「夕方」カテゴリーアーカイブ

バイト/夕方/T

ある町の学童クラブで、スタッフのアルバイトを始めた。

ある日、大学の先輩に、俺学童クラブで働いてるんだけど今度抜けるから代わりに入らないかって誘われて、ちょうどバイト探してたし、何となくついて行った。面接とか研修をちょっとして、そのままぬるっとそこのスタッフの人として働いている。

 

午後の大学の授業が終わってから、のそのそバスに乗ってバイト先へ向かう。マンションと小学校と、スーパーとドラッグストアばっかりある町、いわゆるベッドタウンの中。夫婦共働きの家庭が多いから、学校から帰ったあとの小学生たちの居場所として、学童クラブの存在は結構重要みたいだ。いくつかの小学校から、主に低学年の子たちがたくさん通ってきている。

日が暮れた頃に、お仕事を終えて駅から帰ってきた親がお迎えにくるまで(残業とかで夜遅い時間になる家もそこそこある)、小学生が遊んだり宿題やったりするのを見守るのが、スタッフの主なお仕事。一緒に遊んでと言われたら公園とかに連れて行って一緒に遊び、普段の生活とか友達とかと上手くいってなさそうだったらケアをする。ただ大体のスタッフの人は主婦の方で子育て経験者だったりするから、子供の扱いに長けている。諭したり叱ったりするのは、俺なんかより断然主婦の方のほうが上手い。

そんな感じだから、シフトに1人だけ入っている大学生スタッフ俺の役割は、必然的に若い肉体を積極的に使っていくというのが主になる。小学生のみなさんから、縄跳びを一緒にやれと言われたら一緒に跳び、鉄棒で豚の丸焼きになれと言われたら従順に従い、遊具の高い所から怖くて降りれなくなった子を、じゃあ何で登ったんだとか思いながら抱えて地面に降ろす。

…中でも、「タッチしても、鬼は交代しない」という謎の新ルールが搭載された鬼ごっこ(?)の鬼を、夕方の公園で延々やらされるのが一番嫌だ。ゲロ疲れるから。

 

 

正直犬とか猫とかと同じくらい、あまり子供に興味が無い自分が、ここで働くのってどうなんだろうと思ったりする。学童クラブのスタッフとか小学生と関わるボランティアとかの人は、子供と遊ぶのが大好きな人が就く仕事なんだろうなとバイト始めるまで思っていた。でも他のスタッフの人も、別に子供好きが多い訳ではないみたいだ。働いてた先輩も子供は悪魔だから嫌いだってずっと言ってたし。

学校から解放されて何かスパークしちゃってる子供たちを、みんな優しいけど、適度にあしらって生温かい目で見守ってる気がする。そしてみんな早く家に帰ったらいいのにって、心の中で思ってると思う。(それは俺だけ?)

やっぱり小学生だから、お迎えにきた親を見つけると、照れながらも飛びついてく子も多いし、娘の顔みたお父さんとかもデレっと幸せそうだから、なんとなく学童クラブの存在ってそんな少し薄い感じがいいのかなと思っている。学童クラブに入室するとき、子供たちはみんな「ただいまー」って言って、スタッフは「おかえりー」って返すことになっているけど、別に本当の家とか帰る場所じゃないし。

 

 

仕事内容とか、来てる子たちの顔と名前をだんだん覚えてきて、新しいバイト先にも慣れてきた。ただ、一つ気になってることがあって。

 

あの……お仕事でクタクタに疲れて帰ってくるお母さんたちが、めちゃエロいのだ。どうしようもなく萌えるのだ。ザ・人妻。

バイトの面接の時に、このお仕事はやっぱり小さい女の子が好きな人が来ちゃったりするんだよね~って主任さんにいわれて、ロリ的な趣味は全く無いから、そうなんですか~って言ってたけど。すいません、お母さんたちはちょっと変な目で見てしまいます…。

