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/遺書/T

夜中、急にお腹の底が冷えていく感じで不安になって、カーテンを全部占めた部屋の中で、地団駄を踏んで、手足をバタバタさせてわーって言って、俺ひとりで何やってるんだろう不安定かよって言って、また空しくなったりする。無能感で何もできなくなる。

 

不安は毎回過去最高を更新しているよーと思っているけど、振り返って考えてみればそんなに変わっていないし、苦しむ内容もそんなに変わっていなかったりする。たいしたことがない。

だから、その状態から抜け出す引き出しはすでに蓄積がある。絶対ある。どうでもよくなってしまうのは、怖い。だから次の朝も普通に起きて、シャワー浴びてどこか行く。

 

 

 

 

 

 

その引き出しの一つ(二つ?)の、よく聴く音楽。両方とも、曲作って歌ってる人がなんか変な人で、最初聞いた時は本当よく分からなかった、変な声で変な曲で、で、なんか二人とも若くして突然死んでいる。(片方の人は、僕が赤ちゃんの時にもう死んでいて、もう一人は、高校の時のある日、その人が死にましたっていう雑誌の記事を読んで、その人とバンドの事を知った。)

好きで聴いてるんだけど、この人たちもう死んでるだよなあ…とか思うと、なんて世の中だーーみたいなカッコつけた虚無感に浸ったりもする。(くだらない。)でも、それでも、生き急いで生きて、「なんで死んだのかよくわかりません。急性心不全です。」みたいな死に方をした人の作った音楽に、救われたり、それで生きたりする人が多いなんて、なんか変なのって思う。

 

曲とか作って歌ったりしてたら、憧れでなんか生き急いでみたりするのかなとも思うけど。でも、生き急ごうとして生き急いでいた訳ではないと思うし。どうしようもないものは、ある。私はとくに何もせずぼんやりしているので、これからもゆっくり生きます。

あとチューしたことないまま死ぬのは嫌だー(結局それかよ)。そんな感じです。

 

帰省の駅で/ぜんぶ雪のせいだ。/T

大学が冬休みに入って、年末最後のバイトを終えてから、鈍行と特急を乗り継いで帰省をした。

僕が生まれた街は、長野県の茅野市という山に囲まれた田舎で、とくに何も無い。別に、本当に何もないのかと言われれば、そうではないのかもしれなくて、寒いから高原野菜やら寒天が作れたり、スキー場があったり、あと全然関係ないけど縄文時代には人々が住む集落がたくさんあった「都会」だったらしい。歴史の教科書に載るような土器とか土偶がいくつか見つかったりしていて、駅のお土産屋さんにはそれらをかたどった「縄文クッキー」が、野菜と寒天の横に置かれていたりする。まさか土偶たちも、一万年の時を経て、自分たちがクッキーになるなんて思いもしなかっただろうが、そこは地元にまつわる何かをなんとか商品化できないかと考えた市の商工会議所の、町おこしへの涙ぐましい努力の証である。売れてるかどうかは知らない。

八王子から乗った「特急あずさ号」を茅野駅で降りて、夏以来に地元へ帰ってきた。重いスーツケースを引きずって外へ出ると、12月も終わりになるのに道路の脇に雪がまったく見当たらなくて、ちょっと驚く。ここに雪が多く降るのは、一月に入ってからとか、もっと遅いと二月の頭だったりするけれど、少しの雪も残っていない年末はあまり記憶にない。年末年始は全国的に穏やかな陽気ですと声の綺麗なアナウンサーがどこか言ってたのを思い出して、あ、そうだったねと納得した。

 

駅から実家が離れているので、親に車で迎えにきてもらうのを待つ間、久しぶりに駅の周りを散歩してみることにした。あまり寒いと動く気にならないけれど、穏やかな陽気は少しだけ体と心をほぐして、たまには運動するのもよいだろう…なんて朗らかな思考にさせる。とは言っても、駅の周りも何も無いのだけれど。(田舎あるある、「小中学生のたまり場やデートスポットがジャスコ」を地で行く田舎なので…)

