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髪を切るいくつかの症例/昨日、髪を切った。/縦槍ごめんね

自分の場合

昨日、髪を切った。

昔から、美容師のことが嫌いなので、非常に行きたくなかったのだが、あまりの不潔感に耐えられなくなり重い腰をあげた。

大体、美容師は何であんなに、世の中の全てを楽しんでいるという自信に満ち溢れているんだろう。髪をセットしただけで世の中そんなに楽しくなるとか、どれだけ前世で徳を積めばそうなれるのか秘訣を教えておしい。

後、彼らは夏にはサーフィンに行き、冬にはスノーボードに行き、一年の半分を板に乗って過ごすわけだが、そんなことを髪を切りに来た客にもどこか自慢気に話す。100歩譲って、話すのはいいが、何故僕がサーフィンやスノーボードに乗ると思うのか。そんな見た目か?

「お客さん、ボードやられないんすか?」

「あ、あ、はい。あの、・・・スノボはやらないです。」

「マジすか!?ボードやらないんすか?意外っすね。」

「あ、まぁ、はい。あ、・・・スノボは」

「まじ、やっといたほうがいいっすよ。ボード乗るとスキーとか戻れないっすよ」

いや、スノーボード、略してボードなら、ホワイトボードのこともお前はボードって言うのか!?

「お前日直じゃね?ボード消しとけよ。」

こんな使い方と、お前のボードの使い方は一緒なんじゃ。

まぁ、こんなに内心カリカリしたところで、いざとなると

「あ、全体的に短くしてください。」

しか僕は言えないので、いつも同じ髪型になってしまうのだが、いつか勇気を振り絞って、真剣佑みたいにしてくださいと言える日が来ることを祈りながら、頭が軽くなったのでよしとすることにした。

 

女子高生の場合

昨日、髪を切った。

明日からの林間学校に備えて準備ばっちり!

髪を切っただけじゃなくて、ちゃんと水着も買ったし、あ、でもパンケーキ食べちゃった。もう、折角ダイエットしてるのにぃ。でも、まぁワンピース型だから大丈夫。えっと、後は、色々なんか、あれも処理もしたし、後は、後は、・・・小関くんに告白するだけ。

小関くんがショートカットが好きだっていうから、今まで大事にしてきた長い髪をバッサリと切った。これは、私なりの覚悟なの。

あー、この髪型見たら小関くん何て言うかな。

「髪切ったんだね。」

「あ、うん。変じゃないかな?」

「変じゃないよ。むしろ似合ってんじゃん。前よりずっといいよ。」

「え、ほんとに!?」

「ほんとだよ!・・・かわいいと思うよ。」

「うれしい。・・・よかった勇気出してみて。」

「え?なんかいった?」

「うんうん。何でもない!!」

あー、もう、なんか、妊娠しそう!!!

小関くんって、草食系だけどほんとは、男らしいところもあるって私だけが知ってるの。皆は、小関くんのことをいじって楽しんでるけど、むしろ私は・・・、もう、なに言わせんのよバカ!

あ、妄想してたらこんな時間。後、三時間しか寝れないじゃない!でも、まあこれで明日の寝てないアピールも成功間違いなしね。まずは、最初に目立つことが大事なんだから!

じゃ、明日の成功を祈って、ぐっどないとぉ。

 

おばあちゃんの場合

昨日、髪・・・。あら、昨日?
いや、一昨日だったかしらね・・・。えーっと、あ、あら?
昨日は確か、日曜日よね?

「由香さん?昨日って日曜日よね?」

「おばあちゃん?まだ起きてたの。昨日は、水曜日でしょ。」

「そうだったかしらね。そうね、そうだったわね。」

「もう、2時よ。私、明日も仕事だからね。お休みね。」

「ごめんなさいね、由香さん。おやすみなさい。」

皆さん、お待たせしてごめんなさいね。そう、昨日髪を切ったの。昨日の日曜・・・。あれ、昨日は、あー、何曜日だったかしらね。多分、日曜日だったわよね?

「由香さん?由香さん?」

「なに、おばあちゃん?また起きちゃったの?」

「あれよね、昨日は、日曜日よね?」

「だから、昨日は、水曜日だよ。とにかく、明日も早いから、ちゃんと寝なきゃダメよ。」

「ごめんなさいね。そうそう、水曜日だったわね、昨日ね。ありがとうね。」

「おやすみなさい。」

「はい、由香さん、おやすみなさい。」

・・・そうね。昨日の水曜日にね、髪を切ったの。まるで、若い頃に戻ったような、そんな気分だったわ。それで、そのまま由香さんとご飯を食べに行ったのよ。確かあれは、中華・・・。いや、イタリア・・・。いや、お肉だったわよね?お魚・・・?

