「おっぱい」カテゴリーアーカイブ

本当は怖いπとロマンス/ おっぱい/眉墨

胸の前に重力にあらがってぶら下がる二つの袋が邪魔くさいと哂う尖ったティーンを例にもれず私も過ごしたわけですが、やっぱりおっぱいに勝るものなし。
人は女の股から生まれ、女の乳を吸い、女の乳に生かされて大きくなってきたわけです。哺乳動物だからね!
だから私たち人類は豊かな乳にはあらがえぬのです。豊満な乳房を前に、戦など決してできないでしょう?おっぱい。戦争をなくすには大きなおっぱいが必要だと思うのです。
おっぱいは母なるもの、たわわなそれは猛々しい歴戦の戦士ですら武器を捨て、歓喜の涙を流しその神々しさにひれ伏さずにはいられぬほどの神聖さを秘めて膨らんでいるのです。
だから、私にとっての平和の象徴は白い鳩ではありません。
おっぱいなのです。
まあ、オリンピックの開会式でおっぱい飛ばすとかできないから、鳩のがいいと思いますけど。

自分の胸に両手を当てて、真摯におっぱいと向き合っておりますと(実際には自分のおっぱいなのでおっぱい取り外して壁とかにつけて眺めることはできないのですが)、自然と心が安らぎます。安らぐんです。変な気持ちにはなりません。ワンルームで壁見つめてひとりでおっぱい揉んでる自分にちょっと悲しくなるだけです。
なめらかでしっとり潤った白い肌がまあるく包むやわらかいおにくは一人でおっぱいを揉んでいる虚しさも、20年間彼氏が居ないにも関わらず周囲のビッチのせいで耳年増になり日に日に非処女感の増していくことの哀しさも、すべて吸い取って下さいます。
私めのこのぜい肉ですらそうなのです。ステキなお姉さまの豊かなおっぱいであれば、きっと悲しみを吸い取るなんてものではないでしょう。たぶん召されます。アブねえ。だが揉んでみたい。よし、自分の性別をまるっと利用して、巨きな乳を揉みまくるぞ!あ~~女に生まれてよかった!
しかし、ここが私のなんともわがままの過ぎるところなのですが、「おっぱい触らせて」と此方が必至の思いで伝えたとして、軽々しく「いいよー」と抜かす女の乳は揉みたくない。いや、触るけど、揉みたくない。なんか軽率に「あんっ」とかいいそう。黙っていてほしい私は貴様の乳に用がある。
ビッチと糞ビッチの知り合いが多い私だが、巨乳の知り合いは限られている。交友関係が泣きたくなるほど狭いから当然だ。ただ多いだけのLINE友だち欄を探る。お前は友達じゃねえ誰だお前、こいつは軽率に喘ぎそう、こいつはイケてブラ越しかな‥‥。片手で自らのDカップ(もうすぐEになるぞ!)を揉みながらもう片方の親指でLINEを探っていたそのとき。

「電話してもいい?」

おっぱいからLINEが!!!!
先輩をおっぱいって呼んでごめんなさい。この場で告白しますが1年の時顔覚えられなくてLINEの名前をフルネーム@おっぱいにしてました。
天啓のようなπLINEに私はすぐさま反応!「モチのロンでござる!」
断っておくが彼女ではない。
私はバイトで酒を飲み更に家でも酒を飲み、アルコール消毒が済んだ朦朧と冴えわたった脳みそで話をうまいこと下ネタへ誘導し、勢いよくなるべくハキハキと言った。

「パイセン、今度おっぱい揉ませてください!!!」

次回・『本当に揉んでいいんですか?』編、乞うご期待!

