「どうなの?」カテゴリーアーカイブ

愛について/どうなの?/やきさば

ああ どこか物足りない今日は
あなたの 濡れた眼差しが嬉しい

1980年代に活動した田島貴男率いるバンド、ORIGINAL LOVEの「接吻 Kiss」という曲の歌詞の一部だ。なんとも恥ずかしい曲名だが、ORIGINAL LOVEの曲なら、田島貴男が歌うなら仕方ないといった感じだ。

抜粋した部分からもわかるように、歌詞は所謂「大人の恋愛」を描いたようなもので、少々エロッティック。はじめはおしゃれだなと思ってさらっと聞いていたが、よくよく考えると、この歌詞、どうなの?と感じてしまう。

ああ どこか物足りない今日は
あなたの 濡れた眼差しが嬉しい

「物足りない今日」を埋めるために、「あなた」を求めているようにおもうのだ。それってどうなの?愛があるから、好きだから「あなた」を求めるんじゃないの?

なべしまさんの投稿で見た「くだらぬ者とは、(中略)肉体を愛の対象として愛を寄せるもののことである。」という言葉を思い出す。ほら、そういうことだよ。この歌詞の主人公くだらなくない?満たされた今日でも「あなた」を求めようよ。愛って無条件に「あなた」を求めることじゃないの?

とはいえ、わたしもこの歌詞のような感覚を感じたことがないわけではない。
物足りない今日…課題が計画通り終わらなかった日とか、友だちとのおしゃべりがうまくいかなかった日とか、授業がつまらなかった日とか、その言葉を聞いて想像できることは沢山ある。そしてそういう日に恋人から求められると確かにそういうフラストレーション?的なものを埋めてもらえるようで確かに嬉しい。他人から求められる自分に満足できる。けど、それって傲慢じゃないか?恋人が無条件に自分を求めてくれることに甘えている。自分は都合いい時だけ求めるくせに。

それって愛じゃなくない?「好きだから」じゃなくない?
と思ったところで恋人もわたしと同じなんじゃないかと気づいた。
恋人もまだ、わたしに会うまで過ごしていた時間に満足していなかったから、わたしを求めるに至った、ということ。

けどそうなると、もう私たち恋人じゃない。

ていうか愛ってなんだ?愛してるってなんだ?なんで接吻するんだ?教えてくれよ田島さんーーーーー!!!!!

と、ここまでいろいろぐちぐち言いましたが、ORIGINAL LOVEの「接吻 Kiss」自体はとてもいい曲なのでぜひ聞いてみてください。夜中、家までの帰り道に口ずさむと雰囲気がでてサイコーですよ。

溺れてみるの?/どうなの?/ふとん

「どうなの?あの人と」
こうやって女子会議がはじまる。
先輩からアプローチされてる最中とか、なんかいい感じになってる相手がいるとき、それを知ってる友達に会うと最初の言葉がこれだ。
会う度に、その日までの状況を細かく説明する。日を追うたびに関係は進んでいく。

 

 
どれだけ既読無視しても毎日しつこくLINEしてくること。
水族館に行ったこと。
並ぶはずのチケットを買ってあったこと。
おいしいお店を予約してあったこと。
風邪引いたって言ったらウィダーとかプリンがうちのドアにかかってたこと。
映画を見に行ったこと。
別れ際、告ろうとしてることがわかってたけど、気づかないふりして告らせなかったこと。

 

 
「で、どうなの?付き合うの?」

「あっちは本気じゃないかもしれないし、もうちょっと引っ張って諦めないようだったら考える」

 

 
恋に溺れたくなかった。
ちょっと前の自分とか、サークル内のカップルとかを冷めた目で見おろして、ほんと周りが見えてないな、ばかだな、と思っていた。

 

 

惚れたら負けだ。少し優しくしてくるくらいで舞い上がらない。それくらいで私を落とせると思うなよ。冷たい態度を心がけていた。

 

