「キャプション」カテゴリーアーカイブ

夕日/キャプション/ボブ

山の端に沈む夕日を写した一枚。ここは台湾北部の淡水という場所であり、人気急上昇中の観光地の一つである。昼間の空の澄んだ水色と、沈みかけている夕日のオレンジの色とのグラデーションが何とも美しい。夕日から光が扇状に広がっている様子が見て取れれば、空の奥行きを感じることができるだろう。観光客はそこまで多いわけではないので、夕日が沈むまで海風に吹かれながらゆったりと時の流れを感じてみるのもよいかもしれない。

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一年に一度は思うこと/キャプション/θn

 初詣というのは大体どこにいっても混んでいるので、私はそれを避けるようにして大晦日にお参りに行く。神様にせよ仏様にせよ、1日くらいは多めにみてくれるはずだ。
 そんなこんなで今年は大阪天満宮へ。初めて参拝したが時期もあってか綺麗だし、広すぎず狭すぎずのいい所であった。写真はそこの正面の門にあった干支のレリーフである。
 こうして改めて見ると、どうして辰と巳を前後にしてしまったのだろうと思う。完全にフォルムが被っている。というかそもそもこの並びの中に突っ込まれた辰の存在感がすごい。空想上の生物を何故ここで持ってきたのか。憐れ猫よ。まあかくいう私は子年、圧倒的小動物の人間なので猫はいなくてよかったのかもしれないが。とはいえ寅年の人などを見ると、なんだか馬鹿にされているんじゃという気持ちになる。完全に被害妄想である。
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美/キャプション/フチ子

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新しく買ったバックやコートは、馴染んでいない。高校のときにつけていたお気に入りのマフラーを二年ぶりに下ろしてみると、すんなりとまとまった。

外見のコンプレックスなんてたくさんある。脚が太いこと、目が一重なこと、髪の毛が癖っ毛なこと。髪の毛はよくわからないけれど、きっとフチ子ちゃんも私と同じだと思う。脚は太めだし、一重だし。

それでも自分に似合う服を大切に着ていて、たまにサンタのコスプレや着物などを着る姿は見習わなくてはならない。大事なのは自分を愛せるかどうかだ。

今日の私はなんだか素敵だ、と思える日を少しでも増やそう。ともだちが素敵だったら、妬んでないで目に焼きつけよう。

遠いものだと思っていたけど、あと数日で成人式。着物やドレス、見栄の張り合いでキラキラな一日なのだろう。気後れしつつノリノリだ。母が古い人だからわたしのドレスはどう見ても今風ではないけれど、それも気に入っている。

背筋よく、しなやかに、美しく。
そんな感じで。

足跡/キャプション/山百合

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この画像の白いタイル部分に、斜めに線が入っているのが分かるだろうか。これは東京都町田市某所のガードレールの支柱の下の部分である。以前ここを自転車で通った時、コンクリートが生乾きだったためにタイヤの跡がついてしまったのだ。タイヤにコンクリートがこびりつくことは無かったのが幸いで、しかも自分の通った跡を残してしまった。知らない人が見たらただのへこみ、もしかしたら気付かないかもしれないような痕跡が紛れもなく自分の生きた証であると思うと少し嬉しい。道路工事で塗り替えられるまでの名所である。

八百万の神々の御名/キャプション/ピーポ

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初詣に行ってきた。家から程近い鶴岡八幡宮である。
非常に混雑すると予想していたのだが、実際行ってみると全くそんなことはなかった。
例年は入場規制を行うほどの混雑ぶりだと聞くが、一体今年はどういうことだろうか。
人は神に祈らなくなってしまったのかもしれない。

聞くところによると、鶴岡八幡宮は女性の神様を祀っているらしい。
随分嫉妬深い神らしく、カップルで参拝すると別れさせようとするのだとか。
神にも非リアは存在するようだ。全くもって神らしくない。
八百万の神々と言われるように、神の中でも立派な神や、下世話な神がいるのだろうか。
そう言えば、すごい人を褒めるとき「あなたが神か」なんて言ったりするけど、もしかしたら彼らも本当に八百万の神々の一人なのかもしれない。

月明りの下で/キャプション/ノルニル

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12月の終わり、後輩の車に乗せてもらって星を撮りに行きました。でもあいにくその日は月がとっても明るくて。
これじゃ星は見えないな、とすこし残念に思っていました。

 