「由香さん?・・・由香さん??・・・由香さん!?」

「もう、おばあちゃん!!今度は何!?」

「昨日、髪を切った後、私何食べたかしらね?」

「髪を切ったのは、今日よ!!それで、そのまま、夜にお寿司を食べに行きましたよ。」

「あ、そうね。お寿司ね。そうなのよ、お寿司なのよね。」

「そうですよ!もう余計なことは考えちゃためですからね!
じゃあ、おやすみなさい。」

「はい、おやすみなさい。」

そうそう、お寿司をね・・・?あれ、髪を切ったのは、確か、昨日だったから、お寿司もその後に食べたのよね?

そうだとしたら、・・・私、今日の夜何食べたかしら。

「由香さん!!!!?」

 

槇原敬之の場合(※空想上のものです)

えー、昨日、髪を切る歌をね、僕作りまして。明日、早速披露してきます。

いつも僕思うんです。僕って天才なんだなって。どの歌詞をみても、あー、この角度から来るのか?って皆さん思ってるでしょう?あれ、僕も歌詞思い付いたときに、感じるんですよ。

結構、当たり前のこと、いってるはずなんだけど、何て言うんでしょうか。こう、なんか、僕って上手いですよね。世界に1つだけのはな何て、その最たる例だと思うんですよね。

「No.1にならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」

こんなの、道徳の教科書で小学生の時習うことですからね。それを、ああ、今言うかっていう絶妙なタイミングで売り出しましたよねー。

多分皆さんの僕のイメージって、凄いピアノの前でストイックに歌をね、考えてるイメージだと思うんですけど、実はそんなことなくて、いや、そんなピアノにかじりついて作詞するとか、ダサくないですか?それって才能のない人間がやることだと思うんです。

僕は大体、うんちをしてる最中に歌詞を思い付きますよね。下から汚いものを出す瞬間に、上からきれいなものが降ってくるみたいなイメージですかね。

「どんなときも」とか、「もう恋なんてしない」とか思い付いたときは、ものすごい緩い日だったんですよ。下のコンディションが悪いときほど、なんか、上から降ってくるものは素晴らしいことが多いですね、はい。

まぁ、でも、僕も挫折はありましたよ。中々いい歌詞が生まれなかったときもありまして。その時、長い間便秘だったんですよ。それで、知人にお腹にいい薬だからって、すっきりするよって進められた薬を打ったんですよ。もう、そしたら、みるみる歌詞が湧き出てきて、もう、その薬なしじゃいい歌詞ができないと思ったんです。ほんとに、快便にもなりましたしね。・・・でもね、それが、覚醒剤だなんて・・・。信じてほしいのは僕、ほんとに、知らなかったんですよ!でも、それじゃまかり通りませんもんね。今ではその友達とも完全に縁を切って、ほんとに、自分の実力だけで歌を作ってます。僕を改めて迎え入れてくれた人々に感謝しています。

そんな感謝の思いもこめて、書き上げました。今回の「髪を切る日」という歌。明日心を込めて歌いたいと思います。それでは皆さんお楽しみに。

 

次の日の収録の場合

さぁ、いよいよ僕の出番です。ちゃんと歌いあげるぞ!!

その前に、タモリさんとのトークも頑張らなきゃ!

「タモリさん、お久し振りです!!」

「・・・髪切った?」

シコリマクリスマス/クリスマス/縦槍ごめんね

※一部不適切な表現が含まれます。

俺の名前は合田夢二、32才。お笑い芸人志望のフリーターだ。大学時代に入った落語研究会の影響でお笑いの道に進むことを決めてからはや10年。築いたものといえばこの無駄な芸歴と、クソみたいな相方と考えた無数の使えないネタくらいだ。m-1もキングオブコントも10年出続けているが、両方三回戦止まり。勿論こんな成績の芸人なんて星の数ほどいるわけで、そんな俺の仕事は、月に二三度に来る劇場でのネタ見せくらいのものだ。芸人としては月に二万円稼げればいいほう。後はバイトを掛け持ちしてやりくりしている。この前、そのバイト先の居酒屋から社員になっても何とかしてやれるといわれたが、変なプライドが邪魔して断ってしまった。もう実家には5年以上帰っていない。帰らなくなってすぐくらいのころは両親も心配してたくさん連絡をくれていたが、今となっては、お米を送ってくれる時ぐらいしか連絡がない。

