θn のすべての投稿

ツークツワンク、女/昨日、髪を切った/θn

昨日、髪を切った。

 

そういやそうだったわって、鏡を見て気づく。

そんな朝を人生で何回か経験しているわけなんだけど、未だに慣れない。

 

クラスの皆に気づかれても気づかれなくても何だか気まずい、そんな割り切れない恥ずかしさみたいなもの。見ず知らずの人に「何あの子の髪型、変じゃない?」なんて、言われもしないはずのものへの緊張感。

確かにそういう不安定が、あの朝には必ずあった。

 

そんな幼年期から思春期にかけての長い間、私は結構髪の短い女生徒だったのでした。

 

人の目が気になる、でも大衆に迎合したくない、挫折から生じるドラマでも成功に準じた伝記でも勝てないならせめて正しく。

「早く大人になりたい」の具現化みたいな子供だった。

 

 

 

何度も書いたけど、自分の中のかさぶたとか傷跡を見せるのってやっぱり得意じゃない。(何度もって言っている時点で矛盾臭くて楽しい)

 

トラウマは抑圧された欲望であり記憶。平たーく要約すればフロイトさんがそんなことを言っていて、つまりゼミでもかなり語られた部分なんだけど、それってことはこの私が後生大事に抱えているこの苦い思い出たちは、病理に成りうる重大な絶望でも、ましてや致命傷でもなんでもないってことなんだなぁって。余すとこなく出来事に優劣つけられるってのは、平凡にありえないことなんだなって。こういった類の感覚を小生意気な私は一枚のポスターから受け取ってしまったんですね、ああ、かわいそかわいそ。

 

うーん。なんか凄く遠回しにごたごたと言ってしまっているな、うーん。

ほら、傷でマウンティングする、みたいな話も一時期流行ったじゃないですか。不幸自慢ともいうあれね。(3年生、またゼミの話をしている。辟易せざるを得ない)

 

あれに勝手に巻き込まれては負け続けるのって、性格によっては取り返しのつかない虚しさの原因になると思うんです。少なくとも私の人間形成には大きく関わった出来事周辺なんですね、これ。

 

もちろんそれなら負けないために努力すりゃあいいんですけど、基本的にはその勝負、仕掛ける側も大概他の試合では勝ててない連中だから、どうだって良いんですけどね、ほら、子供にとって避けられない理不尽ってあるじゃないですか。「社会にでたらこんなこといくらだってあるよ」って言われる方のじゃないやつね。そういう理不尽の話してんじゃねぇんだよ。

 

語り下手だなぁ、何が言いたいのか書きながら整理しているからとても読み物じゃないぞ。と思う一方で、本来文章とはかくあるべきなんて言い訳が自分の中で浮かんできたので続けますね。やっぱり小説にしとけばよかったなんて言わない、言わないぞ。

 

 

 

私はですね、私は自分が賢くて頭が良くて理知的だと信じて疑わなかった、もしそれが今だったのならどうしようもないだろう頃がある。大人びて鋭利で聡明で謙虚で勇気があると。

 

私の世界では血気盛んな子は幼稚、意見をはっきり言えない子は愚鈍、男子に媚びている子は馬鹿。さっき小生意気なんて言ったけど、生き辛かったことまで思いだされるから、それへの擁護ね。

 

そんな考え方のもとにいるのだから、当然傷を晒す奴は目立ちたがりだし、傷を執拗に隠すやつは臆病になる。

 

私は、こういうやつらを蹴飛ばして踏みつけて、そうやって大人物になっていくんだなぁと子供ながらにとっても素直に考えていたのでした。本当にまっすぐに信じていた。

 

いたのだけれど。

 

 

『助けてと泣く人よりも、泣けないあなたが心配です』

 

 

このね、このフレーズ。

 

学校に貼ってあったポスターのスローガン。自殺を止めるために紡がれた言葉だったらしい。

 

沈黙が金なのは日本だけの文化だから、みたいなフォローを当時話していた大人に言われて、でも私日本人なんですよねーって心底その人を馬鹿にしたことまではっきり覚えている。

 

ひどいよなぁ。泣きもしない、しっかり「助けてください」って言える人間になろうって志してたのに、大人がこんな風に辛さに順列つけるから。また救えないのがさ、これに対して泣くことも、静かに傷つくことももはやできないこと。

 

いつまで経っても忘れられない。「私、根に持つタイプ」だから、で済ますことが自分に対して憚られる。根に持つタイプとかどーだって良いんだよ。トラウマが忘れられる何かだとか言うなら、これは致命傷じゃないのか?自分が痛いことにも気づいてない「あなた」がそんなに偉いか?痛いから痛いですって自分で表明して自分で手当をしようとできる人間は強いのか?同じ傷だったんじゃないのか?これは死にたいって言ってる奴は死なないなんてそんなわけないのと一緒だ。言葉に出す元気があるなら、主張できるなら、その繰り返しが今まで何を産んできたのかわかってないのか?まだわからないのか?

 

 

 

そんなこんなで、ゲームオーバーなしのとんでもゲームに自分が、というか誰もが組み込まれているなんてことを幼いなりに悟ったのでした。馬鹿でぇ。

 

とんだツークツワンク少女は(最高にダサくて逆に凄く気に入ってる。こういうライブ感ってやっぱり文章書いてる中で大切なんだねぇ)やむを得ず、それを物語の原動力にしていくのですね。あっこれようやく本筋に戻せそう。

 

私は結構髪の短い女生徒だったのでした。

 

髪ってのはやっぱり可愛らしさの象徴!

