「春休みの課題」カテゴリーアーカイブ

女性のわき愛好家/春課題2/印度

僕はわきが好きだ。ワキガではない。
その中でも夏場にTシャツの袖から少しだけ見える汗ばんでいるそれなんか、言葉にして書いているだけで心がフワフワしてくる。ノースリーブよりTシャツがいい。
かと言ってそれを見たら即座に勃起してしまうわけではない。
ずっと眺めていたくなる、神秘的な気持ちになるのだ。

わきフェチだなんて言われるとあたかも女性のわきに対して性的興奮を覚え舐め回したい衝動にかられるような人間と思われるかもしれないが、そんな下品なものではなく自分のわきフェチとはちょっと上品な好みだと思っている。
まぁ舐め回したいことには変わりないけど。
こういうことを考え始めると他の紳士の方達がすごいと思う。例えばロリコンやカニバリズムといった、現実で性的欲求を満たそうとすると犯罪になってしまうような性的嗜好をもつ紳士の方々だ。
彼等は公にできないような嗜好を持ちながらも現実では真面目に生活を送っているのだから尊敬せざるを得ない。

彼等は欲求を満たせず死ぬのか、満たしてしまい刑務所で余生を過ごすことになるのか2択しかないのだろうか。

いつもの癖で言いたいことがわからなくなってきたので今回はここまでにします。
早く夏になんねぇかな。

せっくす/春課題2/みかん

テーマが「エロ」ということで、ここは村上春樹風の話を一つや二つ書いてみるかと筆をとってみたけれど、主人公がやれやれと言いながら射精ばかりするだけの話になってしまい、これではスタジオに潜むハルキスト達に怒られてしまうと危機を感じので、徒然なるままに「エロ」について書こうと思う。

「エロ」というか性的というかセックス。そう、セックスだ。僕はセックスが関わるものが好きなんです。セックスという言葉も好き。「ヤる」とか「エッチ」とかそんな言葉は下品だ。何を隠す必要があるのか。人間誰しも隠されると気味が悪くなるものですよ。だから、僕はセックスをセックスと呼ぶ。大人だからね。ちなみに僕は童貞です。

セックスは人間の根源的な生に密接に関わっている。だから、セックスが関わる話が好きだ。生に関わる話が面白いのは、当たり前のことである。皆大好きな筈だ。僕も皆と同じように大好きです。でも、まだ思春期真っ盛りの中学生の時はよく分からなかった。大人が読みそうな小説はなんでセックスを詳しく描写されているのだろうとずっと不思議に思っていた。全く面白くなかった。だけど、エロ小説の中でも、窪美澄さんの「ふがいない僕は空を見た」という小説はとても面白かった。当時の僕は意味がよくわからなかったけれど、読後感はとんでもないものだった。多分、あの感覚が小説を本当に楽しむということなんだろう。この物語のテーマをなんでしょう、なんていう日本の国語教育は死ね。

僕もセックスが関わる話を作りたい。イタイ女子大生が好きなクズの本懐みたいのじゃなくて、生の奥深くを激しく揺さぶるような話を作りたい。そのために努力しようと僕はとても思いました。

白、黒、/春課題2/あおいろ

身に染みる寒さに耐えきれず、ようやく意識を浮上させた。
随分前から寒さは感じていたが、それを誤魔化しつつ目を瞑り睡魔に誘われるままに再び沈降することを繰り返していたのだ。
軽くため息をつき体を起こす。カーテンの仕業で部屋全体がぼんやりと青い。
――なんだか、海の中みたいね。
そう言っていたのは誰だったか。漠然と顔は思い出すことができるが名前がはっきりしない。思い当たるいくつかの名前に思考を巡らせようとしたが、末梢的だと思い放棄することにした。