午前3時。自分たちのほかは誰もおらず、街の灯もほとんど届かない島の公園は、驚くことに信じられないほど明るかったのです。
月明りがあたり一面をやさしく照らし、見上げればその姿は夜空にうかぶ太陽のようでした。

 

あまりに地上がきれいに映るので、景色と一緒に撮ってみることに。
明るい月夜も悪くない。考えを改めさせられました。
最初は期待外れでも、そのあとには予想もしないようなことが転がっているのかもしれない。そんなことを感じさせながら、年の瀬の夜は更けていきます。

初日/キャプション/ヒロ

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 2016年1月1日、三重県志摩市の祖父母の家で目を覚ました私は少し散歩に出かけた。別に初日の出を見に行こうというわけではない。第一、日はとっくに上っていた。本当にただの散歩だ。
 天気は快晴。風も穏やか。目的地はすぐに決まった。祖父母の家から海までは徒歩数分。毎年見ているが、海の姿に飽きることはなかった。
 田舎の少し寂れた港町を抜けて、海に着いた。腐るほどのテトラポッドとゴミと小石だらけの砂浜。まあ観光地ではないからしょうがない。
 緩やかなカーブを描く水平線を見て地球の形を再確認しつつ私は太陽を見上げた。それは明るく海面を照らしていた。この太陽が出てくることを初日の出というのなら、この太陽は初日というのだろうか、なんてくだらないことを思いながら私は波の音を聴いて過ごした。

まぶたのみどり/キャプション/ノルニル

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年が明けて、早朝の湖へ写真を撮りに出かけた。
ファインダー越しの世界は湖面からひろがる冷気に澄みきって、透明なたべもののよう。
空、そしてそれを映した水面は次第にみずいろから朱に染まっていく。
ゆっくりと昇ってくる今年はじめての太陽に向けて、続けてシャッターをきる。

眩しいときと笑うときって似てるよね。昔読んだ小説のセリフを思い出して、目を細めてみる。
陽の光は強烈で、一瞬で目にその残像を焼きつける。
まぶたを閉じると、鮮やかに一面のみどり。目を開くと、時間をかけて血を薄めたような緋色へと移り変わっていく。

撮影した写真を確認すると、カメラのディスプレイに表示された光景は確かに目で見たものに近かった。
でもそこには確かに、みどりのもやは残っていなかった。
考えてもみれば、100分の1秒の速度で撮影するカメラに残像が現れるわけもなくて。
そうしてひとり腑に落ちていたら、いつの間にか残像も消えていた。

さあ、今年はどんな人間になろう。元旦はいつもこの抱負に悩まされてきた。
けれど今は、ひとときでも人の心の中に焼きつく、そんな残像のような存在になりたい、そんなことを自然と考えていた。

おみくじ/キャプション/Gioru

DSC_0008 お正月といえば初詣。私の実家である長野のとある神社でおみくじを引いてきました。

結果は……無難といったところでしょうか。思い返してみればくじびきだとどんな運勢のくじを引いても良いことと悪いことの両方が書かれていて、気を付けて生活しなさいよ、という旨の内容が書かれている。聞いた話によると大吉を多めに入れている神社があったりだとか、逆に大凶を入れている神社があるのだという。

こんな紙切れ一枚で何が変わるわけでもない。でもお正月という特別な時期、あるいはそれ以外の特別な時にひくこのおみくじというものは私たちなりのけじめのつけ方なのかもしれません。「あせらず好機を待てよ」なんて書かれたら、じゃあちょっと頑張ってみるか! なんて、その瞬間だけでも思えます。

争事を人に任せていいとか、ちょっとびっくりもしましたけどね。今年も一年楽しく過ごせますように。

日之影/キャプション/さくら

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2016年元旦。

人々が新年を迎え歓びに浸る中、僕は一人寒空の中家を出た。

目的は何といっても初日の出である。千葉県の銚子市、関東最東端にある「犬吠埼」なる岬に、2016年に初めて日本を照らす太陽をお目にかかろうという魂胆だ。

初日の出の時刻は6時46分。実は、南鳥島、小笠原、富士山頂といった場所を除けば日本で一番早く初日の出が拝める場所こそ、この犬吠埼なのだ。

臨時列車を乗り継ぐこと5時間。海岸につくと、初日の出を拝まんと既に多くの観光客が詰めかけていた。

東の空に雲こそあったものの、素晴らしい景色に新年早々圧倒された。もちろん海に照る太陽も撮ったのだけれども、敢えてこんな写真を選んでみた。

この影が、2016年、太陽が初めて作った影なのだ。