前置きが長くなってしまったが、何故こんなに、俺が世界の終わりのような精神状態いるかというと今日がクリスマスだからだ。・・・嘘だ。年末だろうが、ハロウィーンだろうが、海の日だろうが。なんかこう、ただてさえ元気な若者がいる街がより一層活気をます季節は、俺もかつてはそうだったよななんて、思い出して辛くなるからいつでもネガティブになってしまうのだ。

こんな日は、昼間近くの公園にいってひたすらホームレスを眺めて、家も職もある分こいつらよりましだなんて思って少し元気になったあと、スーパーで6枚切りの食パンをかってきてその公園にいる鳩にひたすらパンをちぎっては投げ、ちぎっては投げする。その従順な鳩の姿をみていると俺にもまだ何かを動かす力があるのかもしれないと思えてくる。そして、全てのパンを投げ終えたら、TSUTAYAにいって、5,6本のAVと賢者タイムように、オーシャンズと南極物語を借りて帰って、ひたすらしこっては映画を見るを繰り返す。

彼女は、もう8年間いない。俺がずっとネタ作りにうつつを抜かして、全然構っていなかったことが悪かったのだが、寂しくなった彼女は酔った勢いでもあったらしいが、バイト先の男と一夜を共にしてしまったらしい。自分から罪悪感に耐えられなくなってそんなことをカミングアウトする彼女は本当に心の優しい子だったんだなと今なら思えるが、当時はそれをきっかけに別れてしまった。そして、それ以降たまにそのことを思い出して興奮してしまう自分にも気づいてしまい、あ、俺ってこんな性癖あったんだ。なんて思って、より自分の中で踏ん切りがつきにくくなってしまって以来、この事を思い出すことを意図的に避けるようになった。彼女を作らないのは、ここにも原因がある気がしている。決してできないわけではない。

まぁ、そんなことを少しだけ思い出して、後は四畳半のアパートに帰って万年床になってしまった。もう大学時代から使い込んだペラッペラの布団に寝転がり、ひたすらにしこる。ご飯を食べることもめんどくさくなってひたすらにしこり続ける。六時間以上しこり続けて、布団の回りはティッシュだらけになった。

わー、ホワイトクリスマスや。なんてほんとにしょうもないことを3秒だけ考えて、またしこり始めた。

いつからだ。いつから俺はこんなオナニーしか趣味のない、ザーメン出すマンと化してしまったんだろうか。元々はかなり研究熱心だった。お笑いの勉強も必死にしていた。自分がでないライブにも足を運んだり、負けた賞レースの決勝戦も穴があくほどみて、今世間ではどんな笑いが評価されているのかをずっと考え続けて、そこにたどり着くためには一体どうすればいいかばかり考えていた。・・・何かきっかけがあった訳じゃないいつからか、録画したネタ見せ番組をみても、なにも感じなくなった。もう無理だと悟ったわけでもない。なのに何でこんなことになってしまったんだろう。こんなんになってもずっとm-1とキングオブコントだけ毎年のようにHDDにたまってることも自分の中で消化しきれずにいた。

オナニーをしているときだけ、そんな自分を忘れられた。ちんちんを触っていれば頭で考えなくてすむ。ただちんちんの赴くままに行動すればよかった。

「ピンポーン」

こんな日に誰だ。俺の家を訪ねてくる奴なんて誰もいないはずなのに。ドアを開けるとそこには宅配業者の人がいた。

「宅急便でーす。ここにサインお願いします。」

「あ、あ。あー、はぁ、はぁん」

普段「お箸つけますか?」「はい」しか会話がないので咄嗟に変な返事しか出てこなかった。そんな僕にも優しく接してくれたヤマトのイケメンのお兄ちゃん。こんな日までバイトしていることも相まって、俺の中での好感度今までの人生の中で一番跳ね上がっていた。お兄ちゃんが帰って、送り先を見てみるとそれは実家からだった。連絡もなしに物を送ってくるのは珍しいなと思って段ボールを開けるとそこにはいつも通りの米といつもと違う手紙が入っていた。

「夢二へ。
あなたが芸人になることを志して、10年が経ちました。まだ東京で頑張っている夢二のことを考えると邪魔しちゃいけないなと思い、中々こっちから連絡できませんでしたが、せっかくのクリスマスなのでサプライズということでお米を送ろうかなと思い立った次第です。」

母ちゃん、サプライズからもう少しましなものを送ってくれよと思ったが、こんなダメ息子を変わらず大切にしてくれていることに、免じて許すことにした。続きにはこんなことが書いてあった。

