「明るい話」カテゴリーアーカイブ

人生/明るい

(かっこいい現実逃避)

俺の親父は明るい。おそらく、僕が知り合ったなかで人のなかで、断トツで明るいと思う。親父曰く俺もお前みたいな年のころは全然明るくなかったぞと昔を懐かしむような目をした言っていた。そして、大人になるにつれて、色んな事を経験して段々、明るくなっていたんだよとも言っていた。

親父はそうは言っていたが、高校生の僕の回りにも、明るいやつが結構いる。特に運動部に多い。しかし、そいつらの明るさというものは僕にはひどく嘘っぽく見える。あいつらはほんとは真面目なのだ。真面目に部活に打ち込み、真面目に友達と付き合っている。その明るさは親父の明るさとは違って、まだ人生経験が浅い彼ら(まぁ、僕も変わらないのだが)はひどく無理しているように僕には感じられるのだ。

明るい人は、身の回り以外にもたくさんいる。例えばお笑い芸人。あの人たちの中にも物凄く明るい人もいる。しかし、それも一握りでほとんどは偽物だ。

やはり、親父以上に明るい人は僕は見たことがない。でも親父はお前は俺と似ているから、いずれは俺のようになるよと言ってくれる。だが、僕には自信がない。僕も彼のように明るくなるのかまだまだわからない。

(かっこ悪い現実)
親父はすごい、禿げてる。ほんとに一本も残っていない。見事なもんだ。

野球部、バスケ部とか自ら坊主にするとか、信じられない。でもあれは恐らく、くそみたいな伝統で決まっているんだろう。よくそこまでして、野球もバスケもやるなと思う。

あばれる君は個人的にあんまりすきじゃない。

あー、禿げたくない。

意外と何とかなる/明るい話

つい先日、高校の先輩と上島珈琲の喫煙所で久しぶりに会った。前回会ったのは半年とちょっと前に横浜駅のハママナステーションだった気がする。高校の先輩とはいっても学年にしたら三つも上で、中学一年生の時に高1だった彼の世話になった程度の関係だ。それでも彼の弟が僕の一つ下の学年にいてかなり僕が面倒をみたり、僕の弟が先輩の弟の後輩として世話になったりと意外と関係し続けていることも間違いではない。ここまで長々と先輩と僕の家庭について触れてきたが、結局のところ伝えたいのはただ一つ。僕らは直接会うことは無くとも、お互いの事をある程度把握することができるのだ。

 

だから大学に入ってからの先輩の断片的な情報を僕は知っていた。

 

「一浪の後に一留した」

「慶応のSFCに通っている」

「飲みサーでひたすら飲んでいる」

「家でひたすらエロ同人のタグ付けをしている」

「ヨドバシカメラでアイフォンの販促バイトをしている」

 

断片的な情報と酒の肴の集積のためかなり意味不明ではあるものの、先日までの僕の持ってた先輩の情報はこんな感じだった。以下では先日の一時間ほどの会話の断片を説明していこう。

 

まずその日、先輩の格好はスーツ姿だった。僕の三個上の先輩が二回ダブっているので、それは就活のためだと即座に理解した。しかし朝の11時から上島珈琲の喫煙所にいるのだから、きっとそれは正しくない。詳しく聞いてみると、どうやら彼は就活もサボっているらしかった。スーツを着込んで家を出て、就活と言いつつ喫茶店で時間をつぶす。ニートの理想像みたいな状況がそこにはあった。しかし彼はとっくに野村証券などの大手二社とベンチャー企業二社の内定を手にしているらしい。慶応という一見エリートな学歴を歩んでるがゆえに両親が安定した会社への就職を希望しているが、当の彼はベンチャーへの就職を希望しているといった話だった。

 

就活の話が深まるにつれて彼の謎は解けていった。そもそもアイフォンの販促バイトはアップルへのインターンであった事。エロ同人のタグ付けは、大学の友人数人と共に起業したエロ同人サイト運営の業務であった事。その仕事は調子のいい時は月に40万円の給料を発生させていたこと。その延長でDMMとの飲み会で横に成瀬心美が座った事。ベンチャーをやっていた時の社長が薬をやって捕まった事。これらはもちろん明るい面だけで、基本大学生活は酒飲んでいただけだということ。

 

