「俺のスタジオ」カテゴリーアーカイブ

目標の問題/俺のスタジオ/YDK

 
まず、わたしが清田スタジオに入った理由はシンプルに一つ。

 

「不思議な(変な)人が多いと聞いたから」

 

でした。文章を書く云々はまた別問題として捉えていたところがあります。だから今までのスタジオの形式になんら文句はありません。文章を媒体としていろんな人と交流をもてる、ということがわたしがスタジオに参加する最大の理由としてあるからです。

実際、スタジオには面白い人がたくさんいて、もっと仲良くなりたい人もたくさんいます。清田スタジオに入ってよかったと、半年間過ごして思いました。しかしその中で形式の変化を望む人がいて、形式の変化が起こったとしても、それはそれで楽しそうだなとも思います。人数も増えましたし、意見も多極化するのは当たり前のことでしょう。特に、文章がうまくなりたいと思う人や、批評をきちんとして欲しいという人からすると、確かに今の状態では無意味に感じてしまう人がいるのもわかります。この解消のためには目標の統一は必要かもしれませんね。
いろんな意見があってそれを戦わせるのも楽しいなぁと思ってしまうタイプの人間なので、特にこれからのスタジオをこうしたい!とか強い気持ちはないです。流れに乗りながらいろんな人の感情とか特性とかを見られたらいいな、と思ってます。清田スタジオは楽しいです。

大きな制度改革は行わず/俺のスタジオ/リョウコ

→テーマ設定について
<テーマを二つ用意する>
何度かスタジオ内で、「テーマが小説向きのものばかりで、書きたい文章が書けない」という不満を耳にした。
自身の文章力・表現力の上達を目指しこのスタジオを履修したのだから、自分自身の目指したい形での文章を書き続けたいとそれぞれが思っているはずだ。
例にもれず私も小説ばかり書いているが、それはテーマから連想しやすいのが“物語文”だったからである。
どのような文章の形態にもマッチするテーマを決める、というのは中々に難しい。
であれば、小説・エッセイ用のテーマと、批評・考察用のテーマの二つを用意するというのはどうだろうか。
グループ分けでその二つの異なったテーマを選んだ人間が混ざるようにすれば、見地が違う者同士、意表をつく意見にも出会える

→外に広げる
<SNSの活用>
今年度の第一回目のスタジオでも出した意見である。
自分が良いと思った作品を、外の人に読んで貰えるようにTwitterやFacebookなどで共有しても良いという許可が欲しい。
文章投稿をDropboxでなくブログにしたのも、外部の人の目に私たちの書いたものを晒すためではなかったか。
ならばSNSでより積極的に宣伝することは、スタジオを外に向けて開くことにも繋がるのではないか。

→匿名コメント
多数の方が挙げているので割愛

制度維持/俺のスタジオ/なべしま

これまでのスタジオの体制について問題点を挙げると
・コメント制度の意味がない
・やっていることについて到達点がない(目標がない)
等のスタジオとしての意義はどこにあるのか、という点に終始すると思います。
スタジオの目標を一つにするのは他のスタジオでは実際に行われていることですし、不可能ではありません。けれどこのスタジオではそれを求めてきている人は少ないのではないでしょうか。実際、去年行われたグループ分けは本来その目標を持つために実行されました。そしてスタジオが基本的に希望者を拒まないのならば、スタジオの目標を一つに絞るというのは少し不自然であるように思います。たしかにスタジオを脱退する人は少なからずいたわけですし、目標を一つにした時にあらわれる脱退者は例年通りとも言えます。脱退者を気遣う必要はないでしょうが、それでもあらゆる人の受け皿的に人間を集めるスタジオならば、できるだけ個人の目標を尊重しつつ活動していけないだろうかと思います。
個人の目標は大きく分ければ二つになるでしょう。
・自分の文章力を磨きたい
・他人の文章を批評する力をつけたい

前者の自分の文章を磨きたい、という中には
他人の意見を求める人
他人の文章を読んで自分の糧にしたい人
文章を書いて自分の力を高めたい人
など複数います。
後者については批評文、物語文どちらについて批評するかの二種類でしょうか。
従来の制度は