夕方、会社に行った服装のままネギとかが見えてるスーパーの袋を手に持って、疲れた表情をしてお迎えに来るけれど、我が子の顔を見ると、この上なく優しい慈愛の視線を送るお母さんたちに、エロというかグッときてしまう。なんかよく分かんないっすけど、「大丈夫だよ。。」とかめっちゃ言われたい。

ただ、お迎えに来るお母さんたちを、掃除機かけたりしながらチラチラ見てる変態スタッフは気持ちが悪すぎるから、自分を制御していかないとやばいな…。

八王子の社畜/夕方/さくら

八王子駅。

東京都西部のターミナル駅の一つだ。中央線に乗れば新宿・東京まで1本で行けるため、ベッドタウンとして、朝には多くの通勤通学者で賑わう。

ところで、「駅メロ」というものは知っていると思う。電車が発車するときに、それを知らせるために構内に流れる短い音楽のことなのだが、八王子駅の駅メロは、なんと「夕焼け小焼け」なのだ。

懐かしいメロディ。

「夕焼け小焼け」といえば、全国至るところで夕方4時~5時ごろに防災無線などを通じて流され、子供の帰宅の合図として親しまれているので、読者の中にもこの曲を聴けば、もう夕方かあ、あのころは家に帰る時間だったなあ、と小学生時代を思い出し懐かしくなる人も多いだろう。

 

そんな音楽が、あろうことか朝7時にも流れるのが八王子なのだ。しかも、八王子を通る八高線・中央線・横浜線全てが発車するときこのメロディを採用しているため、朝だろうとお構いなしに夕焼け小焼けが聞こえてくる。毎朝死んだ目をして会社に通っているサラリーマンにとって、自由で楽しかった小学校時代を思い出すこんな感傷的な音楽は刺さるものがあるのではないだろうか。

休日出勤のサラリーマン。生きるために働いているのか、仕事のために生きているのか分からなくなるような過酷な労働。心は荒み、あのころの純粋さはもうない。そんな時、駅を発つときに聞こえるメロディは、子供の頃、近所の友達とボール遊びをして、疲れたら駄菓子屋で10円ガムを買って、あたりが出ないか楽しみにしていた、そんな頃を思い出させるあのメロディ。

いやいや、発狂するでしょ。

 

まあ、実際は、「こんな時間にこんな曲かよwwww」→「いやもう慣れたわ」って感じみたいなので、ここまで悲観的な分析をする余地はないみたい(あればとっくに廃止されている)なので、問題はないみたいなのですが、辛いときに楽しかった昔を思い出させるなんて相当な拷問ですよね。ポケモンのダイヤモンドパールが10年前なんて、考えたくないし。

余談ですが、うつ病の人を慰めるのは、かえって逆効果だそうです。ホームで懐かしい音楽を耳にして、自分が惨めになって…

 

◆運行情報◆中央線は、八王子駅での人身事故の影響で、一部運転を見合わせています。

存在と看過/夕方/ふとん

放課後にどこかに寄るか、家に帰るかして、ふと外を見ると真っ暗になっていることばかりで、夕方なんて無いことになっている。

4限が終わったあと、たまに男友達と2人で学食に行くことを、彼氏に言っていない。
たわいのない話をするだけで、その友達を好きなわけではないし、浮気ではないし、言っても彼は怒らないと思う。

そう考えていること自体が、自分が自分に言い訳しているのだと気づいてなんとなく嫌になる。

男友達を好きなわけではない。
じゃあなんで、彼氏という単語を発さないように気を使っているんだろう。
旅行に行く話をして、1人で行くの?と訊かれたとき、ちがうよ、の後に、彼氏と、を言わなかったのだろう。
あっちはなぜ、ドライブに行った話をした時に、彼女と、を隠したのだろう。

お互いがお互いの話の中に恋人の存在を感じ取ったときに、一瞬気まずいような空気になるのを気づかないふりして、そんなことない、と何食わぬ顔で必死で振り払っているような関係。だと思っているのは私だけで、相手はなにも考えてなかったらいいと思う。

彼氏は私を大切にしてくれていて、私は彼氏のことが好きで、それだけで私は幸せなのだから他に何も考えたくない。

非日常が欲しくてとか、違う人を好きになってしまったとかよくある浮気と不倫の理由だけど、本命の相手への愛が無くなってしまったことってほとんど無いんじゃないかと思う。

