「夢の対決」カテゴリーアーカイブ

愚かな行為/夢の対決/縦槍ごめんね

柿ピーって、あるじゃないですか。あのお酒のおつまみにぴったりなやつ。みなさんて、柿とピーナッツてどちらが好きですか?
これは恐らく、人類のテーマだと思うんですよね。あの、ピリッと辛い柿の部分派かほんのりと甘いピーナッツ派か。まぁ、こうやって考えても、今すぐ食べれるわけじゃないから、わかんないよ。なんて声が飛んできそうなので、分かりやすくするためにこの二つを別の物に置き換えてみることにします。

柿とピーナッツどちらが好きか、これはこの対立構造に結びつけることができます。黒木メイサが好きかトリンドル玲奈が好きか。この二つだとどうでしょうか?
駄目でしょうか?いかにも柿顔の黒木メイサ派かピーナッツ顔のトリンドル玲奈か。これは中々、迷いますよね。でもドラマに二人が出てるときの役によって結構、迷ったりするんですよね。僕なんかはごめんね青春のトリンドル玲奈は好きだけど、普段が好きかと言われると、また違うし、黒木メイサはここだけの話ドラマとかの役とかよくわかんないので判断のしようがないですよね。多分、大体の人がそんな感じなのではないでしょうか。そこで、もっともっと場面を限定してみましょう。

黒木メイサが好きか、トリンドル玲奈が好きか、ではなく。黒木メイサとトリンドル玲奈が告白してきたら、どちらと付き合うかという所までおとしこんで見ましょう。うーん。これは非常に難しい問題ですよね。まず、この二人が僕なんかに告白するビジョンが見えない。あまりに非日常すぎて、妄想の範疇を越えてしまう気がするんですよね。

あくまで、我々庶民の妄想力で、カバーできて、尚且つ、分かりやすい例え。もうこれしかないでしょう!
柿ピーのピーナッツを押し付けてくる黒木メイサか柿部分を押し付けてくるトリンドル玲奈か。メイサが「私、ピーナッツ食べれないのよね。あんたにあげるわ。」って言うのにドキッとするか、玲奈に「ごめんね、柿が辛くて食べられないの。食べてくれる?」って言われるのにドキッとするか。これはいいシチュエーションですね。

ちなみにメイサを選んだあなたは、雑に扱われるのにときめく人。ラッキー柿ピーはは柿ピーの柿部分。玲奈を選んだあなたは尽くされることにときめく人。ラッキー柿ピーは柿ピーのピーナッツ。

まぁ心理テストみたいになってしまいましたが、考えてみて分かったことがあります。メイサも玲奈も好きなんですよね! だからこそ柿とピーナッツで柿ピーなんです。これを分けようとするなんて愚かな行為です。愚行です。二度とこんなこと考えないでください。

闘いの火蓋は突然に/夢の対決/ばたこ

それは足音一つ立てずにやって来た。

深夜、誰もいない部屋で、一人ミルクティーをすする。至福の一時だ。誰にも邪魔される事などなく、優雅に浅いまどろみに漂う。永遠にこんな時間が続けば良い。永遠なんて言葉が儚い事は知っていても、今だけは信じていたいなんて、そんな、淡い夢うつつをジャズなんぞと共に満喫していた。

刹那、それは訪れた。うっ、と多少の呻き声を漏らし、直前まで握っていたマグなどには目もくれず個室に駆け込む。理由を考えたが、思い当たる節はただの一つもない。思考に反し、全くもって理不尽に、胃の表と裏とがひっくり返される。先ほどまで優雅にまどろみを与えていたミルクティーは、いたずらにこの身を傷付ける害悪と成り果てていた。

気付けば突き刺すような悪寒。身体を小刻みに震わせど、それは離れてはくれない。いつ?どこで?膨れ上がる疑問をよそに、身体はその震えを増していく。このままではいけないと、咄嗟にガスコンロを取りに行き個室にて火を点した。

