「たなべゆうき」カテゴリーアーカイブ

呼んで/たなべゆうき/ふとん

「これからなんて呼ぶの?」

「悠希って呼びたい」

「いいよ」

「悠希」

「サークルでは今まで通り田辺ちゃん?」

「あー、そうか。まあしばらくはそれでいっか」

「私は結局どうしよう、もうさん付けは変だよね」

「そうだね、もう完全に敬語じゃなくなったよね」

「敬語がいいの?」

「いやタメ口でいいよ。でもたまに敬語が出ちゃう感じもいいかも」

「きもちわる」

「気持ち悪いの?」

「うん。」

「そっか…」

「元カノになんて呼ばれてたの?」

「普通に下の名前呼び捨て」

「同じになっちゃうのは絶対やだ」

「じゃあなんて呼ぶの?」

「どうしようねえ」

「ゆーきちゃん。おいで」

「ちゃん付けなの」

「なんとなく」

「じゃあくん付けで呼ぼうかな」

「いいよ?呼んで?」

「やっぱ恥ずかしいからやめた」

「恥ずかしいの?」

「恥ずかしくないよ?」

「すぐ反対のこと言うもんね」

「言わないよ」

「おいで」

「行かないよ」

「来ないの?」

「行くよ?」

ぎゅむ。
あったかい。
心の内側から甘い汁が出てくるみたいなこの感じは、他のことでは味わえないものだと思う。

「来たね。」

「来てないよ」

「悠希」

「…」

名前を呼んで返そうとしたけど、結局どの呼び方もしっくり来ない。

呼ばなくていいか。
代わりに、背中に触れる指に力を入れた。

高校生/たなべゆうき/きりん

揃いの制服がぞろぞろと坂を登って、殺風景なコンクリート校舎へと吸い込まれていく。白いシャツ、黒いズボン。セーターにグレーのスカート。流れにのってたどり着いた錆びた昇降口がそれこそ口のように彼らを飲み込む。自分もそんな流れにのって飲み込まれていく。色の下駄箱の間で、辛うじて生きている色がうごめいていた。その一員として、くたびれたローファーをやはりくたびれきっている上履きに置き換え、足にひっかけて教室へと足を向ける。
「おう!はよ!昨日のキューさまみた?」「見てねー」進藤はよくつるむクラスメイトだが、とにかくよく喋る。教室に入った瞬間からめざとくこちらに話しかけてきた。「見てねーのかよ!いもと」「見てねーよ。てかいもとにそんな興味ない」教室の端のそいつと遠距離な会話をしつつ、机を目指す。どうやら時間ぎりぎりだったようで、机にたどり着いてすぐ先生が来た。
出欠席の確認ではいつもの面々の欠けっぷりが笑える。「野本ー。いないなー。葉山ー。こいつもいない、と」多分、そのうち駆け込んでくるだろう。連絡事項の確認に移ったところで、田辺がいることに気がついた。田辺も割と親しくしているので、今までその存在に気がつかなかったというのは自分でも少し驚く。今朝まだ話していなかっただろうか。1限のあとで漫画談義でも持ちかけてみよう。

 

とか思っていたら、1限体育というふざけた時間割の喧噪で田辺を見失った。仕方ない、体育館で会おう田辺よ。
整列して集合していると、不意打ちで後ろから軽くどつかれた。

「よお」田辺だ。「おう、おはよ」しっかりジャージ姿で、いつも通りのツンツンした髪。「お前それ髪、刺さりそうなんだけど」「刺さりそうって何だよ!むしろ刺してやろうか」いたく憤慨したようにおどけて、頭突きしてきた。別にそんなに鋭くないはずが、何となく本当に痛い気がしてくるのが不思議である。教師に一喝されおとなしく座るまで、俺や巻き込まれた数人はひたすら逃げ回らなくてはいけなかった。

 