なんだか文章のまとまりが欠如してしまったものの、つまりは大学弱者と思われる僕のような人にも未来は、人生は明るいと思わせてくれたという話です。

この世で最も幸せなこと/明るい話

「ハハハハハ……」

笑いが止まらなかった。

俺のスマホの画面の中で可愛らしいキャラクターが動いている。その可愛らしさの中にそのレア度に見合う能力を持っているのだと思うとさらにこのキャラが愛おしく思えた。

時計を見てみればこのキャラのガチャのピックアップ期間が終わる直前だった。今週は仕事が忙しくピックアップ期間になかなかガチャを回すことが出来なかったのだ。

「何とか間に合ったな。まったく、このピックアップ期間が終わればもう通常時のガチャでは引くことが出来ないなんて今引くしかないじゃないか」

素晴らしく清々しい気分だった。今だったらイベント中の運営の急なメンテナンスも許せる気がする。

このキャラクターを当てるまでに諭吉さんが何人も消えることになったが、それも些細なこと。たとえそのキャラクターが当たる確率がどれだけ低いのだとしても出るまで回せばそれは百パーセントだ。昔の偉い人はこう言った「回せ。回転数が全てだ」と。

 

ガチャは俺の人生。そう言えるようになったのは。三か月ほど前からだっただろうか。その三か月までは無課金兵だった。それからイベントのときに走り足りなくて少しだけ課金をして気づけばそれがいつものこととなり、俺は微課金兵となった。そして三か月前のガチャの新キャラがどうしても欲しくて俺は当たるまでガチャを回し続けた。至福の時だった。

今では新キャラが出ると当たるまで回すのが俺の習慣だ。欲しかったキャラ、新しいキャラが当たった時の喜びは言葉に言い表すことができない。俺の頭が、俺の右手がガチャを回せとささやくようになった。ソシャゲの行動力が溢れることが飯を食べないよりも苦しい。たまにふと「こんなのは所詮データだ、こんなことに金を賭けるなんてバカらしい」という思いが頭をかすめる。

「いや、そんなことはない! ガチャは素晴らしい。あのガチャを回すときの緊張、当たらなかったときの絶望、新しく諭吉を溶かしていくときの興奮。そして何より当たったときの喜び! ガチャはいい。ソシャゲはいい。ああ俺はこんなに楽しいゲームを楽しめて心から幸せだ」

それは心からの言葉だった。だが、くそ運営だけは許さない。もっと詫び石を寄こせ。

 

ピコン、と右手に握っているスマホが音を出した。どうやらメンテナンスも終わり、新しいイベントとピックアップガチャが始まったらしい。

これでまたガチャを回すことができる。俺は満面の笑みを浮かべてガチャを回し始めた。

そんな1日。/明るい話

朝目覚ましが鳴る前に目が覚めます。
カーテンを開けると今日は青空が広がっています。
つけたテレビでは、芸能人の結婚報道で祝福ムードです。
朝食の目玉焼きは双子の卵です。
今日は新しい歯ブラシを封切ります。
時間をかけて新しいヘアアレンジに挑戦してみます。

 
信号に一つも引っかからず学校に行けます。
2限の授業は抜き打ちで行われる出席を取る日です。
早めに授業が終わり、学食に並ばずに入れます。
3限は大好きなあの人が見える席に座ります。
校内でいつもはそっけないあの子も今日は近寄ってきて撫でさせてくれます。
帰り道、新しい裏道を発見します。

 

今日は多めの買い物で豪華に料理を作ろう。
ずっと見たいと思っていたあの映画をレンタル屋で借ります。
家について携帯を確認するとずっと待っていた返事が返ってきています。
いつもより上手に料理ができた気がします。
お腹いっぱいになって、飲み物を片手に映画鑑賞をします。
そしていつの間にか眠っています。

 

 

 

そっと布団を私にかけてくれたのは隣で映画を見ていたあの人でした。

 

そんな1日。

勝ち組/明るい話/YDKわず

 

「好きです。付き合ってください」

 

人生初の告白は、中学三年のとき。割といけるかなぁって思ってたんだけどだめだった。あえなく玉砕。清々しいくらいにフラれた(笑)でもいい人だったからそのあとも結構引きずってた。大好きだったんだ。その子に彼氏ができても、内心ぐぬぬぬって感じだったけど忘れられなかった。
「ピーーーーーーッ」

 

負けた。初めての部活の試合。PKを止められなかったのは俺の責任だと思った。みんなは、PKまでもつれこませてしまった全員の責任だとはいうけれど、そんな慰めも俺を暗に責めている気がしてつらかった。でも部活は絶対に休まなかったしやめなかった。メンバーと喧嘩も良くしたけど、たのしかった。引退の時はやっぱり泣いた。みんなのまえでは泣かなかったけどな!!!
「君、もう辞めていいよ」

 