のに。ずるい。
悩むのが面倒だから「諦めないようだったら考える」って言って結論を出すのを延ばし続けてたのに、なかなか諦めないから考えざるを得なくなっていくし、逆にどんどん好意をあからさまにしてくるし、うざ、って言って終わらせられるようなかっこつけ方がない。ずるい。

 

自分を好きな誰かがいて、はっきりと態度で示してくれることは心地よくて、毎日がすこし楽しくなる。

 

こうやって好意を嬉しく思っちゃってる時点で、次のデートをなんだかんだで楽しみにしちゃってる時点で、自分が脈アリなのが間違いないことがわかっていて、くやしいから、既読無視する。

 

また届く通知を既読をつけないように読むと、面白いひと言に吹き出しちゃったりして、さらにくやしい。ずるい。ずるい!

 
こうやって溺れていくものなんだろうか。
ぐいぐい押し寄せてくる波に足を踏み入れちゃったら逃げられなくなるんじゃないか。

 
ジリジリと逃げていたけど結局波に追いつかれて飲み込まれて、入ってみると意外と波は温かくて穏やかで、水面をふわふわ浮遊しているつもりの私は、周りから見たら溺れているんだろうか。どうなのか。

ミートソースかけご飯/どうなの?/ばたこ

ミートソースかけご飯と聞いて皆は何を想像するだろうか?僕の弟が高校の先輩(僕と弟は出身校が同じなので、そいつは僕の後輩に当たるのだが)に昨晩の料理を答えたところ、「どうなのそれ?!」という言葉と共に奇異の視線にさらされたらしい。しかしその料理は我が家のれっきとした食文化なのだ。今回はそんな我が家の食文化の一端について語らせてもらいたい。

ミートソーススパゲッティ。トマトソースやケチャップなどと一緒に挽き肉を炒めて作ったソースをパスタと和えたこの食べ物は、現在多くの人に愛されている。我が家でも休日の昼食などで度々目にしてきたこの料理だが、はっきり言って僕はこれが嫌いだ。いや、嫌いというよりは苦手に近いかもしれない。そもそも僕はパスタが苦手なのだ。素麺やうどんなど多くの麺類に共通して言えることなのだが、これらを食べた後決まって僕は胃もたれを起こす。医者に診てもらったことは無いが、多分グルテン(小麦粉)アレルギーなのだろう。そうでなければ毎晩のように吉村屋のラーメンを最大量食べ続けても全く太らないことの説明がつかない。

少し話が逸れてしまったが、兎に角僕はミートソーススパゲッティが苦手なのだ。にも拘らず先述の通り我が家で頻出するこの料理。主に制作者は父親であり、正直言って僕の家族のなかで彼の料理観・もっと言えばその味覚は異端だ。そもそも母親が秋田の出身で父親が鹿児島の出身と、両親の間で大幅な食生活の差異が発生している。その上基本的に料理を作るのが母親な訳だから、その子供である僕と弟の味覚が母親の方に寄ってしまうのは仕方のないことだ。この環境のせいで父親の趣味である魚釣りの後、毎回我が家には地獄が訪れる。自分の旨いと思うものを家族に振る舞う一家の大黒柱と、その味覚に対する反逆者の構図だ。これを地獄と言わずに何と表象すれば良いのか僕は知らない。

長々と我が家の休日についての説明をしたが、つまりはミートソーススパゲッティさえもその例に漏れないのだ。僕を含めた父親以外の家族全員が恐怖にうち震える。勿論被扶養者である僕らにとって、休日の最優先業務は扶養者である父親の機嫌を損ねないことにあるため、レジスタンスは成立しない。全員がにこやかに食卓を囲み、ごちそうさまでしたの一言でそれを終える。母親と弟はそれで済むものの、僕はそのあと数時間を胃もたれと共に過ごす。