「まだ東京で頑張るつもりなんでしょうが、正直、そろそろ実家に戻ってきてもいいんですよ。お父さんもそろそろ定年になるので口には出しませんが、帰って来てほしそうです。まぁこんなこと言ってもあなたと反抗心をあおるだけなのかもしれないけど。でも芸人になることに反対していた私達だったけど、最近は東京で活躍してる夢二を見たいなという思いが募ってきたのも本当のことです。分かってると思いますが、うちは三局しか入らないんだから、ちゃんと有名にならないとテレビで夢二の姿みれないんだから、頑張ってくださいね。うん、伝えることは伝えました。後はあなたの頑張り次第だと思いますが、頑張り過ぎて体壊さないようにね。何かお米意外に送ってほしいものがあればいつでも連絡下さい。

母より」

・・・なんか、ずるいななんて思ってしまった。こんなこと言われたらまたどうしたらいいか分からなくなってしまった。もう何も俺に期待しないでくれ、何も選ばせないでくれ、そんな資格俺にはない。モヤモヤした気持ちを振り払うようにまたしこり始めたが、精子の代わりに涙が沢山でた。もう、全然ちんちんが反応しなくなっていた。

「・・・ちくしょう」

一言、そう呟いて、久しぶりに録画だけしていたキングオブコントとm-1をみた。ああ皆、面白いなこのにゃんこスターってのはちょっと分かんないけど。とろサーモンはさすがだ。部屋にあった大漁のティッシュをゴミ袋に詰めて、おれはお米をたきはじめた。

バタフライエフェクト/縦槍ごめんね

タイムリープそして、そこから影響を受ける様々な出来事を描いた作品は、コメディ作品からシリアスな作品まで多く存在している。今から新しいタイムリープ手法を用いた作品を創造するのは至難の技だろう。僕はよく、タイムリープものは演劇でしかもコメディ作品としてみることが多い。コメディにとってのタイムリープは我々視聴者にはわかっていることが当事者達には分からないという部分であったり、タイムリープそのものの目的やその方法が馬鹿らしかったりと。タイムトラベルというものを使用しながら、それを小馬鹿にした作品作りが目立つように感じる。

一方で、その効果に真っ向から向き合った作品がバタフライエフェクトや他の例だとSteins;Gateのようなものだ。大体、人生の分岐点をやり直すということが主題になってきているが、これは我々が誰しも一度は体験した妄想であり、その妄想体験をファンタジーとして代理してくれるこれらの作品は感情移入というより、一種客観的に不幸を眺めているような感覚に陥る。このように、どうしようもない現実を変えるためにタイムリープというファンタジーを利用しているにも関わらず、それでも尚不幸になっていくということに我々は何を求めればいいのだろうか。

黒歴史という言葉がある。誰しもが抱えている消え去ってしまいたい過去。では、もしその過去に戻れたとしてその黒歴史をやり直したいと思うだろうか。消し去りたい、忘れたいとは思うかもしれないが、やり直したいという自分のトラウマ的側面を掘り返すようなことはできない。不幸の先に幸福があるという短絡的な考え方を持つことは中々難しい。バタフライエフェクトなどのタイムリープ作品は私達のそういったどうにもならないだろうなという諦めのような部分を見透かしてきている。

だから、不幸を幸福に変えようなんてポジティブな考えの持ち主はそもそも、変えたい過去なんて作らない。あったとしても、それを違う形で昇華している。僕にはタイムリープというギミックを使って、世間を多少馬鹿にしているような作品の方がしょうにあっていると改めて感じた。

ダンサーインザダーク/縦槍ごめんね

ダンサーインザダークという作品は結末までに、多くの分岐点で、不幸になる選択肢を選び続けてしまう。これは、セルマの逃れられない運命だったのか。そして、あの結末で本当に、作品としての終わりを迎えてもよかったのだろうか。話し合いのときにも出ていた話だが、もともと監督が用意していた結末は、息子の手術も成功せずに、本当に絶望の真っ只中でセルマの死刑が執行されてしまうというものだったらしいが、セルマを演じていたビョークがあまりのストレスに演じきることができずに、結末を変えざるを得なかったという。

しかし、この話を聞いたときに我々は本当はどっちの結末を求めていたのだろうか。映画化された結末から得た印象としては、セルマはまるで、わざと不幸になる選択肢を選んでいったような印象を受けた。それは、彼女が最後母親としての幸福を得ることを叶えたように見えたからだ。さらにこの映画にはセルマ以外に、女という価値を大事にしている存在が出てこない。つまりは、選択としてはセルマは女としても母親としても幸せになる道がはなから用意されいる状態だったのである。更には目が見えなくなるという誰しもが同情的にならざるを得ないハンディキャップがそもそもある。つまりは、映画が始まる瞬間、先天的なヒロイン性がセルマには備わっていたのだ。