クビだ。驚いた。悲しいとか悔しいよりも、驚いた。なぜクビなのか聞こうと思ったけど、たぶん意味がないと思ってやめた。会社も辞めることだし。(うまい)バカはこの上司だと思おうとしたけどそれを思ったら負けな気がして、尊敬したまんまやめた。もともと尊敬していたかは置いといて。あのハゲ野郎が。
こうして振り返ると、俺の人生は失敗してばかりだ……って思うだろう。ふっふっふそれは勘違いだ。実は今、
「おかえり〜〜」
俺の横にはずっと好きだった彼女がいる。サッカーも続けて今ではプロだ。信じられるか??俺も信じられないよ。こんなに人生うまくいくのかって。あの頃不幸の貯金しといたおかげかな。今スッゲー幸せなの。練習終わって家帰ったら、中学の頃の初恋の相手がおかえりっていってくれんの。もう死んでもいいね。いくらなにがあっても未来は明るい可能性があるってことを身を以て知ったよ。まぁでも、つらいときはつらいから頑張るのが一概にいいとは言えないけど。なんせ俺は今めちゃくちゃ幸せだ!!人生最高!!!お前らも頑張れよ!!!

電球/明るい話

 

廊下の電球の二つあるうちひの一つ。一人暮らし向けの住宅によくある、廊下にキッチンがあるその真上。それが切れてから二ヶ月が経った。
もう1つが付いているから生活に支障はない。廊下の電球は黄色くて、色も相まって一つだと薄暗いが、リビングや洗面所や玄関の明かりや、キッチンの白い蛍光灯を付ければ気にならない。どうせ遊びに来る友人なんていないのだ。

そう思っていたのだが、スーパーで買い物していて一階に降りるエスカレーターの目の前でラップが切れそうなことを思い出した。下りエスカレーターののり口からラップのある棚まで歩く途中、電球とばっちり目が合ってしまった。
給料日からは折り返し地点、まだそこまで金欠でもない今のうちに、もう一つの電球が付いているうちに買っておいても損は無い。そんな気になった。

家に帰ると、クローゼットにしまっておいた踏み台を取り出した。
取り替える電球の近くの、洗面所とキッチンとリビングの明かりを付けて廊下の明かりは消した。よく分からないけど、付けっぱなしで外したりはめたりしたら感電するかもしれないと思った。

踏み台に乗って手を伸ばし、天井に埋め込まれた電球をくるくると回した。外れた電球をキッチンのシンクに置いて、その下に転がっていたスーパーのビニール袋から新しい電球を取り出した。ボール紙の包装から出す時、きゅうきゅうと嫌な音がした。
ボール紙を古い電球の近くに放って、踏み台に登ってさっきとは逆の向きにくるくる回す。

踏み台から下りて、ボール紙は燃えるゴミに、電球は乾電池とかスプレー缶を溜め込んでいる靴箱の一角に入れた。
そして廊下の電気のスイッチを入れた。

新しい電球は、それはもうぴかっと素早く眩しく付いた。
一方で玄関側の廊下の電球はゆっくりと明るくなってきたがキッチン側には遠く及ばない。
今までずっと、あんな頼りない明かりで暮らしていたのかと驚いた。そして我が家の廊下は本来こんなに明るいものだったのか。

 
キッチンが明るくなるとこれまでせいぜい米を炊いてレトルトを温めるくらいだった料理が楽しくなり、自炊で浮かせたお金で調理器具や食器を買った。
自炊すると野菜のへたや卵の殻、肉のパックやラップ、調味料のビニールなどゴミが増えた。ゴミを朝、正しい分別で毎日出すようになり朝食はもちろん弁当も作る。
必然的に早起きが身につき、夜更かししてネットでエゴサーチをかけたり誰かの悪口が書かれた掲示板を眺めることも減った。夜更かししなくなったことと朝食を食べるようになったことで授業にも集中できるようになった。
そんな生活を続けていると目の隈がなくなり肌や髪につやが蘇ってきた。規則的な生活で代謝が上がったのか、少しジーパンが緩くなり、今まで敬遠していた足が露出されるような服装や化粧に手を出した。
最近イメージ変わったね、そう話しかけられることが何度かあり、クラスやバイトの人たちとプライベートで交流を持つようになった。

友人との食事会を終えて家に帰ると、廊下の玄関側の電球が切れていた。
明後日には友人が泊まりに来るから、早く替えの電球を買いに行こう。

girl/明るい話

書かなきゃいけないレポートをためちゃって、締め切り明日で(もう今日か…)どうしようもなくなって夜中にせっせと書いていた。それでこの課題も書かなきゃいけないこと忘れてて、あーこれはやってしまったもう寝れねーってなって今に至る。

 

切羽詰まっているときほど、今それやらんくてもいいのにってツッコみたくなるようなことをしてしまう。どうでもいいことに考えをめぐらせたりする。テスト前とかレポート締め切り前あるある。

