「棘」カテゴリーアーカイブ

息ができない/棘/エーオー

「え、それはあんたが悪いでしょ」
 幼なじみの奈々子が言った。
「いや、待って。ちょっと聞いてほしい」
 つれてきてもらった、焼き鳥屋のカウンターで私は熱弁をふるう。市川英人がいかにどうしようもないやつであるか。ラインにぶりっこじみた顔文字を使ってくること、どう考えても哀れになるくらい資料作成の段取りが悪いこと、何を勘違いしているのか髑髏のピアスをしていること。ひと段落してから口をつけた林檎サワーは、果肉がだいぶ底の方に沈んでいた。
「うん。わかる。そういう人いるよね」
「でしょ? ホント無理なんだけど」
「でもさ、それあやめのこと好きなんでしょ。かわいそうだよ。せめて、え~ちょっと忙しくて~とか、角の立たない断り方しなよ」
 横を向くと奈々子と目が合った。落ち着いた目だった。
ああ、やめてよと私は思う。

 中学校の教室で、私は奈々子といつも一緒だった。
 奈々子はけっこうおしゃべりだ。でも、どちらかというと地味目な女子だった。クラスの上位層のグループとの権力差は目にみえていて、その一線をはみ出さないような発言をせざるをえない。だから、親しい人の前では、という枕詞がつく。
 対して、私は転校生だ。カーストは無効。もう、ハナッから異分子である。なにを言おうが「まあ、転校生だから」で済まされてしまう傾向を大いに利用して、友達の数の多さと引き換えに、割と好き放題なことを言っていた。
 その日も、いつものように何も考えずにものを言った。
「なんか、サッカーって片仮名で書くとダサいよね」
 恐れ多いことに、サッカー部のいる教室でだ。今となっては分かりすぎるくらい分かる。悪気はなかった。でもそれとこれとは別問題だ。ついでに、私は声が大きい。
 そのとき奈々子はどんな顔をしていただろうか。きっと、その時に限ってあの静かな鹿のような目をしていた。
「まあまあ。でさあ、あのドラマ見た?」
 奈々子が話を逸らし、そこからはまた会話が続いたと思う。

「折口、元気ないね」
 今日も今日とて、私は市川に捕まっていた。視線を逸らそうにもこの空き教室に、私たち以外の誰もいなかった。
「うん、ちょっと、友達と気まずいなって」
「まじか」
 市川に変に気を使われているのが分かっていた。貸しは作りたくなかったけど、どうしようもなかった。
 言いたいことを、言わなければいけない時がある。言った方が、いいときがある。でも、そんなとき、必ず誰かが私を助けている。何かを言うことは、人を傷つけることが多い。
 あの焼き鳥屋のカウンターで、私は奈々子に肩をぶつけたかった。ずっとずっとごめんなさいって謝りたくて、でもできなくて、奈々子の言うことに耳をふさいで、抱き着いて忘れてしまいたかった。
 どうしようもないのは、私だ。
 奈々子や市川や、出会った人みんな。彼らにもう一度会うことは、罰を受けることだ。打ち上げなんてされたらさあ。私はみんなに土下座して回るしかなくなるんだよ。勝手に話を進めてごめんなさい、あなたたちの意見を聞かなくてごめんなさいって。
 こんなつもりじゃなかった。なるべく誰も傷つけないで生きたかった。後になって気付くことが多すぎる。周りを飛び回る思い出たちが、親し気に語り掛けてくれる人が、無数の棘に変わって私を刺すから、当然の報いだってわかってるけどもう、息ができない。
 そこから逃れたくて、手を触れてしまった。
市川の肩は、筋肉のせいで発熱してる。あ、男の人だと思う。思った瞬間なぜか苦しくなる。
 だめだだめだ、だめだ。好きじゃないのに。こんなのはきっと愛じゃないよ。傷つけたことが、帳消しになるわけじゃない。でも触れている間は、忘れられるから許された気がする。
誰か、私を許してほしい。でも、たぶん、そのために私は誰かを許さなきゃいけないんだろう。
脈絡なく泣き出した私に、市川がびびっている。それがおかしくて、下手な塩抜きみたいに少し笑った。

リュウコウコワイ/棘/どみの

ガウチョやスカーチョ、テロンチなど、ファッション業界は様々な流行を発信しているが、近年あるものが密かにブームになってきている。

 