しかし、ある意味この我々、客観的な存在の同情は、結末によってある意味まくられることになる。最後に、母親としてこ幸福という光を我々にかいまみせる。もし、元々の結末であったら、セルマが意図せずに不幸に墜ちていくというどうしようもない不条理というものが一貫した人間の習性として府に落ちる部分もあったのかもしれないが、この光が何か、我々ではないそれこそ制作者という神の存在によってねじ曲げられてしまっているように感じる。

我々の世界にも神として崇められるような、存在はたくさんいるがその存在を本当に感じるのような瞬間は訪れるのだろうか。

ちゃんこという愛を/クリスマス/縦槍ごめんね

クリスマスイブ、私は何故かちゃんこ鍋を作っていた。

元々、クリスマスに演劇の公演を野外でやろうよ的なプロジェクトがあったのだが、そこで、私が「お客さん、なんか温かいもの食べたくなるでしょうね」という一言を発したのを皮切りに、色々話が変換していき何故か、最終的に私が無料でちゃんこ鍋を振る舞うという謎イベントへと変わっていった。名前もそのまま「聖中村ちゃんこ」安請け合いしてしまったが、僕はそもそもちゃんこ鍋を作ったことがないし、何故ちゃんこ!?という疑念を残しながら、公演本番になった。

ちなみに、この公演には僕も役者として参加しているため、役者としてのプリセットもしなければならなかった。皆さんは意外とこの役者のプリセットが大変だということを知らない。衣装を脱ぎ着しなければならないときは、それを脱ぎやすい、または着やすい位置にちゃんと設置しなければならないし、小道具類も使うときと使わないときでスタンバイの場所が変わったりしてくる。これが他の人との場所取りとかの兼ね合いも含めると大変なのだ。更に、プリセットが終われば役者として、集中力を高めておきたい。台詞も少しは確認しておきたいとなるとかなりの時間をとられることになる。

そこに、未経験のちゃんこの用意である。正直本番前は、ずっとバタバタしており、また、これは僕に責任があるのだが、本番が終われば鍋ということで締めのうどんを用意していたことがまた、僕の負担を何倍にもした。

しかし、僕はここで妙な高揚感に襲われることになる。ちゃんこを配って食べている人達がみんな寒さに震えていた顔から、安心感のある、まるでこの世の幸福がそこにすべてつまっているような笑顔を浮かべているのだ。それをみた私は、それはそれはテンションが上がった。今までは、被災地に炊き出しに行く芸能人をすごい馬鹿にしていたが、この幸福感を味わってしまうと炊き出しをボランティアでするアホ達の気持ちもなんとなく理解することができた。炊き出しをすることで、僕は一瞬ではあるが、すべての人々の感情を思ったようにコントロールしたことになる。これはほぼほぼ神にしかなしえない所業だ。

寒さに震えている人間に、無償でちゃんこという幸福をさずける。宗教の教祖にでもなったような不思議なこの感覚は、ただの飲食店では駄目なのであろう。やはり幸せにする人間には、対価のない愛が必要で、そこでは完全な上下関係を作り出していく必要がある。

私は、ここに、「セイントちゃんこ教」を開くことを決めた。主な活動内容としては、12月24、25日に寒さに苦しんでいる、また孤独にうちひしがれている人々に全国各地でちゃんこを振る舞うというものだ。しかし、私一人の力では全国各地をまわるなど不可能だ。つまりは、まずは同士を募ることから始めなければならない。そうなると誰が私のこの意見に賛同してくれるだろうか。私の身近な人々に相談するのが最初だろう。それでも全国を回るには人数は足りないだろう。後は誰か、、、。ちゃんこに愛情があり、全国を回ることを苦にしない包容力のある人。

これは、お相撲さんしかあり得ないのではないだろうか。最近相撲界もゴタゴタがあり、相撲界も疲れきっているだろうと私は感じる。彼らが今幸せを感じる瞬間はなんなのか、ちゃんこをたべているときではないだろうか。まず、私が始めることは、身近な人々から募った同士と共に相撲部屋を巡回し多くのお相撲さんを率いれることだと感じた。更に、相撲部屋には部屋によって様々なオリジナルちゃんこが存在しているという。その味を統率し、「セイントちゃんこ」という完全無欠のオリジナルちゃんこを完成させることも出来るだろう。あの見た目と美味しいちゃんこがあれば、皆の心に幸福をさずけることができるはずだ。これは強い味方になる。

