「え、それはあんたが悪いでしょ」
幼なじみの奈々子が言った。
「いや、待って。ちょっと聞いてほしい」
つれてきてもらった、焼き鳥屋のカウンターで私は熱弁をふるう。市川英人がいかにどうしようもないやつであるか。ラインにぶりっこじみた顔文字を使ってくること、どう考えても哀れになるくらい資料作成の段取りが悪いこと、何を勘違いしているのか髑髏のピアスをしていること。ひと段落してから口をつけた林檎サワーは、果肉がだいぶ底の方に沈んでいた。
「うん。わかる。そういう人いるよね」
「でしょ? ホント無理なんだけど」
「でもさ、それあやめのこと好きなんでしょ。かわいそうだよ。せめて、え~ちょっと忙しくて~とか、角の立たない断り方しなよ」
横を向くと奈々子と目が合った。落ち着いた目だった。
ああ、やめてよと私は思う。
中学校の教室で、私は奈々子といつも一緒だった。
奈々子はけっこうおしゃべりだ。でも、どちらかというと地味目な女子だった。クラスの上位層のグループとの権力差は目にみえていて、その一線をはみ出さないような発言をせざるをえない。だから、親しい人の前では、という枕詞がつく。
対して、私は転校生だ。カーストは無効。もう、ハナッから異分子である。なにを言おうが「まあ、転校生だから」で済まされてしまう傾向を大いに利用して、友達の数の多さと引き換えに、割と好き放題なことを言っていた。
その日も、いつものように何も考えずにものを言った。
「なんか、サッカーって片仮名で書くとダサいよね」
恐れ多いことに、サッカー部のいる教室でだ。今となっては分かりすぎるくらい分かる。悪気はなかった。でもそれとこれとは別問題だ。ついでに、私は声が大きい。
そのとき奈々子はどんな顔をしていただろうか。きっと、その時に限ってあの静かな鹿のような目をしていた。
「まあまあ。でさあ、あのドラマ見た?」
奈々子が話を逸らし、そこからはまた会話が続いたと思う。
「折口、元気ないね」
今日も今日とて、私は市川に捕まっていた。視線を逸らそうにもこの空き教室に、私たち以外の誰もいなかった。
「うん、ちょっと、友達と気まずいなって」
「まじか」
市川に変に気を使われているのが分かっていた。貸しは作りたくなかったけど、どうしようもなかった。
言いたいことを、言わなければいけない時がある。言った方が、いいときがある。でも、そんなとき、必ず誰かが私を助けている。何かを言うことは、人を傷つけることが多い。
あの焼き鳥屋のカウンターで、私は奈々子に肩をぶつけたかった。ずっとずっとごめんなさいって謝りたくて、でもできなくて、奈々子の言うことに耳をふさいで、抱き着いて忘れてしまいたかった。
どうしようもないのは、私だ。
奈々子や市川や、出会った人みんな。彼らにもう一度会うことは、罰を受けることだ。打ち上げなんてされたらさあ。私はみんなに土下座して回るしかなくなるんだよ。勝手に話を進めてごめんなさい、あなたたちの意見を聞かなくてごめんなさいって。
こんなつもりじゃなかった。なるべく誰も傷つけないで生きたかった。後になって気付くことが多すぎる。周りを飛び回る思い出たちが、親し気に語り掛けてくれる人が、無数の棘に変わって私を刺すから、当然の報いだってわかってるけどもう、息ができない。
そこから逃れたくて、手を触れてしまった。
市川の肩は、筋肉のせいで発熱してる。あ、男の人だと思う。思った瞬間なぜか苦しくなる。
だめだだめだ、だめだ。好きじゃないのに。こんなのはきっと愛じゃないよ。傷つけたことが、帳消しになるわけじゃない。でも触れている間は、忘れられるから許された気がする。
誰か、私を許してほしい。でも、たぶん、そのために私は誰かを許さなきゃいけないんだろう。
脈絡なく泣き出した私に、市川がびびっている。それがおかしくて、下手な塩抜きみたいに少し笑った。