童貞と肋骨/おっぱい/温帯魚

童貞が軽々しくおっぱいについて語ることは許されない。我々にできることは背筋を伸ばした状態で握りしめた拳を突き上げ、どこまでも広がる大空に向かってその名を叫ぶことのみである。

「おっぱい!」

「おっぱい‼」

「おっぱい‼‼」

 

 

書きたかったことがすべて書き終わってしまった。仕方がないので横でXvideoを開いてみたのだが、いつみてもこのサイトは生命力にあふれている。ドパドパだ。今可愛いねえちゃんがもじもじしながら服を脱いでいる。あけっぴろげなのが好きだ。高校生の時に少年ジャンプとプレイボーイはどちらが先に廃刊になるのかとよく考えたものだが、恐らく第二第三のエロ雑誌が表れ消えていくのだろう。滅ばない。滅びさせない。

よくもまあこんなに揺れるものだと見ている。個人的には前から見るアングルより横から見るアングルのほうが好きだ。前から見るアングルだと少し間抜けな感じがしてそれはそれでいいのだが、やはり私としては女性のあの底知れない雰囲気が好きなので形が綺麗に見える横乳がいい。そんなものお前が平面でしか見てないからだと言われそうだが、まあ反論はできない。できないうえで屁理屈をこねるとするならば、それとこれとは別問題なのであると主張したい。主張したいのだ。断固として。現実だろうが画面だろうが、おっぱいは素晴らしい。裸婦画だって何千万と書かれてきていて、コンビニからエロ本がなくなることはこれまで無かった。画面のおっぱいだろうが、そこにいるおっぱいだろうが、等しく愛があるのだ。愛だ。愛の問題なのだ。画面のおっぱいは嫌いか。嫌いならしょうがない。君とはこの点で袂を分かとう。近くのおっぱいのみで満足しているとよい。それが悪いとは言わないが、私はワールドワイドに生きる。ワールドワイドな横乳評論家となって、いつか遠くに生きる君の耳にも届くように努力しよう。

前乳と横乳の命題に戻るのならば、その立体感を出すものとしてブラジャーの存在が欠かせない。ブラジャーと肋骨だ。いやむしろブラジャーの存在によっておっぱいは欠けてしまったと言っても過言ではないだろう。ブラジャーは文明だ。人間はもはや文明から逃れることはできない。存在というものはそれほど重いし、そこから逃げることは不可能だ。しかしだからと言ってそれが恥ずべきことだという訳でも決してない。不完全が完全に劣るなどというのは言葉の綾でしかない。ブラジャーを見ろ。もう一度ブラジャーをその目で確かめろ。良いだろ。最高だろ。おっぱいとブラジャーはお互いを高めあい、より高度な次元にはばたくのだ。罪の味は何よりも濃い。それこそが文明であり、それこそが人間なのだ。翼よ、見ろ。あれがパリの灯だ。パリの灯が照らすおっぱいは、人間という存在そのものの祝福である。よしんば最先端のスマホの明りだ。それはもうもう天使のラッパも絶好調になるに決まっている。ジャズだ、セッションだ、スウィングだ。ぱっぱらぱーのぷーだ。おっぱいが縦に横にと揺れるたびに会場が熱狂する。おっぱいがブラジャーによって隠される。ブラジャーが取り払われおっぱいが我々の前に現れる。音楽の本質は反復と増幅で、それはクラシックもポップミュージックも変わらない。おっぱいを取り巻くすべての世界は波となり我々の感情を揺らすのだ。バッハが何だ。モーツアルトがなんだ。我々はおっぱいさえあれば、ベートーベンだってぶっ潰せる。おっぱい万歳!人類万歳!

全てのおっぱいは美しい。しかしそれは差異がないという訳では決してないのだ。価値とは位置である。だからすべての物質は価値を持つ。報われないおっぱいがあったとして、それでもその存在は素晴らしいということが伝えられるならば、私は何度でもこの拳を突き上げよう。中にはおっぱいを呪う人がいるかもしれない。我々はおっぱいから逃げることはできない。ある点でそれは呪縛である。人間が獣であるように、あるいは機械でもあるように。人生は理想からほど遠く、しかし理想を捨てるには我々はまだ幼い。正誤の問題ではない。あるいはそうだからこそ余計に苦しい。

