「嘘」カテゴリーアーカイブ

歪な残響/嘘/ノルニル

雨に洗われた葉っぱのにおいが好きだ。水滴に彩られてきらきら光るつつじの、その根元の蜜が恋しくて花壇を枯らした、そんなわたしたちだけの秘密。整った花にほんの少しだけ残された、どこか物足りない甘さがわたしを惹きつけて狂わせた。

鏡に映ったその姿に、日々積み重ねた嘘が幾重にも降り積もる。うわべを取り繕って、外見だけを着飾りながらただじっと、ひとり息を殺してあなたを待っていた。

 

夢の庭であなたとふたり、寄り添えればそれでよかった。焦点の合わない瞳は虚ろで、それでも美しかった。そこには引力に取り込まれ押し込められるような快楽があった。
ぎこちないやり取りとちぐはぐなステップを交わし、気づいたときには、いつの間にか大きく歩調がずれていた。追いかけようと伸ばした指はその背中を掠めて、そっと息絶える。
あなたが走るのなら、誰よりも必死で追いかけるし追いつく。だけど、ひとりで走りたくないんだ。そんなの誤魔化しでしかないと、わかっていた。

塗り固めてつくりあげたわたしはとても頼りなくて、なのに生きるよすがとするには少し余る。澱んだ頭の内側から剥がれ落ちたなにかが、だんだんと形をなしていく。

 

青い海に救いを求めて、縁から覗き込んだ。けれど、映るべきあなたの、わたしの姿は波にかき消されて、白い泡に溶ける。もうそこにわたしなんて、いなかった。
今までありがとう。ずっとこうしていたかったけど、もう届かない。あなたが住まう海の底、そこではどんな景色が見えるかな。風に乗って消える言葉がくちびるに形を残す。
渦巻く水音はそこらじゅうの壁に反響して、どこか満場の拍手にも似ている。わたしはもうじゅうぶん頑張ったから、あとは任せるよ。これからわたし、をよろしくね。止むことのない喝采の中、わたしは舞台を降りていく。

海岸線の北/嘘/θn

「できるだけ北のほうがいいよ」

 机に伏せたまま聞いたその声は、少しだけ泣いているようだった。
「なんで」
焦って顔をあげると真帆はいい笑顔をこちらに向けている。
拍子抜けするより先に、ああ綺麗だなって思った。
「ほら、海が見たい人は南に行くって決まってるから」
そんな私を知ってか知らずかあっけらかんと根拠のないことを言ってのける真帆。何も特別じゃない、いつも通りの放課後だった。

 海を見たいと呟いたのは私の方で。別に本気で行きたいわけじゃなかったけど、「高校生最後のゴールデンウィーク」を謳歌したい真帆にとってその言葉は降って湧いたチャンスだったらしい。

「あ、ここどう?大須賀海岸」
細い指に撫でられていたスマホの画面が不意に私の方を向いた。
「青森県……!?遠いわ!」
「あれ、遠いとこに行きたいのかと思ってた」
私のことは全て知っているとでも言うような口ぶりに息を呑む。
勝手で、それでも核心をついた言葉。私は無意味に日本史の教科書のページをめくった。心臓はどこどこ音を立てている。

 真帆は美人だ。多分学年で一番。
そんな子とここまで仲良くなれたのは高校生活最大の幸運で、同時に私の高校生活はほとんど真帆のものだった。

 私たちは二人とも男子という存在が得意じゃない。
真帆はモテるゆえの苦労のせい。私はマンガやゲームに出てくる美少年たちとのギャップに耐えられないから。理由は全く違うけど、着地点は同じなんだからしょうがない。

ほら、女子って嫌悪を共有した関係の方がずっと強いから。

「香澄が男だったら絶対付き合ってたのに」
「私が男だったら、真帆とは話せてないね」
「なんで」
「緊張しちゃうよ。真帆可愛いから」

 テキトー言うなよって爆笑されたけど、私は本気だ。
女のままがいい。真帆の一番であればいい。たとえ、名前の無いものでも。

「あのね、森内に告白されたんだ」

 結局青森の方まで行くお金も元気もなくて、近場の海、鎌倉に来たわけだけど。人の多い砂浜で、秘密を打ち明けられるように告げられて、最初何が起きたのかわからなかった。

森内。隣のクラスの男子。運動ができて勉強もできて、それなのに彼女をつくらないからいつだって女子に狙われてる、そんな奴だ。
真帆がもう少し足が長くて、もう少し色が白ければ私が好きなキャラクターに似てるって、話題に出したことがある。
それもう別人じゃねって言って斬り捨てさせてもらったけど。

真帆は男が好きじゃない。彼氏なんてつくらない。
確固たる自信があって、その自信の上に私は立っていた。

森内の話をしていた真帆の目を思い出す。そこに嫌悪はあったか?いつもの真帆と同じだったか?