だがまだこの食卓に終わりは来ない。ミートソースはまだ残っている。

大雑把な性格の父親は、決して不足することのないように2回分以上のミートソースを作ってしまうのだ。しかし僕の胃は二度の襲撃に耐えられるほど強靭ではない。さらにミートソーススパゲッティの追撃を許してしまえば、たちまち床に伏してしまうことになるだろう。そこで現れるのがミートソースかけご飯なのだ。台所の主が夜になって母親に移り、彼女が昼に猛威を振るったミートソーススパゲッティの主戦力に少し手をいれてご飯にかける。これによってようやく我が家の食卓に真の笑顔が帰ってくる。

このような背景を元に産まれた我が家の食文化だが、僕の後輩を含む多くの人々にとってそれは異端だ。しかし僕は我が家の事情もミートソースかけご飯の美味しさも知らない彼らに対してこの一言を毎回かけるようにしている。

「どうなの?」と。

2016年5月の夜に考えていること/どうなの?/T

好きな人とどうしてうまく話せないんだろう。自分がこの人いいな、もっと仲良くなりたいなって思う人ほど、どう会話していいか分からなくなってしまう。本当はもっと色んなこと話したいし、その人の事知りたいのにって思う。そこまで欲張らなくてもただくだらない雑談がしたいだけなのに、どうしてこう話題って出てこないんだろう。近くにいるその人の顔とか声とか雰囲気を感じとってしまうと、頭の中が固まって、息が詰まる。向こうから話しかけてくれても、あー、うん、そうだよねくらいしか言えない。自分から実のある言葉が何も出てこないから、せっかくの会話がすぐに終了する。その子私の前から去る。私もなぜか足早に誰もいないその場を立ち去る。夜に自分の部屋で、そのシーンを脳内プレイバックし、また息が詰まる。

 

 

 

高2のときに初めてデートみたいなことをしたとき、大好きだった女の子と並んで歩いてて話題が見つからなくて、頑張って何か無いかとひねり出して、ちょっと上ずった声で、今日は寒いねって言った。そんなことしか出てこなかったのだ、脳から言葉が。でもそんな脈絡もなく今日のお天気の話を始めたりした私を見て、彼女は笑いながら、話を色んな所へうまく転がしてくれた。ずっとオロオロしている私の変な話を聞いてくれて、彼女も色んな話をしてくれて、こっちの緊張も溶かしてくれた。その子のおかげで少し楽になった私は、初めて好きな人とずっとしたかったくだらない雑談ができてるって気になって、その時すごく楽しかった。

でもたぶん彼女はそんなことして楽しくなんかないよなって思ったりして申し訳なくなったり、彼女は俺よりだいぶ大人だなぁって漠然と考えたりしたのだ。そしてたぶん今の自分にはすぐには無理だろうけど、数年後くらいには俺も人に気を使わせないくらいには話せる人にとりあえずなろうと、そのデートから帰宅した夜に布団の中で決意した。

 

 

はずだったけれど、

 

 

私は先週も、今勝手に好意を寄せている女の子にたまたま会ったときに頭が真っ白になって、今日はいい天気ですね的な話を唐突にしてしまっていた。死にたい。数年たっても私は何も変わらなかった。

突然オドオドしながら謎の天気の話を切り出す小男(19)に、どうしたの?って笑いながら、そうだね~、今日はあったかいね~。なんてのほほんと答えてくれる女の子の優しさに、なんかほんとすいませんって思う。こんな奴になんでそんな風に話してくれるのかいって泣きそうにもなる。

こんな感じのまま、あと数か月で二十歳になる俺ってどうなんだ、、、俺はどうしたらいいんだ、、、ってなことを夜中一人で私は考えているのです。どうしようもないね。

 

僕のお楽しみ/どうなの?/縦槍ごめんね

最近の子供ってどうやって遊んでいるんですかね?