本当にそんなつもりがなかったのに、たいして好きなわけでもない人と雰囲気に流されてしまうことは、思っているよりも簡単に起こってしまうことだから気を抜けない。

これは私だけではなくて彼氏にも言えることで、グレーな行動をされたとき、責めると思うけど気持ちは分かってしまうと思う。
いっそのことお互い1回くらいずつ反省するようなことをしてしまったほうが気が楽になるかもしれない。

このあたりは山が多くて、日が沈むのが見えにくかったりするのだろうか。今の私に空を見上げる余裕がないだけで、夕焼けは毎日存在しているのだろうか。
たぶん、日本で発生した夕焼けは、夏休みに小豆島の丘の上のホテルから見た、海に沈んでいくあの夕陽で最後だったのだ。

最後の夕焼けを好きな人と見ることが出来てよかったと思う。またすぐに見ることが出来るかもしれないけどそのときも彼と見たい。

自分にとって誰がいちばん大事なのか分からなくなったときは、あの景色を思い出すことにしようと、今決めた。

心地好い風/夕方/きりん

日本料理店、山路。今夜もちらほらと暖簾を揺らして、お客がすいこまれてゆく。

「ようこそ、いらっしゃいませ」
日も暮れた夕食どき、18時に現れたのは中高年のカップル。白髪の男性が連れのために暖簾を押さえて、先に通した。最近旦那は隠居を始め、奥方はエアロビクスを極めつつある。2人でこの店に来るのは記念日や、気がむいた時の偶の贅沢。予約をとって、ちょっとしたデートを楽しむ。
18時半、女性の二人連れ。久々に二人でゆっくりとごはんを食べようという話になり、なら私がいつもランチで行く和食に、夜行ってみようか。ということらしい。食事とお喋りへの期待に笑顔がこぼれる。
仕事とプライベートの中間、背広姿の男性らが暖簾をくぐったのは19時を過ぎたころ。内の一人は店の常連だ。今や昔の話と言われようとも、商談相手と美味しいもの、美味しいお酒は欠かせない。勤め先が近いこともあり、ここに店が出来たころからもう随分長く通い続けている。
出汁やお肉、お抹茶の香りに満ちた穏やかな空間の窓で、巨大観覧車の時計は静かに時を刻んでいく。

「来月いっぱいでお暇をいただきたいと思います」
「お暇とは?」
「職を辞するということです」

辞めるのは苦手だ。小さい頃の習い事、塾、サークル。体のどこかに、終身雇用制とか、永遠の忠誠、とかが染みついているのだろうか。相手が死ぬまで死なば諸共みたいな。自分の名字からすると、多分ご先祖は農民なはずだが。

「理由は?」
「資格の勉強を始めましたので、学業に専念したいと思いまして。また再来月には学校の研修で約3週間、シフトに穴をあけてしまいます」

店長にはあっさり承諾され、これからもよろしくと挨拶をしてシフトを上がった。和装ロッカールームで足袋を脱ぎながら、一人ほくそ笑む。うん、辞めて欲しそうだったもの。こちらの要領が悪過ぎて。
料理の蓋をつけ忘れる。注文の変更を伝え忘れる。先輩に注意されて慌てて直し、そこまで目をつけられている自分とか、そこまで使えない自分とかに対して今さらながらに失望。周りの人にとっては、なんて言うまでもない。
年中18度設定の空調だけが気持ちをとりなすかのようにゴウンゴウンと奏で続ける。ロッカーの隣に設置された壁面鏡から、なんとなく目を背ける自分がいる。
汗だくで重い制服を引っぺがして、髪を解き、さぁ帰ろう。

とっくに日の暮れ切った22時の帰り道は、なぜか夕方のように優しい、穏やかな風が吹いているような気がした。

家路/夕方/あおいろ

帰宅ラッシュの電車から押し出されるようにして、最寄りの駅を降りた。

人々は、各々の向かうべき場所に向かって足早に進んでいく。私も、いつもの癖で改札を出て左に向かう。

 