背中に変な汗が伝うのを感じる。告白の内容とか状況とか、全く頭に入ってこない。

「……どうするの?」
「わからない。でも、何も考えずに断っちゃうのは可哀想だから」

好きにしなよとか言ってみたけど、ちゃんと表情をつくれているのかわからなかった。そんなこと言うの初めてだね。誰に告白されたって私がいればそれでいいって言ってたの、覚えてるのに。

「もしかして、そのこと話すために今日海に来たんじゃないよね?」
なんて、言えるわけない。あまりに酷いセリフを必死に飲み込んだ。

 手を取り合って、混んだ駅の中を歩く。帰るのにも一苦労だ。
こういうとき、前を行くのは必ず私の方。
不意に、反対方向の電車に乗ってしまおうかと衝動がこみあげた。
どうせ最寄り駅に着いたって、私の立っていた場所は帰ってこないんだから。

そうだね。次があるなら、ずっと遠く、できれば北の方がいい。

男の子だったら、遠い北へあんたをさらえたのかな。それがもし口実になるならなんて、決して言わない。言わないよ。

私のアリア/嘘/フチ子

「わたしの家族はみんな音楽が好きで、休日はみんなで合奏するの」

「幼稚園からの幼なじみがいて、すごく仲がいいんだ。付き合うとかではないと思っていたんだけど最近わからなくなってきて」

「友達がバンドのボーカルを探していて、無理やり歌わされたらたまたまよく歌えて、ライブハウスで週一で歌うことになったんだ」

こうだったらいいな、という理想は1人で歩いているとポンポン思い浮かぶ。イヤフォンをして、聴きたい曲を聴いて、「この曲はわたしのためのものな気がしてきた」と思い始めたらその妄想は止まらない。普段人と一緒にいるときは1ミリも考えなかったような欲が流れてくる。わたしはこんなにも現実とかけ離れた理想を持っていて、知らず知らずのうちに諦めていたんだと唖然とする。

長い距離を歩くとき、その妄想も長編化する。ストーリーがもう少し細かくなっていき、悲しい現実や辛いトラウマが設定に入り込んでいく。

「お母さんが病気になって、ボロボロになってしまっているときに幼なじみが助けてくれる、それなのにその優しさに八つ当たりしてしまって幼なじみを傷つけてしまった」

「彼氏に暴力を振るわれることに悩んでいたら、彼女がいるけどずっとタイプだった男友だちに優しくされて無謀にも好きになってしまい苦しむ」

といった具合だ。ここでは一番好きだったり信用していたり感謝している人の設定が悪い方向に向く。大好きな人が死んでしまったり、悪役になったりして、私が傷ついている。傷ついている自分は幸せな自分よりも想像が膨らんでいき、止めることができない。

そんなことを妄想していると、自分がその辛い状況下に置かれているかのような錯覚に陥って、顔に出る。不幸に立ち向かおうとするけど弱々しい顔(わたしが想像した顔に実際になっているとは思えないのだか)になってみることを試みる。可哀想な状況下設定の自分に酔ってしまう。

この状態で人と会うと少し気を張らないとまずいことになる。この妄想、この可哀想なか弱い女の子設定の自分を、人に実際に認められたくなってしまうのだ。心配してもらいたい、悲劇のヒロインになってみたい、そんなどうしようもない欲が溢れて、大きな嘘を言ってしまいたくなる。そのとき、強い欲求と、言ったらまずいと急ブレーキをとめる力が拮抗して精神がキリキリとすり減る。

森絵都著の『アーモンド入りチョコレートのワルツ』に収録されている、『彼女のアリア』には、嘘をポンポン言って好きな男の子を翻弄する女の子が描かれている。わたしも小さいときは言いたい欲が勝ってしまってしょうもない嘘を並べて後悔したことが何度もある。最近は嘘ついた後のめんどくささを、さすがにわかっているので踏みとどまることができるが、それでも精一杯踏みとどまっている状態だ。嘘の誘惑は強力で、虚言癖に私は今でもなり得るのだということを忘れない。妄想がひと段落ついたら、強制的にイヤフォンを取り、妄想をストップさせ現実に戻って来なければならないのだ。

