「涙」カテゴリーアーカイブ

め~くあ~~っぷ

世の中には涙袋と呼ばれている部分があります。そして、僕はこの涙袋が大好きです。ちなみに、僕もそこそこ涙袋が大きい方です。(僕が自分の顔で一番気に入っている部分だ!)あのぷっくりとした膨らみには、よく分からないが、ロマンがつまっていると思います。

ただ、最近になって、女性が異様にメイクを利用して、涙袋を強調してくるようになりました。ですがそいつらに言いたいのは、それは違う、それは違う!そもそも僕たちは、自然に作られた涙袋からでるフェロモン的なものに惹かれるのであって、人工的に作られたそれはまやかしでしかないのだと。

大体、男は化粧の濃い女は苦手なものです。まれに、ごくまれに、そういった類いの女性が好きな人もいると思いますが、大抵、すっぴんか、それに近い状態が、好きなんです。まぁ、これは勝手な思い込みなのかもしれませんが、ここで僕が言いたいのは、不用意に目ばっかりいじるメイクをするなと言うことです。正直どうかと思いますよ。そして、そういうやつに限って、「わーたーしー、なちゅらるめいくじゃん!?、なちゅらるめいくじゃん!?、なちゅらるめいくなのね!、なちゅらるめいくなのよ~。」といった、すごい不愉快な自分に素直に生きてますよ的な、自分女子力ありません、自分化粧にそんな時間かけてませんアピールをしてきます。あれは、何ですか?お前の目元とかゴキブリみたいだぞ!

まぁ、少々暑くなってしまい、涙袋の話から女の人の悪口にシフトチェンジしてしまいましたが、そう言うことなのです。だから皆も涙袋を不用意に描くのは止めよう!なんかすごく体調が悪く見えるよ、これわりとマジで!

こういっていた僕ですが、この前、久しぶりに涙袋が素敵な、俗に言う涙袋系女子に出会い、涙袋がチャームポイントだね的なことを言いました。勘違いしてほしくないのは、下心とかがあったわけではなく、あくまで、相手を誉める意味でそう言っただけであるということを肝に命じておいて欲しい!すると、彼女は言いました。「でもこの涙袋書いた奴だから、実際そんなある訳じゃないよ~。」おいおいまじかと、僕は衝撃を受けました。正直、ショックでした。こと涙袋に関して言えば、すっぴんか、メイクかを見定める目は確かだと思っていたので。

これ以来、僕は正直疑心暗鬼です。もしかして、僕の大好きな涙袋女優の石原さとみの涙袋も作り物なのでしょうか。散々女性のメイクについてこき下ろしてきた僕ですが、最後に言いたい!

もし、メイクに詳しい人がいたら人工涙袋の見破り方を教えて下さい!

親の涙

去年の秋、祖母が亡くなった。わたしの父の母で、もうかれこれ10年ほど体調が優れず、自力での歩行もままならないような状態で、さらに軽い痴呆もはじまっていたので、身の回りの世話をしてもらえるケアハウスに入っていた。
正直なところ、わたしは祖母にあまり懐いていなかった。祖母の方も、わたしたち孫を目に入れても痛くない!というような可愛がり方をするひとではなかったので、お互い様なのだろうか。とにかく、わたしは祖母が亡くなった時も、悲しいとは思えなかったし、もちろん涙も流さなかった。そもそも、なぜ亡くなったのかも知らないのだ。薄情な孫だと、非難されるだろうか。

葬儀の場で、遺族が悲しみに暮れるような暇はないのだと、初めて知った。わたしにとって最初の葬式は、幼稚園の時に経験した、父方の祖父、つまり去年亡くなった祖母の夫であるひとのものであった。幼いわたしがひとの死を理解するはずもなく、悲しみの涙を流すこともなかった。この歳になって経験する葬儀で初めて、遺族のやることの多さに驚いた。式場の手配、親戚への連絡、あいさつ、会食の予約など、慌ただしく準備を進めなくてはならなくて、泣いている時間もないくらいに思えた。
やはり一番忙しいのは喪主である父で、淡々と準備をし、といっても仕事をまるっきりほったらかしにするわけにもいかなくて、顧客に電話を掛けたり会社に行ったり、いつものように仕事をしながらも葬儀の用意をしている父は、少し疲れているように見えた。