まだまだ、心は「あの日の夏」の僕はよく疑問に思うわけです。僕は富山県のそれもとてつもない田舎の出身なので、小学生のころなんかはやれ鬼ごっこしようぜ、やれ野球やろうぜとよく学年関係なく公園に集まって暗くなるまで遊んだものです。

しかし、聞くところによると、最近の公園は球技もできない、大声も出せないという、子供にとってはただの孤独な荒野状態と化しているらしいのです。まあ爺婆や犬っころとっては、昼間の暇な時間を優雅に過ごすことができる花園なのでしょうが、我々子供達にとっては、たまったもんじゃありません。お母さんに「家でいつまでもだらだらしてないで、そとに出て遊べ!」何て言われても居場所がなく、ただただ理想の公園像を膨らませていくばかりです。

ここで、我々少年達は外で遊ぶことを諦めて、家の中で遊べばええやないか。こういう1つの結論に達します。そして、毎日のようにゲームにいそしむわけです。夜遅くまでゲーム三昧。ドラクエ、ポケモン、FF。カードゲームなら、遊☆戯☆王、デュエルマスターズ。毎日がパラダイスです。しかし我々のお小遣いは微々たるものです。購入できるものは限られます。そして、何より我々は頭が悪い!ゲームではひねくれた遊び方なんて出来ないんです。かく言う僕も真っ直ぐにデュエルマスターズにいそしんでおりました。そして自分なりに頑張って集めた、カードを使ってデッキを組み、大会に挑みました。心ない大きなお友達にボコボコにされました。屈辱の山札切れ。そして、回りを見渡すと同士達が声をあげて泣いていました。ここで我々は悟るのです。ゲームというのは大人の遊びなのだなと。

そして、また1つ我々は娯楽を失ってしまうのです。もちろんそれでもめげない鋼メンタルの猛者もいます。しかし少年達の多くはガラスとハートです。これに関しては僕は言いきりの形です。

傷心中の僕がふらっと立ち寄ったのがコンビニでした。そこで僕は運命の出会いをします。それは「週刊少年ジャンプ」です。そこには夢が広がっていました。ワクワクするようなバトル、僕らには想像もつかない心理戦。そしてちょっと刺激の強い恋愛漫画。新たな発見のオンパレードでした。値段も小学生にも手の届く、500円。しかし、ここ最近ジャンプの売れ行きが悪いそうなのです。だから、そこの俺、いやそこの少年! ジャンプを買おう。公園もゲームも止めて、ジャンプを買おう!

 

・・・こんなオチはどうなの?

暗黙のルール/どうなの?/リョウコ

「いや、まあ別にいいんだけどさぁ」

普通に生きてる私に、普通に起こるいやな事は、ほとんどこの台詞一つで流れていく。
しかし、そういういやなこと達の中には、いくつか、どうしてもすんなり流れていかないものがある。

前年の10月から始動したミュージカル。片道1時間半はかかる東京の稽古場へ、週三回、彼女と一緒に通った。往復三時間×週三回、×4か月とちょっと。
当然の如く気の置けない間柄になり、私と彼女は「友人」から「親しい友人」の仲になった。
真面目な将来の話から、今抱えてる不安、ライトな下ネタからブラックな話まで、所謂サバサバ系こじらせ女子の付き合い。
どんな仲であれ、大抵の女子と女子の付き合いには暗黙の了解というものがあると思う。
私と彼女の間にあったルールは二つ。
「相手の前で女の顔をしない」こと、「あまりに本気過ぎる話はしない」こと。
男性の皆さんにはあまり共感してもらえないかもしれないが、“気の置けない”仲の女子同士であっても、なんとなくの線引きは存在する。
私と彼女はその見えない境界線を越えない範囲で今も付き合っている。

2月だった。
ミュージカルの千秋楽が終わり、キャストやスタッフと夜通し打ちあがった後、私と彼女は始発に乗って横浜に向かいながら、なんとなくその場のノリで銭湯に行くことになった。
一度家に帰り、仮眠をとってから支度をし、少し奮発をして大きくて新しい銭湯へ行った。
男湯と女湯が階ごとに分けられ、広々とした浴場、大きな湯船、そして露天風呂。
小屋入りから本番までの5日間、まともに湯船につかれなかったというのもあって、少し熱めの湯の中は天国のようだった。
のぼせるギリギリまで浴場で過ごし、着替え、更衣室にある販売機で冷たい牛乳を買う。
足の指先から、頭、いや髪の毛の先までほかほかに温まった身体に、冷たいフルーツ牛乳の流し込む。
嗚呼、至福の時!
「サイコーだね!」と振り返った私を、彼女は見ていなかった。
フルーツ牛乳を片手に鬼のような速さでフリック入力をする彼女。
そして、ごめんね、の顔で私を振り向いた。