なんて言ったら怒られるのかな。

表現が自由だから最近はどんな思想だって叩かれる。「表現する」ってことに対しての垣根がさよならしてるもの。もー、疲れてるならネット見ずに日記でも書こうぜ皆。誰かに見られることが重要なのは良く知ってるけどさぁ。本当に見て欲しい人は見てないんだから。

 

でね、髪が短かったもんだから、ボーイッシュ担当を任せられちゃうわけ。

すごいね、学生の中にしか、特に女生徒の中にしかない不文律は確実にあって、それは憲法とか飛び越えて絶対なんですね。「自由」とかも通用しない更なる社会。天界と同様。私が通っていた高校にはいじめとかなかったけど(知らなかっただけかもしれない。この頃はもう愚鈍の楽さに身をずぶずぶしている)。

 

演劇部で男役なんてやれば、いよいよ私は女生徒界の「男子生徒」だ。

 

共学だったのにねぇ。そんな役柄、本当はいらないはずなんだけど、キャラクタライズめっちゃ重要、現代、って斎藤環も言っていた。(曖昧です)踏み込まなくていいし、同じフィールドじゃないって受け取ってもらえるから特に嫌じゃないと感じでいたあたり、私は『泣けないあなたが〜』って言えてしまう大人への階段を登り始めていたのだろう。それがとんでもなく嫌だ。大人になりたくない。大人になりたくない。大人になりたくない。

 

女生徒からチョコを貰い、女生徒から腕を組まれ、女生徒からキスをねだられた女生徒。

面倒だからまた髪を切る女生徒。

「やっぱり短い方が似合ってるね」

うるせえ聞いてないんだよ女生徒め。

 

私だって、似合ってるねって言われて嬉しいシチュエーションで、似合ってるねって言われたら嬉しかったんじゃないかな、もうすぐ女生徒じゃなくなってしまうからわからないけど。

 

大学生はもうあの世界を構築できないから、女生徒じゃない、か?な?

 

 

全部、傍で起きてりゃ少しは楽しめた。自分の周りにあるこれは、劣悪な娯楽作みたいで興味がでない。またゼミの話するけど、女性は誰もが自分のことを主人公だと思っている、みたいなやつ。あれずっと納得いってなかったんだけど、もしかしたら私は自分主人公の舞台これじゃない感を抱えている系主人公なのかも。ラノベみたいだね。

 

 

うわ、スタジオ課題ラストなんですね。これ。

大学入ってから小説書いてもいい場があって良かったのかなぁ。

振り返ってみた結果論なんだけども。

 

就職活動してると病むよ、みたいなこと言ってる個人をTwitterの中で山ほど見るんだけど(多分自分が就活生になったことによって目につくようになってしまった)それもTwitterで言ってんだったら社会変えてくれたら良かったのにさあ、なあ大人!みたいな気持ちになる。

 

あ、今気づいたぞ。

だから私は大人になりたくないのかも。これだから大人が言えなくなっちゃう。

ずっと嫌だったから、10代の人達に大人と共犯者だって思われたくないもんね。間違いなくこれから社会に出たらこの手の気まずさがずっと抽象的なものになってしまうような、そんな確信があるんだろうね。

 

髪が短かったころの私。

自尊心をただただ守りたい私。

言葉とか物語の必然性がなくなりつつある私。

 

それがアイデンティティになるのなら、なーんちゃって。

どっから大人になるかなんて、主人公なら自分で決めるよ、畜生。

バタフライ・エフェクト/θn

バタフライ・エフェクトを見ました。随分前に見たことがあった気がするんだけど、まあぼんやりとしか覚えていなかったから「あーそうだこんな感じこんな感じ」という感じだった。

 

時間ループものって言ったら結構齟齬が気になったりしちゃう。まあそりゃそうである。

なぜかって私は余り物理とか得意ではないけれど、やっぱり時間ループなんかしちゃいけないっていう罪悪感から来てるんじゃないかなみたいなね。わくわくのタイムリープものって言ったらやっぱりバック・トゥ・ザ・フューチャーとかあるけど、あれも結局は大団円のための決死のリープをコミカルに描いたものだったりして、ほんとに無意味なところにリープは生まれない。名作だしむっちゃ好きだけどね、バック・トゥ・ザ・フューチャー。

 

過去か未来か、いけるならどっちがいいかなんて、ひみつ道具でどれが欲しい?の次くらいには言われてるけど、確かに今を変えたいなら過去に行かざるを得ないから、今回の映画っていうか、基本的にループものって選択肢が用意されていなかったりする。未来から遠回りしてどうこうみたいなのとか、好奇心のために能力が用いられることってない。自分の現状に不満をいだいたり、あるいは不安に思うことで物語が動き出す。物語がそういうところにしかないとも言える。

 

私は、というか、並に生きていたらタイムリープして現在を変えるなんて絶対やりたくない気がする。並ってよくわかんないけど、どん底に自分がいるっていう自覚があるときとか、支柱を完全に失ったその瞬間とかそういうときに使ってしまうのが相場である。

 

バタフライ・エフェクト見ていても思ったけど、変えた未来が必ずしもよくなるとは限らないっていうのがある。なんなら変えれば変えるほどひどくなっていくみたいなパターンもある。創作物としての(現実で可能なのかは知らない)タイムリープものが増えに増えていった今だからこそ、いざ踏み出せなさそうな感じがする。隙間産業的に物語が作られることの弊害がこんなところにまで……。

もう戻れない私の日常!/シラサキマイ/θn

〜〜あらすじ〜〜
私の名前はシラサキマイ!突然現れた白馬の王子様に連れ去られたい高校2年生なんだけど、まさか本当に現れるなんて思ってなかった〜〜!!
なんと、転校生のハニュウダイキくんがまさに私の思い描いていた王子様そっくりだったの!そんなダイキくんにいきなりキスされた私……。そしたら幼馴染のケンタまで私の彼氏になるって言ってきて……!!??

