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猫背脱却物語/遺書/猫背脱却物語

猫背ころすにゃ刃物はいらぬ しゃんと胸さえ張ればいい

 

ねこぜだっきゃくものがたり。長い。長くて誰にもフルで読んでもらったことがない。猫背とよく呼ばれた。

 

思えばずっと猫背だ。主に身より心が。胸を張れない。胸を張って何かが言える自信が元々ない。

じゃあなんで普段お前ワーワー喋れているかといえば、常に自分が下の位置にいると思っているからだ。

 

人への意識が強い、自他問わず。なんであいつが人柄で愛されるのか。テニス部は爽やか幸せなのか。そうなれなかった自分に劣等感を感じたくないから、言いたいことを言うようになった。

下剋上じゃないけど、カウンターカルチャーじゃないけど、失うものもないし、やいのやいの言わせてよ、と思っていた。

猫背の時点で視線は下だけど、下からじゃなきゃ見えないものが、気づけないことがある、それが命がけの武器だった。

 

ただどこかで、そんな風にしかなれない自分に嫌気はさしていた。

嫌気?とかより、ただただ憧れていた。数あるうちの一人としてその場に馴染む、普通の奴に。

エナメルバッグで通学し、家に帰ったら部活の奴らとずっとラインしながらモンハンやっているような。

ラーメンズなんか見ない、自意識の強くない普通に。

 

だから猫背「脱却」物語にしたのだ。

 

猫背の僕が、猫背を脱却して、猫背の僕が死ぬ為の物語。この物語自体が一つ、猫背の死に向けた物語だとしたら。

この名で書いてきた一年間の文字は文章は、猫背の死後を考えて書いた、曲解での遺書なんじゃなかろうか。

 

 

終わりの為に始まる。落ちる為にスプラッシュマウンテンに乗る。バルスの為にラピュタはある(と思ってる)。私はいつか猫背の自分が死んで、脱却した自分になる為に、この名前で自分を作っていこうと思ったのだろう。

 

で、今。

 

猫背の私は全く死んでねえ。ピンピンしてる。

 

加速する自意識。ひしゃげた視点。とりたくなる揚げ足。巷にあふれる嫌いな女。

空が綺麗と書くより、空が綺麗と思う奴のことを書きたい。

何かに熱中する若者って、そんな自分が好きなんでしょとひがみたい。

最近の女が着るピンクの羊を剥いだようなアウターを始めたのは誰なんだ。顔は犬とかネズミに加工して、体は羊。キメラじゃねえか。もうお前ら人間やめちまえ。

 

 

脱却しようなんて意識するもんだから、余計に感性が鋭敏になって仕方ない。もうね、猫背のリバウンドです。

 

でもね、それでいいと思うんです。気づけばそんな自分を周りも自分も受け入れてくれている(気がする)し。

初めて自分のやっかみが、人に評価され、文章が好きと言われ。無理に脱却しなくても、猫背のままの自分でいいって思ったりするようになったんです。

 

おそらく周期的にまた脱却したくなって、でも猫背のままで、みたいになるんだろう。でもそんな自分に、嫌気はあまりないかもしれない。きちんと胸を張って、猫背でいられています。プライドのある猫背です。

 

生と死は隣り合わせ。生まれた時から死に近づいて、今も少しずつ死んでいってるともいえる。それでも人の目標は死ぬことではなく、死ぬまで生きることでしょう?

だとしたら、私の猫背は生の証です。脱却を目指しもするけど、結局猫背がいい。猫背でいい。

 

一人称視点で広がる私の人生。VRゴーグルつけなくたって眼前に広がっているリアルなゲーム。

まだ一周目だし、ネタバレなしで目の前のステージクリアを目指す。終わりを見据えるのは私を操る何かであって、私でなくていい。

 

生きてる時今この一瞬の感覚でさえ、死に向けられている遺書の一ページなら、私はこれからも長い長い遺書を書き続けたい。

正確には、長くありたい遺書の、目の前のページの執筆に熱中するだけです。え?はい、そういう自分が好きなんでw

 

 

これは、猫背が一生をかけて脱却に向かうだけの物語なのです。

 

はしゃぐスイッチ/ぜんぶ雪のせいだ。/猫背脱却物語

雪の中でではしゃぐ女性は可愛いなら、可愛くなくても私も雪ではしゃいでいいですか。

私の地元である静岡県はまあ雪が降らない。どこまで寒くてもただただ寒いだけ。お天気お姉さんのいう「全国的な大雪」は残念ながら静岡をシカトしていて、降っても冷たい雨である。

地元で雪が積もったことなんて人生三度あるかないか程度だし、その積もってるだっておそらく雪国の人たちからしたら積雪の序章のあらすじに過ぎないと思う。それでも雪が目視できるレベルで「高さ」を作り出していたら、それが2センチだろうと積もっているなのだと静岡県民は言いたくなる、もとい私は言いたい。

