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PN変更のお知らせ/ゆがみ→ととのえ/夏課題番外編

お久しぶりです。なんだか最近人生が一歩先に進んだような気がします。成長したというわけでなく単に抜け毛が増えてきたということですが。しかもその抜け毛が細いんです。十分に育ち切る前に力尽きてるんでしょうね…。かわいそうに。別に抜ける前からかっこよくはないのでみんなが思っているほど重く受け止めていないつもりですが、一つだけ、ハゲても遠ざからないようにお願いします。そういえば、近々ハゲに効きそうな場所に行く機会があるような気がするので、その時に神(髪)頼みでもしようかと思っています。その話もまたやる気があれば書くかもしれません。

 

さて本題。この間の春学期は無気力が続いて、やる気のない文章を投稿したりして非常に迷惑をかけました。申し訳ありません。でも、「仕事がいや」とか「この授業がいや」とかならまだしも「(自由に書いていいのに)何も書く気が起こらない」というのは重症です。何にもやる気がないということですから。そういうわけでスタジオ企画にも参加できてないです。皆様お疲れ様です。そして重ねてになりますが申し訳ありません。何とかその状態を直そうととりあえずペンネームからでも変えていこうかと思ってこんなことをしています。別に春学期の時点で昔みたいな暗い文章は封印していたつもりなので大丈夫だと思っています。

ただ、秋学期は特に気分が不安定になる時期なので、時々元の感じの文章を勢いで書いてしまうこともあるかもしれませんので一応元のはサブアカで持っておこうと思います。ただし継ごうという猛者が現れた場合には遠慮なく受け渡します。もらった人は大事に使ってあげてください(お前が言うな)。また、何かの間違いで復活の要望が多かった場合には検討いたします。昔のような感じで書けるかはわかりませんが。

秋学期は今まで通り色々書くとは思いますが、宣伝みたいな文章が書いてみたいなとか考えています。とはいえ僕は有限不実行の男。どうなるかはやってみるまでのお楽しみということで。

パーマな暮らし/夏/ゆがみ

(注)この文章に出てくるパーマは僕のようなきつめのものを想定しています。もっとマイルドなパーマもあるのでそのことはお忘れなく。

 

熱くなってくるこの季節、髪を切る人も多いのではないだろうか。夏と言えばさわやかに短い髪形だと思う一方、自分みたいなパーマは夏には暑苦しいそうだと思っているはずだ。ということで、テーマ設定が強引な気がしないでもないが、今回はパーマについて色々書いていこうと思う。

まず、パーマが夏に向いてないんじゃないかという話についてだが、パーマが一番夏に向いているという説もあるらしい。直射日光を浴びない上に空気の層があるために熱が入りにくいのだとか。確かに、去年の夏は髪を伸ばしっぱなしだったが、髪が短いときと比べて特別熱いとは思わなかった(体力無いとどっちにしろ熱中症にはなるが)。ついでに言うと冬も髪の毛のボリュームがある分ほかの髪型より過ごしやすいのだとか。

パーマのいいところはそれだけではない。パーマはいろんな人から触ってもらえたりして、人と近づくきっかけになったりする。友達を作りたい人にはおすすめだ。さらに言えば、俺くらいのパーマになると、鉛筆とか収納できるようになる。

そこまで宣伝してもまだ抵抗がある人がいるかもしれない。でもよく考えろ。俺を見るからいけないんだ。大泉洋だってパーマじゃねえか。パーマにだってかっこいい人はいるんだぞ。

 

こんだけ説明したらきっとパーマに興味を持つ人が少しは増えてくれるはずだ。「昔のイケメン俳優みたいだ」なんてことをよく大人には言われてきたが、うまくいけば時代の最先端をいく髪型になっていくのだ。

 

 