「そこの駅に彼氏が着いたんだって。一緒に帰ろうって。いい?」

口に出してごめんねと言う彼女は完璧に女の顔をしていた。
彼女とその彼氏、そして私。よくわからない面子で一体なんの話をして横浜駅で降りたのか、私はあまり覚えていない。
ただ、空気になって2人の世界を極力邪魔しないようにとはしていなかったので、おそらく何かしらを喋っていたんだろうと思う。気まずくはなかった。

いや、だけど。そうだといっても。
あの暗黙の了解を守っていたのは私だけだったのか。
彼女にはその境界線が見えていなかったのか。

「いや、まあ別にいいんだけどさぁ」

この番組は実在しません/どうなの?/きりん

最近は公共放送も緩くなってきて、なんだか地味に面白いぞと評判だ。なかでも自分のような若い人らにうけているのが、しばらく前に始まったバラエティー番組「それってどーなの⁉」。

このあいだ、バイト先の料亭で四人がけのテーブルに隣同士で座るカップルがいたんです。いい年した大人のカップルで、終始ラブラブでした。他のお客さんの目もあるオープンスペースだし、こちらは給仕しにくいし、なんかもう目も当てられなくて。これってどーなんでしょうか?みたいな視聴者の投稿をアリかナシかゲストと司会で談義する、まぁありがちな形態だ。

ちょっと珍しいのは、視聴者がSNSでリアルタイムにスタジオに意見できること。スタジオもCGでスタジアムのようになっていて、場内にひしめくアバターが視聴者役代わりに喋る。 これがまたなかなか弁舌のうまいアバタ―、もとい視聴者もいて、番組初期にはある大物芸能人がちゃっかり視聴者で参加したりもしたものだからじわじわと人気を集め、いまではゴールデンタイムへ移動も囁かれるほどだ。

この番組にはマスコットがいる。アバター代表、どーなのくん。昔ちょっと流行った、同じ放送局のキャラクターを焼き直したらしきシンプルなフォルム。つぶらな瞳、ではなく胡乱げな目つき。見た目によらず情けない声で「どーなの~」と鳴く。他のアバタ―が視聴者として饒舌に話すなかで、場内中心の司会者の足元にいるこのどーなのくんだけは「どーなの~」としか言わない。しぐさは可愛らしく、画面内ではせいぜいピカチュウサイズなのにイベントで着ぐるみが出てくるとなかなか巨大で不気味な感じ。このシュールかつギャップに満ちたキャラクターが最近私の周りで妙に人気だ。なんとなく殴りたくなるこのぶさカワイイさ、あるいはきもカワイイさが良い、らしい。

 

「あちこちにその顔を見るようになってそろそろ私は精神を病みそうなのだが、どーなのくんって実際どーなんでしょうか?」ついに私も決意した。スマートフォンに打ち込んだ文章を三回見直し、投稿ボタンをタッチする。それから画面を消して、目を閉じて、ゆっくりとソファへと倒れていった。

さいきん/どうなの?/みくじ

「どうって言われても、まあ普通だよ
風邪も引いてないし、学校は課題が出るけどバイトも閑散期だし
この間ね、プリン作ったんだけどすごくうまく出来たんだ」

「元気ならいいの
お父さんもユウキもなに食べたいって聞いたら肉か揚げ物ばっかりで作りがいないわ
恵里さんが店辞めちゃってもうどうしていいか分からないけど、ユウキも高校は私立だし頑張らないと」