それでも少し歩いていると、駅の駐車場の近くに、あの有名な縄文土偶たちがいるのを見かけた。気になって近寄ると、通称「縄文のビーナス」と、「仮面の女神」という土偶のレプリカが、「JOMON美土偶グランプリ出場」という謎の派手なタスキを掛けられて、寂しく並んで座っていた。どうも「全国の中でいま最も輝いている土偶」を決める大会(何それ…)に出馬しているらしい。まさか土偶たちも、一万年の時を経て、自分たちがミスコンに出るなんて思いもしなかっただろうが、これもたぶん市の商工会議所の涙ぐましい努力の証なんだろうな…と切ない気持ちになった。

…でも、自分がもし土偶だったら、クッキーになるのは別にいいけど、ミスコンに出されるのはちょっと嫌だなって思ったりした。長い間土の中にゆっくり眠っていたのに、いきなり掘り返されて、勝手に人前で、顔が良いだの胸が大きいだの言われるのはなんかムカつく。町起こしのためとか知らねえよ、私の体を利用しやがって女神だぞってイライラする。土偶なのだから、たぶん何か強大な力を持っていて、それを使って自分勝手な人間どもを呪って、来年の野菜と寒天を全力で不作にさせると思う。

…穏やかな陽気は、人を、朗らかな思考にする。

二十分くらいすると、駅に父が車で迎えにきた。自分の親だけど、少し会っていないとなんか人見知りしてしまって、「お久しぶりです…お迎えに来ていただいてありがとうございます…」なんてたどたどしく挨拶した。今年は暖かいねって言うと、こんな年めずらしいよねえと父も言った。土偶のミスコンの話でもしようかなとか思ったけど、父と息子で語り合う話題ではないよなあ、気持ち悪いとちゃんと思い直して、実家に着くまでの間は車の後ろの席に黙って座って外を見ていた。

日記/あったかい/T

日記をつけることなんてしないだろうと、たいした理由も無く、でもずっと思っていたんだけれど、先月になんか気が変わったので、日記はじめてみることにした。

 

私のおばあちゃんが結構まめな人で、もう何十年も毎日、その日起こったことを丁寧に日記帳に書き記していたりして、お前もやってみなーと何度か自分に勧めてくれたりした。おばあちゃんが、自分の日記帳を見ながら、去年の今日はこんなことしてたねーとかつぶやいて、なぜか楽しそうにしてるのを見て、へーと思ったけれど、俺は根気ないからずっと続けられないだろうなとか言って、今まであまり興味が持てずにいた。

妹も1年前くらいから日記を始めていて、日記いいよーって、その効果を説かれたりしたけれど、自分はいいかなってそのままにしておいていた。何か書き記しておくほど、抑揚のある生活もしていないし、中学生の頃、毎日の宿題だった生活記録を書くのが面倒で、毎日お天気のことばかり(今日はすごく肌寒かったです。明日は暖かいといいです…とか)書いてた記憶も残っていて、そうやってもなぁ…と思っていたし。

 

 

そんな感じだったのだけれど、今年の夏休み半分過ぎた頃から、色んな事があったり無かったりして、モヤモヤ鬱屈とした感じが自分の中でなかなか消えなくなっていて。ある大人に「お酒たくさん飲んで、酔いつぶれて、その時に口から出てきたことが本当の気持ちとかやりたいことだよ。頭スッキリするよ…。」という大人のアドバイス(?)を頂いたのだけれど、私はほんのちょびっとのアルコールで顔が真っ赤になってしまう下戸なので、その方法を使うと口から出てくるのは言葉じゃなくて、たぶん…。

あとモヤモヤしていた理由の一つに、年末が近づくにつれて、今年1年自分が何をして生きていたのか…という疑問や不安があって、それを2016年の最後の最後だけでもなんとか解消したい(今年本当に何も成し遂げていないような気もするけれど)、気持ち良く夜眠りたいと思って、なんとなく避けていた日記をつけてみようかなというところに行きついたのでした。

 

毎日寝る直前に、その日あって頭の中に残っている出来事や思ったこと、読んだ本なんかをばばっと綴る。手書きが良いのか?と思ったけれど、自分の汚い字だと見直すのに苦労するだろうと思ったので、パソコンで。眠くてぼーっとした状態で、文体とか段落とかはあまり気にせずにできるだけ早く打ち込んでいく。酔った状態まではいかないけれど、ぼんやりした頭で、内容は大雑把に、出てきた思いの通りに書き込む。