カーテンの隙間が僅かに開いていた。そこから漏れる純粋な白い光が、隣にある白い背中に当たる。日に焼けていない為だけでない、先天的な色素の薄さに基づくのであろうその白さは透き通るようで、しかし実際には確かな質量を伴ってベッドを沈ませている。その上には、烏の濡れ羽のように深く艶のある黒髪が流れるように掛かる。自然と手を伸ばしその髪に触れる。掬い上げた黒いそれは重力に素直であり、再び白の上に落ち着く。
――ん……。
白い背中が微かに動いた。少しすると、スプリングの軋む音と共に水の如く黒髪が流れていく。こちらを向くその主の顔。
――おはよ。
いつもより細められた目に長い睫毛が影を落とす。白目に浮かぶ黒い瞳、黒い睫毛、黒い影。
また白と黒だ。

白と黒。善と悪。正と邪。明瞭に異なる二色の対比は、不気味ながらもどうしてこんなにも人を惹きつけるのだろう。しかしこれらは共存しながらも混じり合わない。一人の人間が併せ持ち、複雑に絡み、まだら模様を描く。決してグレーにはならない。白は白、黒は黒のまま。
その魅惑さのために、自分は心を掴まれて逃れることが出来ないのだろうか。白と黒で構成されている、その存在から。

……そんなことは無かった。思惟の淵から浮上すると、モノクロの顔の中で、緩やかにカーブを描く淡い紅が目を引いた。
無意識に息が止まる。身体の内から、欲望がせり上がってくるのを感じる。身体をよじり、体重を右腕にかける。左手は白い頬の線をなぞり、その先端で動きを止める。

上向いた睫毛はしっかりと自分を捉えていた。そしてその瞼は、瞳の奥を僅かに煌めかせた後、ゆっくりと下ろされた。

内田邸の主寝室の隣で/春課題1/rascal

1
風通しをよくするために開けられた窓から庭に咲いた花の香りと春の心地よい日差しが差し込んできた。僕はずっとこの部屋にいて外にほとんど出たことがないけど、それでも春の訪れが感じられるにこの空間が好きだ。まあそうでも感じていないとやってられないというのもある。

このまま眠ってしまいそうだったけれど、廊下から聞こえる足音でふと目が覚めた。この音程はお嬢様のものだ。お嬢様は僕の他に部屋に誰もいないのを見ると嬉しそうに僕に寄りかかって、お気に入りの本を読み始めた。僕は黙って受けとめる。いつも読んでいるものだ。僕は文字が読めないから何が書いてあるかわからないけどこの本を読んでいるお嬢様はとても穏やかに笑っていて、美しいから好きだ。ある程度読み進めてからお嬢様は本を閉じてフッとため息をついた。

「女学校を卒業するのはいいのだけど、結婚は嫌だわ。お見合いで1度お会いしただけだし」

詳しい話は知らないが、お嬢様は明日結婚するらしい。確か軍人さんだとか。女学校を卒業したのだから結婚するのは普通なのだけどお嬢様は不安そうだ。僕もお嬢様に会えなくなるのはちょっと、いやかなり寂しいなと思っていたりする。

「この部屋でこうしてお庭のお花を見ながらゆっくりするのはこれで最後なのね…あなたとこうしているの、けっこう好きだったのに」

僕もです、と言いたいけれど伝えるすべがない。

「ふふっ。私ったら何を言ってるのかしらね」

そう言い残してお嬢様は部屋を出ていった。お嬢様の背中が不安そうに見えたけど、僕には何もできない。不甲斐なさを感じながら、僕はゆっくり眠ることにした。

 

 

2
寒い。もう12月になろうとしているのだから当たり前なのだけれど。窓のすぐ外にある桜の木も枝だけで寒々しい。

寒さに必死に耐えていると、部屋に旦那様が入ってきた。旦那様には書斎もあるのに、たまにわざわざこの部屋に入ってくつろぐことがある。あ、暖炉に火を入れてくださった。助かる。僕を買ってくれたのも嬉しいのだけど、こうしてちょくちょく部屋に来てくださるのが特に嬉しいと感じる。