しかしそれでも私はおっぱいを愛そう。たとえ醜いおっぱいでも無理してそれを慈しもう。男は馬鹿だ。でも男から見れば女だって馬鹿だ。人類は大馬鹿しか居なくて、だからこそ人間は愛という言葉の意味をこれ以上なく素敵に間違えることができる。おっぱいは愛だ。人類は愛と共にあって、きっとこれからもあり続ける。おっぱいと最も遠い童貞だって、こんなに愛を知っているのだ。だからこそ愛そう。おっぱいを、この世界を、そして肋骨を。

「おっぱい‼‼」

 

実現不可能な欲望/おっぱい/ふとん

ずっとおっぱいがない。

テレビに出てるえっちなお姉さんになりたかった。タオル詰めて大きいおっぱい作って、変態カメラマンに撮影されるごっこを何度もしたのに。大人になったら手に入るはずだったのに。2年遅く生まれた妹のほうが大きいのは一時的なもので、自分もこれから大きくなると思っていたのに。

おっぱいがいつまでたっても膨らまない。
わたしは本当に女なのか?女性ホルモンが出てないのか?中身がおっさんだからか?

「細い子のほうが好き」
大体の男はこう言う。よし。私は細いか太いかで言えばちょっと細いはずだ。でも知っている。見た目は細くて胸もなさそうなのに脱がせたとき意外と大きいおっぱいほど男に打撃を与えられるものはないということ。

私には無理だ。なさそうで本当にない。男が夢見るおっぱいのロマンを実現してあげられない。ロリ巨乳と呼ばれることがこれから先きっと一度もない。細い身体に豊かな乳。女しか持ちえない武器を私はどこかに置いてきた。

なんで私以外に女が存在するんだ。全員私よりブスで貧乳なら文句はなかったのに。圧倒的に整った顔と引き締まった身体と大きいおっぱいを持つ女に限って、テレビや雑誌にばんばん出てきて私の劣等感を刺激する。面積の少ない水着を来て胸を寄せポーズをとるだけで熱いまなざしを浴びる。日本中の男の視線をかっさらう快感はどんなものか。私には味わうことができない。死ぬまで味わえない。

彼女達の中にはお金をかけてメスを入れてお直しして頑張っている人もいる。でもそれで可愛くなれるのも才能のうちだ。元がいいけど少し惜しい部分を改善するのだ。一般人が少し直したところでちょっとましな一般人にしかならない。埋没法で二重まぶたなら金額もダウンタイムも不可能ではなくかなり可愛くなれると思っていた。全身鏡の前で愕然とした。お腹が出ている。太ももが太い。顔が大きい。歯並びが悪い。おっぱいがない。あの子達になるには何円と何年かかるんだ。かけても無理だ。限界がある。

細くて可愛い子がラーメンやピザやハンバーガーを心置き無く食べる。死んで欲しい。細いだけで可愛くない子は好きに食べればいい。私は太ももが太いから食べられない。食べていないのに太いし胸がないし顔がそこまで良くない。死んで欲しい。死にたい。

 

 

 

拝啓、おっぱい様/ぱいおつ/生まれてきてごめん

私は、おっぱいが好きです。

 

私がどれだけおっぱい好きかというと、3歳まで乳離れしなかったくらいおっぱいが好きです。事実です。3歳までむしゃぶりついていたんです。いい加減自分の乳の所有権を取り戻したかった母親は、自分で自分の乳にアンパンマンを描き、母ちゃんのおっぱいは飛び立ってしまったという設定で息子の乳離れを図りました。今となっては果てしなくバカな絵面の母が思い浮かばれますが、当時の彼女にとっては死活問題だった訳です。息子は大いにショックを受け、泣く泣く乳離れを余儀なくされました。