私はだいたい目の前のノートパソコンでYoutubeを見てしまう。テスト勉強とかだったらまた違うけど、レポートはそのパソコン使って書いてるから、ちょっとでも作業がいやになるとすぐ開いてしまうYoutube。なんなら別画面で常に開いてたりする。サイトの作りもなんか上手く出来てるもんで、横の動画候補の中に「あなたへのおすすめ」なんてのがある。それが私がいつも見ている動画とか検索履歴の傾向から割り出してるのかなんだかわからないけど、私が興味を持ちそうなタイトルで、今まで見たことがなくて、しかも普段見ているジャンルの動画からは少しだけ外れている(たまに少しだけ趣味の世界を広げてくれたりする)絶妙なやつだったりするからタチが悪いのだ。それ見たら、また横におすすめ出てるし。見てたらきりないし、依存を生み出すように出来ている。怖い。。

 

今はチャットモンチーの「世界が終わる夜に」っていう曲のライブ映像をなんとなく見ていた。これもなぜかさっき突然「あなたへのおすすめ」に出てきた。高校の頃よく聴いてたけど、最近はあんまり聴いてなかったし検索とかしてなかったのに。まったく暇ではない(締め切りは刻一刻と迫っている)けど暇つぶし感覚でずっと見てたら、色々思い出したりした。ギター持ったえっちゃんが可愛くて大好きで、最初は聴いてるだけだったんだけど、だんだん自分でもやりたくなって、一回だけ高校の文化祭でバンドやったこととかを。青春だー。

そのためにお小遣いためてエレキギター買って、学校にあった練習場に持っていってアンプにつなげたら音が出てオオってなって、でもその時はコードの押さえ方とかよく分からなかったから適当にジャーンってずっと弾いてた。スコア書いた本買って1人で練習したけど、これじゃバンドじゃないじゃんって思ってチャットモンチー聴くっていってた友達にベースやってって頼んだ。それでほんとは女の子3人でやりたかったのに、ドラムだけ人がいなかったから普段チャットモンチーとか全然聴かないような男子に頼んだりしてなんだかなあとか思ったりした。でもみんなでそこそこ練習して文化祭の小さいステージで演奏してわりと楽しかった。たぶんすごく下手くそだったんだろうけど。

 

そんなどうでもいい昔のこと考えてたら、外はチュンチュンいってて、黒い空が青に変わってだんだん明るくなってきてしまっている。やらなきゃいけないレポートは全く終わってないけど、もう朝がきたのだ。どうしようか。

夢サプリ/明るい話

2ヶ月前に行った某シンガーソングライターのライブで、即興ソングを作るために女の子に話を聞いて、保育学校に通っているけど、本当はライブハウスのスタッフになりたいと話して、「それならなればいいじゃん。俺も夢を叶えて歌手になったから、君もきっとなれる」ってシンガーソングライターが言って、すごく嫌になった話。

ぶっちゃけ彼が夢の話をしても説得力がない。なぜなら彼の夢は叶えている。才能があって、勇気があって、運があって、とても素晴らしく輝いている有名人から夢の叶え方を教われても、自分の人生に活用できない。彼が凡人の私の代わりに成功の蜜を味わってくれているだけの話である。

「なんで夢を諦めたの?」
「いや、叶えるもんならとっくに叶えてやったよ」

あの女の子が大好きなシンガーソングライターの助言を真に受け、あなたのようになりたい自分になれなかったらどうするの?ってステージの上の彼に聞きたくなった。

自分が彼の応援ソングが好きでライブに来ているのに、なぜそういう話を彼の言葉で聞くて腑に落ちなかったり、腹立たしくなったりするだろう。多分シンガーソングライターも、歌の中では挫折するばっかりの青年になり得るけど、曲が終えてMCに入ると売れっ子芸能人の姿を現し、嫌味の発言をぶつけてくる。

明るいと言われたらまず「楽になること」を連想させる。最近一番楽なファンのあり方を見つかった気がする。それはあの人の作品以外見ない、ステージ上の人しか信じないやり方。歌手の場合はCDとライブだけで、たとえテレビやラジオの番組に出ても、見ないようにする。

どの分野においても作品は作者が世に見せたいものしか表に出さない。そしてファンというの存在も自己満足な個体だから、すでに一回拗らせたものを、もう一回拗らせて、好きになりたいものにしている。その全く噛み合わない感じが最高だ。音楽が鳴り終えたらみんな嘘でも楽しかったって言いながらさっさと帰ってください。

「もう大好きで仕方がないです!」
「いつも元気をもらっています!」
「辛い時を聞くとまた頑張る気が出ます」

「ファンの皆さんがいれくれたから今の僕がいます」
「みなさんの力になれたらなと思います」
「一人でも多くの人に自分の声を届けたい」

今日はきっといい日であるのだ!/明るい話

1.薫

 