祖母が亡くなったこと自体はあまり悲しくはなかったが、わたしの父が母親を亡くしたということは、悲しかった。さっき書いたように、もうわたしの父の父は亡くなっているし、もうこのひとの育ての親は二人ともこの世にはいないのだと、そう考えるとなんだか切なくてたまらなくなってしまった。
切なくてたまらなかったのは、父が悲しむ姿をまったく見せなかったからだ。祖母が亡くなる前の一週間ほどは、いつ何が起こるかわからないからと言って、親族で交代で病院に待機していた。その間も、わたしの父は仕事をしながら合間を縫って、もう意識はない祖母の様子を見に来て、また仕事へ戻っていった。
本当は仕事なんかほったらかして、ずっと傍についていたかったのではないだろうか、そんなことを言ってももうどうしようもないことだ。

思えば、父が感情をあらわにする姿をほとんど見たことがない気がする。そもそもの性格なのか、一家の大黒柱としての自負がそうさせているのか。わたしは自分の父親のことを、何も知らないのだと気付いた。
父の涙を見たら、わたしも泣いただろうか。一家を支える立場である父が、「息子」として涙を流す姿を見て、愛おしく思うことができただろうか。人間らしく感情を表す父を見て、彼のことを少し知れたような気になっただろうか。それとも、「父親らしさ」を手放したその姿を見て、軽蔑しただろうか。がっかりしただろうか。
まだ先のことであってほしいけれど、次はわたしの番なのかと、ぼんやりと考えた。親が亡くなったとき、わたしも誰かの親になっていたら、その前で「子ども」として涙を流すことはできるだろうか。到底想像もつかないけれど、今願うのは、どうかその日が少しでも先でありますように、ということだけだ。

処女

全身黒に包まれた大人がひとり、またひとりと吸い込まれるように館内へ入っていく。
私と彼もまた、頭から足まで黒に包まれている。館内へ入っていく大人たちと一つだけ違うのは、その黒が卸したてのようにつややかに光っていることだ。大人たちのよれよれになってどこかくたびれた黒。いったいこれまで何度あの黒を身にまとったのだろう。
そして、私たちのこのきれいな黒も、いつか同じように光を失っていくのだろうか。

ふと、隣に立っていた彼と目が合う。年は私よりも3つほど上だろうか。
若いからという理由で駐車場の誘導を任されたが、彼のことはよく知らない。
「お葬式は初めてですか?」
なんとない居心地の悪さをごまかすために。
「そうだよ」
知ってた。それはそうだ。そのスーツの色を見ればわかるよ。
だけど、何か話さないと、口にしていないとやっていられなかっただけだ。
「お葬式ってほんと息が詰まりますよね」
「別に」
「けど、人が死んだんですよ」
「人はいつか死ぬよ」

「人はいつか死ぬ」当たり前だ。今だって心臓が止まるまでのカウントダウンは少しずつ進んでいる。0がいつ来るかは分からない。もしかしたらまばたきをして目を開いたら死んでいるかもしれないし、案外人生を謳歌した50年先かもしれない。

私は死ぬのが怖い。
小学一年生の時、あんまり怖いから母親に泣きついた。一人で子供部屋のベッドに入っても眠れない。瞼の裏側には恐怖が貼りついた。
死にたくない、死にたくないと泣き叫ぶ私に母親は一冊の本を買ってくれた。
タイトルは「死ぬのはこわい?」。中にどんなに素晴らしいことが書いてあったかはよく覚えていないけど、それを読んでからは夜も一人で眠れるようになった。

だけど、その本の効き目はほんの少しだった。朝になればまた元通り。
小学校の授業中、気を抜くと聞こえてくる心音はグロテスクで、生の証であるはずのそれは私に死を予感させた。