テーマに沿った文章を書く
→それら文章をグループ分けし、同グループ内でコメントをつける
→授業日は作者が自分の文章を解説し(言い訳タイム)、コメントをもとに互いの文章の問題点を挙げるなどして批評し合う
→最終的にグループ内投票でグループ内1位を、それらグループ1位を全体で投票し、全体1位を決定する、全体1位の人が次回のテーマを決める
といったものでした。
この授業日の使い方に疑問が呈されたわけですが、その点に目標の違いがあらわれていたように感じます。
コメントシステムで他人の文章を批判することに意味を見出した人もいれば、それを褒め合いに終始するため無用のものとする、という人など様々ですが、それは目標を異にしていたからでしょう。

個人的には、たしかに授業日のコメントが褒め合いになるのは少し倦怠感を覚えていましたが、文章を書く、他人の文章を批評するという構造については面白かったと思っています。それは批評に重点を置く人も同様であったのではないでしょうか。それならば、ざっくりとした括りではありますが、自分の文章力を磨きたい人の選択肢を増やすのが一番手っ取り早いはずです。

制度をかえるのは一部でいいでしょう。
・グループ制度の廃止
読み手の負担は増えるため、締め切りを早 める
授業日は特にコメントの多い人間がいれば、その人を中心にグループを作り、質問形式で議論する
→投票をしようとすれば一位も決められる
→人数が割れれば好きな人のところに行く、ただしそうなればグループにする必要性が薄れる
・コメントシステムを自由化
好きな人にのみコメントする

ここに顔をあわせる利点があるのかと言われれば、たしかにないと思います。サイバースタジオについては否定するだけの根拠を見出せませんでした。
他人の作業状況を見たいというのならば、全員ツイッターのスタジオ専用アカウントを作成し、その都度頭の中を露出する意味で呟く、というのはどうでしょうか。たしかに作業方法は人それぞれですが、ツイッターならば自由度は高いはずです。それほど負担になるとも思えませんし、締め切り間際に考え始めるという事態が問題ならば、その抑制にもならないでしょうか。

 
提出が遅れたくせにブログに挙げられた文章を全部は読んでいないため、同じ内容の繰り返しになっていることでしょう。さらに言えばこの文に盛られた案、人の意見です。パクリです。劣化版の盗作です。のでこの案を考え出した方には本当にすみません。

スタジオ運営案。。/俺のスタジオ/T

・スタジオの時間(木曜3限)の使い方

13:00~13:30(時間厳守)                   課題の文章のテーマについてグループディスカッション

13:30~14:00(時間厳守)                   次回のテーマ設定のためのグループディスカッション(グループごとに次回テーマ案を一つにまとめる。)

14:00~14:30  (時間厳守)                   次回のテーマについて決定。(各グループが自分たちの案について簡潔に、しかし全力でスタジオメンバーへプレゼン。各テーマ案ごとに質疑応答を受け付けた後、多数決によりテーマ決定)

 

・課題のやり方

木曜のスタジオ内で設定したテーマに沿った文章を、各々が「横国人文清田スタジオブログ」に公開。(締め切り水曜12時) facebook上で事前に決められたグループに文章を振り分け、自分のグループのメンバーの文章にコメントを付ける。ただし、そのコメントの内容は、文章の構成に関するものに限定する.   

 

 

以上のようなスタジオ運営をする場合…

①スタジオの各々が自分が書きたい文章(小説なら小説、エッセイならエッセイ…など)を書くことができ、なおかつグループディスカッションが盛り上がるような優れた課題テーマをみんなで設定することが重要になります。またそのようなテーマはみんなで一つの答えを見つけるようなものではないため、スタジオ全体でのディスカッションは行いません。グループワークを通じて、テーマについて個々の考えを深めることを目的としています。

そしてポイントは各セクションを30分とし、その決められた時間を守ることです。短時間で難しいテーマを決めなければならないので集中力が求められるし、だらだらやるよりもグループワークをする力がつくはずです。

 

②スタジオでの話し合いとブログでの批評コメントの差別化を図るために、批評コメントの対象を、書いてある内容ではなく文章自体(段落、言い回し、文の長さ、読みやすさ、レイアウトetc…)に限定します。こうすることで批評する側も的が絞りやすく、的確な批判などができると思います。ここをなあなあにしてしまうと文章力の向上が見込めないため、注意が必要です。また以前までのグループ数だと、1人が書いた文章がほんの数人の目にしか触れないということもありえるので、グループの数を少し減らしてメンバーを増やすことで、より多くの批評を受けるようにした方がいい気がします。