暖をとり、束の間の休息を得る。が、次がやって来た。ただ一つの痛みも予兆もなく、今度は腸から物が逃げていこうとする。すんでのところでそれを制止し、体勢を変える。間に合った。抑えていた衝動を開け放ち、流れに身を委ねる。電車でふとした時に訪れることなど、こいつは元来気まぐれなのだ。だが今回はお遊びが過ぎる。どんなに酷く調子を崩したとはいえ、痛みの一つもなくやってくるのは筋が違う。しかもほとんど液体。これでは何が起きたのか、判別さえつけることが出来ない。

リビングに戻ればジャズが聞こえた。先ほどまでは優雅に流れていたそれは、今ではその姿を変え、けたたましくこの身を震わす。音楽を止めようとすれば次の波がやってきて、コンロで酸欠になった個室へ駆け戻る。この繰り返しの中で、とうに脳は理解を諦めていた。理解なんざ溝に捨てちまえ。いつか聞いた台詞が頭をよぎる。

上と下から水分を吸いとられ、口の中が渇ききっている事に気付く。兎に角身体を潤さねばと口に含むが、それは間もなく入ってきたときと同じ道を通り身体から逃げていく。気が狂いそうだった。こんな苦しみが続くのであれば、命などは惜しくない。嘘も冗談もなく、そう考えていた。

四時間ほどこれを繰り返し、ようやっと眠個室とリビングの往復から抜け出し布団に入った。暖房を最大火力で焚いても悪寒は止むことが無かったが、寝ていなければ渇きに耐えられそうも無かった。胃が下へ下へと下っていき、腸が上へ上へと上っていく感覚。その衝突が睡眠を阻害する。精神が磨耗し、限界を感じた時、いつの間にか眠りに入れていた。

目を覚ませば症状は大分収まっていた。なんとか水分を口に含んでも戻さずに済んだ。鏡の前に立ち、自分の顔を眺める。身体中から水分が取り除かれた上に暖房にやられ、肌は幾らか剥げ落ちていた。

最悪の瞬間は突如訪れる。それに向けて準備を整えることは、不可欠だろう。この文を読んだ皆には是非忘れないで頂きたい。

ノロウイルスの恐ろしさを。

番宣にくる芸能人的なもの/夢の対決/YDK

えー、今回夢の対決ということでわたしが持って来たテーマはこちらです!

「お菓子」

と、ひとくちでいってもお菓子というジャンルにおいて比べるものはたくさんあります。さて、何を比べましょうか…。みなさんはどんなお菓子が好きですか?甘いものしょっぱいもの、チョコ系、いろいろあります。1つには絞れそうにないので、3つの戦を用意しました!それぞれについてわたしの意見も添付しておきます。みなさんはどう思うか是非コメントにでも。

①果汁グミVSピュレグミ
さて、粉がついてるのがいいのかグニグニしてる方が好きなのか。個人的には果汁グミ推しですが、夏場は前者の方が溶けて袋の中で1つになっているイメージが強いです。あとなんかピュレグミの酸っぱさって歯にくるんですよ私。あ、めっちゃ唾液出て来た。

②ポテチVSチップスター
芋対決。最近思うのが、チップスターもいわゆるポテチも両方一応ポテチなんだなと。(伝われ)なんでポテチの方をポテチというんだろうか。まぁいいや。私はポテチ推しです。ちなみにコンソメ。チップスターが均一に味がついてるのに対して、ポテチはパンチ👊っていう感じで味が濃いところが存在するのが好き。あとチップスターは少し厚くて舌触りザラザラ感が個人的に合わない。

③ポッキーVSトッポ
たけのこときのこくらいメジャーな戦いをトリにもってきました。これはどう考えてもポッキー。異論は認めます。やっぱりね、手が汚れないってすんごいメリットだと思うんですよ。トッポは意外と手につくのね。先っちょから出てきたチョコとか(特に夏)それに比べてポッキーの持ち手の安心感。愛してる。ただひとつ注意点は開け口のミス。あれ失敗したらポッキーの魅力の78%は減ると考えていい。

今、面白くない文章を書いてる自信がある。

どうしてこの自由なテーマ設定において私がお菓子なんていう普通のことを書いたのか。ほんとは「セックスをするなら男か女か」とか「レズ対ゲイ」とか考えてたのに…。

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どーん。私の所属してる団体でこういう企画やるからきてね。それだけのことでした。みなさん待ってまーす。