この方法で毎日日記をつけてみると、想像よりも楽しくて、発見だった。キーボードを打つスピードが、書きたいように書くためのスピードに追い付かないかもしれない…と思っていたけど、大学の課題等のおかげで、自分のタイピングが上達していることにも驚いた。そこそこ流れるように綴れて、気持ちがいい。

あと、その日の出来事に対して持った自分の感情とか考えが、なぜか書くことではっきりする。綴っていてホクホクしたり少し興奮した気分になる出来事は、やっぱり嬉しかったんだなって気付くし、辛かったことは、もう一度傷口に塩を塗っている気分になる。「何もない一日でした。」という事には、書いていると意外とならない。内容の大きさはともかく、何もしないよりは多少の充実感と穏やかさを持って布団に入れる。

 

まだ1か月ちょっとしか書いていないし、前に書いたことを振り返ったりもあまりしていないけれど、今のところ日記つけるのも悪くないな…と思ったので、とりあえずこのまま続けようかなと思っている。溜めずにいつまで続くかな…。

食に興味が…/食レポ/T

ご飯食べるのが、面倒くさいと思ってしまうことが多いです。朝は食欲が沸かないので食べず、1日2食。昼、夜も、何かを胃に送らなきゃ体と頭が働かないけれど、おなかが満たされるとすぐに眠くなってきて結局ぼーっとしてしまって、やることが手につかない。特に夜、何か課題等やらねばならない時。睡魔が最大の敵なので、何も食べずに終わらそうとすることが多いけれど、おなか鳴ってどうしようも無くなるので、結局途中で近くのコンビニへ向かいます。

心が荒んだ状態だと、「おなかが空く」ということにまず本当にイライラする。空かなきゃいいのに。日光を浴びたら、勝手に体内にエネルギーが…みたいな、光合成的システムが人体にもできないかなぁとか、おバカなことを考えながら、ファミマで買ってきた、おなかにたまらない軽いパンを1、2個口に入れます。

 

そんな感じなので、食べるものにあまり興味がもてません。自炊もほぼせず…。なんとなく美味しいなーと思う食べ物は、横浜弁当のからあげ弁当と、松屋のブラウンソースハンバーグ定食と、ファミマのチーズチキンです。食に疎い自分に優しい、分かりやすい味。ただ、それについて書いてもなぁ…思い入れがそこまであるわけじゃないしなぁ…とも思うので。もう一つある、なんとなく好きなご飯、紹介します。

 

和田町駅近くの、「錦蘭」というお店。

中華料理屋さんなのですが、生ビール、各種サワー、一品料理等メニューが充実していて、2階は畳のお部屋になっているので、宴会におすすめです。(食べログ風…)

自分が入っているサークルの集まりが毎回ここで開かれるので、私は1年生の新歓の時期に初めて行きました。飲み会の席、テーブルにいくつか並ぶお皿の料理を、先輩方のお話をお聞きしながら恐る恐るつついていたのですが、その時に一つ、とても美味しい料理を発見したのです。そして、白いご飯が欲しいよお…と心の中で思いました。

後日、1人で「錦蘭」に向かうと、その料理が定食として食べられることが判明して、おおっと思って注文しました。それがこちら。

「ニンニクの芽と牛肉炒め定食」

ニンニクの芽というものが何なのかよく分かりませんが、それがお肉、にんじん、玉ねぎ、もやし等と炒められていて、とても美味です。(語彙…)なによりご飯にとてもよく合います。白飯を美味しくかき込める、ありがたい実家のご飯を思い出せる。あと定食ものを食べると、ボリューム過多で胃が痛くなってしまうことがままある私にとって、量がちょうど良いのでうれしいです。たくあんと、スープと、杏仁豆腐付き。(だから、たぶんよく食べる男子には、ちょっと足りないのかな)

 

行きつけのお店(?)は、松屋とすき家くらいなのですが、この「錦蘭」には、バイト終わり一人で「ニンニクの芽と牛肉炒め定食」を食べるためにたまに行きます。中国人の店長さんの手作りの料理の味は優しくて、チャーハン、餃子などもおすすめです。和田町と、大学からも近いので、気になった方はぜひ一度行ってみてください。