 

③スタジオのモチベーション向上のために、優れた案を出し、良いプレゼンをしてテーマ案が採用されたグループに、何か利益が出ても面白いと思います。

 

前回休んでしまって話し合いに参加してませんが、こんな案を考えてみました。

 

えせ理想主義者の考え/俺のスタジオ/きりん

私は投票一位の人が次回の内容を好きに決められる方式が良いと思う。哲学がやりたければそれについての文章、また下調べを課題とする。ドッヂボールがしたければ、試合経過を物語調や記事にしてみたり、実況中継を文章におこしても面白そうだ。

毎週一人が自分なら一週間で出来そうな課題を考える。きっと今より課題の条件は厳しくなるが、書くものの幅はむしろ拡がるのではないかと思う。

授業時間の割り振りは、これまで同様互いの課題の批評や反省を指摘し、投票するまでに60分間、あとの30分間は企画ごとに必要となる打ち合わせや勉強会などを行う。課題の提出方法、期限などは基本的に変更せずとも大丈夫だろう。

これに対して否定の意見は“一人の人にゆだねてしまうのは良くない”等などがあった。しかし、個々人の理想が異なる現状では全体をまとめようと停滞しているよりその理想を順々に叶えていくほうがまだ有意義ではないだろうか。やりたいことがあるのなら課題を充実させ一位をとればよいことであり、一位をとれる人物が特定されてくるようなスタジオでは駄目だと思う。スタジオ全体で話し合いをしていると、淘汰などの過激な言葉が出る割にできる限り穏便にまとめていこうとするチャレンジ精神皆無な傾向があるので、現在の方式に不満があるのならまず物事を決定し、次へ進めることが必要だ。

また、外部へ公開することの効果についてはやや懐疑的に思っている。外部の不特定多数の人間に読んでもらうメリットは客観的評価を得られることだが、現状のシステムでは基準となるのが閲覧数のみであるし、これは大手小説サイトなどでも同様だろう。コメント機能があったとしても“ここをこうするともっと面白くなるのではないか”などというこちらに改善を望むような親切なコメントがつくとは思えない。前回話題に出たツイッターの機能はとても便利だと思うが、基本的に140字という短文なので書くことも限定されてしまう。リンクを貼るとしても、文章の内容や出来以前にいかに拡散するかという問題になってきてしまうのではないだろうか。結果的に“ネット受けする文章”を目指すことにもつながると思う。単発企画であればよいが、毎回それを続けたくはない。

飽和状態/オレのスタジオ/ネズミ

 

正直、これまでスタジオでやってきたことに対して大きな不満はないし、これからも基本的にこのスタイルは守っていきたい。というよりも今のスタイルを革命的に崩すのは無理なのではないかと思っている。

毎回、新学期になってスタジオが始まると初回に今やっているようなスタジオを今後どう運営していくかを話し合う時間が設けられているが、僕はこの時間があまり好きではない。このスタジオの多くの人は頭の回転が早いから、議論がひとたび始まると多くのアイディアないし意見が飛び交う。スタジオの改革についての話し合いでもなるほどなと思う意見が結構あった。ただそこで問題となってくるのが、意見があっちこっちから出てくるものだから毎回最終的に一つの結論に絞り切れてないということ。前回のスタジオでも多くの意見があったし、これを書く前に既にブログに挙がっている投稿をいくつかざっと読んだのだが、人数が多いこともあって膨大な量のアイディアがある。これをまとめるだけでも至難の業であり、全員が納得できるような一つの答えを出すのは不可能だと言える。

今回の改革は今までで一番改革に向かっているというか、変化が望めそうな動きを見せているが結局は意見をまとめきれずに元いる場所に落ち着くような気がしてならない。だったら早いところこの議論は切り上げてしまった方がいいと思ってしまう。

とかいいつつも最後に自分の希望を少しばかり述べる。僕はもっと編集の部分を色濃く出していきたい。自分の書いた文章にコメントをもらい、反省して終わるのではなく、コメントを踏まえた上で書き直した文章を再度評価してもらうなど、編集しているという感覚を持ちたい。