でも、大泉洋がいくらイケメンだからといってみんながみんなイケメンになれるというわけではないのは周知の事実。

髪の毛の中に鉛筆を突っ込めるって言ったって、落ちてきそうだったり髪を痛めてたりしそうで怖いからそんなに使える技でもなかったりする。

自分の髪のケアが甘いだけかもしれないが、髪の毛が絡まったりフケが絡まったりしてついつい掻いてしまう。みんなより早くはげそう。

ときどき虫が住んでいたりする。

そして、みんながパーマになった夏を想像してみよう。いくら本人たちが快適だとしても見た目からして暑苦しい。想像だけで熱中症になるには十分だ。

 

…てなわけでそのうち髪切って、いわゆる「夏っぽい」髪型に近づけます。

 

最後に、この文章を見てなおパーマになりたいという方は直接美容室へ向かってください。僕から言えることはもうありませんので。

何も思いつかない/曲/ゆがみ

なぜだろう、最近妙に無気力だ。やばい。助けてくれ。

おっ、これは久しぶりに病んだ文章でも書くのかって思った(期待した?)人もいるかもしれないけど、(残念ながら?)そんな気力すら残ってない。なんでそんな状態で課題をあげるのかって?それは俺が無駄に生真面目だからだ。そのおかげで今まで生きてきたのだから許してくれ。

 

今回取り上げた「セシウムと少女」について。別に反原発思想とかそういうのが好きなわけじゃない。現代社会の早い波から切り離されたのどかな場所で、人について思慮を巡らせている感じが好きなのである。今更そんな場所ないだろうけど(果たして昔にあったのかもわからないけど)、そういう世界に行きたい。

 

今回は以上。文章が短い分は音楽聴く時間にでも。歌は聞いてみないとわからないから是非聞いてほしい。文章は全然やる気ないけど、曲についてはいいと思うので。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=Pwm2eDrpUIg

 

出ない杭は放置される/妄想/ゆがみ

今回のテーマは「妄想」だが、そもそも「妄想」って何なのだろうか。自分の頭の中で何かを考えるっていうだけなら「想像」で済む話だし。とにかく一人で考えても先に進まないのでここは辞書の力を借りることにする。

 

妄想

[名](スル)《古くは「もうぞう」とも》

根拠もなくあれこれと想像すること。また、その想像。「―にふける」「愛されていないと―してひとりで苦しむ」

仏語。とらわれの心によって、真実でないものを真実であると誤って考えること。また、その誤った考え。妄念。邪念。

根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念。現実検討能力の障害による精神病の症状として生じるが、気分障害や薬物中毒等でもみられる。内容により誇大妄想・被害妄想などがある。

 

ついでにイメージを膨らませるために類義語とされる言葉たちも。

 

空想

[名](スル)現実にはあり得ないような事柄を想像すること。「―にふける」「―家」

 

想像

[名](スル)実際には経験していない事柄などを推し量ること。また、現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと。「―をたくましくする」「―上の動物」「縄文人の生活を―する」「―したとおりの結果になる」

 

夢想

[名](スル)

夢の中で思うこと。夢に見ること。「―だにしない歓迎を受ける」

夢のようにあてもないことを想像すること。空想すること。「―家」

無双2」に同じ。

夢の中に神仏が現れて教えを示すこと。

 

幻覚

実際に感覚的刺激や対象がないのに、あるように知覚すること。幻視・幻聴など。

 

この中では、幻覚という言葉がどうしても印象に残る。幻覚というとそれこそクスリをやっちゃっている人だったり認知症の人だったりが見て、僕らには無縁のものだと思われているだろう。しかし、妄想も残念ながらそれと同類なのだという。実際、「妄想」の定義にも「あり得ない」とまで書いてある部分もあり、一番マイルドなものにも「根拠がない」とある。「お前らは中毒患者や認知症と同じようなもんだよ。いい加減目を覚ませ。」という辞書サイドからのメッセージなのかもしれない。

 

 