ぷかぷか/嘘/ちきん

少し前までまったく予測のできなかった状況や、だいぶシュールな瞬間に出くわしたとき、今こうしているのが不思議だとかカオスだとか、ネタとしては言うけれど、ほんとうはそれほど動揺していないし、必然であるかのように受け止められている。衝撃が強ければ強いほど、一度無力感半分にああ…と落ち着いてしまって、相応しいリアクションが遅れる。なんだかすごく焦っているようだったとしても、少なくとも、その場の空気に合わせて適当な言葉を発するくらいの余裕はある。

リアルとリアリティはまったく違う。現実にはいつもリアリティがなくて、情報をぜんぶ整理して、納得できたあとで考えればすべて美しい物語として編むこともできるけれど、そのときを生きている時点では、ただただそれっぽくなさに、びっくりしてしまうだけ。だけど、たびたび経験すれば、そのリアリティのない現実にも慣れてしまうはずだから、毎回きちんとリアクションのできる人を見ると、羨ましさも相まって、嘘つきのように思ってしまう。

画面を覗きながら、機械的にいいね!を押し続けるからか、別にどうでもいいことに、真顔で「笑った」などと返すからか、どこまでが自分の素の反応なのか、自分でもよく分からなくなってしまった。誕生日サプライズは、とっても嬉しいけど泣けないし、おもしろい人はだいすきだけど、あまり笑えない、素敵な文章を読んでも、興奮したってことをいちばんに上手に伝えられない。その気持ちと表現の不一致は、仰々しいほどにリアクションする人に比べて、決してありのままなんかではなくて、ほんとうは私が嘘つきなのかも知れない。

不器用でチキンだから、自分が思わず不機嫌になってしまったとき、どのタイミングでどんな風に元の空気に戻そうかとか、まだ機嫌がなおらない振りをしながら一生懸命考えなくても、自然にどうにかなる相手には、甘えてしまおう。みんな嘘つきだから、はじめから誰とも通じ合っていないし、もし誰かに裏切られて傷ついたと感じたとしても、それさえも自分が自分に思い込ませているだけのものかも知れないから、だいじょうぶ。

なんて便利な言葉!/嘘/峠野颯太

私、彼氏欲しい彼氏欲しいって散々言ってきたじゃないですか。でも、誰でもいいわけではなくて。むしろ注文が多すぎて宮沢賢治もお手上げレベル。コース料理ならぬコース理想。その前菜にあたる第一条件っていうのが、生理的に無理な人以外っていう、薄味のマリネみたいな結構控えめの条件です。まあそれは私以外の人にも当てはまるでしょうから置いときます。適当にお召し上がりください。
次に、第二条件。さっぱりしたスープをどうぞ。それは、一緒に笑ってくれる人。食卓において笑顔が大事なように、恋人との関係も笑顔が大事だと考えてましてね。人を笑わせることが私の生きがいだから、それに応えて私を生き永らえさせて欲しいんです。おっとっと、意外に重たいスープになっちゃいましたね、まだお腹に余裕はありますでしょうか?
さて、いよいよメインです。包容力にまみれた人。鮭のムニエルならぬ、優しさのムニエル。包容力という形の優しさを全面にまぶしたような人がいいです。人に上手に甘えられない癖に落ち込みやすくて幼稚な私を、どうにか生き永らえさせてほしい。あれ、このムニエル油でぎっとぎとですね。胃もたれしないように気を付けてくださいね、ってもう遅いか。
最後にデザートですね。デザートは最後の締めですし、お口直しとしても非常に重要。誠実な人をどうぞ。やっぱり、真面目でないと。信用できる人がいいです。ふらふらどこかに行ってしまう人、色々と疑わしい人だと安心できません。人に裏切られたら私どうなるかわかりません。どうか私を生き永らえさせ…あれ、このデザートお口直しというよりさらに味をぶつけてきましたね!アハハ!
という風にまあ、味のしつこいかつ超豪華なコース料理です。私に彼氏ができない理由が分かったでしょう。





………なんて、嘘です。本当に私は夢を見過ぎだというか、お花畑すぎるというか、うーん、恋愛初心者丸わかりというか。こんなに理想を並べたところで、まず自分と向き合わないと何も始まらないのに!理想に見合う人というより、この理想に見合う自分にならなくてはいけないのです!そして早く素敵な人と出会いたいのです!