パタパタする/おれのスタジオ/ふとん

最初は初心者なりになんかすごい文章を書こうと頑張っていましたが、寝る時間も無くなるし頑張ったところでどんどん恥ずかしい文章になっていくとわかったので、もうそんなに頑張りたくないです。

 

それなのになぜ継続してスタジオを取ったのかというと、書いたものがたまーに良く評価されたりして嬉しくなっちゃったのもなくはないのですが、それぞれ個性をものすごく放出している清田スタジオの先輩方を見ていたり話していたりするのがたぶん楽しくて、やめたらこれがなくなるのかー、と思うとちょっとさみしくなったからです。

 

文章を読むだけならスタジオをやめてもブログを覗いてればいいし、褒められたいなら褒めてくれそうな人に読ませればいいです。

 

でもわたしは清田スタジオ特有の空気感を持ったおもしろい人たちを見ていたいしその人たちと喧嘩したいです。だから課題は提出遅れでもたぶん毎週来ます。

 

いろいろな意見を持つ人がいるなかで自分の意見を押し通すのは疲れるのでしませんが、やりたくない方向になってしまったらやめます。

 

あいつは自己中の気分屋だからしょうがないよ、と思われる人になると楽に生きられると思ったので、それになるのが今の目標です。

 

わからない/俺のスタジオ/なご

正直、新入りの私にとってこのスタジオがどこまでの問題を抱えているのかどうかはわからないし、先週の議論も、あまり発言することはできなかったのは確かだが、初めてのことだったので楽しかったという印象を持ったというのも事実である。

結局このスタジオがどうなろうと、自分のためになることを見出そうと思えば各々の努力次第でできるので現状維持だろうが、仮想スタジオだろうが関係ない思うわけで。

そう言ってしまうのは思考停止と言われればそうだし、そもそも「わからない」って言葉自体、言っちゃいけない気がしてやまない。

とは言ってもわからないものはわからないし、きっともう少しこのスタジオを経験しないと見えてこないものもあるのかなとも思う。

いままでいたスタジオは基本的に課外活動して、その実践の報告をするといったものだったので、かなり長期的な活動と経過報告みたいな感じになっていた。といっても自分の発表に合わせてその直前に何か活動をしていたというのが現状だったのだが。

それはそれで、問題だらけだったのだが、もっと長期的な文章作成というのはどうだろうか?一週間という期間である程度の文章を作るのではなく、1か月、もしくは3か月かけて一つの文章を作っていくのである。

その経過報告というかプロットみたいなものをブログにあげていき、スタジオでほかの人に添削してもらいながら徐々に直して、増やしていくみたいな。

でもこれ何か破綻してる気がするな。

やっぱりわからないので、みなさんの文章読んでとりあえずこのスタジオのこともっと知ろうと思います。

それで今週こそもっと意見できればと思います。

ではでは、

乾く、減らす/俺のスタジオ/猫背脱却物語

スタジオは乾いていた。潤いを求めれば求めるほど、乾いているということを突きつけられた。わずかな唾を飲み込もうとして、水気のない喉がはりつくあの柔い痛みを思い出した。

まだ二回しかここにいない私が現場を見て思うのはこんな感じのこと。今の状態が良くないとして、何をどうすればいいのかを追い求めるべく議論していく時間で、より殺伐としていく感じ。考えすぎかもしれ無いけど。
そもそもコメントの有無とか、言い訳タイムの意義とか、顔合わせるのが好きだとかどうとか、経験値の観点から口を挟みづらい状況で、どうしたらいいかわからない。(あ、皆さんと仲良くなりたいです。新参者ですが、よろしく。)議論の時間の中から、新しいアイディアは無限に出てくる。その湧いて出てくるアイディアは加える試みと引く試みに二分される。今あるものをカスタマイズして改良するのが前者、今あるものをシンプル化させて改良するのが後者というイメージ。なんとなくだけど、後者の方がかっこよく見える。新たにマイナーチェンジを加えていくよりも、合理化していく方が革新的でスマートに感じるのだ。改良の仕方は多種思いつけど、どれも「やめるよりも改良していい方向に導こう!」という一括りの意見にもされうる。そして二つの試みがぶつかる。皆スタジオをいいものにしたくて、万人が納得いくだろうと思う試みを出しても、相容れないものは相容れない。議論は白熱する。意見がぶつかり合う。結論はなかなか出ない。時間が来る。これが新しいスタジオを産むための苦しみなのだろう。ただ、そこに「乾いた」という印象を抱かざるを得なかったのも事実である。