それは、”プリクル”と呼ばれるもの。

ジャンルとしては、スタッツののようなトゲトゲしたものを身につけるというもの。2012年頃、そういうアイテムが流行して下火になっていた今、さらに鋭利になって再ブームになったのが今回のプリクルである。

 

代表的なものとしては、まるでハリネズミのような靴プリシューズや、10cmの棘を10本持つ10(テン)チョーカー、見た目は毛皮のコートの見えるが、それは無数の棘の集合体であるという棘毛コートもでている。

手軽なところだとイガグリピアスや、ハリセン帽子(ハリセンボンを模している)もSNSで今話題である。

そのプリクルの特徴というのが、痛さである。棘の先はしっかり尖っており、触ると痛い、扱いを間違えれば、怪我をするというのがこの服の特徴である。

 

では、なぜそのような服が流行り始めたのだろうか。一説としては、ネットコミュニケーションが発達してきた今、現実世界で他人と関わりたくないという自己防衛のための棘装備であるのではないかと言われている。統計的にもパーソナルスペースの平均値が近年大きくなっており、むやみに近づいて欲しくないという現代人の考えの表れかもしれない。

 

しかしながら、このプリクル、いかんせん危険だということで社会問題にもなりつつある。幸い大きな怪我、事故は起こっていないものの今後の可能性を危惧し、プリクルを禁止する動きも出てきている。特に、学校関係者、保護者たちはその流行に対して過剰に反応しており、もうすでにプリクルのついたアイテム、服を学校に着て来ることを禁止しているところもある。

禁止されればやりたくなるというのが、人間というもの。最近は新たに棘の出し入れ可能なアイテム、いっけん普通の服に見えるがあるギミックのよって針が出現する服など、一般の若者たちがアレンジ服を作っているのが動画サイトで話題になっている。それらが商品化されるのもそう遠くないだろう。

 

楽しむだけじゃ物足りなくなってきているファッション。今後ファッション業界が、若者たちが、どんな驚きのアイテムを発信してくれるだろうか。目が離せません。

帰路/棘/みくじ

 

 
坂。
帰路。
帰り道。
嗄れた声。
カラスの声。
猫が横切った。
ふと立ち止まる。
他に人も通らない。
長い坂を下っていた。
右の足のうらに違和感。
親指から少しかかとの方。
ちょっと痛い。刺さってる。
きっと、中に何か入っている。
大きさから考えて小石ではない。
まさか虫がなんてことはない。
と信じたいしそうなかろう。
そもそもいつ入ったのか。
今日ずっと履いていた。
脱いでないのにいつ。
きっとこれは棘だ。
植物かなにかの。
どこから来た。
どうやって。
いつから。
入った。
痛い。
棘。

 
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人差し指の手の甲側、第二関節に細かい線の跡がついていた。
白く細い引っ掻き傷が狭い等間隔でたくさん。
引っ掻き傷のスタート地点だけちょっと傷が深いらしく、赤みが出ていた。
気がつく前は痛みも何も感じなかった。
気づいてしまうとちょっと痒い。
掻きむしったらすぐ治りそうなものが悪化するかもしれない。
痒い。
こんな傷どこで。
いやこの細かさ。
細かく鋭いもの。
そうか、テープカッターか。

 
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私はサボテンが好きだ。
漢字で書くと仙人掌。
多肉植物で乾燥したところでも水分を溜め込み育つことが出来る。
もちろん私も鉢で育てている。
本当は部屋中をサボテンで埋め尽くしてサボテンの国を作りたいのだが、家族と暮らすにあたって一つに留めている。
私は身の回りの物に名前を付けたがりだから、サボテンにも名前がある。
能登。由来は品種のノトカクタスから。
小さくて丸い、細かい棘がびっしり。
実はダイソーで買った。
近所の大型ダイソーにいくつかサボテンが並んでいたけど、能登は群を抜いて美しく、可愛らしかった。
鞠のように丸っこく、細かい棘は産毛のようで、蛍光灯の下で柔らかく輝いているように見えた。
そんな能登は今、私の部屋の窓辺でてっぺんに黄色い花を咲かせて陽を浴びている。

サボテンとリボン/棘/ちきん

最初の恋 最初のキス 最初のデートをきみと

最後の恋 最後のキス 最後の笑顔もきみに

恋愛

映画の

 

 

