどこかに寂しいという感情が隠れていたからだった。

僕は基本的に、人間嫌いである。もちろん友達だと思っている人は何人かいるし、尊敬できるような人物もいるが、必要以上に人と関わらないようにしていたいという思いがある。遊びに誘ってくれたり、向こうから話しかけてくれたりするのは嫌ではないが、それ以上に一人でいたいという感情が勝ってしまう。
人に嫌われたくないから、そういう考えに逃げたのだ。
そして厄介なのは、僕は人間嫌いのくせに目立ちたがり屋であることだ。人が向こうから関わってくるのは敬遠してしまうが、自分から何かを見せてそれを褒めてもらえると、とてもうれしい気持ちになる。でも、それ以上の関りは持ちたくない。自分を好きなままでいてほしい。それ以上何か関りを持つことで、プラスだった自分への印象が少しでもマイナスに傾いたら、僕は自分がまるで生きている価値のない人間だと言われているような気がしてしまう。
これは人間嫌いというよりも、人間恐怖症といったほうが正しいのかもしれない。

さて、話は12月24日午前3時にもどる。この日僕はそれまで生きてきたわずか20年の人生の中で、最も死にたいという感情に近づいた日であった。特に理由もなく、消えたくなった。強いてその理由を挙げようとすればそれはあまりに稚拙なものなので、今思い返せば笑い話である。
その理由とは、終わりの見えない虚無感のようなものだった。
自分はこのまま無駄に生きたとして、何ができるのか、何をしようとしているのか、自分を必要としている人はいるのか。そんなことをひたすら考えていたら、死にたくなった。でも痛いのは嫌いだし、もうちょっとがんばってみようという感情もどこかにあったから、僕は今日も元気に生きながらえている。それでもその日は痛くないやり方で自分を最も死に近いところまで追いやりたいと思って、私は刃物を手首ではなく頭に当てたのだった。
ひんやりとした刃先というものは、いつでも私に死を連想させる。これは僕に限った話ではないだろう。いつでも自分を殺すことのできる物体が私の身体の限りなく近いところをかすめる時の恐怖感と快感は、高校の時初めて自分で髪をそり始めたときから芽生えた感情であった。
そして同時に、到底「愛」とは呼べないが、どす黒いようで実はこの世で最も単純で透き通った感情を覚えた。髪を切り落とすという行為をしている間、僕がただ自分の欲だけを満たしてくれるような存在を欲していることを知った。
その存在こそが、僕をこの世につなぎとめた原因となったのだろう。理性がまだ正常であった僕は、ひどい嫌悪感とは裏腹に、その理性さえ吹き飛ばしてくれるような出会いを求めていた。

12月25日午前0時15分。なんの変化もなかった1日の余韻に浸るはずもなく、僕は家路についた。原付のヘルメットは髪を剃ったせいでぶかぶかで、自分が何をしたかったのかすでによくわからなくなっていた。15分前まではあれだけ追い詰められていたはずなのに、その時僕は「腹が減った」「眠い」以外の感情を忘れていた。
結局、そんなものだったのだ。
2016年が終わろうとしていた。

1年後
2017年12月25日午前0時。
明日髪を切ろう。目にかかるまで伸びた前髪は歩くのに邪魔だった。それでも伊勢佐木町の灯りはまぶしいくらいに僕の目に飛び込んできた。
ふた月くらい前から通うようになった定食屋で、いつものように名物の特製ちゃんぽんとレバニラを頼んだ。店員はずっと常連客と話をしているが、僕には話しかけてこない。それでも決して接客が悪いわけではなく、コップの水がなくなればすぐに足してくれるくらいには気にしてくれる。ひっそりと僕の中ではお気に入りの店になっていた。
あれから1年がたち、僕の人生は一変していた。
まず、野球をやめた。決して野球が嫌いになったわけではない。そのまま野球漬けの毎日を送るのも悪くなかった。しかし、このまま野球を続けて何かが変わるとも思えなかった。だから、11月に野球をやめた。
そして、歌を歌い始めた。何かを変えるには、今まで自分がやったことのない世界に飛び込むしかないと思い、高校時代の友人とともに路上でギター片手に叫ぶ道に進んだ。カバー曲もするし、自作の歌も歌う。ちなみに初めて創った詞の題名は『12月26日』、去年のあの日原付の上でつくったものであった。人前で歌ったことはないし歌う気もない。何より中身がたいしたものでなかった。