町によって漂う空気は違う気がするけれど、この町に漂うけだるい空気は何だろう。

賑わう二つの駅にはさまれたこの町は、どこか元気が無くて、周囲に忘れられているかのように感じられる。

 

駅から少し歩くと、あんなに人がいたのが嘘のように人はまばらになった。

広くなった空は、太陽が傾きかけていて色が薄い。

 

帰りたいけど、帰りたくない時間。

 

言いようのない寂しさを包含したこの町には、何かが終わっていく気配のする夕方がとても似合う。

 

ふと、きまぐれで家への最短ルートから外れて脇道に入る。

別段用事があったわけでは無い。少し、散歩をしてみようと思った。

古ぼけた商店が少し続いた後、落ち着いた住宅街に入る。

闇を帯び始めている町には、ひとつ、またひとつと灯りが増えていく。

 

 

あれ、こんな道……あったっけ?

気付くと、自分があまり見慣れない住宅街に迷い込んでいることに気付く。

まあでも、そんなに外れた道には来ていないはず。歩いてたらそのうち見知った道に出るだろう、と深く気にせず歩き続けた。

でも、自分がぼんやりしているせいか、それともこの黄昏時のせいか。

……さっきから同じ場所をループしているような感覚に囚われるのは、果たして気のせいなのだろうか。

 

何だか本格的におかしい、と思い始めたころ、目の前に黒い木立が現れた。どうやら小さな公園らしい。子供たちは帰った後なのかおらず、他の利用者もいないようだった。

恐る恐る入ってみる。

そこにはいくつか遊具があったが、私の目を引いたのはブランコだった。

少々歩き疲れていたこともあり、荷物をてきとうに置くとブランコに腰掛ける。

そして足でつっぱって後ろに引いて、パッと離す。小さくスイングを始める。タイミングよく地面を蹴ると、スイングは大きくなる。その、繰り返し。

ぴゅうう、と風を切るのが楽しくて、上り詰めた時に浮遊感とそこから一気に加速するのが楽しくて、私は漕ぐのをやめることができなかった。

 

こうしていると、童心に帰ったような心地になる。子供のころ近所の友達と鬼ごっこして遊んだ公園にもブランコがあって、夕方になって友達が帰っていく中、残った人だけでよくブランコをしたものだった。夢中になって乗っていると、つい時間を忘れてしまって、心配になった親が私を連れ戻しに来てたっけ……。

 

 

――――。

 

 

ぐいんと後ろに引っ張られる感覚と、何かが聞こえた気がして、私ははっとした。足をのばして地面を掴み、少々強引にブランコの動きを止める。

 

今、誰かに呼ばれたような……。

 

立ち上がって辺りを見わたすも、見知った人影は無かった。その代わり、ここは私が小さいころに遊んだ近所の公園であることに気が付いた。

ほっと、体の緊張が解けていくのが分かる。

見上げると、暗くなりかけた空には朱に染まった雲が浮かんでいた。だいぶ日が傾いてきたらしい。

私は、ズボンのお尻を少し手で払うと、置いてあった荷物を持ち上げた。

 

さあ、帰ろう。

呪文とファスナー/夕方/エーオー


小学生のとき、笑いたい気持ちをころす呪文をつくることにした。

 そのころ流行っていたのは好きな人がいるかどうか友達に聞いて回ることだった。人のが聞けると嬉しいけど、自分の好きな人がばれたらその後は地獄だ。でも結局「好きな人いる?」と言われたときに、どうしても我慢できずににやけてしまうから(なんでだろう?)、おまえいるんだろ! と白状するまで問い詰められる羽目になる。