胸部二種/夢の対決/なべしま

現在深夜一時、知能は極めて低下しIQは2をきると言われる時間に申し訳なくも文章を書いているものの全く頭がはたらかぬ。
ところで深夜の法則というモノがあって、修学旅行の経験値が物を言うのだがこんな時間には胸部にしか思いをはせられない。

胸部は男女問わず身についているものであり、己の乳を一度は揉んだことがあるだろうが自分のものを揉んでもつまらないのは不思議。しかし両者の甲乙はつけがたい。ともかくそれを議論する今私の理想形を述べてみよう。

まず胸と言えば豊満な女性のたわわな膨らみを思い浮かべる人が多かろう。私も好きだ。大きければ大きいほど良いので貧乳は認めないものとするが、かといって高望みはしない。手のひらで包み込んだときに余るくらいが心地良いのである。大きくてふっくらしたのを手中にするは愉快だろうが、果たしてそれを十分に扱うことができるだろうか。否、己の手のひらに合わせるべきなのだ。己の身の丈を知り、そう手に余るほどの胸を手にして如何とするか、むしろ乳が勿体ない。そのかわり手の形に柔らかく食い込む肉体の妙は他には代えがたい。身体は肉と形容されるが、肉を揉みたければ肉屋に行けばよい、乳というものは不思議な快感をもって優しくこちらの身を包むのである。

かといって胸筋(俗称を雄っぱい)というのも、これはまた魅惑の外見をもってこちらの脳髄を刺激する。しかし、哀しいかな、事実胸筋というモノを手中にしたことは未だなく、極めて自慰的想像の域を脱しないことを謝罪しておきたい。
となれば自然その外見に幻惑されざるをえない。一説によれば鍛錬を重ねた良い筋肉とはただ固いだけの肉にあらず、想像もつかぬ柔軟性を持っているらしい。指を這わせればほんの少し、指先一つ、恥じらいがちに凹むのだ。乳がその膨らみを楽しむものならば、胸は凹みを愛でるものであると言えるかもしれない。
さすれば胸筋は魅力に置いて乳に劣るのであろうか、その感触の快感において乳と同じならば、というのは早まるものでない。胸筋のふくらみというものは乳の膨らみに負けず劣らず強力な魅力を持つ。筋肉のふくらみというものは、己で膨らみ、という魅力を押し殺すような謙虚さが見て取れるのである。乳の膨らみというものはまず膨らんでいる状態が自然であり、つまりそこになんのてらいもない。一方筋肉は己が膨らんでいるとは思っていない。無防備なふくらみ、そこには成長を続ける少年少女のような初々しささえ感じられる。また年を経た筋肉には、おのれで練り上げた上での自身が確固として存在しているのである。なんと複雑な性格を帯びた存在なのであろうか。胸筋とは、見つめられる存在としては、乳の上をいくのではないかとさえ思わせる。

ではどちらを優とし劣と断ずるか。
思うに乳は揉むもの、胸は見るものだ。乳の魅力とはその柔らかさ、優しさにあるとしたら、そこに存在する魅力とは感触に列席をなすものといえる。魅惑の外見も、揉まれることを私たちの意識下に期待させる。
それに対し胸は曲線、そしてどのように見えるのか……着物から垣間見えるものなのか、あるいはカソックのような身体に密着するような衣服の下に主張するものなのか、そうしたものに工夫が凝らされる。そして胸でしかない存在に愛おしさを覚える。

世の中には乳を愛する者の多けれど、胸の愛する者はどうか。いいや、いるのかもしれないが、それが風潮となるには少々肩身の狭い。
乳を持つものも胸を持つものも、是非ともその存在を恥じずに世界に向いてもらいたい。とは締めてみるものの、各方面から怒られそうではある、ジェンダー的に。