そして、私は最終的にどうなっていきたいのだろうか。私はこの機会にすべての人にちゃんこによって笑顔になってもらいたい。だからちゃんこを愛している人であれば、別段私でなくてもいい訳だ。当然、ちゃんこは私だけのものではないし、皆のちゃんこであるという前提のもと私も活動を考えている。要するに、最終的には日本中の家に「セイントちゃんこ」が溢れることだ。元気がなくなったとき、やっぱりセイントちゃんこだねって思われる。そんな存在になりたい。そして、みんなちゃんこ愛の赴くまま、私達のセイントちゃんこを超える、新たな伝説のちゃんこを作っていってほしい。私の心が、間違っていなかったと私の意思を次ぐものに託していきたい。

とにもかくにも、この野望を実現させるにはより多くの同士と、世界を繋ぐためのちゃんこ愛が必要だ。そして、その資格はあなたが、気づいていないだけで心の奥底に眠っていて、呼び覚まされるのを待っている。さぁ今こそ羽化の時だ。私と共にちゃんこで世界を救わないかい?

同士からの連絡をわたしはいつでもまっている。

メールアドレス
chanko1224@seint.ne.jp

バックラッシュ!/フィードバック/縦槍ごめんね

●フィードバック

私は、こんなにフェミニズムということやジェンダーの問題に関して考えたことはなかったが、一つ感じたことは、この作品における考え方が、何か気持ち悪いということだ。何回か集まって、班のメンバーでも話したことだが、何か的が外れているような、にもかかわらず常に好戦的に私達を攻撃してくるような文章だなと私は感じてしまう。公私混同しているというわけでもないのだが、ジェンダーのことを女性が語るときに、常に被害者面しているのが気にくわない。というよりも、被害者にしかなれないんですという顔を平気でしている女性達にいらだってしまう。私自身も班のメンバーも恐らくは勉強不足であると思う中で議論を進めていったが、常にそこは袋小路だった。恐らくはこの苛立ちは、無意識的に矛盾の香りをかぎとっているからなのではないかなと思う。一体なんの矛盾なのかも意識して、表面化させることができないが、ジェンダーについて語るときに、この虚無感をどうすれば無くせるのか、そして、被害者面した加害者達の論拠はどこにあるのか気になるばかりだ。

バックラッシュ!/要約/縦槍ごめんね

●澁谷知美

彼女は、男女共同参画社会へのバックラッシュに立ち向かうという運動にあまり、能動的になれないでいたらしい。それは、バックラッシャー達の言動に都合の悪いことを隠蔽し、あたかも論拠にのっとったような態度に浅はかさを感じているからだ。

その一例として、司法試験対策の塾LECが出している「法律文化」という雑誌の男女共同参画社会に反対する記事を取り上げており、男女共同参画社会というのは、科学的、生物学的にも証明された『性差』まで強制しようとするものだということをメイントピックとしておいている。しかし、そこには先走った予想や、まだまだ解明できていない問題が孕んだ矛盾点などが多く存在しており、その雑誌の本編では、趣旨に沿わない結論に行き着いている。それにも関わらず、LECは、その曖昧にフォローした社会的影響論を完全に削除するという浅はかな行動をとっている。このような姑息さが彼女のバックラッシャー達に立ち向かう言動力を奪っているのである。

●マーティン、ヒューストン
・マーティンのジェンダー・センシティブ

そもそも、マーティンが提唱したジェンダーセンシティブとは、プラトンのセックスやジェンダーに全く注意を払わない立場とルソーの教育において、ジェンダーこそが唯一重要な要素であるという立場に対し、二つの立場が余りに極端で応用性がないため、ジェンダーをそれが重要に関係するときは考慮に入れ、そうでないときは無視する、という第三の立場について語ったものである。しかし、日本ではこのジェンダーフリーという考え方が誤読されたまま伝わっている。その要因の一つとしては日本にはジェンダーに対する日本語が存在していないことが挙げられている。そこから、ジェンダーについてのヒューストンは、ジェンダーとは人の性質ではなく様々な方法で作り上げられる人々の間の関係性であるという考え方を述べている。

・シンポジウム「公教育はジェンダーフリーであるべきか」

ヒューストンとカナダの哲学者キャスリン・モーガンがそれぞれのジェンダーに関する立場で、公教育をジェンダーフリーにすべきかという話し合いを進めた。その討論の中で、ジェンダー・センシティブの立場をとっているヒューストンはジェンダーフリーを公教育に持ち込むことでお互いの性別が持つ社会性の良さを打ち消しあってしまうのではないかという主張をしていた。マーティンもこれに同意をしていたが、まだ男性優位の世の中に変わりはないということが、ジェンダーフリーという立場をとっている人間の主張でもあるのではないかということも考慮に入れている。

