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有るかもしれない未来/今日、髪を切った。/YDK

今日、髪を切った。

「うわぁ、だいぶ切ったねぇ。意外と似合ってるじゃん」
「首元スースーしちゃって落ち着かないんだよね」

あれだけ髪を切ることを渋っていた彼だけど、なんだかんだいい反応を示してくれている。まぁ、わたしのことを好きだから今更髪型なんてどうってことないんだろう。明日会社に行けば、きっと友達には失恋したの?とか御愁傷様、とか勝手な憶測を並び立てられることは間違いない。失恋したら髪を切るなんていう文化、一体誰が最初に作ったんだろう。そのせいでおちおち髪も切れやしない。失恋するために、髪を切ることだってあるかもしれないのに。

あの娘は、どういう反応をしてくれただろうか。
5年前
「髪バッサリいこうかと思うんだけどどう思う?」
「いいんじゃないすか?かっこよくなりそうなんで私的にはむしろ推したいまであります」
「お前それが彼女に言うことかよ〜〜」
「先輩は彼女ってより彼氏ですもん(笑)」

あぁ、こんな会話を今思い出すなんて。切った髪と一緒に忘れてしまうはずだった思い出はこんなにも簡単に蘇ってきてしまうものなのか。どうしても彼女の彼女でいたくて、5年も切れなかったこの髪の毛も無くなってしまえばこんなもの。同じように彼女との思い出もどこかに行ってしまうと思っていたのに。あの娘は今ごろどうしているだろう。

〜彼女side〜

明日、髪を切る。

今日、教育実習先の高校から帰ってきたら郵便ポストに見慣れないちょっと派手な便箋が入っていた。送り主とそこに書いてある文字を読む。

その単語だけであらゆることを察してしまい、疲れがドッと溢れてくる。
「そっか…ついに先輩も結婚か…」
誰に聞かせるわけでもない独り言は、ドアを閉める音にかき消された。ガチャリとカギを閉め、カバンをベッドに投げる。さすがにすぐあの封筒を開ける気にはなれなかった。でもあの先輩のことだ、間違いなくギリギリに招待状を送って来たのだろう。私に対して迷いなく招待してくるほど、あの人はバカではないはず。私の元カノ、なんだから。

「私がもし、貴女以外の人と結婚する時が来たら、絶対に呼びたいと思うの。でもそれがすごく残酷なことだってわかるから難しくて」
「まぁ、私たちに将来ってないですからねぇ」
事も無げにいった言葉に、先輩がどんな反応をしたのかはさすがに見ることができなかった。でも、それは本当だし、そこに嘘をついて今の幸せを盲目的に信じられるほど私だってバカではないつもりだ。でも、彼女の言葉に肯定的な答えも否定的な答えも出せないのは、やっぱり私の弱さか。

あぁ、これで、ちゃんと私たち終わるんだな。思い出に浸るのもそこそこに、招待状の出席に丸をつけて、いろんな想いを断ち切るために、私は美容室に電話をかけた。

〜彼氏side〜

これで良かったのかな。
左手の薬指に光る指輪を見ながら、今更どうしようもない考えを巡らせる。プロポーズをしたのはひと月ほど前。付き合って3年の記念日だ。ずっと前から決めてはいたことだけど、やはりいざとなるといろいろ思うところはあるみたいだ。俺も彼女も。髪を切ったと急に告げてきた彼女は、何事もないように振舞っていたから、俺も似合うとしか言わなかった。その行為には、どんな意味が込められているのだろう。さすがに、俺の口から失恋したの?なんてことは聞けるわけもない。

彼女と付き合って、半年くらい経った頃だろうか、不意に言われたのだ。
「私、彼女できたわ」
と。正直なところ、全く意味がわからなかった。そりゃそうだ、二股宣言をされたようなものなのだから。というか、このまんまだと俺が捨てられるのか??とも思ったが、そうでもないらしい。彼女はきちんと俺たちのことを愛していた。俺たちってなんだって話だけど、事実なんだから仕方ない。そうやって割り切れてしまう俺も相当あいつのこと好きなんだろうな、逆かもしれないけど。ずっとこのタイミングでプロポーズはしようと思っていて、彼女が今相手の娘とどうなっているかはあんまり詮索しないでいた。どう転んでも俺の方が捨てられる気がしていたから、しかも縋る方を捨てるっていうのを二股かけてるやつからよく聞いてたしな。彼女がずっと伸ばしていた髪を切ったことに、なんの意味もないとは思わないが、その切り落とした髪にいったいどんな想いを託していたのか、今となっては聞くこともないし、知りたくもない。俺は選ばれたはずだから。