ああ、神様お許しください/夢の対決/ヒロ

 神々と人間が戦ったならばどうなるのだろうか。
手元にあるクトゥルフ神話TRPG のルールブックを見てそんなことをふと思いついた。

TRPGやクトゥルフ神話を知らない人のために軽く説明をしておこう。
TRPG とは参加者同士のコミュニケーションによって物語を作り上げていく遊びだ。略さずに言うならば、テーブルトークロールプレイングゲームになる。基本的には参加者の一人が「ゲームマスター」を担当し、遊ぶためのシナリオを用意する。残りの参加者は「プレイヤー」を担当し、そのゲームの世界に存在する人物を作り上げ、その人物になりきってシナリオを遊ぶという遊び方をする。
MMORPGやRPGゲームを想像してもらえばわかりやすいだろうか。運営や開発チームがゲームマスターで、ゲームのキャラクターがプレイヤーにあたることになる。
 詳しくは私に聞いてみるか、一度調べてみるか、リプレイ(TRPG の様子を文章に起こしたもの)を読んでみるといいだろう。

クトゥルフ神話は名前なら知っているという人が多いのではないだろうか。ウルトラマンティガの怪獣はこの物語の怪物をモデルにしているし、数年前にはなるがこの物語の神格たちをモデルにした「這い寄れニャル子さん」というアニメも流行していた。ネクロノミコンという有名な魔導書なんかもクトゥルフ神話がもとになったりしている。
簡単に説明すれば、この世界には私たちが想像もつかない、見ればとても正気ではいられないような恐ろしい怪物や神々が存在するのだという感じの物語群である。興味があれば自分で調べてみていただきたい。ただしグロテスクな表現が苦手だという人はあまり調べないことをお勧めする。

TRPGの中でもクトゥルフ神話TRPGでは戦闘=死と言われているようなゲームバランスになっている。中でも神格のデータは遭遇するだけで死ぬとまでよく言われている。少し興味が出たので試してみることにした。

まず平均的な人間のデータを見てみる。
STR(筋力):9
CON(体力):9
SIZ(体格):12
INT(知力):12
POW(精神力):9
DEX(敏捷性):9
APP(外見):9
EDU(教養):12
これが普通の人間の能力を数字に表したものになる。ちなみにこの人間が何かを殴った時の威力は平均して3ダメージということになっている。これはこの人間が大体三回本気で殴られたら死ぬというぐらいの威力が出るということだ。

続いて代表的な神格、クトゥルフのデータを見てみる。
STR:140
CON:110
SIZ:210
INT:42
POW:42
DEX:21
……改めて見てみるとこれは酷い。人間が殴って殺そうと思えば大体54回殴らなければならない。しかもデータには超筋肉を持っていて、21ダメージ分のバリアがあるとまで書いてある。まず人間の力ではどうやっても傷一つつけられないということになる。
この神だが、かぎ爪と触肢の二つの武器を持っており、かぎ爪は66のダメージが平均で出て、触肢は33のダメージが与えられる。しかも、この攻撃は外れることがない。たった一回爪を振るだけで七人は一瞬で死ぬ威力が出ることになる。
しかも常人はこの神を見るときに正気を保てるか判定することになっている。失敗すればその人間は普通に正気を失い、精神病院送りになる。戦おうとすることすら人間には難しいということだ。
やはり人間が神に挑むものではない。

他のニャルラトホテプやクトゥグア、ハスターなどを見てもその出鱈目さは同じだ。所詮私たちはちっぽけな人間。恐ろしい怪物や神々と戦おうという行為自体が愚かなものなのだろう。

雑魚VS勇者/夢の対決/印度

僕は弱い。
この世界において最弱の存在であることを自覚している。
僕に仲魔は多いのだが彼らのような攻撃力や魔法、必殺技みたいなものを僕は持っていない。
だから魔界のなかでも下っ端の下っ端で、他の魔物からは雑魚だ穀潰しだと蔑まれ、勇者が生まれたとか魔王に抵抗しようとする勢力がいるなどの噂が入ると真っ先に駆り出され、潰され殴られ燃やされ、最終的に勇者達の経験値になってしまう。
僕の先祖達は、
マヌケな見た目の雑魚。
というポジションでいるのが辛かったみたいで、足を生やし回復魔法を勉強してみたり、貝殻をかぶり海に住んだり、剣士と契約を交わして一体となるものがいた。(僕らの赤みを帯びているバージョンみたいな奴らは進化ではなくお酒に酔ってるだけであるので一緒にしないでほしい。)