二郎系が好きだ。
いや男の趣味があってですね…というワケではなく、そういうラーメンのスタイルがあるのだ。細かい説明は省くが、特徴として「野菜・ニンニク・脂・味の濃さの量といったトッピングを好きなように調節できる」というのが大きい。
ラーメンを注文するときに「野菜マシマシニンニクマシで」みたいにオーダーを通す。増量したいものは段階別に増量できる。

ただこの前入った二郎系のお店は違った。全て「少なめ」の選択肢しかなかった。調べるとこによれば、最初からトッピングが他店の大盛りくらいあるそうだ。だから減らすか否かで量の増減を決める。こういうパターンもあるのか。

これでいいんじゃないだろうか、スタジオも。環境は今まで同様に整えておき、その環境に対して必要がないと思ったらその人個人が「減らす」。今のコメント、言い訳、そもそもの出席に対し、必要ないと思ったらその旨を提示して、それらをしない。これなら現状の状態を必要と思う人は変える必要はないし、必要ないと思う人は変えればいい。このスタジオは「文章を書く」という同じ方向を向いている人々の集まりだが、そのベクトルの大きさは割と様々であるように感じる。それなら個々人が取捨選択できるようにしたらどうだろうか。必要な人だけ、「減らす」。一番皆が納得できるような仕組みだ、と、(校正中に不安を覚えながらも)強く思うんだけれど。

あ、あと、このシステムならスタジオ全体の仕組みを揺るがすのではなくぜひもっと華麗な個人プレーでその思いを結実できると思う。個人単位で「減らす」ことが可能になれば、その発展系として個人プレーも許されるのではないか(その判断が誰に委ねられているかなどは、私はまだよく分かっていません)。何種類もテーマを変えて文章が書けるなら、そのエネルギーを単位を求める他のアクションに還元できたりするだろうし。

ひとまず休戦/俺のスタジオ/ゆがみ

お題は「俺のスタジオ」であるが、現在スタジオが行き詰まっている原因は不満を持っている人がおり、それらの人が自分の意見を曲げないからであろう。もちろん自分の意見を出し合った殴り合いも面白いものだが、勝負のルールを決める段階から殴り合うだけでは進まない。なので、自分の意見を通そうと熱くならずにどうすればみんなが満足できる場所になるかを考えてみるべきであり、ここではスタンスで進める。授業中に出た意見がだいたいその不満に直結すると思われるので、そこから考えてみることにする。

今回話し合いをした感じ、今後のスタジオでの課題は、

①様々なジャンルの文章をどう共存させていくか

②どのようにして文章を外部に発信していくか

③授業中をどのようにして有意義に使うか

といったものだろう。そのそれぞれについて考えてみる。

 

①について。様々な文章を書けるような空気を作ることである。それには各個人への意識付けの徹底のほか、お題や採点形式の変更である。今まで物語を前提にしたようなお題になることもあったので、2テーマに分ける等含めて検討していかなければならない。また、さまざまな形式の文章が乱立して1位を決めるのが今まで以上に難しくなるかもしれないが、採点方式を取り入れるといいかもしれない。しかし、5点満点中全員が3点の文章と5点と1点に分かれる文章が同じ扱いにされるのも良くないので、点数当たりの人数の開示や票数と点数を使い分けて評価するなど工夫が必要だろう。

②について。たびたび出ているように外部をどのようにすれば釣ることが出来るかを考えるのも面白いかもしれない。しかし、ほぼ無名の状態から知られるにはそれなりの炎上的要素が必要となり、そのことに執着してしまっても文章の質や幅、そして実用性が比較的軽視されてしまうような気がする。そうならないような仕組みを作っていければいいが、そうでなければわざわざやることではないかもしれない。

③について。各個人の意識改革が必要だという意見があり、それももっともだと思う部分があるが、意識に訴えて長続きするわけがないので、制度を根本的に変えるしかない。しかし、今の自分にはどのような方法があるのかが思いつかない。何かいい方法が出てくることを望む。