わたしの高校生活、これからどうなっちゃうの~~~~~!!!???

 

 

 

 

*****

 

〈第3章 惑星ユグドラシル〉

「ダイキくん、それ、どういうことなの……?」

昨日よりもずっと大きく見える月と、炎で悲しいくらいに明るい横浜の街が遠くに見える。
風に煽られて露わになったダイキくんの整った目鼻。確かにずっと前から思ってたよ、王子様みたいって。切れ長な瞳がすっと細められた。笑っている、らしいのに、あまりにも高潔で冷徹で私は息を飲んだ。

「マイは、俺と一緒に来ればいいじゃんって言ったの」
「そうじゃなくて」
「このままだとラグナロクが起こる。父さんは確実にこの星を新しい巨人族の世界にするつもりなんだ」
「何言ってるかわかんないよ……」

 

ダイキくんが別の星から来た王子様で、月に住む神様たちから追われている身で、これから地球で大きな戦いが起こるなんて、急に言われても受け止められなかった。

それに何より……。

「……学校を燃やしたのはダイキくんなんだよね」
「……」

氷みたいな表情が背けられる。ああ、本当なんだ。
日常はこんなにも簡単に壊れてしまうんだ。あれだけ望んだ夢物語が目前にあるって、私は目を瞑る。ダイキくんが現れて、いきなり、その、キスされて。

ずっと自分をどこかに連れ去ってくれる誰かを探してた。

「だから何だって言うんだよ。学校なんてもういいじゃんか!いいかマイ、俺と来れば絶対に助かる。遠いところに連れて行ってくれるって母さんが約束してくれたんだ。それで、ラグナロクが終わったらまた地球に戻ってこよう。それで幸せになろう」

だからさあ、俺の手をとれよ!

 

ダイキくんは辛そうだった。

 

「くっそ、何処行ったんだあいつ……!」
「ケンタくん、ちゃんとスコープで見てる?見つけたらすぐ教えてね?」
「わかってるよ!!」

ユミの操縦は的確だった。どこまで風に炎が巻き上げられても、決して揺れることのないヘリの機体。完全に身体を任せてあのバカ幼馴染の姿を探すけれど、本当に逃げ惑う人々に掻き消えてしまったのか捉えることができない。

「どこまでも手間かけさせやがって……」
「……!?ねえ、ケンタくんあれ!!」
「ああ?」

遠くに見える2つの人影……、あの姿は……。
ヘリの速度が上がる、みるみる近づいていって、気づけばその表情まではっきりとわかった。
なんで……。

なんで泣いてんだよ、マイ!

「任せたよケンタくん!ずっと好きだった女の子、助けてあげて!!!」
「言われなくてもできるわぁ!!!」

 

「マイぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」

 

空から聞こえてきた声はどこまでも正義の色を宿していて、俺はここにももはや居場所がないのだと、創れたはずのそれを壊したのは自分自身であると悟った。

「よう、ライバル」
「ケンタ!!!!」

それは地球にきてから見たアニメ映画さながら、美しい救出劇だった。
あーあ、俺はやっぱりアンチヒーローなのか。
月が近づいてきて、閉じ込めていた自分の中の暴力を感じる。

 

 

「銀狼、フェンリル……?」
この声、誰だったかな。確かマイとすごい仲の良かった子……。

マイ。マイ……。

 

 

「こっちに寄越せよ!」

自分の声は思った以上に人間から離れていて、笑ってしまった。さよならだ、地球。好きだったよ。マイ。

 

眼下に燦々と輝く街。
惨事の突風が、誰よりも美しい俺の髪を撫でた。

秋とゴールテープ/明るい小説/θn

あ、トンボだぁ。
しかも赤トンボ。なんかトンボって悠々というよりはしんどそうに飛ぶよなぁ。

「有紗、呼ばれてるよ!」
「あえ?」

ビルに囲まれた大して広くもないグラウンド。そこに並ばせられた40人弱の女子生徒。体育の授業は週3回、決められた時間に鬱屈を運んでくる。それこそ季節を知らせる何かに思いを馳せてしまうくらいには。

「顔やばいってばアンタ」

先月体育教師に注意されてから、クラスのみんなが私の顔について指摘してくるようになった。

「気抜いてた」
「できないならせめて授業態度ぐらいは良くすりゃいいのに」
「うーるさいぞ、栞」

できないからつまんない。つまんないからやる気も無くなる。やる気がないからよりできない。高校に入ってからの体育の授業で運動ができるようになりたいなんて思ってないしそれはそれでいいんだけど、にしたって多分ひどかったんだと思う。