進化は何度も世代交代しないとダメなので僕らが彼らのようになれはしない。
けれどやはり勇者を脅かすことのできる憧れの存在なのだ。

彼らが活躍しているおかげで僕たち雑魚もモチベーションが上がって勇者に立ち向かっていけるのだ。

さっきから自分たちのことを雑魚だのしたっぱだのと言っているが努力をしていないわけではない。
最近考案されたのは僕たちがゲル状の生物であることを応用し、合体するという画期的な戦い方である。
実は人間でいう組み体操をしているようなもので下のスライム達はとても疲れてしまうしその形を持続するのは難しい。

けれどスライム界において英雄である進化をした彼らに肩を並べられるほどの強さを得られるのだ。

魔界の日陰者で、捨て駒役出会った僕らも力を合わせれば活躍することができる。今まで馬鹿にしてきた奴らを見返せるのだ。

最近の僕らは勇者一味と名乗る小隊を壊滅させたり、町を侵略したりと
魔界での活躍が著しい。
スライム族は今でも地位が低く冷遇されてきたけれど、これからは変わっていくかもしれない。頑張っていかなきゃ。

おっと、人間が来たみたい。
変なターバン巻いてるしボロボロの身なりだけれど優しそうな変な奴だなぁ、こんな時も戦うのが魔物の仕事だもんね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
▽スライムがあらわれた。

▽スライムのこうげき!

▽ゆうたに1のダメージ!

▽ゆうたのこうげき!

▽スライムに5のダメージ!

▽スライムはたおれた。

▽スライムはなかまになりたそうな目でこちらをみている。

▽スライムがなかまになった!

JD VS アラサー/夢の対決/リョウコ

8月末からひき始めたメンヘラをこじらせて、今日に至るまでに何度か死にかけている私です。
鬼電・鬼LINEというメンヘラの一次試験を見事パスし、大量飲酒と拒食を経験、のち、メンヘラの登竜門である心療内科にて、メンヘラの証、精神安定剤の処方箋をいただきました。既に2か月ほど通っており、週に一回のカウンセリングでようやく治療が始まったので、快方に向かい始めています。
とはいっても、周囲から「いい加減病院に行った方がいい」と言われるまでメンヘラを放置していたので、メンヘラがなかなかいい具合に発酵しており、思っていた以上に治りが遅い。そもそもの原因となったトラウマが5歳の頃なので、15年間メンヘラと共に生きてきた私は、魂の伴侶としてメンヘラと添い遂げる覚悟をした方がいいな、と今更治し用もないメンヘラを受けいれているところもあります。メンヘラは、不治の病なのです。

風邪とメンヘラは、ひき始めが肝心です。
「精神衛生上よろしくないぞ!」と思ったら即、距離を取るのが良いのです。
私のメンヘラ発症の原因、というかきっかけは、年上の女性でした。
何を隠そう、私はいわゆるエディコン系メンヘラ。両親それぞれへの抑圧したグロい感情が、10コ近く年の離れたオトナに向かってしまうのは必然でした。
お恥ずかしながらワタクシ、年上に甘えたかったのであります!
しかし、人というものは此方の期待通りには動かぬものです。
先方の口癖は、「あなたのことを尊重してるから、同等に扱う!」でした。
対する私の言い分は、「いや、でも19歳だからもうちょっと舐めてかかってほしいんですけど・・・・」。
あちらとしては、彼方の世界では通用する正義があったのでしょうし、私の寄りかかり方も歪だったというか、自分からしても我儘が過ぎるな、と思うところはあるのですが。
私には、彼女らの幼さが不快でした。
実際、期待した私が悪かったのだと思います。
アラサーが必ずしも全員、自らの賞味期限を意識し、そこへ恋人も居らず仕事にもたいして打ち込めぬまま到達してしまったことへの絶望を打ち破って、人間として一皮向けているわけではないというのに。
そもそも、賞味期限という意識すら無いかもしれないのに!