その後の授業のグループ割りでは別々だったようで、昼になった頃にクラスメイトの一人が田辺がいないことを指摘してまた彼の存在を思い出した。大体いつも弁当やパンを囲んで食べる面子で、田辺がいないのは珍しいのではないだろうか。「そういや田辺は?」「あれ?いねぇな」それぞれに首をひねっていると、近くを通った女子が「ああ、田辺くんなら美化委員に行ったんじゃない?私も行かなきゃ」と情報を提供してくれた。「ふーん、さんきゅ!」野本が代表して礼を言う。「なんだ、委員会か」しばらくして教室に戻った田辺は、購買が売切れで何も買えなかったと嘆いていたので、心優しい葉山がブラックサンダーを1つ恵んでやっていた。

 

放課後は何人かでゲームセンターに行くことになった。だらだらと坂を下りながら、洒落た意識のあるやつはどんどん制服を着崩していく。ゲームセンターではひたすら小銭を消費し、ちょっとした駆け引きを楽しむ。騒がしい店内で、俺ともう一人が対戦しているレーシングを囲む仲間の誰かが、不意に「田辺⁉︎」と驚きの声をあげた。対戦中に目を離すわけにもいかず、俺と対戦相手は必死に画面に食らいついた。「えっうそ、田辺やべぇ!」「ちょー強え!」どうやら視線を釘付けにしているのは田辺のゲームテクらしい。さっきまで俺の右手からバナナ行けーっ!とか叫んでいなかったあいつ?「あいついつの間に格ゲーやり始めたんだ…?」こちらの勝負は俺の負けで、先にゴールして終わらせた相手は既にそちらを見ていた。こちらもなんとか車をゴールまで運んで、視線を上げた。田辺の格ゲー画面には既にYou Win!の文字が瞬いていた。

 

ようするに何が言いたいかって?田辺悠希の存在感は薄いってことだよ!今朝まで忘れるくらいには。

僕は/たなべゆうき/やきさば

「田辺さん、今度のオーディション受けるんだって」

瞬間頭が真っ白になった。「ええ!すごいですね!よかったじゃないですか!!」と、反射的に答えたが、僕の背中は自分でもわかるくらい汗が噴き出していて、動揺を隠せていなかったと思う。

 

田辺さんが今度のオーディションにでる。
ということは僕はもう、全国大会には出れないということだ。

 

これまで、ずっと練習してきた。血のにじむような努力をしてきた。はじめは人が足りないからという理由だったけど、練習を重ねていくうちに、月に一回のオーディションを何度もパスするうちに、自分が全国大会に出るんだという覚悟を持ち始めて、何もかも犠牲にして練習してきた。毎日毎日夜遅くまでサックスを吹いた。課題だって、バイトだって放り投げてずっと練習に打ち込んできた。

 

それなのに、その努力が無駄になる。その時間が無駄になる。

僕はいままで何をしていたんだろう。こんな形で終わるなら努力なんてしなければよかった。なんで全国大会まであと二か月という寸前の時期になっていきなり出場するとか言い出すんだ。だったらもっと早く、もっと早く言ってくれよ。僕の時間かえしてくれよ。そうしたら僕はここまで傷つかなくて済んだのに。

 

田辺さんだったら、オーディションをパスするのは当たり前。去年の全国大会に出場して、優秀賞を獲得したほどの人物だ。オーディションをしたら、定員オーバーで僕が落とされることになるのは目に見えている。それに、田辺さんが出場した方が絶対に全国大会で結果を出せる。周りの期待にだって応えられる。僕じゃなくて田辺さんが出場した方が、全てがいい方向に転ぶのは周知の事実なのだ。彼は天才なのだから。

 

憎い。
あんなに努力したのに。田辺さんみたいになりたいと思って、あんなに努力したのに。わからないことは自分より上手な先輩に片っ端から聞いて、練習して、今まで人生でこんなに一つのことに打ち込んだことがないってくらい、全身全霊でサックスを吹き続けたのに。
なのに、田辺さんはその努力をあざ笑うかのように、一瞬にて僕の場所を奪っていく。僕には到底真似できない演奏をして、僕には一生かけても実現不可能なことを成し遂げていく。田辺さんが憎い。田辺さんは天才なのだから仕方ない。でも、田辺さんが憎い。

 

 

「やっぱり僕ら凡人はさ、どんなにあがいても天才には勝てないんだよなあ」

 

僕と同じように田辺さんによって夢を絶たれた先輩が言う。
膝に置いていた僕の手にはいつのまにか水滴が落ちていた。

 