「そっか
大変そうだね」

「大変よ
もうお客さんたちだって、あっ、もうわたし今娘と話してるんだからやめっ

ぷつりと音がして電話が切れた。
さいきん変えたばかりのスマートフォンのホーム画面をながめながら、電話が切れる前にきこえたのは男の人の声だったなと思った。

母の機嫌はさいきん穏やかだ。
店の主力スタッフが引き抜かれたりユウキが第一志望だった公立の高校を落ちてすべり止めの私立に入学したのだから、言っていたとおり大変なんだろう。
昔から母はヒステリー持ちで少しでも期待をはずれたことが怒ると手がつけられないくらい暴れた。
手をあげられたことは片手に収まるけれど何時間も怒鳴り声をあげて部屋を荒らした。

明らかに不穏な切れ方をしたが、まあいいかと思った。
進学のために家を出る時、いちばん気がかりだったのは母のヒステリーの矛先がユウキだけに向いてしまうことだった。
ゆうきはあきらめの早い私と違って母のことばを真剣に受け止めてしまう。
母が大人しくしているならユウキもそんなにしんどいことにはなっていないだろう。
先に母から逃げ出したことへの後ろめたさは少しやわらいだ。

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「お母さん寝たね
お酒飲んでるのにめずらしくきれなかったし」

「そうだね
そういえばお母さんね、さいきん煙草吸ってるよ」

たしか私がおなかに出来た時に辞めたと言っていたが、20年ぶりに吸いはじめたのか。

やけに穏やかだだけど、煙草吸い始めたり変な電話の切れ方したり。
これってどうなんだろう。
でも、私はユウキが実家を出るまでお母さんがあんまり私やユウキやお父さんにひどいこと言わないでくれたらそれが一番だと思うから、まあそれはそれでいいよ。

ゲス/どうなの?/なご

「どうなの?」って思うことっていっぱいありますよね。最近だと、4月の新歓期で人で溢れかえってる学校とか本当に「どうなの?」って感じです。キラキラしている新入生がメインストリートや食堂を闊歩していて、そして多くの先輩たちが彼らをヨイショしていて。ただGWが明けると4月までが嘘みたいにいなくなっちゃいますしね、人が。新入生も先輩も。それもそれで「どうなの?」って思います。

話は飛びまして、最近私ライブに行きました。「ゲスの極み乙女。」の。3年ほど前から割りと好きで、特にボーカルの川谷絵音さんに心酔してると言ってもいいんですけど、何か年明けあたりからゲス好きを名乗ると笑われるようになっちゃって変な感じなんですよね。一連の騒動についてここで詳しく語る必要はないと思いますが、あれも正直「どうなの?」って思うことばっかですよね。

まず、えのぴょん(川谷絵音のあだ名)結婚してたんかい!とか、夫と不倫相手のラインの内容を知人を通してとはいえ週刊誌にリークしちゃうえのぴょんの奥さんとか、とりあえず会見開いてよくわからないままテレビから消えたベッキーとか、いろいろ。世間の反応は渦中の二人へのバッシングが強い気がするけど、活動休止のベッキーと裏腹にえのぴょん率いる「ゲスの極み乙女。」は勢いを落とすことなくバリバリ活躍してるしね。

話は戻ってライブです。

概ねとっても楽しかったです。最新アルバム『両成敗』(このタイトルも騒動でかなりイジられていたのですが、正直どうなの?って思いますよね笑)を中心に昔の曲とかも結構やって激アツなセトリでしたし、会場はZeppトーキョーで、初めて行ったライブハウスなのですが、キャパが3000人入らないくらいでステージとの距離も近くて良い感じでした。

ただ、どうしても「どうなの?」って思った、思ってしまった、思わざるを得なかったことがありまして、それは周りにいたファンたちに対してです。私、ゲスの極み乙女。を見るのは2回目で、初めては一昨年の年末のフェスでした。フェスは会場全体がモッシュの嵐でとても盛り上がっていたのですが、今回のワンマンツアーではファンたちはモッシュというか激しいノリもなく、ひたすら「聴く」という姿勢だったような印象で、ライブというよりかはコンサートみたいな感じで、もはやロックバンドではなくアイドルグループとそのファンたちといったような。