—————————————

新婚としては来賓に挨拶する文化があるらしく、受付を終えた人に1人ずつ会わなければならないと説明された時は卒倒しそうになった。結婚式ってめんどくさいなとかってよりは、あの娘とどう考えてもキチンと顔を合わさなければならないという事実に対して。来るか来ないかわからないはずなのに、胸のどこかで間違いなく来るだろうと思っている自分に少し呆れながら、最早何度目かもわからない定型文を並べていた、その時。

「やっほ。久しぶりですね。」

私は、うまく笑えていただろうか。

「…。久しぶり。髪、切ったんだね。」
「先輩こそ。だいぶバッサリいったんじゃないですか?…こんな時までタイミング一緒なんて、奇遇ですね。あ、大事なこと言いそびれてた。この度はご結婚、おめでとうございます。」

こういう時にすごく明るく振る舞うところ、変わってない。想いが消えることなんてそんなこと、あるわけないの。よくわからない涙が出そうになるのを堪えながら、ちゃんと「私と仲のいい後輩」をしてくれている元恋人に精一杯の「仲のいい先輩」を、する。

「来てくれてありがとう、…楽しんでいってね。髪、似合ってる。」
「ふふ、先輩こそ。」

……かーっ!!!こんな小説書いて普通に病むわ!彼氏と結婚して彼女のこと捨てる感じの未来無理すぎる!!限界です!彼氏物分かりいいふりなのなんなんですか!彼女いるまんま結婚するの許してほしいです!というわけで、この話の状態としては大体ノンフィクション(彼女と彼氏がいて彼氏は結婚を考えている)なので、彼氏と彼女との将来とか色々考えてこういう内容にしました。どっちを取ってもみんな幸せになることはないのが辛い。この前3人で飲むことがあって、(彼氏彼女と私)その時に彼女に言われた「3人とも幸せになんてなれないですもんね」が胸に刺さりすぎている…。まじ日本が間違ってるなとか思うんですけど、そんなこと言っても仕方ないのわかってるんでため息しか出ませんね。最近はポリアモリーとかいう複数愛の形もあるらしいですけど、普通に単なる浮気性じゃんって言われたら言い返せないのも事実だったり。個人的には浮気してるつもりないんですけど…二人に一途だからなんか、説明難しいんですけど。どっちとの将来も思い描けるのに、どっちかはありえない未来だって思うと不思議。どっちも選ばない選択肢とか、もはや死んでやろうとか思うけどそれは逃げなのかなとも思う。難儀です。どっちの方が好きなのとかすごく聞かれるし、周りの人には普通に彼氏にしときなよとか言われるのは結構しんどい。普通にってなんなんですかね…「社会的に普通」が多分周りから見た幸福なのかもしれないし、実際そう。「自分の中での幸福」を選ぶのか、それとも「社会的に見た幸福」を選ぶのかっていう二者択一に、遅かれ早かれ間違いなく迫られてしまうんだろうけど、しばらくはこのままでいるつもりではあります。大切な問題を全部後回しにする癖へのツケは間違いなく大きいし、彼氏彼女にとってもきっと苦しい思いさせるんだろうけど、どうしてもまだ選べないし、そもそも選ぶという行為が理解しきれていないのが現状なのかなと思います。こういう物分かり良さげな文章書くことで少しでも選べるようになるのかなとか思ったけど逆に無理なもんですね。世の中のうまく二股してる人!!どうしたらいいのか教えてくれ!!!

逆に二番煎じ感/YDK/バタフライエフェクト

おそらく本作が公開された当時は、このような作品が新鮮で評価されたのかもしれないが、今の時代にはこのような作品が多く溢れている。タイムトリップをして、過去の自分の選択を顧みることで複数の未来を選択、そして一番皆が幸せになれる結末を選ぶ……もはやテンプレ化している流れだ。

最近見た百合作品(女性同士の恋愛)で、「明日、きみに会えたら」がある。これもタイムトリップものではあるのだが、百合というのがミソだ。恋愛について特に幸せの形が複雑化するせいでタイムトリップがより効いてくる。また、安直にハッピーエンドに向かう…というのもつまらない。タイムトリップだからこそとりえた決断だったり行動だったりがないと意味がないのである。
作品として考えるのであれば、タイムトリップものは非常に難しい。ディティールを少しばかりいじるだけでは、だいたい似通った作品になってしまう。しかしそれでも、いわゆる「タイムトリップもの」が消えないのは何故なのだろうか。それは恐らく、誰もがタイムトリップまで行かずとも、「あの時をやり直したい」という気持ちがあるからではないか。その気持ちは今への不満ももちろん、幸せを何より望んでいる結果だ。だから、創作物の中でタイムトリップを繰り返しながら幸せに向かっていくのは、ある意味(現実ではタイムトリップなどできない)で絶望を味わいながら、それでも幸せになるという希望を見る、という面で、非常に不思議な感覚に陥ることができるのではないか。