………なんていうのも嘘。
正直言って、そこまで恋愛に今は矢印が向いてないっていうか。そんなことより大事なことがあるし、まず結婚=幸せとかいう単純な考えから抜け出せたから、恋愛至上主義者じゃなくなったし。結婚は不幸の始まりの可能性だってあるし、今の生活だったら間違いなく旦那はいらないんですよね。





………というのもこれまた嘘。やっぱり……

嘘でなぜ悪い/嘘/リョウコ

血まみれ、汗だくで狂気的な笑みを浮かべながら、人が実際に切り合っている様をおさめたフィルムを持って走る売れない映画監督。
「やった、やったぞ!」
夜の一本道を、何処かへ向かって疾走する彼に、突然投げつけられる男の怒声。
「カーット!」
映画監督こと長谷川博己は、アスファルトに崩れ落ち、かけつけたスタッフに支えられてカメラの外へ、虚構の外へ這ってゆく。

嘘と聞いて、まず初めに浮かんだのが園子音の「地獄でなぜ悪い(2013)」のラストシーンだった。
2時間かけて綿密に作り上げた嘘を台無しにする60秒も無いであろうこのシーンに、当時の私は驚いた。
感動した。
嘘を嘘として宣言しながら、現実に生きる私たちを釘づけにする2時間10分の虚構、そして流れる映画と同名の星野源のテーマ曲。
その歌詞もまた、素敵だ。
「嘘でなにが悪いか?」

一般的に、嘘や虚偽などはわるいこととされる。
本音と建て前を使い分けて日々生きているフツーの大人たちは皆、正直や素直をよいこととして私たちに説く。
平気で思ってもいないことを語り、1の感情を何十倍にも膨れさせて相手の言葉に反応してみせるフツーの大人に、私は幼いころから辟易していた。
嘘だらけの世の中なのだから、正直や素直を説く前に嘘のつき方を教えてくれればよかったのに、とすら思う。

嘘とは素晴らしい機能だ。
嘘と、嘘の宣言は、私たちの精神の安定剤になる。
例えば、何か応えの無い問いについて語るとき。
真理とは思えないとりあえずの論を語ってみる。
その嘘は、嘘という自覚がある時点で、どこかほかに真実があるということを確信させる。
何の目的もなく穴を掘り続けることは苦痛だが、真実というお宝が眠っていると思い込めば、その作業は意味を持つ。

嘘が人を生かすときもある。
フィクションは、現実では無いからこそ、エンターテイメントとして成立する。
多数の人間が死ぬ話、幼い子が酷い目にあう話、ある人が突然人生のどん底に叩き落とされる話・・・・。
これらは、フィクションであると宣言されるからこそ私たちは安心してお茶の間で見ていられるのである。
そして人の創り出すこれらのおもしろい嘘は、現実からの逃げ道にもなる。
虚構の物語の中に、現実の自分へのヒントを見出すこともある。
平面の嘘は、私たちを現実の世界に留める効力もあるのだ。

この世は嘘でできている。
建前も、リアクションも、化粧も、フィクションも。
個人と個人の関係の潤滑油としての嘘、緩衝材としての嘘。
嘘と嘘で人間関係が成り立つ、嘘だらけの世の中である。

だから私は、今日も何食わぬ顔をして何でもない嘘をつく。
私の嘘で、人が笑う。
嘘でなぜ悪い?

学者の話/嘘/なべしま

学者風の、髭を蓄え眼鏡をかけて着古したスラックスを履いた男が村中に聞いて回った。不思議な話はないかと。
不審ではあるが私は興味を持った。熱心そうではあったから協力してあげたかった、まぁ私も大概話好きなのだ。
話をすると学者さんはたっぷりとお菓子をくれる。だから父さんも母さんも、最初こそ渋い顔をしていたが黙認してくれるようになった。そうそう食べられない甘味に釣られるのは単純ではあるが仕方ないことだ。
学者さんに役に立ちそうな話を聞かせてしまってからはネタが尽き、まぁどうしようもないあれこれ、釜の上手い磨き方とか、家のものを虫に食われない方法とか、そんなものを話していた。学者さんも人間だ、そんな話を楽しそうに聞くから私も調子付く。それでちょっと下らぬ話まで聞かせてしまう。
私たちの村には、日の長くなる月に必ず一人古老が死ぬのだ。それを年初めにクルミの殻で占う。そして占われた老人は毎日いろいろの話を人に伝えたりして大事に一年を過ごすのだ。
いやぁ面白かったと学者さんは大喜びをし、何度も礼を言ってそろそろ街をたつからと身支度を始めた。またお菓子を貰い、少し寂しく思いつつも家を出ようとした時に、夏は暑い老人が死ぬのも無理はないなぁ、という呟きが聞こえた、気がした。別段私に向けて言ってはいなかったのだろうから聞き返すこともしないが、まぁそれが何となく嫌なことを考えてしまいそうで、すぐ忘れた。