弱小vs強豪、それと弱小vs弱小/夢の対決/T

広島カープ25年ぶりのリーグ優勝に日本中(?)が沸いた今年。長い間、ずーっと辛い思いをしてきたであろう知り合いのカープファンの人が泣いて喜んでいたので、別にカープファンではない私だけれど、よかったですねーとほっこりした気分になった。酔っぱらいながら、ここまでの鯉党の苦節を語られるのは、ちょっとうっとうしかったけど。

私もスポーツ観戦が好きで、プロ野球とサッカーJリーグに、それぞれなんとなく応援しているチームがあるのだけど、どちらの方も「あーあ…」って感じで今シーズンを終了したので、寂しい気持ちでオフシーズンの冬を迎えている。どっちも「弱小」と言えるチームなので、同じく「弱小」チームだった(優勝したから今はそう言えないか…)広島カープの躍進はとても羨ましく、応援をしていた人の色んな思いに共感してしまう部分も多かったのでした。

 

…強いチームよりも、なんとなく弱いチームの方を応援してしまう…という感情の謎について、「弱小」チームファンは自らを不思議がりながら、応援をします。負けが込むチーム状態に心を痛め、負けが込み過ぎてシーズン終盤が消化試合になることに虚しさを覚えながら、それでも声援を送り続ける。そしてその闇の中にも、なんとか楽しみを見出そうとします。(若手選手の成長とか。)しかし、その頑張って手塩にかけて育成した選手たちも、いずれは給料の良い金満「強豪」チームへと移籍していくのです。頑張って生み出した喜びは、いずれはそれ以上の悲しみを生む。

そんな負のスパイラルの中にも、たまーに(…さすがに25年は長すぎるけど)監督の力量とか戦力とか運とかが偶然かみ合う年があって、成績がよかったり、上手くいくと優勝なんかに手が届いちゃったりする。嬉しすぎてどうしようもないんだけど、普段喜びなれていないので、なぜか冷めた態度をとってしまって後悔する。それでも心の中はちょっとふわふわとしていて、やっとこのチームにも春が…とか思っていると、翌年はどん底の最下位だったりして、まあそんな上手くいかないよなとか思いながら、再び負のスパイラルの中へと歩みを進めるのです。

「強豪」チーム相手に、なんとか立ち向かっていく万年「弱小」チーム。その姿に自分を重ねたりして、毎日の活力に変換する楽しみ方。(ダメ―な気分になることが多いけど…)こんなこと、常勝軍団とか呼ばれてるチームじゃできないです。…結局自分の性格の問題なんだけど。

 

ただ、「弱小」と呼ばれるチームの中にもいろいろあって。いつかは強くなろうと、選手、監督・コーチ、フロントが堅実に努力しているチームもあるけれど、まず選手にやる気がなかったり、能力は無いのにネームバリューばっかりある監督しか就任しなかったり、数少ない資金をどうでもいいところに浪費しちゃったりするチームもある。そういうダメダメ球団・クラブのほうが、人間味があるっちゃあるんだけど…そんなとこに自分の人生重ねちゃだめだ!って意識が働くのです(ここにも性格が…)。

真面目な選手たち、研究熱心な監督、的確な選手補強と資金運用をするフロント…私が応援しているのはそういうガチガチ堅実チームなんだけれど、真面目すぎて勝負弱かったりもして、なんだかなーって思いながら、それもまた愛おしかったりで。来年はなんとか今年のカープみたいに頑張ってほしい!と思うけど、まあ負けてしまってもどうせ応援し続けるしな…とかだらだら考えています。弱いから。

 

生きのばしたら/大作戦/T

Theピーズの「生きのばし」という曲を、最近よく聴いている。いつも歩きながら何か聴いてるウォークマンで、同じ曲をリピートすることってあまり無いのだけれど、長くない曲だし、なんとなく何回も聴きたいなと思って、1度に3回くらい繰り返し再生してしまう。なんでだろう。