また、最終的にバタフライエフェクトの中では、エヴァンとケイリーが交わらない世界線が幸せとして選ばれたわけだが、その他の世界線を知る観客からすると、「え?本当にそれが幸せなの?」という疑問も残る。このように疑問の余地が分かりやすく生まれるのもタイムトリップものの特徴だ。観客という神の視点で作品をより俯瞰的に見ることができるという点も、作品との距離感が分かりやすくて良いのかもしれない。映画として、タイムトリップものをみたのは初めてだったので最初は見方が難しかったが、一度その世界観に慣れると「神」として冷静に見ることができた。

明日、君にあえたら 作品紹介(ネタバレあり)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/明日、きみに会えたら

救いは何処/YDK/ダンサーインザダーク

しんどすぎ。単なる感想になってしまうけど、本当にしんどい。この作品を見るのは2回目だけど、結末がわかってるからこそのしんどさがあった。一言言わせてほしい。

誰も救われなさすぎでは??????

見方によっては、セルマは息子を救って死ねたから本望だろうから幸せだし、息子も目が見えるようになったからハッピーかもしれないけど!もしそうなら、あの映画が湛えていた言いようもない寂寥感は一体なんなのか、ということになる。この気持ちはおそらく、劇中で言えばキャシーが代弁してくれている。観客はキャシーの目を通して作品を見ている感覚に近いのではないか。セルマの言い分も十二分に理解できるけど、本当にそれでいいのか?という疑問をぬぐいきれないままに、彼女の意思を尊重するしかないモヤモヤ感…確かにセルマはそれでいいのかもしれないけど、残されたジーンは?え???という…。後半、セルマが捕まってからは、観客は新しい視点として、女性の看守を得る。彼女は母親という目線でセルマを見つめることによって(少し強引なところはあったが)セルマがとった行動による結果の不幸感をより強めていたように思う。セルマへの同情は少し早すぎた気がしないでもない。

作中のミュージカル的な要素も、本作のしんどさをより強めていた。人はプラスの感情の裏にどうしてもマイナスの感情を深読みしてしまう。良いことがあれば悪いことが起きてしまうような、そんな予感を防衛反応としてもってしまうのだ。だから、あの楽しげなミュージカルさえも単なる幸せな時間ではなく、不幸の前触れとして考えてしまうから、延々と得体の知れない不安が付きまとう。また、甘さを引き立てるため塩を足すように、不幸感を強めるためにあのような軽快なミュージカルが導入されていたのではないか。本作のミュージカルだけを切り取ったときに(特に前半の)誰もあのラストを思い浮かべることはできない。それくらいに、落差が激しいのである。その落差が観客にもたらすのは、恐ろしいほどの過剰な不幸感だ。途中からある程度結末が読めていたとしても、ショックなことには変わりない。

本作は、あらゆる演出が絶望感を引き立てるためだけにあったように思う。この作品がどうしてヒットしたのか、ということが非常に気になるところである。(人の心理的に)

合法二股!/クリスマス/YDK

クリスマス

すっかり季節外れになってしまったけども、今年のクリスマスについて振り返ってみることにする。クリスマスと言えば24.25の二日間が恋人と会う日になるのが一般的だが、今年は25日が平日ということもあって多くの人が24にクリスマスらしいことを済ませたのではないか。かくいう私も24はしっかり恋人と過ごしたわけなのだけど。集中講義と恋人を天秤にかけて後者をとってしまったのだから今年も堕落した大学生をしっかりこなしてしまったと言える。悲しい話だ。

ところで、私には恋人といえる人が2人いる。あたまの中に疑問符が無数に浮かぶだろうか。しかしそれ以外に表現のしようがなく、私には愛する人が2人いるのだ。しかも2人とも違う年齢、違う性別の。だからこういう恋人と過ごす系のイベント(誕生日も含め)は、毎回シフトのようにどちらかにどちらかを割り振る、という形を取らせてもらっている。もらっている、という言い方をしたのは、その点について2人からは合意を得ているからだ。そう、わたしの彼氏も彼女もお互いを認知した上で、この関係を認めてくれている。ありがたいような、申し訳ないようなこの「合法二股」とでもいうような関係を築いてから、そろそろ半年が経つ。