それから10年ほどたったが、死は今でも私の隣にいる。
だからこそ。

「どうしてあなたはこんな時でも平然としていられるの?」
「どうしてって」
彼はいつもの表情を崩さないで続けた。
「ドライアイだから」

後悔

親父は建築会社の社長だった。
バブル期には相当稼いだらしく、世間一般的にはいわゆる「成功者」だったらしい。

会社も順調に成長していた頃、俺が生まれた。
しかし、そんな矢先、母親が癌になった。
すぐに入院して治療しなければ助からないと言われたらしい。
しばらくして幼稚園に入った俺は、鍵っ子になった。

ある日のこと。
親父は仕事が片付かず、帰りがかなり遅くなったことがあった。
いつも通り、鍵を開けて家に入ると、玄関で俺がわんわん泣いていた。
いわく、帰りがあまりに遅く、もう帰ってこなくなったと思って泣いていたらしい。
それを聞いた親父はしばらくして会社を畳んだ。
これ以上寂しい思いをさせないように、俺が大きくなるまではそばに居てやろうと思ったそうだ。

貯金を切り崩しての生活が始まった。
母親の病態は何年経っても一向に良くならず、高額な治療費でどんどん貯金は減っていった。
俺が高校生の頃、とうとう貯金は底を尽き、治療を続けられなくなった母親は実家に帰ることになった。

その後まもなく、親父も癌を患い、入院した。
母親と同じく、どれだけ治療しても一向に良くならなかった。
半ば追い出されるように退院した親父は、その頃には介護が必要になっていた。

しばらく俺は親父の介護をしながら生活していた。
しかし、あまりに辛い生活に耐え切れなくなった俺は、大学進学を理由に親父を捨てるように地方へと出てきた。
親父なら自分の夢を応援してくれるはず、なんていう都合のいい言葉を自分に言い聞かせて。

そんな親父が死んだと、病院から連絡が入った。
介護のデイサービスの人が、家のチャイムを押しても反応が無いことを不審に思ったらしく、警察に通報して発覚したそうだ。
親父は布団の中で、眠るように死んでいたという。

俺は遺品整理のため、実家に帰った。
親父の書斎を整理していると日記帳が見つかった。
そこには親父の苦悩が詰まっていた。
自分で作った会社を潰すのは辛かったこと。
子供のためだと言い聞かせたこと。
塾に行かせてやれなかったこと。
欲しいものを買ってやれなかったこと。
母親代わりになれなかったこと。
そんなことを親父は悔いていた。
たった一人で自分を育ててくれた親父が、こんなに苦悩を抱えていたこと。
親父は俺のために人生を捧げてくれたのに、俺は親父を捨てたのだ。

最後のページに通帳が挟まれていた。
300万円あった。
「気の遠くなるような人生だった。贅沢させてやれなくて悪かった。」
震える字で書かれた紙が挟まっていた。
紙にいくつも涙が落ちた。

さよなら、

コートのポケットを探る。嫌な予感がした。ない。ネックレスと揃いのブレスレットがない。ネックレスはさっき取り出してつけた。電車の空いたドア際からホームを見る。
さっきまで私が立っていたよな、いなかったよな場所。なにか落ちてる気がする。視力が落ちた。よく見えない。ドアはまだ空いている。あの白い輪はホームの模様か。藁かな。ドアがまだ空いているのに。
走り出した電車の扉の窓に額をくっつける。遠ざかるホームを、眼球を限界まで動かして見つめる。きらっと、光った気がした。あ、だめだ。さよならだ。たぶんやっぱりあれはブレスレットだった。電車の中で泣いた。子どもみたいに嗚咽をあげそうだった。

別に特別大切だったわけじゃない。母親がくれたものだったけど、そんなに値段が張るわけじゃなかった、気がする。張ったかも。アクセサリーがなくなったら人はどんくらい悲しむのか平均がわからない。全部どうでもいい。そうじゃなくて、私が予感はあったのにホームにぱっと取りに行けなかったことも含めて、こんなのどうしようもなくなにかを象徴する物語みたいでそれだから死ぬほど、悲しい。