・バーバラ・ヒューストンの「ジェンダーセンシティブ」と「ジェンダーフリー」

ヒューストンは、ジェンダーセンシティブというマーティンの生み出した考えに強く賛同している。その理由をこの章では主に述べている。ジェンダーフリーやジェンダーバウンドの方法というのは、淘汰のエッセンスが強く、必ず望ましくない結果がつきまとうことになる。しかし、ジェンダーセンシティブという概念は、目的を達成するための議論が必要であり、ジェンダーの作用について常に調べ、特定の状況においての思考を巡らせることが出来るのが強みだとヒューストンは言う。そして、それは一般的な社会にも応用可能である。

・ジェンダーバイアスについて

ジェンダーバイアスとはそもそも、ジェンダーが影響すべきでないときに、影響させること。またはそうすべきでない方法で特定のジェンダーをより高く評価することを言う。しかし、その言葉の意味合いはとても広く人によってその捉え方は様々であり、とても分かりづらいと山口さんは述べる。そして日本には、バイアスという言葉に近いニュアンスの、差別や偏見であったりする言葉しか存在していない。だから一見バイアスという言葉はひどく攻撃的なニュアンスであると思われがちだが、そこには中立的な意味合いも含まれている。ヒューストンが述べるジェンダーバイアスは社会的にも実際に起こっている男女の歪んだ扱い方の差にあるという。しかし、あまりにも強い表現の男女差別にはバイアスという言葉はそぐわないとも話している。つまり、ヒューストンとマーティンの考えるジェンダーバイアスはより、リアルな社会的実践に基づくもので、残虐すぎるものにはバイアスという言葉は優しすぎると結論付ける。

・方針としてのジェンダーセンシティブ

ジェンダーセンシティブというのはバイアスを持たずに接する態度であるという日本の学者もいるが、ヒューストンはこのような心理的な現象としての解釈ではなく、社会的な様々な機能を見ていく必要性を問うために導入されたものだと述べる。ジェンダーセンシティブは常に変わりゆく現状について、よく観察し研究を重ねることでしか、考察できないものである指針であり、日本はその複雑な現状の考察不足である。そして、ジェンダーというものを考えたときに、この抑圧からの解放やジェンダーというものを消そうという考えも出てくるが、これは思考停止であり、この考え方こそが女性の権利を奪うものであるという結びをヒューストンとマーティンはしている。つまりは、ジェンダーについて常に考察し様々な機会を設ける必要性があるのだろう。

・教育と「女性」というカテゴリー

昨今、脱構築派のアプローチによって、「女性」に関する状況を討論するのが難しくなっているそうだ。これは上記で述べた危険性にそのまま直結することだが、今女性という言葉で、カテゴライズすること事態が地雷になりつつある。つまりは、ジェンダーフリーという考えが完全に、ジェンダーというものを撤廃しようとする動きに変わってきているということだ。これについてマーティン、ヒューストン、山口は三人とも恐怖を感じている。ジェンダーを撤廃してしまえば完全に女性のための社会なんてものは実現しないからだ。そして、ジェンダーセンシティブという方針は、常に色々な状況に立ち戻って考え直すことができるという点においてここでも有効になるという。構造をなかったことにするのは簡単であるとヒューストンは批判する。しかし、彼女たちは常に考察し、制度を変えていくことを望んでいる。

・フェミニズムと政治

脱構築がすすみんでいる、現在で三人のフェミニストが抱えている不安が、今自分達がどのような立場で言葉を発しているかというものだった。ヒューストンは自らのことをラディカルフェミニストだと自負していたが、このラディカルという言葉やリベラルという言葉の現在の持つ意味を見失っているようであった。しかし、それぞれのフェミニストとしての活動の根幹のようなもの、影響を受けたものが今も変わらずあり続けているのであり、それは日本もアメリカもカナダも変わらない。

・社会全体の変革の重要性

ジェンダーについて、法律に組み込むためにはジェンダーセンシティブやジェンダーフリーといった概念的なもの以上に、より明瞭なものが必要である。ジェンダーセンシティブという方針は先読みをすることができずに常に現状を変えていくということしかできない。女性の本当の意味での社会的な平等というのはどれだけ苦心し続けても、中々手に入れることができるものではない。それほど今の男女間での不平等というのは根深く、そして強い。だから、ただ意識を変えるだけでは根本的な解決には結び付かない。何故そのような意識が生まれたかというのをより、マクロな視点でみなければ女性を取り巻く状況というのは一向に進展しないのだと、根本からの変革の重要性をマーティンとヒューストンは唱えている。