フェスでそのアーティストを見に来る人たちとワンマンでそのアーティスト見に来る人たちは被っている人もいるというか、フェス勢がワンマン勢を包含している、つまり、ワンマン行く人はフェスにも行っていると思います。やっぱりフェスの方は色んなアーティストが参加している分そのアーティスト目当てでは来てないけど他に見るものもないし見に来たみたいな人たちも多くいるので、とりあえずノっとくみたいな風潮もあって。

簡単に言ってしまえば私はフェスの方が好きだったってことに気づいたってだけの話です。またしても雑なまとめ方でどうなの?って感じですね。

2回しか見たことないのに何様目線でファンの人たちを語ってしまい本当に申し訳ない気持ちもあるのですが、以上、最近感じた「どうなの?」でした。

巻き込む/どうなの?/Gioru

祖母の葬式に参加した。

 

通夜ではこの世からあの世への旅支度として、衣装を着させる。その時、妙に祖母の体が冷たかったのを覚えている。火葬までの間に腐らないようにと、保冷材などが入っているせいでもあるのだろうが、それでも覚えている暖かさはどこにもなくて、祖母が亡くなったことを実感できた瞬間である。

 

人の死というものは、どうしてか、なかなか影響力がある。少なくとも家族などの身内は葬式のために勢ぞろいである。誰だ、この人は。そんな人が親戚であることは珍しくない。そこで死者の生前の思い出話だとか互いの近況を話し合ったりする。そんなことをしているうちに火葬まで済んでしまい、骨を収める段階になる。ここまでくると見覚えのある姿なんてどこにもなくて、悲しさはもちろんあるのだろうが、落ち着いてみている自分がいた。実感から受け入れへと変わったのかもしれない。

 

葬式の最中、なんとはなしについていたテレビから、人が線路に飛び降り自殺をしたニュースが流れていた。いつもなら、ふーん、とそれだけで終わるはずのニュースではある。だが、このときばかりは、どうして? と不思議に感じた。生きていれば何があるかわからない、とはよく言ったものだが、まさにそれであると思う。自殺することによって何か満たされるのだろうか。今の状態から逃げ出したい、そのための自殺なのだとしても、他に方法はなかったのかと。自殺した当人ではないので私にはわからない。

 

それでも、自殺だろうが何だろうが、人の死であることには変わりなくて。

その死は大勢の人を巻き込んでいくのだろう。今回の場合は線路への飛び降り自殺であるから、巻き込まれるのは家族だけではない。その線路を使う人たち全てを巻き込んでいく。

 

巻き込む範囲の広さもそうだが、一番の違いは残された人たちの心境なのだと思う。祖母の場合、病気による衰弱での死である。それなりに年を食っていたし、よく頑張っていたのだと思う。祖母に対する後悔は山ほどあるが、納得できないほどではない。時間はかかりそうだが。

一方自殺の方では? 残された方は、まずなぜそうなったのか考える。それが明らかになったとき、自分たちが納得できない、あるいはしたくないような内容だったのであれば、やりきれないであろう。巻き込まれた赤の他人にはただの迷惑でしかない。目的地に遅れる、約束に間に合わないなどなど。

同じ人の死であるはずなのに、明らかに与える影響は違う。

 

ひょっとしたら、自殺した人はこれが狙いの一つなのかもしれない。確実に人を巻き込める方法の一つである。方法を選べば個人を更に集中して巻き込める。あぁ、それならばなかなかに素晴らしいかもしれない。構ってちゃんにはうってつけの方法でありそうだ。

 

ただ、死んだ人の気持ちなんて誰にもわかるわけではない。死んだ人にはわかるのだろうか。まぁ誰も確認できないのだから、そこは考えても仕方がない。

 

この手段でしか人を振り向かせられないのなら、それは少し寂しく思う。

 

今、人の死に敏感になっている私から言えることは一つ。

ご冥福をお祈りいたします。