この事実を、友人に打ち明けてみたところ、驚きとともにこう言われた。
「えっ…それってこれからどうすんのよ?ずーっと2人ともと一緒にいるのは無理じゃん。彼氏には結婚してほしいっていつか言われちゃうし、そうしたらさすがにどっちか選ぶ必要が生まれるわけでしょ?」
確かに、わたしももう大学3年生で、彼は4年生…そうなると必然的に将来のことをしっかり考え始めなければならないし、彼にもそういう風なことは言われている。さっき合法二股とは言ったものの、彼氏の方はあんまりわたしが彼女もいることにはいい顔をしていないのも事実で、なかなか難しい状態である。
「んー、そうねぇ。確かにこの前彼氏に言われたわ。『お前が彼女と俺のどっちか選ばない限りは結婚、っていう風にはなれないかもしれない』とか、『やっぱどうしてもお前の彼女さんに嫉妬してしまうのはどうしようもない』とかなんとか。申し訳ないけど、それに関しては謝るしかないし、謝ったところでどっちか選べるはずもなく、とりあえず現状維持で、とは伝えてあるんだよねぇ」
「うわぁ…彼氏さんかわいそうすぎないか…」
友人の心からの彼氏への同情を受けながらその日のおしゃべりは終わった。

「とは言っても……はぁ。」
そう、わたしとてちゃんと悩んではいる。このまんまではいられないことも、いつか来るこの状態の終わりのことも。しかし、本当に2人のことを愛している。できることなら2人ともと結婚したいし、2人ともと一緒にいたい。
「体が2つになったらいいのになぁ」
そんなありえないことを真面目に考えてしまうくらいには、だいぶ参っていた。だからってこんなこと、おいそれと誰にでも相談できることではないし、大抵の場合は「えっ二股最悪」みたいな反応をされて終わり。わたしだって最低だってわかってるのになぁ、でもやっぱ好きだし、どっちも選べないんだよ…の、堂々巡り。そもそもどっちか選べたらこんなことになってないわ!!行き場のないモヤモヤを煙と共に吐き出してみても、そこに煙は残っている。まるで、見て見ぬフリをしてなんとかやり過ごそうとするわたしを咎めているみたいに感じてしまうのは、勘違いなのだろうか。それとも。

そんなこんなで24日。イブは彼女とだった。中目黒のディナーを予約して、プレゼントを持って待ち合わせである。これだけ見れば普通のカップルのようなのに、どうして同性というだけで、はたからは「男がいない女同士の寂しいクリスマス会」みたいに見られちゃうんだろうなぁ、なんて思っちゃう自分に少し嫌な気持ちになる。自分がバイだとかレズだとか見られることには抵抗がないのに、彼女がそう見られるのが嫌なわたしが、もしかしたら一番セクシャルマイノリティへの偏見を持ってるのかもしれんな。
美味しいご飯を食べて、プレゼントも手紙も交換して、イルミネーションを見ているとき、ふと彼女が言った。
「私は貴女とずっと一緒にいられればいいの。男とか女じゃない。だって今幸せだから。」
泣きそうだった。でも泣く資格もなかった。彼女と一緒にいるということは、彼氏を捨てるということだ。そして何より、彼女の「女としての幸せ」を奪うことになる。結婚して子供を産むことだけが女の幸せではない事は百も承知なのに、社会的にはそれが当たり前のように幸せとされている。彼女の両親も、私の両親も、私たちの結婚式を心から祝福できるだろうか。私たちが愛されているからこそ、きっと一筋縄ではいかないし、苦しい部分もある。
「まーた、私の幸せを勝手に決めようとしてるでしょ。私の幸せは、私が決めるから貴女は口出さないでよね!」
わたしが返事に困ってるのを見かねたのかわからないけど、わざと明るい感じで彼女はそう言った。その真っ直ぐさが、愛しいのに怖いのは、女同士だからなのか。いつか彼女が、わたしの知らない男の横でウェディングドレスを着てこちらに手を振っている未来がやってきてしまう気がして、怖い。
「ねぇ、返事はー?」
何も考えてなさそうな瞳で彼女がこっちを見てくる。イルミネーションが映るせいでいつもに増してキラキラしていて、まるで子供だ。そんな風に見られたら、こうやってぐるぐる考えてるのが馬鹿らしいなと、思わず笑ってしまう。
「わたしも幸せだよ、本当に。ありがとう。愛してる。」
今伝えられるのはここまで。これからのことはまた一緒に考えられたらいいよね、っていう逃げ。