Theピーズは日本の3人組のバンドで、高校生のときに人に教えてもらってから、好きで聴いている。曲に流れている温度が、自分の生きている人生の温度みたいなものと合っている気がするから。今は好んでいるけどそのうちあんま興味なくなるだろうなって思うものが自分の周りにはあるけれど、ピーズの曲はこの先もなんとなくずっと付き合いそうだなあと思う。

「生きのばし」は、バンドのあるアルバムの1曲目に入っている。曲のタイトルを見たとき、「生きのばし」ってなんか変な日本語ーって思った。「生きのびよう」とかじゃなく。

でも曲聴いて、そうか自分が生きてる感じって、生きのばしてるのかーと、言葉に変に納得した気持ちになった。色んなものに反骨心みたいなものは持ってるつもりでも、「くそっ、生きのびてやるっ!」みたいなギュっと力強いものは押し出せないまま、惰性で人生を続けてる。寝たら絶対明日の朝来ちゃうし、大学とバイトちゃんと行かなきゃもっとめんどくさくなるなーとか考える。生きたいか、生きたくないかで言ったら、生きたくないのにな…(朝はね。)

 

 

この先も生きのばしつづけたら、どうなるんだろうって考える。明日よりも、もっと先のこと。

 

ちょっと脇道にそれて。たまにバラエティー番組で、人気芸人の初テレビ映像とかいって、芸人さんが番組スタッフに昔の映像を引っ張り出されてるのを見たりする。画質の悪い過去映像の中の芸人さんは、まず芸風が今と全然違ってたりしてて面白い。あと着てる服がボロかったり、目つきがやけに鋭かったりして(ジャックナイフとかよく言うか)。緊張と不安でこわばった10数年前の自分の姿を、恥ずかしそうに見てる芸人さん。基本昔の自分を嘲笑するようなことを言ってるんだけど、「そのまま何とか続けてたら、こうやってよくテレビ出れるようになるよって言ってあげたいですね。」とかポロッと出す人もいたりして、ふーんってなる。

 

色んなことを棚に上げたときだけだけど、今のまま生きのばーし、生きのばーししてたら、自分がどんな所にたどり着くのかはちょっと興味が持てたりする。期待などは全く持てないし、10年とか経ってもあんまり変わらないような気もするけど。でもこの曲(とくに最後の方)とかを、今とはまた違った思いで聴けるようになるんじゃないかとは思うのだ。そして、そんなことだけで、生きるのってなんか面白くねって思ってしまう自分もいて、ちょっとドキッとしたりするのです。(夜だからかな)

 

 

 

 

 

(書いてたら、「大作戦」のこと忘れてました。ごめんなさい…)

僕の小規模な寮生活/片付け/T

大学に入ってから住んでいる寮の入居期間が2年間なので、あとちょっとでお引越ししないといけない。

ひと月の家賃が、だいたい1万2000円くらい。部屋は12㎡の単身個室。それとキッチンとシャワーが共用(キッチンのガスコンロは1回10円、シャワーは10分100円)だったりするのだけれど、自分自身がとっても粗雑な生活をしているのであまり気にならなかった。隣の部屋の人のいびきが聞こえてくるくらい壁が薄いのは、ちょっとだけ嫌だったけど。

家賃が激安なことと、大学とコンビニが近いことは、生活をいつも助けてくれた。楽した約2年間。最初この寮に住みはじめた時は、えーなんか狭いしなぁ…とかなんとか思っていたけれど、住んでるうちに、長野から横浜に出てきて初めて一人で暮らす場所がこの部屋で良かった…位の感傷に浸るほどの思い入れが、なんか出た。たぶん部屋出ていくときは、NUMBER GIRLのIGGY POP FAN CLUBを聴きながら、ちょっとだけ私泣くと思われる。

 

本、漫画、CD、DVD、ギター、エロ本。部屋に転がってるものは、この2年のうちに買ったり、貰ったり、拾ったりしたのがほとんど。くだらないコンビニ弁当のゴミと、やらなきゃいけない洗濯をサボった服がその周りに散乱している。ぐちゃぐちゃで、汚らしいって言葉が一番しっくりくる空間。

部屋の中は、今の自分の頭ん中そのままだなーと思う。興味があること、趣味であるとなんとなく言えそうなこと、エロいこと、エロいこと。くだらない雑念ともやっとした悩みでいっぱいになって、ほんとに自分がしたいこと、好きなこと・人、そして今やらなきゃいけないことが何だかよく分からない。他人に聞かれても、自分に尋ねても何だかよく分からない。