母の作戦は大成功、のはずだったのですが、お乳を飲まなくなった息子は、今度はおっぱいで遊ぶようになりました。乳は飲まねど、触り、揉み、殴り、蹴り、ありとあらゆる戦法を用いるようになりました。母からすると地獄のような毎日だったでしょう。さらに母のおっぱいでは満足できなくなった幼児白戸は、おばあちゃんのおっぱいであそぶようになりました。マジックと称し、ばあちゃんの服の中にボールを入れ、ボールが服から落ちてくるまでばあちゃんの乳をひたすら揉むという、まあハレンチな遊びを考案し、ばあちゃんの乳を揉み尽くしました。幼稚園を卒園する頃には、白戸少年はおっぱいマスターと化していました。しかし、当時の白戸少年にとって、おっぱいとはまだおもちゃのもようなものであり、エッチなものだという意識は全くありませんでした。僕はオスの本能で乳を弄んでいたのです。

そんな白戸少年の意識を大きく変える出来事が起こります。

 

 

 

 

 

 

 

そう、内科検診です。

 

小学校の低学年までは男女が同じ部屋で診察を受けます。僕ら男子はいっせいに服を脱ぎ始めるのですが、少し先に大人の階段を登り始めた女の子たちには恥じらいというものがあったのでしょう、脱いだ服でおっぱいを隠しはじめたのです。そこで白戸少年に電撃が走りました。

「あぁっ!あれがっ!あれが本来あるべきおっぱいの姿なのか!」

白戸少年、覚醒の時。眠れる獅子が目醒めた瞬間でした。おっぱいとは、隠されるべきもの、触れてはならぬものであるということに、ここで初めて気づかされるのです。そしてまた、おっぱいはどエロいもんだと思うようになったのであります。

 

それから月日は流れること17年、今年僕は20歳を迎えます。これまでのAカップより平らな人生において、私はおっぱいについて考えを巡らせてきました。その中でわかったことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

それは、おっぱいは大きい方がいいという事です。

 

理由は、おっぱいは大きい方が揉みごたえがあって気持ちいいからです。枕にもなります。僕はPカップがいいです。

でも、これだけは勘違いしないでほしい。
大きいおっぱいだからといって、小さいおっぱいに必ず勝てる訳ではありません。小さいおっぱいは非常に感度が良い。左乳を重点的に攻撃することによって血流がよくなり、全身の感度が高まるという点において、小さなおっぱいは大いなる武器となり得るのです。

小さなおっぱいをお持ちのみなさん、あなたはあなたのままでいい。大きなおっぱいでは感じることのできない喜びを、みなさんは得ることができるのですから、何ら恥じることはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあでも恥じるとするならばなんでそうなる前に手をうたなかったのかってところよね。豆乳を飲めよ豆乳を。やっぱでかい乳はいいなあ。

巨乳はつらいよ/おっぱい/YDK

おっぱい

はーい、巨乳代表が通りまーす!

おっぱいってさ、ある側からはわからないんだけどみんな好きだよね。夢と脂肪のかたまりだってわかるわ。通りすがりの人は必ずと行っていいほどわたしの胸に視線を向けるし、知り合いの人は総じて触りたいという。私からするとあって当たり前のものだからその視線も触りたいという感情もよく分からない(自慢じゃないから怒らないでね)というのも、私と同じくらいの人を見ることはあっても、自分よりも大きいなと感じる人に未だにあったことがないため、巨乳の概念がおかしくなっているのだ。子供の頃もお母さんが私と同じくらいあるので、世の中の人はみんなこのくらいになるんだと思っていたし、お姉ちゃん(B)がめっちゃ貧乳なんだと思っていた。だから、高校くらいになって巨乳をいじられるようになってから急に恥ずかしくなったし、すごく嫌だった。大学に入ってようやくネタにできるようになったけど思春期の頃はひたすら親に文句を言っていたものだ。

というわけで、巨乳羨ましがられるけどいいこと全くないからな!ということを推していきたい!!!!