ちゃんぽんとレバニラを平らげ、店を出た。もう帰ろうと思ったが、自然と身体は去年歩いた道をなぞっていた。
街の様子は何も変わっていなかった。相変わらず神経を逆なでするような笑い声が響くし、投げ捨てられたごみも恨めしそうにこちらを見ていた。それでも不思議と感情は穏やかだった。理由はわかっていた。
この街に、僕は変えられてしまった。
思い通りにならない中で100点を目指すのではなく、80点でいいからつらくない生き方をすることを覚えた。
何かを作ってそれを誰かに見てもらう場を自分で設けることができるようになったから、自分の中だけでため込んでいた不平不満を共有することができるようになった。楽をするために、自分の感情をさらけ出した。
金を払えば、自分の欲を満たすことができた。
そしてすべてをこの街のせいにしてしまえば、自分はいつでも被害者でいることができた。

俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。

そう言い聞かせて、あの日から1年過ごしてきた。あの程度の感情に、自分は押しつぶされたのだと思いたくなかった。1年ぶりに見る景色を、きれいだとも思えず悲しいとも思えなかった。

今、僕に残っているものは何だろうか。
せいぜい、流行にのって伸ばしてみた髪の毛が意味もなく垂れさがっているくらいだろう。あの日そり落とした髪は、僕の大切なものをすべて奪ってごみ収集場へとむかった。なんの面白みもない物質で構成された僕の身体は、それを悔しいとも思わず、今日も1日1日をどぶに投げ捨てながら過ごしている。
僕らは今日も、素晴らしい人生を過ごしている。

今熱中していること②/生まれてきてごめん

さて、熱中していることの紹介の2回目ということなので、今回は私の好きな歌手について紹介したいと思う。

まず1人目は馬場俊英だ。

おそらく、知っている人はあまり多くないだろう。私も、友人がカラオケで歌っているのを聞いて、そのシンプルでありながら力強く、世の中の男に元気をくれるような詞に感動したのが好きになったきっかけである。その歌が馬場俊英『ボーイズ・オン・ザ・ラン』である。

詞の中には様々な男たちが登場する。最初に野球少年、次に女にフラれる男、単身赴任中の男、歌手になることを夢見る男、そして最後に野球少年が成長した姿で帰ってくる。

その1人1人が抱える思いは、まさに世の男たちが、一度は抱えたことのある悩みや悲しみそのものであり、まるで詞が鏡のようになっていて自分自身が詞の中にいるような、そんな気分になる歌である。

次に紹介するのが樋口了一という歌手だ。彼は名前だけは聞いたことのある人はいるかもしれない。樋口了一1993年にメジャーデビューし、北海道テレビの『水曜どうでしょう』シリーズのテーマソングにもなった『1/6の夢旅人』、『1/6の夢旅人2002』等の楽曲を発表した。 2009年には『手紙〜親愛なる子供たちへ〜』で日本レコード大賞優秀作品賞、日本有線大賞有線音楽優秀賞を受賞した。

彼の歌のすごいところは、「悲しみ」を愛や明るさに変えてしまうことだ。

例えば『1/6の夢旅人』のなかにこんな詞があるのだが、

「世界中を僕らの

涙で埋め尽くして

やりきれないこんな思いが

今日の雨を降らせても

新しいこの朝が

いつものように始まる

そんな風にそんな風に

僕は生きたいんだ

生きて生きたいんだ」

という詞だ。

どれだけ悲しいことがあっても、何もなかったかのように朝がやってきて、それは幸せであるということなのだ。

悲しむことができるというのもまた幸せであるという、彼なりの表現に心を打たれた。

私は今紹介した人たちのような詞がかけるようになりたい。

シンプルでありながら、みんなが誰しも気づかないことのようなことを書きたい

 