だから横浜に来てそこそこ雪が降ったりすると、年甲斐もなく色々したくなる。

路肩に寄せられた雪は踏みたい。しもやけになっても残った雪を手でかき集めたい。草の上につもり残った雪を見て、植物って案外保冷性があるんだなあなんてしみじみするのに授業の休み時間を費やしたい。

童心に帰るという言葉がぴったりなのだが、童心に時代にそんな経験をしたことはほとんどないのである。ただこの歳になると頭脳は子供でも体が大人だからどうも周りの目を気にして、遠目にしか雪のこと見届けてやれない。

とは言っても我慢できない!二年前の雪積もった時には、シェルシュの屋外のテーブルで雪だるまを作って鼻高々であった。

最低年齢の自分が解放されてしまう瞬間がある。私の場合雪だ。眼前に雪景色が広がった時、あらゆる分別と序列とがサヨナラバイバイしてはしゃいでしまう。だから雪を見た私を見て、いつもと違う!となってドン引きされたら困る。

風呂上がりとかもそうだ。ゆっくりお風呂に浸かったあとは自慢じゃないけどすぐ熟睡してかつ寝起きがとても悪い。

雪降る温泉地に旅行に行くときなんざダブルアタックである。普段通り機能していない自分を許容してくれる人じゃなければならぬ。

みんなこんな風に何かしらはしゃぐスイッチがあるのだと思うと、大人な友達も怖い先輩も無口なあいつも、どこか可愛げがあって、それを見せない普段だって懐広く接することができそうだ。こいつ私の前じゃこんなんだけど、何かの前では子供なんだろうなぁ、と。

そうなると人類皆可愛いなのかもしれない。雪の前の私も例に漏れないといいな。

嫌いなもの/対談/ととのえ&猫背脱却物語

猫「何が嫌い?」
と「すぐ「鬱」とかいう言葉を使う人嫌い」
猫「結構いるけど、それまたなんで?」
と「そういう人ほど苦労してなそう」
猫「メンヘラ芸人化すれば結局そこに満足できるというか、しょうがないと言われるもんね。そういう話をWSでしてたら誰かに、こんなところでそんな大っぴらに言ってはダメだということを言われた」
と「あと化粧の濃い女の人が嫌い」
猫「俺も嫌いだけど」
と「かわいいと思ってやってるのかな。化粧の濃すぎる人とか」
猫「なんだろうね。芸能人とか、逆に大丈夫な人はいる?」
と「最近ならガッキーなんかは大丈夫」
猫「あー。ガッキー。あれ化粧してるのかな。」
と「常に自然体な感じだもんね」
猫「僕は田舎の静岡の高校だったから、大学入って「はっ」って思った。化粧に嫌悪感を感じるけど、あれなんでやってるんだろう」
と「まあ最低限はいいんですけど」
猫「でも、そういうことを誰かが言うのかもしれないけど、言われる奴に限って「別にあなたたちのために化粧しているわけではない」みたいなことを言うような気がする。何のために化粧するんだろう」
と「自己満?」
猫「そんな気はしないではないけど、自己満にしては外に顔が出るじゃん。だからそれを見せられるこっちの身にもなってくれってじゃないけど、気になるところではある。Snowもこれ何よってなる。」
と「女子同士ならいいと思うんだけど、わざわざ見せるものなのかな」
猫「発信している時点で、公共じゃないけど、SNSで見て「なんやねん」って思う。化粧のなれの果てだと思う。」
と「プリクラなんかもそうじゃないか。修正なんかすごい不自然だし」
猫「気持ち悪いよね。僕らに向いてないというのはわかっているんだけど、見えてしまう手前すごい嫌。あと夏場とか眼鏡をシャツの首のところに掛ける人いるけど、あれなんだと思う。」
と「そんなに深く考えたことないけど」
猫「まあ、そんなに大したことないことにいら立っているのもなかなかいないと思うんだけど。」
と「でもなんか細かいことにキレちゃったりしますよね。僕もなかなかキレない割にはどうでもいいところでキレちゃったりして。」
猫「紛れちゃうくらいどうでもいいことなんだけど、出てきたら出てきたで怒っちゃうんだよね。いらいらした時どうしてる?自制する?ほっとく?」
と「最近あまり感じなくなったんだけど、昔は自制していたつもり。顔に出てたりしてたかもしれないけど。」
猫「溜め込んでないで「これがありのままの私です」みたいな感じで素直に感情表現していたりするのを見てると、最終的に「私は私のままだからそれが世間が言うならメンヘラならメンヘラって言うの」みたいな感じになって、自称メンヘラ芸人が嫌いになるっていう話につながる。すぐメンヘラっぽいことを言う人にはどれくらいいらだちがあるの?具体的に何かあれば」
と「笑顔で、苦しんでいる様子もないのに言っている人はむかつく」
猫「余計ね、気丈にふるまっている私みたいなのでギャップを狙っているのかもしれないけど、気丈にふるまえてる時点で、じゃない。本当につらかったら来ないだろうし。結構そんな点では当たる節はあるけど。すぐみんな死にたいとか言うし。なんかちょっと自意識が過剰なだけだぞと言いたい。それでほんとに悩んで黙っている人のことをどう思ってるんだって感じではあるけど。」
と「割と自分は黙っているほうで、そう感じている」
猫「でもこういう場ですら言わない人もいるじゃん。今のととのえ君みたいに、出せる場所では小出しにでも出していくタイプの方が好きなんだけど、たまにいる、いつも黙っている人って何なんだろう。常にタイミング見計らっているけど言えない人がいる一方で、しれーっと「自分わかってる」みたいな雰囲気出して黙っている人いるけど、いやいや参加しろよって思っちゃう。でもそこで面と向かって言うのも体力使うもんね…」
と「言えないですよ。リスクもありますし。メンヘラ芸人であってもマジであっても受ける扱いは変わらない。それで周りからの評価、周りといざこざになったりしてしまうこともあるのでは」
猫「なるほど、それをやると、メンヘラ芸やっている人と同じ土俵に立っちゃうみたいなところあるね。そこでわざわざ出しゃばって、そいつらと同じ扱いになるのたまったもんじゃないよね。なんかなんだかんだみんな自分好きだろって思う」
〜少し議論が落ち着きまして〜
猫「いろんなものに気を遣いながら生きている気がするわ。小さいことから大きいことまで」
と「考え出すとなんでも止まらなくなりますからね」
猫「そういうタイプ?」
と「最近はマシになってきたけどそうだと思う」
猫「自分もそうかもしれない。考えておかないと気が済まなくなる。それがすごいこわい。時間の無駄って言ってしまえばそれまでだけど、そう思うと怖いよね。そういう時に自分でストップできる?」
と「深みにハマったら厳しいですね。そういうのをストップできる力を身に着けろってことですかね」
猫「でも理性強すぎる人ってそれはそれで幸せっぽく見えないじゃん。こうしなきゃ、とかで自分をストップできるのは。時々考えるんだけど、悩んじゃいけないと思って自分に言い聞かせてそういうの考えないようにしたほうが精神状態的に良いのか、それとも落ち着くまで考え抜くほうがいいのか、どっちなんだろうな」
と「でも悩んじゃいけないっていうのも真面目な風だから傾向的には似ているんじゃないか」
猫「ととのえ君はどういうタイプ?」
と「僕はなんも感じないというか、自然体のままで受け流せるのを目指している感じです」
猫「悩みがすっと消えていけばそれが一番理想的だよね。一晩寝てるくらいで全部どうでもよくなればいいんだけどね。」
と「でも最近悩みが少ないだけかも。本当にそれが悩みが重なっているときに効くのかどうか」
猫「それが重なっている時期って相当ヘビーな時期だよね。いろんなものが度重なって、一気に、全部投げ出したくなるタイプだから。その時になったらもうどうしようもない気もするよね。悩むことが多いね」