女としての賞味期限への意識。
正直言えば、私はオンナというものがどのような状態を指すのかイマイチわかっていないので微妙なのです。
わかりやすく言えば、モテ期の終わりということでしょうか。
モテるだなんて結局、最終的に結婚には至らない、セックスとまろやかな共依存をする仲になるための、第一段階です。
ただ、モテることが人の価値を裏付ける根拠の一つになっていることは確かであり、容姿と恋人が居ること以外、さして誇るところが見つけられなかったとしたら、それが自分の全てだと思い込んでしまうのも必然と言えましょう。
そして、女としての賞味期限とは同時に、少女としての賞味期限でもあります。
ある一定のラインを超えると、人は未熟であることを許されなくなります。もっと言えば、自分が「未熟だ」と開き直って何の努力もしない姿勢を、許されなくなります。
私は、彼女らに限らず、何かしら余裕のない年上の女性のひがみややっかみの原因は、ここにあると思うのです。
少女でありたい、未熟さを許されていたいという甘え、そして男にしがみつかなくては自分の価値を見出せない弱さ。
私は、あんな風にかっこ悪い大人には死んでもなりたくないのです。
これを読んでムカついて、私の見えないところで私に嚙みついてくるような、不細工な大人の女(笑)になるくらいなら、死んだほうがマシなのです。

世間のアラサーと未来の自分に完全に喧嘩を売ってみました。

BUMP VS RAD /夢の対決/露子

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BUMP OF CHICKENとRADWIMPS…

自分の意志で音楽を聴いたり、自分専用の音楽プレーヤーを持つようになる中学生くらいの時、この二つのバンドの名前が早い段階で上がってきませんでしたか?

当時この二つのバンドは共に、「中学生御用達バンド」と揶揄されていました(今もかもしれないけど)。

確かに彼らの楽曲、とりわけ歌詞は、絶賛思春期の傷つきやすく様々な葛藤を抱えた中学生にとって、一種の答えや慰め、励ましを与えてくれるような内容です。

そういった「歌詞に力がある」バンドとして、「BUMP好きならRADも聞いてみなよ」とか「RAD好きならBUMPも聞いたほうがいい」みたいに、同列に扱われていたので、セットで知った人も多いんじゃないでしょうか。

 

でも、BUMPもRADも両方聞くようになると、必ずと言っていいほどBUMP派とRAD派に分かれるのです。激しいファンになるとどっちがパクったとかどっちのほうが神だとかそういったことで無駄な争いをします。(その様子はいずれかのYoutubeの公式MVのコメント欄を遡ると見れます)

同じ「中学生御用達バンド」でありながら、常に比較される存在であるこの二つのバンドについて、ちょっと私なりに考えてみました。

 

○共通(似ているとされる)点

・メッセージ性の強い歌詞

・声

・全体的に陰キャな感じ

・ボーカルが作詞作曲

・ボーカルがカリスマ的存在

この他にも音楽性の類似(特に『車輪の唄』(BUMP)と『携帯電話』(RAD)は似ていると言われる)なども楽曲ごとにはみられるかもしれないんですけど、とりあえずこんな感じだと思います。

今回は、双方ともに大きな魅力である「歌詞」について比較してみます。

 

あくまで私の印象ですが、BUMPは人間コミュニケーションにおける普遍的な事実を歌っている曲が多いように感じます。

例えば『花の名』(2007)の一節

簡単な事なのに どうして言えないんだろう 

言えない事なのに どうして伝わるんだろう

ここで歌われているようなことは誰しもが体験したことがあるものだと思います。

多くの人が人生の中で感じたことのある感覚を巧みに言語化する、それがBUMPの歌詞が共感され支持を得ている大きな理由だと思います。

 

一方、RADはざっくり言うと恋愛について歌っている曲が多いです。今話題の『君の名は。』の主題歌、『前前前世』(2016)もそんな感じですよね。

君の前前前世から僕は 君を探し始めたよ

そのぶきっちょな笑い方をめがけて やってきたんだよ

こんなこと本気で言えます??