『巻島さん、やる気ないなら帰っていいのよ』
『なんで?!』

勿論実技の方がよっぽど嫌いなわけだけど、延々と続くオフサイドの説明を前にもの凄い顔をしていたらしい。その上ぼんやりしていたから不意に出たのはタメ語。クラス全体が「笑ってはいけない体育の時間」の収録になったみたいだった。あのとき一瞬振り返って馬鹿にしてきた栞め、絶対許さん。

「3年A組 巻島」

完全に名前を覚えられてしまったのは、態度のせいか、それともこの綺麗な字のせいか。やる気があるのはゼッケンだけだ。未だ白く、パリッとしている。

秋が確実に来ていて1番困っているのは私。
金木犀より先に体育祭の匂いがする。私の学校は、ちょっとあれなやつはリレーとかは出なくていいからいいとして、なんてったって3年生は学年種目がしんどすぎる。

「はあい、今日は学年種目であるムカデ競争の練習をしていきます」
憎き体育教師城田のカンカンした声。

ムカデ競争。複数人が一定の物につながった状態で一組になり、動きを合わせながら前進して速さを競う競技。ウィキペディアがそう言っていた。

はー!
こういう1人が足引っ張っちゃう系競技だけはやめてくれ!!

「足の運びじゃない?」
「ついて行ってるつもりなんだけど」

案の定、先の体育の授業はグダグダだった。転ぶかもしんないからって、私の前後にみんな来たがらない。走ってみればやっぱりペースを乱してるとかなんとか城田に言われ、次の数学の授業まで私は腸が煮えくり返るどころか煮崩れそうだった。何度も言うけど好きでできないわけじゃ……

「でも今回はできなきゃじゃね?」

……。

栞の顔はいつも無愛想というか、何考えてるかわかんないけど、少し今日は真剣な気がした。走順リストを作っていた由紀乃が苦笑いしている。

「まあ残り19人もいるし、ずっと浮いてれば良い気がするけど」

いいわけはない。
スポーツによって得られるものなんてたかが知れてるって考えは、この先ずっと、変わらないだろう。でも今回だけは頑張らなきゃいけないやつだって、頭のどこかが言っている。

「ジャージ、みんな持ってるよ?」

由紀乃の声を、というかこの会話を聞いていたのかなんなのか、どこからともなく18人が現れる。

「まじかー……」

砂埃。歓声。繰り返すアナウンス。

「どうよ、有紗!」
「……、まあぼちぼちかなぁ!」

はしゃぐクラスメイトの音にかき消されなかった栞の勝ち誇った叫び。私の言葉は、どうだろう。少なくとも、そこを飛ぶ赤トンボには聞こえたはずだ。

ぼちぼちなんて嘘、なんだかわからないけど気づいたらずるずるに泣いていた。情緒情緒。

あーあ、私この瞬間を絶対に忘れない。眩しい、眩しくて、ほんとに嬉しい。

もちろんPixivでは見ない/好きなこと/θn

ここ最近ゼミや専門の授業で(まあ清田先生の授業なのだけれども)キャラクター消費やら二次創作やら、何なりについての本を読むことが増えた。わかるなあと思う。私も勿論その手の消費者の中の一人であって、小説を読むにしてもアニメを見るにしても、あるいは映画を見るにしても、断片的なキャラクター性といわゆる「萌要素」を孕んだシーンの連結を楽しんでいたりすることがしばしばである。

〜の擬人化というコンテンツが流行ったのって大体私たちが小学生から中学生のときくらいからだよねと思って調べてみたら案の定

『漫画・アニメに擬人化ブーム 物の形残さず、性格で表現』
http://web.archive.org/web/20101006101450/http://www.asahi.com/national/update/0930/OSK201009290183.html
(朝日新聞デジタルアーカイブ 2010年10月3日記事)

上みたいな記事がでてきた。やっぱりその辺の時期だったし、大当たりした代表と言えば「国の擬人化」でおなじみ『ヘタリア』だった。中学高校にかけてこの作品のお陰で世界史だけむっちゃ得意みたいな生徒がクラスに一人はいたはずだ。

今回のテーマ、「好きなこと」。
正直あまり得意ではないのだけれど、私が一時期熱中し、かつまあ結果として身を助けることになったものについて話したいと思う。

それは「総理大臣の擬人化」である。

つっこむのは待って欲しい。ずれたことを言っているのは百も承知なのだ。擬人化。
漫画『文豪ストレイドッグス』や、ブラウザゲーム『文豪アルケミスト』についてはご存知だろうか。この2つの作品に共通しているのは太宰治や芥川龍之介・中原中也などの文豪を、本人の肖像を完全に無視してキャラクタライズしているということだ。どちらも本人というよりはその著作から影響を受けた特殊能力やスキルを用いて、文豪たちを戦闘させたり会話させたりする。太宰治と夏目漱石なんかそもそも生きてる間がほとんど被ってない。あまりにも史実からかけ離れた設定、展開を揶揄する声も当然あり、「文豪の擬人化」なんて言われていたりもするのである。

かく言う私、大学受験は日本史選択だった。もともとあまり暗記は得意ではない。けれど授業進度とかの都合上明治以降の勉強は自分でやりださなければいけない。追い詰められた私がとった最後の手段が件のそれだったのである。

ざっと資料集で顔写真ややったことを確認した後に(この時点で顔が整ってたりするとテンションがあがる。山本権兵衛とか典型的な格好いいお爺さん。俳優みたい)嘘かほんとかもわからないウィキペディアを片っ端から読み、エピソードを頭になんとなく入れる。米内光政は高身長で寡黙、近衛文麿は指揮者の弟がいるってな具合に。このときに重要なのは直感で人格と関係性も決めていくこと。例えば軍人の桂太郎と公家の西園寺公望は概ね考え方の反りが合わない、とか。(そこに法案とか政策を結びつけていく)根拠はない。実際仲良く話してるみたいな写真あるし。