追伸:出しておきながら何にも触れなかった「空想」「想像」「夢想」、申し訳ない。「幻覚」のインパクトの強さに押されてしまった。私の不覚である。しかし、君たちは僕よりずっと長く生きると思うが、目立たないことで損することも多々あると思う。もちろん私も文章で触れたものくらいは使うよう努力はしていくが、文章で触れられなければどう転んでも用無しである。つまり、とにかく目立って使ってもらえるようにならなければならないのだ。次はどのような形で諸君に会えるのか、楽しみにしている。

星が欲しい/とげ/ゆがみ

このスタジオの評価方式が「グループ内で1票」から「全体の中から1票」に変わってからなかなか票をもらえなくなった。ここでの評価が世の中の評価につながるのかとか(生意気にも)思っているものの、評価がもらえないのは辛いことだ。どうすれば星がもらえるのだろうか。このテーマでうまく書けそうなネタはないかと考える。ひたすら考えていると頭の周りを星が回り始める。

ここでふと思いつく。星ってトゲばかりの図形だと。一つの星の中にトゲが5つもある。つまり、3つ星レストランならトゲが15個、5つ星ホテルならなんと25個だ。これはネタになりそうだ。いつの間にか頭の周りを回っていたはずの星たちは消えていた。

 

というわけでこれから星とトゲについて話を膨らましていこうと思う。私たちが「星」という言葉を使う場面にはどのようなときがあるだろうか。もちろん、空に光る星の話をすることもあるが、「期待の星」「中年の星」、英語だけど「スーパースター」のようにひと際目立つものにもよく使われている。これは星の特性にある。星は太陽と同じく自ら光るが、空すべてを明るくする太陽とは異なり暗闇の中に一点だけ輝いているからこそ、そのような使われ方をするのではないか。

でも、一点だけというのはトゲも同じだろう。一点に集中しているからこそ刺さると痛い。しかし、星という言葉はいい意味で使われるのに、トゲという言葉は「言葉にトゲがある」みたいにマイナスイメージになることが多い。

「物は言いよう」というのはよく言われることだ。例えば、「落ち着きが無い」というマイナスな印象を与える言葉でも、「いろいろなものに目が行く」というプラスな感じに言い換えができる。「言葉にトゲがある」というのも「悪いことを言うことを躊躇していない貴重な言葉だ」とか言いかえればプラスである。

このように良いように言葉を変えていくのは、自分に自信がない人に対する接し方として良く取り上げられることだ。人が不幸か幸福かを分けるのは認識の部分だけである、というのはよく考えられることかもしれないが、なかなか実践できないことでもある。しかし、「自分が幸せになれる方がいいかなれないほうがいいか」と聞かれたら前者を選ぶに決まっている。それが自分の認識だけで変わるというのならば、ある意味簡単な話である。自分の中にあると思っているトゲを星だと思え。躊躇するかもしれないがそれだけのことだ。

ユウキ1/4 /たなべゆうき/ゆがみ

「せっかく仲良くなれたのに」

「新しい学校に行っても俺のこと忘れるなよ」

「こんなにサッカー上手いやつ初めて見たよ。またサッカーやろうぜ」

赤い光さえもいつの間にかなくなっていた暗い夜空の下、みんなに惜しまれて俺は引っ越し前のひと時を終えた。

 

「はじめまして、今日からこの学校に通うことになりました田辺悠希です。これからよろしくお願いします。」

(なんかぱっとしないなあ)

(まあ転校生に期待したところで無駄か)

(…………)

 

実は、俺は去年の出来る男から顔も悪ければ運動神経もない人に変化してしまったのだ。彼は7月31日から8月1日の間に万能なできる男からダメ男になるのである。その後は才色兼備の女、見た目も能力も劣るダメ女へと変わっていき、また万能な男に戻るのである。外見はともかくとして中身はどうなるのかという疑問を持つかもしれないが、記憶はつながっているはずものの、男の時は男っぽく、女の時は女っぽくなっている気がする。

さて、目立たない男としての1年を終えた。その間に小学校から中学校に進学したのだが、特別惜しまれることも無く例によって別の地域の中学校へと転校することとなった。

 

「はじめまして、今日からこの学校に通うことになりました田辺悠希です。これからよろしくお願いします。」

(うわ・・・まじかわいくね)

(こんな可愛い女の子観たことない)

(もう彼氏とかいるのかな?)