そして余韻に浸ってる暇もなく、25日は彼氏と過ごす。江の島で昼からデートして、関内でご飯を食べるっていう、クリスマスデートとしては申し分ないプランだ。昨日の彼女の話も彼氏にしながら楽しく過ごし、プレゼントをお互いに渡すタイミングで、彼が言った。
「来年とか再来年に、このまんま俺らの関係が続いていたら、その時は結婚してほしい。」
「…うん。」
「お前が彼女のことも好きなのはよくわかる。だからこそちゃんと伝えとかなきゃ、と思って。別に今すぐどっちか選べとは言わない、俺だって捨てられるの怖いしな!」
明るく伝えてくれる彼の内心を想うと、どうしてもいたたまれない気持ちになる。正直、彼女持ちの彼女…なんで意味がわからない。よく付き合ってるな、と自分のことながら彼氏に関心してしまう。それでもいいくらい好きとも言えるし好きじゃないとも言えるのかもしれないが、自惚れじゃなければきっと前者なのだろう。そして、こんないい人にそんな発言をさせなければいけない自分を恨めしく思うけど、そうさせる以外どうしたらいいかわからないのもまた事実だった。だからわたしは、彼にこう伝えるしかない。
「ありがとう。貴方のこと”も”愛してる。」

あーあ…なんで2人ともと幸せになる未来は選べないんだろうなぁ。前は、2人と関係を持てば間違いなく幸せになれると思ってた。男女両方好きなんだから、1人ずつ付き合えばいいんた!って。それが単純で浅はかな考えだったことを、今更になって痛感する。2人と付き合うということは、片方に割ける時間が半分になるのは当たり前で、2人がわたしのことを本当に好きであればあるほど、それは彼・彼女にとってつらいものになるのに。
「馬鹿だなぁ、わたし。」
2人からのプレゼントに囲まれながら静かに呟いた独り言に、答えをくれる人間なんているわけもなかった。そんなクリスマス。

/バックラッシュ!/YDK

バックラッシュ

宮台真司
パターナリズムにはいいパターナリズムと悪いものがあり、その際を見分ける目を持つためには今の世の中は悪くない、という結論に至るために色々な事象の話がされた。バックラッシュというのは別に特段不思議なものではないけれど、社会的な弱者(知識のない一般人)に対して過度な不安をあおるものであるとしている。p10の「しかし、不安こそは、すべてのバックラッシュ現象の背後にあるものです?『流動性不安』、すなわち過剰流動性による不安です。過剰流動性ゆえに、自明性への疑いが出てきて、アノミーすなわち『前提不在による混乱』におちいるわけです。」最近の世の中は常に何かが動いている状態で、安定した状態というのが非常に少ない。そうなると、どこかに綻びが生じた時とても弱くなる。これはジェンダー問題だけにとどまらず、日本のあらゆる側面でバックラッシュか起きている。しかし、それについて悲観的になりすぎる必要はなく、あくまでもその現象に対して免疫をきちんと作っておくことが大切。という方向性で論が進められている。これが前半。中盤ではネオリベ・ネオコンと言った言葉が多用され、昔の自由主義と今の新自由主義、そして都市型の自由主義が比べられている。都市型リベラルは都市型保守よりも力がないと言われるのはなぜか、という問いに対しては(p27)都市型保守の方がエントロピー(乱雑さ)が高いからとしている。そうなると、現代の流動性の強い時代においては、都市型保守の方が優勢になってしまうから、リベラルを強くしたい場合においては、流動を止めるか(これは難しい)エントロピーを下げるしかないのである。しかし、どうして都市型保守がここまで台頭してきたのかについても言及している。それは、戦後の時代からの「理想の」家族の形や、「好ましい」子供の姿というような、パターナリズムに支配された社会構造のせいである。p31にこのような記述がある。
「理想の親子」モデルを利用したパターナリズムは、大正期に新中間層が登場することで、家族システムにおける「母性愛」と教育システムにおける「教育愛」の表象として分化し、「理想の親子」モデル(に依拠する公的な天皇臣民関係)から相対的に自立します。昭和初期の日本主義(国粋主義)的教育論では、教育愛が国家愛へと引き寄せられて文化退行しますが、教育愛は、母性愛とと同様に、国家権力への抵抗拠点として伏流し続けます。
つまり、本来は臣民の関わりのために作られた理想の親子というものが、いつしか全く別のものとして(むしろ対抗するものとして)生まれてしまったという皮肉な結果になったことになる。そしてここで愛という概念が出てくる。現代日本が生んだ「パターナルな愛」とルーマンが規定する「情熱としての愛」とはどのように違うのだろうか。前者は相手の幸せイコール相手の喜びには直結しない。本人の意思によらず、社会的に幸せであればそれは幸せなはずたどいうことで処理されてしまうのだ。後者であれば、相手が喜ぶことであれば本来ならあり得ないことさえも行ってしまう、といういう形をとる。ジェンダー的に例えを出すなら、社会的にみた女性の幸せが結婚そして出産だとしても、その女性が心から同棲を愛していた場合、女性同士で幸せに過ごしていくことを優先することが、ルーマンの定義する愛である。それが真の幸せか問われてしまうのが、パターナルな愛であろう。パターナル的思考の怖いところは、不安のポピュリズムが増殖してしまうところだ。不安のポピュリズムというのは、宮台氏の論のキモでもある。過剰流動性の強い現代において、幸せを求めるよりも不幸への恐怖が強くなりすぎることによって、生きる上で不幸が先行した考え方になってしまうことだ。そうなってしまえば、パターナリズムの押し付けにどうしても対抗できず、価値観の押し付けが無限に生じてしまう。それでは、今の世の中で多くの人が幸せになるにはどうしたらいいのか。それが「各人各様の幸せ追求が肯定される」(p34)ということなのですが、これは非常に難しい。この考え方でさえも、伝え方を間違えて仕舞えばあっという間にパターナリズム批判に淘汰されてしまう。その例が、p35-37に挙げられている。何を訴えても極端な例をもって批判されてしまえば、そこに打つ手は無くなってしまう。パターナリズム批判をする人間は、多様性への過剰な嫌悪があるから、多様性を謳って幸せになるのはごく一部の人間だと思い込んでしまうから、どうしても多様性というものを容赦なく叩こうとしてしまうわけだ。多くの人がもっと幸せになるには、価値観から変えていく必要がある。しかし、それにはどうしてもお金も時間もかかってしまう。そうなった時に、現代の政治家などのお偉いさんはむかしの考え方に侵されてしまっているせいで、そのための動き方も正しさもわからなくなってしまっているのである。現代において、求められているのは「祭のプロ」(p75)のような人だ。楽しさと社会性を両立し、キチンと合致させることで人々を正しい思想で巻き込むことができる人材が、現代の不安のポピュリズム解消には必要不可欠なのである。ただ、一時的なネタによる祭り(炎上的な)では何にもならない。今ある無数の境界の間を縫って、境界を新たに作る、その境界はさらに新しいバックラッシュを生みうるかもしれないが、そこをどんな風にカバーしていくか…ということも考えていく必要があるのだ。
つまるところ、多様性が溢れている現代社会において、バックラッシュは常にあらゆる問題ついて起きている。そして、今まで否定しきたパターナリズムも、社会的観点においては必ずしも不必要とは言い切れない。むしろ、多様性を重んじることや、パターナリズムについて過剰に反応してしまうことこそが、社会的免疫の欠落とも言えてしまう。(p82)自分の中や他人の境界線や価値観をある程度の余裕を持って捉えていく、ということがこの過剰な流動性をもつ現代においては必要なのだろう。