まず服を選ぶ。

シャツとかスーツなんて着れたもんじゃない。切るだけで歩く猥褻物と化す気持ちがわかりますか。いやでも目立つおっぱいは単なる邪魔者でしかないのだよ。

そしてワンピースとか着れない。

女の子の象徴、デートの時に来て欲しい服、ワンピース…。着たいと思ったことは数知れず。試着だってした。でもね、知ってる?胸があるとね、ワンピースってマタニティーウェアになっちゃうんだよ?妊婦まっしぐら、電車で優先席譲られちゃうこの気持ち、わかりますかね!

下着がない。

まぁわかると思うんですけど、売り場にないことなんで当たり前で、可愛いデザインもないし、値段も上がるし本当に最悪だよ。布面積的に当たり前なのはわかるよ?でも私何にも悪いことしてないのになんで人より値段上がるの???巨乳セールしろよ。

と、文句はつきませんけど、とりあえず巨乳も大変なんだよ、ってことです。でも触られたりすることにはなんも抵抗ないからいつでも触ってみたい人は言ってね!フリーおっぱいとして生きていく。

おっぱいから見た男の性格/おっぱい/Nioh

日本語の「おっぱい」と同じ意味を持つ単語はほかにもいくつかあります。「おっぱい」「胸」「乳」「パイパイ」「ボインちゃん」などがあります。中国語の場合は「胸」しかなかったので、とても不思議に思えました。

 

彼らのおっぱいに対する呼び方の違いは、どこからやってきて、どこへ向かうのか。今回は、おっぱいの呼び方に隠された真相心理を紐解き、その心の内実に迫っていきます。おっぱいを「おっぱい」と呼ぶ男性は、”純朴甘えん坊太郎”です。小さい頃から両親に教わったことは素直にそのまま受け止めて疑わないタイプ。おそらく物心ついたときから、母親のことを「お母さん」と呼んだまま、いままで一度も呼び方を変えたことが無い層と同じでしょう。

 

そんな甘えん坊太郎にオススメのプレイは、顔面騎乗です。「もう一度羊水に満たされたい・・・胎内に還りたい・・・」顔面騎乗は最も原始に物理的距離が近い体位で、甘ったれた願望を十分に満たすことが出来るでしょう。

 

おっぱいを「胸」と呼ぶ男性は、”エターナル中二病太郎”です。13歳から15歳あたりで思春期を迎えた彼らは、「おっぱい」と呼ぶことに対して、ひいては自分の性への目覚めに対して恥じらいを感じ、「胸」という味気のない言葉を選んで使うようになってしまいました。たしかに、たしかにお母さんは昔に彼のエロ本を叱ったこともあったかもしれません。でもそれはお母さんも恥ずかしかっただけで、本当はそんな風に育ってほしくはなかったんだと思います。

 

そんな中二病太郎にオススメなプレイは、SMです。それもMのほうです。惨めな自分の性への執着をこれでもかというほど叩き込んでもらうといいでしょう。「豊満おっぱいで窒息させてください・・・」とすぐに懇願するようになります。

 

おっぱいを「乳」と呼ぶ男性は、”枯れ果てし古(いにしえ)の性豪”です。彼はかつて、となり街まで噂されるほどの性豪で有名でした。しかし、長い性生活の果てに精魂尽き果て、己の性への恥もためらいもなくしてしまった今、動物のように「乳」と呼びすてるその姿には哀愁すら感じられます。「姉ちゃん乳揉ませて〜や〜」などとエロキャラっぷりを気取ろうとも、すでに性欲を無くしてしまっていることは誰の目にも明らか。

 

そんな古の性豪にオススメなプレイは、介護プレイです。優しいお姉さんに、ご飯を食べさせてもらうことで人間本来の愛情を思い出し、おむつを履かせてもらってぶちまけることで、労りの心を取り戻すでしょう。

 

おっぱいを「パイパイ」と呼ぶ男性は、”社会不適合太郎”です。パイパイと呼ぶに至った流れは、中二病太郎と似ていて、主に思春期の照れ隠しから「パイパイ」とちょっと可愛く言ってみたことが始まりです。中学生くらいのときはまだいい。確かに「ちんちん」みたいでおっちょこちょいでかわいい響きがあるし、アダルティなニュアンスも薄らぐ。