※コメント欄に対談後記あります

冷静さ/自分大好き/猫背脱却物語

 他人を観察するのが好きだ。どんなことを言いがちなのか、どんな身振りが出るのか、そんんなことを見ていると自然とそれを通してその人がどういう考えで何を言いそうかまでわかる。気がする。ものまね芸人が御本人の入ったことのない言葉までそれらしく真似できるのに近いのかもしれない。

 あと、人より自分との距離が遠い気がする。自分のことが好きなんだけれど、どこか別の立場から、それこそ他人を見るかのようにしか自分の立場やふるまい言葉を理解できなかったりする。それは言っちゃダメだろうと思ったら黙ったり、逆に言わなきゃダメだと思ったから言ってやったり。

 こんな性分をまとめ上げると、つまり私はすごく自分のことを冷静に見ることができるのである。感情的になっているように見えても、ここがおさえどころだってところをわきまえているから、おそらく客観的に見て収まりがいい。大人っぽいとか冷静とか、しっかりしてるって言われがちである。えっへん。

 ただその分、とにかく自分を見ていることが多い。自意識が強い。今の自分はどう見られてんだ、こういう時にはどこまで振舞って大丈夫かと、監視カメラのように私が私を見ている。それってつまり自分が大好きなんだけど、それだからこそ、例えば悩んでる時とかに自分を甘やかすことができない。悩む私は素敵じゃないことが何となくわかる。でもって、そこから抜け出せない自分もわかる。その両者の中、甘やかしたい自分より、こうあった方がもっと素敵だよと言って、頑張らせてしまう自分が強かったりする。今までそうやって、飄々と切り抜けてきたつもりだ。

 でもなんか、最近はその頑張りに限界がきたらどうしようと気になったりする。老後の心配みたいである。遠い先かも分からなければ、明日なのかもしれない。いっそ鬼よ笑ってくれ。

 誰より自分が自分に甘くなければ。自分を大切にしているとは言えない。自分で勝手に叱咤激励して、自分がそれで苦しんで、寿命が縮んでたらどうする。長期的で計画的な殺人になりかねない。犯人は俺。