 

私はちょっと前まで男だったはずなのに、いやそうだったからかもしれないが、男子との距離の取り方がわからなくなってしまった。もちろんデキる女モードなので十分なコミュ力はあるはずなのだが、それ以上に不安になる気持ちが強く、最初はあまり男子とは話せなかった。

そんな私はかるた部に入った。ダメ男だった頃に一人で漫画を読んで興味を持っていたが、今までかるた相手を見つけられず実戦経験が少なかったため、最初は部員達にかなわなかった。特に、同級生のリカちゃんは強く、10枚くらいしか取れないこともしばしばだった。

そんなリカちゃんはすらっとしていてスタイルが良くて、何より男子と普通に話せるのがかっこいい。彼女のおかげで男子ともしゃべれるようになったのだが、一番好きだったのはリカちゃんだった気がする。今は女の子なんだから男子を好きになったほうがいいんじゃないかとは何度も考えたけれど、「かっこいいのは男女共通だからいいかな」とか考えて自分を正当化していた。2年後にはイケメンになるけどその時にも彼女を好きになるのかなとか、私は恋愛対象になるのかななんてことも考えてしまった。

楽しかった1年を終え、いつもの通り転校する時期となった。女子のみんなにはもちろん、男子にも祝福してもらった。特に一部の男子には慌てて告白もされたが、「中学校離れちゃうからちょっときつい…」なんて適当にあしらっておいた。リカちゃんにも「また会おうね」って言われたので、「うん」と申し訳ないと感じながら口先だけの返事を返しておいた。

 

「はじめまして、今日からこの学校に通うことになりました田辺悠希です。これからよろしくお願いします。」

(ブッさ…)

(なんでよりによってブス女なんだよ)

(誰得だよwww)

 

この中学にも運よくかるた部があったので、そこに入ることにした。以前より明らかに反応速度は遅くなっていたが、今までの経験で何とかやっていけた。

そして、初めての大会の日。

 

「すみません、○○中の人ですよね。○○中にいる田辺悠希さんってご存知ですか」

 

私の頭の中はパニックに陥っていた。どうすれば彼女にわかってもらえるだろうかとか、これほどまでに私に会いたいと思っていた彼女に申し訳ないなとか。その間にいつのまにか3年間経っていたらと思うが、無情にも時は一秒一秒、ゆっくりと進んでいく。彼女との1メートルと3年近くの距離。果てしなく近く、果てしなく遠かった。

ぼくらの80年間戦争/身体/ゆがみ

私は普段何も考えずに歩いているから、ちょっとした出っ張りによく足を取られる。しょっちゅうのことなのですっかり慣れてしまっており、体も身軽であるから転んで地面に体を打ち付けることはない。けれども、歳を取って体が弱ってからも本当に転ばずに済むのだろうかとよく考える。しかし、私には衰えた身体を経験したことがないので想像がつかない。衰えた自分の姿が想像できず恐れているのは私だけではないだろう。

現在、ネットなどでお年寄りをけなす言葉として老害という言葉が簡単に使われる。お年寄りの中で老いたくて老いたという人はまずいないのだが、人は無自覚のうちに老いていて、体力はもちろんのこと、経験の増加に伴わず頭の回転までも悪くなっている。実際、今でも多数の番組の司会を務めている明石家さんまさんが何かの番組で「何年か前のテレビ番組を見て自分の受け答えを振り返ると思ったとおりである。しかし、最近の番組を振り返るともっと良い返しが思い浮かぶ」と言っていた。このような年配者の事情も分からずに「老害」という言葉一つで切り捨ててしまうのは、あまりにも暴力的なのではないか。