 

 

バタフライエフェクトを見て/生まれてきてごめん

バタフライエフェクトは非常に面白い映画だった。

しかし、ただ淡々とバタフライエフェクトの面白かったところを書くだけというのもつまらないので、私なら自分の過去のどこに戻りたいか、そして今どうなっているかを考えたみた。

私が戻りたい過去の1つ目は、6歳の時、人生2度目のモテ期の頃だ。

なぜその過去に戻ってやり直したいかというと、人間に3度訪れるというモテ期を、私は5.6.7歳と3年連続でいきなり使い切ってしまったからだ。だから、小学1年の自分が嫌われることによって、2回分のモテ期をずらそうと目論んでいる訳である。大学、高校、中学校のいずれかに1回でもモテ期きてくれれば、僕もこの歳まで童の貞ではいなかったはずだ。そして今頃は数人の彼女と共に楽しい大学生生活を送っていたはずだ。

次に戻りたいのは高校時代、高1の春に戻りたい。

私は高校時代ひたすら野球に打ち込んできたのだが、結局目標だった甲子園に行くことはできなかった。高2の夏は準優勝、高3の夏はベスト4で終わったのだが、高2の夏も高3の夏もベンチにはいたものの、スタメンで出場することができなかった。高2の秋はスタメンで出ていたのだが、怪我や他の選手の成長により結局はポジションを奪われてしまった。そこで高1の春に戻り、違うポジションの練習をしてどこの守備も守れるようになれば、高3の夏スタメンで出れるのではないかと思った訳だ。

おそらくそれが成功していれば私は今頃甲子園のヒーローとして数人の彼女と共に楽しい大学生活を過ごしていたはずだ。

最後に戻りたいのは、中学校の1年の時だ。私の中学校は、近くにある4つの小学校から生徒が集まってくる。しかし、私の小学校から来る生徒は少数派であるため、1年の時はかなり肩身の狭い思いをしながら過ごした訳である。特に何か悪いことをした訳ではなかったのに、あらぬ噂を流されたり、クラスの人に嫌われたりと、全く面識のない人たちによく知らない奴だからという理由で嫌われたことが原因で、私は初対面の人と話すのがかなり苦手になってしまった。その後は誤解も解け仲良くなったのだが、結局初対面の人恐怖症は治ることがなかった。もしあの時、ちゃんとそれは違う、と否定できていたらもっと簡単に仲良くなれただろうし、初対面の人恐怖症にだってなっていなかっただろう。

もし、初対面の人恐怖症になっていなければ、今頃は数人の彼女と共に楽しい大学生活を過ごしていたはずだ。

おそらく、私が今彼女がいないのは、全てこれらが原因である。バタフライエフェクトである。

 

 

 

 

 

 

3000万円あったら/生まれてきてごめん

3000万円というお金が突然手に入ったら、私は迷わずその全てを、3000万円より増やすことのために使う。

突然手に入った3000万円を貯金したり、何か高価なものを買ったりしているようでは、人生そのものが楽しくなくなってしまうと私は思う。
なぜなら、苦労しながらやっと稼いだお金だからこそ、なにか欲しかった物を買った時に達成感があり、またお金を稼ぐことの大変さがわかっているからこそ、そのお金の使い方に慎重になる訳であって、ノーリスクで手に入った3000万円で同じような使い方をしていては、今までお金を稼ぐために使ってきた時間と労力は何のためにあったかわからなくなってしまうからだ。であるから、その3000万円は、稼いで手にしたお金では絶対にしないような使い方をしてやりたいと私は思う。