「この本ももう読めなくなるかもしれんな」

そう言って本を開いて読み始めた。相変わらず文字は読めないけど、異国の文字だというのはなんとなく分かる。いつの日かお嬢様が苦手と言っていたエイゴという文字かもしれない。

「大日本帝国はもう米国と戦争しなければならないのだろう…あの子の旦那も戦場に行くのだろうな」

この部屋を掃除してくれる女中と旦那様の話を聞いただけだからよく分かってないけれど、この国はどこかの国と戦争するらしい。この前、敵国から最後通牒が来たとか。旦那様は戦争した結果が目に見えているからなんとかしようとしたみたいだけど、もう引退する身だし、結局だめみたいだ。

「あの子は大丈夫だろうか」

お嬢様が結婚なさってからかなり経った。お会いしたいなあ。最後にお会いしたときはまだあどけなさもあったけれど、今ごろは立派な貴婦人になっているのだろう。

「私ももう長くないし…できる限りのことはしてやろう」

そう言って僕に寄っかかって寝てしまった。いいなあ旦那様は。僕はお嬢様になにもしてあげられない。こうやってお嬢様を案じる旦那様を支えることしかできないのだ。

 

 

 

3
この部屋にいて1番好きだなと思う季節は春だけど、秋もなかなかいい。桜の葉が赤く染まっているのも澄んだ空気もいい。

ずっと部屋にいるけれど外の世界ではかなりの変化があったらしい。まず戦争が終わった。部屋からいろいろ見ていたけれど、もう空襲はこりごりだ。ここから出られないから、ここまで火が回ってきていたら焼け死んでいただろう。それで敵国が占領しに来て、戦争しない平和な国になったとか。あと新しいものが増えた。僕がこの部屋に来たときは馬車通しから馬車の音がしていたのだけど、最近はクルマというものができたらしく、ブーブーいう音が聞こえるようになった。

物思いにふけっていると廊下からあの変わらない音程の足音が聞こえてきた。

「あら、誰もいないのね」

そう言ってお嬢様は僕にゆっくりもたれかかった。最近のお嬢様は編み物をよくするようになった。これから冬になるからだろう。あの春の日、結婚前日で不安そうだったお嬢様のお姿とは大分変わった。顔には皺が刻まれ、つやつやした黒髪は真っ白になった。手もしわがれた。でも僕にもたれかかってのんびりしているときの穏やかな笑顔はあのときの面影が残っている。

お嬢様は戦争でご主人を亡くしてから、子どももできなかったしということでこの家に帰ってきた。今は自分の姪子のお子様を本当の孫みたいに可愛がって日々過ごしている。今編んでいるものもその方にあげるのだろう。

「そういえばこの安楽椅子、ずっと前にお父様が買って来てからずっとあるわね。これに座って本を読んでくつろぐの好きだったわ」

ああお嬢様は僕のことちゃんと覚えていらっしゃるのか。僕は安楽椅子として少しでもお嬢様にくつろぎの時間を与えられていたのか。

「結婚前日に弱音吐いてこの安楽椅子に話しかけたりしたっけ」

そんなこと忘れているだろうと思っていた。安楽椅子冥利に尽きるというものだ。

お嬢様を呼ぶ声に「はいはい、今行きますよ」と返事をしてお嬢様は部屋を出ていった。窓から吹いてきた秋風に身を任せて僕はこの体を揺らした。僕ももうガタがきているけれど、せめてお嬢様がこの部屋に来てくださらなくなるまでは頑張ってみようかな。

公演前のミニコント(洋館編)/春課題1/ととのえ

登場人物

石野:劇団代表。次回公演の準備に邁進している

大沢:石野の劇団の俳優。劇団の借金をよく押し付けられる

坂田:石野の劇団の俳優。今回死体を演じると言われている

 