 

しかし、大人になったらどうでしょうか。大事なブラジャーの商品会議のとき。彼女と真剣に性の話をするとき。風俗でおっぱい絡みのオプションを選んでボーイさんに告げるとき。「パイパイでお願いします」って言うのでしょうか?パイを2回も繰り返して恥ずかしくないのでしょうか?社会不適合者とみられることは間違いないでしょう。

 

そんな社会不適合太郎にオススメなプレイは、遠隔バイブです。しかも、バイブを仕込まれるのは彼のほうです。ペニスバイブを仕込み公園で密かに悶て悦んでください。彼の願望は最大限に満たされ、かつ、誰も傷つかずに済みます。

 

結論で言うと日本人って本当におっぱいが好きなんだなあ。「おっぱお」をテーマに卒論でも書けるのではないかと思いました。

 

おっぱい山/おっぱい/手汗王

西クマネシリ岳(標高1635m)、ピリベツ岳(標高1602m)、僕の故郷では1600m級のこの2つの膨らみの奇跡的な形を評して、オッパイ山と呼んでいる。アイヌの伝承 “ユーカラ” の中で “神々の国造りの舞台になった場所” として神聖視されているため、麓の町では毎年 “オッパイ山祭り” が開かれているくらいだ。

オッパイのニュアンスを盛り込んだ岩や山は日本だけでなく、世界中に数多存在する。イギリスのマンチェスターの語源は”おっぱい形の山”のケルト語だ。自由なおっぱい、地球にいっぱい、おっぱい万歳、という感じにライムだって練られる。

おっぱいの形状は豊穣・健康の象徴として古代から祀られてきた。おっぱいは人類の母なのだ。疲れた時のおっぱい、不安な時のおっぱいだ。

人間はおっぱいへの追求に生きがいを見出している。男は何でもかんでも暇さえあれば、「あれ、おっぱいに見えね?」とか言い出すし、某元芸能人のようにラインで唐突に「おっぱい」とか送ってくるやつもいる。女は大体の人が貪欲におっぱい豊かさを求め、男の胸板に “雄っぱい” という概念を創り出しさえする。ちなみに、ベンチプレスmax100キロの僕の雄っぱいはまだBかCカップくらいだ。僕も満足していない。

まあ、人類皆兄弟、皆おっぱいが大好きということだろう。特に男となれば、巨乳好きだの貧乳好きだのと御託を並べても、結局おっぱいならなんでも良いというのが真理だろう。美徳観念で美しい乳が好きなのだ。

文章がおっぱいというワードであふれてしまいましたが、僕の故郷にはおっぱいドームという夏の遊びの聖地もあります。おっぱいドームはその名の通りおっぱい形のトランポリンドームのようなものです。触り心地もおっぱいとまではいきませんが、ボインとしています。たまに跳びすぎて事故りそうになりますが、人でいっぱいおっぱいドーム、足裏あっつい惨敗ゲーム、普通に跳んでりゃいいのにアンパイ、煽られ調子に乗っちゃう先輩、死因がボインじゃ大失敗、ってことで気をつけていきましょう。

P.S. 僕は大きさ問わずハリのある生気を感じるおっぱいが好きです。ヒント:チェストプレス、ベンチプレス

おっぱい#とは/おっぱい/やきさば

おっぱい。

このことを語るのに予備知識はいらない。なぜならみんな、おっぱいのことが大好きだから。

 

どうも、おっぱいが大好きやきさばです。わたしはおっぱいが大好きです。触ると全人類が幸せになって、顔の筋肉が全て弛緩する、やわらかくてふわふわなおっぱいが大好きです。そして同時に、おっぱいというその言葉が好きです。その響きが、その発した時の安心感が、その語感が大好きです。その証拠に、日常生活でもよくおっぱいという言葉を使います。今回はその例をあげましょう。A、Bの対話者がいたとします。

 