できたての青空を赤ん坊の笑い声が破った。

妻の喜子が、さらさらと筆をはしらせて“お告げ”を書きとめる。そして、半紙をぴんと伸ばして駐車場中のみんなに見えるようにした。私は声を張り上げる。

「本日の新しい朝は――“オブラートに包んだような朝”です!!」

拍手があがった。じじばば各位、主婦や小学生。老若男女入り乱れる体操を終えた面々は口々に互いをたたえ合う。これにて、本日のラジオ体操は解散だ。娘のあおがスタンプカードの列を整理し始めた。

 

「――だから、オブラートの朝って絶対よくない意味だよね?」

ラジオ体操屋の朝はめまぐるしい。今日も一軒のクレーム処理から始まった。駐車場のスタンプの列を窓から横目に見て、私はすかさず「まあまあ」と相手をなだめにかかる。

「まずオブラートに包まれてるもんって考えてみ? にっがい薬とか言いにくい本音とかでしょ? ぜったい良くない。今日一日最悪だよ」

言い合いを尻目に、顔が枯れたひまわりでできた男の子が横からレジにラムネを差し出す。これで去ってくれるかと期待したが、会計を終えてもクレーマーは居座った。

「そうはいっても早見さん。人生、不幸があれば次は幸が来ますよ。その逆もまたしかりですから、今は幸せがくるのを今か今かとワクワクしながら待ちましょうや」

「だいたいさあ、最近微妙な朝多すぎるんだよ! 昨日は“何か忘れているようで思い出せないような朝”だし一昨日はさあ――」

棘のある言葉を受ければ気分はささくれだつ。ささくれ立った心はまた棘の言葉を返す。ならばせめて自分からはやわらかい言葉を返してみよう。そう決めてから約30年。私は今日も立派な「まあまあ戦士」として生きている。

かつて私がサラリーマンだったころ。契約先ともめる上司に「まあまあ」と繰り返した。なにぶん双方ぶつかり合うので、私はひたすら「やわらか翻訳機」に徹した。あいつはわかっとらん→かくかくしかじかな仕組みですので、我々が最良だと考えたプランはこちらになります! センスが悪い→数あるサンプルから現在の流行を検出しますと、この方向性に改善すればさらによくなりますかと!

すると不思議に化学反応。最後にあれだけ険悪だった彼らは自主的に相手に握手を求めるまでに意気投合だ。今日は飲もうぜお祝いだ! と肩組みあって居酒屋へ向かう。

こちらにわき目もふらずに。

そう、そうなのだ。たいていのドラマで「まあまあ」係は脇役である。こっちの苦労も考えてくれよとひとりごちても詮無いことだ。いい結果になったからいいじゃないかと納得しようとしてみても、自分には誰かとぶつかるほどの信念もないのだとまた新しい憂鬱が生まれてみせた。

その繰り返しの人生である。

 

大きく深呼吸をした。ようやく早見さんの対応を終える。言われた通り、最近は歯切れの悪い“朝”のお告げばかりでクレームも多い。こればっかりはどうしようもないが、なんとか運が向いてきてはくれないだろうか。明日も悪かったら修羅場だなと、降りかかる棘言葉を思ってため息。いかん、しあわせが逃げてしまう。

「おつかれさま」

そのとき後ろから喜子に声をかけられた。彼女は小型のラジオを片手に、小さな乳酸飲料をよこしてくれた。

ふむ。まあ、この流れは毎日恒例であるが、それでもこんな日々は悪くないと思う。

 

本当に大変申し訳ありません。とても長いので、ここまででコメントをつけていただいても構いません。今回は他に提出できるものもないので、申し訳ありませんがこちらを挙げさせていただきます。今後はこのようなスタジオを私物化するような真似はしないようにします。本当に申し訳ありませんでした。

 

2.喜子

 

一番に起きて、まずわたしは駐車場に出て電波の位置を探します。このラジ夫はひときわ気難しく、これしかないという位置に正確に置かれることを所望しています。

しかし、わたしには完璧にそれができるのです。しかも、一発で。

一階に“ラジオ体操屋”と看板のついた、小さな戸建ての家がありますが、むしろあちらはおまけです。ラジオ体操はたくさんの人数で広いところに出てやるのですから。メインはこの駐車場です。

さて。目を閉じて耳を澄まします。数十キロメートル離れた海で、タツノオトシゴをさらう波の音。おやおや、西町の家の方から誰かの怒りと悲しみの波が伝わってきます。

おっといけない。集中集中。今わたしがいちばん必要としているのは、ラジ夫のための最強の電波です。他の波には気を取られずに! どうやら今日は西の方角が吉のようです。わたしは車の置き石をまたいで移動しました。

 