 自分が大好きだ。だからこそ、色々な自分を愛さないといけない。弱い時に寄り添ってくれるのも、時に叱咤激励してくれるのも自分。人のことを一面的に見ちゃいけないように、自分だって色んな視点から見てなんなきゃダメだと思う。だから、長所である冷静さゆえに悩む自分に厳しくできるけど、あえて甘くもしてみたい。よくよく考えたら、運動部に入ってないから、忍耐とか精神力みたいなものは備わっていない。

 それでもここまでブワーッとやってのけてきたけど、まあ一つギアを落とす事も覚えなきゃならぬかもしれない。お腹がへったら外食をして、歩き疲れたらタクシーに乗る。行きたくなければブッチでもする。そんな緩さを持とうかしら。このWSを、インターンで休んでしまうあたり、皮肉なもんなのだけれど。
 

風/あったかい/猫背脱却物語

ジョイナスに出入りするとこにある、風がすごい勢いで出るやつが好きだ。あそこにずっといたい。なんの為に出ているかはわからないけれど、暖房にしてはあらゆる水分を奪いすぎであろう勢いで、温風がブババババと出ている。絶え間ないあったかい突風。暖房であっためられた部屋全体の暖かさではない、吹き抜ける強さがある。そこにずっとたっていたいと思う。

そこでなら私は「ほげえー」と言いながらブババババと全身に当たってくる温風に身を任せていればいい。いや、その間も社会的な立場とかやらなきゃいけない課題とかたまっている洗濯物とかは前後の自分と何も変わらないんだけど。なにより風に当たっているから、風以外にかまってられないわ、っていう感じで、頭からそれ以外のことが吹き飛ばされる。今は風に集中したいんです。ジョイナスからちょっと進んだらいる居酒屋のキャッチにもここでなら「あ、すいません風に当たってるんで」って言える。私から見さえすればだが、温風と戯れている私は無敵だと思う。

一度あそこで立ち止まってしまうと、なかなかに動き出せない。温風とじゃれつく時間を少しでも長めに感じてしまうと、もう終わって欲しくなくなる。とはいえ出口でずっと止まっているわけにはいかない。一歩足を出し、風が届くゾーンから離れる。これまで向かってきた風はフッとやみ、取り囲んでいた温風たちが少しずつ退いていく。楽しいーとか思っていた時間がおわる。ずっと動いていたものが止まる。マグロだったら死んでいる。

風が収まってしまった時のもの静けさは、当たっていた時のわいわい感の裏返しで余計に色濃い。祭りの後の静けさ。祭りが始まる前も同じくらい静かだったはずだのに、振り返っても、以前の静けさの姿が見えない。そのくらいにあの風の存在は大きい。さっきと同じ気温のままなのに横浜駅はどこか寒いのだ。あったかい風のせいで寒さが際立ってたら元も子もない。

それでもジョイナスに入ったくらいで、もう出口の温風のでるところを気にし始めている自分がいる。風にさえ寂しくなってたらキリないわ、と立ち止まることなく出口に向かう。それでも温風はそんな私に優しい。一瞬だけブババ、と暖かさをもらいながら、やんなきゃいけないことを考える。今は立ち止まっている暇はないのだ。いつか少し肩の荷が下りたら、無限にあの温風に当たりに行くのも悪くないとか思いながら。

政見放送/食レポ/猫背脱脚物語

師走。寒い。着込む。暖房。寧ろ熱くない?アイス買おう。

この季節でもアイスがコンビニに陳列されているのは、人々のこんななんでもないマジカルバナナ的単純思考回路のおかげであったりする。冷凍庫のような外の寒さに耐えてコンビニに向かい、暖かい店内の中、外のような冷たさの冷凍庫の前に歩み寄る。

狙っているのは他でもない。バニラの白でもチョコの黒でも抹茶の緑でもない。冷凍庫の中でひときわ目立つ水色のパッケージの其奴を取り出す。その名も「ぎっしり満足チョコミント」。どこのコンビニにあるかは、大人気になったら困るから言わない。でもそこなら必ず置いてあるので安心なのだ。まじ感謝。まじサンクス。

持ち帰る。食べる。美味しい。チョコミントの何がいいって甘味であるのに甘すぎず清涼感を持ち合わせていて、くどさを感じさせないとこだと思う。かといってミントの涼しさが突き抜けすぎることなく、端々にアクセントとして合いの手を入れてくれるチョコチップ。どっちも必要。つかずはなれず。ふたりはプリキュア。MAXミントである。

チョコミントが好きだ。胸を張って言える。しかし世間には心無い人間が悲しい哉大勢いて意味のわからない言葉を投げかけてくる。「歯磨き粉じゃね?」である。これに関して私は往々に異議を唱えさせていただこうと思う。