ようには生きられない。初恋の人とは結婚できないし、自分はこの人でなければ生きていけない!というのも思い込み。人を好きでいることは苦しい、嫌いでいることも苦しい、永遠の恋はない、自分の人生の歴史はそんなに美しく編まれない。そこにはただ、寂しさや支配欲に基づいたいのちのやり取りしか存在しない。

 

 

私は、5人組アイドルももいろクローバーZが好きで、どのくらい好きかというと、ライブには行かないが、1人で2時間カラオケをしたりするくらいには好きだ。そんな彼女らが私の誕生日に(偶然)出してくれた3枚目のアルバムの中に、この「サボテンとリボン」という曲は入っている。アルバムのレコーディングの様子をドキュメンタリーにしたDVDを観ると、このアルバムのテーマは主に「死生観」と「恋愛」の2つで、後者に位置づけるためにこの曲が書かれたことが分かる。しかし、プロデューサーが、メンバーとの間でイメージを膨らますために、「『恋愛』について語って!」と投げかけても、みんなふざけたり茶化したりするだけで、誰もきちんと自分のエピソードを持ってはいない。その結果、リアルで切ない恋愛の曲になるのではと期待されていたものが、謎のマーチング調(?)の恋愛映画の歌になってしまったのだ。

ももいろクローバーZが、アイドルの中でも特に女性ファンを多く獲得しているポイントは、ここにある気がする。スキャンダルの有無などとは関係なく、女性らしさで男性の欲望に応える売り出し方をしていないから、同年代であるにも関わらず、そして自分なんかよりはるかに可愛くて輝いている存在であるにも関わらず、嫉妬の対象にはならなくて、特別好きでなくても、あの子たちは頑張っているよね、という感じで適当に認められてしまうのだ。特にリーダーであり、私と同い年の百田夏菜子は、「恋愛」のイメージがなさすぎて、1人だけ「キス」という言葉が入ったフレーズを当てられなかったそうだから、顕著だ。そして、多くの女性が彼女の魅力を認めてしまうそれは、ある種のマウンティングでもあるだろう。

しかし、いつまでも天真爛漫でみんなに元気を与えるだけの存在では居続けられない。あと数日でメンバー全員が20歳を越え、これからもこのままの方向性で活動を続けていくのでは、すぐに限界が訪れる。より多くの感情を経験し大人の表現をすることを目指すか、私は、限界が訪れたときに、そのまま終わってしまってもいいと思う。人々の欲望に縛られ、いつまでも少女のままで居続けようとする様子を見ると、自分もその眼差しを向ける1人であるのに、なんだかつらくなってきてしまうから。高校生のとき、ある先生に「人は失恋によって成長するんだ」と言われ、いやいや、失恋するよりはしない方がいいだろうと思った。でもやっぱり、人は経験を絶対に越えられなかった。彼女たちは私の知らないことをたくさん知ってはいるが、同い年の少女たちが、頭の中でしか大人になることをを知らないという事実は、私にはまったく関係ないはずなのに、どうしても、つらい。

破れた輪っかの/棘/ノルニル

     行くあてもなくバスを降りて、知らない街をひとり歩く。坂を登りながら上を見上げて、日が傾くと空の青がだんだん白んで死んでいくのだなと、そんなことをぼんやりと思う。
     遠くの家の窓ガラスに、だいだい色の光がうつってまぶしい。商店街の畳屋からい草の懐かしい香りが漂ったかと思えば、すれ違ったホームレスの通ったあとに饐えた臭いが立ち込める。やがてはそれも風に吹かれてすぐに消えた。

 

     きんいろをした月の思い出は遠く色褪せて、雑然としていたものが澄んだ単色に染まる。はじめは純粋だったはずの気持ちに、いつの間にか歪みが溜まっていた。
     目まいに地面がぐにゃぐにゃする感覚。半分はんぶんの気持ちはぎざぎざに割れて、その切っ先が胸に深々と突き刺さる。じくじくとした痛みはからだじゅうを苛み、傷口から流れ落ちた感情が血だまりを形作る。
     頭の中をおおうこの感覚はいったい何?四六時中、水の中にいるみたいに思考がはっきりしない。必死に堪えた息が時おり漏れ出て、身体が静かに震える。

     目を開いて、でも何も見ないようにしながら、息の続く限り自分を呪う言葉をひたすらつぶやき続けた。
     喉に言葉が引っかかるような感覚がずっと残る。いつしか声は出なくなり、代わりに喘ぐように酸素を求めた。胃を吐き出すような不快感がこみ上げて、激しく咳き込む。積み重ねた言葉と裏腹に、身体は生きていたいと主張する。どろりとした粘度の高い唾液を飲み込み、生理的な苦しさに潤んだ瞳に口元を歪ませて、狂ったように笑い声をあげてみる。