「天才だから僕らに夢を見せてくれるんです。天才だからどうしようもないんです。僕は、田辺さんになりたかった」

分類名詞/田辺悠希/温帯魚

吾輩は田辺悠希である。名前はまだない。

そもそも名というものは人が何かを分割するために与えられるものである。そして名前と言われるモノは本来最小の単位であるべきだ。吾輩には田辺悠希という名詞が与えられている。しかし吾輩はそれが名前だとは認めない。最小ではないからだ。そして他者にとってそれは考慮する必要がない問題でもある。問題ですらない。田辺悠希という名前が存在する限り他者は我々を田辺悠希として認識するのだ。吾輩が人間と猫を区別するように、しかし一方でそれ以上を見ないように。他人にとって吾輩は田辺悠希である。しかし吾輩を吾輩と区別するべき名前はまだない。一般化された田辺悠希しか、ここには存在しない。

 訳の分からぬことを延々と述べることもいったんここで小休止である。簡潔に言おう。
吾輩のクラスメイトに田辺悠希しかいない。42人のうち吾輩も含め41人が田辺悠希である。なお残りの一人は渡辺祐樹という名前である。先生の名は田戸勇気だったが先日籍を入れタナベユウキになった。めでたい。
 我々のクラスにあだ名はない。田辺悠希をさらに分割するものがないのだ。他者にとって我々は田辺悠希であり、田辺悠希でしかない。

まず我々には出席番号がない。1から41までの田辺悠希と42の渡辺君がクラス名簿には存在するが、それは41まで区別がないということである。現に吾輩は朝の号令で29で返事をし、31でテストを受け、4の席に座っている。なお41は休みが嵩みすぎていて進級が難しいらしい。合掌。
田辺悠希には区別がない。41の田辺悠希には単純計算で82の親がいて、41の帰る場所がある。昨日は電車通学だったが、今日は自転車で学校に向かった。我々は田辺悠希であるから、41の故郷があるのだ。あるいはそれすら他人には一つであるのだが。
田辺悠希の嗜好は複雑だ。ある時は魚が好きである時は野菜が好きだ。ピーマンが嫌いな時もあれば、好きな時もある。渡辺君との仲は比較的良好である。

吾輩は田辺悠希である。君の名前は何だ?

普通の需要/たなべゆうき/ヒロ

 私は田辺悠希。名前はまだない。
 生まれは東京で、中流階級の家庭の次男として生まれた。小中学校では近所のサッカースクールに通い、サッカー部にも所属していた。また中学校一年生のときにサッカー部のマネージャーに淡い恋心を抱いて告白するが既に部長と付き合っているという事実をカミングアウトされ、初恋が玉砕に終わる。

 高校では第一志望の公立の高校に合格。帰宅部となり、近所のゲームセンターで度々時間を潰すようになる。二年生のときに父親の浮気によって両親が離婚。母親に引き取られる。母親の教育が厳しくなり、近くに一人暮らしをしていた兄の家にいる時間が多くなる。三年生のときに初めての彼女ができる。向こうからの告白で、始めの一か月ほどは母親の影響もあり、彼女に心を開くことができなかった。その後童貞を卒業。その少し後に高校も卒業する。

 大学は第一志望の国立大学には落ち、第二志望であった公立の大学に合格。経営学部に入り、フットサルサークルに所属していた。高校のときの彼女とは自然消滅となり、一年生のときに新しい彼女ができる。三年生で同棲を始める。その後辛く厳しい就職活動を経て中小企業に内定をもらう。

 就職してからはあくせくと会社のために働き、サービス残業に疑問を持たなくなる。社会人二年目に大学時代の彼女と結婚する。その二年後に娘が生まれる。それからは家族サービスも会社に尽くすことも一生懸命にこなしている。