部屋の広範囲を占めているベッドは、そんなことから逃げて、自分の中だけの「幸せ」をかき集めた妄想のまま、柔らかい枕に顔をギュってして眠っていたい欲求の大きさで。ベッドと同じく備え付けの勉強机が、ゴミで半分以上埋め尽くされてるのも、大学生という側面での現在の自分をなんとなく物語っている。

 

昨日の夜は少し眠れなかったから、この際だからと、たまったゴミを集めてちゃんと捨てて、洗濯と、少し掃除をした。今からちょっとづつ荷物とかも片づけていったら、引っ越しする直前になって色々焦らなくてすむとも思いながら。

こんな暮らしをしているけれど、できる限りもやもやした不安は取り除きたいーと思いながら生きている気がする。この世の不幸は、すべての不安。卑屈でいたり、自己不信したりするのも、不安のコントロールのためという部分があるのだ。(きっと…)

そうなんだけど…そのやり方は結果的にもやもやを増やしている。この2年、この部屋で夜悶々としながら気づいたこと。
ちゃんとしよう、ちゃんとしようと心で唱えながら毎日暮らしてるのに、人生がどんどんよく分からない方向に向かっているのが、自分の事だけど可笑しくなってくる。(急に学童クラブのスタッフを始めたりとかも…)

 

 

妄想。…20年後くらいに、「そういえば大学で最初は寮に住んでて、あの頃はほんとどうしようもなかったな…」的なことを、懐かしさを噛みしめながら、少しニヤッとしたりしてたらいいのに。あの頃に起こったことが、まあ全部それで良かったんじゃないか…とか思いながら、誰かの寝顔を眺めたりしてたらいいのに。

 

恥ずかしいなあ…。馬鹿なこと言ってないで、授業いかなきゃ。勉強、勉強…。

 

この間/気になるあの子/T

誰もいないサークルの部室で、生協で買った弁当を食べて、だるいけど次の授業行かないとなあと思って、買ってそんなに経ってないのにどんどん汚くなっているバッグを肩にかけて、第一食堂の地下から外に出る。いつもと同じ。

8号館と7号館の裏の道を、授業の教室へ向かう他の人たちにまぎれながらのそのそ歩いてたら、猫背でいつもなんとなく下を向いている自分の視界の端っこで、何か(誰か?)が自分に向けて動いた気がした。瞬間のことだから、何だかよく分からないけど反射的にそっちを見ると、同じスタジオの授業をとっている顔見知りの女の人が反対からこっちに歩いてきていた。なんとなく目を合わせてしまったから、あ、どうしようどうしようと思って、なんとなく会釈っぽいことをすると、向こうもなんとなく会釈っぽいことをしてくれた。けど、なんかちょっと困惑してる顔だった。一言も発さず、一瞬会釈っぽいことをして、そのまますれ違った。

 

目的地の教室に向かいながら、あーまたいつも通り人にうまく挨拶できなかった…と思った。笑顔でおはよーございます、こんにちはがはっきりと言えるのは、運動神経とかと同じで才能の問題あるよ…とか、適当な事を考えていた。

その後少しして、あ、あの困惑していたあの人の表情は、別の人(私の後ろを歩いてた人)に挨拶したのに、なぜかそれにぼーっとしてた俺が反応してしまって、お、お前じゃねえよ!って顔だったんだって、気付いて落ち込んだ。そういうことよくやるのに、また失敗してしまったみたいだ。そうじゃないといいなあ…とは願うけど。(勘違いとか、言い間違えとかそういう類の失敗が、後で一番死にたくなるよ…)

 

すれちがった人(先輩の方)は、いつかのスタジオの立食回の時に、この時間が終わるまで教室のどこに居ようかぼーっと考えてたら、何でだかわからないけど話しかけてくれた人だった。普段女の人としゃべる機会がないから、緊張してて何を話したとかが記憶からふっ飛んでるけど、話してて楽しかったなーっていうのと、す、素敵な人(気持ち悪っ…)だったなーっていう、ぼんやりした気持ちになった。