まず、こんなとこから説明しなければならないのも残念だけれど「歯磨き粉は食べ物ではない」。チョコミントアイスの目的はアイスとして食されること。一方歯磨き粉は歯を磨くための練り物である。日本では薬事法で薬用化粧品とかに分類されるらしい。へえ、知らなかった。チョコミントのこと歯磨き粉って言ってるやつは大福のことファンデーションって言ってるようなもんだぞ、ということである。そこ、首を傾けない。

これはあくまで推測だけど、チョコミントアイスのことを歯磨き粉と揶揄する人はもしかしたら歯磨き粉のことを食べ物だと思って生きている可能性がある。だから真のチョコミントアイス好きなら、歯磨き粉と評してきた相手をまず笑顔で受け入れ、ひとしきり話し終わったあとで呼び出し「えっと、すごくいいにくいけど、歯磨き粉っていうのは歯を磨くための製品なんだ。でも無知は君が恥ずべきことじゃないよ。悪いのは、歯磨き粉は食べ物じゃないなんて言わないでもわかると高を括っている、日本の怠けた教育さ」と、こっそり諭してあげるのが筋ってもんではないだろうか。

という話をこの前友人にしたら「ダメだこいつ、チョコミントがもう脳にまで来てやがる」と言われた。褒められてるなら照れちゃうな。とはいえ、理論でわかってもらえなかったら事実で勝負ある。

こんな話を知っているだろうか。あるチョコミントアンチが、チョコミントのことを歯磨き粉と似ているという都市伝説を裏付けるべく、厚生労働省に両者の味覚データの調査を依頼したそうだ。その結果「歯磨き粉は食品ではないため、食品のチョコミントと比較することはできません」と返された。つまりは厚生労働省が両者の相違性を示したのである。チョコミントの裏には日本政府がついているのです。強いでしょ。

要するに、チョコミントは歯磨き粉じゃないです。チョコミントで歯を磨かないし。チョコミントが歯磨き粉だったら歯磨き粉の食レポを書いています。マイノリティである自覚はあるのだから、少数の弱みに付け込んで煽ることはやめてください。断じて許されないはずです。

納得できない差別問題にチョコチップのような一石を投じ、日本の社会にミントのような清涼感を。以上、日本チョコミン党党首、猫背脱脚物語でした。…あれ、テーマ政見放送だっけ。

酔 vs 素/夢の対決/猫背脱却物語

飲んで本音を語ろうという。大事な話なら素面でして欲しいという。この二つが、どうも上手くいかないでぶつかり合う。どうも大事な話には本音が必要になってくるのだ。

 

お酒は理性を外すためにあると思っていた。だから眠いやつは寝るし喋りたいやつは喋るんだろう。そんな、拘束具から本音の自分をを放つための鍵。日頃から言いたいことは我慢しない私は、やはりお酒が入るとさらに我慢しなくなった。言いたいこともずっと言える。そして感情にもより素直になる。お酒を飲んでる時に自分の気持ちに初めて気づくこともあった。素面の自分が言い訳して隠していた本音を見つけることができたのは、酔っていたからだった。

だが、酔っているときに言っていることが全てとは言いたくない。どこか人と話していて言葉が上滑りする感覚が生まれる。素面では考えもしなかったこともポンポン出てくるようになって、普段なら少しも共感できない話に「そういう気持ち、分かるなあ」と言って感傷的になってしまう。

場に乗せられている、というと言い訳になる。でも素面の時に思い返すと、あの時の私の中の人、誰なんだろうあれという不審感に苛まれ、私と認めることができない。酒は飲んでも飲まれるなというが、じゃあ誰に飲まれてるんだよと聞きたくなる。それでも私の口から出た言葉は私の言葉で、あんなこと言うつもりがなかったとしても、私が言ったことになる。

 

素面でいる間はそこに何者かわからない言葉は混ざってこない。そりゃもう真剣に物事に向きあうことができる。なまじ真剣だから、100%私由来の気持ちを、ぽわぽわしていない頭で誠心誠意考え抜いて、その頭で言葉を選んで話そうとできる。飲みに行こう以外にお茶しようという言葉があることに妙に納得してしまった。あれって昼と夜どうこうではないんだ。酔ってしまってたらちゃんと話したと言えないことがあって、そんなぞんざいな扱いじゃ話したくない内容や話相手だから素面で話すんだ。

でも、考えごとはしっかりしていくのがいいばかりではない。自分の気持ちを理解し伝えるべく真面目に考えていくと、他のものにぶち当たっていく。自分の気持ちを話したいと思っても、聞く人の気持ちを考え出して天秤にかけだす。嫌な気持ちに、迷惑に思わないだろうか。

素面で自分の本音をよりシャープにしようと、研磨していく。でもどこかでその歯止めがきかずに、色々な事を気にかけて延々と研磨していくと、気持ちは細く弱くなり、最後には消えて見えなくなってしまう。

だから、大事な話なら素面でして欲しいってそんなん出来たら苦労はしないのである。素面では、その大事な話は消えてしまうのだ。酔わなきゃ見つからなかった気持ちは、酔って考えの研磨の手を止めてから伝えることしかできないのだ。

 