私の物語は夢で、マントルまで潜って原石みたいなとこまでいったらそんなのすごく卑小な願い事でしかない。でも私は、それにすがりたくて宗教にしていた。たぶんそんなのはみんな同じで、でも書くたびにそれだけじゃダメだってなる。そうなったら、卑小な願いを覆えるだけの文法を身につけるか、願いを外に開かせて世界でいちばんやさしい論理をつくるかだ。

私の夢はもう破れかけだ。現実を物語にすることで苦しいことを意味のあることに変える方法をとっていたら、何にでも意味が生まれてしまって、まるで伏線みたいだと思ってしまうようになった。
私が落としたのはブレスレットじゃなくて、一番大切にしてた願い事だ。電車に乗って大人になるために、捨てなければならなかったものだ。拾える可能性があって、取りに行くことを何往復ためらうだけの時間はあったのに、それでも遠ざかるのを見るだけだったなら、それは私から捨てたも一緒だった。

さよなら、正しさはどこにもないと言うけれど、私が正しくないと思ったらそれは正しくない。さよなら、大切だけどさよなら。でも大人になってもう一度ここに戻ってこれたなら、それは本当に大切な願い事だ。今のうちに、魔法が解けるその瞬間まで、最後の願いの物語を書いて私はおとなになれたらいいと思う。またね。左様ならば。

泣く女

飾りじゃないのよ、涙は HA HAN

当たり前である。
お飾りで、アクセサリー感覚で涙を流せる女が本当にこの世に存在するのならば、一度会って泣いてみてほしい。

「泣いて許されると思っている所が嫌なのよ」
とは、中学のとき入っていた吹奏楽部の顧問の言である。
怒る女ならまだよかったかもしれない。叱れる女であったなら、どんなに素晴らしかったことだろう。しかし彼女は、キレる女だった。
予想できない動きで波打つ自分の感情の激しさに溺れかけ、思春期特有の感傷を常に引きずっていた私ですら辟易するほど、ヒステリックにキレる人であった。
彼女と叱る・叱られる以外の立場でまともに会話したことがない。ので、彼女の主張や考えについては、詰る言葉の端から漏れたものから想像するしかないのだが、彼女が女の涙を過剰に嫌っていたことだけは確かだと思う。
教師という一見正しそうな大人に強く攻められると、拗らせた自意識による感傷を煩う日本の中学生の殆どは受けた言葉の重さの倍傷つき、涙を流すのではないだろうか。
馬鹿みたいに素直で、(教師にとっては大変都合の)いい子だった私は、正しい大人に自分を全て否定するような言葉を投げつけられる度、息ができなくなり、安定しているはずの、優等生という中学での自分の立ち位置を見失った。
「だから、泣くなって言ってるじゃん」
「すみません」
「すぐ泣く女が世界で一番嫌い」
「ごめんなさい」
「泣けば許されるとでも思っているの?」

田舎の市立中学の音楽室に、暖房設備など無い。
乾燥した冷たい部屋で、大きなグランドピアノにもたれかかって、顧問の蛇のような鋭い視線をつむじに受けて、俯く私。
ひたすら謝っていた記憶しか無い。
どうして泣いてはいけないのかずっと考え続けていた。
公と私を分けよということか。
それとも、容易く武器になってしまう女の涙に甘えるなということなのか。
もしかしたら、もっと単純に、この人が泣いている女が好きでないだけなのかもしれない。

引退の日まで、何度も何度も先生は私にキレた。
私はその度に涙を流した。

3年の夏、顧問が産休に入るので、卒業式までは会えないと合奏の終わりに皆の前で告げた。
3年間の思い出を、震える声で色々と彼女は振り返っていたけれど、その内容や最後の激励の言葉など、私は全く覚えていない。
同期は、皆泣いていた。
西日を受けてギラギラ輝く大きな楽器を持ったまま、どの子もぐちゃぐちゃの顔で泣いていた。
それを見て顧問も泣いていた。