ではどんな方法で3000万円を増やすかを考える。

まずはギャンブルだ。楽して稼ぐなら、これであろう。パチンコや競馬、宝くじに3000万円のお金をつぎ込むという行為は、普通であれば絶対にできない。しかし、降って湧いた3000万円なのだから、なくなっても何ら問題はない。いっそ全部つぎ込んでしまえばいいのではないだろうか。それを頭の悪いお金の使い方と批判する人間がいたら、夢のない考え方をする人なんだと思っていればよい。

次に株や為替で儲けるやり方だ。私は詳しいやり方はよくわからないが、最近友人によく勧められるので、非常に簡単なのだろう。3000万円というお金は、十分な元手であるはずだ。誰かにやり方を聞くか、本を読めばおそらく稼げるだろう。

次に起業して稼ぐやり方だ。3000万円あれば、小さな会社であれば立ち上げることができるだろう。私の地元には大学生で起業して今社長としてかなり儲けている人がいるので、目の付け所さえよければ儲けられるはずだ。

さて、ここまで3000万円を増やす方法について考えてみたが、どれもあまりにもお粗末である。やはりどうせなら、もっと確実な方法で3000万円を増やしたい。

ということで、私の導き出した結論は、どこか遠くの国、それもその国の通貨が円の価値より安い国に移住するという方法だ。3000万円というお金を、簡単に3000万円以上の価値に変えることができる。

突然手に入った3000万円で別の国に移住し、その国で3000万円を使い切るまで暮らす、というのが私の3000万円の使い

 

 

 

 

 

今熱中していること①/生まれてきてごめん

今私が熱中しているのは「歌」である。
私は11月で部活動をやめ、今は高校時代の友人と路上ライブをしながら音楽活動をしている。よかったらみんな見にきてね。

さて、ではなぜ私は10年間続けてきた野球をやめてまで音楽の道に進んだのか。

理由は、ここ数年のJPOPがあまりにだらしのない歌ばかりなので「それならおれらが作ったるわ!」と思ったからである。

最近の歌手たちは、みんな歌が上手い。音を外すことはめったにないし、巧みなテクニックを余すことなく取り入れている。
しかし、心にくるものがない。
カラオケの精密採点であれば点数は相当高いのかもしれないが、ソウルが感じられない。「俺の歌を聴け!!」という熱意が伝わってこない。
そしてさらに、最近は特に歌詞が適当につくられているような印象も受ける。
リズムの良い言葉を並べただけでその他に何の意味ももたないような歌詞や、よくあるフレーズをひたすら繋ぎ合わせたような歌詞など、後ろでダンスを踊ったりただ歌を上手く歌うためだけにつくられているような歌詞が多い。それではいつか、歌詞は死んでしまう。

だったら俺らで作ろうじゃないか、というこで、ただ今鋭意制作中である。1月中には路上で歌う予定だ。日本よ、震えて待て。

12月は1度、路上でライブをしてきた。ただこれが思っていたより難しい。

人が立ち止まらない。みんなこっちを振り返っていくのはわかるのだが、誰も立ち止まってくれない。友達を除いて、唯一見てくれていた人は遠目から覗き込むように見ていた。確かに選曲は若干古めだったが、仮に最近の曲をやっていたとしても人が立ち止まったとは思えない。ちなみにその日は玉置浩二、長渕剛、大沢誉志幸のカバーをしていた。曲については変える気はない。だってすげえいい曲ですから。これぞソウルです。

単純に実力がなかったのだと思って、今はとにかく前に進むしかない。練習あるのみでしょう。

ここまで私が熱中していることについて簡単に語ってみたが、やはり伝えたいことはまだまだある。何より、聴きにきて感じてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

商品企画/生まれてきてごめん

商品名

「ゴクゴク飲める!青汁三昧!」

コンセプト

「青汁を飲んで漢を磨け」

味 「本格青汁味」

「スイート野菜ジュース味」

価格 120〜250円

ターゲット 10代後半〜80代までの男性

戦略

今日本人に野菜が不足している。

世の中の健康ブームとは裏腹に、世間ではやれ二郎系ラーメンだとか、やれ立ち食いステーキやらと、明らかに栄養面に偏りのある食が好まれている。日本の肉食化が進行している。しかし、肉を食べると同時に、本来食べるべきである野菜を摂取する機会が非常に少ないと私は考えている。