瀬口典子
科学と性差は関係があるのか。ということについての論が展開されている。一昔前は、女性が研究職なんていうのは非常にマイノリティであった。そのせいかわからないが、フェミニストを否定する人々の中には研究職で、脳の性分化、脳の認知機能の性差などを例に挙げて「男らしさ・女らしさ」は生まれつきのものだと反論している。(p310)そして、ジェンダーとセックスという似て非なるものを同列に扱い、ジェンダーフリーという言葉の流れに乗じて、「女らしさ・男らしさ」がフェミニストによって消されかけている、などということを主張しているのである。男らしさと女らしさは生まれつき決まっている、保守派としてよく取り上げられる学者に澤口俊之という脳科学者がいるが、彼は「男と女の脳は生まれながらにして違う」という主張をしながらも、教育の受け方によって脳の作りは変わってしまうという矛盾した発言をしている。これはつまり、生後に脳は社会・文化的に影響を受けて構築される性のあり方、ジェンダーが存在するといっていることになってしまう。(p312)また、セロトニンという科学物質を使って母性本能について説明しようとしているが、これは男性にも見られる分泌物であるがゆえに、母性本能と本当に関係あるのかは甚だ疑問である。(p312)
よく言われる男女の脳の違いとして、「話を聞かない男と地図が読めない女」というのが代表的な例えとしてあげられることが多い。しかし、これについても、そもそも昔からの人類進化史な積み重ねの末にできた論であり、その論を作ったのが男性が多いせいでバイアスがかかってしまっている、というのが現代の主流である。よって、確かにこれらの例は有名であるけれど、なに1つ有力な証拠のないまま浸透してしまっただけの話に過ぎないのである。この話からもわかるように、人類進化史というのは実はバイアスだらけで、男らしいとか女らしいとか狩猟時代からの話を現代にまで無理やりこじつけている。男が狩りをして女が家にいた大昔と、男女が等しく働いている現代をどうして同じ尺度で語ることができようか。
瀬口の主張では、科学を用いる保守派があえて見ないようにしてきた事実や、政治的な自由のために真理を曲げて「疑似科学」を振りかざしてきたことについて言及してきた。そしてこれらに騙されてしまっている人が多いとも。正しい判断をするためには、オリジナルの論文を読むことが何よりも有効である。現在、昔に比べるとかなりの女性の脳科学者や研究者が増え、今までの脳の性差などという主張に疑問を投げかける動きも増えてきた。そのような中で今までのジェンダーの固定観念をいかに自分なりに崩し、自分の頭で考え判断することが求められている。(p334)