 趣味はサッカー観戦とゴルフ。仕事終わりに飲む酒は最硬だと思っているが、ビール腹にならないか心配している。世の中で一番恐ろしいものは嫁といつか来る娘の反抗期。

「はい、田辺悠希を一体。はい。……はい。ご注文ありがとうございます!
 おい、田辺悠希もう一体注文が入ったぞ」
「了解っす。……いやあ、まさかこんなもんがこんなに売れるとはねえ。全くの予想外っすよね。俺これについて初めて聞いたとき正直上層部の正気を疑ったっすもん」
「俺も同感だったんだがな。でもお前もあの設定考えてたときノリノリだったろうが。俺もだけどさ。まあ世の中生きてるとこんな相手が必要になってくるんじゃないか? 誰でも自分よりも低い立場だったり、苦労してそうだったりするどこにでもいそうな普通のやつとかが友人にいればどこか気分が楽になるだろ。そういうことだよ」
「そういうことなんすかねー。他にも誰にも言えない愚痴をぶちまける相手や父親代わりの存在としても役に立ってるらしいっすからねぇ」
「そこらへんは俺たちには関係のないことだよ。俺たちはこの人間のように話して動くくたびれた中年のおっさんの人形を売ることだけ考えてたらいいのさ。
 ん? おい、また電話だぞ」
「了解っす。もしもし。はい、こちら田辺オートマタ工房です。はい、田辺悠希を一体、ありがとうございます」

長々と書いたけれど/たなべゆうき/YDK

 

僕は、たなべゆうき。引っ込み思案で、上手く言葉をスラスラ紡ぐことができない人間。
ぼくは、たなべゆうき。心配性で、人と同じことをしなければうまく生きていられない人間。マイノリティになれない。
私は、たなべゆうき。かわいい女の子が嫌いで、並びたくない。自分よりかわいい子はみんな死ねって思うの。
俺は、たなべゆうき。実は嫌われるのが怖い。いくらいっつも強気に見えても、それは苦し紛れの虚勢を張ってるだけ。
わたしは、たなべゆうき。本当は斜に構えた振りをして誰よりも子供で、批評する自分が好きで、冷静な自分かっこいいってなってるだけなの。スラスラと適当に言葉を紡ぐことで、本当の自分を守ってるの。誰に検索されても、自分で検索しても出てこない自分。本当の真っ暗な心の闇は、しまっていなきゃ壊れちゃう。他の誰にも見つかってはいけないの。とっても好きなものにはパタンと蓋をして、二番目に好きな人と仲良くなる。一番自分が傷つかなくて、一番自分が喜ばない生き方をあえて選んでる。見つかったことがないからわからないのに、なんとなく怖い。本当の自分を見られることは、裸の体を見られることよりもずーっと恥ずかしくて、もっと生々しいこと。むしろ裸を見られることで心の裸を守ることができると思ってる私はただの尻軽ビッチなのかもなぁ。
本当に心が動くことを少なくして、本当の心を見せるリスクを少なくすることにすべての生きる活力を神経を注いでる。

 

心から喜ばない、心から悲しまない自分に少しほっとして、うっかり喜び方も悲しみ方も忘れてしまった。どうやって喜んでも、どうやって悲しんでも、それを俯瞰してるもうひとりの自分が、たなべゆうきがいるの。誰にも詮索されない、できない、何重にも包まれた心の壁の中にいる自分を大事に大事に育ててるの。最後に心から心を動かしたの、いつだっけなぁ。なんてしみじみ考える自分が、年取ったなぁなんて。年をとるっていうことが自分の中のたなべゆうきを育てることなら、もう育てたくない。
訳:好きな人とかに一喜一憂してときめきたいよ!!!!潤い急募って感じ。

流れに棹/田辺悠希/猫背脱却物語

※だから私はコメントが欲しい。大したことなくても。

はっ!
として我に帰ると課題は進んでいた。さっきまで考えていたことが文字として文として、思ってた以上にテキストエディットが埋まっていた。ん?「思ってた」っていつの話だ?ついさっきでしょ?じゃあついさっきから今の今までの時間ってどんな風にしてたっけ?姿勢だなんだは変わっていないことは、右太ももを圧迫した姿勢の産物としての痺れでよくわかるんだけど。ま、なんかやな時間じゃなかったかな。

はっ!
として我に帰るとレジに立っていた。さっきのお客様がどんな人だったか何を買ったか、しっかりとは覚えていない。というか、最初に来たお客もさっき来たお客も同じレベルで誰だったかわからない。記憶喪失というわけではなく、むしろ最初の人の記憶までついさっきのことのように思えるのだ。気づいたら閉店まであと7分とか。あれ、つい前に入ったつもりだったんだけどな。ま、なんかやな時間じゃなかったかな。