 

     人が傷つくのを見るのはいちばんつらい。そこには傷つける自分がいるからだ。あるいは、自分の思いを当てはめてしまうから。
     エッジの立った思いの棘はひとに突き刺さるのではなく、引っかかるのだと思う。まるで釣り針の返しのように、ささくれ立った感情はこの身に食い込んで外れない。
     でも、年を重ねるごとにわたしの表面はすり減って、次第に引っかからなくなっていた。これが大人になるということなのなら、と滑らかな皮膚を引っ掻くような心地よい痛みに酔いしれていたはずだった。

     壊れた歯車が噛み合わないまま、思いのフィードバックがループする。それはいつだって空回り。
     この世が舞台ならそれはきっと、わたしのための物語じゃない。わたしが主役としてスポットライトを浴びることはけっして許されないということに、いまようやく気がつく。行き場のない感情が溢れて、思いの雫が零れるのはいつ頃振りだろうか。
     しかし、それでもわたしは語り手たり得るのだ。古い詩にあるように、わたしの魂の指揮官はわたし。だからこそ、わたしは語ることそれのみを許されている。わたしは主役じゃないけれど、これはわたしが紡ぎ、わたしが望んだ物語だ。

 

     霧雨が降り始め、夜の闇を厚い雲が覆う。雲の切れ間から覗く地球の衛星の輪郭は、まるで破れた輪っかのよう。
     月も見えないこんな夜には、星を降らせて、わたしを殺して。
     誰にも聞こえないようにそっと囁くと、なんか素敵、鏡の中の君がふふと笑った。

棘々しい/棘/なべしま

無邪気な子供の手によってグニグニと揉みしだかれ、キモチワルイ!の叫びとともに再び人口塩水の底に沈没させられていた。看板には大仰に
「棘皮動物ナマコ」
と掲げられており、映画広告並みの派手な色使い、水色の看板と妙に合わず、絶妙な風情。対象年齢に明確に外れ、子供たちの好奇心に晒される場ではあるものの、恋に破れかぶれ、傷心の私にとっては居心地の悪さは心内環境そのもの、心のふるさと、その上ふれ合うはナマコだけときている。青い鳥は見当たらないが、この傷ついた心にはナマコがいるのだ。我が理想郷なのだ。ただし賛否を取れば劣勢気味なので、その辺りは不服であった。

早速二重回しを肘までまくり、と颯爽と決めたいが生憎と、袖のダボつきをどうにも出来ない。肩まで折り上げ、落ちてくる袖をその都度まくることにした。そうした苦労をした挙句、ようやく手にしたナマコはイキが大変良かった。すわお前は芋虫かと思うほど、四肢、は無いが、突っ張るように体を仰け反らせる。驚いてぼちゃんと落っことしてしまう。店の人が睨む。罪悪感にかられる。だが私は悪く無いと再び手を差し入れた。今度は慎重に選び、大人しそうな奴を手に乗せた。コイツはどこかションボリと下を向き、べろんと寝ている。死にかけかもしれない。あるいは悪党よろしく、煮るなり焼くなり干すなり好きにしろと、腹を決めているのかもしれない。日頃食べるイリコに頭を下げたくなるような気持ちよさであった。体の、申し訳程度の棘もツルツルと光り、ナマコなりのイキなのかもしれないとさえ思えた。何も考えていないとも思えた。
「ナマコを水から出さないでください」
「申し訳ないことをしました。何も考えていないのは私でした」
恐縮しながらナマコを水に戻す。

水中で無心にグニグニやっていると、彼女の言葉が思い出される。四ツ谷の駅で私の少しの遅刻、申し訳なさにアンパンを二つ買って彼女にやると、仕方の無い人ね犬じゃあないのよとそれでも旨そうにアンパンを囓っていた。そういえばこのグニグニは、思わず掴んだ去り際の彼女の二の腕に似ている。彼女は良い子であった。度重なる不躾なお願い、飯を食いたいと言えば弁当をこさえ、一人で夏祭りなぞ行かれないと言えば洒落た着物を見立て、手を引いて花火を見せてくれた。
今度の件、彼女との成恋人記念日とでも言う日をスッカリ忘れ、二人で過ごすという約束も忘れ、散歩にふけっていたのは私の落ち度だ。貴方の顔見たくないわとその言葉に袖にされたと思っていたが、やはり謝るべきかもしれない。ありがとうナマコ、女児お墨付きの気持ち悪いクロナマコ。私は彼女に謝罪する。前を向いて生きていくよ。
「お客様、アンマリ刺激しますとナマコの体に障りますから、あのう」
「ハイ、もう止めます。ありがとうございました」