大沢 「にしても、こんな洋館を公演で使おうなんて、大げさすぎませんか、石野さん」

石野 「このリアル感がいいんだよ。せっかく殺人事件の芝居をやるのだから」

大沢 「いや、昔の高級家庭の話をやるわけじゃないんだからわざわざ高いお金出して借りる必要ないじゃないですか。また赤字出ますよ。赤字で迷惑するのは石野さんだけじゃないんですから」

石野 「お前は何にもわかってねえなあ。この情感があってはじめて芝居が成立するんだよ。それに見ろ、坂田はこんなにやる気だぞ」

――― 坂田、床に伏している。持っているスケッチブックにダイニングメッセージ風に

「こんなもっともらしい場所で死体が出来るなんて役者冥利に尽きますよ。ワクワクして1か月ずっと役作りしてたんですよ」と記す

石野 「ほうらみろ」

大沢 「坂田さんまで何やってるんすか」

――― 坂田、スケッチブックに「えへへ」と記す

大沢 「いや、誉めてないです。しかし、こんな狭い場所じゃ全然お客さん入らないですよ。赤字を出すのもいい加減にしてくださいよ、石野さん」

石野 「ここに高く売れそうなシャンデリアがあるじゃないか」

大沢 「いい加減にしろ」

 

 

言い訳兼宣伝兼字数稼ぎ

言い訳タイムがないのでここに書きます。まず殺人事件のネタは洋館で誰かが「ここ殺人事件とかで出てきそうじゃね」みたいなことを言っていたからです。これはあまりにも簡単すぎる例ですが、同じ場所に行くとこういう他人の考えが共有されてネタになるってことがあるのもいいことだと思います。

ここからが本題ですが、こんな文章になってしまったのは(そして散々LINEで煽っておきながら時間通り提出しなかったのは)、芝居の稽古で忙しいためです。以下その公演について軽く宣伝します

野外演劇「常陸坊海尊」

藤沢・白幡神社にて、32526日、両日16時半開演

MDEGONTHさん、味噌のさん、その他人文13年生も出演します。

http://y-labo.wixsite.com/home/about-2 ←ホームページ

ぜひお越しください!

地元トーク/春休みの課題1/さくら

地元、といえば僕は生まれも育ちも横浜で、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、そしてバイト先まで人生20年間の全てが横浜市内で完結してる、生粋のハマっ子なのでして。

でも、横浜って広いもので、18も区があり、その内横浜感を出していられるのは精々中区(桜木町と関内)と西区(横浜駅とみなとみらい)で、僕の住む金沢区なんてのは、果ての果てなんですよね。

そもそも地方から来ている子が金沢区なんて知ってるはずもないので、よく神奈川区(一文字違い!)と間違えられたりと散々ですが、とりあえず自虐交じりにでも、我が街金沢区を紹介していこうかと。

 

・まずこの金沢区、区の東側は大体全部埋立地。横浜は横国に通っていれば分かる通り、そこらじゅう山だらけで、区の西側こそそんな感じなんだけど、東側は横浜らしからぬ真っ平ら。北海道には負けるけど真っ平らの土地にひたすら直線の道路と銀杏並木という、一風変わった光景が。

・一応この区、ある物が有名だからそれさえ言ってしまえば意外とイメージ湧いてもらえるんです。そう、「八景島シーパラダイス」。小学校の遠足は、シーパラで水族館とイルカショーってのが王道でしたね。イルカかわいい。シーパラは、ネズミの国とは違い、入園料という概念がない(アトラクション課金制)ので、たまに海風を浴びに散歩に行ったりとかしますね。なんとなくで行ける距離(チャリで15分くらい)なんで、正直あそこが全国区のレジャー施設だってことは恐らく地元民は自覚ないんじゃないかな、と。

・そして、繁華街が、双子都市の金沢文庫と金沢八景。地元民は「文庫」と「八景」って呼ぶんですけど、客観的に考えてみると、けっこう変わった駅名ですよね!?ちなみに、小説とかの文庫は「ぶん→こ→」、地名の文庫は「ぶん↑こ↓」って発音で区別できます。つい最近、八景の駅の近くにあったダイエーが大人の事情でイオンに変わり、溜まり場がイオンという典型的な田舎者になってしまいました(そんなに店舗大きくないけど)。