 これはめちゃくちゃ理不尽だと思った。だから、次に聞かれたときのために俺は笑わない訓練をした。
 まず、笑顔をつくる。そして友達に聞かれるときの状況をシュミレーションする。「好きな人いる?」という言葉が頭の中に響いた瞬間、口角を下げて真顔をつくる。笑っては、真顔に戻る。これを何回か繰り返したら、もう「好きな人いる?」と脳内で唱えるだけで、気持ちが勝手に下降して冷静になって、笑えなくなる。
 これ、本当に効く。好きな人を聞かれたとき以外にも、たとえば笑いすぎて腹がいたくなってきたとき、この呪文を唱えるだけですっと普通の状態に戻れる。だから使いようによればかなり便利だった。そして、俺はひとつ学んだのだ。「好きな人いる?」というそれだけの言葉で、おかしくてたまらなかったはずの気持ちなんて完全に殺しきることができる。

 気持ちなんてそんなもんなのだ。それだけの、もんなのだ。
 ふと思う。じゃあ、すべての気持ちに呪文をつけたら。


「するとくまのお父さんはなきました。『ええ~ん、ええ~ん』」
「えっ、おとななのに泣くの。へんなの」
「感動したときとかはさ、うれし涙とか聞いたことあるでしょ」
「ママも泣く?」
「ママが泣いたらリコが困るでしょ」
 齢、十七才。恥ずかしながらこの年で小児科に通っている。
 泣きながら怒られている男の子がいる。読み聞かせをしている親子もいる。そんな待合室にひとり学ラン姿で立つというのは、自意識過剰な思春期の真っただ中の身にはきついものがある。
 だが、今さら別の医者に一から自分の症状を説明するのもめんどくさい。そんなわけで幼少期からずるずると通いつづけている。
 無秩序な奇声が飛び交う。兄妹もいたのでうるさいのには慣れっこだ。あまり気になる性質ではなかった。
「野上さん。野上夕さん」
 見るともなしに声のする方を見る。支払い受付に向かっていったのは水色のランドセルを背負った小さな少女だった。学校帰りらしい。まじか。俺があの年のとき、流石にひとりじゃ病院いけなかったぞ。慣れているのか少ない動作で会計は終わった。
 なんとなく、またプライドが傷つく。しばらくして名前を呼ばれ、支払いを済ませ薬局で薬をもらった。

 さて、家に着くや否や近所で不審な動きをする人物を見つけてしまった。
 その人物はまずある家の植木鉢を片っ端から持ち上げたり、ポストを探ったりした。しまいには水道管の蓋も開けてのぞく始末だったが、目的のものは得られなかったらしい。すると今度は家の周りを一周し、一階の窓に手をかけてまわっていく。
 その家の表札には野上とあった。
 あやしく動き回っているのは、他でもないあの野上夕と呼ばれていた少女である。
 なぜ彼女は自分の家を外から物色しているのだろう。まあ、見当はつく。あれだな。あいつ家の鍵を学校に持っていくの忘れて、家に入れないんだな。車庫は空だ。親は出かけているようだ。
 自室の窓からまるまる様子が見渡せた。ほうっておいても大丈夫だろう。自分も何度か同じ体験をしたが友達の家に避難するなどして切り抜けていた。雨が降る気配もないし、秋だから厳しい気候でもない。というか、小学生女児に面識のない男子高校生が話しかけるのは、ちょっとね。犯罪臭がね。
 大丈夫、大丈夫。
 まるで自分に言い聞かせるような調子。

 ところが一時間ほどたち日が傾いてきたころ、まだ少女は自分の家の玄関の前でうずくまっていた。
 風がだいぶ冷たくなってきている。日中は暖かかったからか、少女は長袖の薄手のシャツ一枚だ。さすがに寒いだろう。座ってしまって動く気配が全くない。え、なに。まさか一家全員出ていって、あの子だけ捨てられたとかないよな? 嫌な想像が膨らむ。
 なんだか、見ないふりをするのも精神力を使う。意を決して少女の家に向かった。いざとなったら交番につれていくなりなんなりすればいい。どこかで風がびゅうびゅうと、木の扉を揺らして音をたてている。