女の独白/棘/フチ子

自分も、他人も、何を考えているかわからないからその場の気分の雰囲気でふらふらとし、ときどき倒れる。いつも気分次第だから自分自身では正常の判断などできず、関わった周りの人がどれだけ善良かによって私の人生が決まる。今まで狭く深くの人間関係を築いていた私は、たまたま恵まれていて狂うことはなかったけれど、自分の中に確信を持ったことはなく、勘違いと妄想と、衝動的な感情に振り回されて生きてきた。

1ヶ月お付き合いしていて振られたのち、友達になった彼は私に手を出してこなかった。彼は付き合っていなくても、わりと誰でも手を出すような人だったから、襲うほどの魅力がなかったのかと落ち込んだり、少しでも私のことが大切だから適当に手を出したくなかったのかと期待したりしていたけれど、どっちも不正解だったことを知ったとき、なんだか絶望した。単純に私が彼にとってまあまあ大事なコミュニティーの中に私がいて、私を抱くことによるリスクが重かったからこそ、抱くことなく別れただけだった。こんな分かりやすいこと、私以外すべての人が気づいていたようなこと、馬鹿ではない私はわかるはずのことであるのに。全然頭になかった、のか、わからないふりをしていたのかわからない。悔しいし、恥だ。

濃密なコミュニティー内のみで人間関係を築こうとすると、その人の表の部分と接することになるから、私が感情的な人間でも、間違いが起こることは少ない。相手に「今ここでこいつに手を出して、それでヤリ捨てされたと泣きつかれたら、男であるおれが悪者になりかねない」と自制が働く。私は、私を愛していない、表の顔を持つ男たちによって守られていた。ただそれだけの話で、ロマンチックも理想もない。

浅いコミュニティーの中での恋愛は賭けでしかない。HUBで出会って、気に入られ、サシ飲みをした彼に、付き合っているという認識だと言われ、次は家に来ないかと言われたとき、これが世に言うヤリモクかと疑心暗鬼に囚われた。しかし私は理性的に自制などできず、顔や雰囲気がタイプの男性に求められるとどうもだめで、きっぱりと断ることもできず、一日中寝れなかった。セックスはしたいけど、すぐに捨てられるのは傷がつくから嫌だ。できればちゃんと付き合いたい、後悔もしたくない。グルグルと頭を巡らせてみるも、どうせ私は行ってしまうのだろうという結論が目に見えていた。いつから私は軽い女になったんだと考えてみたけれど、私自身は全く変わっていなくて、置かれた状況が変化しただけだった。

21年付き合った自分自身の生き方や性格を最低限分析したあと、せめて論理武装しようと考えた。なぜ彼の家に行ってセックスをするのか。ちゃんと考えた結果、セックスをしたのだという確信を得るために。たとえ考える前から行くことは決まっていて、その上で悩んでいたとしても。

何度2人でデートを重ねたところで、その目的がセックスを果たすためであったらそれは誠実ではないし、出会った当日にセックスをしたところで結婚を前提とした恋愛に発展するかもしれない。HUBという、素性もわからない全く違ったジャンルの人とのお付き合いは、10回お昼にデートをしたところで、どんな時間をかけても、それが本気かどうかなどわからない。セックスをした結果、捨てられるか否かでしか、私の疑念が晴れることはない。その人を本当の意味で信じられるのは、100回くらい身体を重ねてもなお私と会ってくれる、ご飯を食べてくれる、どうでもいい会話に付き合ってくれる、そんな結果がないとだめだ。ならば、好きで付き合いたいなら、迷う必要がない。私の考えた苦し紛れの完璧論理はこれだ。

意外にも喪失感はなかった。私は見る目がないから判断できないけれど、今日だけで終わる、というわけでもなさそうだった。後のことは知らない。私はこうして汚れていくのかと思ってみたりするけど、実際汚れた感じは全くしない。このまま、彼の雰囲気や生活感にはまってしまって、どっぷり浸かったあとにLINEブロックでもされたら、またお酒に溺れて忘れよう、なかったことにしよう、と予防線を張りながら歯ブラシと部屋着を置いていく。「この歯ブラシぼろぼろになるまで付き合ってね」と、ふざけつつも、本気の疑いを彼に向けて、弱々しく、刺々しくつぶやいた。