ある特定の相手に向かって、その相手がどれだけ素晴らしくどれだけ愛しているか、をあらゆる言葉で表現している印象があります。その大げさともいえる愛情表現が唯一無二というか、野田洋次郎にしか言えない、こんな表現あったのか!て感じで素敵だから恋愛主義な人々に好かれるんじゃないか、と思います。

 

こうやって大雑把に特徴づけて話してみると、その枠に当てはまらない部分が目立ってきてしまいますね。

例えばBUMPにも『リリィ』や『アルエ』といった明らかに特定の対象に向かって歌われてる歌もあるし、RADにだって『オーダーメイド』とかは大きいことを歌ってるし。

あと、両バンドとも社会や弱い自分を皮肉った歌を歌いますよね。私はBUMPのでもRADのでもそれが好きですね。

 

こうみると確かに似てるところたくさんあるなあ…という感じですが、どちらの楽曲も十分にそれぞれ「藤原基央にしかできない表現」/「野田洋次郎にしかできない表現」であると思うので、優劣じゃなくて肌に合うか合わないかですよね。

ちなみに私はBUMPの方が肌に合いますね、藤原基央ゎ神。。。。

 

「星くず☆ういっちメルル」VS「MASCHERA〜堕天した獣の慟哭〜」/夢の対決/なご

タイトルまんま過ぎて怒られそうだからどっか伏字にしようかなとか思ったけどまぁいいや。

どうもなごです。

最近無気力すぎて、なにもやる気が起きません。テキトーに学校に来て、たまにバイトして、そんでもってお酒を飲んでは記憶を飛ばして、次の日ずっと家で寝てみたいな日々を過ごしております。そろそろ就活に本腰を入れなければと思いながらも何もできていない、というかする気がないというのが実情です。心のどっかで何とかなるとでも思っているんでしょうね。生きてる理由としては火曜日にみくりさん、金曜日にムラサキに会えるのが楽しみだからですね。それ以外ないので今クール終わったらどうしよう、しぬしかないのかなとか思ってたんですけど、ルル様が復活と聞いて新たな生きる希望が生まれました。オールハイルブリタニア!!

なんだかブログの出だしっぽいですね。ハイ。
こういう感じで始まる文章が一番つまらないということをわかっているものの、締め切りも過ぎてしまったしだらだらと書いている今現在。3年生なのにお恥ずかしい限りでございます。
さて、夢の対決、○○vs.××、と聞いていろんな話が思いついたはいいものの、結局どれも面白いように膨らませることができないまま、さてどうしたものか。

 

 

世の中には2種類の人間がいます。

 

そう、天然パーマとそうでない人間です。私はご存知の方は見ればわかる通り天パ側の人間です。しかもかなり強い天パであります。
あまり信じてもらえないのですが、生まれたときはまったくもって天パじゃなかったんですよ、私。中学入ったあたりからだんだんとクセが出始めて、今のチリチリ頭に至る。って感じなんですよね。やっぱ男子校に入って性格ねじ曲がったから髪の毛も曲がりだしたのかなって思います。(そんなわけはない)
最初は天パになってしまった現実を受け入れることができず縮毛矯正とかしてたんですけど、結局伸びてくる髪の毛は曲がってるからあんまり意味がないし、2週間もすれば元通り。それに1万円とかかけるのがばからしくなってからは何もしてないですね。いっとき坊主にすれば髪質が変わるなんていう迷信に騙され何度か坊主頭にしましたが結局のところ何の変化もなく、むしろひどくなったんじゃねとさえ思ってしまう有様でして。
天パでない人間は天パの苦労など露知らず、くそみそにいじり倒してきます。
やれ鳥の巣だの、やれスチールウールだの、その他ここには書けないようなあだ名の数々。
結局天パとそうでない人間は相容れない存在なのです。
しかも、天パでない人間たちはそのままで十分にもかかわらず、なぜかお金を払って髪の毛を曲げようとするから理解に苦しみます。

結果何が言いたいとか特にあるわけではないけど、生まれ変わったらサラサラストレートの髪でありたい。
そしたら人生も少し楽しいかもね。