・正直市内なのに横浜駅に出るまで自宅からの徒歩を含めると40~50分かかったり、市内通学なのに大学まで80~90分かかったり、死ぬほど不便です。魅力を語るとしたら、何なんだろう……もしかしたら横浜市大の人たちは知ってるかもしれないです。

・ただ、よくスタジオで話してるんですが、去年だかにうちの近くにやってきたOKストアの価格破壊ぶりには感動させられましたね。臨海部にあるコストコなる巨大倉庫系スーパーと併せて、食糧には苦労しないってのは利点かもですね。

・新杉田(磯子区)まで出ると、割と良い繁華街があるのと、金沢区を走るシーサイドラインが新杉田まで伸びていることもあり、金沢区民は若干杉田をうちのもん扱いしてるんですが、磯子区民に怒られます。

・あと、金沢区民の京急への信頼と愛は強い。JRは金沢区手前で逃げるように曲がってしまうのと、遅延のリカバリの遅さ云々で(乗るけど)disられがち。

 

久々にしっかり文章書いたら支離滅裂すぎて笑ってる。とりあえず金沢区に一回来てみてほしい。何も無いけど。とりあえず僕が20年間暮らしてきた空気だけ吸ってくれればとりあえずいいや。

地元トーク/春休みの課題1/杏仁

地元について書くとなると、やっぱり我が地元、佐賀県について語るしかなくなってくるのですが、なんせ書くことがない。
しかしこれから、誰もピンとこないであろう佐賀県について絞り出して捻り出して何かしらをいい感じに語っていこうと思います。
まず、初めて会った人に出身を聞かれて佐賀県ですと答えたところで、そのあとに実りのある会話ができた試しがない。

パターン1
「へ〜、九州?だよね?」
「そうですよ〜」
「遠いとこから来たんだね〜」
「まあ遠いですね〜」

パターン2
「SAGAの!はなわの!」
「懐かしいですね〜」
「ね〜」

パターン3
「がばいばあちゃんのとこか!」
「そうですね〜」
「やっぱりあんな風に訛ってるの?」
「そこまでないですよ〜」
「へ〜」

パターン4
「佐賀県ってなにがあるの?」
「、、、吉野ヶ里遺跡。」
「、、、あぁ。」
なんか自分のコミュ力がひたすらに足りないだけな気がしてきたのでこの話は終わりにします。

しかも言い訳をさせてもらうと、私は中高時代部活に青春を注ぎすぎたせいで、ほとんど家と学校の往復しかしない生活を送ってきたため、佐賀県の色んなスポットに行った経験がない(そんなスポットがあるのかは不明というかイオンしかないと思っている)ので、地元についてよく知らない。
ということで、わたしに佐賀のこと聞かないでください。知識もコミュ力も皆無です。
でも、あの存在感の薄い感じとか、人気のある県ランキングで微妙に下から5番目くらいで最下位にもなれないからフューチャーされない感じとか、ネタにできるほどの田舎でもない感じとか全部含めて大好きなんです。

佐賀県のいいところ言えって言われてもあんまり思い付かないけどなんかやっぱり好きなんです。もっと都会に生まれたかった!なんて思ったことないし。なんか自分の身の丈にあってる気がするんですよね、佐賀県。

 

まあ、一度行ってみてくださいとかは言わないので、長崎に行く時に通ってください。わりとそれで本望です。

地元トーク「浅草」/春休みの課題1/θn

銀座線浅草駅のホームにはホームドアがない。

足を滑らせたら怖いなぁとか思いながら何年も通学してたけど、ついにそんな都会の田舎の駅にホームドアができるらしい。ついこの前帰省したとき、設置用のテープとかシートとかが貼られていた。