その後、スタジオの時とか大学の他の場所で姿を見かけることがあったけれど、なんて話しかければよいのか分からなかったし、本名もまったく知らない。(スタジオのLINEグループを見たけれど、何方だか分からなかったです…)

 

…お前もう20歳になるんだろ、ここは思い切って…とか心の中の私は言うけれど、どうせ実際行動する私は、静かに座っている彼女に脈絡無く背後から「お、おお…お名前は?」とか挙動不審に尋ねて相手を当惑させるか凍り付かせ、彼女とはそれっきりでした…的なエンディングを迎えるんだ。

と、一通りうじうじした末、ああ、あれは素敵な女の人と話した、良き思い出であった…と心の宝箱にしまってしまいました。そのまま春学期終了。小学生の頃からやってることがずっと変わらねえ。

 

それなので、秋学期に入って起こった件の「道ですれ違い事案」(と勝手に呼んでいる)に動揺して、こんな所に書いてしまいました。勝手な思いと、訳分からないことしてすいません…。何やってんだろう

バイト/夕方/T

ある町の学童クラブで、スタッフのアルバイトを始めた。

ある日、大学の先輩に、俺学童クラブで働いてるんだけど今度抜けるから代わりに入らないかって誘われて、ちょうどバイト探してたし、何となくついて行った。面接とか研修をちょっとして、そのままぬるっとそこのスタッフの人として働いている。

 

午後の大学の授業が終わってから、のそのそバスに乗ってバイト先へ向かう。マンションと小学校と、スーパーとドラッグストアばっかりある町、いわゆるベッドタウンの中。夫婦共働きの家庭が多いから、学校から帰ったあとの小学生たちの居場所として、学童クラブの存在は結構重要みたいだ。いくつかの小学校から、主に低学年の子たちがたくさん通ってきている。

日が暮れた頃に、お仕事を終えて駅から帰ってきた親がお迎えにくるまで(残業とかで夜遅い時間になる家もそこそこある)、小学生が遊んだり宿題やったりするのを見守るのが、スタッフの主なお仕事。一緒に遊んでと言われたら公園とかに連れて行って一緒に遊び、普段の生活とか友達とかと上手くいってなさそうだったらケアをする。ただ大体のスタッフの人は主婦の方で子育て経験者だったりするから、子供の扱いに長けている。諭したり叱ったりするのは、俺なんかより断然主婦の方のほうが上手い。

そんな感じだから、シフトに1人だけ入っている大学生スタッフ俺の役割は、必然的に若い肉体を積極的に使っていくというのが主になる。小学生のみなさんから、縄跳びを一緒にやれと言われたら一緒に跳び、鉄棒で豚の丸焼きになれと言われたら従順に従い、遊具の高い所から怖くて降りれなくなった子を、じゃあ何で登ったんだとか思いながら抱えて地面に降ろす。

…中でも、「タッチしても、鬼は交代しない」という謎の新ルールが搭載された鬼ごっこ(?)の鬼を、夕方の公園で延々やらされるのが一番嫌だ。ゲロ疲れるから。

 

 

正直犬とか猫とかと同じくらい、あまり子供に興味が無い自分が、ここで働くのってどうなんだろうと思ったりする。学童クラブのスタッフとか小学生と関わるボランティアとかの人は、子供と遊ぶのが大好きな人が就く仕事なんだろうなとバイト始めるまで思っていた。でも他のスタッフの人も、別に子供好きが多い訳ではないみたいだ。働いてた先輩も子供は悪魔だから嫌いだってずっと言ってたし。

学校から解放されて何かスパークしちゃってる子供たちを、みんな優しいけど、適度にあしらって生温かい目で見守ってる気がする。そしてみんな早く家に帰ったらいいのにって、心の中で思ってると思う。(それは俺だけ?)