星が欲しい/とげ/ゆがみ

このスタジオの評価方式が「グループ内で1票」から「全体の中から1票」に変わってからなかなか票をもらえなくなった。ここでの評価が世の中の評価につながるのかとか(生意気にも)思っているものの、評価がもらえないのは辛いことだ。どうすれば星がもらえるのだろうか。このテーマでうまく書けそうなネタはないかと考える。ひたすら考えていると頭の周りを星が回り始める。

ここでふと思いつく。星ってトゲばかりの図形だと。一つの星の中にトゲが5つもある。つまり、3つ星レストランならトゲが15個、5つ星ホテルならなんと25個だ。これはネタになりそうだ。いつの間にか頭の周りを回っていたはずの星たちは消えていた。

 

というわけでこれから星とトゲについて話を膨らましていこうと思う。私たちが「星」という言葉を使う場面にはどのようなときがあるだろうか。もちろん、空に光る星の話をすることもあるが、「期待の星」「中年の星」、英語だけど「スーパースター」のようにひと際目立つものにもよく使われている。これは星の特性にある。星は太陽と同じく自ら光るが、空すべてを明るくする太陽とは異なり暗闇の中に一点だけ輝いているからこそ、そのような使われ方をするのではないか。

でも、一点だけというのはトゲも同じだろう。一点に集中しているからこそ刺さると痛い。しかし、星という言葉はいい意味で使われるのに、トゲという言葉は「言葉にトゲがある」みたいにマイナスイメージになることが多い。

「物は言いよう」というのはよく言われることだ。例えば、「落ち着きが無い」というマイナスな印象を与える言葉でも、「いろいろなものに目が行く」というプラスな感じに言い換えができる。「言葉にトゲがある」というのも「悪いことを言うことを躊躇していない貴重な言葉だ」とか言いかえればプラスである。

このように良いように言葉を変えていくのは、自分に自信がない人に対する接し方として良く取り上げられることだ。人が不幸か幸福かを分けるのは認識の部分だけである、というのはよく考えられることかもしれないが、なかなか実践できないことでもある。しかし、「自分が幸せになれる方がいいかなれないほうがいいか」と聞かれたら前者を選ぶに決まっている。それが自分の認識だけで変わるというのならば、ある意味簡単な話である。自分の中にあると思っているトゲを星だと思え。躊躇するかもしれないがそれだけのことだ。

触れると痛いのが棘/棘/Gioru

「誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ」

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 9巻 232ページ by 平塚静

 

棘ってなんだろうか。そもそも棘がある意味って何?

棘がついている物を想像してみる。

薔薇・ハリセンボン・ヤマアラシ・ウニ・サボテンなどなど。

どれにせよ自分を守るためについていそうである(サボテンの棘は葉からの水分の蒸散を少なくするため。ある意味自己防衛)。あれ、ハリセンボンって、棘? 針?

よくわからないので省略することにする。

 

人間にも「棘がある」などと言われる人がいる。

言葉や行動など、あらゆるところで他人を傷つけてしまいがちな人のことを、よく「棘のある人」と言ったりする。

では、なぜそんな言動をとるのだろうか。

棘があるものがそうであるように、自分を守るためなのだろうか。

 

自分の領域に入ってほしくないから、自分を傷つけてほしくないから。

だからそうなる前に相手を傷つけて自分が傷つくことを回避しよう。

 

なるほど。上手くいけば自分に危害が加えられる前に相手を追い払えるかもしれない。

けれど、その棘は万能とは言い難い。

物理的な物じゃないから、防ごうとは出来るけど、それも完璧じゃない。

相手からの言葉。それこそブーメランのように帰ってくる言葉の暴力なんか来たらとてもじゃないけれど防ぎきれない。結局は自分も傷ついてしまう。

自己防衛手段としてはあまりにも不完全なんじゃないだろうか。

人間でいう「棘」とは自己防衛のためだけとは言いにくそうだ。

 