ホームドアだけじゃない。駅そのものがまるきり姿を変えるらしい。最近浅草やら上野やらその辺の建物がすごい勢いで改装されていて「はいはいTOKYO2020」みたいな感じ。駅のトイレが綺麗になるのはとっても嬉しいけど現状すごい不便だし、完成図も想像つかないから、わくわくするというよりはなんだかげんなりした気持ちだ。

前に何かのテーマの文章で触れたかもしれないけれど、私は人生の大半を浅草で過ごしている。地元の学校に通っていたのは小学生のときだけだったから、成人式は結構しんどい心持ちではあったけど、住んでた歴は随分と派手で騒がしくなっていた彼らとおんなじである。我が物顔で浅草公会堂を闊歩する彼らを見るとなんだか嫌な気分にもなる。

っていう話はまあいい。いずれぐええっていう文章を書くことになるんだろうから。

両親が浅草付近に移り住んでから私が生まれるまでには、たしか3年の間があった。私が生まれてからちゃんと浅草という場所に対して何らかの印象を持つまでに6年ほどあったとして、少なくとも10年近くは浅草という街は終わった場所だったらしい。まあ両親の言ったことが正しければ、の話だけれども。

今でこそ絶対そんなことできないけど、ちょっと前までは地元のおじさんたちは自転車で仲見世も新仲見世も、なんなら浅草寺の中まで(さすがに建物内じゃない。言わなくてもわかるだろうけど)駆け抜けていた。

それが今や一大観光地である。誰も彼もがいたるところで写真を撮っている。暇そうにしていた人力車のお兄さんたちが流暢な英語を話しながら、渋滞を縫って走っていくという光景はいまとなっては当たり前のものだ。

もちろん外国のひとだけじゃない。日本人でもみんなスーツケースをがらがら引いて、何でこんなとこまで……みたいなところに人が来ている。別に悪かない。悪かないけど、観光地に住む地元民ってやっぱり複雑だ。ましてこれからどんどん整備されていくことが目に見えているなら尚更。

駅前の百貨店は外観から内観までまるっと工事して随分レトロ調になった。レトロ調。銀座線も外装は綺麗に、内装は昭和風になった新車両が解禁されている。昭和風。なんだなんだパチもんばっかり。こうじゃなかっただろ。ってなんだか必死な有様に笑えてくる。銀座線は旧塗装のが可愛かったし、小さい頃遊んだおもちゃ屋さんは改装のタイミングで閉店した。

こんな感じでじわじわと、でも確実に街は変わっていくんだろうなぁって、そんな雑感。まあ東京でしか暮らしたことないから、わかんないんだけどさ。

こいつはもうダメだ/春課題⑤/エーオー

初めに:本記事では、人に悩み相談をされたときに「じゃあ、その苦しい思いを物語にしよう!」とアドバイスをすることは、果たして事態を解決するのかということを、ヘルマン・ヘッセ著「車輪の下」を用いて考えていきます。

事件が起こったのは後輩に悩み相談を受けたときでした(一部事実を捻じ曲げています)。
その後輩には好きな人がいました。しかしその人に彼女ができてしまい、さらにその彼女は後輩の苦手な子だったのです。
なんであの子なの、とショックを受けている後輩。参考になることをついぞ経験しなかったエーオーは、なんとか有効な解答を繰り出そうとします。
「そっか、じゃあその苦しみはお話にすればいいんだよ! 物語は苦しみがないとできないからね!」

それから数ヶ月後、ようやくエーオーはあることに気づきます。
「私のあのアドバイス、相当クソなんじゃないか?」

★『車輪の下』あらすじ★
 自然あふれる田舎町で育った主人公の少年ハンスは、周囲の期待に答えるため必死に勉強し神学校に入学します。その後も勤勉さから模範生と言われるものの、徐々に心のバランスを失い成績は下降。教師らの態度は一変し彼を追い詰めます。ついに精神病を患い、退学して故郷で見習工として働きはじめるハンス。そして、物語は悲しい結末へ――。