 流れというものがある。「ゾーン」に入っているとも言えるその感覚。集中しすぎてて時間の流れがゆっくりになっているというか、そもそも時間が流れているのかというところから定かではない。ただ自分がそこにいるときには全てを巧みにこなせている(ような)気がして、悦に入ってる感じで、悪い気はしない。でもそれを振りかえったときにそれが本当に自分だったという意識は怪しい。

 とすると、その流れが止まった時こそ初めて流れの存在を意識でき、それまでの流れを客観的に判断することができるのかもしれない。流れに棹がさされた時とでもいうのか。「はっ!」の瞬間の目覚めは、それまで流れに任せ突っ走っていた自分に対し、それを振り返っている状態である。時間の流れにおいて少し新しく、けれど私という根幹は変わっていないで、言うなれば更新されている状態。その目覚めは虫の脱皮のような感じがする。いや、したことはないけれど。ゾーンに入っていた間のことを振り返ることは重要である。いやむしろ、決算として振りかえる時点があるからこそ「ゾーンに入っていること」が分析できて意味を見いだせる。夢は覚めてこそ夢として価値があるようなものか。

 大きいゾーンというのもあると思う。それが大きすぎるがために余計に気づかないけれど、より長期的な期間で自分がある流れに沿って考えたり振舞っている。恋愛、とくに片思いとかなんか最たるものだろう。そして恋に冷める瞬間が「はっ!」なのかも。あとから振り返ったら「なんであんな人のこと好きだったっんだろう」と思うのは、自分でも気づかない大きさの流れに、自然と乗っかっていたから。書くことで言えば、文章を作ってブログにあげて、「今回のはいいのが書けたぞー」と思いながら、書いた文章のことをルンルンと意識しながらスタジオの日を待つ間もそうだ。そして、そこにコメントという棹があるからこそ、大きく「はっ!」とできるのだ。※繰り返し

 バイト先の飲み会に、新参者の私が初めて参入した時のこと。はす向かいに座った田辺さんが、大学生である自分が何をしているかに興味を示してくれた。文章を書いてるとブログを見せたら全部読んでくれて、感想をくれた。恋愛における「はっ!」はスタジオの日と違って決まっていないから予想だにしないところで棹がさされたりする。田辺さんからコメントをもらうという私の文章についても恋のような突然の棹さしだった。

 ただ、田辺さんの感想は全て私の文章を自分の恋人との話にフィードバックしまくっていた。恋のような棹さしが、恋人の話という棹。ややこしい。というか恋人のこと話したいだけかこの人。事実それに端を発して、田辺さんは恋人の話しかしなくなった。それら物語は、多岐にわたりすぎてどっかから作ってんじゃないのかってくらいに出てくる。酔うといつもそうなんだと。

 「田辺さんの恋人さん話って、全部本当なんですか」
棹さされた身として、惚気話に対する少し意地悪も含めて、少し棹をさし返したやった。
 「いや、やっぱお付き合い長いとそんだけ話が出てくるもんですかねハハハ…」そういうと、返事はない。ただ笑っていただけだった。なんとなく、多分一部妄想なんだと悟った。いや寧ろ大部分妄想なのか?というかもう恋人自体が幻想?もしかしたら、想像以上に大きな棹、さしてしまった?

 と思ってたら年度替えの時期に、結婚を機にしてバイト先をやめてしまった。恋人、妄想じゃなかった。ちくしょう。

「子供が生まれました!名前は「悠希」です!」
田辺さんとつながっているSNSに、先日そんな記事があがった。やっぱり恋人、妄想じゃなかった。くそ、世の中の不条理め、、、いやはやおめでたい。ただ、一緒に写っていた赤ん坊は一つの生命の幼生としての可愛らしさで満載であり、名前も相まって「ゆうきくん」なのか「ゆうきちゃん」なのかは皆目検討がつかなかってけど、そんなことどうでもよくなるくらい可愛かったからどうでもよい。