なぜ日本人は野菜を食べなくなったか。

理由は、野菜は調理が面倒だからである。栄養を取らなければいけないことはわかっていても、家で自炊をするとなると、野菜を調理するのは手間がかかるから避けてしまう人が多い。特に一人暮らしの男性である。

そんな人々にとって、1本で手軽に栄養を摂取できる野菜ジュースは重宝される。

ではなぜ青汁なのか。

それは、青汁がもたらす効能が、単に体調を整えるための栄養を摂取できることに限らないからである。

青汁の効能を大まかにあげると、

免疫力向上

動脈硬化、高血圧予防

メタボ改善

ストレス緩和

腸内環境を整える

その他多くのビタミン、ミネラル

と、今の日本男性が抱える多くの悩みを青汁 のみで吹き飛ばしてしまうほどのものである。また青汁には美容効果もあり、一定層の女性にもこの商品を買ってもらえると考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画を見て

まず、個人的にダンサーインザダークはとても面白かったです。最初は正直、訳の分からない作品をこぞって賞賛する自称芸術肌の方々向け映画かなと思っていたので、あまり期待していなかったのですが、時間が経つにつれて夢中になって見ていました。つまらなそうだとか思ってすみませんでした。

 

いきなりラストの話になるのですが、映画を見た当日は、ラストシーンはある意味ハッピーエンドだと思っていました。でも、何日たった後思ったのですが、あれはやっぱりバッドエンドだなと。

セルマの価値観として「自分の死刑」<「息子の目を治すこと」という思いがセリフから読み取れました。また、盲目で元殺人犯になってしまった自分が生き延びることで、息子に迷惑をかけたくないという思いがあったこともわかります。そのためラストシーンでセルマが、悲劇のヒロイン「セルマ」として初めて現実世界のシーンで歌を披露し、大好きだった息子とミュージカルを思いながら死んでいったシーンも、彼女にとって自分が死ぬこは悲しむべきことではないため、ある意味でハッピーエンドだなと思った訳です。その時は。

ですがもう一度考えていたら、やっぱりバッドエンドだなと思ったんです。

なぜなら、セルマが死んだから。

普通に考えて、主人公が死ぬというオチは基本的にバッドエンドです。『アルマゲドン』も『マトリックス』も『ウルトラマンダイナ』も、みんな地球を守ったとはいえハリーやネオやアスカ・シンが死ぬシーンは悲しいでしょう(ほんとはアスカ・シン死んでないけど)。

それが『ダンサーインザダーク』では、主人公は息子の目のために死んでいくって、あまりにも悲しいというか、不条理だとは思いませんか?命に価値はつけれなくとも、息子の目のために差し出せるほど軽いものではないでしょう。

しかもさらに悲しいのが、息子のジーンが後半全く出てこなかったことです。何が悲しいかって、息子が母の思いを全く知ることができず、そしてジーンは自らの思いを母に伝えることもできなかったということです。

ジーンはもちろん母に死んでほしくなかったでしょう。出所してから手術でもよかったじゃないか、なぜ自分の前から消えることを母は選択したんだ。それがわかるまでジーンは孤独です。そんなジーンがこれから送るであろう人生は、セルマと同等に悲劇的です。さらにジーンがそのような人生を送るということは、セルマの死が無意味だったということになります。ジーンのこの先の人生をどう想像するかによって、この作品は登場人物が誰一人として救われない作品になります。ある意味ジーンの存在が、全ての悲劇の引き金なんだと思います。

誰だって、楽しいことをいっぱいしてから死にたいんです。人生を途中で強制終了させられる物語が、ハッピーエンドな訳ないんです。

なんてまとめればいいかよくわかんなくなってしまったんですが、とにかく、この映画とても面白かったってことだけは言えます。あと、おれまだ死にたくないなあと。生きててなんぼなあと、そう思います。