 風ではなかった。喘息の音だ。
 近づいて初めて少女が動かないわけが分かった。がらがらがらと音をたてて苦しそうに息をしている。動けないのだ。なったことがあるからわかる。喘息だ。この時期は出る。
「大丈夫? 家の人もうすぐ帰ってくる?」
 思わず背中をさすりながら尋ねる。首を振った。答えはノーだ。発作が起こっているから喋るのは無理だ。細かいことは聞けない。どうする。救急車か?
 途方に暮れて周りを見渡した。そのとき目に入ってしまった。
二回の窓、あいてる。
それは充分危険な発想だった。あとから考えればもっと別の策もあったはずだけど、そのときはパニックで阿呆になっていたのかどうか、これしかないと思ったらしい。
「家の中にさ、吸入器ある? しゅーってやつ」
 喘息患者に渡される水色の携帯用の吸入器。即効性があり、発作はすぐに治まる。俺は持っていない。使いすぎるから医者に処方されなくなった。
 少女は頷いた。答えはイエス。
 裸足になる。上着も脱いだ。家の横にある塀にも足をかけながら、なんとか窓枠にしがみついて入り込む。

 完全なる犯罪である。不法侵入である。足取りも自然忍び足になった。さっさと用を済ませよう。素早く一階に降り、食卓の上に吸入器を発見した。
 ふと、リビングから隣の部屋が見えた。懐かしい。誰もが一度は寝かされていた、ベビーベッドだ。オレンジの陽が、赤ん坊の耳たぶのように柔らかそうな白いシーツを温めていた。

 ずっと残っている一才の頃の記憶がある。
 昼寝から目を覚ますと母親の姿がなかった。家にひとりだけで、不安になって泣きわめく。窓を開けておかーさんと何度も叫んでいると、そのうちに母親が買い物から帰ってくる。
 そういうことを何度も繰り返した。何度も何度も窓を開けて泣き叫んだ。そしてある日、はたと昼寝から目覚めても泣くことはなくなった。
 たぶん、学んだのだ。母親は必ず帰ってくるということ。そして、自分が心から誰かを必要として泣きわめく瞬間に、そういう人は絶対にあらわれないこと。世の中そういうものだということ。

 閉められていた鍵を開けた。玄関を開けると少女の濡れた頬に夕陽がぺかぺかと反射してまぶしい。吸入器を渡す。それを吸い込むと少し落ち着いたようだった。


 そのとき車の向かってくる音がした。まずい。俺は道理を通さずに逃げ帰ることにした。大丈夫。犯罪者だろうか。なんとかなる。とりあえずあれだ。病院変えたい。
 部屋に戻り窓から外をのぞく。少女の家の車庫に車が収まったところだった。
 そして、朱の空の下でファスナーが開くのを聞いた。
 赤ん坊の泣き声はそういう音がした。初めはストローの蛇腹を伸ばした時のようにぷつりぷつりとひっかかりながら、突如おおきく開いて泣いた。しまいに、少女の泣き声も重なって二重奏になった。
 その調子だ、と思う。いつかママだから、パパだから、大人だから。世の中そんなものだからとか、そういう呪文で気持ちを殺さなければいけない時がくるのなら、せめて今だけは子どもの時だけは、ファスナーを全開にできる日が多くあるといい。

あなたはきっと騙される!/夕方/ノルニル

こんにちは。管理者を兼任させてもらっているノルニルです。
毎度のごとく、いままで撮ったもので「夕方」ワークショップのヘッダに使える写真を探していたところ、どれにするか迷うほど候補が見つかりました。

一応新しく撮影にも行ったんですが、結局9月の末に撮ったハイドランジア(西洋アジサイ)の「エンドレスサマー」を選ぶことに。
夕日がアジサイの花に映って、光の柔らかさが際立ったのが理由です。

さて、前置きはこのぐらいにして、今回新たに気づいたことがありまして。というのも、

なんかこれ、エモくない?
なんかこれ、エモくない?