そう、わたしは何故かあらゆる“波”を受けとってしまう性質があるようなのです。

幼いころからそうだったようで、わたしはいつもいろいろな波に囲まれていました。電波、音波、海の波はもちろん、他にもたくさん。ときどきものすごく遠くの波が、きらきらと耳に降りてきたこともあります。

しかし、ある日のことです。そのころ家の近くのどこかから、黒い黒い苛立ちのような怨念のような波を頻繁に受け取っていました。学校にいる間は他のことに気を取られて忘れているのですが、帰宅すればふとそれは忍び寄ってきます。家に帰るのが怖くなってきたくらいのとき、理由は判明しました。

「お隣さん、離婚しちゃったんですって」

玄関で母が近所の人に話すのを聞きました。つまり、わたしが受け取っていたのは、隣の夫婦の気持ちの波だったのです。

気付いたとき、おそろしくなりました。波は良いものだけではないのです。そしてある考えが私に浮かびました。わたしは気づいていたのだから、こうなる前に何かしてあげられたのではないかということ。

 

そこからは苦しいことの方が多かったように思います。友達としゃべって笑っていても、ふと遠くの波を受信してしまい、どうすればいいのか分からなくなりました。ひとり泣いている赤ん坊の悲痛、どこかでおこった大きな津波。休める氷を失ってしまった、シロクマの最後の咆哮。そのひとつずつの悲しみは、わたしにはどうすることもできないという、新たな悲しみをぽこぽこと生みます。

雪だるま式に膨らむ波に、わたしは対応できなくなっていました。

 

「あきらめていいよ」

その言葉が、虹色の波だったのをわたしは覚えています。

薫さんはすこし頼りない人でした。立ち姿もなんとなくひょろひょろして、全体的にしだれ柳のようです。なにを言われてもいつもへらへらと笑っていて、見ているとこちらの気持ちがぺこりとへこんでしまう人でした。

でも、あの日泣いているわたしに声をかけてくれたのは彼でした。

どうしようもない悲しみをどうすればいいかと話したとき、彼はうんうん唸ってこう答えました。

「じゃあさ、手が届く範囲のことはなんとかしよう。それ以外は、もういいよ」

わたしは顔を上げて薫さんを見ました。でも、本当にそれでいいのと言いました。

「うーん、じゃあもしだめだったら、言い出しっぺの僕にも責任があるわけだしさ、だから、喜子さんはもうあきらめていいよ。本当はだめでも、いいよ」

うん、いいよ。と薫さんは呟き続けました。私が喋れるようになるまで困ったように、ずっといいよと言っていてくれました。

 

さて、今朝も無事ラジ夫からは軽快なメロディが流れてきました。みんなそれに合わせて身体を揺らします。アンテナの角度は我ながら完璧です。

ふと、向こうの方から娘のあおが何かまくしたてる声が聞こえてきました。なんだか面倒くさそうなので、聞こえないふりをして放置です。さて、目の前の早見さんからは、何やら最近さびしげな波が伝わってきていました。少し声をかけてみようかと、わたしはやることリストを更新します。

手の届く範囲に、定期的にみなさんを集めれば、少しはなんとかできそうですので。

 

3.あお

あ~~もう、分かってない。みんな全っ然、分かってない!!

母がセットしたラジ夫からは、毎度おなじみのラジオ体操の歌が流れている。みんながそれに合わせて動くのを私はしばらく後ろから見ていたのだけど。

だけど。

「ヘイ、たなべくん! 君はもっと膝を曲げればさらなる高みへと近づけるよ!」

つい耐え切れなくなって声をかけてしまった。彼はひまわりの頭を持った少年で、そして、新入りだ。教育のし甲斐があるじゃあないか! 教えていると、今度は斜め前の柿崎さんの腕の角度に目が行ってしまった。あっちの早見さんは変に強張ってるし、う、だめだめだめ。父には口うるさく言うのはやめろと釘を刺されているけど、でも、気になる!

分かってる。分かってるんだよ。ラジオ体操とは、『日本人の体格向上のため国(以下略)「多少趣味的な」体操』を目指して開発されたものだって。そう、「多少趣味的な」。

まあね、キツすぎて続けられなかったら意味ないもんね。気軽な社会参加の場としようと考えている父は、

だけど、だけどな。私は胸の中の武道館でラジオ体操への熱い思いを叫ぶ。

ヘイ、ユーは知ってるかい? 第一体操No.11の「両腕で跳ぶ運動」。あれはね、一番最後の「ひらいて」「とじて」の、「とじて」で閉じちゃもったいない。

正確に言うと脚は閉じていい。でも手を開いたままにすると、なんと、アメージング! No.12の「腕を振って脚を曲げ伸ばす運動」に自然とつなぐことができるんだぜ!