なんてったってこれで覚えられる覚えられる。今思えば普段好きでやってるキャラクター消費に勉強を無意識的に落とし込んでやっていたんだからすごい。しかも愛着が並みじゃない。自分が考えたキャラクターだから何とも解釈違いも起こさない!(史実という公式を完全に無視している)会ったことのない人間同士で円卓を囲ませて話させたりなんかもした。2.26事件にあった鈴木貫太郎の感情を考えて早朝勉強しながら泣いた。我ながら怖いけどそれくらい総理大臣史が好きだった。多分今でも調べだしたら再燃する気がする。

こんな手法で勉強してしまえるからこそ、今日本史の教科書から坂本龍馬が消える、みたいなことになっているのかもしれない。でも戦争は駄目だってわかるし、どうして戦争になったかもちゃんと学べているつもりだ。不謹慎なもんか、ずっと曖昧にする方がずっと不謹慎だ。

まあ同時に英単語もこうやって消費できるようになっていたら、色々と違ったかもしれないのも真実だったり……。

集中講義フィードバック1/θn

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、初見だった。内容に関しても物凄く暗いとか、救いがなさすぎるとかそれぐらいの予備知識しか持たずに鑑賞した。

 見終わった直後に抱いていた感想としては、「自分はそこまで救いがないとは思わなかった」というもの。その理由としてはキャシーとジェフ、終盤に出てくる女性看守のような、主人公セルマを承認し、妄想ではない(少なくとも妄想とは位置づけられていないだろうと私が解釈した)箇所から彼女を精神的に支えようとする人々がいたからであった。一方で救いがないとかダメージを受けたと言っている人の意見もわからなくはなかったので、特に自分の中で物議を醸す何かは無かった。

 しかし、少し時間が経ってから思い返すと曖昧だけれど、確実に鑑賞中自分は不快感を持っていたように思える。140分ほど、終始イライラしていた。ミュージカルに関連付けられた妄想部分におけるセルマの理想の表出であったりとか、息子のジーンの存在の意味であったりとか、あるいはカメラワークや舞台となった自然やそういうものがおそらく個人的にはどうでもよかったのである。

とにかく私は主人公が美人じゃないということ、ただそのことへの苛立ちを募らせていたのだ。

 悲劇のヒロインになるのってやっぱり条件が必要ではないかと。一般性は通説と持論の間くらいではないだろうか。しかし自明である。春学期「思想と文化2B」の講義内で見た『わたしを離さないで』とか『Changeling』とかああいう美人がやっぱり絵になる。他の物語で出てきた主人公の奥さんとかも悲劇の渦中の人ではあるけど、ああいう人は悲劇のヒロインとは呼ばない。まさに物語の中心、顔、ブルーレイのパッケージになる人だ。なんで美人じゃないんだろう。答えは別に求めていない。美人じゃない人の悲哀を語られるのってなんだかより一層主人公の中にあるナルシシズム的なものが煮詰められているように見えてしまう。オブラートに包まず繰り返せば端的に不快だった。

 ビョーク自身が嫌いなのかと言われれば別にそんなわけではない。メンヘラ的ミュージシャンの先駆者みたいなことを言われていたけど、影響力は実際凄い。実際。でもどこかでPV見てるわけじゃないんだぞっていうか、自己演出に対しての嫌悪感に感情輸入をすごい妨げられて、勿体無いことをしているんだろうな自分、みたいな感じだった。これこそカーストの原点かもしれない。綺麗な人が堕ちていくのは本能的に辛い。だからで観たいという心理も裏返しである。

もっかい見たら違うのかなぁ。違うんだろうなと思った。何らかの形でこの作品から衝撃を獲得したい。このままだとなんか自分の汚い部分みたいなものを突かれただけのようでやるせない。

あなたに/台風/θn

スタジオ課題① θn

 私の人格形成を語る上で、どうしても語らざるを得ない人生の登場人物がいる。誰しもそういう人間の存在は持っているだろうが、私は幸か不幸かその登場人物に対していい感情を抱けていない。そろそろ5年経とうとしている今でさえ。
 何度かスタジオの文章で彼女について私は話そうとしているのだけれど、まだまだ昇華も消化もしきれていないのか(書いてる瞬間だけ上手いと思った)、どこか靄がかかったというか、曖昧な部分が多いというか、そんな当たり障りのないものになってしまう。
 だから今回こそは、彼女についてなんとか描写してみたい。伝わりきるかはわからない。というか伝えるつもりが自分の中にあるかもわからない。けれど、大学生活において節目を迎えた今、ここで彼女について思い出すという行為そのものを忘れないようにしなければならないのだ。拙いところがあっても許して欲しい。

 出会いは中学校1年生のとき。クラスはA組とD組だったからどの授業も違ったけれど、入学者説明会の座席が近かったせいかなんなのか、顔だけはもともとどこかで見たことがあった。