 田辺さんはこれからの人生をかけて、愛する我が子田辺悠希の妄想を沢山語っていくのだろうか。こんな可愛い存在なんだから、これまで以上に様々に彼/彼女?を思い語るに違いない。またいつか、田辺悠希の四方山話異聞奇譚を昔のように聞いてみたいと、逸る気持ちは純粋に、いいね!のもとへカーソルを寄せた。

たなべ君とゆうきちゃん/田辺悠希/なご

田辺悠希はバイセクシャルにあこがれていた。

それは中学生の頃で、要因としてはケーブルテレビで見た音楽チャンネルのとある海外番組の影響だった。

企画内容はとあるバイセクシャルの女性タレントが男女問わずに恋人を探すというものだ。男女20人が豪邸に集められ、どんどんと脱落していき、最後の1人を目指す。恋人になりたい人たち同士やその女性タレントとのトラブルがとっても面白く、意外と人気でシリーズもいくつか出ているそうだ。

これを夢中になって見ていた彼はバイセクシャルというものかっこいいと思い、バイを名乗るようになった。一種の中二病のようなものだったのだろうと今では思う。

彼の身体自体は男なのだが、この中性的な名前から自分を「たなべ君」という男の部分と「ゆうきちゃん」という女の部分の2つのパートに分けることにした。これも中二特有の設定好きから来るものだろう。

普段、学校にいるときや、家で家族と過ごすときは「たなべ君」が大部分を占めている。彼は家族にはバイは隠していた。厳格な父にそんなことを言ったら間違いなく半殺しにあうと思ったからだ。仲良い友達には「俺ってバイなんだよねー」なんて軽く言っていたような気がする。きっと友人たちは本気にはしていなかったし、彼自身も本気ではなかったのかもしれない。

「ゆうきちゃん」が現れるのは彼が、いや、彼女が一人で過ごしているときだ、彼女はネットの世界で女の子になりきっていた。女子のふりをしてブログを書いたり、チャットをしてみたりといわゆるネカマ行為に耽っていたのだ。

そんな彼に変化が現れた。クラスメイトの男子に恋をしたのだ。今思えば、恋をしたと思い込んでいたというべきなのだろう。彼自身もこれは驚きである。バイに憧れ、バイのふりをし、自らを2つの人格に分けるなんていうことをしてある意味遊んでいた彼は、「ゆうきちゃん」ではなく「たなべ君」の状態で男に恋をしたのだ。バイにもいろいろあると思うが、当時の彼はトランスジェンダーとバイセクシャルをごっちゃに考えていたのかもしれない。

彼は悩んだ。今までバイを名乗っていたはいいものの本当にバイになって良いのだろうか?バイというより実は女性は恋愛対象にならず、ゲイなんではないだろうか?

この恋がどう決着したかは知らないし、高校生になる頃には彼はバイを名乗らなくなっていた。いわゆるノーマルに戻った(なった)んだろう。彼にとって中学生のこの時期は黒歴史として封印されている。私がこのことを突っ込むと決まって「あのときはとんがってたからなぁ」とバツの悪そうな顔になる。

たなべゆうきはバイセクシャルになり損ねた。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――

この文章は実在の人物とは関係ありませんが、田辺悠希さんのおかげで私は少しスッキリしました。

クラスメイト/たなべゆうき/なべしま

田辺悠希

どう見ても腐っているのだ。
いや、腐っているというのは語弊かもしれない。どちらかというと、朽ちているに近いだろうか。体に皮膚はほとんど残ってないし、そのかわり剥き出しの真皮は苔に覆われている。頭が妙な色をしているのは黴だろうか。
しかしクラスメイトであるし、かといって特別に扱うのもそれは田辺の人格にも関わる。田辺はいい奴なのだ。特に悪いところがないという点で。
皆の気持ちは同じなのだろう。皿の上の最後のポテチは誰も手に取らないし、網の上の肉は限界まで日にさらされ続ける。……ちょっと違う気もする。ただそういう、なんとはなしに強調してしまった空気というのはあるものだ。そんなわけで、田辺悠希は何となく、うちのクラスにいる。