飲み会の席で、僕は彼女の事が好きなんだと気付いた。素面では理性が言い訳して気付けなかった気持ちに気付けたのは酔っていたからだった。彼女のことを考え続けた時は、素面だった。そのまま気持ちを伝えたいと思っていたけど、結局自分に正直になれずにいて、考え続けた気持ちを告白できたのは缶チューハイ1本空けた後だった。

そんな彼女に振られた。お酒に酔ってた時の姿や言葉がダメだったみたいだ。別れ話を聞く僕は素面で、酔っていた僕の贖罪はできなかった。

 

酔ってて初めて気づいた気持ちって、素面で言っていいのだろうか。
素面で考えたけど言えなかったことって、酔って言えても言っちゃダメだったんだろうか。
酔った僕と素面の僕、どっちを大事にすべきなんだろうか。

 

酔えるようになった以上、この二人の自分の葛藤に振り回され続けていく。僕の体が一つだから、酔った自分と素面の自分はリアルタイムで戦えない。分裂してじっくりと対決してくれたなら。審判も僕がやって、解説も僕がやって、この試合を僕の今後に活かして、幸せになれるだろう。そんなの夢のまた夢で、本当は素面の時の意気地なしをなんとかすりゃいいとか、酔っても周りに流されないように自分を強く持てばとか、そもそも飲む量をどうこうすれば、なんてわかっているんだけど。強い二人を備えた僕は弱くて戦えない。だからお前らガチンコで戦ってくれよ、僕の代わりに。

系男子及び女子/大作戦/猫背脱却物語

やたらと努力の姿勢は見える人がいる。

 

高校生時代のバレンタインデーのこと。女子高生たちは花嫁修行でもないのに自発的に手作り菓子の持ち寄り会を開く。私もなんとかクラスメートからお菓子をもらうことができた。その中でとびきり美味しいスイートポテトを持ってきた子がいた。あまりにも美味しくて、どうやって作ったのか聞いてみた。

彼女は「お気に入りのお店のスイートポテトが気に入ったので、その味を再現した」みたいなことを言っていた。おかし作り好きなんだねーというと、普段は全く作らないらしい。じゃあ大変だったんじゃない?と聞くと、本物に近づける為試行錯誤して行き着いた結果であり、本当に大変だったといっていた。疲れの混じった、それでもやりきったような表情は、いい顔ではあったけどバレンタインデーの女子の顔よりかは製造側の顔に近かった。

本人が満足できているし美味しいし、全てそれでいいのだが、どうもその時の彼女を思うと「正直買った方が早いんじゃない」といいたくなってしまう。元の値段より安くできたとしても、多分人件費を差し引いてトントンだ。試行錯誤の結果行き着く先は店頭で先回りしてるのだ。完成形の見えた試行錯誤なんて、ディアゴスティーニで十分だろう。しかし誰も幸せにならなそうで、芋からこだわったスイートポテトのモソモソ感の中にその言葉を混ぜて飲み込んだ。

 

こんな風に、なんかやけに壮大なことをやってのけようと大作戦を立てたがる人たちがいる。大作戦系男子/女子である。概してハイリスク、というかハイ努力をしなければハイリターンはないという考えで生きている人たち。それに見合う大エネルギーは一体どこから湧くのか。そういう人たちに限って作戦の大きさに圧され気味だったりするのに決してめげないのである。

おそらく彼らには理想像、撮れ高みたいなものがあって、そこに到達するには自分の納得いくこの大作戦しかない!と思っているのだろう。クラスの文化祭委員とかする女子はたいてい大作戦女子である。作戦は壮大なほどやりがいがあって、練れば練るほど寝れない遠足前夜のようにワクワクルンルンが高まっていく。それが達成され大満足するビジョンが、どこかに情熱大陸のカメラでも入ってるのかと言わんばかりに脳内で描かれているのだ。

でも、そういう大作戦に限って抜け道があったりする。根本的な解決だったら絶対こっちの方がいいんじゃない?というような、コストをかけて「大」作戦にする必要がなくなるアプローチ。当の本人たちは大作戦を立てることに夢中になって、それ以外には目が届いていない。でも、それを外野はどうこう言っちゃいけないのである。アドバイスとか、客観的な見解を言おうものなら「でも始めちゃってるしー」みたいな、余計なお世話という怪訝なリアクションをされてしまう。

じゃあルンルン大作戦に水を差さないようにと黙っていたら、今度は終わった後に「わかっていたならなんで言ってくれなかったの?」みたいな、知的財産は共有して当然じゃん?みたいな態度を取られたりもする。えぇー。だって言っても聞かなそうだったじゃん。何様だよ、とか言いそうじゃん。となる。八方が塞がる。四面を大作戦系に囲まれる。

 

大作戦系は、概して自分の大作戦が成功することが全てというか、何より大作戦が大好きなんだろう。青春なんだろう。そしてなぜか、他のみんなも当然同じベクトルと信じてやまない。こちらからしたら青春は結構なのだが、君たちの青春の一ページに巻き込まれるとなるとさっき言ったみたいになる。エキストラならまあ別に、と出演してものすごくダメ出しされたら溜まったもんじゃない。