やっぱり小学生だから、お迎えにきた親を見つけると、照れながらも飛びついてく子も多いし、娘の顔みたお父さんとかもデレっと幸せそうだから、なんとなく学童クラブの存在ってそんな少し薄い感じがいいのかなと思っている。学童クラブに入室するとき、子供たちはみんな「ただいまー」って言って、スタッフは「おかえりー」って返すことになっているけど、別に本当の家とか帰る場所じゃないし。

 

 

仕事内容とか、来てる子たちの顔と名前をだんだん覚えてきて、新しいバイト先にも慣れてきた。ただ、一つ気になってることがあって。

 

あの……お仕事でクタクタに疲れて帰ってくるお母さんたちが、めちゃエロいのだ。どうしようもなく萌えるのだ。ザ・人妻。

バイトの面接の時に、このお仕事はやっぱり小さい女の子が好きな人が来ちゃったりするんだよね~って主任さんにいわれて、ロリ的な趣味は全く無いから、そうなんですか~って言ってたけど。すいません、お母さんたちはちょっと変な目で見てしまいます…。

夕方、会社に行った服装のままネギとかが見えてるスーパーの袋を手に持って、疲れた表情をしてお迎えに来るけれど、我が子の顔を見ると、この上なく優しい慈愛の視線を送るお母さんたちに、エロというかグッときてしまう。なんかよく分かんないっすけど、「大丈夫だよ。。」とかめっちゃ言われたい。

ただ、お迎えに来るお母さんたちを、掃除機かけたりしながらチラチラ見てる変態スタッフは気持ちが悪すぎるから、自分を制御していかないとやばいな…。

雑記 7月7日/夏/ T

七夕の日。去年は短冊に願い事をいくつか書いたけど、今年は書かなかった。理由は、去年書いた願い事が一つも叶わなかったからだ。1年もたったのに。欲張ってしまった可能性も大なので、今年は心のなかで延長。

 

最近数人からなぜかほめられた(内容はそれぞれ色んなことだった)。

なんか面白いねーって言われて、なんか良いねって言われた。別にただ片手におさまるほどの数の人にそう言われただけなんだけれど、普段そんなこと無いし、外が暑くなり始めてからの短い間にババッてまとまってあったから、ちょっとドキドキしている。(女の人が多かったから!!…ということもある)

 

ほめられるのはいつも突然で、ぼーっと突っ立ってると、いきなり来る。だからその瞬間はほぼ驚きしかなくて、「あ、なんかどうも、、なんかすいません」みたいなことをボソボソ言って、その場を立ち去る。恥ずかしい。

でもちょっと時間がたって、自分の中でその瞬間のことが処理できるとジワジワ効いてくる。嬉しい。夜家に帰ってから一人でニヤニヤするし、なによりとても穏やかな気持ちで布団に入れる。安眠効果。普段分泌されてない脳内物質出てる気がする。

次の日とかになると、なんか面白いねーはもしかしたらほめられてる訳じゃないのかもしれんなあとか思ったりもしてきて、一度来た波はだんだん引いていく。感情のバランス。また色々抑止するホルモンみたいなのが脳で出てると思う。うまくできてる。

 

自分が生きていること、やっていることに、他人から何かしら反応があることは、衝撃的だ。大げさな書き方だけど。それは驚きであるし、そしてだいたいの場合嬉しい。嬉しいというか、意味があると思える。自分にとって意味があるということと、自分の存在に意味がある…とかいうことをサラッと思わせてくれること。

…私が普段自分の頭の中でグダグダ考えている「自分が生きてることに何の意味があるんだ…」的なことを、少しの間考えないようにさせてくれることが、自分にとって大きいことなのかもしれない。それは、ほめられる時も、自分の欠点を指摘される時でも、あまり変わらないと思う。

…ほめられたほうがいいけど。怒られるの怖いし。

 

 

そんなことは自分の中のことだからほんとにどうでもよい。ほんとに言いたかったのは、夏風邪で体調を崩して心もカサカサになってた時に、私に声を掛けてくれて、ほめてくれた人々が、えっと、暑い日に食べる、食後の少しのアイスくらい(例えが…)、、優しくて、癒されたということと、ほんとにありがたかったのにその人たちの前ではボソボソすることしかできなかったた自分がイヤになったことでした。

 

でもなんで今の時期にまとまってほめられたのかが、よく分からない。よいことが立て続けにあると、次は悪いことが立て続けに待っているはずである。きっと。これから来る夏本番、人生の暗黒期に突入していきませんように。。と織姫と彦星にとりあえずに祈っておくことにした。怖いなあ。