君だよ/嘘/Gioru

「君は君だよ。『君らしく』なんて曖昧なものじゃない。何やったって変わったってカンケーない。君はどうせ君だよ」

―宮園かをり―

 

容姿端麗、性格は明るい。個性的な演奏をするヴァイオリニストで人気もあり、やりたいことをするのに躊躇いがない。そしてカヌレが大好物な女の子。そんな彼女が漫画『四月は君の嘘』のメインヒロインである宮園かをりである。

 

小さい頃のトラウマによってピアノを弾くことができなくなった主人公、有馬公生をその明るさと強引さで無理やり舞台に連れ出し演奏させる。モノトーンの世界にいる彼をカラフルな世界へと連れ出す役目をかをりは担うのだが、そんな彼女も本当は弱虫で寂しがりや。誰かに背中を押してもらいたい一人の女の子として物語では描かれている。

 

彼女が本当の気持ちを押し殺しながら、それでも明るく振る舞い、自分のやりたいことを貫いていったのは、彼女の持つ病気のせいで寿命が短いことを悟ったからである。残り少ない人生において、自分のやりたいことを全部やる。いままで怖くてつけられなかったコンタクトをつけ、譜面の指示に従わないで自分の弾きたいように演奏してあげる。

 

そんな彼女も1つだけ嘘をつく。5歳の時に主人公を知り、その演奏に憧れ、中学で同じ学校になり、やがて恋心が芽生える。でも主人公の側には、主人公ととても仲のいい女の子。割り込む隙を見出せなかった。だから主人公の友達の男の子を好きということにして彼に近づく。これが彼女のついた、たった1つの嘘。

 

この嘘によって主人公が振り回されてしまうのはまた別のお話し。

彼女の嘘が嘘であると主人公に伝わるのは物語のエンディング。彼女がこの世を去った後、残された手紙を主人公が読んだ時である。この時にようやく、彼女のやりたかったことが叶うのである。願いが叶い、願いが届いたのに、その答えを受け取る彼女はどこにもいない。彼女のいない世界で新たな春がやってきて、彼らはまた動き出す。ありがちな世界ではあるが、どこか置き忘れてきてしまったものを見るような感動を味わうことができる物語だと思う。

 

さて、この嘘。これをかをりがついたことで、かをりは生きている間に主人公に思いを告げることができなかった。実はそんなことないのかもしれない。かをりは作中でも何とかして生き抜こうと必死になる描写をこれでもかとしている。病気に打ち勝って、いずれはこの嘘を取り消そうとしたかもしれない。

しかし、結果として自分の思いが届くといいな、そんな願望を残してこの世を去ることになってしまった。

 

では、嘘をつかなかった方がよかったのか。これはノーと言えるだろう。ここで嘘をつかなければ彼女は主人公に近づくための第一歩を踏み出せなかった。少なくとも彼女にとってはこの嘘はつかなければいけないものであった。

 

冒頭のセリフは、主人公がトラウマに悩んでいるときにかをりが主人公に対してはなった言葉である。いかに主人公に対して、かをりがどんな感情を向けているか、前を向いてほしいのかよくわかるセリフである。

 

セリフ自体はかをり本人にも当てはまると考える。

死の宣告をされて、ならば悔いの残らない生活を送ることを決める。でも、そんなときでも躊躇いや葛藤があって、それでも前に進みたいから『嘘をつく』という選択を取る。

言い訳かもしれない。でも私は私。

 

何だか非常に眩しいものを見たような気がした。


TVアニメ「四月は君の嘘」オフィシャルサイト

URL:http://www.kimiuso.jp/

騙されてるのは誰なのか/嘘/ヒロ

 ウソ発見器ならぬウソ阻止機が発明されたのは一年前のことだ。
 これはその名の通り嘘を吐けなくさせる機械のことだ。詳しい仕組みは学のない俺にはわからなかったが、脳やら血圧やらから嘘を吐こうとしていることを感じとり、それを暗示なんかで言えなくさせてしまうらしい。
ああ、説明が雑なのは勘弁してくれ。俺にはこれが精いっぱいだったんだ。まあ大事なのはそれが本当に開発されたっていう事実だ。