おっと、父がこっちを見ている気がする。うっ、わかりましたよ。スパルタなんかじゃありませんよ私は。

でもさあ、最近なんだかビミョーなお告げが続いてるでしょ? ひょっとしたらそれはみんなのユルユルすぎる体操に、ラジオ体操の神さまがお怒りになったんじゃないかと思うのよ。だから、しばらくは心を鬼にして指導に回るキャンペーンも必要じゃないかと思うわけ。

今日の家族会議でその話題を出そうと私は決めた。スタンプカードのフリースペースに各自の美点と改善点を記録して渡したらどうだろう。ここにいる全員の名前もポテンシャルも大体把握してるし。そして、周りを見回して気付く。

あっ、今日も健人がいない!

 

 

4.健人

 

俺はいつものように駐車場を抜け出した。いくら家業でもだるすぎる。中学生にもなってラジオ体操なんてやってられない。

だいたい、おかしいのは家族のほうだ。父親は脱サラして“ラジオ体操屋”なんてトチ狂ったもの開業するし、母親はそれを止めなかったわけだし。生徒会長の姉貴に至っては、自分の高校の不良を更生させるために「毎朝ラジオ体操制度」を導入した(結果は上々らしい。世の中狂ってる)。赤ん坊までまきこみやがって。むしろ俺の考えのほうが一般的じゃないか?

早朝の道は誰もいない。俺は人目をはばからずに思う存分あくびをした。時間がくるまでベンチで寝ようかと考えながら公園に入った。

すると既に先客がいた。ガキだ。男。こんな時間にひとりで小石を蹴って遊んでいる。

当然無視しようとしたが、首から下げたスタンプカードが目に入ってしまった。ゲッ、商売相手かよ。体操に参加することを契約に入れているから、下手すると信用問題に関わる。俺はしぶしぶ声をかけた。

「おいガキ、なにしてんだ」

小学生か? 振り返って、何を考えてるのか分からない目でこっちをじっと見てくる。

固まったまま数秒が過ぎた。あっ、これめんどくさいタイプのやつだ。信じられねえことに、ガキって意外とアニメみたいに喋らない。やりにくいな。

「ラジオ体操、いかねえの」

「……いかない」

「じゃあなんでここにいんの」

「……ママが行けっていうから」

俺はガキのスタンプカードを盗み見た。最初の二、三日以降長い間スタンプは押されていない。

ははん、つまりはあれだ。母親に行ってないのがバレて怒られたけど、今さら体操に参加するわけにもいかず、公園で暇つぶしして偽装工作ってわけだ。なんでそんなに推理が早いのかって? そこは想像にお任せしたい。

まあ、なんだ。目の前のガキは怒られると思ったのかフリーズしたままだ。あれだよ、なんでも一回サボると戻りにくいんだよな。部活とかさ。戻った時には基礎練のメニュー変わってたりして、周りは「なんでできないの」って目で見てきたりするしな。

俺は早起きで疲労した肉体に鞭打って、しゃがんで目線を合わせてやった。

「途中からでも入れんぞ」

「……」

仕方ねえ。出血大サービス。俺はポケットからスタンプを取り出した。

ガキはちょっと驚いたような顔をした。三個くらいだけど、日付はランダムに出席スタンプを押してやった。逆に信憑性あんだろ、こっちのが。

そう、ラジオ体操屋の最高権限と言える出席スタンプ、権限はなんと俺にある。まあだから、どんなにだるくても最後はあそこに戻らなきゃならない。

ガキの、すーすーうるさい鼻呼吸が聞こえてくる。

「ほら、いくぞ」

俺はほそっこい手首をつかんで、もと来た道を急いだ。

 

 

5.朝

 

体操も第二に差し掛かった処である。余は視界の端に兄上の健人が戻ってきたのを捉えた。兄上は怠け癖があり、ラジオ体操へもはや崇拝と呼べるほどの執念を持つ姉上とは正反対である。いつか姉弟というものは、生存の可能性を高めるためにそれぞれ全く異なった性格になると母上から聞いたことがあった。なるほど、なかなか有り得そうである。

「あら、朝くん。随分ふてぶてしい顔してるわね~」

「ほんとね、疲れちゃったかな?」

不覚。余は即座におうおうと不明瞭な音を二、三ほど発した。むちりとした両腕も上下に振ってみせる。駄目押しにきゃっきゃと笑って見せれば、その様子を見てご婦人は大喜びである。ふむ。どうもいかんな。実年齢、一歳半に見合った振る舞いというのも難しい。

さて、体操も最高潮に達しはじめた。みな随分身体がほぐれてきたようである。しかし、今日の“新しい朝”はどうであろう。余は目を瞑り耳をすます。風の流れや湿度など五感のすべてを持ってして、近づく“朝”を見極めようとした。