★語彙のないエーオーによる、野暮助な内容まとめ★

「ちっちゃい頃から勉強ばっかさせすぎて、大切なものを失ったケース!」

要するに、教育と洗脳の狭間というか、疑いもせず学校側の理想をすべて正しいものとして受け入れて育った人間がいたら、それはある意味で奴隷です。
にも関わらず、その理想から外れた人間に対してのケアが怠られているという話でしょうか。
教育に関する永遠のテーマでもありそうです。未読の方はぜひ自分の目で確かめてください。

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 さて、今回はこの作品を私利私欲の為に、あえて作者の人生と結び付けて考えます。

 作者、ヘルマン・ヘッセって誰? という方。それでは聴いてください、ヘッセで「そうか、つまりきみはそういうやつだったんだな」

ウッ、突如胸に痛みが……! 
もうお分かりでしょう。あの国語の時間、全国の中学生にトラウマを植え付けた『少年の日の思い出』の作者です!

 さて、この作品はそんなヘッセの自伝的小説でもあるようです。
まず、勉強に打ち込み神学校に入学したものの退学、その後見習工になるという流れが実体験に基づいているようです。
(試験前のストレスと緊張の描写とかね。読んでて受験思い出して呼吸浅くなります。)
 
★シャイな優等生ハンス、自由な詩人ハイルナー★

さあ、こっから本題に入ります。
自伝的と言えど、作者との共通点もあれば相違点もある。
ここでは、物語に登場するふたりの少年に注目していきます。

 主人公のハンスは模範少年。入試では二番の成績を納め、その後も熱心に勉強に取り組みます。
はい、こっからが死ぬ人ぞ死ぬ性癖ポイント! みんな赤マーカーを用意してね☆ 
勉強を妨げるものは遠ざけたいと思う一方で、みんなが友情を育むのを見て憧れています。でも恥ずかしくて自分から人にむかっていけないから、誰か自分を引っ張ってくれたら――と願っている少年なのです。
で、でたーー! 超めんどくさいパターン! だが分かる、むしろそのめんどくささがいじらしいと言われる世界で私は生きていきたい!! 何度心で下線を引いたか。こういうやつが拗らせた末路が私!

 はい、いい加減自分と重ねるのはやめましょう。ハンスには無事に1人の友達ができますからね。

 ハイルナーは、またハンスとは正反対な少年です。勉強をクソだと言い(言うて学年で20番なんですけどね、彼)、詩を書いて自由にふるまってみせる、模索中の詩人なのです。
 とはいうものの、彼は自分の心を打ち明ける人を求めていました。時おり憂鬱の発作を起こしては、友達であるハンスに慰めてもらうのです。
 で、でたーー! 全世界の、創作者が「あ”あ”あ”わかるぅ……」とうめき声をあげるキャラ設定――! いやだからホントね!? どうして創作をやる人間はよオ!! 軒並み躁鬱が激しいのがデフォなんだよ!!?

 ともかく二人は友情を深めていきます。そこはぜひ本編にて。
しかし、次第に詩人を志すハイルナーは学校生活に耐えられなくなり、脱走を重ねてハンスより前に退学します。

★ヘッセはハイルナー?★

 あらぶりましたが話を本題に戻します。
 この作品はヘッセの自伝的小説だと述べました。
 ではハンスとハイルナー、二人の少年のうちどちらがヘッセなのか、という方向で話を進めます。

 結論から言えば、どちらもでしょう。高橋健二訳文庫版あとがきでは、ヘッセは自身の素朴な自然児としての性質をハンスに、詩人の側面をハイルナーにふり分けたのだろうとの解説があります。
 まあ結局、物語の必然ですよね。物語は作者が作る以上、すべてのキャラクターに多かれ少なかれ作者の魂の欠片みたいのが込められています。

 ですが、私は強引に「ヘッセはハイルナー」だと分類してみます。
 なぜなら、苦しみを「書く」ことで昇華する人である点で、ヘッセとハイルナーは共通しているからです。ハイルナーは詩人ですから。
 ここで新たな論点を立ち上げます。
 なぜ、「書く」ヘッセはハイルナーでなく、「書かなかった」ーつまり苦しみを書くことで昇華できず悲劇で幕を閉じたー人間である、ハンスを主人公にしたのでしょう?