エモい写真にそれっぽいキャプションつけるの想像以上に楽しくない?ってことなんです。ここでは、あくまでも「それっぽく」がポイント。

最近巷では、分譲型集合住宅の広告などで見かける売り文句、いわゆる「マンションポエム」が人気を博しているそう(高台のマンションの広告に「ハイエンドな生活を、この手に。」みたいな)。

せっかくなので、ここはブームに乗っかり「夕方」にまつわる写真について、勝手にシチュエーションやストーリーを盛っていきたいと思います。

 

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ほら、エモい

まず手始めに、湘南江の島の夕景から。フリー配布されてるタウン誌の一ページみたい。エモいかも。

『シン・ゴジラ』で見かけたようなフレーズ
『シン・ゴジラ』で見かけたようなフレーズ

上野駅の平行な線路も、キャプションを入れることで人の営みを感じさせるものになりました。うん、エモいね。

新海感あふれる空模様
新海感あふれる空模様

自然光撮影では、空に合わせて露光を調節すると、地上の風景がどうしても暗くなってしまいます。HDR(ハイダイナミックレンジ)で調節することもできるのですが、基本的に静止画に限られてしまいます。
新海作品を含むアニメはこの明るさを自由に補える点が実写映画に比べて強いです。

ポカリは青春のイメージ。右下のポップ体はもっと頑張れるはず
ポカリ=青春。右下のポップ体はもっと頑張れるはず

「潤う」「渇く」など入れるとそれっぽくなる気がします。ポカリスエットって、ラベルのデザインからしてノスタルジーを感じさせます。

メンヘラ・チューナビョリティ400%
お前はいったい誰に尋ねているんだ。メンヘラ・チューニビョリティ400%

きのこ帝国あたりが流れてきそう。夜桜もいいですが、夕方の桜は少し燻んだ色になるのがまたいい。

広告風に作るのがいちばん楽しいかも
広告風に作るのがいちばん楽しいかも

飲み屋街はどこを撮っても画になりますね。ネオンと街灯りのバランスが整っているせいかも。

KAGEROU的な
KAGEROU的な

強い日差しを表現したいときは、風景を暗くしてシルエットだけを残します。本来は海岸での日没撮影に使うテクニックですが、川にかかる鉄橋で試してみたところ、予想外にいいものになりました。

もはやただの鉄道広告
日本語に直すと「てつどう!(TETSU-DO)」。もはやただの鉄道広告

一眼レフの魅力は感度の良さと、画角の作りやすさだと思います。なんといっても、機械を弄る楽しさが格別ですが。
こうしてちょっとした遊びに使える手軽さもいいですね。

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やっつけ感を隠しきれない。こんな広告、例えお金を貰ってもお断りだろう
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背景がよければキャプションもそれっぽく見えてくる。不思議!

「エモい」、確かに便利な言葉だけど、ここまでくるとゲシュタルト崩壊を起こしそう。
夕方にまつわるポエムは尽きませんが、紙幅の都合もありますしこの辺りでお開きにしたいと思います。

 

写真の良さを全力でぶっ殺しに行ってる感じもありますが、やはり夕暮れ時は情感たっぷりで、撮影するにも最高の時間帯です。
もしかすると青春時代、とくに下校時刻を思い出して甘酸っぱい気持ちに浸れたという方もいるかもしれません。

そんな中非常に申し上げにくいのですが、ぼくの不徳の致すところで、この中に一枚だけ「明け方」の写真が紛れ込んでしまいました。

まあ、でも何も問題はありません。エモい文章を書かせたら天下一品の清田スタジオ生が、エモさの代名詞である夕焼けと朝焼けを間違えるなんてわけないに決まっています。うん間違いない。

 

というわけで、どの写真が早朝か?という問いは宿題にしておきたいと思います。

ぶっちゃけ朝焼けと夕焼けは全く同じ原理のため科学的には見分けるすべがないのですが、文化的には意味合いが明らかに異なるはず。そこにヒントがあると思うので、ぜひ予想してみてください。

WS当日、答え合わせできるのを楽しみにしています。

unlock/夕方/ちきん

ときが過ぎるのが、はやくなってきたと思う。たとえば20歳なら、同じ長さの時間が1歳のときの1/20に感じられるというから、それはさすがにはや過ぎないかと、焦った。ここからさらに、大人数でケーキを分けるみたいに、時間の取り分が削られていって、何もしないうちに1日が終わって、一つひとつの季節が掛け替えのないものだったのに、ただぐるぐるぐるぐる何周目かもわからなくなっているうちに、あと80回、秋が来るかこないかくらいで死んでしまうのか。