 

今日をがんばる/いい〇〇の日/生まれてきてごめん

今日のお題は「いい〇〇の日」ということなので、簡単に言えば11月の何らかの記念日を紹介する回だと思います。ということでまずご紹介する11月で最もめでたい日は11月17日です。

さてなんの日か。

白戸星河20歳のbirthday です。ちなみにバイト入ってます。人生そんなもんです。

 

それでは気を取直して、11月の記念日紹介していこうと思います。まず11月11日です。これはとても有名だと思います。みなさんわかりますか?

正解は白戸パパ&ママ結婚式記念日です。

ポッキーの日という答えもまあありっちゃありですが、少なくとも青森県ではこちらの方が有名です。

 

さて次は11月3日です。11月3日と言えば文化の日であり、日本國の祝日にもなっているとてもめでたい日ですが、それでは文化の日を除いてこの11月3日は一体なんの日でしょうか?

 

正解は白戸ママの誕生日です。

去年からプレゼント送ってます。いい子でしょ。

 

さてさて、次は11月23日です。11月23日は勤労感謝の日ですね。働いている全てのみなさんに感謝を示す日です。できれば毎日感謝してほしいところですね。ではそんな11月23日は一体なんの日でしょうか?

 

正解は白戸パパ&ママ婚姻届提出記念日です。

勤労感謝の日をチョイスするあたりがなんともうちの両親らしいです。

 

お次は11月10日です。もうこの流れだとわかりますよね?結婚記念日、ママの誕生日、jrの誕生日ときたら、もう残す記念日はあれしかありません。

 

そう、11月10日は「いいトイレの日」です。

この「いいトイレの日」は日本トイレ協会が1986年に制定しました。同協会はこの日に「トイレシンポジウム」を開催し、公衆トイレを対象とした「グッドトイレ10賞」や「トイレレポートコンクール」の表彰などを行っています。ちなみに今年のシンポジウムは11月18日に鶴ヶ峰で行われるようです。みなさん見に行かれてはいかがでしょうか。ね、大事ですからね、トイレは。

 

ここまでざっと11月の記念日をあげてきましたが、要するに11月は白戸家とトイレにとって無くてはならない存在であるということがわかりますよね。もし地球が太陽の周りを10ヶ月で回っていたら、白戸家とトイレはこの世に存在しないのです。因果ですね。でも11月に一家の記念日がここまで集中するのも面白いですよね。ちなみに僕は結婚諸々記念日の1年後に生まれました。タイミング的にはバッチリだと思います。グッジョブ白戸パパ&ママ!

みなさんも11月という月を大切にしてください。決してクリスマスの前哨戦ではありません。イベントが少ない月ではあっても、祝日は2日もあるし、何よりこれだけの記念日が詰まっています。夏の日差しは去り、秋の寒空がやってくる季節ですが、逞しく生きていきましょう。それではみなさん良い11月を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横綱とは、相撲とは/ネット記事/生まれてきてごめん

みなさんは相撲を見たことがあるだろうか。日本の国技である相撲は格闘技でありながら、他のスポーツ格闘技とは一線を画す。それはなにより、相撲が国技であり、「神事」であるからである。そんな神聖な土俵で戦う力士たちの頂点に君臨するのが横綱である。この間知ったのだが、横綱は現人神であり、番付の上では人間ではない。人間で最も強いのが大関、横綱はそれ以上の存在なのだ。そのため横綱の相撲には「美しさ」が求められる。「美しい」相撲とは、相手力士の当たりを正面から受け止め、乱暴な張り手やかち上げをせず真っ向勝負で勝つ、というものらしいのだが、私はどうも納得がいかない。それが次の記事だ。