 だって、ふつうは詩人として大逆転を決めた、ハイルナーの方を主人公にする気がしません?
 やれ大事なのは教育だ学問だと自由な精神を否定する学校。そんなお堅い連中に、主人公は学校を追われる。しかし諦めず、自分を信じて遂には詩人として大成功! 実際に彼は成功しているのですから、これ以上リアリティのある体験談はないはずです。読者は読んだときに、自分もこうしてみよう! と道しるべをえられるのでは?
まあ、そうなると一種の自己啓発本ですよね。

 でも、そうではなかったんです。
主人公は「書く」こともできず、教育と言う車輪から、逃れられずに轢かれてしまったハンスです。
 私はそこに意味があると思います。『車輪の下』が詩人ハイルナーの、創作者のサクセスストーリーではなかったことです。

つまり、そんなもんを書いてしまったら、悩み相談を受けた際に「そっか。じゃあその苦しみを物語にすればいいんだよ!」というポンコツな私のアドバイスとおんなじことになるのです。

★「書く」人と「書かない」人★

 幸せだけでできた物語はありません。主人公は必ず苦難に見舞われる。その苦しみに書き手はあらわれます。
どこにもぶつけようのない苦しみや怒りを、「来い、ぶっ殺すぞ!!」と作品に刻み付け昇華する。理不尽に対しても「今は大人しくしといてやる。いつか絶対殺すからな!」と、その場では気持ちを抑え、後で物語という計画犯罪を実行する。そうやって生きてる人間がいます。そして、たぶん少なくはない。

 でもやっぱり、誰もが「書く」人間ではありません。
 
最初から結論は出ているんです。
私の「苦しいことは物語にしよう!」という解決法は、書く人にしか効きません。
 
 もし、詩人ハイルナーが創作で道を切り開くサクセスストーリーだったら? ハイルナーの活躍する姿を見て、読者は自分のことのように嬉しいかもしれません。主人公のように報われる日を、信じたっていいじゃないかと。
 でも。そこにはひとつのラインが引かれています。

 それは自分が詩人ではないということです。
 詩人ではない人間は、どうしたらいいのか、報われないのかということ。

 不幸なんてきりがない。それを物語にするにも相当の時間と労力がいる。
 どうですか? 人に悩み相談したとき、例えば学費が払えず過酷なバイトをするもついに身体にガタが出始めた。一体どうすればいいのか……その気持ちを打ち明けたときに、「じゃあ、それを物語にしようよ!」と言われたら。

 やってられっか〇すぞ!! ってなりますよね。

そりゃ常に人と関わっているのだから、理不尽や悲しみや怒りがあっても、それをやり過ごさなきゃいけないことのほうがずっと多い。容赦なく進む現実に、いちいち落ち込んでられません。

 そうやって、書くことにも逃げずに、傷を誤魔化し心を擦り減らしながら、日々をなんとか生きてきた人の痛みを、ヘッセはすくいあげたのです。

 主人公は「書かなかった」ハンスです。彼の最後は幸せでも成功でもありません。
それでも、車輪に轢かれてしまった少年のそのセンシティブな苦しみや悲しみを、ヘッセは素晴らしい文学にしました。
その物語が、ハンスと同じく行き場のない苦しみを抱えていた人たちを「分かってくれる人がいたんだ」と解放したのです。

まとめ:エーオーと違って、ヘッセは書かなかった人の心も見事にすくいあげた。これを踏まえて今後どのように悩み相談に答えていくか考えていきたい。

参考:
ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」高橋健二訳 新潮社 1951