なんとなくお分かりの通りで、私はこの手の大作戦系が苦手である。だが、ここまで書いてきて、結果ばっか見て過程を重視しない、努力の価値を軽んじてる最低野郎なんじゃないかという自己嫌悪に陥ってきた。それでも店と同じスイートポテトを作る気は微塵も起きないし、ここはひとつ、苦労を買ってでもしよう大作戦でも始めりゃいいのだろうか。なりたくねえなあ、大作戦系。

綺麗なお部屋/片付け/猫背脱却物語

ごめんなさい、みんな帰っちゃったのに残ってもらって。先輩いてくださって助かりました。やっぱ男子だけじゃダメです。ここまで綺麗にするところがあるぞっていう意識が誰一人ないから。

もうあとは手前どもでやるんでどうぞ休んでください。フローリングに直で申し訳ないですけど。まあおかげでダンボールだけのスッキリしたお部屋になっちゃいましたね。ミニマリストですね。ダンボールもうちょっとずらしてならべたら枯山水っぽいかも。龍安寺ですよ龍安寺。先輩修学旅行京都じゃないんですか?

あ、氷結と三ツ矢サイダーっていう二択だったらどっち飲まれます?ああ、今日原付でしたかすいません。じゃあ氷結もお家持って帰ってください。どうぞどうぞ。

あ、はい、そっちの荷物はそのままで大丈夫です。業者さんがやってくれるんで。重いんで。中?冬物です。捨てられないんですよね、実家にも服もうほとんどないし、あるだけ全部の冬物なんで。

僕の服が全部であの二箱だけっていうの面白くないですか?僕の見た目のほとんどがあの箱の中身で構成されてるんですよ。人間一人の人生なのに。あれなら多分金持ちのリカちゃん人形の方が服多いですよ。え?まーあんまり自分じゃ買わないですからね。見るのは好きなんですけど。

買う時は、だいたい一人ですかね。古着屋とか行っちゃったりするんで。ダメな人はてんでダメじゃないですか、古着って。

先輩も買うとき一人なんですか、意外。いえ、女の人こそお友達とお買い物行くイメージ強いから。ああいうの楽しそうじゃないですか。ワイワイ、ガヤガヤしながら一緒に服選ぶのって、疲れるのかもしんないですけどいい疲れな気がします。

行けばいいじゃない、って簡単に言わないでください。僕の周り服の趣味バラバラなんですよ。女の子なんてもってのほかですよ、どう誘うんですか。行く相手?がいないのかって、いやー、ま、いないわけじゃないですけどそういう感じじゃないからなアレも。

え?行く相手?まあ、います。ってか彼女?が、います。今日?いや別にいないですね。あ、引越しのことですか?まあ落ち着いたら連絡しようかなと思ってたくらいで。はい、まだ連絡してません。

連絡は、とらないですね。前にしたのいつだろう、こんな感じなのに連絡するのはいつもこっちからなんですよ。

まあ、多分元気だと思いますよ。倒れてたら誰かしら友達から伝わってきます、回覧板みたいな感じで。

…あー、まあもしそうなら大丈夫ー?って連絡くらい入れるかもしれませんけど、家近いわけじゃないからそれ以降何もできないですし。寝てたらなんかなーとかって。気にしすぎですかね?

それでいいのか、か…それがどれなのかよくわかんないですけど。まあ少なくとも僕はそれでいいです。うまくいうの難しいし、先輩に何話してるのってなっちゃうんであんま言いたかないですけど。あ、続けろと、ハイ。

なんか難しいんですよね、でも。彼氏って言葉がそんな強大でどうするみたいなのは前々からおもってたことなんで、それでいいじゃんっていうスタンスでいるんです。そうはいっても!みたいな気持ちになったときもそりゃありますけどね。それはたまにで、普段は別段そういう感じではないです。

なんでそうなったか。うーんと、そもそも論になっちゃいますけど、だって僕が好きになったのは僕の彼女になる前の彼女であって、それが僕の彼女であることで彼女のことが好きじゃなくなるようなのって、全くもっておかしな話じゃないですか。

だからどうか自然体でいてほしいかなーって。多分意識がそっちばっか向くのに慣れてないと思うんで、それが負担になったんじゃ元も子もないじゃないですか?

ラブリーサマーちゃんって歌手が好きって話しましたっけ。その人の曲で歌詞に「とっちらかった言葉をぶつけて困らせてごめんね」って言葉があって。それが「下手くそな恋も終わり」ってフレーズの後にくるんですよ。

エモくないですか?えっとエモいっていうのは、、、そのまあ、感情がたかぶるというか揺さぶられるというかそういう感じです。鳥肌、まではいかないけどジーンてなる感じ、あったりしません?