変化があったのは運動会の時だ。
修学旅行同様、わけもわからず興奮を覚えるイベント。たまたま教室に水筒を忘れ、一人急いで戻った。どういうわけかクラスには田辺がいた。今から思えば、植物たちによる腐食を防ぐためだったのかもしれない。ともかく田辺は一人で自分の席についていた。
「田辺!クラス順位見たか?優勝できるかもよ、この後も頑張ろう!」
それでポンと肩を叩いた。
田辺の腕が落ちた。燻製のようだった。ちょっといい匂いもした。
たが腕は腕である。
「た、田辺、死んじゃうのか?」
「お前は本当の死を知らない」
田辺は冷静に腕を拾い、ゴリゴリと肩に腕を捩じ込んだ。
「お前の腕、ジョイント式だったんだな」
「確かに僕の腕は立派だが、君のも悪くないぞ」
そういう意味ではない。思ったことがそのまま口に出るほどには混乱していただけである。
「そういや田辺は運動会、出ないのか?」
「太陽は苦手だ」
「だろうと思った」

自白/たなべゆうき/仄塵

「知らないし、興味なーい」それは私とこの世界を隔離する、最高級の言葉。

ああ退屈だ。

一番賢い身を潜める方法は、山奥に行くことでも、郊外にある木造アパートの2階の一番奥の部屋にこもり続けることでもなく、乗車率200%の満員電車に揉まれるか、サッカーW杯の時に思いっきり渋谷スクランブル交差点の中心に駆け込むか、野外ロックフェスでモッシュを作ろうとする人たちに押され、胸を汗たくのおっさんの背中にぶつけるか、のどっちかかな。

一般人なんて最高、東京なんて暮らしやすい。何かをやらかしても、もう2度とこの人に会うことがない、と自分に言い聞かせて開き直せる。

通販サイトで物を買う時、かならず人気順に並び替え、上位5名の中から選ぶ。クックパッドや食べログでそれが有料メニューになってるのが超腹立つけど、商売上手だなとも思う。そうやって例え買ったものが使いにくいゴミだったとしても、あと何千人もの人が私と同じ失敗を犯している、という逃げ道がある。

自分が社会を構成している、しかし社会の中で自分の姿が見つからない。これ以上居心地のいい生き方はないだろう。

SNSもこの年になってつぶやきをあまりしなくなった。何かを書いたらエゴサで来た中学生のガキが荒らしに来たり、キモいアイコンの男がナンパに来たり。私は見知らぬ人からバッシングを受けたり、不快にさせたりする必要がまったくない。

でもトレンドを見るのは嫌いじゃない、むしろしょっちゅうしている。どんなニュースが出ているのかどんな事件が炎上しているか、調べることが好きだ。毎月1日でもなると「通信制限解除」とかのワードが浮上してきてバカバカしいと笑っていたら、そういえば自分も先月掛かってた!と思い出してバカ仲間入りしている自分もなんだか可愛らしく見えた。

そしてある日いきなり、私、田辺悠希がツイッタートレンドの第5位に浮上した。もちろん自らネット話題になるようなことをやらかしていない。きっと何かのいたずらだ。

と思っていた。しかし自分のトレンドが全く沈む気配がなく、「2時間話題になっているトレンド」、「20,641件のツイート」とどんどん熱度が上がり、最終的には「#田辺悠希に届け」、「#リア友にたなべゆうきがいる人集合」のようなハッシュタグまで出来た。

世界中は田辺悠希だらけになった。ツイッター、NAVERまとめ、2ch、ローカル情報番組まで取り上げられた。スタバに行っても、季節限定のフラペチーノを片手にスマホをいじっている高校生女子集団から、自分の名前が聞こえてくる。

この居心地はどう?って聞きたいの?答えはね、意外と悪くないよ。一つの漢字を見つめ続けるとどう読むかが分からなくなると同様に、田辺悠希は誰なのかが分からなくなる。あの人たちの馬鹿騒ぎのおかげで、世界中すべての人が「田辺悠希」になって、さらに私が隠れやすくなった。所詮田辺悠希は至って普通の名前なんだから、私を代表することがなければ、私を特定することもできない。逆に田辺悠希が人間のベーシックモデルになったら、私、本物の田辺悠希が何にでもなれるさ。

さぁ、貴方も田辺悠希になってみないか?