要約を終えて
ジェンダーというのは昔からありながらも深く触れられてこなかった(触れられてきたのかもしれないが掘り下げられてはいなかった)分野だけに主張や見方がたくさんあって興味深かったです。セックスとジェンダーは切り離せないものではあるけれど、どちらにも多様性が認められつつあるいま、それらに対して明確な論を唱えるのは難しいのかな、とも思いました。宮台さんの主張にもあったように、多様性という言葉をどのように扱っていくかがこれからの文化のあり方に大きく影響していくのではないかなと思います。

ジモティーだから/ネット記事/YDK

https://www.google.co.jp/amp/s/news.biglobe.ne.jp/smart/amp/economy/0726/kyo_170726_7685249387.html
不二越会長、HPで発言を謝罪 「富山出身採らない」

はい。これ最近話題になったやつです。富山出身の人が会長をやってる富山の会社で、富山県出身は採用しない…!と声高々におっしゃっていた件ですね。

でもねぇ、気持ちはわかるんですよ。正直なところ富山県の人って変に生真面目な人が多いのは事実だと思うし、特にずーっと富山にいる人なんていうのは凄く視野が狭い。それはそれでもちろん幸せなんでしょうけど、関東から富山に引っ越したりすると、きっとそこそこの疎外感みたいなものは感じたりするんじゃないでしょうか(関東出身の母談)ご近所意識がやたら高いのも田舎あるあるなんでしょうね。

だからって一企業の会長のこういう発言を容認したくはないですけども。じゃああなたはどうなんですか?って感じだし、そもそもこういう発言を公ですること自体が、視野狭くない?ってなるし、変に富山出身の評価だけ下げるのはやめていただきたいな、というところですね。(就活が近づいてきて怯えている)

はーぁ、就活やだなぁ。

ちなみに会長を擁護(?)する記事も上がっていたので是非参考までに。富山出身じゃないだろお前、と思ったのは黙っておきます。
http://diamond.jp/articles/-/136200?page=2

金が精神を蝕む/物申す!/YDK

今お金がなくてすごい困ってるんですよね。全財産が2千円ちょい。まぁ原因としてはギャンブル依存と自炊しないことが挙げられると思うんですけど。なんでこうなっちゃうんですかね。彼氏に借金しまくってそのお金をまたギャンブルに溶かすっていうクズのテンプレみたいなことしてる毎日です。男女逆とか言われるけどこれ私が男だったらこんな彼女嫌ですわ。

んで、そんな中で私が物申したいのが、もっと援助交際楽にできるべきじゃね?っていう。風俗の体入とか近いかなと思う人いると思うんですけど、あれってなんだかんだ入社祝い金は研修解けた後だし、キャバとかも未経験で行くには敷居が高い感じがする、と。言い訳っぽいですけどね。単に容姿に自信がないから面接とかに踏み切れないっていうのはあります。胸ならあるのになぁ……胸採用してくんねぇかな。
駅前とかに女の子と男の人が援助交際するためだけの窓口作って、値段も大元が決めて、行けばいいっていう。「一律2万!あとはそれぞれ交渉してください」みたいなのがあれば割と集まると思うんだけど。風俗と違うのが女の子が決まってないことだよね。一定数から誰か、じゃなくて本当にわからないのがいい。ブスを引いても美人を引いても等しく料金だけ決まってるっていう。それなら今みたいにお金がなくて明後日までに必要!って時にすぐお金作れるじゃないですか。駅前で声かけ待ちしてもいいけど、それこそある程度の容姿が必要になってくる。一度だけ万もらって口とおさわり、みたいなのしたけどあれ凄いコスパよかったんじゃないかと思い始めてる。あの時はお金あったからなにやってんだろって思って病んだけど今なら多分感情死んだまんまできる気がしてわんちゃんあるな?って感じ。

お金がない女の子をお金のある男の人が買うことに何も問題はないなら、もっとそれオープンにやってくれれば小遣い稼ぎも楽なのになぁって思う今日この頃。できれば女の子相手の方がいいけどね()

はぁ、とりあえず明日もどっかで金用意しなきゃなぁ。人生って難しいわ。

to 男性への恐怖心が拭えない

男の人って怖いよね。あのゴツゴツした感じとか、低い声とか。それに目線が気持ち悪い。投稿者さんは私が感じる男性への嫌悪の何倍も負の感情があるんだろうと思いました。私のアドバイスは正直参考にはならないけど、それでも参考までに聞いて欲しい。

別に男がこわくたっていいじゃん。女の子好きになっちゃえば男なんて必要なくなるよ?