https://www.nikkansports.com/m/battle/sumo/news/1861111_m.html?mode=all

この記事を見て感じることは、形式美としての相撲が重宝されるがあまり、本来あるべき武術としての相撲が見れなくなってしまうのではないかという不安と苛立ちである。

歴史に残る最古の相撲の取り組みの結果は、片方の力士がもう片方の力士腰の骨を踏み潰して勝利した。無論、腰の骨を折られた力士は死んでしまった訳だが、この結果に疑問をもつ人もいるだろう。立ったままどうやって腰の骨を折ったんだ?という疑問である。それに対する回答はいたって簡単だ。当時の相撲は手、膝をついても負けではなかった。負けの条件は、相手を戦闘不能にすること、早い話殺した方の勝ちということだ。つまり、格闘技としての相撲というものは、本来死と隣り合わせのものであり、その最中に形式にこだわっていられる余裕などないのだ。

今のような興業相撲が始まったのは江戸時代からだが、当時の力士にも、爪の先を尖らせて相手の肉に食い込ませるという戦法を使う力士がいた。もちろん、そんな姑息で手荒な真似を褒めるようなことはできないが、そこまでしてでも勝たなければいけない、ヒリヒリするような勝負が当時の土俵にはあったのだ。形式にこだわっていては見られない勝負があるのではないかと私は思う。

喝だ!!/物申す/生まれてきてごめん

さぁやって参りました。昨今の若者たちに対し白戸が次々と喝を入れていく名物コーナー!今日はなんと拡大スペシャルということで、普段の1.5倍盛りで喝を入れていきたいと思います。

1.何故にすぐ髪染めるかね!!

最近の若者たちはほんとにすぐ髪染めますよね、理解に苦しみます。男なら髪がうんこに見えますし、女も髪がうんこに見えます。絶対黒の方が似合ってた!!って女の子は数知れず、高校時代はかわいかった女の子たちが大学に入ってからこぞってうんこ教に入信しているのを見て歯がゆさでいっぱいです。大学入ってから髪を染めておしゃれを楽しみたいのかもしれませんが、黒の方が見ていて美しいですね。万歳ありのまま。

2.まーたすぐエッチしようとする!!

最近の若者たち、いや男たちは非常に残念なことになっています。なぜなら、女の子とエッチすることしか考えてないからです。安い安い、安いよきみたち。愛のないエッチを繰り返す君たちはまるで2秒でフィニッシュするチンパンジーのようだ。愛とはなんぞやを自分に問いかけてほしいですね。

3.ずいぶんとまあ薄っぺらい歌詞やのう!!

最近流行りの歌はみんな似たような曲ばかりで面白みに欠けますね。特に歌詞が薄いです。そこの角から飛び出してきてくれなんて誰でも思うことです。共感できればいいってもんではないでしょう。その先にグッとくるものがないんですよね、グッと。ただ絵音さんだけは尊敬しています。あの顔面で女をバタバタと落とすテクニックはまさに天賦の才。ブサイク界の貴公子です。彼だけはすごい。

4.ケータイいじりながら飯を食うな!!

これ、かなり腹たつんですがみなさんはどうでしょう。百歩譲ってマックとかならまあまだ気持ちはわかるんですけど、ラーメン食いながらとか、定食屋でご飯食べてるときにいじりだすのは本当に勘弁してほしい。飯と向き合ってほしいですね。あと作ってくれた人。そんなに大事か、ケータイ。

5.家で作れるパンケーキ!!

原宿とかにある小洒落たカフェのメニューにある1200円のパンケーキ。原価20円くらいの小麦粉を焼いたやつの上に原価50円くらいの生クリームがデンジャラスにぶちこまれ、季節外れの小ぶりな果物たちがちょこちょこと添えられたパンケーキ。ショバ代1070円。原宿で食ったってことがステータスなんだよな、うん。ステータス重視女の子はどうも苦手やね。

 

そんなこんなで喝を入れていきましたけど、総じて言えるのは、昨今の若者たちは青い!!ということですね。これからも僕を見習って漢を磨いてほしいですね。