不完全な存在である人間の持つ棘は時として無意識に効果が表れる。

相手との何気ない会話、ひょっとしたら相手を気遣う言葉の中にさえ含まれることがある。

どんなに注意したって、相手のことを完璧に理解できる人なんて存在しないのだから、どの言葉が、どの行動が相手を傷つけるのかなんてわからない。

人間のありとあらゆるところに、植物や物とは違う特別製の棘が潜んでいるようだ。

 

その棘は時に、簡単に人間関係を壊してしまう。

大事なものを壊してしまうかもしれない。だから相手に気を遣って言葉を選びながら、何とか相手を傷つけないようにする。関係性を崩さないようにする。

 

そうやって上手く相手を傷つけない方法を知っている人が、世間一般でいわれる棘のない人なのかもしれない。

実際は、棘は誰にでもついていて、ただ、それを隠すのが上手い、あるいは刺さらないようにしているのかもしれない。

 

人と関われば関わるだけ、相手を傷つける棘が出てくる可能性は上昇する。ならば、相手を傷つけたくないのなら、深く関わらなければいいのか。触れようとしなければ、棘は刺さりたくても刺さるはずがない。

 

でも、私にとってもそうだが、もっと相手のことを知りたい、またはもっと仲良くなりたいと思う相手も出てくる。そのためにはどうしても相手に近づく必要性が生じる。それならばリスクを負うしかないではないか。

 

そんな諸々を含んだ一文が冒頭の文なのかもしれない。

 

 

……とは言っている自分も、相手の顔色を窺って、機嫌を取ろうとする、あるいは自分にとって都合の良い方向へと持って行こうとする一人である。

相手を傷つけるのは怖いし、自分が傷つくのも怖い。

 

本当に、どうすればいいんでしょうね。


参考:『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』渡航 著

能ある薔薇は棘隠す/棘/ヒロ

それはある一人の庭師が原因、いや発起人だった。
その日彼はいつもどおりに仕事であり、趣味でも趣味でもある薔薇の手入れをしようとしていた。
しかし、そこで足を滑らせて転んでしまった。前日にかなりの雨が降り、土がぬかるんでいたのだ。
そして転んだときに薔薇の棘が頭に刺さってしまった。するとその庭師はなんととんでもないレベルの天才になってしまったのだ。過去に頭からネジが一本抜けてバカになってしまった事例があったが、頭に棘が刺さると天才になってしまうとは衝撃的な発見だった。
そしてその天才になった庭師はすぐに学者となり、薔薇の棘に含まれる成分ががんの特効薬になることを世界中に発表した。

その発表は全世界に一つの風を起こした。空前の薔薇の棘ブームが起こったのだ。
世界中で薔薇が育てられるようになり、多くの農家がオリジナルの薔薇を開発した。あらゆる場所で祝いとして薔薇の花束が渡されるようになり、「綺麗な薔薇には棘がある」という言葉の意味が綺麗なものには一見無駄に思えるものがあるが、それはそのものの価値を高めるものなのだというものに変わった。
肩にトゲを付けることが流行り、ファッションの最先端が北斗の拳となった。
月に薔薇を描こうというプロジェクトが立ち上がり、例の庭師が宇宙飛行士となり、月まで行き月に薔薇を描いた。過去に月にハートマークや恋人の名前を書こうとして失敗に終わっていたため、それは世界的な絵画となり、特別世界遺産となった。庭師はまだ存命だったが遺産とされた。
頭に棘を刺すことはあまりに危険な可能性が高いとして例の庭師が禁じたが、成功すれば天才になれるかもしれないと秘密裏に棘を刺し、失敗して廃人となる人が後を絶たず、薬物に並んで棘の私的利用が違法となった。

世紀の発見の10年ほど後に、薔薇の品種改良が進み、薔薇が二足(二根?)歩行できるようになった。
しだいに薔薇は知性を持つようになり、人間との間に独立戦争を起こした。
それはひどく哀しい戦いであった。たくさんの人が、薔薇が散っていった。人間が開発した特殊な除草剤が戦争に使われ、多くの薔薇が虐殺された。
最終的にはあの庭師が人間と薔薇との間を繋ぐ交渉人となり、和平が結ばれた。
薔薇たちは平和の証として自分たちの茎から棘をなくし、人間たちは髪の毛を剃った。
その後薔薇たちの協力もあり、人間は光合成ができるようになった。食糧問題が解決し、地球には新たな時代が幕を開けたのだった。

他の星から植物を食べるタイプの虫型宇宙人が現れ、薔薇と人間が手を取り合って共に戦ったことは、また別の話である。