女が容易く泣いてはいけないのは、きっと泣き顔が一番笑える顔だからだと私は気づいた。
ブスだな、と私はスネアのバチを手持ち無沙汰に手の平の上で転がした。

なみだ並

涙は枯れるのか否か。よくなみだが枯れるほどなく、とか血も涙もない、なんて言葉が使われるが、涙はなくなることがあるのだろうか。

ふとそんなことが気になったので、
「涙 枯れる」
で、検索してみた。

結論としては、「涙が枯れることは無い」らしい。そもそも目を守るために常に目の表面は潤っているため、涙が失われるということはそれが失われるということと同義であり、普通に生きていればなくなることは無い。とのことだ。ごく稀に、体の水分が少なくなる病気や、水分制限をしているボクサーなどは涙が出にくくなるそうな。まぁ本気で涙が枯れるとは思っていなかったが、少し知識が増えた気がする。

そんなこんなで涙について調べていると、いろいろなお話がヒットした。中でも目を引いたのが一つ。

「涙の味は感情によって変化する」

という記事。なんとまぁ、そんなことがあるのだろうか。怒りや悔しさからくる涙はしょっぱくて、嬉し、悲し涙は甘い(しょっぱくない)らしい。なにやら副交感神経や交感神経がどうやらで、腎臓がどうで、ナトリウムが何とからしい。涙は血液と同じ成分で、流すときにはエンドルフィンという幸福物質も出るらしいので泣くことは人間生活にとってとても良いらしい。

しかしまぁ、年を重ねるにつれて泣きにくくなってきたような気もする。泣くことがストレス解消にいいと言われても、泣けない人はどうしたら良いのか。ちなみに嘘泣きは意味がないそうで。

そんなぁ、泣きそうだ。

涙あれこれ

私は今は簡単には涙を流さない。自分が泣くときは、自分の力が及ばなく無力さを感じるときだけだ。大学受験に失敗したとき、理不尽なことに直面したとき、誰かが死んでしまったときなどくらいだろう。

お葬式でわんわん泣いたのは、小学四年生の時だった。ひいお婆ちゃんが亡くなって、家族でお葬式に出た。初めてのお葬式で、そんなにあったこともなかったひいお婆ちゃんだったけれども、さすがに人がこの世からいなくなるという体感は初めてだったから、わんわん泣いた。涙を流した。今でも覚えていて引っかかっているのが、その時に私の横に立っていた親戚のおばさん(今まで一度もあったことがない)が、「泣いてて偉いね」といったようなことを言っていたのである。純粋な気持ちから泣いていたのに、そんなことを言われるもんだから、子供心ながらも、かなりの衝撃だった。お葬式で泣くことを仕事としているさくらの話を聞いたことがあるが、泣くということはパフォーマンスなのであろうか。

パフォーマンスで泣いたことがないと言えばうそになる。これまた小学生低学年のときの話であるが、悪さをして先生に怒られた。当たり前である。教育現場なのであるから。そのときに、怒られながら泣く必要がないと感じながらも、わざと泣いていたような記憶がある。先生から怒られる時間を少しでも短くするために。

今ではあまり涙を流さないと言ったが、歳のせいだろうか。うるっとくることは多くなった。漫画を読んでいると、いかにも感動させるぞと伝わってくるシーンであるのにもかかわらず、思わずうるっときてしまう。小説では涙が出てくることはあまりないのだが、漫画やアニメだと、ビジュアルイメージがダイレクトに伝わってくる。そのせいだろうか、思わず涙が出てきてしまうのは。最近では、ブックオフでメジャーを立ち読みしていて、うるっときてしまった。公共の場であったので、周りに気付かれていないだろうかと、気恥ずかしくなってしまった。

日常生活ではもっと涙が出て欲しい。ドライアイなのだ。ドライアイの性質は様々らしいが、いかんせんすぐに目が乾く。涙はそこそこ出ているのだが、定着しない。依然漫画で読んだのだが、涙にムチンという物質が足りていないと、目が乾きやすくなるらしい。ムチンと言えば長芋などに含まれるねばねば成分である。ムチンを補う目薬が出ているらしいが、まだマイナーで眼科に行かないと手に入らないのが残念である。ムチンを補う薬といえば、胃薬がメジャーで、それを使えば目薬にもできるらしいが、素人がすると痛い目を見ることになりかねないので、気になる人はおとなしく眼科に行ったほうが無難であろう。

鼻毛を引っこ抜けば涙は出る。