A「あ〜今週めっちゃ課題ある…なのに全然やる時間ない…」

B「おっぱいやな」

 

はい、これです。こういう時、おっぱいという言葉を使います。だいたい詰んでる、とか焦ってる、とか先行きの見えない不安に対して言います。おそらく、その詰んでる状況から現実逃避したくて、癒しを求めておっぱいと発してしまうのでしょう。更にもう1つ。

 

A「やきさばちゃん最近どう?」

B「ん〜おっぱいって感じです」

 

はい、これ。この場合のおっぱいは、特にいいことがあったわけでもないし、滅茶苦茶悪いことがあったわけではないけど、全体的に見て気だるい感じがするからおっぱい、とというわけです。だんだんわかってきたでしょうか?おっぱいの意味。使いたくなってきましたよね?便利ですよね?おっぱい。

 

そして、ここで注目したいのは、わたしが実際にこの返しをして、百発百中ひかれたことがない、ということです。みんな笑ってました。すごくないですかこれ?こんな下ネタ言ってるのに、誰からもひかれないんですよ。もちろん異性からも。下ネタのくせに日常生活で連発してもみんなを笑顔にする。これがおっぱいです。マイルド下ネタとでもいっておきましょうか。すばらしい。おっぱい。

 

とはいえ、わたしもはじめからおっぱいおっぱい言ってたわけではありません。わたしも前まではおっぱいなんて一言も発しないピュアッピュアの女の子でした。では、なぜこうなったのか。

 

それはおっぱいという言葉の質感が最高に気持ちいいからです。

おっぱいって最高じゃないですか。おっぱいってめっちゃ言いたくなりませんか?だって、「お」って発した後に「っ」ですよ。うわっ入れちゃった。おの後に促音入れちゃったよ、しかも後に続くのがぱ?こりゃ気持ちいいよ。こりゃ間違いない。しかも最後は「い」で落ち着く。参った!!

 

はい、という感じで最高なのです。最高じゃないですか?わたしこのおっぱいという言葉について真剣に考えまして、ある結論に至りました。聞いてください。

 

おっぱいという言葉は、擬音語なんじゃないか?

 

おっぱいってほら、おっぱいを下から上にもちあげてぷるんってしたときに、まるでおっっっぱい!って言ってるみたいじゃないですか?ほら、擬音。オノマトペ。こんな死ぬほどキャッチーで可愛い言葉あります?だから、日常生活で使ってもみんな笑ってくれるような、マイルド下ネタになるんじゃないでしょうか。

 

おっぱいは世界を救う。わたしはそう信じてます。おっぱいという言葉を使うことによって幸せの連鎖が続きますように。おっぱい。

一応3次元に合わせて/おっぱい/rascal

おっぱい。いいですよね。おっきくてもちっさくても。2次元でも3次元でも。ただおっぱいに関して少し許せないことがあるのです。先週のグループワークでちろっと言ってしまったので先週同じグループだった人は繰り返しになってしまって申し訳ない。でも最後までお付き合い下さい。

私はイラストなどでよくある「この子の設定Cカップってなってるけど、どう見たってEカップあるじゃん」という現象が嫌いなんです。どうして2次元になるとカップの基準が厳しくなるのか。Eカップの胸持ってるんだからEカップの称号与えてやれよかわいそう。世の男性はどのくらいで何カップなのかきちんと把握していただきたいのです。

そして最近ふと気づいたのです。この現象の原因は「火災報知機の赤い突起はBカップ」という都市伝説。Bカップであれなのか?ふざけんな許すまじ提唱者出てこい。この都市伝説どう間違っているか世の中に伝えたい。そう思った私rascalは火災報知機の赤い突起が何カップか検証することにしました。