 

もう3ねんせいだから、授業が始まってからお水を買いに行くし、昼休みは1人で気軽にレストランに入って、ヘッドフォンをして映画を観て、朝は3時に起きて課題を始め、おやすみがあるとわかればすぐに特急電車の切符を手に入れる、洋服はたくさん買うけど、もう、ハンガーの数が全然足りない、今日が何曜日かもわかんない、あっとうてき経済力と、精神的余裕を見せつけていかねばならない。

でも、いくつアンロックを重ねても、自覚がないから、何度もなんども同じ傷つき方をして、同じ言語で語って、分かり切ったことを教訓にして、ばかなんだねと、死にたくなってしまう。

 

日が暮れると、毎日、今日が今年の中でいちばんつらい日だ、と思う。でも、私がつらくて死にたいと思っても、死ねないのは、たぶん、人はちょっとした失敗とか時間差とか勢いで、ほんとうに簡単に死んでしまって、死んでから、あの1秒を巻き戻せたらとか、あのときの選択をひとつ変えられたらとか、どんなに考えても叶わない、何ができたって過去だけは取り戻せない、その無力感の方が、今死にたいと思っているつらさよりも、圧倒的につらいと思うから。

何を言っているのかわからない。死んだらなにも考えられないのに。でも、だからどうしても、生きることにしがみついてしまう。

 

常に、自分だけが大切なことに気付いている状況の歓びだけを、エネルギーにして生きてきた気がする。文章を書き始めるときの、不思議な高揚感は廃れない。だけど、あらゆることに関して、表現する力を持たないだけで、ほんとうはみんな知っているのだと悟ってしまったら、あとは、だいすきなひとの期待を、引かれるくらい上回れるように、闘っていくしかない。プレゼントは、絶対に私にしか選べないものがいい。

いつか死ぬまで、緩やかに駆け抜ける日々を、そうやって消費していくしかない。

深夜、夕方/夕方/YDK

横浜駅西口五番街が最も賑わう19時から21時くらいの間。仕事終わりのリーマンとそれにもたれるOLで賑やかすぎてうるさい。喧騒を聞き流すためにとりあえずタバコに火を灯す。ジジっという葉の焼ける音とともに白い煙がわたしの歩いた後を残す。それもあっという間に人混みにかき消されてしまうのだけれど。

わたしにとっての夕方は今。朝8時に起きる人にとっての夕方が9時間後の17時なら、昼過ぎに起きるわたしにとっては今がちょうど日の入りだ。ようやく体が夜に合わせて昂ぶってくる。今日はどこの雀荘に遊びに行こうか。それともテキトーに人を呼びつけて飲みに行こうか。そんなことを考えながらドンキホーテの前を歩く。いつでも他人と連絡が取れるこのちっちゃい箱に目を落としながら、1人を楽しんでいるふりをしている。

LINEを閉じてTwitterを開く。「暇なう」なんてつぶやけば、間抜けな通知がぽろぽろと鳴る。いいねの通知は無視しながら指を上下に動かすだけで、たやすく見つかる淋しさを埋めてくれる人。今日はこの子の気分だからこの子にしよう。いいねを押してLINEを送る。リプだと他の人から見られた時にだるいから。そして本気で会うつもりなのを伝えるためにLINEをする。独りを楽しむ、なんてやっぱり嘘だったみたいだ。それならSNSなんて一生使うわけなんかない。かまってちゃん?メンヘラ?そんなの人間なら当たり前でしょ。人生楽しんだもん勝ちだと思っている私からしたら、全てどうでもいいことだ。

「今」が何より大切。(未来を見たくないだけ)

さて、待ち合わせはいつもの相鉄交番前。必死なフリをしている、やたらハイテンションな金髪のキャッチを無視しながら今来た道を後戻りする。自分の吐いた煙がまだ残っているような、残っていないような。

私の夜は、今から始まる。