ふむ。あまり芳しくない。最近はどうもぱっとしない“朝”が多い。こればかりは運であるが、商売であれば不満もわく。責められる父上の姿を想像し、如何ともしがたい気分となった。

その時、檸檬の様な結晶が煌めいた。

見れば新参の少年とたなべ少年が邂逅を果たしていた。傍では兄上がその様子を見守っており、どうやら連れてきたらしい。そして萎びた向日葵頭のたなべ少年は、新参の少年に体操の仕方を教授している。ふむ。なにやら、すこぶる良い傾向。

そう、そして正に。その一つの些細な出来事が、ここ最近の悪い流れを変革し始めた。

一面の稲穂の朝露を弾くような風、赤い鉄を打った時に飛び散った破片でできた星座。体操する面々の振幅や談笑が、一緒くたにこの駐車場に集まっている。それらは入り乱れては響き合い、まだ見ぬ“新しい朝”を形成し始めた。

余は不思議な気持ちでもってそれを眺めていた。ふむ。どうも物事は、人生は、些細なきっかけからなにか大きなものがまるきり変わることがある様だ。

最後のピアノの一音が鳴り終わる。余は乳母車越しに母上の目を見た。安心してください、今日こそいい“お告げ”を皆さんに伝えることができます。彼女はしかと頷いた。

余は乳母車の上でえいと気張った。そして、不明瞭ゆえ取りこぼしのない発音でもって“新しい朝”の名を告げた。

 

 

 

参考

ラジオ体操の歴史

http://www.jp-life.japanpost.jp/aboutus/csr/radio/abt_csr_rdo_history.html

 

 

 

 

 

 

結局人生そんなもん!/明るい話

この大学に入って、この学部に入って、スタジオとゼミに入って。そうしたら、いつの間にかジェンダーやサブカルや精神分析を学んでおりまして。
あれ?どうした、私はこんな精神を病むようなことをやりたかったのか、と自問自答することも多々ありました。でもまあここまで来てしまったし、もうあとは野となれ山となれ。後先は考えず生きるのが私のモットーでもあるので、もう知りません。今までもどうにかなってきたんだ、どうとでもなるでしょう!というお気楽思考で生きていこうと思っておるところです。

さて、そんな環境で過ごしてますと、まあほとんどの皆さんが同じ釜の飯を食う、とでもいいますか、同じ傷を抉り合うの方がいいのかな?とりあえず皆さんなら分かるでしょうが、主体とか大文字の他者とか耳にタコができるくらい聞いてるわけです。そして、自身について、あるいは周りの人間について考えるわけです。「この事例は私(他人)に当てはまるだろうか」とかなんとか。
ラカンやフロイトなんかは凄い人なんだろうし、こんなしがない大学生が同じ土俵に立とうなど100年どころか人生3回分は足りないのでしょう。でも、私なりに、自分のことについて考えると、「んなアホな」と突っ込みたくなるような論がわんさかあるんですよ。多分それは私が無知で馬鹿だからなんだろうけど。

この手の話によくあるのが「わたし」と「私」問題。これ大学受験の現代文にもえらい出てきましたよね。「わたし」は「私」とは異なって云々かんぬん……いや、知らんがなって感じですよ。私が私ですって言えばもう私は私なんじゃないんですか!?そんな、「わたし」が「私」だと認めるにはこういうプロセスが〜とか、他人が〜、自己が〜…分かんない!分かるわけがない!!なんです、私は北川景子です、と言えばウィッシュなパーフェクト男子と結婚できるというのですか!できないでしょう!知ってるわ!

でも、あれなんですよ。全部分かるわけないだろ!って言うわけでもなくて、たまーに、「ラカンあんたええこと言うやないの」と思えることもあるんですよ。夢の話とかね。だから、油断できないというかなんというか。核心つかれると人間弱いというか。認めざるを得なくなるんです。私って、人間ってそういうもんなのね、とか言ってね。
やっぱり私は、そんなに考えて生きたくない。もう面倒くさい。分からないから面倒なんじゃなくて、解明されるたびに苦しくなるんです。「自分が紐解かれていく!やめて!私はそんなに分析できるほど単純で、だからと言ってそんなに複雑な人間じゃないのよ!」と叫びたくなるんです。もっと気楽に人生送りましょう。頭を空っぽに、お花畑でもちりばめて。そうして、無知になって、馬鹿になって、生きたほうが楽じゃないですか。中途半端に何かを知ってしまうから、私は中途半端に傷つくんじゃないですか。

ね、だから、人生明るく、何にも考えず、過ごした人のほうがきっと成功するんですよ。