まず私の胸にあの赤い突起が2つ付いていたら何カップになるのかを結論づけることにします。あしからず。どのように検証するかというと
①私のアンダーバストを測定する
②私の乳房のふもとから背中を通って逆の乳房のふもとにかけての長さを測定する
③私の左右の乳首の距離を測定する
④火災報知機の突起のふもとから山頂にかけての長さを測定する
⑤②の長さ+③の長さ+④の長さ×2でトップバストを判定し、アンダーとトップの差を調べる。
この手順でいこうと思います。ちなみにアンダーバストとトップバストの差でどのようにカップが決まるかの早見表です。

まず私のアンダーバスト測定しました。70cmでした。次に②の長さも測定しました。42cmでした。③の長さも測定しました。17cmだそうです。そしていざ火災報知機の突起部分!今回は7号館1階にある火災報知機の突起を参考にします。8cmでした。というわけで推定トップバストは42cm+17cm+8cm×2=75cm。アンダーバストは70cmなので5cm差。…あれ?Aカップ以下?AA?うそでしょ?じゃあ私火災報知機に勝ってるわ。と思ったところで気づきました。直径です。直径が小さすぎて乳首間の距離を同じにしても少し小さめにトップバストが小さめに出てしまうのです。なんという失態。一晩考えただけでは甘かったようです。

というわけで火災報知機の突起の実際のバストを突き止める戦いはまだまだ続く…。

一回全員爆発しろ/おっぱい/θn

身体的なコンプレックスはないと言ったら嘘になる。

や、もちろんそれ以外のコンプレックスも沢山な劣等感山盛り人間なわけなのだけれど、七面倒臭い人間なわけなのだけれど、身体に纏わるコンプレックスはその中でもかなり上位に来る。

コンプレックスにだって優劣はある。じゃない方はどんな世界にもあるということかもしれない。話がずれた。

あまり普段こういう話はしないし、したくないがテーマに選んでしまった皆が悪いので、どうせだし率直な意見を書こうと思う。どうしても避けては通れなかったのだ。

幼児体型だ。とんでも幼児体型である。「中性的」がいまいち通用しないのは、身長も低いからである。中高は身長もまだまばらな時期だから、男役担当に抜擢されて上手いこと生き抜いてきたけれど、大学生にもなるとそうもいかない。

成長は小学校6年生でまるっと止まった。
外見における第二次性徴をどうやらどこかに置いてきてしまったらしい。
小学校の卒業アルバムと比較しても体型に差異がない。つまりはそういうことだ。

結局無いものねだりとかなんだか言われるかもしれないけど、無いものなんだからねだりたい。女性的な体型に生まれたかったさそりゃ。丸みのある身体に憧れないなんて、これもまた嘘。強がりである。

胸の大きい子の言う「可愛い下着も無いし、いいことなんもないよ」ってやつ。先日中高の友達が何を思ったのか急にそんな感じのことをTwitterで呟いていて、いきおい余ってブロックしそうになった。(ミュートに留めた)

オブラートに包めばわかりあえないなあと感じる。包まなければうっせえぶっ殺すぞって思う。確かに平均サイズばかりがもてはやされて、やけにカラフルで、彼女たちも肩身の狭い思いをするのかもしれない。しかし実際ほんとーに切実な話、平均以下以下くらいのサイズのものは店頭におかれてすらいない。そんな棚見たことすら無いだろうから知らないと思うけど。オブラートに包めばまあそんないちいち皆に配慮して呟きなんかしないよなぁ、でも身体的な話は誰かの地雷になるかもやでと感じる。包まなければ夜道に気を付けろよって思う。

残念なことに結構女性がこういうのを主張するのはみっともない。よくわかる。特に持たざる者は言ってはならない。ネタにいまいちならない。なってもしないけど。ネタじゃない。本気で思っているし別に笑って欲しいわけでもない。

迂闊に身体的なことは口に出さない方が良いんだぞ、こういうやつに限って卑屈で根に持つんだから。はー、とりあえず軽い気持ちで身体的な特徴をいじってくる奴は全員(自主規制)って感じだ。(自主規制)!!!(自主規制)で(自主規制)しろ!!!!!

え?言うだけ言ってすっきりしたかって?するわけねーだろ!