っていう。確かに社会生活を営む上で男の人との交流は免れないけど、女の子を好きになることで少し男の目線っていうのを感じることができると思うんですよ。そしたら多少男の人への見方も変わる…かもしれないなって。暴論だというのは重々承知だけど、男性恐怖症って男性を恐怖に思っていたら、社会的に(結婚とかね)差し支え生じるからそんな風に言われてしまうけど、恐怖に感じても問題なくなればその頃には男性恐怖症もある程度緩和されるんじゃないかなって思います。あとは、信用できる男の人を探すことですかね。その一歩目って凄いしんどいし怖いと思うけどこの自分のまんまじゃダメだ!って考えてるなら少しずつ歩めていけたらいいなぁって。

To恋愛以前の悩み事/人生相談/YDK

こう言うのって軽率にわかるよって言ったらダメなことをわかった上で言いますけど、すごく共感しました。私も基本的に他人を敬っているので、他人ありきの自分に押しつぶされそうになるし、物事に基本的に興味が持てない。さすがにこれではやばいかもしれないと思った私がとった方法をアドバイスとしたいと思います。

「みんなしたいことをしているだけなんだ」と思うことです。自分がどうしたからから相手がこうしたなんてことはなくて、相手はその時自分のしたいようにしたたけ。だから罪悪感とかを覚える必要は全くない、ということです。自分の行動を他人に非難された時も、自分はこれが正しいと思ったからこうしたんだ、君がそう思うんならそうなのかもね、私は違うけど、といったかんじです。すごい意固地でワガママに見えるけど、人間多少ワガママなくらいの方が人生楽しいんじゃないですかね。

暴論だとはわかってるけど/絶食系男子/YDK

「全世界の絶食系男子に告ぐ!!!絶食だのなんだののたまうのは食べる楽しみや苦痛を味わってからにしろ!!!!」

なーにが絶食だ、ラマ男だ。舐めてんのかおらおら。絶食っていうのは食べたことある人間がするものだし食べたことない人間がなにを言ったところで、単なる負け犬の遠吠えに過ぎんのだよ。例えるなら人と関わったことない人間が、人間嫌いなんだよね…っていうヤツね。こちとら「あっ、はぁ…」っつー反応しかできんわ。しかも絶食とか言って2次元は好き、みたいなのなんなの???それおかしくない?食べてない???乳製品ダメなんですけどチーズはいけるんですよね〜みたいなレベルよ?それ原材料ばりばり乳ですけど〜牛さんだよ〜🐄って感じ。

あ、別に絶食系男子を否定してるわけではないんですよ。ただ納得いく答えを見つけられてないだけで。そりゃ中にはアセクシャルの人とかもいるだろうから一概に絶食を否定はできません。でもねぇ、草食系からの進化版、みたいな奴。ちょっとそこ座れ。

おい、家でゴロゴロしてれば飯が食えると思ってんのか???ん???

狩りに行かないライオンは肉にありつけないし、首が伸ばせないキリンも同じく葉っぱ食えないの。女と関わろうとしなかったら当然女を食う機会なんてあるわけがない。少しでも関わろうとした???男として魅力的になるようにした??って話よ。そんなこともしないような男がラマ男だぁ?ちゃんちゃらおかしいわ!!!!ひとつ言っておくけど私は雑食系の人間なので男も女も食ったことがある。その結果わかるのがやっぱり恋愛はめんどくさいし、だるいこと多い。しかし!!!!それを人と付き合ったことない人間が、あまつさえ開き直ったような奴に言われた日にはそりゃはらわたグツグツ煮え繰り返りますって話。まー正直、男ってだけで女の恋愛対象に容易く入れるのになんで私が非童貞で貴方が童貞なの?って気持ちと同時に、嫉妬もあるんですけどね。女を幸せに(比較的)出来る男が本当に羨ましいわ。つまるところなにが言いたいかっていうと、

「恋愛ってめんどくさそうだし」
「女の子に嫌われたくないから…」

とかいう男。そこで一生痩せ我慢してろ。武器は持ってるだけじゃ意味ないんだよ〜。