一方、中高年が若者について嘆くのもよくある話である。こちらは古代ギリシア時代にもすでに言われていたと聞いたことがある。若者が中高年を経験したことがないのとは違い、若者時代を経験しているのにである。逆にこれは歳をとるにつれて得た知識により、無知だった若いころの記憶を呼び戻せなくなっているのだろう。

このように、人生というものはずっとつながっているようでありながらも離れた地点では全くの別物になっている。そしてそれは今までも言ってきたように相互に理解されない場合が多い。古代ギリシアの大人が若者を心配し、その若者が大人になったときにまた若者を心配し、と今まで2000年以上、あるいはもっと昔から続いてきたことだから、そう簡単に変わるものでもないだろう。

そして、未知のものとの対峙は争いをもたらす。戦争といえば日本では太平洋戦争以降起こっていないため実感がわかないかもしれないが、老若、男女の違いによるいざこざは日常茶飯事である。それらの解決には一方的な考えだけでなく、相互に距離を狭めようとする努力が必要だ。老若理解の問題はこのようなことにまでつながってくるのだから、思っている以上に深く考えなければならないのかもしれない。

近づけない/距離/ゆがみ

俺は今生きる意欲を失っている。将来の夢も定まっていないから授業にもやる気が出ない。この文章を書く気力も出ない。しかし、授業を休んでまでやりたいことも無ければ、遊び方も知らないからとりあえず大学には毎日来ている。こうやってこの文章も書いている。

そんなんだったらいっそ死んでしまえばいいじゃないかと思うだろうが、そういうわけにもいかない。俺にはまだ人生に未練があるのだ。同年代の女の子に甘えたい。体に触りたい。そんなに触りたかったら満員電車で不可抗力を装って触っとけって?そんな恐れ多いこと俺には出来ねえよ。そしてできることなら恋したい。どっからどう見ても草食系の俺がそんなことを考えているようには見えないかもしれないが、そのために生きていると言っても過言ではない。

でも、俺には女の子との距離の取り方がわからない。どの距離まで近づけばいいのか。どこまで触っていいのか。どんな話が許されるのか。わからない。さすがに最初からベタベタしていては嫌われることくらいはわかる。普段から甘えるような弱々しい男だと嫌われそうで怖い。俺は仮に告白してフラれたとしても嫌われるのは嫌だと考えるタイプの男だ。しかし、どこかで攻めなければ何も得ることはできない。女は若ければいいというものでもないのだろうが、ハタチくらいの若い女の子と触れ合えるチャンスは今くらいしかない。だから後悔したくない。どこかで勇気を振り絞って行動に出なければならない。でも怖くて行動できない。

 

どーせ俺はそうなんだよ。誰からも好かれやしねえよ。そのままのたれ死ぬんだよ。

地震の話/どうなの?/ゆがみ

(注)特に刺激が強い文章ではないと思いますが、この度の地震などにより地震にトラウマのある方は読まないほうがいいかもしれません。それでも読むという方は自己責任でお願いします。

 

こんな時期にふさわしい話ではないと思うが、私はたびたび地震が起こる夢を見る。そしてそれはそれなりに当たるのだ(地震大国の日本ではいつ「地震が起こる」と思っても当たるだけの話かもしれないが)。実際、ネットで調べても(無論真偽までは確認できないが)このような話はいくつも確認されている。しかし、そんなこと言ったって誰も信じてくれないだろうし、当の本人も半信半疑である。理由はおそらく、科学的に説明できないことや統計的なデータにまとめられていないことだ。