んで、僕はその曲聴いたときに、あー、とっちらかったらいけないんだなあってなったんです。変ですかね?だってそしたら下手くそな恋になって終わっちゃうんですから。

だからなんというかそうならないように、自然でないにしろ、言葉のとっちらかんないような、んでぶつかんない距離感にいたいんです。ごちゃごちゃ近くにいるよりスッキリ遠くにいる方が、衛生も精神衛生もいいんででょうね、やっぱ。このお部屋みたいなもんです。

あ、もう帰られますか。ご飯どうします?お家で食べられるならそれでいいすかね。僕は適当に松屋行くんで平気です。片付け最後までやっていただいて。おかげで部屋だいぶ綺麗になりました。今度ちゃんとお礼持ってきます。先輩甘いものだったらなに好きでしたっけ?

はい?きれいごと。えっと、それはつまり?

あ、ちょっと

(バタン)

・・・きれいごと。

いない場所にいるあなた/気になるあの子/猫背脱却物語

 いるはずのないところに、いるはずのない人を考えてみる。怖い話ではない。仲良くなった/なりたい人について、ふと「この人と出会う局面がここじゃなかったら互いに仲良くなっていただろうか」という妄想を繰り広げるのだ。大学で出会った友達が高校のクラスメートだったら、中学からの旧友とバイト先で出会ったとしたら、時空も飛び越えて先輩が同い年だったらとかも考える。

 考えの行き着く先はすこし結論が見え透いていて、結局今の形で出会えたのが一番だねえ、と丸く収まって終わる。だからって丸く収まるから考えなきゃいいだろうって話じゃないんですよ。「やっぱりおうちが一番って思うから」って旅行するの無駄とは思わないでしょう?そこに行き着くまで思い出を巡らせて、自分の過去にわざわざ有りもしなかったあなたを招き入れてみる。冷静に考えたらただの妄想だけれど、そうだその妄想がすきなのだ。すきですてきなのだ。

なので例にもれず考えました、考えてました、あなたのことも。

 どんな恰好で通学していたか知らないあなたがウチの高校のブレザー着てて。席はなんとなく前の席替えから変わらずに近くて、また一緒だねなんて話して。帰りのHR終わってもすぐに帰らず誰かと、教室の隅より少し真ん中、休み時間よりも遮る音のない教室にいつもよりあなたの声が響いて。間を縫うようにして僕が教室から出て行こうとしたらじゃあねー、っていってくれるみたいな。(こんな感じで進みます)

 どうやら強そうで弱い人。自意識が割と強いけど、多感なお年頃、それを行使して皆んなにわかってほしいとかは思わないくらいには大人、それは高校生のあなたでもそうだと思う。つるむ仲間はウチのクラスじゃ石川、泉、中村たちだな。ああでも、「クラスを引っ張っていくウチら最高の友達芸人」の彼女らにどこか合流できない何かを感じながら、でも班決めで一緒になってる。お弁当もそこと食べてるんだけど、食べ終わったらすぐに自分の机戻って次の英語Cの予習を終わらせてる。僕もぬけぬけとそれにあやかろうとする。減るもんじゃないからといって見せてくれるけど、たまにあなたが弱い日があったら予習プリントは真っ白で、そんな日のために僕は少しずつ予習をやるようになりたい。

 クラス外に仲いい相手いるのかな?クラスの中の関係でお腹いっぱいになって、それ以上面倒になってる気がする。でも絶対男子と話すの上手いのよあなた。特にこなれた進学クラスにいるウチの男子なら。さっきの三人娘よりも上手いこと男子と(人)付き合いできる。でもぱっと見で伝わる理知が、男子に自分のペースで話しかける気にさせない。新垣結衣が昨日も可愛かったーとか、今日3限寝てたでしょとか、話しかけても困るだろうなって思われてるタイプ。ほら、男子は自意識過剰だから。でも実際は困らないしむしろ気軽に話しかけてくれていいのになぁと思ってて、だとしたら私はズケズケとそこに入っていきたい。つまり

「3限のノート見せてくださいよ」

「え、寝てて一部白紙なんだよねごめん」

「あー、知っててあえて言ってますw」

「てめえ」

(笑い)

「見ます?」

「うん」

↑こういうことしたい

分かり合えてると思ってもらう必要はないけど、他の誰かよりかは分かってる人でありたいんだ、なんとなく。なんか僕と頭のベクトルが同じだから。

 やっぱり、あなたをみかけたのが大学で良かった気がする。何にもぶつかることなく泳げる大海原にいるあなたがあなたらしくて素敵です。高校という狭い水槽の中にいるあなたってちょっと息苦しそうで、少し儚げで。儚げ、って魅力的だけどそのまま消えてしまう怖さがどこかにあるから。

 だから、もしそんな姿を見かけていたら。あなたが34HRのどこかで少し浮かなそうな顔してたら。やあやあって話しかけて、くだらない会話でもして、無駄に議論とか白熱して、話すの楽しいし今度一回スタバでも行きましょうよって。なけなしの勇気とお節介でそう言ってたかもな。