こいつのおかげで裁判や取り調べなんかは格段に精度が上がった。なにせ嘘自体がつけないんだからな。
まあそいつが自分で嘘を本当だと信じ込んでることもあるからそれが全てってわけじゃない。それでも証言が昔よりも重視されるようになったのは事実だ。
それと同じぐらい黙秘権も重視されるようになったけどな。

この素晴らしい機械のおかげでこの社会の中で人間不信や引きこもりは一層加速した。そりゃそうだ、お世辞や慰めなんかのお優しい嘘ってのまで吐けなくなったんだからな。
今じゃ世の中の人間は二つに分けられるようになった。嘘も本当のことも言わないように黙り込んでるやつか、嘘じゃないが本当のことでもない薄っぺらい言葉をひたすらに並べ立てるやつだ。
しかもウソ阻止機を身に着けていないやつは嘘つき扱いで何も信じてもらえない。

そしてこんな世の中で得をするのは今まで嘘なんて吐いたこともないような根っからのバカ正直なやつか俺みたいな嘘を吐かないで人を騙すことができるような詐欺師だけだ。
本物の詐欺師は嘘を吐かずに真実を操って人を騙す。ウソ阻止機のおかげで絶対に嘘は吐かれないと思い込んでる人たちは面白いように騙される。今日も世間知らずなばあさんを騙して八〇〇万ほどせしめてやったところだ。
本当に賢い人間ってのはウソ阻止機に使われることなく、活用しきってやる人間のことを言うのさ。

だけど悪党にも守りたいものがある。まあ恥ずかしいんだが親ってやつだ。親に胸を張れるわけじゃないが見捨てることもできねえ。……また送金しねえとな。
だけど一つ気になるのが最近送金先を変えてほしいって連絡がきたことだ。まあ俺の親は詐欺師な俺を産んだとは思えねえくらいの正直者だからな。俺の送金にも親切な誰かが送ってくれてるんだろうなんておめでたいことを考えてるに違いない。
また自分が騙されてるなんて思いもしない馬鹿なやつから金をふんだくらねえとな。

偽りを演じる/嘘/ネズミ

今、この会場で私は偽りの自分を演じている。

偽りといっても虚言や経歴の詐称は許されない。そんなものは後々ばれてしまうなんてことぐらいわかっている。重要なのは事実をどれだけ自分に有利になるように盛ることができるかだ。根や葉がうっすらとでもあれば、相手側は私のことを咎めることはできない。もう一歩で嘘というギリギリのラインを攻めていくのがポイントである。そこで必要となってくる勘というのは、ここ何カ月かの連戦で取得した。

この場所では相手の懐にどう上手く潜り込むかということを巡って、熾烈な争いが繰り広げられている。勝負に勝ち残るためには、彼ら好みの人間を演じていく他ない。彼らの頭の中には理想とするイメージが存在する。いわば模範解答のようなものである。私たちに課せられた使命はその理想に近づくこと。

いやそんなことをしなくても私はありのままの自分を受け入れてもらう。そんなことを言いだすやつもいるかもしれない。あまい。断じてあまい。偽りのない自分をさらけ出して勝てるほどこの勝負は優しくなんかない。そんなのよっぽど心の綺麗な人でないとありのままの自分を出しつつ、その上選んでなんかもらえない。

では仮に勝負に勝ち残り選んでもらったとして、その後はどうするんだ。そのまま一生自分を偽って生きていくのか、なんて反論が出てくるかもしれない。だが私だってそんなつもりは毛頭ない。この先ずっと嘘の自分を演じ続けながら生きていくなんて、考えただけでも骨が折れる。大切なのはきっかけだ。今、表に出ているのは私の仮の姿であるが、その姿で判断され選ばれたとしても後でいくらでも修正は効く。この会場において最も重要視されるのは、彼ら側の目に止まること。選ばれないことには何も始まらない。

正直、自分を偽るのはもううんざりだ。彼ら側の理想とするもの、そこに自分を近づけていくためにはどう行動すれば良いのか、そんなことを計算するのはもう疲れた。だがこの勝負の厄介なところは誰かに選ばれなければ終わらないということ。勝ち組になるためには妥協することさえ許されない。だから私は今この瞬間も嘘で塗り固められた自分を演じていくしかないのだ。

会場内に勝負の終わりを告げるアナウンスが鳴り響く。

「今日の婚活パーティはこれにて終了です。最後に最も良いと思った人を選び、紙に書いて係の者へとお渡しください」