 4階建て校舎の最上階、美術室の横。ほとんど使われていないその講義室が、演劇部の活動場所だった。私の他に入部希望者は3人。そのうちの1人が「彼女」だった。教室の中では可愛い方なのだと思う。ふわふわで長い茶髪と白い肌。他の2人のうち1人も可愛かったけど、その子は黒髪のショートカットでどちらかと言えば凛々しい面立ちをしていたから、女性らしいという点では「彼女」の方が勝って(勝負みたいになって嫌だが、比較するとその要素が強かったのだと捉えてもらえるとありがたい)いたように感じる。身長は私より少し大きかったけれど、基本的に男役をやり続けていた私とは反対に、彼女は部活を辞めるそのときまでヒロインをやり続けた。元々オーディションではなく多数決で配役を決めるような(それだけ人数が少なく、固定の演出家なども存在しなかった)弱小演劇部であったため、演じる役にばらつきがあったというのも色々と歪んでしまった原因であるといえるかもしれない。後悔先に立たず。

 かと言って、そこまで群を抜いて美人だったかと言えば、そう言えなくもなくなくないかもしれないというくらいなので、一旦は隅に避けておこう。彼女の特異性はどちらかと言えばその内面にあった。一言でいえば徹底的に高潔で高尚、どうしようもなく気高いのだ。だからこそ最悪だったのである。
 携帯ばかり触る人間を蔑視し、けれど使いこなせなければ意味はないと、ある程度の流行は齧っておこうという客観視しようとした態度。勉強することがあらゆる願望の充足への近道であると信じて疑わず、テストの点では学年で5位から落ちたことがない。確実に将来の成功を、政治家にで医者にでも、あるいは学者にでもなればいいなんて約束されるようなそんな成績でありながら、

「将来は教師になる。学校を作れたらいいなって」

とか言いながらクレープを食べていた。まるで当時のテンプレ的女子高生のように。みんなの期待よりも自身の野望。夢と理想を確実に自らの手中に収めようという貪欲さ。そこが「彼女」の何よりもの長所だったのだろう。強かで卑しくとも、下品ではないジャンヌ・ダルク。もし今や死語に近いスクールカーストに部活部門があったなら、演劇部なんてざっくり「下の方」の部活である。そんな中に突如として現れた高嶺の花は、部活動同士の上下関係にすら衝撃を与えた。

まさに嵐のような、吹き荒れるような少女だった。
最上級生になったら必ず部長になるだろうと私たちは信じていたし、彼女自身だって、まんざらでもなかったはずなのだ。

 中高一貫校における部活動というのは、中学3年生という最も多感にも関わらず、受験でお釈迦になってしまう時期もそこですごすという特別感がある。最上級生、私たちの部活では高校2年生の時にあたるとき、代替わりに伴いついに「彼女」は部長になった。元々私たちが入部したときには合わせて9人だった演劇部も、少しずつ大きくなっていつの間にか20人近い大所帯(あくまで比較だが)になっていたのだ。しかしそこはジャンヌ・ダルクである。必ずまとめ上げてくれるだろう、この演劇部をよりよい形にして後輩に引き継ぐことが出来るだろう、そう全員が考えていた、はずだった。

 待っていたものを簡潔にまとめれば、それはもうどうしようもない独裁だった。

 随分突飛なワードを出してしまったので、説明していきたいと思う。中学3年生のときに、同期が1人途中入部した。元々私と友達だったのだが、閉鎖的で内向的な演劇部に単身乗り込み、そのままあっけらかんと部員の立ち位置に収まった。5人になって何かが変わったかと言われればそうではなく、3年生から4年生(高校1年生)に進級した時点でも、元からいた4人で幹部の役割はこなすことが暫定的となり、1つ上の代が抜けたらどんなことをしようかなんて考えながら来るべき最上級生の年、部長代を心待ちにしていた。

どうやら声優養成スクールに通っているらしい。

新しく入った1人は元々部活に入る前からその手のスクールなるものに行っていると、それは聞いたことのある話だった。だが違う。「彼女」が、あの「彼女」がである。元からいた同期たちが少し神妙な相を浮かべたまま顔を突き合わせているものだから、廊下で何も考えず声をかけたわけだけれど、後悔した。とても、尋常じゃなく後悔した。気分が悪くなって次の化学の授業が全く頭に入ってこなかった。なんでって思わず聞いた私に2人は理由なんかという表情をしながら、それでも

「話聞いて興味が出たんだって。声優になりたいんだって」

 別に今振り返れば、そんなに深刻に考えることでもなさそうに思える。それでも当時の私たちからすればそれはとてつもない大事件と言っていいことだ。ずっと守り続けていた暗黙の了解が静かに崩れていくような、もう二度と今までのような関係性には戻れないとでもいうような、そういう不安感。

けれど、私が苦しくなった理由は、少しだけ彼女たちとは違ったんじゃないかと今は思う。他の2人が恐れていたことは、つまりは外部の考え方を「私たちの演劇部」に持ち込まれるのではないかという危険性についてである。危険性なんて大仰な言い方、正直馬鹿馬鹿しいと思う。ただ、顧問もいない、みんな中学から演劇を始めた初心者である、そんな前提で作り上げてきたなけなしの技術と伝統を壊されることの恐怖は、当事者でないとわからない。まして部長になる「彼女」がそんなことをしようものなら、どうやって止めることができようか。まだ「彼女」はそれらしい動きもしていなかったけれど、なんとなく。4年間一緒にいただけある、いい読みだった。