では、科学的根拠に基づいていればよいというものなのだろうか?そんなことはない。かつてガリレオは木星の衛星、金星の満ち欠け、太陽黒点から地動説を唱えるも人々から信じてもらえなかった。ダーウィンも長い研究の末に進化論を唱えたものの、人々からは信じてもらえなかった。言うまでもないかもしれないが、これらの説はキリスト教の教えに背くものである。

このように、都合の悪いものは信じてもらえない。偉い人の「どうなの?」という圧力のもとに異端とされてしまう。結局この世の中はそんなものである。今回取り上げたもの以外にもこのような話はたくさんあるだろう。しかも、今回出したものは昔の話だからとっくに全体像が分かっているが、現在形でもこんなことが行われていると考えると恐ろしい。

ちなみに、私は最近首都圏で地震が起こる夢を見たが、信じる気は毛頭ない。この歳で死ぬのはごめんだし、友人や知り合いに先立たれるのも嫌だからだ。命のことはさておいても、大量の建物が倒壊したり、免れたとしても亀裂が入ってしまえば使い物にはならない上、その後も危険なものであり続ける。政府機関や報道機関及びその他の情報システムがどのくらい機能するのかもわからない。住宅の密集した地域ではどれほど火災が燃え広がるのか。そして密集してロクに空地もない地域でスムーズな復興が可能なのか。考えるだけで恐ろしい。考えたくない。信じない。

それでも信じるという方は防災対策をして備えておくといいだろう。例え外れたとしてもやっておいて損はない。

嘘なのか/嘘/ゆがみ

私は不器用で素直な人だから嘘をつくのが下手糞である。

周りの人がどのように自分のことを捉えているかは知らないが、少なくとも自分ではそう思っている。しかし、この文章を見ただけでそう思う人はいない。それは嘘が言葉そのものでなく、むしろ態度によって表れるからである。ここ10年20年で急速に広まったインターネットで行き来する情報のほとんどは文字のみの情報である。もちろん、それまでも新聞などの出版物や電報、手紙など文字情報はあった。しかし、出版物は作る人が限られるし、電報や手紙もわざわざ日常的に送るものではないだろう。しかし、現在では多くの人が毎日のようにメールをしたりSNSに書き込んだりしている。

「嘘も方便」ということわざがある。ご存知の通り、うそをつくことは時と場合によっては必要だという意味である。これは時に正しいことを行ったりやりたいことをやったりすることよりも周囲に合わせることが美徳とされる日本特有の考え方であると言える。このスタジオでも物語以外の文章を書きたかったものの、周囲の空気に流されてなかなか書けなかった人がいた。このことが発覚したのも実際に顔を突き合わせて話したからである。これに対して「これまでのスタジオでそういう話が出なかったではないか」という反論があるかもしれない。しかし、実際に今までスタジオを行っていく過程の中で「ダラダラしているな」という共通認識があったからこそ話し合いが行われたのだろう。仮に実際に会ってのコミュニケーションが無ければ気づかれなかったのかもしれない。

もちろん、文字だけの情報の方が物を言いやすいという人もいるだろう。実際、2ちゃんねるでは、匿名であることもあるが、なかなかリアルの世界では言えないような発言が飛び交う場になっている。自分はやっていないのでよくわからないが、twitterでもリアルと違って饒舌な人もいるのではないだろうか。しかし、そこで交わされるのは文字情報のみであるため、当然だが表情や動作などのそれ以外の物を知ることはできない。「了解です」という言葉をリアルの世界で言えば、渋々言っているとか喜んで言っているとかいうことがわかるかもしれない。しかし、ネット上の「了解です」にはそれ以上の意味はない。初めのほうで述べたように、今では誰もがネット上のやり取りをできる今の時代、誰もが他人に気付かれぬままに自分にも他人にも嘘をついているのかもしれない。

 

 

※一応最後に誤解のないように言っておきますが、サイバースタジオに対して反対意見として言っているわけではありません。この流れの中で書いても信じてもらえないかもしれませんが(笑)