・言葉を戦略的に選択する

ジェンダーの平等について、ヒューストンは教育におけるセクシズムの撤廃をあげている。また、山口はジェンダーフリーという言葉の登場によって日本における男女平等の在り方が曖昧になっているという批判により、今必要なのは性差別とセクシズムをなくすというより、はっきりとした言葉であるとも述べた。そして、様々な言葉や考察を重ねることでしか、議論は起こり得ないと、ヒューストンとマーティンは語る。公民権運動では差別の要因を個人から制度に移すことで、より活発な議論を行い、制度の変革をなし得た。日本では逆に差別は個人に起因するものであるという考え方が主流で中々、話が進展しないという指摘もあった。つまりは、大幅に制度を改革しようとするためにはその根幹をどのように持ってくるかの戦略が必要であるということだ。

権力は暴力/ネット記事/縦槍ごめんね

http://www.sankei.com/smp/entertainments/news/170726/ent1707260012-s1.html

昨日、ミヤネ屋の最中に謝罪が行われてましたね。正直浅野もでてこないし、なんかふわっとした謝罪で視聴者の芯を食ってない感じでしたが。まぁ、この問題はミヤネ屋側に問題があるわけで、高須社長の怒りももっともで、そんなことより思ったのが権力を持った人間を敵にまわすのって想像を絶するほど怖いということ。

普通だったらこれは表沙汰にならずに、スポンサーを降りられるかとか訴訟を起こされるとかしてたんだろうけど、高須社長はtwitterで自らの怒りを自分の手で発信している。これは、売られた喧嘩を買ってる感じでとても感情的に見えた。

そして、結果は見ての通り。ミヤネ屋の完全敗北。権力者に楯突くとボッコボコにされんぞ、っていうのをまざまざと見せつけられた。高須社長はこう矢面にたって戦争するから面白いし危険だ。でも世の中の上の方々はもっとヤバイやつらもいると思うと下にいる方が幸せかも。

お茶の間の意見/物申す/縦槍ごめんね

バラエティ番組を見ると、いつも同じような顔ぶれの芸能人たちが同じようなセット、スタジオで面白くもない会話を繰り広げている。それに観客達はヤラセのようにゲラゲラと笑い、テレビの前の我々の顔はどんどんと冷めていく。

・・・こんなじゃなかったはずだ。俺が昔腹を抱えて笑っていた、そして憧れていたバラエティー番組や芸人達はもっとお茶の間に笑いを届けるために必死に体を張っていたはずだし、自分達が心血を注いだネタを披露していたはずだろ!

いつからか、日本と外国とを比べるバラエティ番組が増えていった。外国人に無理やり日本のいいところは四季があるところと言わせる番組だ。いやいや、外国にも四季らしいものはあるだろ。なんで日本限定やねん。後はやっぱり日本の文化って素敵やんと言わせる番組。何で今さら愛国心を高めなきゃいかんのだ。そういうのは民法じゃなくて、渋くNHKが深夜に報道して俺達がフムフムするだけでいいんじゃ! ゴールデンにそんなくそ番組をぶちこまないでくれ。

最近、スタジオでグダグタグダグダしゃべるバラエティが増えたのも腹が立つ。困ったら人の悪口か、下ネタしか言わない。別に俺も下ネタが嫌いなわけじゃない。どのチャンネルをまわしてもそれしかやってないことに腹が立っとるわけ。BPOは取り締まる番組を間違えてるんじゃないか。

まあ、とやかくいってきたが多分俺が年を重ねてしまったのも一つの要因だと思う。最近はどんなバラエティ番組より、プロフェッショナルが面白く感じてしまう。でも、昔のようなアホらしい番組をまたどんどんやってほしいし、早く有能な若手に年より芸人は席を譲ってほしい。つまんないから。

TO 本が読めなくなる

同じ年代の人物が出てくる作品が辛くて読めない。なるほど、いい質問ですね。現実とファンタジーとの間に存在する、得も言われぬ気持ち悪さを感じて、読んでいても純粋に楽しむことが出来ないことはありますよね。

しかし、これはあなたが消費者の立場にたっているからです。人の思い描いた作品に自分がマッチするなんて相当確率が低いでしょう。そういう本に出会ったとき人はそれを運命の一冊として、命朽ち果てるまで神格化し続けます。つまりは、それほどまで消費者として作品を自分の思い通りに読むのは難しいことだと思います。

ここで、僕が何を言いたいかというと、妄想力を鍛えましょう。いわゆる脳内二次創作をするのです。そうすれば、少しはただ作品を享受する立場から広く視野をもって、読書にいそしめるはずです。なんならその勢いで小説とか書いちゃって、あなたワールドを作り上げてしまってもいいのでは?