しかしそうじゃない。そこじゃない。

私1人だけ、その先にある恐怖より、過去を裏切られたようなそんな気持ちだったのかもしれない。今までのルールとか確かに大切だけど、内向的で怠惰な私にとってそれは確かに無くてはならない秩序だったけれど、もっと重要なことが別にあるんじゃないかなんて、その時は漠然と吐き気を催していた。

 彼女たちの不安はまんまと的中することになる。あまりにも予定調和的だった。自然すぎるフラグ回収とも言おうか。部長になってからの「彼女」はこれまでやってきた発声・滑舌の方法をばさっと廃止、自分が最も効果的だと思うものを取り入れると言って後輩にもそれを強要していく。稽古中のダメ出しにも、きっと習ったばかりの技法を用いた説明を行い、徹底的にこれまでの慣習みたいなものを塗り替えていったのである。

 別に、変わっていくことは悪いことじゃない。でも変革なんて誰も求めていなかった。簡単に言えば仲良く演劇部という枠組みの中で居場所があればそれでよかったのだ。未だに演劇に関わろうと足掻いてる私が言っても何の説得力も無いけれど、本当にそんな気持ちしかなかったはずなのだ。ここで問題になるのは、「彼女」自身が味方なんて必要としていなかったということなのかもしれない。手を伸ばそうとしたときもあったような気がする。王子だもの。

「部活なんだから、やりたいことやれればよくない?」
よくないでしょ、それ君1人だけがやりたいことなんだから。

求められなかったし、言わなかったけれど。

 年3回ある公演のうち、2回が終わった頃。ついに同期の1人、副部長だった子が痺れを切らした。クーデターというのだろうか。みるみるうちに「彼女」の権力を奪い、鮮やかな手腕で部活を自らのものにしてみせた。後輩に慕われ、他部活との関係性も保ったままに「彼女」の位置をそっくりそのまま手にしたのである。もはや必要とされていたのは絶対的なヒロインではなく市民の味方。独走する英雄も見解を変えればただの魔女だった。

「彼女」に退部を突きつけるまでその勢いは失われること無く、動き出しから一ヶ月たった辺りで同期は4人になった。フランス革命もびっくりな力技、完璧すぎる天下統一。

 ちなみにその頃私はというと、次に控えている引退公演の役作りに必死であった。それも今思えば同期の作戦であったのかもしれない。「彼女」の退部に唯一反対しそうな私を渦中から遠ざけようというやり方。お見事である。

 私の吐き気について少しだけ。
どれだけ要は裏切られたという気持ちが冷静な判断力を失わせるかということである。

教師になって欲しかった。

声優のスクールに通いだしたのが、5人目の同期による影響だとわかるのは容易かったわけだが、あれだけ崇高な夢をあっさり諦めたことが許せなかった。演劇部に対しての考え方とかそんなこと問題じゃない。将来設計に優劣を付ける必要なんかないけれど、決めたことはやり遂げるのが「彼女」の美徳だと勝手に信じて、私は勝手に裏切られていた。

今年。
某大手就活合同セミナーで「彼女」の姿を目にした。
向こうも私も友達と出席していたし、個人的に消化が未だにできていないから(というかみっともなくこうして文章にするほどには考えがついていない。悲しいことに)すれ違っても声はかけなかった。一瞬も目は合わなかった、と信じている。

少なくとも声優にはならないんじゃないか? ここに来ているということは。

そこまで考えがめぐらされて、私はなんだか楽しくなった。「彼女」。誰の考えも聞かない、私たちの考えになんか興味も持たない、そこまでも独裁的で身勝手な「彼女」。永遠に私の中ではジャンヌ・ダルクだからこそ、夢を諦めて私たちと一緒に就活しようとしているその姿がどうしようもなく滑稽に思えてしまったのかもしれない。だから言ったじゃん。無理だって。あのまま教師を目指してればよかったのに。

ここまでで、なんとか「彼女」と出会ってからの9年間を書くことができた。結構自分が気持ち悪い。まだ囚われてるなんてきっとそれこそ馬鹿みたいだろう、同期にも話せない。それでもいい、いずれ忘れるまで私はどの瞬間だって忘れてやらない。私が助けてあげられる余地を残して、そのまま生きていて欲しい。

【あとがき】
 余り普段真に迫ったことみたいなのを書かないのだけれど、この季を逃したら一生書かないような気がしてしまってここに至る。珍しく結構書いてて苦しかった。筆が走らないというか。書きたくないなぁみたいな気持ちのままラストまで持ってきたけれど、要するにまだまだ私の冒険はこれからだみたいないい加減でかつ、ゲームオーバーはやってこないことに関するラノベ的見地のようになってしまっているのはやりきれない気持ちである。
 スタジオ内では、それこそ痛々しいというかどうしたんだろうかというか、あースタジオ文章恒例のこんな感じね、みたいな顔をされてしまったが、やむを得ない。というか自分が逆の立場だったらそんな気分にもなるであろう気持ちの悪さみたいなものを内在しており、なんというか重いものになってしまった点に関しては反省している。その一方で自分のために書くという意図のもとに文章を書くという行為から遠ざかってしまっていたという「気づき」(あまりこの言葉、なんというか使いたくない)を得ることができたのは大きな成果だと思っている。ポジティブになりたい。

 他の人の文章はといえば、やはり潔いというか、自分のスタイルのようなものを確立している人が多かったため、読んでいて楽しかった。全く違う文体や構成を読むのも久々であったように感じたので、ちゃんと読書やら、活字としてのインプットを忘れないようにしなければならないだろう。

とにかく、自分で選んだテーマながら随分ストレスがかかったので、一度置いてからまた見つめ直したい。

鳩と冒険/ネット記事/θn

「ヨーカ堂、「ハトマーク」でも浮上しない業績」ー東洋経済オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170722-00181435-toyo-bus_all&p=1

 正直な話をすると、もちろんその背景にある様々なことは置いておいて、このデザインへの回帰はとっても嬉しい。鳩のマーク。すごくすごく好きだった。あっあんなところにもヨーカドーがって、全然知らない街でもわかる。イオンじゃだめ。もっとシンプル、何も考えなくていいからヨーカドーの鳩。あの看板。何処にいたって変わらないシンボルがあるなんて素敵だ。

 今思えば全然遠くないんだけど、家から自転車でちょっと行ったところに「鳩のマークのお店」があった。小さい頃の私からすれば、自転車に乗ってる時間が長い場所は「とおいところ」。電車やバスに乗って行くところよりも、なんなら遠いと思っていた。子どもの距離感なんてそんなもん。

最近業績不振だったのか、そうか。と感じた。なんだか実感がわかないけど、確かに言われてみればそうだ。そもそもセブンなんちゃらなんちゃらーの看板を見てしまうと、じゃあセブンイレブンで、っていうかコンビニでいいのでは?みたいな気持ちになる。一度思ったら生活って変えられない。生命線にでもならない限り、わざわざああいう大型スーパーにいく理由ってもしかしたら無いのかもしれない。それは私が学生だからかもしれないけど。

なんだろうな、さすがになくならないとは思うのよ。世の中から何かが消えるって、結構ハードルが高い。ピザポテトも復活したし。でもなんかこう、あの、あの「とおいところ」が過去の遺物みたいに扱われるのはショックでかい。どうしても変わっていく何かを突きつけられているような。

小学校になってからだったけど、伝説のポケモンをもらいにいった。映画の前売り券を買って、それを引き換えできるお店にゲーム機と一緒に持って行かなければいけなかった。母親にごねて連れて行ってもらった気がする。鳩のマークはちょっとした冒険の先にある。自分の住んでいる場所がどこまでも、どこにでもつながっていくような。子どもの目線と、素直な希望と、それをどことなく懐かしんでしまう自分と。走馬灯みたいなニュースだ。

100歩譲って昼間ならいい/物申す!/θn

物申せと改めて言われてしまいましたが、何について物申そうかなぁと。

なんだかこういうときに、わざわざいつも言っているようなことを書くのは無粋だなぁと感じる気持ちもありつつ、かと言って政治的なこととか宗教的なことを書いて面倒なことになるのはとっても嫌です。

そこでYouTubeの広告について物申してみようかなと思います。

なんか最近5秒でとばせない広告が割と沢山入るじゃないですか。あれ、おおうってなってしまいませんか。15秒かー、みたいな。ちょっと長いなーみたいな。でもこっちも無料で動画見せてもらってますから、全然それぐらいは待ちます待ちますともってね、ちょっと面食らうだけで色々飲み込むわけなんですけど。

別にちょっと長い分にはかまわないのです。問題は内容。

YouTubeさんって徹夜のお供じゃないですか。自分のプレイリストってやっぱりどうしても3時くらいになると飽きが来てしまうもんですから、こらあかんわと、寝てしまうわとなるわけです。それでYouTubeでなんか全然知らないような曲かけたりとか、新しく発売されるアルバムのトレーラーかけたりとかしながら騙し騙し、眠気を知らないふりして作業するんですね。これ共感呼びそう。

そんな最中ですよ!

最近、ホラー的な広告が流れませんか?

私はこれに物申したい!
おかしいでしょ!!
怖いわ!!!

基本的にこう、広告の部分はみないようにしてるんですけどね。なんの悪意か音まで流れる。やめろや。

ホラー苦手族って一定数いると思うんですよ。程度はそれぞれ違う気はするんですけど。ホラー好きな人は怖いのがいいとかって大抵言うんです。そういう問題じゃない!閲覧注意とか必要なジャンルのものは何気なく踏むことのないようにしてくれ!こちとらホラー的な話が存在しているということを思い出すだけで怖いんだ!ばーか!

一時期日テレがホラー映画のCMをばしばし流してる時期があって、あれもせめてワンクッション入れてくれーと思いながら、日テレ見ないみたいなことしてました。これはホラー得意になったほうが絶対幸福な気がする。でも世間許さん。

to恋愛以前の悩み事

 相談者さんの内と外に対しての呼吸の出来なさみたいなものが伝わってきました。私も比較的自分に自信が持てない方というか、まあそりゃ持てないよねーって感じの人間なのですが、だからこそ、あえて共感できる前提で何らかのアドバイスをしたいなと思いました。これはあくまで個人の主観ですが、憧れている人がたくさんいる分、人間不信の方は克服しやすいのではと思います。だって自分が1番信用ならないんですから。
 まず人間不信を辞めて、そのあこがれの人が信じてくれている自分を信じるという風に発想を持っていくしかないのではないかと感じます。人を信じるのってしんどいし、裏切られるのは何より怖いことだけど、もはや自分に喋ってくれるということから自信を持っていく、みたいな。
 あとはー、なんだろ。自分に自信ないですって顔してるのはやっぱりよくないんだろうなって思います。あえて鷹揚に振る舞うみたいなね。できたら苦労しないって言われそうだなぁ。